とある友人の日記を読んでいた。 彼女は今彼氏ととてもラブラブなようで。 勿論衝突することも多いようだけど、幸せそうです。 そのなかにあったある一節。
愛のないエッチをする人は歪んでる。 さびしいだけ。今の生活に満足してないだけ。
こんな感じかな。 微妙にニュアンス違うかもしれないけど。
やっぱり、私は歪んでたのかな。 初めて真としたとき。 その時点では真にも彼女がいた。 でも、なんだか普通に気が付いたらそういう流れになってた。 当然、自分の家に入れた時から覚悟がなかったわけじゃない。 確かに一緒にいてどきどきしたりはしたけど。 その時は私は別に真のことを好きじゃなかった。 だから、「これきりにしよう」なんて言葉を吐くことができた。 まさか自分にそんなことを言う思考があったのかと驚きながらも。 誰でも良かったわけではないけれど。 でも私のことを必要としてくれて、私のそばにいてくれる人が欲しかった。
どんなに喧嘩をしたって どんなに言い合いをしたって どんなに気に食わないことがあったって その人のことが好きで、 そばにいたい時にそばにいられるのならば。
他になんて目を向けることはない。
女が他の方向に目を向ける時。 それは、好きな男がそばにいないとき。
物理的でも 精神的でも 距離が離れてる時。
この二つは相補性がある。 遠距離恋愛でも、精神的に満たされてるのなら物理的距離なんて埋められる。 恋愛だけでなく、自分の精神が満たされてたら、それで十分。
私には、そのどちらもなかった。 週1で会えてるなら十分じゃないかといわれるかもしれない。 でも、私にはそれ以上に精神的に欠けていた。 自分の精神が欠けているというよりも、抜け落ちていた。 あとでわかったことだけれど、 私は本能的にでも翔に前ほどは愛されていないと感じていたのかもしれない。 後日、翔から聞いた。 その当時は昔ほど私のことを好きになれなくて、悩んでたと。
そして今。 真がいなくなってからもう3ヶ月。 その間に私は一体何回翔と喧嘩して、傷付けただろう。
いつかの日記にも書いたかもしれない。
精神的な本能は、翔を求めている。 肉体的な本能は、真を求めている。
それは今になっても、かわらない。 もはやどうしようもないのに。 翔を失うほうが辛いって分かった筈なのに。 翔と一緒にいて満足な筈なのに。 一人でいる時に抜けている私の心は何処に行ってしまっているんだろう?
私の周りはどんどん変わっていっているのに。 私だけが、変われない。
もしかしたら、変わる気がないだけなのかもしれない。
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