* |
Index|Past|New |
柩の前で。 | 2008年10月26日(日) |
「世界は<花冠>の掌の上だ」 穢れのない真っ白な柩を背にしてこちらを振り返った男が笑う。腕を伸ばし、大気を抱くようなその仕草に彼女は目を眇めた。 「……もう死んでいるのに?」 その柩は<花冠>のものだろうと指摘すると、彼は低く笑い声を零した。 「<花冠>は我らの唯一の神だ。世界そのものだ。肉体など仮初にすぎない」 「じゃあ、なんで柩を作ったの?」 「もちろん、我々が初めて垣間見たあの美しい、慈しみに満ちた姿のための弔いだ。そうして神の寝台だ。我々のためには、一時にせよ神の眼差しが閉ざされた悲哀を慰めるためのものだ。神を持たない君には分からないことかもしれないが」 彼女は瞬き、納得したように頷いた。それに満足したように男は目を眇めた。 美しいが禍々しさを感じさせる青年だと彼女は思う。暗闇のそれとは異なる、狂った光のような苛烈で傲慢なものだ。この光はいずれすべてを灼き滅ぼすだろう。 「君が<花冠>の眼差しを知らないことを哀れに思うよ。可哀想なひとの子よ、<花冠>の慈恵に憩うことの素晴らしさを、揺り篭に揺られる赤子よりなお安らかなあの楽園を知らない子供よ、我らが神の目覚めは近い。ひとの子は総じて短命なものだが、君は神の光臨を目にすることの出来る幸運な時に生まれたよ」 滔々と語る彼の陶酔した瞳が彼女を捉える。 「いずれ君もすべてを知ることになる。神を拒絶する愚か者にも、<花冠>は等しく手を伸べる。不運なことに君はあの汚らわしい魔物たちの手元に長いこと置かれていたが、けれどその穢れすら神は打ち払い、そうして祝福を授けてくれるだろう。喜びたまえ」 彼は愛しげに白い柩に手を添えた。 「この柩は扉だ。仮初のからだの眠るこの柩は、彼女の目覚めとともに開くだろう」 「……<花冠>はどうして眠っているの」 男は凶暴な笑みを浮かべ、怒りに任せて三対の翼で空を叩いた。 「<花冠>の創った調和の世界を妬んだ者が、汚らわしいあの魔物たちを生み出した男が、<花冠>の世界を乱したのだ」 翼の生み出す風が柩に供えられた花を吹き飛ばし、周囲の草原を激しくざわつかせる。 彼女は抑えきれない憤怒に打ち震えている彼を宥めることも煽ることもせず、ただ無言でその様を見つめていた。 ****** 最近割とこの変態のことを書き散らしている気がします。 |
彼とか彼女とか別離とか。 | 2008年10月25日(土) |
遥か高みから見下ろす視線を受け、彼はその目を見返した。 翼をはばたかせる竜の背に立つひとりの娘。 距離ゆえに顔立ちは判然としないものがあるが、それでもその美しい緑の瞳ははっきりと捉えることが出来た。 引き結ばれた唇は緊張以外にその身に潜められた感情を伝えることはなく、ただ重い竜のはばたきがふたりの間の沈黙を満たした。 「……君は」 一度合った目をそらすことも出来ず、さりとてかける言葉を見つけあぐねて彼は開きかけた口を再び噤む。 「……戻ってきてはくれませんか」 心の中に言葉は泡のように浮かんでは消え、彼は沈黙と視線に耐えかねてその中のひとつを声に出す。本当に伝えたいことは別にあったが、それを口にするには様々なものが彼の邪魔をした。 意識して作られた無表情が歪み、彼女は苦しげに眉をひそめた。 翠緑の双眸が閉ざされ、絡み合っていた何かが静かに絶たれる。その証のように、再び開かれた視線には迷いがなかった。 「ごめんなさい」 伸ばす手を拒絶する彼女の方が拒まれているかのような傷付いた顔をしている。そんな表情をさせたくなくて、彼はなんでもないことのように軽く肩を竦めてみせた。 「強情ですね」 「昔からそうなの」 彼女が少しだけ首を傾けて微笑する。髪飾りについた小さな鈴がちりんと細く美しい音を奏でた。 その音色に目を眇め、彼も笑みを浮かべてみせる。 「どうしてもだめですか」 「約束しちゃったの。すごくお世話になってて、大好きなひとだから」 語る彼女の瞳がほんのりと和らぐ。そのような柔らかな表情をさせる誰かにかすかな妬ましさを覚え、彼は心のうちで苦笑した。 「では、力ずくでいかせてもらいましょう」 「……そう」 滞空していた竜が一際大きくはばたいて旋回を始める。 この世で竜の翼に敵うものはない。ただ唇を噛み、高度を上げていく巨体を見つめることしか彼にはすることがなかった。 竜のはばたきが大気を震わせ、空を駆けていく。 「……待ってる」 その小さな囁きを聞き逃さなかったのは幸運だった。 はっとして振り仰いだときには既にその姿は遠く、彼は溜息をついて肩を落とした。 ****** 敵同士での恋愛とか裏切りとかロマンですよね。 |
鐘の下で。 | 2008年10月07日(火) |
がらんがらんと教会の鐘が響く音を聞いた気がして、重い瞼をこじ開ける。 朝を迎えつつある藍色の闇をぼんやりと見つめる。 藁の上に敷いたシーツからごろりと転がり落ちて、冷たい床の上に寝転がる。 空気はしんと静まり返って、鐘の音の残滓はどこにもうかがえなかった。 やはり夢かとひとり納得して、重い体をなんとか起こした。 教会の鐘がひとりでに鳴るわけも泣く、そして鐘を鳴らすのが私の仕事である以上、私の知らないところで鐘が鳴ることなどありはしないのだ。 そうして朝の鐘を鳴らすべく塔を上ると、鐘の前に誰かがひっそりと佇んでいた。 「……司祭さま」 「おはようございます」 端正な顔立ちに柔和な笑みを浮かべる彼の姿を見て、思わず踵を返しそうになる。ここで逃げたら鐘を鳴らせない。鐘が鳴らなくても町のひとたちは生活を始めるだろうが、鐘を鳴らさなくては私がここにいる意味がなくなってしまう。 「……鐘を、鳴らさないといけないんです」 「どうぞ」 だからそこからどいて、できればここから立ち去って欲しいのだけれど。 溜息をひとつ付いて、私は鐘を鳴らすための紐を握り締めた。 「そこだと、すごくうるさいですよ」 そうですか、と司祭さまは微笑んで、あろうことか私の背後に立った。 「あの」 「いつも思うのですが、あれだけ大きな鐘の音をこんな間近で聞いていて、耳がおかしくはなりませんか?」 「平気です」 私は服のポケットから耳栓を取り出す。栓といっても、ワインのコルクをくすねて丁度いい大きさに削り、ぼろ布で覆っただけの代物だがこれがあるのとないのではだいぶ違う。 「あいにく私の分しかないので、司祭さまは下に」 「平気ですよ」 それなら好きにすればいい、と私は諦めて耳栓をした。 がらんがらんと鐘の音が響く。 かぁぁん、と鐘の音の余韻があたりを振るわせる。 それが十分弱くなったことを確認して、耳栓を外す。 「……司祭さま?」 「ん? うん、聴こえているよ」 場所が狭いせいで吐息が触れそうなほど近くにいる司祭さまが妙な感じに黙り込んでいるので声をかけたが、明晰な彼にしては珍しくぼんやりとした返答だったので私はますます首を捻った。やはりあれだけ大きな音をこんな近くで聞いたので頭がふらふらするのだろうか。 「具合が悪いならひとを呼びますか」 「耳もからだも問題ありませんよ」 ならば留まる用事はない。 下へ降りるべく司祭さまの横をすり抜けようとすると、唐突に腕を掴まれた。 咄嗟のことで上手く受け流せず、少し急いでいたせいで勢いよく体勢を崩すはめになった。 けれど荒い石畳にはぶつからず、少しばかり固いけれども温かな何かが私を受け止めた。 「司祭さま?」 私を受け止めただけでなく何故かそのまま人形のように抱えんだた司祭さまは、唇を小さく歪めて囁いた。 「もう少しここに隠れていましょうよ」 司祭さまはどうやらかくれんぼをしているつもりだったらしい。 「どうしてですか」 「いや、町のひとが困ったら面白いかなあと」 鐘は鳴らしたが教会の入口はまだ閉ざされたままだ。ひとびとが仕事を始める時間までには開かないと、教会を集会所代わりにしている商工会のひとやお祈り好きなお年寄りが入れなくて戸惑うことは目に見えている。 どうやらかなりの悪戯好きだったらしい。真面目で優しそうな雰囲気を撒き散らしているのに罪作りなことだ。 「冗談ですよ」 視線での批難はどうやら通じたらしく、司祭さまはあっさりと私を解放して軽やかに階段をくだっていった。 ****** キャラ掴むためにどうでもいいシーンを転がしています。 女の子の方はともかくこの司祭さまがよく分からないので困りもの。 つーか女の子ここまでボケキャラだったのか。 |
暗闇の中で。 | 2008年10月02日(木) |
何も見えない暗闇の中をひたすらに進んでいく。 両手を横に伸ばすこともできない、ひとりがぎりぎり通れるぐらいの横幅しかない狭苦しい穴の中はじっとりとしていて落ち着かない。天井は私の腕を伸ばしても何もなかったのでそれなりに高いらしいというのが救いといえば救いだが、ともあれ土の中に閉じ込められているというのは根源的な恐怖を呼び起こす。 今すぐにでも引き返したいという私の気持ちとは裏腹に、私の腕を掴んでいる男の歩みは足早で迷いがなく、荒く整えられた地面のでこぼこにつまづきそうになりながら必死で追いかける。 下り坂になった、とむき出しの足の裏が感じる傾きの差から判断した瞬間、ぴたりと男が足を止めた。 勢いを殺しきれず、足をもつれさせながら男の背にぶつかる。 「……」 元より音のほとんどない空間ではあるが、そこに重い沈黙が落ちた。 とりあえず離れようと身体を捻るときに男の手から抜けて自由になった両腕でその背を軽く押そうとした瞬間、指先が私の頬にそっと触れた。 「……あの」 何かを確認するように、それは頬から顎へと流れ、首を通り過ぎて鎖骨で止まる。くすぐったさに身をよじると、指は遠慮するように肩へと流れた。 それとは別の手に突然手首を掴まれ、思わず肩を揺らす。 「……ええと」 答えはない。手も何の動きも見せず、ただ沈黙を守っている。 目を封じられた状態ではあとは耳に頼るしかないが、捉えられたのはふたり分の呼吸のかすかな音ぐらいのものだ。 ――本当に、ふたりなのだろうか。 何も見えない闇の中で、この指先が、手首を掴む手が、両方とも男のものであるという保証はない。横幅は狭いが、ずっと同じ幅で穴が続いているとは限らない。高さもそうだ。 第一彼は背中を向けているはずなのに、どうして腕をこちらに向けているのだろうか。 疑い始めるときりがない。 背にじっとりと汗をかき、動けないでいる私のことをどう判断したのか、肩口で止まっていた指が先ほどまでの道筋を辿るように首を撫で上げた。 思わず首を竦めた私のうなじをその手が押さえる。 耳を私のものではない髪が掠めた。頬に誰かの頬が寄せられる。 「私はここにいます。あなたも。それ以外は考えなくてよろしい」 耳慣れた囁きが強く断定する。 思わず頷きそうになり、はっと我に返って思わず目の前の暗闇を睨みつける。声にならない笑い声が耳をくすぐった。 「この坂が終われば外に出られますから」 宥めるように髪を撫でられ、先ほどまでの怯えが綺麗に姿を消したことを不思議に思いながらその言葉に頷いた。 ****** ……このひとたちはいったい何をしてるんだろうか……。 |