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夜遊びのキモ(中) - 2002年05月31日(金) 充実した夜遊びをするための「キモ」その二は、 「必ず指名すること」 だと書いた。 これは、前回の「必ずひとりで行くこと」と同様、決して安くはない店に行く以上、目的意識を明確にしたほうがいいということだ。 店通いというものは、漫然とやっていても、あまり面白くはない。 なにがしか「目標」を設定し、それを「達成」するための「努力」をすることでようやく充実感が得られるというものである。 仕事やスポーツと同じだな(笑)。 そこで、毎回必ず同じ女性を指名することが重要となってくる。 ここでちょっと説明しておくと、「指名」には当然、指名料というものがかかる。 その金額はキャバクラレベルなら1000円から2000円くらいが相場。 でも、クラブでも2〜3000円くらいのところが大半のようで、5000円も取るようなところはよほどの高級店。 で、気をつけたいのは、あまり高くないかわり、「指名料イコール拘束料」ではないということ。 もし、同時に他のお客からも指名がかかった場合、数十分くらいするとそちらの席にも行ってしまうので、指名をしたからといって、ずっと自分の席についてくれるとは限らない。 たとえ、他の席によばれていったとしても、文句はいえないのである。 もちろん、他から指名がかからない限りは、ずっとついてくれるのだが。 お客である貴方が「指名」をすることにより、その女性には、金銭的メリットももちろん出てくる。 その指名料がまるまる彼女の手にわたるとは限らないが、少なくとも彼女にとっては大きな「ポイント」となり、給与が上がるなどのメリットが出てくる。 (会社における営業マンの売上競争のようなものが、彼女たちの世界にはあるのだ。) だから、よほど嫌いなお客でない限り(!)、指名されてイヤな顔をする女性はいない、ということ。 もちろん、彼女のサービスにも、それはいい形で反映されてくる。 ということで、いい遊びをするためにも、「指名」は不可欠なのである。 さて、クラブにせよ、キャバクラにせよ、サービスがよく売上も多い店ほど、 「●●さんというひとは、○子のお客さん」 という仕切りがきちんとしている。 たとえば、自分の「おなじみさん=固定客」ではないお客から名刺をもらったホステスは、その後すぐに、なじみのほうのホステスにその名刺を渡さなくてはならない。 また、ホステスは他のホステスの固定客に自分の名刺をわたしてはいけない、という店もある。 いずれも、担当以外のホステスはそのお客を担当してはいけない、ということだ。 そういう「暗黙のキマリ」を、お客の側もきちんと了解して行動したほうがいいのは、もちろんである。 お客側の禁じ手としては、 1. おなじみの女性とは違う女性を、おなじみの女性が出勤しているにもかかわらず指名すること。 これはまあ、当然であろうが、 2.たまたまその女性が休みだったからいって、前からちょっと目をつけていた他の女性を(一回限りという言い訳をして)よぶこと。 これも、厳しいようだが、基本的にはアウトである。 要するに、指名をする以上は、ひとりの女性にしぼらなくてはならないという、「一夫一婦制」的なしばりがあるのだ。 しかし、そうはいうものの、お客の側にも、ときどき「指名替え」をするひとが出てくる。 その行為自体は、しかたないといえばしかたないことだ。 ある女性をしばらく指名はしてみたものの、今ひとつ話が合わず、盛り上がらないというケースだって多い。 未来永劫、同じ女性を指名しなきゃいけないんじゃ、せっかく店に行っても楽しくはない。 あるいは、相手に対する不満はないのだが、あまりに人気があり過ぎて、なかなか席についてくれず、もう少し競争相手の少ない現実的なターゲットに替えたいという場合もあるだろう。 そういうときは、店のママかマネージャーに、 「やはり、彼女とは話が合わないので、指名替えしたいのですが」 と、正直に希望を伝えたほうがいい。 そこで、OKしないような店は普通ないはずだ。 だが、ある日いきなり、何の断りもなく別の女性を指名したら、店から白い目で見られたりすることも十分にあるし、女性同士の争いだっておきかねない。 つまり「とった」「とられた」というヤツである。 単純にお客のほうの心変わりだったとしても、「担当外の女性がチョッカイを出したから」と判断されかねない。 最悪、どちらかの女性が店をやめなきゃいけなくなるような「紛争」に発展することさえある。こうなると店にとっても被害だ。 十分にご注意を。 また、次に指名した女性も気に入らなかったからといって、すぐに指名替えを繰り返すようなことも慎んだほうがいい。 このへんは現実の人間関係と同じ。 結婚してはすぐ離婚、みたいなことを平気で繰り返す人間なんて、まず信用できないだろ? 少なくとも、ひとりの女性を指名したら、4、5回は指名しつづけ、相手をよく知ろうという努力をすること。 もちろん、店通いは、所詮は「恋愛」といえるようなものではなく「擬似恋愛」に過ぎないのかも知れない。 が、「擬似」であろうと、相手とのコミュニケーションであることに変わりはないし、その基本は、お客側、店側を問わず、「誠実さ」にあると思う。 「仁義」を欠いてはやっていけない、ということでは、現実社会となんら変わるものではないのである。 最後の「「サービスが悪いときはきちんと文句を言うこと」については、次回にて。 ... 夜遊びのキモ(前) - 2002年05月29日(水) 今日もこのネタで行かせてもらいます。 クラブ遊び(別に高級クラブでなくてもいい、大衆キャバレー、キャバクラのレベルでもけっこう)のキモは 「必ずひとりで行くこと」 「必ず指名すること」 そして 「サービスが悪いときはきちんと文句を言うこと」 だと、僕は思う。 まず、「ひとりで行く」のがなぜ望ましいか。 まずいえるのは、ひとりで行ったほうが、店のほうにも 「このお客は、目的意識がはっきりしているお客だな」 と思わせることができる、ということ。 あなたがひとりで行けば、 「お得意先の接待」 だとか、 「仲間うちの懇親」 が目的ではなく、 店にいる女のコだけが目当てのお客なんだな、 と店も把握するはずだ。 そうすると、店側も、そのお客に対するサービスを、それなりにきちんと考えざるをえなくなる。 ひとりで来て、誰も女のコをつけないわけにはいかないのはもちろん、フリーでやってきたお客に何度もリピートさせようと思えば、あまりヘンなコをつけるわけにもいかなくなり、それなりにマシな子をつけるはずだ。 だから、ひとりで行くことは、遊ぶ上で意外に重要なポイントなのである。 ところが、二人、あるいはグループで来ているお客は、店に行く目的意識が「女性」なのか「商談・懇談」なのか、彼ら自身の中でもあいまいだったりする。 下手すると、お客同士、仕事の話題で勝手に盛り上がったりして、ついたホステスがハナシに参加できない、なんて光景をときたま見かけるが、そんなことなら、なんでクラブにいくんじゃい!とツッコミたくもなってしまう。 そういうハナシしかしないのなら、ふつうのホテルのカウンターバーで十分、って気がする。 やはり、せっかく高いクラブに行くんですから(クラブの高い値段はまさに高い人件費に根ざしているんですよ)、ホステスとのコミュニケーションを楽しむために行くほうが、いいと思うんですがね。いかがでしょうか。 当然、こういうグループ客に対して、店側は「ナメる」ようになる。 別にどんな女のコをつけたって大丈夫だろうと、タカをくくってしまうのである。 実際、グループ客は店にとって「いいカモ」だったりする。 在籍女性の少ない店にとっては、ひとりのホステスで何人も相手が出来るグループ客は、楽にかせぐためには感謝すべき存在だといえる。 これは、おおかたの店で採用されている、ついたホステスの人数ではなく、お客の「頭数」でお勘定が決まるシステムがあればこそのことだが。 そこのいつもグループを引き連れてしかクラブにいかない貴方、貴方は間違いなくカモなんですよ!(笑) 逆にいえば、 「クラブ殺すにゃ刃物はいらぬ、ひとり客ばかり来ればいい」 ということでもある。 もし、来店するのがひとりのお客ばかりになってしまうと、限られた人数のホステスでうまくやりくりすることはまず不可能だからである。 では、ひとり客は単なる嫌われ者かというと、そうでもない。 なぜなら、グループ客は基本的に社用族なので、会社の業績が悪化して、交際接待費が大幅に削減されると、まったく来店しなくなるが、ひとり客は(中には社費で落としているフトドキ者もいるにはいるが)基本的には自分のポケットマネーで飲んでいるので、不況になっても社用族ほど露骨に来る回数が減ることはない。 売上高的には少ないかも知れないが、社用族より律儀に通ってくれるぶん、ある意味、ありがたい存在なのだ。 目的意識のはっきりした「ひとり客」には、それなりに誠意をもって対応すれば、誠意をもって通ってくれる。 店としても、移り気で「カネの切れ目が縁の切れ目」みたいな、社用のグループ客より、営業のしがいがあるはずだ。 あと、もうひとつ、ひとりで行ったほうがいい理由を挙げるなら、 ふたり以上で行くと、自分についたホステス(キャバクラでは「キャスト」などというワケのわからん言い方をしているな)のレベルと、仲間についたホステスのレベルが違う場合、おたがいに余計な気を遣ったり、あるいは不愉快な気分を味わったるする可能性が高いということがある。 もちろん、誰が誰に「つく」という図式があいまいな店も、実際には多い。 きょうびは不景気だから、女のコを大勢使えない店も多い。 マンツーマン(というかウーマンツーマンというべきか)などとてもムリで、ふたりのお客にひとりとか、下手すると三、四人のお客にひとりしかつかない(というかつけようがない)ケースも少なくない。 が、そういう店は、効率的に稼いでいるようでいて、お客が離れるのも早いはずだから、決して長くはもたないし、行って楽しい店とも思えない。 だから、そんな店は最初から除外しておく。 で、とりあえず、ひとりのお客にひとりのホステスがきちんとついた場合、グループのメンバー間で「格差」が出たりするわけで、これはあまり、いいものではない。 下手すると、友情にヒビが入るきっかけにすらなりかねない(いやマジで)。 だから、ひとりで行ったほうが、無難だと思う。 やはり、夜遊びの王道は、「お客の数だけホステスを準備できる店で遊ぶ」、これだと思う。 気持ちよく遊ぶためには、それは必要条件。 だから、少しくらい料金が高くても、しかたがない。 大根や人参を買うのではなく、居心地のいい時間&空間を買うのだから、「安けりゃいい」なんていってる場合じゃない。 ケチくさいことを言うやつは、「遊び」に参加する資格はない、そういうことである。 あとの「指名」「クレーム」については、これまた書くことがいっぱいあるので、次回にて。 ... 夜遊ビノススメ - 2002年05月27日(月) 前々回、前回からの流れで、ちょっと「夜遊び」について書いてみる。 おおかた男とは夜遊びが好きなタイプと、まったくしない、あるいはしたとしても、周囲の人間に引っ張られでもしない限り行かないし、行っても面白く感じないタイプとに分かれると思う。 前者は後者のことを「なんでこんなに面白いことがあるのにやらないんだろう」と不思議がり、後者は前者のことを「なんてバカなことに高いカネを使ってやがるんだ」と白い目で見る。 どっちも、間違ってないんだけどさ。 夜遊びに限らず、「遊び」なんて、まさに趣味嗜好の問題だから、わかるひとにはわかるし、わからないひとにはわからないのです。 さて、「夜遊び」は、実は不況日本の経済を蘇生させるためにも、大いに振興すべきであると僕は思っている。 なぜかといえば、 バー、クラブ、キャバレー、キャバクラといった場所で夜遊びをすることで、 そこに勤める(アルバイトを含む)女性が経済的に潤う →彼女たちがそのお金を使う →日本経済が潤う という図式があるからだ。 これは「風が吹けば桶屋がもうかる」なんてハナシより、よほど信憑性があると思うんだけどね。 どんな不況のときだって、(いや、不況のときだからこそ、かも知れない)、オトコは若い女性と擬似でもいいから恋愛をしてみたいものである。 テレクラ、ヘルス、イメクラ、ソープといった、いわゆるフーゾクもあるが、あれはどちらかといえば下半身の欲望直結型で、メンタルな意味での恋愛願望をみたしてくれるものではない。 フーゾク好きなひとの中には、 「クラブなんて、いくら足しげく通ったって、ホステスをうまくモノにする保証なんか何もないじゃん。あんなまだるっこしくて、カネばかりかかるのはイヤ」 というムキも多いのだが、 その「まだるっこしさ」にこそ、良さもあったりするのだよ、センセイ。 うまくいかない事のほうがもちろん多いのだが、たまに「擬似」とも思えないくらい、ホンモノの恋愛に近い気分も味わえる。 それを単純に「費用対効果」だけで「つまらない」と判断してしまうような「野暮」なひとに「遊び」を語ってほしくはないナ。 思えば江戸時代の粋人たちは、エラかった。 お金を出せば女性を買うことが出来るはずの「遊郭」という場所でも、上級の女郎になれば、「気にいらないお客とは寝なくてもいい」という「拒否権」があった。 そういう拒否を受けても、文句をいわないのが「粋」な態度であり、力づくでモノにしようというお客は「無粋」なヤツとバカにされていた。 僕らも、そういう「遊びの美学」をもちたいものである。 このハナシ、延々と続きそうなので(笑)、今後もちょくちょく書かせてもらいます。 ... 六本木の魅力 - 2002年05月23日(木) 前回の最後のほうで、ちょこっと六本木の話が出たので、書いてみる。 何をかくそう、六本木は僕にとって最もかかわりの深い街のひとつだ。 学生のころは数回しか足を踏み入れたことがなかった。 が、社会人になってからは、この街で一体どれだけの夜を明かしたことか。 おそらく、千回は軽く越えているだろう。 まるで、「アラビアン・ナイト」、だな(笑)。 入社してから十年目ころまでの僕にとって、 「飲みに行く」 とは 「六本木に行く」 こととほとんど同義だった。 一体、六本木のどこが、僕をそんなに牽き付けたのだろうか。 六本木の最大の魅力は、 「自由人の街」 であること、 いいかえれば、 「“社用族”が偉そうに出来ない街」 であること。 このことにつきるように思う。 自分だって、言ってみれば、会社のカネで酒を飲むことも多い社用族のはしくれなのだから、こういうことを言うのもナンなのだが、そこが銀座や赤坂といった街とは絶対に違うところであり、だから素晴らしいのだと思っている。 銀座や赤坂のバー・クラブ街は、なんのかんのいっても、日本の多くの基幹産業をスポンサーを持つことによって成立している場所だ。 銀座や赤坂で一番エラそうな顔を出来るのは、個人で札ビラをきって飲んでいる自由業のオカネモチではなく、やはり重厚長大型の「一流企業」の偉いサンなのである。 だが、彼らも、所詮、ひとのカネで飲んでいる連中に過ぎない。 バブルが崩壊して、多くの企業が左前になると、真っ先に「交際接待費」が削られ、多くの高級クラブが干上がった。 かつての彼らは、「予算があるから」銀座の店を使ったに過ぎない、そういうことだ。 その予算も涸れてしまえば、誰もバカ高いだけの店になんか行かなくなる。 銀座も赤坂も、現在でもむかしからの高級店が残ってはいる。 が、もはや昔日の偉容は望むべくもない。 しかし、六本木は二者に比べると、いたってカジュアルで庶民的な場所だ。 高い店もあるにはあるが、そこを利用する客も、だいぶんステージが下になる。 電波、広告といった、マスコミ関係の若手社員(ひところもてやされていた「ヤン・エグ」の多くは彼らだ)は六本木で遊ぶことが多いが、彼らだって銀座あたりに行けば、ナショナル・クライアントの提灯持ち、いわば「コワッパ」にすぎない。 そして、そんな旧ヤン・エグ連中よりさらに偉いのは、 「芸能人」 であったり、 「フリーランスの人間」 であったり、 なかんずく、 「外国人」 であったりする。 いってみれば、家を買おうとしても銀行からお金を借りることの出来ない人々ばかり。 億単位の家も現金で買わないといけない、自らの才能しか頼むもののない、「自由人」。 こういった人種が、みずからのポケットマネーで飲む場所だからこそ、サラリーマンの縄張りにはない魅力があるのだ。 実際、僕も得意先の接待という「仕事」でない限り、つとめて自分のカネで飲むことをポリシーとしていた。 身分はリーマンかも知れない。が、根性までリーマンに成り下がるまいぞ、と。 それこそ、ひとり二万以上ふんだくるような店にだって、自腹で行った。 だからこそ、自分より年下の連中に対して、 「会社のカネでした飲み食いを、自分の遊びのキャリアにカウントするんじゃねえ」 と大見得を切れるのだと思っている。 身銭を切ってこそ、初めて「遊び」と呼ばれる資格がある。 六本木はそういう「美学」を持った街だからこそ、僕を牽き付けてやまないのである。 ... おそまきながら、プロフ - 2002年05月22日(水) これまでの数十回分の記事を通読していただければ、僕という人間のだいたいはおわかりいただけたかとは思うが、 「そんなヒマはない」 とおっしゃるアナタのために、遅ればせながら僕のプロフィールを記しておきたい。 性別: 「僕」 と言っているが実は 「女」 ということはもちろんなくて、じゃあ 「男から性転換した女」 「女から性転換した男」 ということもむろんなくて 正真正銘の「男」。(ヒッパリ過ぎ) ただし男らしい男かと問われると、はなはだ心もとない。 年齢: 四十代なかば。 すでにヒントになるネタを書きまくっているので、いまさらサバは読めない。 これは正直申告。 住所: 東京都内のどこか。生まれも東京。 学歴: 四年制大学の文学部卒。 職業: ふつうの(何をもって普通というのかよくわからんが)会社員。 ポジションは事務畑の中間管理職。 ただし、いろいろと前歴はある。 既婚・未婚: 既婚。子供なし。妻も会社勤め。 趣味: インドア系中心。 パソコン、音楽、読書(こう書いていくと、いかにもヲタクみたい。ま、事実だからしかたないが)。 好きな作家は、海外ならアルベルト・モラヴィア。 日本なら三島由紀夫。 あと、趣味といっていいかどうかわからんが、酒を飲むことも。 酒量: ウイスキー、シングルなら6杯から7杯くらい。 それ以上飲もうと思えば飲めるが、翌日の体調にひびくので、最近はまずそのラインを越えることはない。 たまにとんでもない量を飲んで、ひどい二日酔いに悩まされる。 スポーツ: 水泳(最近、ごぶさた)。ゴルフはやっていたこともあったが、好きになれなかった。 見るほうでは、プロ野球とサッカー。ひいきチーム、現在は特になし。 昔はトラファン。 一日の生活パターン: 6時起床、8時20分ころ家を出て、会社までは45分ほど。 6時ころまでには仕事を終え、あとは、 1 まっすぐ家に帰る 2 CDショップや書店に寄ってから帰る 3 飲みに行く(相手は会社の同僚が多い) 4 スクールに行く(何のスクールかはナイショ) 以上の4パターンのどれか。 出没エリア: 日比谷、新橋、新宿、渋谷、その他。 理想の生活: 青山骨董通り界隈にひとりで住み(ガキの頃住んでいたので愛着がある)、一日10枚程度の原稿を書いて(つまり職業は作家)、仕事が終わったら六本木あたりで飲んだくれて、歩いて帰って(ここがポイント)寝る。 こういう生活を送れたら、最高なのだが。 ... 好かんCF - 2002年05月21日(火) 最近観ていて、「ああ、なんてベタなCFなんだ」と思うのは、消費者金融「アイフル」のCF。 「ツーリングいかない?」あるいは「ダイビングいかない?」のお誘いを受けた若い男性が、 チャリンコに乗ったり、あるいはスキンダイビングの格好をしたりして登場するヤツ。 まったく予想を裏切らない、あまりに「お約束」な展開に、 「このCF、社内スタッフだけでアイデア出してるんだろうな」 と思ってしまう。 そういう何のひねりもないベタな展開といえば、 アデランスのCFでタレントの木内晶子が、 頭のてっぺんがやや怪しくなってきた同僚の男性に 「○○クン、結婚してるの!?」 なんて、叫ぶやつもそうだな。 あと、発毛剤のCFで俳優の役所広司が、 「現実を直視しなさい」 みたいなことをゆーのも、好かんねー。 結局、視聴者=消費者の「コンプレックス」を刺激して、モノを買わせたり、サービスを利用させたりしようとする「魂胆」が見えみえ。 品位のかけらもない。 こういうのも少しは取り締まれよな、>JARO といいたくなる。 それにくらべれば、一般的に「えげつない」といわれがちな、 「比較モノ」 のCF(たとえば、ぺプシがうちはコークより美味いですよ、とアピールするようなやつ)のほうが、よほど見ていて許せる。 しょせん、商品広告といえばそれまでだが、品性いやしいCFにつられてモノを買うほど、われわれ消費者はバカではないはず。 ああいう程度の低いCFには、断固「買わない、使わない」という態度を取るべきだと思うけどな。 ... 不良妻 - 2002年05月20日(月) 僕の勤務先の社員に、きわめつけの「不良妻」がいる。 入社して20年近いので、年齢は四十路間近。 だが、 顔はむかしの秋吉久美子ふう(!)。 体は小池栄子ばり(!!)。 結婚して15年近くになるが、子供ぎらいとかで子無し。 亭主はわりと大手のマスコミ関係。 このひとの不倫歴がまた、華々しい。 基本的に、「いい男としかつきあわない」。 その顔とナイスバディだからして、言い寄るオトコにはことかかないわけだが、見てくれのいいオトコしか、つまみ食いの対象にしない。 だから、ときどき、我こそはと思う図々しいヤツが口説きにかかって、見事玉砕したりしている。 ほぼ確実と思われる情報だけでも、最低5人は会社の男を「食って」いる。 ひとりは、現在50代なかばの、取締役H氏。 アメリカの二枚目俳優、ケーリー・グラントにちょい似の、元ラガーマン。 それから、現在40代後半、童顔でさわやか系、ナイスミドルを絵に書いたような、(でも実は相当好き者の)W課長。 40代前半のJ君。ヒゲなどたくわえて、いかにも女好きな感じの、やり手社員。 彼女より、少し年下のD君。ちょっと線が細く、母性本能をくすぐるタイプ。 でも、女には目がない。 そして、一番最近では、僕とかつて職場が同じだった先輩、Kさんも。 彼は50才を過ぎたのに、いまだに20代と変わらぬシャープな顔立ち、スリムな体型を保っていて、英語に堪能、女性にはものすごくモテる。 そんな彼も、彼女の「毒牙」にかかってしまった! なぜ彼と付き合っているのが発覚したかというと… ある日、部内の残業が長引いて、うちのデブ部長が「メシでもごちそうしよう」ということで、会社の近所の寿司屋へ三、四人連れ立って食べにいった。 すでにその不良妻は残業を早めに片付け、退社していたのだが、そのうち、 「○○さんは寿司好きだったから、呼んだらくるかも」 みたいなことを言うやつがいて、ためしに彼女のケイタイにかけたら、会社の近くにまだいて、案の定、 「え、お寿司? 行く行く」 という反応が返ってきたという。 で、約十分後、なんとKさんを同伴してあらわれたのだった。 彼女とKさんは同じ社員とはいえ、仕事上の接点は「まったく」ない。 要するに女好きなKさんが、見事彼女にひっかかった。そういうこと。 しばらく彼女とKさんはその席に加わって、寿司を食べていたが、会がお開きになると、Kさんは、 「じゃあ、これから彼女と飲みます」 みたいなことを平気でのたまって、ふたり夜の巷に消えていったのだった。 何たる大胆さ! 残った者たちは口をアングリさせて、顔を見合わせたのはいうまでもない。 さらに彼女、毎週通っているイタリア語学校の講師ともよろしくやっているようで、デスクで仕事をしていても、よくケイタイにそのイタリア男性からかかってきて、イタリア語で(!)会話している。 これも、間違いなく「食ってるな」と、聞き耳をダンボのように立てる周囲。 よくまあ、まわりにこれだけ気取られても、平気で不倫三昧できるわいな。 もちろん、僕を含めて誰ひとり、「現場」を見たわけではない。 が、あのバディの持ち主を口説く以上、その男性連中(皆、名うてのスケコマシ揃いである)が、食事だけ、お酒だけのレベルで我慢するわけがない。 ま、魚心あれば水心、オトコとオンナ、なるようになるってことで…。 きょうも実は、マメ男のイタ公からの電話を受けている。 デートの約束でもしているようだ(詳しくはイタリア語だからわからんが)。 こんな行状の日々、亭主はご存じなのか。 知っていながら、黙認なのかね〜。 あるいは、亭主も浮気しまくりの「おたがいさま夫婦」なのか。 みんなにこれだけ知れわたっているのに、まったくもって「はばかる」ということを知らぬ彼女。 きっと、頭の中は、見事に空洞なんだろーなー。 ... 敵に塩を送る(バカ)(後) - 2002年05月19日(日) さて、あるパーティで出席者中一番可愛い女性、Fさんと運良く知り合いになれたのはいいが、お人良しな性格が災いして、最初っから「競争相手」が出現してしまった僕。 その後彼女とはどうなったか。 翌週の土曜、僕はFさんと新宿でデートをした。 観た映画は当時ヒット中の「風の谷のナウシカ」と「名探偵ホームズ」。 実はこれ、彼女のリクエストで、彼女はすでに一回見ていたという。 テーマの重い「ナウシカ」よりも、軽く明るいノリの「ホームズ」をお好みのようでしたが。 考えてみれば、社会人になってから、忙しいこともあって、OLの女性と、休日の昼間デートしたことはほとんどなかった(!)ので、なんだかやたら新鮮な気分だったのを覚えている。 Fさんはかなりシャイなほうなので、ほとんど自分からはしゃべらない。 結局、僕のほうがほとんどしゃべりっぱなしで、たまに彼女に尋ねると、少しだけ答えが返って来るという感じ。 まあ、それでも、見た目が可愛いので、僕もけっこう幸せな気分。 (オトコって、単純なものだな!) その後も、週に一回くらいのペースで、週末デートをした。 もちろん、いたって清い交際。(せいぜい、手をつなぐ程度。) まだアニメを観て喜んでいるタイプの子だから、そういうものでしょ? 当時僕は、平日が大変いそがしかった。 まず定時に仕事が終わらないどころか、たいてい10時、11時くらいまでかかるので、とても平日のデートはムリ。 そこで、会えない平日はなんとか電話で彼女の声を聞きたい。 かといって、職場で残業している最中に彼女に電話していたのでは、周囲の連中のヒンシュクをかうに決まっている。 そこで、僕がどうしたかというと、ちょっと休憩にお茶でも買うふりをしてフロアを出て、会議室のあるフロアまで行く。 使っていない会議室を見つけて、そこから外線で電話をかけたのである。 ところが、これが「話し中」であることが実に多い。 「ツーツー」という音にがっくりしてまた部屋に戻る、そういうパターンが多かった。 当然、彼女が話している相手は、「あの男」だと考えるべきなんだろう。クソ!! 一時間後、もう一度かけてみても、まだ話し中だったときなどは、ホント、強烈なジェラシーを感じてしまったものだ。 それが、一日だけでなく、翌日も、翌々日もだったときは、気が狂いそうになった。 それでも、まあ、最初の一ヶ月半ほどは、週一でコンスタントに会えていたからよかった。 が、そのうち仕事が異常に忙しくなってくる。 土日さえ時間が取れないような状況。 しかたなく、一ヶ月後の日取りで会う約束をしておいたのだが…。 直前にもう一度確認を取ろうと、電話をかけたら。 「この間、約束しておいた○日、会えるよね」 一瞬、間が入る。 「……その日、だめなんです」 「えっ…?」 「約束が入っているんです」 「って、どうして? ちゃんと約束したじゃない」 「だめなんです。もう●●さんとは会えないんです」 「そ、そんな…」 ガチャッ。 敗れました、僕。 一度だけ顔を見たことがある、「敵」に。 そのライバルは、かなり早いうちにFさんを「おとした」のだろう。 フタマタをかけ続けることに耐えられない性格のFさんは、僕を「切り捨てざる」をえなかった、ということか。 後日、A編集長に、ライバルがどういう男性か聞く機会があったのだが、 「某民放テレビキー局の営業」をやっている とのことだった。 さすが、マスコミ関係のオトコは、手が早い。 完敗、である。 と、いうことで、今回の教訓。 「どんなに“楽勝”そうに見えるようなヤツが恋敵であっても、気を抜いてはならない」 獅子はたとえ、鼠一匹を捕まえるときでも、全力を出すそうだしね。(この項了) ... 敵に塩を送る(バカ)(中) - 2002年05月16日(木) さて、パーティでは一番かわいい感じのFさんと偶然即席カップルとなり、上きげんの僕であったが、もちろん、そのパーティでは、即席カップルの相手としか話をしていけないわけではなかった。 別のひととも話をかわして、一番気に入った相手にアタック(死語)するのでもかまわなかった。 しかし、僕としては、会場を見渡した限り、彼女以上にタイプな子がいなかったこともあり、ほかの女性に声をかける気がまったく起きなかった。 もし、仮にこの場で彼女から離れてしまうと(電話番号等は聞いておくにしても)、別の男性が彼女に猛烈な攻撃をかけるかも知れない… などとセコいことを考えていた僕であった。 今から考えると、実になさけない話だが。 ということで、しばらく、Fさんのことをひとりじめしておったのだわ。 ところが、パーティも半ばを過ぎたころ。 バンケット・ルームの隣りにもうひと部屋確保されていた、談話室のようなところの椅子に座って、ふたりはくつろいでいた。 僕は、もう、他の女性はどうでもいいから、Fさんを連れ出して、他の場所でゆっくりと話をしたいなあと思っていた。 ところが、こちらに歩み寄ってくるひとりの男性がいた。 年のころは僕(当時)とほぼ同じく、20代のなかばを過ぎたあたりか。 背丈は僕より少し高く、顔立ちは、メタルフレームの、いわゆるサラリーマン眼鏡をかけていてごく平凡。 不細工でもないが、ハンサムでもない、やや下ぶくれ系。 僕はネイビーブレザーを着ていたが、彼は土曜だというのに、なんの変哲もない、中年男性がよく着ているような、ジミなブルーグレイのスーツ姿。 いかにも、お洒落とかに無縁な雰囲気の男性だ。 一瞬、彼が誰か、思い出した。 彼は、最初の待ち時間のあいだに、さっそくFさんに声をかけて会話を始めていた男性であった。 「おう、やるのう」 と思ってはいたが、その後すぐカップリングが始まり、彼もFさんと離れ離れにならざるをえなかったから、僕は気にもとめていなかったのである。 どうも、このままだと、僕がFさんを手放しそうにない、つまり連絡先を聞き出すこともできそうにないので、じれてやってきたようだった。 彼は、単刀直入に、こういった。 「さしつかえなければ、お連れのかたとお話をさせてもらえませんか?」 もちろん、僕とではない(笑)、Fさんと話がしたいという意味だ。 一瞬、気持ちが動揺した。 いくつかの思念が頭の中をかけめぐった。 「こんな野郎、まともに相手にする必要なんかねえよ。 『後にしてください』とかなんとかいって、この場はごまかして、すぐに彼女と一緒にフケたほうがいいのじゃないかよー。 でないと、あいつとこれからずっと競り合わなきゃなんねーぜ」 と、僕の中の悪魔がささやく。 「そりゃ、まずいだろっての。このパーティは自由に声をかけるのが許されているんだから、それを阻止する資格なんて、キミにはないだろ。 彼女にだって、選択の自由があるしな。」 と、僕の中の天使が反論する。(以上0.5秒) 結局、 「ここで相手をあざむくようなケチくさい真似をしたら、彼女は僕にマイナス点をつけるだろう。 そうしたら、むこうの男性のほうに彼女の気持ちがかたむいてしまうかも知れない。 ここは正々堂々と自由競争するしかない」 そう、思った。 「いいですよ」 僕はこころよく、彼女との会話権を彼に譲った。 ただし、 「後でまた彼女と話がしたいので、それだけよろしく」 と釘を差すのは、忘れずに。 それを聞いた彼は、彼女と長話するのはあきらめてくれたようで、ひとまず彼女に電話番号を聞くなどして、あっさりとその場は引き上げてくれた。 その後僕は、これ以上長居は無用とばかり、まだ終わっていないパーティ会場をあとにして、彼女と喫茶店に行き、いろいろと話をしたのはいうまでもない。 Fさんは僕より2才下。山陰地方にある某県の出身。 大阪にある短大を卒業後、某大手証券会社に就職、現在は都内の支店で事務系OLをやっているという。 住まいは山手線の内側の北東部。アパートにひとり住まいである。 さっそく、来週末の土曜、新宿で映画を観ようという約束をとりつけた。 ここまでは、さきほどのライバルに一歩先行。 しかし、そんなことは大したアドバンテージではない。 ここからが、彼女をめぐっての「ガチンコ勝負」となるのだが、それはまた次回にて。 ... 敵に塩を送る(バカ)(前) - 2002年05月14日(火) 敵に塩を送る(バカ)、それは僕のことである。 今から20年近く前の話。 結婚相手を探すのがテーマという雑誌があって、たまたまその編集長(女性)と、仕事がらみで知り合うチャンスがあった。 そのA編集長から、 「今度、パーティをうちで開くので、参加してみませんか? いい子と知り合えるかもしれませんので」 とお誘いを受けた。 パーティといっても、ま、のちに一般化する、お見合いパーティ、ねるとんパーティといったところ。 適齢期の男女を集めて、知り合わせようという魂胆みえみえ(笑)の企画であった。 当時僕は、ある女性と交際したいと思いながらも、なかなかうまくいっていかなかったので、それもいいかなと軽い気持ちでOKした。 場所は皇居のお堀端にある、結婚式場としても知られる某ホテルのバンケット・ルーム。 そこに、男女各50人、計100人くらいが、週末、集まった。 (当然、こういう企画は男女の人数を合わせないとお話にならない。) 開会宣言の前に10分から15分ほど待ち時間があり、気の早いヤツはもう、ちょっといい感じの異性を見つけたら、近づいていって、話を始めたりしていた。 僕はそれを「やるもんだのう」と思って見ていただけだったが。 司会者の女性(プロのアナウンサー風)が開会を宣し、パーティが始まった。 まずは、各自番号札をあらかじめもらっていたのだが、同じ番号の異性と、即席カップルになることになった。 これでたまたま組むことになった女性が、先ほど会場を見渡した中でも、ちょっと目立っていた、なかなか可愛い顔立ちの子、Fさんだった。 タイプとしては、女優の神保美喜さんと渡辺満里奈さんを足して二で割った感じ。 「ラッキー!!」と内心ほくそえむ僕。 その即席カップル単位にカードが渡され、ビンゴ・ゲームが始まる。 公開された一等賞品は、なんと、ウェディング・ドレス!! その場にいた女性たちの目の色が変わる。 やはり、なんだかんだいっても、女性の皆さんにとって、ウェディング・ドレスは、冷静にながめることの出来ない対象のようだった。 さて、僕らチームのビンゴ・カード、かなり早いうちから、どんどん穴が開いていく。 ひとつ、ふたつ、みっつ。 おう、リーチ一番乗りだ!! 僕と組んだ彼女も、すっかり興奮気味。顔も上気している。 まるで、このまま、逃げ切りパターンでゴールイン!! …かに思えた。 しかし、物事はそう最後まですんなりとはいかない。 リーチの状態のまま、パタッと動きが止まった。 一回、二回、三回。 見送りの状態がずっと続く。そのうちリーチ組が何組にもふくれあがった。 結局、別のチームが一等賞品をゲット。 そのチームの女性の、まあ、嬉しそうだったこと! 興奮のあまり、 「わたし、今結婚します!(誰とだ?)」 と口走っておったくらい(笑)。 僕らチームは残念ながら、一等は取れなかったが、それでも三等賞品は獲得。 それとともに、僕とFさんは、わずかな時間のあいだに、強い連帯感を持てるようになった。 なんだか、このゲームで即席カップルの大半は、一気に打ち解けたような感じだった。 さすが、結婚ネタ専門の雑誌が企画したパーティ、出場者の心理をよく読んでいるな、と感心したものだ。 さて、僕とFさんの即席カップルは、その後どうなるのか? 長くなるので、続きはまた次回で。 (このテーマは「引き」で参ります)。 ... 異文化コミュニケーション - 2002年05月12日(日) 先日俳優の森本レオさんが、三十才以上年下の女性と同居生活していることについて釈明会見をしたときに使った(正しくは「異文化交流」だったかもしれないが)ということで、一躍流行語となりつつある(笑)この言葉、実は僕も先日、身をもって体験してきた。 その日、僕と同僚のG君は、東京のイースト・サイド(いいかえれば川向こう)で飲んだのだが、二軒目はどこへ行こうかと思案した末、当初の浅草という予定を変更して、より華やかな上野広小路の方へと進路を取ったのである。 あの界隈なら、若い女のコの大勢いるキャバクラの類いもあるだろう、ということで。 当然、広小路から湯島へと向かう道筋には、それこそお客の数より多いんじゃないの?といいたくなるくらい、「客引き」がたむろしていて、歩行もままならないくらいだった。 客引きは男性もいれば、女性、つまりそのお店につとめているホステスもいた。 それらをおおかたは「また今度ね」とかわしつつ、でもしっかりと物色しつつ、僕と同僚はすたすたと前へ進んで行く。 通りも半ばを過ぎたあたりで、ひとりのエキゾチックな顔立ちの、わりとすらっとした体つきの女性に声をかけられ、G君の足取りが少し遅くなった。 「ひとり一時間4千円で、飲んでいきません?」 彼女のややたどたどしい話しぶりから察するに、間違いなく、日本人ではないようであった。 見た目からはフィリピン人あたりではないかと思われたのだが、彼女は「うちはみな中国人、それも昼間は学生ね」という。 同僚は「学生なら、ちゃんと知的な会話が出来るんだろうな。もし違ったら、俺、暴れちゃうからな」などと、たわいもないヨタを飛ばしているが、なんだか、まんざらでもなさそう。 かくして、僕たちは小さな雑居ビルの4階にある、これまたこじんまりしたバーへ案内された。 店のキャパはボックス席、カウンター席を合わせてせいぜい15〜16人という程度。 内装はふつうのバー、スナックのたぐい。 ホステスは6人くらいだったかな。ハコが小さいわりには、結構いる。 先客のタイプはいろいろ。 あきらかに日本人でなく、女のコたちと「同郷」とおぼしき顔立ちの、ラフな格好をした肉体労働者風もいれば、ネクタイを締めた日本人サラリーマンもいる。 二、三人の組もいれば、ひとりで来ているのもいる。 で、そのうちに八割以上の席がうまるくらい、混んでくるようになった。 僕たちをキャッチしてきた子は「ナツミです」と名乗った。ここでは、ホステスはみな、日本風の名前を名乗っているということだ。 もうひとりついたコは、髪型がアップで、顔立ちもどこかちょっと年増っぽい雰囲気だった。 彼女は「カオリ」と名乗った。 「キミがママなの?」と聞いたが、そうではなく、ホステスのひとりに過ぎないという。 いわゆるママはおらず、カウンターの中にいて、いろいろとつまみをこしらえたり、勘定をしたりする、あまり愛想のよくない30才くらいの女性が、この店を仕切っているようだった。 彼女だけ、日本人かも知れないな、と思った。 女のコは、さっきナツミが言ったように、本当に日本に留学のためにやってきたコがほとんどのようだった。 昼間はきちんと学校に通っているというだけに、皆、結構、日本語がしゃべれる。 英語、ヘタするとそれもダメで母国語しかろくにしゃべれないような、ルーマニアやチェコ出身の女性がいるパブやバーとはえらい違いだ。 コトバの問題で感じるストレスが、全然違うのである。 あと、ルーマニアなどの東欧系の女性との大きな違いは、中国系の女性たちはあくまでも「大学に通って、知識を得る」ことが第一目的であり、学費・生活費等のためにこういったアルバイトをするようなのだが、東欧系の女性は「東京でひと稼ぎしたお金を、故国に持って帰る」ということが最大の目的のようなのである。 間違っても、日本人の男性と交際して、結婚できたらいいな、などと思ってはいない。 だから、真剣に日本語を覚えようとする女性は、まずいない。 貧乏国の出身とはいえやはり、白人としてのプライドがある彼女たち、けっして日本人の男性を、憧れの目で見ることはない。 たいていの場合、お国に恋人がいるということもあるが。 が、中国系の彼女たちは、わが国の文化水準の高さに憧れて来日したのと同様、わが国の男性にもそれなりの興味はある。 一応目標は、日本で学問をおさめて帰国、故国でエリートとして活躍するということにあるにせよ、日本男性に見そめられて結婚、この国で生活を続けるということにも、同じ東アジアの隣国ということも手伝って、さほど抵抗はないようである。 途中で僕のとなりのホステスが、カオリから、黒いロングのチャイナドレスを着た、ユリという、23、4才くらいの女の子に変わった。 彼女は僕の顔を一目見るなり、「お客さん、前に会ったことあるぅ〜」とか言い出す。 もちろん、そんな記憶は僕にはない。 「え〜、どこで? この店? ここ来たの初めてだよ〜」 というが、「絶対、ある」とか言うのである。 これは彼女たちが客に取り入るための「常套手段」なのか? それとも、僕みたいな顔の客が、この界隈には多いのか? はたまた、僕は本当に以前酔っ払って、この店にやってきたことがあるのか。 よーわからん。 それはいいとして、このユリという子、結構僕になつくのである。 かなり丸顔で、美人というよりは可愛い系。 女優の内山理名を、うんと色白にして、うんと丸っこくした感じだ。 彼女は首都圏にある、福祉系の某私立大に昼間は通っているとか。 「片道二時間もかかるの」 みたいなことを言う。 で、そのうち、 「わたし、あなたみたいなお客さん、好き」 みたいなことを言い出す。 「でも、誰にでもそんなこといわない。好きなひとでないと」 とも。 まあ、人間、相手が誰であれ、なつかれて悪い気はしない。 僕はいわゆる「さわり魔」ではないつもりだが。肩に手をまわすくらいのスキンシップは自然とするようになった。 話を聞くに、彼女はひととおり、日本語がしゃべれるようだが、それでも、日本人とじかに深いコミュニケーションをすることは、少しコワイとも言う。 やはり、異邦人ゆえの孤独感か。 「だから、PCに向かっているのが好き。チャットとか結構やるよ」 なんて、意外な話も聞くことができた。 そのうち同僚のG君は、僕らがよろしくやっているように見たのか、「先に帰るね」と消えていった。 それから、一時間弱、彼女としゃべったり、あまり歌いたい気分ではなかったが、カラオケで一曲歌わされたりして過ごした。 「ダンスしない?」と言われたが、それだけは最後まで受けなかったのだが。 さて、最後に携帯のメールアドレス入りの名刺をもらい、店を後にした。 「店出たら、すぐに捨てるなんてしないでね」 なんて、言われて。 で、本日の感想。 日本の女性と比較すると、中国人の彼女たちは自分をずっとストレートに表現しているし、サービス精神も旺盛のように思う。 ユリが僕に対して「お客さん、好き」なんて言ったのは、まあ、酒場でのお客に対する、お約束のリップサービスだといえなくもない。 が、日本のパブやスナックやキャバクラ等にいる、日本人のホステスは、そういうサービスすらしない。 もしそういうことを言って、さほど好きでもない男性からストーキングされたらイヤだから、ということかも知れないが、じゃあ本当に好きな相手には言葉にしてはっきり言うかというと、そうでもないように思う。 日本女性の多くは、恋愛でことを自分に有利に運ぶために、本当は好きであっても、それをストレートにいわないという習慣が、しっかりと身についてしまったのではないだろうか。 さらに言えば、男性のほうもまたしかり。 日本人の恋愛が、いまだに「君の名は」みたいな、まだるっこしい腹の探り合いみたいな恋愛になりがちなのはそのためであろう。 これはいいことなのかどうか。 相手に「好き」といわせておいて、自分の意思表示は出来るだけ保留するなんて、姑息なやりかたのような気がしてならない。 そういう意味で、日本人は、まだまだ大人の恋愛が出来ない、いびつなメンタリティの持ち主が多いのではないかと思う。 この問題の根っこは、やはり、教育にあるんだろうな。 やはり、根は深いようだ。 ... おかん - 2002年05月11日(土) このタイトルを見た瞬間笑ったアナタ、ダウンタウンがお好きですね(笑)。 「まーくん」とくれば、当然「おかん」がツキモノなわけだが、うちの母親ははっきりいって、松っちゃんほどにも美人ではない(笑)。 彼女は今年70才になるのだが、誰に似ているかというと、僕自身は「宜保愛子」に似ておるなーと常日頃思っていた。 特にあの奥目なところとか、頬骨やしわの感じとか。 ある日、妻に「母は宜保サンに似てるよな」といったら、妻、 「そうかしら。宜保愛子というよりは…」 「宜保愛子というよりは…?」 「菅井きんに似ていると思うけど」 ガチョーン!! もちろん、この話、母本人のいる前でしたわけではないので。念のため。 菅井きんに似ているといわれて、後日母の顔をよく見たら、結構似ていた(爆)。 「エンピツ」の隣り組、よくその日記を拝読しているMさんのお母さまは、「山口淑子(李香蘭)」に似ておられるそうだが、いいよなーそういう美人女優に似ているひとが母親で。 菅井きんサンに一番似ているんじゃ、ちょっとヒトには自慢できんわ(笑)。 余談だけど、今や害のないオバハン役でもっぱら知られる菅井きんサンも、昔は「体当たり演技」で知られた女優さんだったという。 ホンマかいなと思っていたら、ある日ビデオで見た黒澤明監督作品「天国と地獄」に、なんと「ヤク中の娼婦」役で出演していたので、ビックラこいたもんね。 閑話休題(それはさておき)、 母を「菅井きん」と喝破した、妻自身の母親はどうかといえば、今はかなり(ン十キロ)の余分な体重がその身についたとはいえ、昔は「美人」と呼ばれたのであろうハデな顔立ち。 さらに太った富士真奈美というか、太りまくった市田ひろみというか。 富士真奈美も、お姫様女優とかをしていた頃は、今の櫻井淳子そっくりの美形だったから、お年を召された現在も、結構キレイだと思う。 いーなー、元美人は。「元」とはいえ、美人のはしくれだから。 そう思って、親の家で昔のアルバムとか見ていると、母の20代前半の頃の写真とかが出てきた。 (当然ヒイキ目で見ての物言いだが)母もけっこう、捨てたものではない。 ちょっと(ほんのちょっとだよ)、ミポリンに(中井でなくご本家中山だよ)、似てさえいる。 うーむ20才そこそこだっただけに、番茶も出花であったのかいな。 でも、ミポリンがあと40年後に菅井きんと化す、それはありえんだろーな。 やはり、ちょっと「ツリ目」な感じが似ているだけでは、ミポリン似と言っちゃマズいか。 ということで、「○○に似ている」なんて表現は、特にキレイな芸能人に似ているという場合、そーとー主観的なものだといえる。 以上、キレイな母親を持つことの出来なかった、悲しい息子の繰り言でありました。オソマツ! ... オンナのきらいなオトコ(後編) - 2002年05月10日(金) さて、このシリーズの最終回。今日も「女性の嫌いな男性」について考えてみる。 三、女性なら結局、誰でもいい男性 世の中には、女性をあれこれ選り好みする男性が多い一方で、意外に多いのが、この手の男性だったりする。 女性なら誰でもよくて、それも「簡単に釣れる」女性ならなおのことケッコウという考え方の男性。 要するに、恋愛に関しては極度に「自己中」で「ズボラ」な男性。 自分から相手に「合わせる」ということはまずなく、ドデーンと座りっぱなしで、手を伸ばしたところにいる女性を口説く、そういうタイプ。 以前にも書いた、デブのU部長がいい例で、「イージー・ゴーイング」を絵に描いたような性格の男性。 口説くのに手間ヒマかかる女性よりは、すぐに落とせる女性をよしとするような、ローボール・ヒッター。 ブスでもなんでも、とりあえず「やれりゃいい」のである。 こういう男性は女性を「容姿」とか「プロポーション」とかの細かいことでフルイにかけたりしないので、一見、彼らは女性にとって、ありがたい存在のようにも思える。 が、果たしてそうだろうか。 女性なら誰でもいいということは、実は「誰とでも浮気をする」ということにもつながる。 独身男性なら、平気でフタマタ、ミマタかけるだろう。 彼らは、「いつひとりの女性に逃げられても大丈夫なように、二重三重に保険をかけておくのさ」なんて言い訳をしながら、「全方位外交」を続けるのだ。 既婚者の場合なら、何度バレようが懲りずに浮気を繰り返す。 奥さんが妊娠しているときに、「自分の(夜の)相手をしてくれない」という理由だけで、平気でよその女性とセックスしてしまうのは、たいていこの手合い。 もともと、相手は「誰でもいい」のだから、しごく当然のことなのである。 こういう困った性分のオトコに限って、見た目とかはそう悪くなかったりするから、じつに始末が悪い。 これまで上げて来た、「ケチな男性」や「理屈っぽい男性」は、深く付き合ってみなくてもすぐ正体がわかるので、付き合う前に「ノーサンキュー」といわれてしまう、つまりモテないのだが、この三番目のタイプは、付き合ってみないことにはその正体はわからない。 そして、この三番目のタイプこそが、女性の一番の「敵」だ。 前の2タイプなんて、「慣れ」さえすればどうってことはない。 が、このタイプに「慣れる」なんてことはムリ。 ましてや、彼らを「矯正」しようなどということは、到底不可能。 彼らが不誠実な行動を無反省に繰り返すのを、あきらめて見て見ぬフリをするか、それとも断固切り捨てるか。 そのどちらかしかない。 僕が見るに、多くの女性は、なかなかこの手の男性と「別れたい」と思っても、簡単に切り捨てられないのではないかな。 いったん付き合いを始めてしまい月日が経つと、情がうつるだろうし、つまらない男性だと腹を立てて別れてしまうと、そんなつまらない男性を選んでしまった自分の「人を見る目の無さ」と向き合わねばならず、辛くなるからだ。 だから、ずるずると関係を続けてしまったりする。 この手のオトコにひっかかりたくなかったら、きちんと付き合い始める前に、よくよく相手のことを冷静な目で観察する、そういう心構えが必要、ということ。 それが出来れば、恋愛検定一級合格間違いなしです(笑)。(シリーズ了) さて、ちょっとへヴィーなネタが続き過ぎたかも知れないので、次回はもう少し、お気楽なネタで書いてみることにしよう。 ... オンナのきらいなオトコ(中編) - 2002年05月09日(木) それでは、前回の続き。女性の嫌いな男性についてである。 二、理屈っぽい男性 おおむね女性は、頭のいい男性は嫌いではない。 実際、「頭の悪い男性のほうがいい男性より好き」という女性にお目にかかったことは一度もない。 まあ、この高等教育が一般化したわが国においては、「高学歴イコール高収入」の定理がほぼ成立するから、そうなんだろうけど。 しかしながら、女性の多くは、理屈っぽい男性は「大っ嫌い」だったりする。 この違い、わかっていただけるかな? 僕が会社に入ったばかりのころ、よく上司や先輩に言われた。 「理屈っぽいヤツは、女にモテないぞ」と。 最初はその言葉の意味があまりよくわからなかったが、女性とお付き合いをするような機会がふえてくると、実感としてわかるようになった。 デートでの会話などというものは、単純であればあるほどいい。 理屈っぽい会話(むしろ議論、ディベートに近い)を好むのは、明らかに男性だけで、女性はデートというプライベートな時間に、知恵熱が出るような話をすることをまず望まないということがわかってきた。 そもそも、リクツとかロジックとかいったものは、この「オトコ社会」を構築するために必要不可欠なアイテムなのであり、女性たちにとっては、それは男性サイドから「押し付けられた」ものなのである。 ひとを見かけで判断してはいけないとか、好き嫌いで差別してはいけないといった社会生活上の「ルール」は、いかにもオトコ社会的発想から生まれたものだ。 しかし、こと「恋愛」においては、唯一それが通用しない。 女性は、男性の大多数が大切なことだと信じている、 「待ち合わせ時間に遅れてはいけない」 「約束を土壇場でキャンセルしてはいけない」 といったルールを平気で無視する。 デートの待ち合わせに、時間ぴったりに、男性より早くあらわれる女性は、きわめて少数であることからも、それはよくわかる。 それを真剣に怒る男性もいるが、怒ったところで、女性が本当に反省するわけではない。 女性側は、男女間の交際は「ビジネス」ではないのだから、こういう「ルール無視」は、怒られる筋合いのものではないと思っている。 それでも納得できず、さらに彼女を責めたりすると、「わたしたち、性格が合わないみたいだから、別れましょう」なんてことを言われかねない。 社会における「絶対の論理」が、男と女の付き合いにもそのまま適用されるとは限らないし、そのへんの「機微」がわからない男性(いわゆるエリートと呼ばれる、高学歴の男性に多いようだ)は、女性にはまずモテないのである。 さて、三番は後編にて。 ... オンナのきらいなオトコ(前編) - 2002年05月07日(火) 前回のアンサー企画ということで、三回に分けてお送りしたい。今日はその前編。 女性の嫌いな男性、まあ、これはもちろん、女性の側から百万言をついやして言われてきたことで、いまさら男性である僕がどうこういったところで始まらないとは思うが、女性の皆さん自身もあまりよく気づいてないポイントが実はあると思うので、あえて書いてみたいと思う。 女性があげる嫌いな男性のタイプ、細かいポイントであげていくと、スゴいことになるよな。 いわく、 おなかの出た男性、汗っかきの男性、赤ら顔の男性、薄毛を変な髪型でごまかそうとする男性、体毛の濃い男性、額に脂が浮く男性、わきがのある男性、などなど。 このへんは身体的な問題。 会社のデスクで爪切りや鼻毛抜きをする男性、会社にくるとサンダルに履きかえる男性、センスのかけらもないジャンパーなど着て昼飯に出かける男性、何日も髪を洗わずフケが浮いている男性、おしぼりで手以外もふく男性、ナイロンの透ける靴下をはく男性、ダジャレを飛ばす男性、流行語を一年遅れで使う男性、声の大き過ぎる男性、エトセトラ、エトセトラ。 このへんは行動パターン、そしてセンスの問題。 浮気性の男性、ウソをつく男性、態度の傲慢な男性、暴力をふるう男性、セクハラ発言を平気でする男性、やたらベタベタさわる男性、なめまわすような視線で女性のからだを観察する男性。 このあたりは人間性、人格的な問題。 実にさまざまな理由で、(なかにはそんな些細な理由で嫌われるなんてなぜ?ってのもあるが)男性は嫌われているのである。 でもそういった細かい理由は、しょせん表層的かつ枝葉の問題であって、せんじつめれば、次の三点に集約されるのではないだろうか。 一、ケチな男性 世の中に、こういう男性が好きという女性は、たとえ彼女自身が徹底した倹約家であったとしても、「ひとりとして存在しない」と断言できる。 ケチな男性というのは、たとえ毎回恋人に食事をご馳走するような、一見度量の広いように思える男性の中にも、けっこう存在する。 そういう男性は、結婚したとたん「釣ったサカナに餌はやらない」とばかり、奥さんとなった彼女にろくにプレゼントもしなくなるし、外食することもなくなる。 つまり彼の「気前の良さ」は、結婚するための「手段」でしかなかったのである。 さて、その「隠れケチ」を見分けるには、どうしたらいいか。 まず、彼の服装をよく見ることだ。 質のいい、そこそこにお金もかかった、小ざっぱりした身なりをしていれば、まずは合格。 しかし、十年、ヘタすれば二十年前に買ったような、デザインの古い、しかもあまり上質ともいえない服を着ていたら、黄信号。 会うたびに、その手の、長年着ているような服ばかり着てきたら、完全に赤信号。 筋金入りの、いわゆる「どケチ」の可能性大、である。 ただし、世の中にはセンスがないが、単に「おしゃれ」に興味がないだけであって、女性のあなたが的確なアドバイスをしさえすれば、小ぎれいな格好に変身するタイプの男性もいる。 こちらは、まだ救いがあるので、いきなり×印をつけたら、気の毒というものだ。 が、その一方で、とにかくお金のかかる格好はごめんこうむる、近所の●トー●―カ堂や西●で売っているような服でも、「安いから」という理由だけで、平気で買って着てしまう「真性ケチ」も中にいる。 こういうひとは、恋人や奥さんがいくらアドバイスをしても「高い服は嫌い」とばかり、絶対うけつけようとしない。 コトが彼自身の問題にとどまっていればまだいいが、そういう男性は間違いなく、伴侶たる女性の服装、それからアクセサリや化粧品のたぐいにもケチをつけてくるに違いない。 「それいくらしたんだ。えーっ、そんな高いのか。ダメダメ、そんなの買っちゃ」 みたいなことを平気でいいかねない。 彼が単におしゃれに無頓着なだけでケチではないのか、それとも「真性ケチ」なのかどうかは、やはり、彼の住まいまで行ってみて確認するのがベストだろう。 家の中に、家具や家電製品などで、昔からのものがやたら置いてあったら、かなり危険度大。 なかなか古いものが捨てられず、そのために新しいものに買いかえようとしないことがミエミエだ。 ここ四五年、何も新しいインテリアを導入していないようだったら、たぶん結婚しても「私がお金を出すから」とあなたが言い出さない限り、何一つ新しい家具を準備しないはずだ。 こういうひとと一緒になると、金銭的なことでの心配はまずないだろうが、生活がまず楽しくないと思うよ。 いちいち、次買う予定の洋服やアクセサリのリストを亭主に提出して、チェックを受けなきゃいけないなんて、最悪でしょ? では、二番は中編にて。 ... オトコのきらいなオンナ - 2002年05月05日(日) 女性の皆さんは、男性がどういう女性をいちばん嫌いかご存じだろうか? 不器量な女性かって? 答えはNOである。男性がいわゆる美人にしか興味を持たなかったら、人類の人口は減少の一途をたどっているに違いない。 きれいな女性はしょせん全体の1割程度なのだから、世の中の9割の男性が一生独身を通さざるを得なくなるってもんだ。 それとも、太った女性? これもNOだ。それどころか、男性のうち30%くらいは間違いなく、痩せた女性より太めの女性のほうを好んでいたりする。どちらでもいい、というぐらいの考え方なら、過半数まで行くかも知れない。 女性の皆さん、ダイエットは、ほとんど無意味な努力のようで。 では、家庭的でない女性? とんでもない。こんな男女平等が当然のご時世に、家事が不得意だからという理由だけで不合格にしていったら、相手なんて見つかりませんって。 テレビの「平成の常識 やってTRY」を見てみろっての。 では、一体何が正解か。 答えは「自分にうちとけてくれない女性」、これなのである。 意外に思われたかも知れない。女性はこういうポイントで男性を選ぶことは余りないであろうから。 よく少女漫画やジュニア小説で、主人公の少女の「憧れの君」となる男性は、おおむね切れ長の眼でミステリアスな顔立ちをした、あまり愛想のよくない、どちらかといえばその少女をむごく扱うような、薄情な男性だったりする。 女性は愛想のいいサービス満点な男性より、つれなく酷薄な男性に、えてして惚れてしまうようである。 つまり、「うちとけてくれない男性」にこそ、むしろ恋心を燃やしたがるのである。 しかし、男性はそういう傾向は極めて少ないといってよい。 どんなに美しい女性、愛らしい顔立ちをした女性でも、自分にうちとけようとする姿勢が見えないタイプは、即刻敬遠する。 よほど鈍感な男性、あるいはいくらつれなくされてもめげないタフな男性でない限り、しばらくコンタクトするうちに、その女性のことをあきらめるものなのである。 たとえば、他愛のないジョークを発し、それに対して笑ってくれるかどうかを見て、男性はその女性の自分に対する「親和度」を知るのである。 そこで女性がニコリともせず。こわばった表情だったら「こりゃあかん」と察知する、そういうことだ。 世間には、その美しい容姿のわりに、あまり男性に縁のない、つまりもてない女性が意外に多いと思う。 彼女たちはたいてい、自分の「殻」が硬く、男性とたやすくうちとけることが出来ないタイプである。それはほぼ、間違いない。 逆に、さほど大した容姿でなくても、妙にもてる女性が世の中にはけっこういる。 そういう女性は、まず例外なく、どんな男性とでもうちとけることが出来るタイプだといってよい。 そういう資質は生来のものであることが多いが、もちろん、努力によって獲得することも不可能ではない。 「殻」を打ち破ろうとする「意欲」がありさえすれば。 別におしゃべりがうまい必要はない。自分のことを語るよリ前に、相手のことをいろいろと聞いてあげる「聞き上手」になればいいのである。 恋愛とは、自分自身のプレゼンテーションである、そういうふうに思っているひとが世の中には多い。 が、本当はむしろ逆で、相手の情報をいかに引き出すかということが重要なのである。 自分のことは自分でわかっているのだから、あなたに必要なのはむしろ、相手が実はどういうひとかという情報。 「取材上手」が、恋愛の基本だと思う。 「モテる女性」「男性から好かれる女性」とは、まず相手に対して「笑いかける」ことで、まず「あなたに敵意や悪意、偏見といったものは持ってませんよ」と語らずに知らせ、相手のバリヤーを解除させることに長けたひと。 「モテない女性」「男性から嫌われる女性」「男性から敬遠される女性」とは、自分のほうからバリヤーを張って、相手をよく知ろうという努力をしないひとということだ。 相手が自分の好みのタイプでないからといって、愛想を出し惜しみするような女性、恋人以外には笑顔を見せてはいけないと思い込んでいるような、「殻」の固い女性。こういうのは、いくら絶世の美人であっても、男性としてみればノーサンクスなのである。 女性の皆さん、ゆめゆめお忘れなきよう。 ... ヒトデナシ - 2002年05月03日(金) きょうは、20年以上前のお話。 当時はまだ一般的ではなかった「ねるとんパーティ」みたいなイベントが六本木のディスコで開かれ、そこに行った僕はある女性と知り合った。 京浜東北線沿線の、埼玉県某市に住む、僕よりふたつ若い彼女、仮にZ子としておこう。 Z子はショートカットでやや丸顔、どちらかといえば小柄。 美人でもなければもちろんブスでもないというアイマイなポジションのひとで、別に僕の好みのタイプというわけではなかった。 が、入社一年目、特に恋人らしきものもいなかった僕、まあGFのひとりくらいいてもいいか、もしかしたらそこから別の女性と知り合うきっかけになるかも知れない、という程度の軽い気持ちで、Z子の電話番号を聞いておいた。 会社の職場の先輩、YさんとEさんにそのことを話したら、急に身を乗り出してきた。 Yさんは僕より一年、Eさんは二年先輩で、ともに独身。 ふたりとも、一応、付き合っている恋人はいるらしい。 もちろん、その彼女らとはいわゆる「ステディ」の関係だという(意味、わかりますよね)。 恋人とは、会えば当然ホテルに行く関係なのだが、「最近、(彼女と)マンネリ気味だなー」という発言を彼らからよく聞くようになっていた。 あるいは「なんかちょっと変わったことをしてみたい」とか。 Eさんなぞは「ホテルとかふつうのところでやるのは、あきちゃってね。こないだなんか、飲み屋のトイレでやっちゃたよ」 なんて、品のないことをいう。 その他にも、雑居ビルの屋上付近の階段でやったとか、まるで洋モノAVの見過ぎじゃないの?みたいな行動を繰り返していたらしい。 「●●(僕の名前)、今度彼女とその友だちを呼んで、合コンをやろうぜ」 Eさんが妙にうれしそうな表情で、僕にいう。 「おれも参加させてくれよ」 Yさんも乗り気だ。 「じゃあ、彼女の友だちふたりも呼ばなきゃいけませんね」 ところが、 「いや、ひとりでいいよ」 Eさんはそういって、意味ありげにニヤリと笑い、Yさんに目配せをした。 Yさんも同じような、意味深な笑いを浮かべていた。 一週間後、Z子とその友人N美を、六本木のとあるパブに呼んで、合コンは実施された。 EさんとYさんは、平日だというのになぜか一旦家に帰ったらしく、余りお酒を飲まないYさんが運転するランドクルーザーに乗って、現地にあらわれた。 合コンは、「とりあえずZ子はおまえがちゃんとお相手しろ」とふたりの先輩に言われたこともあって、僕はおもにZ子の話し相手をし、そのふたりとは別個にEさんとYさんがN美と話し込む、というかたちになっていった。 住まいが遠く終電が早いZ子が「今日はそろそろ帰ります」というので、合コンはひとまずお開きとなり、彼女は僕が送っていくことになった。 N美はZ子と住む方向が違って都内だというので、当然、EさんとYさんがランクルで送っていくことになる。 彼らがクルマに乗り込み夜の街へと消えていくのを見届けてから、僕とZ子は地下鉄日比谷線に乗って、上野まで行った。 本当は、途中で「もう少し飲んでいかない? 帰り、タクシー出すから」みたいな展開になってもよかったのかも知れない。あわよくば、ホテルまで行くとか。 が、僕はZ子をモノにしたいという気持ちがまったくなかった。やはり、タイプじゃない、ってことだ。 だから、(もしかしたらむこうも拍子抜けしたかも知れないが)その日は「送り狼」にもならず、ごくごく紳士的に彼女を送っていく結果になってしまった。 上野駅より先は結局行かず、そこでZ子に別れを告げた。 あまり充実感をえることもなく、僕はそのまま山手線に乗って帰宅したのである。 翌日、出社してEさん、Yさんに会うと、 「いやあ、昨日はひさびさに興奮したなあ」 「ほんと、グルグルなんておれ、初めてですよ」 「いやおれも」 などという話で妙に盛り上がっている。 「どうしたんですか」 と聞くと、Eさんが 「やったんだよ、3P。あれからホテルに乗りつけてな」 そういって、笑った。 僕は一瞬、固まってしまった。 そして次の瞬間、 「あんたがたは、なんてことをしてくれたんだ! それでも人間ですか!」 と、思わずふたりに食ってかかっていった。 彼らは、いきなり僕に激怒されて、たじろぎ、あきらかに当惑の表情を浮かべていた。 回りにいた他の先輩たちも、何事があったのかとつめよってきた。 でも、 「このふたりが輪姦(まわし)をしたんですよ」 なんて、大声で言うわけにはいかないので、その場はすぐに矛先を収め、僕は引き下がった。 あとでふたりが、僕にネコなで声でこう言ってきた。 「いやー、さっきのはウソなんだよ。●●がうらやましがるかと思ってちょっとウソをついてみただけなんだって。おれたちマワシなんてやってないって」 しかし、僕はその言葉をすんなりと信用することが出来なかった。 彼らの性格を、よく知っていたから。 あいつらだったら、やりかねない。 やりもしないマワシの自慢なんかするかよ、と。 とはいえ僕は、彼らの「快楽のためなら、コロシ以外のことは何でもやる」みたいな思想、それはそれで否定しない。 誰かを傷つけることさえなければ、何をやったっていいと、僕自身思っているから。 たぶん、N美は合意の上で3Pに参加したんだろう。 レイプでない以上、「犯罪的行為」とはいえない。 でも、僕には「3Pやったよ」という話を聞いて、「そうなんですか」「いやー、うらやましい」という反応を返すことはとても出来なかった。 なぜか。 つぶされて困るほどのメンツが、あったわけでもない。 本気で3Pや輪姦は不道徳だなどという、強固な倫理観があったわけでもない。 つまるところは、そういう蛮行を平気で出来る彼らの、「大胆さ」「タフさ」がどこかねたましかったということかも知れない。 そして、僕は、自分自身に一番腹を立てていたのかも知れない。 先輩ふたりにおもねり、さほど会いたくもない女性に取り入り、先輩の甘心をうるためにお膳立てをした自分に対して。 実は彼らがN美を輪姦してしまうだろうことを、うすうす予想しながらも、結局先輩のいいなりになってしまった自分に対して。 「うらやましい」という感情をストレートに表現することを出来ない自分ゆえに、相手を倫理的なものさしで責める。 本当はそんなものさし、信じてさえいないのに。 これは、まさに、マスメディア、中でも芸能ジャーナリズムのありかたと酷似している。 いい例が、石田純一サンに対するレポーターたちの舌鋒。 あるいは森本レオさんへの批判。 要するに、「自分にはそれができない」ことを知っているがゆえに、一層、倫理的な批判を加えてしまうのである。 筋違いもはなはだしい。 Yさん、Eさん、今は会社をやめてしまい、ふたりともいない。 とんでもないひとたちではあったが、今となってみれば、彼らを非難した僕も青臭かったなと思う。 そう、僕の発言は「偽善」そのもののマスメディアと、似たりよったりのものだったのだから。 ... バレンタイン症候群 - 2002年05月01日(水) 駅で電車を待っている時間に、高校生らしい少年たちの会話を、自然と聞いてしまうことが、たまにある。 たとえば、こんな感じ。 「おまえ、こないだのホワイトデー、どうした?」 「どうしたって?」 「○香(女のコの名前)のことだよ」 「○香ぁ?」 「そう、ホワイトデーにちゃんとお返ししたのかよ? バレンタインデーに、コクられた(注・告白されたという意味)っていってたじゃないかよ」 「そうだけど…」 「何もあげてないのかよ?」 「うん、○香って、オレのタイプじゃないんだよな…」 「じゃ、付き合えないってちゃんと断ったのかよ、○香に」 「それもしてねえ」 「って、おまえ、それじゃ○香がかわいそうじゃん」 「だって…」 「付き合えないなら、付き合えないってちゃんと言わなきゃだめじゃん」 うんぬん、かんぬん。 その声の主たちを見るに、髪型もいまふう、スリムな体型で、顔立ちもジャニーズほどはいかないまでも、そこそこイケてる風の少年たちであった。 こういう会話を聞いていて感じたのは、「ははあ、きょうびの少年たちは『待ち』や『受け身』の姿勢のコが多いんだなぁ」ということ。 つまり、バレンタインデーに、女のコが好みの男のコに告白し、それを男の子が「受ける」か否かを、考える。そのこたえを一ヶ月後に返す。 ホワイトデーはある意味で「入試結果の発表」みたいなイベントになっているのである。 しかしだ。 どーして、その「順番」でなきゃいけないんだよ。 男のコのほうから告白しちゃいけないなんて、誰も決めてなんかいないんだよ。 きょうびの女のコは大変だ。 見てくれはいいかも知れないが、優柔不断で、自分は本当はどの女のコが好きなのか決められないような、相手が自分に好意を持っていることを確認してからでなければアプローチできないような、ギャル男(お)くんみたいな男のコに、まず自分のほうから告白しなきゃいけないんだから。 男の側から告白しないでどうする、という考え方があたりまえだった時代の人間である僕は、真剣に憂いますね、この状況。 「試練」らしい「試練」が何もない、今の世の中、もし「試練」らしきものがあるとしたら、「好きな女のコに堂々と告白して、玉砕する」ことと、ちゃいますか。 「自分に告白してきてくれた女のコのなかから、好みのタイプだけ選択して、付き合う」みたいなやり方は、サイテーだと思います。 この日記を読んでくれた若い男性から、「オレは違います。オレはちゃんと自分のほうから告白します」という反応があることを期待してます。 ...
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