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一夜。 | 2006年06月22日(木) |
満月はゆるゆると天を滑っていく。 穏やかに眠る娘の傍に腰掛けて、彼はじっとその姿を見下ろした。 目を凝らすと、胸のあたりが僅かに上下しているのが見て取れた。 彼女はとても静かに眠る。そのまま息が止まっていたとしてもきっと気付かない。 布団から投げ出されたままの細い腕を取る。 ひんやりと滑らかな肌は月明かりの下では一層青白く目に映る。 手の甲をさすり、手首へと指を滑らせる。 確かな脈に安堵して、その指に音もなく口付ける。 喪われることなど考えたこともない。 儚いようにみえるこの娘の気丈さも弱さも全て知っている。 (けれど、もし) 不実な世界は一見従順なようで、けれど隙を見せればすぐに裏切る。 (彼女が、) 考えることを拒否した思考は空白を生み、制御を離れた手が伸ばされた。 片手でも絞められそうな細い首に、見慣れた自分の腕がかかる。 (誰かに奪われるならいっそ) そう、思わなかったといえば嘘になる。 長い刹那を重ねて不安に怯えるくらいなら、短い永遠を抱えて独りでいた方が楽だと否定することは彼には難しかった。 道に迷ったような気分のまま、上から体重をかけて、腕に力を込める。 頬を紅潮させ、息苦しさに顔をしかめた彼女が彼の腕に触れた。 熱いものに触れたときのようにぱっと手を離すと、けほごほと苦しそうな咳が後を追った。 涙で潤んだ目がぼんやりと彼を見上げる。 何かを言おうとした彼女が、またひとつ咳をした。 「……すまない」 汲めど尽きず湧き上がる後悔に掠れた声と共に、謝意を込めて両の瞼に唇を落とす。 目覚めきらないでいる彼女は不思議そうにしていたが、手を繋ぐと安心したように目を閉じて再びすうと寝入る。 それを確認して、彼は空いた片手に視線を落とした。 この手。――この愚かな腕は一体何をしようとしていた? 背筋が凍る。先ほどのことなどなかったかのように、彼女は眠っている。 けれどその頬はまだ僅かに紅潮し、首には手のかたちがくっきりと残っている。 「……すまない」 臆病さのために犠牲にしようとしたものの大きさに慄き、彼は乞うようにその首に手を這わせた。 大分風が冷たくなってきたからだろうか、彼女はその腕に頬を寄せて小さく息をこぼす。 「……本当に、愚かなものだ」 一時の安堵のために喪うことはできない。 誰にも手の届かないところに追いやるということはつまり、自分の腕からも離してしまうことだ。 籠に鍵をかけることすら出来ないのに。 まして手折ることなど、出来るはずもない。 自分に出来ることはといえば、開け放したままの庭に立ち尽くし、どうか何処にも行かないでくれと懇願するばかり。 今はまだ此処にいてくれることの幸福をかみ締めながら、彼は再度溜息をついた。 ****** 何ていうかダメ男極まりないですねこいつ。 首を絞めるという行為は何かえろいよなぁと思って書いてみましたが、私が書くと単なる気弱な電波受信者になりましたorz |
変態ストーカー#10 / 03 貴方は光、私は影 | 2006年06月19日(月) |
委員会があるというヌイの帰りを昇降口で待ちながら、ひなりはつまらなさそうに本を閉じた。 失敗だった。暇ならコレでも読んでなさい、と彼女に押し付けられたのは良いが、こてこてどろどろの現代恋愛小説はやはり性に合わない。嫌いというわけではないけれど、この生々しい文章はひなりにはどうしても馴染まなかった。 閉じた文庫を、預かっているヌイの鞄の中に放り込むと、ひなりは入り口の柱に寄りかかり、何とはなしに外に目をやる。 校庭ではぽつぽつと傘の花が開いていた。何人かは傘を持たずに走っている。 空を見上げる。明るい曇り空に目を眇めると、雨の雫が線を描いてぱらぱらと散っていた。天気予報の確率は四十パーセント、傘を持ってきて正解だった。 「……問題は、本降りになる前に帰れるかどうかよね」 念のためにと傘は持ってきたものの、足元までは考慮していなかった。愛用の革靴へのダメージは無視できない。 滲み出す憂鬱に軽い溜息をついていると、すぐ近くで誰かが立ち止まった。 均整の取れた長身に、そこだけいつも光が差しているような金色の髪。よく見慣れたその姿は、ここ数週間彼女の趣味の標的になっている相手だった。 下駄箱から自分の下履きを取り出して履き替える彼の姿を、ひなりはそっと見つめる。 こんなに近くで彼を見るのは初めてのことだった。近くで見ると顔の彫りが若干深めであることがよく読み取れた。 とん、とんとおっとり靴を履き替えた彼は、ひなりの前を通り過ぎて校庭に出ようとし、ふと止まる。 「……雨?」 訝しげな声は、予想していたより若干低い。彼はそのまま不思議そうに顔を突き出して、空を見上げる。 そうして小さく呻くその手に傘はなかった。 雨の具合と自宅までの時間を計っているのだろう、渋い顔で考え込んでいる。 それを見ていたひなりは、自分の青い無地の折り畳み傘を取り出すと、彼の隣に足を進めた。 「良ければ、使いますか?」 彼が驚いたように振り返る。正直ひなり自身も驚いていた。 彼女は、それほど人見知りをするわけではないが、自分から進んで他人に声をかけるような人間ではない。前を歩くひとが落としたプリントは拾うが、教科書を忘れた隣の席のクラスメイトには請われなければ見せない。その程度である。 軽く首を傾げた彼が「大丈夫?」と呟く。 主語も目的語もない言葉に、彼女の方が首を捻った。 「何がですか?」 「濡れない?」 どうやらひなりのことを心配しているらしい。彼女は緩くかぶりを振った。 「友達の傘に入れてもらうので。家も近いので平気ですよ」 「でも、借りるのは悪いから良いよ。小雨だし、バスもあるし。ありがとう、雛菱さん」 じゃあね、と彼は淡く笑って手を振る。つられてひなりも手を振った。嬉しそうな笑顔が深くなる。 何も言わないのも気まずい気がして、彼女は軽くおじぎをした。 「ええと、じゃあ。風邪を引かないように気をつけて」 「大丈夫」 彼はもう一度、子供をあやすときのように軽く手を振って走り出す。 よく目立つ、嫌味のない華やかな金髪が魚の尾のように跡を引いていくような錯覚を覚えながら、ひなりはその姿をじっと見送った。 あの髪は確かに彼にとてもよく似合っている。 容姿のせいで目立つことはあっても、それで嫌われることはないひとのように感じた。 「……。何でだろう、何だか知らないけど身につまされる気分だわ」 三つ編みにした自分の髪をいじり回しながら、彼女は眉根を寄せた。 黒い髪にコンプレックスはないし自分のことはそれなりに気に入っているが、彼のような「きらきら」とは程遠い人間であることは自覚している。 そんな自分が、それこそ影のようにひっそりこっそり彼を観察している図を客観的な視点で想像し、ひなりは唸った。どう見ても善良な男子高校生をつけ回すストーカーである。 「ううんどうしよう、何か今更申し訳なくなってきたような、微妙な気分……」 ヌイの気分がようやく分かりかけた気がする。しかし趣味というよりは最早性癖に近い自分の観察癖をやめられるとは思えない。 「……うん。ああいう良いひと見てるのは楽しいけど、早く次のひと見つけよう」 数分悩んだ後、あっけらかんとした結論を出し終えて罪悪感から開放されたひなりは満足げに笑う。 「……あれ?」 そうしてふと、彼の言葉に引っかかるものを感じたことを思い出し、彼女は先ほどの会話を反芻した。 ――ありがとう、雛菱さん。 気のせいだろうか、名前を呼ばれたような気がする。 「……ううん?」 制服を見下ろす。靴は既に下履きの革靴だし、彼女の名前を読み取れるようなものは何処にもない。 「ま、気のせいか」 「何が気のせい?」 突然聞こえた声にも動じず、ひなりはおっとりと振り返った。湿気の多い日でも完璧な巻き髪の友人が少しだけ不機嫌そうに仁王立ちで佇んでいる。 「ヌイ、遅かったね」 「まったくよ。待たせてごめんね、もっと早く帰れるはずだったんだけど。どうして日本人って自分からばんばん意見言い出さないのかしらね。黙ってるのは空気読んでるんじゃなくて逃げてるだけだと思わない?」 どちらかというと黙っている人間であるひなりは苦笑しつつ、委員会に対するヌイの不満を聞き流す。 靴を履き替える彼女を待って校庭に出ると、雨粒は随分大粒のものになっていた。 傘を開く。 彼は濡れずに帰れただろうか。 明日、いつも通りの元気な後姿が見られると良いのだけれど。 雨に打たれてばたばたばた、と大きな音を立てる傘をくるくる回しながらひなりは呟く。 「……やっぱりムリにでも押し付けといた方が良かったかなぁ」 暗い感じのするこの黒い髪はどうでも良いけれど、あの光の塊みたいな金髪が濡れるのは何だかとても勿体ない気分がした。 ****** ようやく会話交わしました。 最初は窓から校庭突っ切る金髪氏を見つめるだけだったのですがそれじゃ何も進展しないということに気付き急遽場所を移動。 ボツにした部分も実はちょっと好きなシーンだったのですが、どこかで再利用できるといいなぁ。 変態ストーカー#10 / 03 貴方は光、私は影 配布元 : アンゼリカ |
変態ストーカー#10 / 02 今日も貴方の後ろにいます | 2006年06月12日(月) |
朝礼やら式典での、校長先生の話が長いのはどの学校も変わらないのだろうか。 欠伸を噛み殺し、ひなりは眠たい目をぱちぱちと瞬かせた。 立たされて早十分近い時間が経過している。そろそろ切り上げないと授業に支障が出そうなものだが、バーコード校長の舌はますます滑らかになり、朝礼の進行役である教頭もうんざりと言いたげな様子で壇上に視線を送っていた。校長が握った手を振りながら演説をかますときは、話し終えるまで他人の言葉を絶対に聞かない。 飛んでいかない眠気と抗いつつ、話に飽きたひなりは何となく立ち並ぶ生徒たちの頭を眺めた。幾つかふらふらしている。 その中のひとつに例の金髪氏を見つけ、眠りかけていた意識がひょこと顔を上げた。 それほど距離は離れていない。列からしてふたつぐらい隣のクラスだろうか。体育で合同される組ではないし、やはり廊下でたまに見かけることぐらいしかないのも頷ける。 (それにしても器用に寝るなあ) 彼が斜め前に立っているせいか、目を瞑ってうなだれている顔がちらりと見える。 あの様子では睡魔との戦いは既に終わり、降参して膝枕でもしてもらっているような雰囲気だ。 よく倒れないものだとひなりは思う。自分なら確実にばったんと床に倒れ伏すに違いない。 時折思い出したように瞼を上げたりまたつむったりしている様を眺めている内に、校長は話を語り尽くしたらしい。満足げな顔で髪を撫で付けながら階段を降りるその姿が、人垣の向こうに消える。 それを待っていたかのように教頭が二、三の注意事項を早口で述べ、「では解散」と合図を送った。 既に時計は一時限目の開始時間を過ぎている。 急ぐ生徒たちで体育館の入り口はごった返していた。 「いっつも思うんだけど、効率悪いわよねえ」 ばらばらと崩れていく列に紛れて、ヌイがいつの間にかひなりの隣にやってきていた。 「一応学年毎にずらしてはいるみたいだけど」 「それでもさ、この混み具合よ?」 「そうだねえ……」 急ぎ足で我先にと廊下に溢れ出る生徒たちの波に乗り、通路を歩く。 「あ、いつものブロンド発見。あれ地毛なのかしら」 ヌイが首を傾げ、ひなりはさぁ、と興味のなさそうな返事をした。 校則で染髪は禁止されてこそいないが暗黙の了解というものはやはり存在し、あんまり派手な髪をしている生徒は呼び出されて指導を受ける。ヌイの髪色でぎりぎりだろうか。どちらにせよ生まれついての無難な黒髪で満足しているひなりにとっては関心のある話でもない。 「多分地毛じゃない? 染めてたらアレはアウトでしょ」 「そうね」 そんなことをのんびりと話している間にも、彼はするすると人込みを抜けていく。 空いている空間を見つけてそこに上手く滑り込む様子は、水の流れを読む魚のようだと彼女は思う。 階段を上がると生徒もだいぶ減り、窮屈な感じはもうしない。 「あ、見失った」 ひなりの真似でもしていたのか、彼を目で追っていたらしいヌイが不意に声を上げる。 「さっき向こうの廊下にそれていった」 朝礼のときに判明した彼のクラスはそちらの方にある。彼女達は逆の方向に曲がった。 「ねえ、例の彼のことだけどさ」 「ヌイって結構しつこいところあるよね」 「このしつこさがないと接点の少ない大学生は落とせないわよ」 ふふふ、とグロスを塗った唇が楽しげな笑みを刻む。先日彼氏のことで嘆いていた件は何処へやら、楽しそうなその様子にひなりは少しほっとした。彼女の修羅場の数々を傍で見ていた身としては、やはり幸せでいてほしい。 「ってそうよ、あたしの話は良いのよ、アンタの話よ。本当にこのまま潤いのない高校生活を送る気?」 「十分潤ってるのでご心配なく」 恋人がいると何がどう潤うのかさっぱり分からないが、ヌイは口を尖らせて食い下がった。 「思うんだけど、アンタにとって彼とか何なの?」 「だから観察対象だってば。そうだなぁ、ツチノコ? 違うなぁ、あれほど珍しくないし」 しばらくうんうん唸っていたひなりは、突然ぽんと手を叩いた。 「そうだ、よくテレビの占いでやってるラッキーアイテム。アレに近い。見ると楽しいことが起こる感じ」 「白いバッグとかピンクの口紅と同等なワケ? 何なのこの子」 嘆かわしいわ、とヌイは額を押さえて天を仰ぐ。大げさな嘆きようにひなりは頬を膨らませた。 「知り合う気もないの?」 「理由も切欠もないし」 後ろから時々見ることがあるだけで十分なのだ。 それを聞いたヌイは、口の中だけでそっと呟いた。 「……理由や切欠があれば良いのね?」 「何か言った?」 「言ったわ。ヒナって何でこんなに恋に興味がないのかしらって」 「他に楽しいこと一杯あるもの。やろうと意気込むのも変な感じするし」 恋人が欲しいというキモチは分かる。恋がしたいというのも分かる。 けれども、だから積極的に相手を探そうという気はどうしても起こらないのだった。 「恋ってするものじゃなくおちるものなんでしょ?」 「少女漫画読みすぎじゃない? まあ、オチるもので、させるものよ」 ヌイは不敵で好戦的な笑みを浮かべる。 その様子に何だか不吉な予感を覚え、ヒナは引きつった笑顔でそれに応えた。 ****** 割とこの話はキャラが勝手に動きます。 とりあえずまずは相手と会わせないとな、というところで。 ていうかどうなんだこの主人公。 変態ストーカー#10 / 02 今日も貴方の後ろにいます 配布元 : アンゼリカ |
変態ストーカー#10 / 01 いつも覗き見ています | 2006年06月09日(金) |
雛菱ひなりの趣味は人間観察である。 電車の中では正面に座ったひとをそれとなくじいっと見つめ、授業中は教師の一挙手一投足、或いは目前で舟をこぐクラスメイトの後頭部に気がつくと目がいっている。 その中でもお気に入りの人物の後姿を見つけ、彼女はうきうきとする気持ちを止められなかった。 「うふ、うふ、うふふふふ、ふふ、うふ」 「ヒナ、ぶっちゃけその笑い方キモチワルイ」 忌避こそされていないが、何となく変人、という扱いを受けているひなりの数少ない友人であるヌイは、それとなく注意するが、観察モードに入った彼女は寛大な友の言葉なぞこれっぽちも聞いていない。 友人やめよっかな、ともう何度呟いた分からない愚痴をこぼし、彼女はひなりの頭を軽く叩いた。こうでもしないとトリップした彼女は戻ってこないのだ。 「へ、あ、ああごめん。どうも見てて楽しいひと見つけると夢中になっちゃって」 「そのうちアンタが不法侵入とか盗聴器仕掛けたりとか、警察のご厄介になるようなことをしないようをかなり本気で祈ってるわ」 「ヌイもひどいなぁ。わたしはそんなことしないって」 「どうだか」 肩を竦め、綺麗なレッドワインに染めた巻き髪に彼女は指を絡める。何かに呆れたときのヌイの癖だ。確かこれを指摘したのも目の前の友人である。 「それで、観察対象名無しの権兵衛氏の今日のご機嫌はいかが?」 「寝坊したね」 軽やかな笑いを浮かべてひなりは前方を見やる。 黒や茶色のつくしたちの中から頭ひとつ飛び出た金髪は、ひなりでなくとも目がゆくというものだ。後姿だけでも学ランが似合っていないのがよく分かる。 正面から見ても中々見応えのある容姿をしている彼は、ここ数週間、彼女が熱心に見つめている人物である。 ヌイも彼女にならってそれとなく観察してみたが、たまに見かける姿と何も変わっていないとしか思えない。 「どこをどう見りゃ寝坊してるとか判断できるわけ?」 「髪の毛がハネてる、のといつもより若干早足なところかなぁ。あといつもはこの時間ならもう少し先を歩いてるはず」 「一歩間違えれば、ていうかもう半分以上ストーカーよね」 行動パターンまで読んでいるとは思わなかったとヌイはぼやく。何か既に住所とかまで特定していそうな勢いだ。 「失礼ねぇ。わたしは別に彼に恋してるわけじゃないよ。それに見てるのはこうして偶然見つけたときだけだし」 一ヶ月前はバーコードが痛々しい、還暦近くの校長先生にひたすら視線を注いでいたひなりは、不服そうに口を尖らせる。 「そう? 名前とか調べてるんじゃないの?」 ヌイはにやにやと笑って彼女を肘で突ついた。長い前髪の奥でぱちぱちと目を瞬かせ、ひなりは緩くかぶりを振った。 「知らない」 「……。そういうことにはからきし興味がないのね、アンタ……」 「だってそういうの、必要?」 「そうね、要らないわね……」 あくまでひなりの目的は人間の動きを観察することらしい。 変な趣味ねえ、と言いかけて、ヌイはゆっくりと首を傾げた。 「アンタさ、どういう基準で今月のメイン観察対象とか決めてるわけ?」 「……何となく? この前の校長先生の場合は、風で元に戻っちゃう髪を一生懸命直してる姿が可愛いなあ、と思ったのが切欠だし、今のひとの場合は何だろ、何かこう、動きが魚っぽいんだよね。面白い」 思わず件の金髪を振り返る。 「さかな……?」 これといった違和感のある動きはしていない。普通に歩いているだけだ。 ヌイは悩ましげにこめかみに手を当てて首を振った。 「アンタの感性ってさっぱり理解できないわ」 「わたしはヌイのオトコの趣味の方が理解できないけどね」 「うるっさいわね、しょうがないじゃないあたしだってもう少し格好良い男と付き合いたいわよ! 何でいつも冴えない男とばっかり付き合ってるんだろうって自分でも思うわよ! ほっときなさい!」 綺麗に整えた髪を振り乱しながら彼女が叫ぶ。どうやら自分の恋人について相当鬱憤が溜まっているらしい。 「でも素材は良かったよね皆」 正面の長身に目をやったままひなりが付け足した。ヌイがむすっとした顔で黙り込む。 「……そうね。それであたしがいつも頑張って垢抜けた格好させたら新しい彼女が出来たとか言って離れていくんだわ。もしくはあたしの言うことなんかさっぱり聞かずによく分かんないオタク趣味に突っ走ってあたしより抱き枕を選ぶんだわ。神さま、もう少し普通の男をあたしに下さいていうか寄越せ!」 「ドンマイ。今度の彼氏はイイ感じ?」 「隠れオタクだった。ベッドの下にダースベーダーがいたわ。あれは普段は絶対枕元にいやがるわね。ついでにあの何だっけ、蛍光灯っぽい剣のおもちゃもあったわ。まぁましな方? ちゃんとあたしに構ってくれるし。そうよ、PCソフトの近くに美少女がどーんと表紙にいる何かソフトもあったけど無視しとくわ。たとえ背表紙にきらきらのシールが張ってあろうとあたしには関係ない!」 「蛍光灯……ってひどくない?」 「ツッコむところそこなの?」 激昂していたはずのヌイが、急にテンションが下がったような顔つきでひなりを見やる。 「どこにツッコんでほしかったの?」 「……。まあいいや。何か叫んだらすっきりした」 「それは何より。そろそろ学校にも着くよ」 彼女たちの通う高校は緩い丘の先にある。 駅からバスも出ているのだが、歩いてもせいぜい十数分という距離しかなく、「良いプロポーションは運動からよ!」というヌイの主張により彼女たちはいつも歩いて通っていた。他の生徒も大概似たようなものであり、バスが混むのは雨のときだけだった。 「そうよ、あたしの彼氏の話なんかどうでも良いのよ。ねえ、ヒナ、やっぱりあの彼のこと気にならないの?」 ひなりの性格を知らない人間からすれば、熱心にひとりの姿を追う彼女は恋する少女にしか見えない。 肩ほどまでの黒髪をゆらゆら揺らしながら、彼女はヌイの質問を吟味した。 「うーん、あんまり興味ないなぁやっぱり。学年が同じなのはさすがに知ってるけど、名前とか知ってどうなるものでもないでしょ?」 「つまんないわねえ。いつも見てるくせに」 機会を見てはそういう方向に話をむけたがるヌイに、ひなりは苦笑する。 「知り合いだったら逆に観察しにくいじゃない」 「ひなりに遠慮の精神があったことにびっくりだわ」 本気で驚いたように目を丸くする友人の脇腹を軽くつねり、澄ました顔で彼女はうそぶく。 「他人の嫌がることはしません。見ないで、って言われたらしないわ」 そんな言い合いをしている内にふたりは校門をくぐる。校舎に備え付けられた時計いわく、朝礼まで十数分を残すのみ。 電車のダイヤとの関係もあって、この時間帯が一番生徒が集まってくる。一気に増えだした人波に呑まれて、さすがに目立つ彼もどこかに紛れてしまったらしい。 「……見失っちゃった」 「人間観察者としては一生の不覚ねえ」 くすくす笑いながら、ヌイは下履きを履き替える。 ついでのろのろと自分の上履きを取り出すひなりは、はあと溜息をついた。 「まあいいや、また明日があるし」 「ホント、傍から見たらストーカーよねえ」 「そう見られるのは不本意だわ。別に彼だけ見てるわけじゃないし」 「じゃあ人間のストーカーってことにしといてあげる」 どこか艶めかしい微笑みを浮かべる彼女に、ひなりは抗議の意味も込めて、多少大げさに肩を落とした。 「そんなに友人をストーカーにしたいわけ、ヌイ」 廊下に出たひなりの視界の隅を、きらきら光る金色のものがすっと通っていった。 振り返ると、ひどく見慣れた後姿。 また明日、と口の中で呟いて彼女は階段を上っていった。 ****** なんとも微妙なお嬢さんですが。 お題を拝見していて思いついたので突発的に。上手く連作になるといいなぁ(不穏な台詞)。 女の子ふたりの会話は止まりません。危うくヌイが主役になるところでした。 変態ストーカー#10 / 01 いつも覗き見ています 配布元 : アンゼリカ |
襲撃。 | 2006年06月07日(水) |
「……これはまた、豪勢な出迎えだな」 彼を取り囲む黒衣の影たちは沈黙を守り、じりじりと間合いを詰める。 宵闇に沈む彼ら自身とは対照的に、その得物は外灯の光を反射して星のように銀色に煌く。雪のような色をした長い髪と赤い上着の彼は、その中にあって一際目立つ一等星のようにも見え、さながら夜空を地上に引き写したかのようだ。 「何者か、と問うても答えは返るまいか」 彼には武術の心得は殆どない。せいぜいが護身術程度の簡単な体術と剣術程度、専らの武器はペンと舌である。 一応、持ち歩いている杖は柄を捻って引き抜けば剣になるといういわゆる仕込杖であるが、彼はそのままにしておいた。筋は悪くないと剣の師匠には言われたが、何より剣を振り回していられるだけの体力がないのが問題である。 自身で対抗する術もなく、おそらくひとを呼んだところで救援が到着する前にばっさり斬り伏せられて終いである。 けれど彼は、面倒くさいことになったとしかめ面をするだけでさしたる動揺を見せなかった。 それを目の前の暗殺者どもは何か彼に奥の手があるのではないかと用心しているらしく、中々斬りかかってこない。 厚い面の皮と二枚舌、それに図太い神経は政治家に必須の技能だと彼は常々思っている。 「持ち合わせがあって助かったな」 何の意味か分からない襲撃者たちは更に困惑したようで、無意味に目配せをし合っている。 確かに彼には奥の手がある。 時間をある程度稼ぐことができれば、彼にとってどのような剣豪だろうと狂戦士だろうと敵ではない。 「まったくつまらん」 ぱちんと指を鳴らすと、男たちはその場にくず折れた。 この身は深く呪われている。 息絶えた刺客の山を見下ろして、彼は憂鬱そうな溜息をついた。 ****** 現代要素のないFTを書くときは、人名地名など以外ではなるべくカタカナを使わない、という自分ルールがあります。数年前の文章だと適用されてなかったり、他にも幾つかありますがまぁそれは置いておいて。 今回も、パフォーマンスという語を使いたかったんですが、それって他の語でどう書けば、と止まってしまって結局ナシにしたあたり、まだまだ語彙が貧弱なようです。 |
皮肉と嫌味が飛び交う閨。 | 2006年06月05日(月) |
どたどたともばたばたともつかぬ荒々しい足音に気付いた直後、耳が痛くなるほどの大きな音を立てて扉が開いた。 彼は動揺こそしなかったが、どこかうんざりした調子で肩を竦める。 「……レディ、仮にも私の奥方ならば、もう少し淑やかに歩いて歩いて頂けると助かるのですがね。男のような荒っぽい歩き方をされるようでは夜会にも連れて出歩けませんよ」 息を切らした彼女は、皮肉を言わずにはおれない夫を心底嫌そうに睨めつけた。 「あんたの対面なんか私が気にすると思う?」 「それは失礼。しかしそれではあなたの評判も落ちますよ」 「私が社交界の評判なんか気にすると思う?」 そういえばこの箱入りのお嬢さまはほんの一、二度しか表舞台に姿を見せず、その数回だけで煌びやかな世界を否定したことを思い出し、彼は深く頷いた。 「でしょうね。まったく困った奥方だ。それでご用件は? こちらとしても仕事が詰まっているので下らない用事に付き合わされるのはごめんなのですが」 「あなたにとっては仕事以外の用事は全部下らないことでしょうに」 「そこまで私を理解しているのなら、あまり手を煩わせないで頂きたい」 夫の冷たい笑顔に妻はひきつった微笑みで応え、自分の頬にそっと手をやって溜息をついた。 「あら、それはごめんなさいね。ほら私、あなたが言ったように困った妻なものだから、あなたに迷惑かけずに済ますことって出来ないの」 「そうですか。それでは迷惑な奥方、本題をどうぞ」 「帳簿がおかしいんだけど、どういうこと」 かざされた小さな冊子に、彼の目がすっと細められる。机に向かっていた体を捻って正面から彼女を見据えた。 「……意味を図りかねますね、具体的にどうぞ」 「ここ数年の収支が合わないわ。特に東の地区ね、実際の収穫量の割に納められてる金額が少ないわ。全体として目を通す分にはおかしい印象は受けないけど、詳細と照らし合わせてみたらもう三割ほど納められてないとおかしいことになってる。この屋敷の収支もずれているようだし、一体どういう教育しているの? それともあんたの差し金?」 「――私が、あなたに気付かれるような穴だらけのつまらないことをすると思いますか?」 その強烈な自負に呆れたように肩を竦め、彼女は帳簿を彼の方へ投げやった。 「じゃ、これはあんたの仕業じゃないのね。お心当たりは、旦那さま?」 おそろしいほど真剣な表情でそれに目を通していた彼が、ふと顔を上げて彼女を見た。 「今初めて、あなたを妻に迎えて良かったかもしれないと思いましたよ」 「うわぁ。かもしれない、ってあたりが何か嫌だわ。……それで、どうするおつもりですの?」 「あなたが来るまで帳簿は執事に預けていましたからね、まずはそのあたりから当たりましょう。あなたが気付いたことに彼が気付かないわけがないですし」 「……それを見過ごしてた旦那さまはどうなのよ」 けなすことを忘れない彼に、怒りというよりも呆れを覚え、それでも習慣と負けず嫌いの性格だけで彼女は嫌味を返す。 「私は彼の報告を受けて全体の収支にざっと目を通していたくらいですよ。陛下から直接受けている仕事の量が半端ないもので」 「だからと言って自分の領地のことをおそろかにしているようでは、国王陛下の右腕が聞いて呆れるわ」 「それについては返す言葉もありませんね。甘んじて受けましょう」 「……何かそう大人しくされると不気味だわ、それ」 後でとんでもないしっぺ返しを食らいそうな気がすると小さく呟き、彼女は夫の様子をじっと見つめた。 これを、どう処理するつもりなのか。 その手腕に非常に興味があったのだ。 ****** ファイル転送の合間にちょこちょこと。お題の前に書いたトンデモ夫婦の話とか妄想。閨と書いた割に寝室ではない。 FT世界だと一人称「私」な男ばかりになります。多分自分のツボなんだろうなぁと思いますが何でだ。 とある世界と欧米系の名前の響きがイマイチ合わない感じがして唸ってたんですが、たまたまカタカナに直されたヘブライ語系の単語を見てぴこーんと脳内で電球が点灯しました。よし、あとで何か借りてこよう。 |
静かに満ちる幸せの朝。 | 2006年06月03日(土) |
一度、彼女を見たいと思う。 ふわふわの髪の感触も、軽やかな笑い声もよく知っているけれど、その瞳を見たことはない。 色を尋ねると、別段変わったこともない普通の緑よ、とつまらなさそうに彼女は言うけれど、彼にとってそれがどれほど特別なものなのか、きっと分かりはしないだろう。 もとから目が見えなかったわけではない。視力を失ったのはほんの数年前のことで、突然の暗闇に惑い、立ち尽くした彼の手を取ってくれたのが、出逢ったばかりの彼女だった。 「コーネリア」 小さな鈴の音は、彼女が近くにいる証拠だ。 多分この大きさと音の聞こえる方向なら、庭で洗濯物を干しているのだろう。証拠に、布を広げるばさばさとした音が鈴の音に混じっている。 りん、と鈴がひときわ大きく鳴った。 「どうしたの、エシィ」 「……いい加減、外を出歩いても良いですかね?」 「だーめーでーす。うっかり川に落ちそうになったあげく風邪を引いちゃったおばかさんは元気になるまで出ちゃだめー」 「だからもう熱は下がったと」 食い下がってみても、彼女が聞く気配は全くない。 「病み上がりさんは大人しく家の中、ね」 諭すような声は、低くはないが落ち着いていて心地良い。 そんなことをのんびりと考えていたら、まだ熱でぼんやりしていると勘違いされたらしく、「ちょっとそこにいて」と怒ったような声とともに鈴の音が遠ざかってしまった。 どうしたものか、と彼はその場に立ち尽くす。 きぃ、と小さくドアの蝶番が軋む音がして、そちらを振り返る。 「コーニー」 「大人しく寝てなさい」 ぐいぐいと背を押され、思わず柱に手をついて抵抗する。 「もう元気ですよ」 「だめ」 「……あまり寝てばかりだと体が鈍りそうで」 背中を押すのを止めた彼女が、小さく彼の髪を引っ張る。 屈んで、という合図に中腰になると、骨のぶつかる軽い音が額でした。 彼女のふわふわした髪が頬にかかってくすぐったい。小さな手はいつの間にかこめかみに回されていて、どうやら熱を測っているらしい。 「あの、コーニー?」 「……確かに熱は下がってるみたいだけど。あんまり無理しないでね」 気遣わしげな声とともに、ひんやりした額と手があっさりと彼の顔から離れていく。 それに僅かな寂しさを感じながら、彼は淡く微笑んだ。 「大丈夫ですよ」 「エシィの大丈夫はあてにならない」 「心配性ですね」 「誰のせいで」 むくれたような声の彼女が離れていく前に、咄嗟に腕を絡めて抱きついた。 驚いてもがく彼女を巧みに捕らえて、その額にキスを落とす。 「あ、のねエシィ、」 「はい?」 「まだ洗濯物が残ってるの」 「だから?」 彼女が言い募る間も、彼は構わずあちこちに口付ける。 困ったように「うー」唸る彼女は、一瞬の逡巡のあとに彼の首に抱きついて囁いた。 「離して?」 「だめです」 即答に、彼女はがっくりとうなだれた。 どうやら色仕掛けか何かのつもりだったらしい。ある意味効いたが正直逆効果だと彼は思う。 「エシィのばかー」 「ばかで結構ですよ。ばかは聞き分けが悪いので離してあげませんが」 女の子らしいまろやかな肩の丸みと柔らかい体は、抱きしめていると心地良い。 「ああもう、まだ一杯残ってるのに! しわだらけになったらどうするの」 「そのときは私がもう一度洗ってあげますよ」 「そんな労力と水の無駄は認めない。ねえ、分かったから離してよ」 「いやです」 ぐいぐい袖を引っ張る彼女に緩くかぶりを振る。あまりの快さに、起きたばかりだというのに何だかまた眠くなりそうだ。 「だから、一緒に干せばいいでしょ? 具合が悪くなりそうだったら即座にベッドに放り込めるし、エシィも退屈しなくていいじゃない?」 「……それならまあ、しょうがないですね」 名残を惜しみながらもしぶしぶ拘束を緩めると、ほっとしたように彼女は息をついた。 「じゃあ、行きましょ」 迷うことなく彼の手を取って、空いたもう片方の手で外へ続く扉のノブをひねる。 彼を光の中へ導くのはいつだって彼女だ。 頬に、朝の冷たく澄んだ風と陽光を感じながら、彼はひどく幸せそうに微笑んだ。 ****** なんだこのばかっぷる(白目)。 あまりの恥ずかしさにじたばた悶え転がって途中で筆も止まります。己の限界に挑戦したとしか思えないアレっぷりです。案外限界って遠いものですね(……)。しかも何か意外に長い。 しかし男の方、朝っぱらからべたべたあまあまと恥ずかしいわお前それでもはたちすぎかー! |