| 2007年03月30日(金) |
読みました。あっという間に!>昨日の続き |
昨夜、帰宅してから気がつけば爆睡、そして夜半に目が覚めて せっかくだからと続きを読みましたら、最後までよめてしまいました。 面白かったvvv それにしても、本日はもう一度4時ごろに目が覚めたのだけど、嵐のような気配でした。
妖怪ものは、好きですね。 子どもの頃から「鬼太郎」とかいろんなアニメなどで親しみがあったし不思議な物語が好きでしたから。 大人になっても、その傾向はかわらずで、最近なら「百鬼夜行抄」、ひかわきょうこさんの「お伽もよう綾にしき」等のマンガもしっかり読んでいます。 こういう物語はちょっとヒヤリっとする部分があって、夜とか見るのは怖いものも多いのですが「しゃばけ」は大丈夫かな。
若だんなを守っている妖が時々、彼らの本性を見せてしまうところや妖ならではの感覚のズレもいいし、 何より、目的を達成するのには、手段を選ばないところがいいのです。 若だんなさえいればそれでいい〜んですよ、この妖らは。 若だんな以外に対する冷たさとか読んでると、わかっているけどやめられない麻薬的よさがあります。 私はこういうキャラクターに滅法弱いのです。やられたよ〜〜。
でも、古今東西、こうした人でないものが、ただ一人の人に人に愛着を向ける話は幾多もあるのできっと誰もが好きなのだと思います。 でも、その愛着はちょっと迷惑なくらいなので、あくまでフィクションの世界でですが・・・
若だんなの自分の境遇に対するもどかしさは、私もよくわかります。 若いだんなが、もっといろんなことをしていたいのに、眠ってしまう、寝込んでしまう。 本当に切ないです。でも、本にも書いているとおり、それで何がしかのバランスが取れているのでしょう。 私自身もそう感じています。 私の体がもっと丈夫だったら・・確かに、恐ろしいことになっていたと思います;;
若だんなの幼馴染の栄吉の仕事は、いずれ菓子作りが上手くなったら、それを手放さない布石だったらいいなあと思いながら読んでいました。 何でもすぐに上達する人は、すぐに他に目移りするけど、不器用で地道に積み上げてモノになった技術は簡単には手放さないというのはよくあることだからです。 この先、栄吉は餡作りがうまくなるのかも楽しみです。
続きものにするつもりがなかったのかしら?全ての謎が解けてしまいました。 続きがあるから、妖の派遣された経緯とかは書かれないと思っていたわ。 でも、1巻ですっきり、いろいろわかります。
全て江戸時代の単位とか小物で表現されているので ときどきわからないのですが、とりあえずとばしてしまいます。 講談社の児童文学全集なら、ここで図と説明が上部に載ったりしますね。 「ぼてふり」はぼて‐ふり【棒手振り】 《「ぼうてふり」の音変化》魚・青物などを、てんびん棒でかついで売り歩くこと。また、その人。棒商い。振り売り。ぼていふり。 yahoo辞書でしらべる、風情のなさですみません。
畠中 恵 新潮社 2001年
やっと読み始めました!!といっても毎日時間がないので少しずつなのですが・・ 久しぶりにワクワクな本と出合ってしまいました。 虚弱体質が故に真綿にくるまれるようにして大切に育てられている若旦那。 でもその大事に守ってくれているのが「妖」なんですよ。 頼りになるものの、その愛情過多?な可愛がり様で、時々若旦那は窒息しそうなんですが・・ 私も子どもの頃から弱い体質だったのですが、こんな2人?がいてくれたら〜いいような悪いような。 このシリーズは大変人気のようで、続きが沢山出ています。 しばらく楽しめそうです〜〜〜
1年間無理やり通った英会話が本日で終りました。 本当に修行のようでした。
時々、どうしてこんなに嫌いで苦手なのに 高いお金を出して通うのかしら?と自問自答していました。
本当に修行のようです。 でも多少、英語が嫌いではなくなった気がするのでよかったと思う。 あくまで気がするだけです。 実力はまるでダメお・・
親とかが「んでできるようになったの?」とか聞くのですが 無理にきまってるじゃん!!といいたい。 て私だけですか?そうですね。 一生、上達は望めない気がしますww それだけ語学の才能がないということです。
伊藤 理佐 著 文藝春秋 (2007/01)
ダヴィンチの伊坂幸太郎特集でやたらプッシュしていたので、読んで見た。 書評の宣伝文句に「背筋も凍る三十路コミック」とありまして う〜ん、私の生活も背筋も凍るのか〜と思ったり。 でも、私はお酒飲めないから、そこまで背筋も凍ることはないみたいですが・・
やはり冷静な観察眼を持っている人のエッセイとかマンガは楽しいですね。 特に、妙齢お姉さん道でしょうか。 今時どんな洋服を着ていいのかわからない!!というのはこの年代の共通の悩みです。
親しい友人はシビラを愛用しているのですが、よく「そろそろ考えないとかな〜」みたいなこと言うし 私も約10年間、愛用してきたケイタマルヤマが最寄のデパートから消えたとき 考え時が来たのか?神のお告げか?と思いました。
でも、本当にどんな服を着ていいのか、この年頃は難しいのです。 結構、おばちゃん服が嫌いでないので、もっとおばちゃんになったら楽になれそうです。 でも、今はまだそこまで似合わないのです。
そして今、まさに、今ならまだ着れる服を、今だからこそ着たほうがいいのではないかとも思うのです。 だから、またもや「大丈夫かな〜?」のスレスレラインの洋服を買ってしまいました。 新しいお店の新しい店員さんは、似合卯も似合わないもOK出してしまうので、本当に私の目だけが頼りですw 以前、通っていたお店の人は、ちゃんとダメだしもしてくれたし、合うものを教えてくれてたから 本当にありがたかったな〜。
あと何年、今のテイストの洋服が着れるのかわかりません。 だからこそ、今着ておこうと思います。
この本に書かれている、鳥柄、蝶、葉、毛もの、ギャザー、フリル、丸首、どんとこいですよ!
斜め読み「悩み」の正体 香山リカ 2007年
前書きの女性の悩みが一番深刻で、他人ごとでなかったよ。 本文の方は、なるほどね〜と読み飛ばす。 「悩み」があることが人生当たり前。 「平凡な分を知ることが大人」とか当たり前なことばかりで 今、そういう事を受け入れられずに悩んじゃってる人が多いからこその本なんだな〜と余計寒い気もする。 子どもの頃からあらゆる些細なことで悩みまくりだったから、「悩み」がないことのが異常事態であると わかっていたのはよかったのかもしれない。
| 2007年03月17日(土) |
昨日からの続き 「成功のステップ」 |
朱に交われば赤くなるを実践したということでしょうか。
☆成功したポイント ・諦めずに何度か繰り返すうちに、なじんでしまう事があるので、しつこく繰り返す。 ・恐怖だけでなく、安心感も与える。(ギブ&テイク) ・最終的には味方であることをわからせる。(善チームにいたほうが得だということなんですが、善チームが少数だと厳しい) ・比較的予測しやすい未来を常に宣言して、その通りになった時のことを印象付ける。 ・他人から感謝される喜びを、良い事だと認識させる。 ・私が諦めが悪い人間で、気が長かった。(と思われる)
「勝ったのね・・」とヒーローものの最終回のように、平和の序章を感じさせそうですが まだまだ油断はできません。やはり相手は生物ですから。
他人を変えるより、自分から変える〜セオリーです。 自分も変わったら、相手も変わる、ほんまかいな?と思われるかもしれませんが 私は実感しています。10年の実験のせいかがありました。
相手だけが変わったのではありません、私も試行錯誤の末、途中で路線変更したのも大きなポイントです。恐怖政治から緩和政策に変えたのです。
私は仕事において、その判断や方針は全く間違っていないと思っていました。 それはそんな大そうな事ではなく、ごくごく当たり前のマナーや考え方だったからです。 ですが、相手は全くビジネスマナーを教えられていない、しかもきちんと大人になりきれてない人物なのです。 そんな輩に、ごり押し的に自分の正しいと思っている、世間的なマナーを言っても全く効果はないばかりか 年下の女の癖に、何を生意気言ってるのか?!と憤られるだけです。 私が正しいこととか、間違ってることとかは問題ではありません。
まず、私の言う事を聞くことで、メリットがあることを覚えさせることが大事です。 それには、私に対して、過不足ない好意をもってもらう必要があるのです。 こういう大人になりきれてない人は、仕事上でも、まず好き嫌いで判断しがちだからです。 あまり合理的な判断をしてないことが多いのです。
ただあまり、好きになられても、「俺に特別な感情を持ってる!」と思われないようにコントロールすることも重要です。 あくまで仕事上では、協力しあう仲間、決してバカにしたり、否定しないことです。 もしクレームをつけるときも、冷静に、明確な理由と改善案を提供することです。
10年間のうち、5年間は北風作戦で効果なし、その後太陽作戦に変えてから3年くらいで結果がでました。 もちろん、私だけの力ではなく、旧体制の上司があいついで辞め、私と同じレベルのビジネスマナーを持つ人物が加入したので、主流が逆転したのです。
+++
でも、これは奇跡的な成功例なのだとわかっています。 3人のうちの1人は失敗したのです。しかも一番若い人物がダメになってしまいました。
失敗の原因としては、こちら側の原因としては彼が若い分、もっとできるはずと期待した事だと思います。 実際の能力を高く見せようと本人も装っていたので、ハードルを高くしたのがいけなかったと思います。 こちら側の原因としてはそれくらいで、あとは本人の資質によるところが大きいです。
彼はうちの部署で3つ目の部署で、たらいまわしにされてきた人物です。 そのくせ、自分に否はないと思いがちなナルシズムを持っています。 ゆえに、他人に否定的で、他の人間をバカにするのです。(自分もできてない癖に) 自分のミスや不出来を認めようとしません。
つまり素直ではありませんでした。 人が成長する、変われるバロメーターは、この素直さではないでしょうか。 そして、人と関わっていたいと思う心の有無。 成長できた中年男性には、その両方が備わっていました。
私が人事担当なら、そういう点を見て人を取りたいです。 人と話すことが苦手だから、この仕事につきたいという人が多い私の職種ですがそんな人を雇いたい人はないと思います。 相手が何を求めているか、わからないような人、わかろうともしない人は どこへ就職できても、おいていかれるだけだと思います。 余裕のある職場なら、定年までおいておいてくれるかもしれませんが そんな職場ももはやレッドゾーンでしょうしね。
+++ 話はズレましたが、人が変われることは全くないことはない。 この10年で得た結論は私にとって非常に価値のあることだと思います。
〜て書きながら、私って何様なんじゃろうねえ〜〜〜失礼しました。
最近、不思議というかすごいな〜と思うことがよくある。そのうちの1つとして、人の成長についてなのですが周囲のお子さん子どもが大きくなっていくのを自分が年を取るのとあわせて、常にサプライズではあるのですがそうした当たり前のことではなく、大人の成長についてです。
人はなかなか変わらない〜と普段は考えています。 三つ子の魂百までも〜といいますし、長い付き合いの家族や友人など、とくに「変わった!」と思うことはありません。 私自身は結構、変わっているようですが・・それはおいておいて。 (気分屋でマイペースだから時と場所と人によって変化するのは自覚しています。)
中年以上の男性の仕事の仕方とか意識が変わることってあまりないと思っていました。 あまり細かく書くのは憚られるのですが、恐ろしく仕事が出来ない、性格もあまり褒められる点がない、 当然周囲から蔑まれて、放置されている、そんな人物。 そんな人はずっとそのまんまで、良くなることはないだろうと決め付けていました。
でも、今、総合的に見て、かつて私が「ダメだ」と思っていた人物は、「やや良い」に変化した。 それは、周囲の評判や状況からしても、正しい評価だと思います。
感慨深いです。 なぜなら、そのダメな中年男性と私は、長い間、かなりある意味、戦ってきたからです。 私の仕事上で、全く関りがないのなら、放置してもよかったのですが その男性の「ダメ」をほっておくと、私にまで危害が及ぶから仕方なかったのです。
そしておよそ10年間、ダメだしをしつづけました。 同じことを何度も、繰り返し言い聞かせました。 最初は「北風と太陽」でいうのなら、北風ビュビューでした。言葉のムチといってもいいくらいの厳しさでした。 しかし、やはり全く効果はありませんでした。やがてこちらが疲れてきたのと身体を壊したのでいろいろ考えてなんとなく 「太陽作戦」に打って出ました。北風もたまには吹かせるけど、その後に太陽のように、褒めたりするのです。
するとその甲斐あってか、彼はあきらかに良くなりました。 完全にダメがなくなったわけではないのですが、許せる範囲にはなりました。 驚きです!!
そして、面白いというか、おかしな点があるのですが 彼は、私が長年言って聞かせた「ルール」をいつの間にか自分のものにしているのです。 前にも書いたかもしれないのですが、自転車乗れなかった人が、乗ってしまえば乗れてなかったときの事を忘れてしまったように。 「自分は最初からそうしていた」と豪語するのです。
・・・OK、結果オーライです。 たまに、そんな発言をすると唖然としますが、出来ないままでいられるよりずっといいのでOKです。 でも、それは1人や2人ではない。中年男性の数人がそんな感じ・・w 学歴も職歴も年齢も別です。 捉えた野生動物が最初は暴れしていたのに、動物園の暮らしになれたらあっという間に順応していき そこから出て行くことなどありえない〜そんな気もします。と書いたらひどいかな。
個人差はあるけれど、人は毎日のように言い聞かされていたら考えが染まる場合がある。 でも、これって洗脳?w だから、付き合う人は選ばなくてはならないと思います。
続く
| 2007年03月14日(水) |
本「ばっちゃん 助けられた繁殖犬たち」 |
小関佐智・写真 井上夕香 ・文 小学館 2000年
またもやこんな本を読んでしまいました。
私の暮らしている地域は犬を連れている人は皆動物を可愛がっている様子がよく見て取れます。 でも、ペットショップで売ってる子犬たちが、こんな状態から引き離されてきたかもしれないなんてことは ほとんどの人が知らないんでしょうね。私も知らなかった。
100匹以上も子どもを産まされたタイトルのばっちゃん(犬)は どんなひどい目にあっても、人間を恨んでなくて、それがまた泣ける。 そして、沢山産んだ子どもたちを今も思って泣いているばっちゃんが本当に可哀想です。
本当に恐ろしい。人間の所業が。でも、やはり人間たちによって苦しめられた犬たちを助けたのも人間なんだしなあ。 この本は、そういうこともですけど、一番心に残るのは手をかけて、愛情をかけてあげたら、美しくなれるってこと。
劣悪な環境で、見るに耐えない状態にさせられた犬たちが 飼い主の愛情と正しい飼い方で、みるみるあるべき姿に戻っていくこと。 動物たちだけなのかな、人間はどうなんでしょうか。
ばっちゃんが元気になって、生き生きしている写真は何度見ても飽きません。 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B0%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E2%80%95%E5%8A%A9%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B9%81%E6%AE%96%E7%8A%AC%E3%81%9F%E3%81%A1-%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E5%A4%95%E9%A6%99/dp/4097272292
| 2007年03月13日(火) |
断言できる人って・・・ |
私の家族からして、かなり「言い切る」人が多かった。 たとえ間違っていても、自信たっぷりに断言する。 母などは、きっと子育てする場合に、そういう断言が必要だったんかな〜と斟酌しないではないけど 見てきたように、自信たっぷりに間違いを言うのだから、驚きである。
それは、決断を迫られたときの判断ではなく、不確かな未来についてでもなく 一手間をかけて、調べたらわかる事柄であるのですが・・
そんな家族に囲まれて育ったせいか、私は随分と断言することが怖くなってしまった。 「かもしれない〜」「多分、だと思うよ」「私はそう思う」などと逃げ腰である。
前もこんなネタかいたと思うのですが、自信がないから、知らなくても平気〜と慮ってかえって恥をかかせたこともあるしw
今日も職場で、思いっきり、思い込みで押す人がいました。 その件は私も自信がなかったので、早速、調べてみたけど、やはり私の記憶のが正しかった。 それでも、弱腰で「多分〜ですけど」と自信のない私。 基本的に、人間て否定されるのってショックですものね。穏便に行きたいものです。
私の職場は、結構な頻度で思い込みでぐいぐい来る人がいる。 そのたびに、思いっきり疲れる。
それは、小さな頃から、周囲の思い込みに振り回されたからだと思う。 小さな火種が心の中でくすぶってるから、時々それに点火して燃える! そう、決して思い込みで言い切る人は、それほど悪くない・・はず。 ただ単に、私の心が狭いのと、小さい頃からの繰り返しで、私の我慢が擦り切れているのだ。
というか、執念深い私の記憶力がいけないのよね。 頭悪いくせに、どうしてかそういう記憶だけは消えない。
それにしても、ちょっと確認したらわかることなのに 堂々と間違って、言い切って、他人に迷惑かけるほど押す人って面の皮が厚いのでしょうか? 私は恥ずかしいので、「多分〜」「かもしれない〜」とつけてしまいます。 恥の文化を思い出せ!
※あくまで本の名前とか人の名前とか簡単なことです。 「多分、○○だと思うんだけど」といえば、穏便なのに 「○○を出せ!」と強引なのがおかしいとつい思ってしまうのです。
藤原雅彦 新潮社 どっかで読んだわ〜と思うのは、再編集した本であることとこの本を読んだ人が、触発されたか 同時期に、同じようなことを考えて、発言しだした人が沢山いるということでしょう。 このくらいの年齢の方で、自分のなすべきことをしたと自信をもっている方なら皆同じことを言うのだと思う。 なすべきことをなしてない、つまり自信のない人は、まだ模索中だからこそ 現在の状況の原因を探しているのだと思います。それがいいのか、悪いのかわからないけれど。
この本では「武士道」を礼賛しているけど、「反社会学」で「武士道」を疑ったばかりなので複雑w でも、ここでは、前者と後者の「武士道」はまだ違った意味あいがあると思う。 「卑怯を憎む心」が武士道なのであるなら、それはすばらしいのですが
日本国内で今、金属製品が盗まれている(お寺の備品、鐘、公園の休憩所の屋根とか)、 そういう人たちに「卑怯だ」とか言っても、全く通じないよねえ〜
〜グローバリズム、子どもの頃から英語を習わせることは、国際人を育てられない。 これもわかるなあ〜。話すことがなくては話しようもないのだから。 でも、凡人はやっぱり不安だから、やらないよりやったほうがいいのではないのか?と思ってしまうんですよね。 自分が英語で苦労したから、子どもには小さいころからレッスンさせたい!と・・人情ですよね。 話す内容なくても、マニュアルがあれば、OK!ってのはダメですか〜w 国際人にはどちらにしてもならないとして、英会話が得意で仕事にありつけるかもしれないしね〜 小市民は多分、国際人を目指してるんじゃないと思いますよ。 そんな私は英会話のレッスンのときは、かなり無口かもしれませんが・・
一番、納得したのは第三章「自由・平等・民主主義を疑う」 なんの違和感もなくこの章は受けれいれられます。 「真のエリートが必要説」 そうそう、偏差値が高いだけじゃないくて、真の共用を兼ね備えた人格者。 義理人情だけでなく、それこそグローバルに考えて最善を尽くせる人。
でも、民主主義でいないといけないだろうことは、お隣の国を見ればわかること。 民主主義でいて、考え無しで衝動的な「やっちゃえ」な国民をを無視できる、バランスのよい政治家が必要なのです。
「国民は永遠に成熟しない」も多いにうなずきました。 年齢を経たら、誰しも大人になり、尊敬されるべき人間になれるか? 無理です。絶対に。 無駄に年を重ねて、若者に迷惑をかける、悪党のが多いでしょう。 そんなことは社会に出てすぐに学べました。
バカもいれば、賢い人もいる。(学校では成績で判断していたことが、社会に出たらあっという間に覆る) そんな当たり前のことを、当たり前として受け入れることが大事なんじゃないでしょうか。 船頭多くして山登る・・祖母がいつも私に話していました。真にその通りだと思います。
全ての人間が、同じように勉強が出来て、スポーツができる必要などないのです。 平等などこの世にはありません。てゆーか、子どもだって知ってるはずなんだけど 無いものを「あるある」て言い張る大人を子どもたちはどう見てるのでしょうか? 裸の王様か〜。あれって、本当のイヤミな童話ね。すばらしい。
日本の数学レベルが下がったという話も書いてありますが それでもまだ底力が残っているようですよ。先日、朝のバラエティ番組で 日本人はおつりの計算などが速いこと。とある外国人は引き算的に考えてないから ¥755の買い物をして、¥1055出すと、嫌な顔されるといっていました。 まだまだ頑張れそうですね。日本。 でもインドみたいに、10桁の九九をやれといわれたらちょっと凹みそうです。
絵に描いた餅感の強い本ですが、こんな風にアチコチからジャブを出していくことも大事ですものね。
| 2007年03月03日(土) |
斜め読み本◇「なぜ「できる人」は「できる人」を育てられないのか?」 |
吉田典生 日本実業出版社 「できる人」と「できない人」の自己認識の違い 「人々とうまくつきあう上での最大の障害は、自分自身とうまく折り合いがついていないことである」バルザック
最初に開いたページ、この文章が目に飛び込んできました。 私は自分では、「できない人」のカテゴリーに入っていると思う。勉強嫌いだったし、うっかりさんだし、気分屋だからだ。 でも、なんとなくやってる風に見せるのは得意だったかもしれない。 あんまり不出来だと、注目されてしまい、のんびりやってられないから、スレスレのところをキープできる器用さがあったのだと思う。 飛びぬけて出来るとこれまた面倒なことになるから、ずっと普通で、目立たないようにやってきたともいえる。 でも、それをキープすることができたのは、やはりある程度は出来たということか。 社会人になってからは、ほぼ出来る側の方へおいやられる。 相変わらず、そんなに「できない」とわかってるのですが、周囲のレベルや考え方次第で、「普通」が「できる」に化けてしますのでした。 私があくまで「普通」だと思ってることが、周囲では「できる」になっている不思議な現象。 でも、そう決め付けていると、どんどん自分が息苦しくなってきた。 だから、面映いけど「できる」側に立って、考えたら楽になった。
「できる人」になったつもりで、「できない人」に教えるのだ。 もともと「できない人」なんだから、「できない人」の気持ちはわからないではない。
この本を読んでもう少し、勉強したいと思ったのですが、吉とでそうな予感。
| 2007年03月02日(金) |
日垣隆さんの「敢闘言」 |
週刊エコノミストのトップ頁 日垣隆さんの「敢闘言」はいつも面白くて、ニヤリとしてしまう。
3/6特大号では成功の原因を1つに絞ることの愚かしさとともに、元編集者や元営業マンが出す後輩叱正本についてバッサリと斬っている。それらの本の大筋が「編集力の低下」「人間力の低下」にまとめているかららしいのだが、「じゃあ今やってみろ」と結んでいる。
成功のノウハウなどが書かれた本は星の数ほどある。 これだけあるってことは、出せばそこそこ売れるってことなんだろうとうといつも思う。 読んで、本当に実行できたり、役立ったりする本はその中にどれほどあるのだろうか。 時代も違えば、ニーズも違うので、過去の成功のノウハウの中にどれだけ普遍的なものが書かれているのかとも思う。 人生に1冊買うのならまだしも、何十冊と買ってる人はいない、と思いたい。 でも、もしその中の1冊が、お守りみたいに気休めになるのなら、 いくらするのかしらないけど、役に立ったことになるのかもしれない。
女性向けなら、ダイエット、今は風水関連も同じこと。 1冊買って、気休めになるか、もしくは本当に痩せたり、幸運が舞い込んできたら、安いものでしょうね。
2/20号では、いろんな新聞社を薄汚い!ときっぱりかいていて、これも印象的でした。
| 2007年03月01日(木) |
斜め読み本「新卒無業。なぜ、彼らは就職しないのか」 |
大久保幸夫 著 東洋経済新報社 2002年
時々どころではなくって、この10年間、ほぼ毎日、仕事辞めたい・・と思っていた。今も時々やめたくなる。 でも踏みとどまっているのは、曲がりなりにもやりたいと思って資格を取ってまで就いた仕事であること。 年齢のこと。絶望的に転職用スキルなどがないこと(潰しがきかない) この職種で、転職するのなら、また同じ職場環境が待っていると思われるので、正しい判断ではない。 転職して、今よりよくなる可能性は限りなく低いのだ。 それに、他人にも話している通り、人間の嫌な部分を見るのがいやなくらいは我慢しなくてはならないと思ってる。 何より仕事はとても好きなのだから。将来性もあまりないけど、仕事自身は好きであり、やりがいもある。 そして何より、自分の部署では自由がある。努力をする限りは自由が与えられるってことはやはりほかに変えがたい。
仕事の考え方。この本は、日本の若者に仕事というものをどう捉えるか、考える機会を与えてくれると思う。 と同時に、もちろんこの本を読んだ大人たちも、職業、雇用形態、仕事そのものについて考えさせられると思う。 高校生・大学生の仕事感、現状。そしてそれに携わる大人たちとか。 また鵜呑みにしてはいけないのでしょうが、高校の先生の就職に対する本音は、ひどいけどありそうだと思いました。 またまた斜め読みで恐縮ですが、よい本だと思います。
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