四日目は、平安神宮のお庭へ。ちょうど結婚式の写真撮影が行われている最中で、あれこれポーズを取る花嫁さん・花婿さんを微笑ましく見物したのでした。 最後に駄目押しで奮発して、日本料理のお店でお昼の懐石をいただきます。一組ずつ個室に案内され、一品ずつ丁寧に運んで下さいます。鯛の兜焼が、しみじみと美味しゅうございました。
三日目は、比叡山ガーデンミュージアムへ。それにしても、花の名前というのはとっくり吟味してみると、なかなかに面白いものです。サーティーワンの商品名にありそうなものやら、個人名が付いたものやら、過剰に派手なものやら。 今回の旅行も、もちろん愛用のカメラ持参なので、今日は絶好の写真日和でありました。手前味噌ながら、今年一番のコスモス写真を撮ることができて大満足です。あと、非常に愛くるしいアマガエルの写真も。 比叡山を下山した後、三泊目のお宿になるホテルへ。これが、凄かった……! 何の手違いなのかと思うほどデラックスなお部屋であります。扉は観音開きだわ、エントランスだけで控えめなシングルルームぐらいの広さはあるわ、ソファセットにダイニングテーブルに天蓋付きのベッドにジャグジー付きのベッドにシャンデリアにふたつある洗面所に某交流ブランドのアメニティに、もう一体何事ですか……!? 興奮の余り、友人とふたり無駄に部屋中を駆け回ってしまったのでした。
二日目のメインイベントは、保津川下りと嵐山トロッコ電車です。今は水量が少ないということで、それほどの急流ではないという保津川ですが、それでも時折容赦なく水しぶきが襲ってきます。全行程二時間程度、これほどじっくりゆっくりと流れる水を眺め続ける時間、というのはそうそうありません。 その後、トロッコ電車へ。保津川を下から上から味わい尽くす一日であります。風に吹かれつつ車窓から見る景色は爽快でありましたが、トンネルに入った時の圧倒的な轟音もまた、印象に残っています。 本日のお宿は、比叡山の上に立つホテルです。出迎えて下さった初老のホテルマンの方が、なんとも素敵でした。イメージとしては、イギリスの執事さんのようです。ログハウス風のお部屋も、なんとも可愛らしい。そして、晩ご飯にいただいた「鴨のチョコレートソースがけ」が、目が覚めるほどに美味でした。
大学時代の友人と、三泊四日で秋の京都へ。主に宿泊先に重点を置いた、プチ贅沢な旅です。 一日目は嵐山へ。人であふれ返ったメインストリートはひとまず離れ、脇道で見つけたティールームで一休みしました。外見は日本家屋なのに、中に入れば本格的な紅茶店、というギャップが面白いお店でした。 お宿は本格的な日本旅館を選んでみました。お部屋に入ったら、まずお抹茶と和菓子が饗されることに感動です。そして、更に感激したのが晩ご飯。懐石料理とは目でも味わうものなのだよ、と月並みながら実感いたしました。お漬物が美味しい、というのも嬉しいところ。
同期旅行二日目は石川・金沢へ。二十一世紀美術館と、兼六園と、金沢城を巡ります。 ・二十一世紀美術館では横尾忠則展が開催中でした。鏡張りの小部屋に、滝のポストカード(?)を一面に敷き詰めた作品(上を見て、下を見て……と繰り返していたらば眩暈がしました)と、実在の芸術作品をアイロニーとブラックユーモアたっぷりにカバーした絵画展が印象的でした。 ・兼六園の感想は……ええと、私はそれほど庭に興味がない……らしいということが……分かりました……(声が小さくなる)。立派な松でしたが、それ以外には特に何も……(言葉を濁す)。通りすがりにちらりと耳にした、ベテランガイドさんの名調子に乾杯です。 ・金沢城、というものがあることすら、私は知りませんでした。不勉強で申し訳ありません。建築物そのものよりは、広い広い芝生が素敵でした。天気も良いし、できることならば裸足で駆け回ってみたい、清々しい風景でありました。
職場の同期たちと、福井・石川へ夏の旅行へ出かけました。総勢11名の大所帯、これほどの人数での旅行は、学生の頃以来です。以下、思い出に残ったことをピックアップしてみます。 ・最初の目的地は東尋坊。小さい頃に一度行っているはずなのですが……記憶に蘇るのは、二時間ドラマのクライマックスで良く使われるあの場面ばかり。とにかく風が強くて髪やらカーディガンやらが容赦なくはためきます。そんな天候の中、岩壁の端まで突き進んで「追いつめられた犯人と説得する刑事」ごっこに興じる同行者たち(四捨五入するとハタチ)。それを「若いねえ」「若いなあ」と生温かい微笑で見守る我々(四捨五入すると三十路)。 ・お昼御飯は海鮮丼です。これでもかと魚介類が載っています。海の近くで食べると、より一層美味しく感じられます。テーブルの中央は焼き物が出来るようになっています。牡蠣の季節を外していたのが、多少残念です。 ・腹ごしらえをすませたら、一路金沢へ。今夜の宿泊先は兼六園からもほど近い場所にあります。着いてみれば、なんとはなしに懐かしい……修学旅行を思い出す雰囲気です。お宿の規模からは予想外だった(失礼)豪勢な晩御飯が済めば、大宴会へ突入。ウーロン茶でも十分に酔いが回る賑々しさでした。
岐阜旅行最終日は、土岐にあるアウトレットモールへ。この手の場所へは、以前別のところへ行ったことがあるのですが、その際は雨が降っていたのと、バーゲン前だかバーゲン後だかの気の抜けた風情だったのとが相まって、あまり楽しいとは思わなかった……ただ広いばっかりで……覚えているのは妙に犬の姿が多かったことくらい……(声が小さくなる)。 ・朝ごはんを食べに、お宿のお食事処に向かったところ、昨日は気付かなかった入口前の水槽群に目が留まる。あ、蟹だ……これって晩ごはんに出た「ソフトシェルクラブの唐揚げ」用の生簀ですか……誰かが四六時中「そろそろ脱皮するか?」と見張ってるんだよ……などとしばし推理を働かせる。もし会話が聞こえていたならば、水槽の中の蟹はさぞかし戦々恐々としていたことだろう。 ・チェックアウト後、いざアウトレットへ。が、あれ、道が分かりませんがどうしましょう? ナビを頼りに目的地に辿り着いてみるも、前方に見えるはどう考えても小学校である。不可解である。 ・携帯電話のGPSやらGoogleやらを駆使して、なんとか目指す場所へ到着。さて、お買い物……の前に、腹ごしらえです。どこも混雑しているので、フードコートで各々好き勝手なものを購入して合流する。結果、たこ焼きに鶏塩ラーメンにカレーに餃子にウーロン茶にCCレモンに、というカオスが出来上がり。でも、ピクニック的な雰囲気で、それはそれで楽しいのだった。 ・この日の戦果は、靴二足に、ノースリーブのワンピースに、キャミソールドレスに、ロングベストに、茶色の中折れ帽子、でありました。ちなみに帽子は後日、友人をして「妙に似合うけれど、でもスナフキンみたい」と言わしめることになるのであった。スナフキン……!
岐阜旅行二日目……と言いつつも、正しくは長野県にある妻籠宿・馬籠宿へ。同じ籠という字なのに、つま「ご」だったり、ま「ごめ」だったりするのはこれ如何に、というは素朴な疑問です。 ・通りの風情を味わう妻籠、観光地の雰囲気を楽しむ馬籠。あるいは、クラシックな妻籠、カジュアルな馬籠。 ・お昼ごはんをいただいた小さなお蕎麦さんの「山菜山かけ冷やし蕎麦」は、麺のコシといい、山菜のしっとり醤油の染みた味わいといい、予想以上の美味でありました。失礼ながら、外観の鄙びっぷりからは嬉しい意味で裏切られました。追加オーダーの「白玉かき氷」も、これは透明な黒蜜だろうかと思うくらいにこっくりした甘みのみぞれ氷でありました。 ・お土産やさんで売られていた、ミニチュアサイズの背負い籠(背負う紐がカラフル。花器のようにして使えるらしい)がとても愛らしかった。 ・木曽路はすべて山の中である、とは何の冒頭だったか……。藤村……?(正解は、『夜明け前』島崎藤村、でした) ・近年、意外と見られなくなった大きなヘチマが珍しくて、ついつい何枚も写真を撮る。ついでに道端に転がっていたお釜も撮る。 ・妻籠の資料館に展示されていた、藤村の兄弟の子孫にあたる方の手になる葉書サイズの水彩画がとても気に入りました。ポストカードがあれば欲しいくらいでした。 ・しかし、この資料館は歴史的な建物を母体にしている割には非常にオープンな空間で、中に職員の方がいるわけでもなく、奥の方にある部屋ならば、こっそりお昼寝していても気付かれなさそうでありました。風通しも良いことですし。 ・急勾配の坂沿いに建つ馬籠は、脇を流れる水路も驚くほどの激流です。ここにそうめんを持ってきたら、超高速のサバイバルな流しそうめんができるなあ、と愚にもつかないことを考える。 ・どんなに太陽が照っていても、建物の陰に入ればふっと涼しくなる。ああ秋の日和だなあと、実感する。
総括するならば、「モノクロ写真の似合う旅」だったと思う、岐阜旅行。 旅行記、と呼べるほどまとまった記録にはできないものの、印象に残ったことごとを、箇条書きで書き留めておこうと思います。まずは一日目、飛騨高山と飛騨古川散策の顛末。旅先フォトは、写真ブログに載せています(トップページにこっそり置いたカメラアイコンからどうぞ)。 ・前回の日記に書き残した通り、6時に家と出発し、高速道路のサービスエリアで朝ごはん。普段、「外のお店で朝食を採る」ということがほとんどないもので、非日常感がいや増します。 ・飛騨高山では、朝市ふたつをはしごし、その後古い町並みへ。その間に、みたらし団子やら飛騨牛握りやら林檎やらを食べ歩き。その上、お昼ごはんもちゃんといただきました。飛騨牛のランチセット、だったのですが、付け合わせに大量の豆・豆・豆……が添えられていたことの方が思い出に残っています。もちろん、お肉も美味しかったですが。 ・高山のお団子は、球形ではなくて、エッジが尖っている……? 新発見でありました。 ・陣屋前の朝市は、恐らく初訪問。野菜や果物や生花が並んでいて、心惹かれることしきりではありますが、残念ながら旅行初日にナマモノを買うわけには……。 ・我楽多市を見て回っていた時、ずっとBGMで流れていたご当地ソング(高山の美質をひたすらに称賛する歌詞)が、しばらく脳内を流れて止まりませんでした。 ・飛騨古川は、澄み切った水が流れる水路と、そこを泳ぐそれはそれは立派な錦鯉たちが代名詞のような町です。等間隔に鯉のえさを売るボックスが立てられていて、当然のようにえさやりにチャレンジしてきました。これが、楽しかった! ・とにかく、とてもとても見事な鯉なのです。スタンダードな池ならば、間違いなく「主」級の大きさに育った個体ばかり。あまりに見惚れ過ぎて、その晩は鯉が夢に出てきました。錦鯉と一緒に、ジュゴンのような体型のポメラニアンが水路を泳ぐ夢。 ・さるぼぼグッズのバリエーションが飛躍的に増えていることには、驚きました。うさぎぼぼに、気ぐるみぼぼに、ゴールドぼぼに、豹柄ぼぼに、目玉親父ぼぼに、ぼぼレンジャーに。ちなみに私は友人へのお土産に、「わるぼぼ」ストラップを購入しました。わるぼぼとは何か? その名の通り、「悪いさるぼぼ」だそうなのですが……ここまで来ると寄って立つべきところが揺らいでいるような……譲れない一線は守っておいた方がいいような……気がしないでもありません。
これから二泊三日で岐阜県方面で旅立ってきます。 書きたいメールや、お返事したいお便りなどいくつかあったのですが、それらは帰ってきてからゆっくりと……。 それにしても五時起床の六時出発って、この強行スケジュールは、何!? と最後に叫びつつ、行ってきます!
本日の読書メモ。題材は、『マイ グランパパ、ピカソ』(マリーナ・ピカソ)。パブロ・ピカソの孫娘である、マリーナの自伝です。 ・私のおじいちゃん、という温かみのあるタイトルに、ものの見事に騙された。たった数ページで、私はこの本を最後まで読み切ることはできないかもしれない、と思った。それほどまでにこれは、凄惨で悲劇的で救いのない人生の記録である。 ・多分に感情移入して読んではいけない、と頭の片隅で戒めつつも、時に冷水を浴びせられたかのように、棍棒で殴りつけられてもしたかのように、否応なく衝撃を受ける場面がある。例えば、「世の中には知らない方が良いことがある」と彼女が振り返る、祖父からもらったお菓子に関する回想。例えば、祖父と同じ名を持つが故に、自らの名前を名乗ることすら拒まれた兄のこと。 ・私自身は、かの天才の作品を特別に好んでいるわけではないし、彼のひととなりについて先入観も抱いてはいない。類まれな才能を持つ人物というのは、一定の距離を置いて称賛を贈る人々にとっては崇拝に値する偉大なる存在であるけれども、家族のように血を分け生活を共にし、そのために強い影響力を受けざるをえない人々にとっては、ほとんど怪物のように恐ろしく、時には憎しみすら掻き立てる対象になりうるのだ……という感想は、あまりにも月並みすぎるだろうか。 ・祖父はあらかじめ自分たちから奪われていた、と彼女は言う。ならば、逆説的ではあるけれども、彼女の祖父についても同じことが言えるのではないか? 彼からも、いわゆる「普通の家族の愛」とでもいうべきものが、あらかじめ奪われていたのではないのか? とてつもなく傲慢な言い方に聞こえることは承知の上で、敢えて言おう。天は二物を与えない。その人の持っている「ひとつ」が、その他の人々には手に入れることの敵わないほどに傑出したものであればなおさら。 ・しかし、どれほどの苦しみを味わおうとも、彼女は「偉大なる祖父」から継いだ名前を捨ててはいないし、冒頭のポートレートに映るその目は、驚くほど彼に似ている。それは、逃れられない呪縛であるとともに、彼女が「生き残る」ことができたエネルギーの源でもあるのだと思う。 *** 拍手御礼。相沢さんへ。 こういう時だけ発揮される行動力を駆使して、食べてきました、月見バーガー! 当たり前のことながら一年ぶりの再会ですが、やっぱり良いものですね……! 相沢さんにも、早く邂逅の時がやって来るように、お祈りしております! それにしても、最近は大好きな作家の新作ですら発売初日に買いに走ったりはしなくなったというのに、自分のことながら「食べ物の推進力」には驚いております。だって、食欲の秋ですものね!(強引に結論付ける) そして、私も、こうして日記を通じてのキャッチボールの楽しさを久方ぶりに思い出しているところですので、当分の間は頻々と顔を出す予定でおります……!
日本記念日協会によると、今日は、 ・心を注ぐ急須の日(「9」きゅうと「4」す、で) ・くしの記念日(これはそのまま、ですね) ・オークションの日(0904で、おーくしょんと読む) ・クラシック音楽の日(これも語呂合わせより。「く」ラ「し」ック) 等々の記念日に当たるそうですが、9月4日といえば、あれです。 月見バーガー発売の日! 世に数多いらっしゃるファンの皆さま、待ちに待ったこの日がやって来ましたね! 私はといえば、もういてもたってもいられず、早速おなかに納めて参りました。満月は見ずともこれを食べねば私の秋は始まりません。人心地ついて、ようやく心置きなく大好きな季節を迎える準備に入れるというものです。できることならば、もう一度今季中にお出会いしたいものだなあと願っております。 *** 見上げれば 牡牛が 飛び越しそうな 月
一歩外に出れば湿った土の匂い、案の定ぽつぽつと雨が降り出していて、でも傘を持っていなかった今日の夕暮れ。仕方なく歩き出してみれば、音はすれどもあまり濡れない、五歩行く間にぽつりと落ちてくるかどうか、という塩梅で、なるほど粒は大きいけれども密度が薄い雨なのだなと、妙なことに感心したのでした。 私の傘は以前、強風に煽られて骨が一本複雑に歪んでしまい、開いていれば気にならずとも、閉じてみれば寝癖のようにまとまりが悪いので、そろそろ新調せねばなりません。どんなものであれ、愛用の品を買い替えるというのは、なにやら億劫なものです。
仕事帰りに近所の本屋さんの文具コーナーを覗いてみたら、もう来年の手帳が並んでいて、驚きました。 しかし、ふとカレンダーを見れば今年も残すところ4ヶ月、つまり三分の一ということには更に驚くばかり。 ここいらで、むんずと時間の尻尾を握りしめておかないと、あっという間に一年が終わる、という羽目になりそうで、忙しないような焦るような気分になったのでした。 そして、ちょっといいなと思ったカレンダーたち。 http://www.keibunsha-books.com/cgibin/hotcake03.pl?Category=%8a%fa%8a%d4%8c%c0%92%e8&Genre=2010%20D%2dBROS%20CALENDER&ViewCnt=1 こんな作品が似合う部屋になりたい(述語がねじれ気味)ものです。
さて、いよいよ9月です。 今月は、なにせ旅行が3ツアーも控えているため、何はさておき体調管理に努めねばなりません。1に体力、2に体力……と(柄にもなく)スローガンを唱えてみたりもします。 そして、毎週どこかに旅立つ、ということは荷作りと荷解きに追われるという事態が待っているわけだ、という点が、目下の気掛かりであります。カオスが目に浮かぶようです。 *** 『グールド魚類画帖』を読書中。まだプロローグ部分であるにも関わらず、とんでもない物語を手に取ってしまった、という期待感が高まっています。 |