樹里ちゃん日記
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2003年02月24日(月) |
花組「エリザベート」(7) |
遠野ヴィンディッシュ嬢、
毎回毎回、なぜか泣けそうになる、なぜだろう?と今でも不思議・・・ 彼女が、お役にのめりこめばのめり込むほどみどりシシィの悲しみが浮かび上がってくる? これでは、ありきたりの感想ですね・・・ 最初の「さあ!」の一声で、もう胸が締め付けられる! あすかちゃんの迫力ある歌声は、心の奥をアツクさせるのに十分だ!
初日から中日くらいまでは、座り込んだあとは、いかにも洋服の腕になにかついているものを何度も取ろうとしていた。 その後は、茶色の花束を同じ場所に座っている患者の(きらりちゃん?)から奪って その花びらが落ちるのをおびえてたりしていた・・ どっちが好きか?と聞かれたら、前半かな〜〜 でも悲しみがより伝わってくるのは後半かな〜
最後に貰うのは、宙組はシシィの黒の扇だったけど、今回星組と同じで花束を貰う。 シシィに頭を抱きかかえてもらう時のあすかヴィンディッシュ嬢のお顔は本当にかわいかった、、、 それだけで泣けそうだった。
その花束の顔をうずめて付き添われて、上手へ消えていくが、その顔はほんとにおだやかというか、かわいかった。 シシィに扇で打ちかかって「おやめなさい〜〜!」と歌うあたりとはまったくの別人だ。 何度か、転びかかったり、転んだとこも見た。 すべったりもしていたし、立ち上がるときにも、あのベージュのきれいなドレスのすそを自分で踏んでいたりしていた。
樹里ちゃんの同期の凌ヴィンディッシュ嬢も鬼気迫るものがあったが、 私は、人情的にも(樹里ちゃんファンでもある)あすかちゃんのまっすぐな若さあふれるあすかヴィンディッシュ嬢が好きだ。 きっと樹里ちゃんがこのお役を演じたとしたら、こんなストレートに感情をぶつけてくるヴィンディッシュ嬢になるにちがいないと思うのだが・・・ (樹里ヴィンディッシュ嬢か・・・かなりでか過ぎて目立ちすぎかな・・・ごめんなさい。)
そして、きらりちゃんで合っているのかな? もうひとりの同じベージュのドレスの”患者(女)”、、公演後半からは、かわいくてなんだか目が離せませんでした。 最後にあすかヴィンディッシュ嬢がちらばいた茶色の花びらをいつも演技として片付けてくれていました。 お客様は見ています。 どんな下級生でも一生懸命なあなたを見つけてくれます♪がんばれ〜
2003年02月20日(木) |
花組「エリザベート」(6) |
花組「エリザベート」(1)〜(4)は頭の中でエリザベートのことしか考えられなかったというか、 それしか考えなかったのでかなりまじめに書いてしまいました。 その後、気持ちが切れてしまったので、今はちょっとお休み中・・・ またそんな状態になったら続きを書きたい?書けるかな?と・・・ 今はどうも無理のようです・・・ (どっちにしろ、たいしたことないのでお断りするほどの物ではありません、失礼しました〜)
では・・・ 革命家3人よりもやっぱり、側近の皆さんの話がしたい! それはなぜかって?(やっぱりルキーニ風で〜)
今回、花組の側近の皆様、最高! 何が最高って、とにかくその・・・ (言っちゃえ!) すけべっぷりが最高で、私のすけべのつぼにはまりまくりです。 ただすけべっぷりが最高ってだけじゃ、ただのその辺のおっさんになるっちゃうけど、 なんて言うか、上級生しかかもし出せない、力がうまく抜けた男役さんの色気っていうのがぷんぷんしていたし・・ もちろん、ひょうきんさも合わせて持つ「側近」の仕上がりにブラボーでした。 どんなことしても、逆立ちしても、下級生には出せない味を上級生の男役さんはかもし出されます。 (その、その上級生の皆さんがどんどんやめていかれるのは悲しい・・・)
最たる役者さんはもちろん磯野グリュンネ♪ 食堂の最初の場面で、 椅子に座りながら、一見(?)、いやそうな顔でお肴ちゃん達を見ている樹里フランツになにやらごにょごにょ話してる磯野グリュンネ・・・ 一度だけ、樹里ちゃんがまじ、素で笑ってたとこを見てしまって〜 それからは、CIAばりに、その磯野グリュンネが何言ってるのか、唇の動きから読み取ろうとがんばりましたが 毎回悲しい努力に終わりましたけど・・(笑) このときばかりは、読唇術でも習いに行きたかったGenmomでした。
いや〜、磯野グリュンネだけでなく、眉月ヒューブナーも「ほら、ほらどうぞ♪」みたいな笑顔で樹里フランツに(行け!行け!)って薦めてくれるし・・・ 特に(もちろん、皆様が見逃すはずないと思っていますが!) オルゴールが鳴り出すと、樹里フランツとマデレーネとドアを開ける鳥ちゃんの風香ちゃんとらんのちゃん以外はストップしていますが その側近の皆さんのポーズ、見逃せませんでしたね。 宝塚でここまでやるか!のもう「・・・・」なポーズ! 樹里フランツのお顔もかなり「・・・・」でしたが、側近の皆さんにはかなり負けていたかも?
磯野グリュンネ、、 とにかくその力抜けた男役さんの色気にやられました。 あさこちゃんも歌劇の「絵と文」で書いてた、 「磯野さんがけだるそうに、”しゃんしゃん”を持っててくださる」っていうのってそういうことですね・・ 男役、極めておられます!
大伴シュヴァルツェンベルグ、、 パレードで大階段を下りてくると必ず客席に「ありがとうございました!」とおしゃっておられました。 それにいつでもうるうるしてしまって・・ずっとずっと拍手を送り続けておりました。 入り出の大伴さんも本当にステキでした。いつも端正なお顔に見とれてしまっておりました。
真丘ラウシャー、、 なかなか注目のお役ですよね。 宙組のパルキーさんはいつもゾフィに扇で頭たたかれてて痛そう!って思っていたけど さすがに夏美ゾフィはそれはしなくて、ほっとしてましたが、 毎回真丘ラウシャー様には「好き好き光線」を送っていたのに気がついてもらえませんでした。 (当たり前だちゅうの・・・)
眉月ヒューブナー、、 一番入り出でお会いしたような気がしていますが、本当にファンの皆様へ向ける笑顔は 我等が姫も負けそうなステキなステキな笑顔でした♪ そしていつお会いしても、隙のない着こなしで・・・かっこいい! あの美しい眉月さんがどんな側近を演じて下さるのかと、始まる前は気になってましたが そこは眉月さん!、きっちりと密告者の顔、食堂での「・・・・」なお顔と見せてくださいました。
悠真ケンペン、、 お若いのにその貫禄はちょっとびっくりでしたが、 樹里ちゃんのDSでお会いした悠真さんはまったく別人でかわいかった♪ どうぞ、極めてくださいね、男役・・・
まだまだ側近の皆様に関しては書き足りないような・・・ 次の機会にぜひ、もっとあつく語りたいです。 では、またです〜
2003年02月17日(月) |
花組「エリザベート」(5) |
Genmomの「思い込み」の感想です。 気楽に読み流していただけたらと思います。 他サイトへの転写等、かたくお断りいたします。 ご要望、苦情等は直接Genmomへお願いいたします。
瀬奈ルキーニ・・・
たぶん、掲示板ではあまり話に載せてなかったと思う。 もともとあさこちゃんは大好きで、もう好きなジェンヌさんの一人であることに間違いはないので 樹里ちゃんともとても仲良しだし、歌劇の絵と文にもしっかり樹里ちゃんを取り上げて下さって・・(うるうる〜) 樹里ちゃん同様、ただ見守る痛いファンとなっていた。
でもごめんね、あさこちゃん・・・正直、初日はあせったよ! しょっぱなのあさこちゃんが「かちんこちん」だから、そのま、一幕ずっと、出演者全員がかちんこちんになっちゃったと思ったよ。 そんなあさこちゃんがかわいくて、観客の皆さんすべてずっと見守ってくれてたよね。きっとそれはあさこちゃんだからだね〜 でも、二幕はすっかり落ち着いてたね。 前回も書いたけど、あなたは、きっちりとさなぎから蝶に変身してくれて・・・ 次はどんな変身を見せてくれるかととても楽しみです。(でも、次は見ないんだった・・・しつこい・・)
どのお役も前任3人いらっしゃる訳で、どんなにがんばってもその方々と比べられてしょうがない・・・ 特にルキーニに関しては、轟さんのルキーニがどの宝塚ファンにも、エリザベートファンにも強く印象が残っているので どんなにがんばっても皆さんが辛口になるのは否めない。 もちろん、りかさん、わたるちゃんのルキーニもかなりというか、えらい濃かったのだし・・
当初、ルキーニは樹里ちゃんかも?の誤報が某スポーツ新聞で流れたが、(笑) もし本当に樹里ちゃんが演じたとしたら、さらにどんな辛口批評が飛び出したかと思うと、どきどきもんだ。
では、こっそり言ってみるけど 樹里ちゃんのルキーニ、見てみたかったよね・・・どんなにあつい濃いルキーニだったことか! それなら、あさこちゃんのルドルフも見てみたかったよね・・・どんなにいとおしいルドルフだったことか! では言いたいけど、おさちゃんのフランツも見てみたかったよね・・・どんなノーブルな美しいフランツだったことか! トート・・・ 皆で役替わりでどうですか?(笑)
2003年02月15日(土) |
花組「エリザベート」(4) |
ご批判は覚悟です・・・・
樹里・フランツ・・・ 今まで掲示板で語ってきた樹里フランツについてはあくまで「樹里ちゃんファンGenmom」としてだ。 だから、樹里フランツについて書き込みは、他ファンから見れば「甘すぎる」と言われ当然だと思う。 樹里ちゃんファンの中でも正直に樹里フランツについての不安や課題を書いて下さった方もいたが 私はあえて書かなかったし書くつもりもなかった。 それは、樹里ちゃん自身がわかっていることだと思ったからだ。 公演が始まる前や始まってからのインタビューでも、彼女は歌の難しさや、低音が出ないきつさを正直に話していた。 もう樹里ちゃんファンを自称する方々なら、口に出さずとも全員がそのことを心配していたし、 「だいじょうぶ!」と言い切りつつも、心の奥底にずしっとその重さを抱えていたにちがいない。
正直に書きたいと思う。許して欲しい。 初日・・・ まだだ・・・と思った。 まだ、樹里フランツは出来上がっていない・・・ 「いつでも、初日は出来が悪くて心配させるが、二回目になったら別人だから!」と聞いているのでその言葉にかけた。 二日目・・・ 確かに別人だった!声も伸びていた。お芝居も伸び伸びと大きくなった。 でもそれは、花組すべての出演者にあてはまることで、樹里フランツだけのことではなかった。 春野トート、大鳥シシィは最初から、完成の域に達していたと思う程だったから余計に気にかかった。 後は、樹里フランツと瀬奈ルキーニがどこまで持って行けるかにかかっていると思った。
そして確かにその時はやって来たのだ! 樹里フランツが変わった! 明らかに変わった日がどの日だとは毎日見ていたわけではないので断言出来ないが、その頃を境に大きく変わったのだ! 10日から2週間目の公演、樹里日記をもう一度読み返すと確かにあつく書き込んであるあの頃だと思う。 ルドルフとの場面の変化には、かなりのショックを受けた。 そして、1部最後の鏡の間のソロ! 歌よりもなによりも、樹里フランツの存在がしゃべらなくても立ってるだけでも皇帝の葛藤や苦悩を漂わせ始めたのだ。 これは、「Cafe Break」で樹里ちゃん自身が語っていたことに通じる。
樹里ちゃんはグラフのインタビューで、月組時代に真ん中のトップを立てる為の芝居を叩き込まれたと話していた。 私の友人はこれを読んで涙が出たと言った。 「なんで?」と聞く私に「それは脇役の立場を叩き込まれたと言っているのと同じだ」と教えてくれた。 もちろんそれは、かなり下級生の話であることはまちがいないけれど・・ そういうことなのか・・・ 私が樹里ファンを公言するようになったのは、「FREEDOM」からなので、 もうスターとしての樹里ちゃんのファンになった訳で・・・ まあ、そのあとに「源ちゃん」の扱いに「?」が飛び交ったのは確かだけど。
前置きが長くなったが、 それまでは樹里フランツは他の出演者のみどりシシィや春野トートがいると、脇へ脇へ回ろうとするというか、一歩引いている印象があった。 それがその「叩き込まれた脇役」のせいだったのかどうかは知る由もない。
ただ、樹里フランツが変わった!それは真ん中にいる樹里フランツの違和感がなくなり、堂々とその空間を樹里フランツ色にしていた。 そのことで、皇帝の誇りと貫禄も感じられ、父としての憤りも強く漂わせて、 そしてさらに、シシィへの愛と皇帝の立場との葛藤が際立っていた。 さらにそのことが、最終答弁でのトートとの対決を鮮やかなものとしていた。 それにあわせて、歌も磨きがかかっていったと思う。 DVDでの樹里フランツの歌にはまったく文句はない。聴かせてくれる!いい!
そして時を同じくして瀬奈ルキーニも変わった。 とにかく瀬奈ルキーニもある日まったく違う役者のように舞台に息ずいていた。 感動だった! 樹里フランツも瀬奈ルキーニも自分自身との戦いに勝ったのだ。 そう思いたい! 今までのフランツやルキーニと比べてまだだと思われる方も少なからずいらっしゃるだろう。 まだまだ進歩の余地もあるだろう。 でもこの進化はきちんと認めたいと思うし、評価に値するものだと思ってもよいのではないだろうか。
2003年02月14日(金) |
花組「エリザベート」(3) |
トート・・・ エリザベートを語る時、トートをはずしては語れない。 大劇場初日の春野トートには、正直、やられた!と思った。 ここまで、歌える方だとは露思わず、ガーンと頭をなぐられた想いだった。 誰もが緊張していたし、春野トートもしかりだったと思うが、返ってういういしく、清楚な透明感あふれるトートだったと記憶している。 歌唱力は申し分なかった。もしかしたら、(姿月トートの歌唱力を上回るか?)の衝撃だった。 花組は、正直あまり観劇していなかったこともあり、春野さんの歌唱力を甘く見ていた・・・ 「ミケランジェロ・VIVA!」の公演を観劇しているにもかかわらず、それをきちんと認識出来なかったのは恥ずかしい。 この歌唱力を持つ者に、「エリザベート」でお披露目を!!と望むのは当然のことだ。 エリザの初日にして、すっかり「春野・花組」次回作も見せていただきたい状態になったGenmom・・・ (でも、ごめんなさい、次回は日本物の為、パス・・・)
しかし、日を追うごとに変化して行く春野トート・・ 感情表現が豊かになり、トートの悲しみや悔しさや怒りやもどかしさがその表情にあふれるようになる。 それはそれでいいと思う・・・ ただ、私が初日以降の神々しいまでも透明なトートに魅せられていたのでそれがもうひとつ気に入らない。 笑わないでいて欲しかった。目の開き方だけ、眉ひとつの動かし方だけでその者の感情を2400席の劇場の最後部の座席のお客様に伝えることは無理なんだろう。 と同時に、シシィと対峙するトートは、どんどん激しくなっていった。 シシィの言葉に揺れ動くトートの心が手に取るようにわかるようになる。 でも、私は、いやなのだ! 笑わないで、感情をほとばらせないで欲しいのだ。 (私のわがままです。わかっています。)
2003年02月13日(木) |
花組「エリザベート」(2) |
この「闘う」っていうのが、私には今回のキーポイントになっている。 花総シシィは、トートとあまり目を合わせていなかったのではないかと思うほど トートから、逃げていたような印象が強い。 白城シシィは実際の舞台は一度しかみていないが、「闘う」って言葉は似合わないような気がする。 この二人に比べて、大鳥シシイは、正面きって、トート様を見据えていた。闘っていた。 みどりちゃんは、公演の前にドイツの「エリザベート」を観劇していて、その強いシシィに出会い、 みどりちゃんの演じようとするシシィの外枠が固まったのではないかと思うのだが、さだかではないのであしからず。 特に、春野トートと二人の場面ではこの印象が強くなる。 お二人とも、歌がすばらしくうまいのでその印象がさらに増長されているかもしれない。 大劇場では、会場全体が「息をのむ」って体験は今回の花組「エリザベート」では味わえなかったが、 東京お茶会時の観劇2回とも、この貴重な体験をさせてもらった! これだ!この居ても立ってもいられないぞくぞく感がたまらないのだ。
これと同じ、いや、もっとすごかったと記憶しているのは、姿月トートの「エリザベート」の阪急貸切の時に味わった。 観客の皆さんの息さえ聞こえてきそうな静けさの中、姿月トートの歌が始まったとたん、観客の興奮が津波のようにうねりを上げて、 会場の後ろから舞台をめがけて大きな波となり駆け抜けていったような錯覚にとらわれた事があった。 この時の感想を話しても「ええ〜?」って笑われたが、私にしたらすごい体験となって今でもはっきりと体の感触と共に記憶に残っている。
1月中旬の東京「エリザベート」観劇2回ともこうだったのだから、楽近くの舞台はすごかったであろう・・ 大鳥シシィはやっぱり闘ってくれた。 そうだ、シシィは真実の愛を得るために、闘うのだ。 旅に出ている時でさえ、大鳥シシィは逃げているとは思えないのだ。 闘っているからこそ、その自分とも戦うために旅しているとしか思えない。
フランツ・・ 彼も闘う! 和央フランツが高貴な生まれのおだやかな印象が強いせいか、樹里フランツは闘うフランツだ。 600年の重みと、母からの束縛と、自分のなすべき仕事と、シシイへの愛とのはざまでの葛藤と・・・ 樹里フランツは、自分と戦う、自分を縛るものとシシィへの愛を示すこととは正反対のものなので シシィに自分の愛を示すためには、それらから来る葛藤と、フランツ陛下は闘わなくてはならないのだ。 最終答弁の陛下は一番あつくトートと闘っている。今までのどのフランツよりもあつい!(と思うのだが・・・) あつい血が流れるフランツ陛下、これこそ樹里フランツだ。
2003年02月12日(水) |
花組「エリザベート」(1) |
「エリザベート」・・・私を、いつも愛のラヴィリンスに誘うこの言葉・・・ 大きなテーマが「エリザベート」の中にはある。
「愛」だ! その愛はもちろん様々な形を現しながら、「エリザベート」の中から私に問いかけているのだ。
男と女の愛・・・ 結婚を決めてその男と結婚をする。女は生涯をその男と暮らし、添い遂げることを誓う・・・ なぜ、その男が自分の、真実の、最高の愛を育てる相手であるとなぜ、確信が持てるのか? 女には、それがない・・・この男が私の真実の愛の相手なのか?といつも問うてしまう・・
トートは女にとっては真実の愛の象徴として、君臨している。 女の結婚生活をいつも脅かしながら、女を追いかけ続けると言い切る男・・・ この男が真実の愛を求めるのなら、自分はこの男といっしょにいるのが本当の居場所ではないか?と自分に問いかけてなにが悪い? 夫として今一緒に居るこの男は、実はまやかしだったのではないか?と疑って何が悪い? だから、女にはトートが真実の愛の象徴となる。
しかし、 女は「スカーレット」にはなりたくはないのだ。 自分を愛するもの、自分にふさわしい男、自分に似合いの男を見間違えていないか? こんなにそばにいて自分を想う気持ちに気がつかないで、夢の中の理想の男だけを追い続けてはいないか? それが、女にとっての「フランツ」なのだ。
真実の愛の象徴と思うがあまり、本当の慈しみの愛を与え続けるフランツの愛になぜ気がつかないのか? なぜ、目をそむけようとするのか?
いや、フランツの愛には十分気がついている。 ただ、その愛の表現が、足りない! もっと、愛を言葉にして欲しい、もっと君を愛しているとささやいて欲しい。 愛を行動で示して欲しいのだ。 女は貪欲だ。愛が必要と言い続け、求め続ける。とにかく愛されていると実感したい。 いつも愛におぼれていたいのだ。 そう、 フランツ(夫)と腕を組みながら、その肩越しにトート(真実の愛の場所)を見つめる・・これが女、自分だ!
シシィは、女性の観客のとって、自分自身なのだ。 幸せな結婚生活のはずが、夫意外のしがらみから夫との愛とだんだんとすれ違う悲しさ・・・ それを感じているから、シシィに共感してしてしまう。
花組「エリザベート」の功績は、すべての主人公達が「戦っている」と言うことを知らしめたことだと思う。 シシィ、トート、フランツ、ルキーニ、ルドルフ、ゾフィ・・・ 皆が真実を求めて、愛を求めて戦っている・・ 花組「エリザベート」はそういった意味で、一体感(?)が感じられにくいのかもしれない。 それは、それぞれがひたむきに自分を見つめながら、歯を食いしばって真実の愛を勝ち得るために戦っているからだと思う・・・
以前、トートの愛イコールフランツの愛だと言ったことがある。 なぜなら、トートもフランツも同じ真実の愛を求めているってことに他ならないからだ。 だから二つは私にしたら同じもので、最終的にシシィがトートと結ばれても、それが真実の愛を求めた結果だったのだから・・
だから、大鳥シシィの「戦うシシィ」は、私には最高のシシィなのだ。 私の化身として、夫と戦い、姑と戦い、真実の愛を叫ぶトートと戦う。 真実の愛を勝ち得るためにシシィ(私)も戦うのだ!
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