ゼロの視点
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2003年09月29日(月) 漢字

 昨日の日記にも書いたように、完全な鬱モードに入っている我が姑様。

 本日の午後、郵便受けを見ると、姑からの手紙が入っていた。


 メール世代でもなく、昔から手紙を長々を書くことを趣味としている姑。さすがにジャーナリストの妻として、以前は毎日夫の原稿チェックしていただけあって、本当にフランス語(つまりは彼女の母国語)には強い。語彙も、ものすごく豊富。

 さて、本日受け取った手紙は、私宛。もう息子に電話かけても、手紙書いても思うような感触を得られなくなった今、思うままをありったけぶつけた手紙をあらゆる人に送りつづける姑。

 わしの夫は以前10年ほど中国に住んでいて、強烈な漢字おたく。そして姑からみれば、長男の息子が同じ漢字を用いる日本人だということを意識しての手紙だった。

 いったいどこでどうやって覚えたのかわらないが、彼女の手紙には、読みにくい手書きの文字の中、とある漢字が書いてあるではないかっ!!。



 その漢字とは・・・・・・・。まさに“姑”。




 我が目を疑いつつ、何度も彼女が書いた漢字を確認してみるが、それはまさしく姑、という漢字。うおおおおおっ。

 自分の息子にさんざん、漢字の成り立ちの話を聞かされてきた我が姑は、今度は、この漢字を書いて、私に成り立ちの意味を求めてきていた。さて、どうしようか・・・・・?、と迷っているところに、手紙が着いた頃を見計らった姑からの電話。

姑「お手紙ついたかしら?。」

私「ええ、それにしても漢字を自ら書くなんて、スゴイですわねっ」

姑「うまく書けていたかしら?。」

私「もう、あまりにもお上手で感激してしまいました、私(典型的日本人的おせじ)」

姑「ところで、漢字の意味が知りたいのだけれど」

私「左が女、という意味ですね・・・・。そして右が、直訳でいうと古いという意味ですな」

姑「ということは、どういうことなの?。」

私「つまり、女も年老いて、終わっちゃったという意味ですね」


 ここで、傍と気がついた私。日本人的お世辞を発揮しながら、ついつい調子にのって、漢字“姑”の説明をしすぎていた・・・・・(滝汗)。時、すでに遅し・・・・・。

 姑は、泣き声になっている・・・・・。すまん、夫よ。どうやら傷口に塩をぬりこんでしまったようだ。


2003年09月28日(日) Les eaux de Versailles

 午後、PCの前に座っていると、この部屋から一番遠いはずの部屋から夫の激しい話し声が聞こえてくる。夫殿は、激昂している。

 興味津々にその部屋へ、抜き足差し足で近づいてみると、やっぱり夫の話し相手は彼のママン(つまりはわしの姑さま)だった。


 ここのところ、激しく鬱モードの突入している姑は、考え方が強烈にネガティブなっていて、口から出てくる言葉はみんな愚痴、社会批判、息子批判等、なんでもあり。一人暮らしで周期的に襲ってくる“どうしようもない寂しさ”がマグマとなって、噴き上がる、という感じ。私は、これをレンヌ群発地震と呼んでいる。

 夫は、私と同じく、親孝行をまったくしていないことにかなりの罪悪感を感じながらも、長いこと電話で彼女の愚痴を聞いているうちに逆ギレしてしまうというのがパターン。彼の姿をみていてると、まるで自分の姿を彷彿させるので恐ろしいこともある(汗)。

 そして、本日は愚痴を吐き出すだけじゃなくて、電話口で姑は泣きじゃくりはじめた。夫は、どうしようもなくなって、深いため息をつき、受話器を遠くに離して、およそ15秒間隔ぐらいで、適当に相槌を打つ。息子がもしかしたら真面目に聞いてもいない?、等ということにも気付かず、泣きながら延々と寂しさや、今までの人生で報われなかったことなどを話しつづける姑。

 しかし、受話器を遠くに置いても、不思議なことにちゃんと聞こえるくらい大きな声で姑が泣きじゃくっているので、入口でこの親子の会話を観察している私も、彼女が何を言っているのかだいたい聞こえてくる。

 夫はそれでも、なんどかポジティブに物事を見られるような考え方を薦めるものの、姑はそれをことごとくバッサリ切り捨て、泣き止まない。そして、お決まりの夫の逆ギレ、というわけだ。

夫「ママン、もう58分もボクはママンの独白を聞いてるんだよ・・・」

ママン「あなたがもっと怠け者じゃなかったら、人生においてもっと成功していたかもしれないのに・・・・・シクシク」

夫「ボクは充分楽しい人生を送っているんだっ!!、大きなお世話」

ママン「こんなに色々としてあげたのに、私は一人ぼっち・・・・。おまけにあなたは、私の言うことをまったく聞こうともしない」

夫「もうずうっと、クソ面白くもないママンの泣き言を今だってきいているだろっ、ギャーーーーーー(発狂のおと)」

ママン「ああ・・・・・。私はこうやって息子にも見放されて、たったひとりで死んでいくのよ・・・・・」

夫「ピーピーとよくも泣いていられるなっ!!。よくそこまで水分があるもんだっ、くそ。まるでヴェルサイユ宮殿の噴水みたいに、目からビュービュー涙流してんじゃねえよっ!!!!!!!!」


 ヴェルサイユ宮殿の噴水ねえ・・・・・。言われてみれば、確かに。夫もフランス国内とはいえ、遠距離での母親のサポートに四苦八苦しているようだ。仲間発見。


2003年09月25日(木) 人生いろいろ

 午前中、30代日本人女性M嬢と、アメリカ人C(フランス国籍保持者でもある)の結婚式に出席。M嬢は着物、Cはスワロウテイルというイデタチ。

 もともとCは、夫の友人だったのだが、しばらく互いに連絡をとらずにいた期間に、それぞれが日本人女性と知り合っていた、という奇妙な縁。どこからか、Cも日本人女性と暮らしているという噂が入ってきて、“それじゃ、久しぶりに会ってみよう”ということになり、以来、私もM嬢と同じ世代なことも重なり、かなり仲良くなっていった。

 そして、本日の彼らの結婚式。二人とも本当に幸せそうで、ほのぼのとした式だった。M嬢以上に、Cがあまりにも嬉しそうだったのが、妙に笑えた。

 その後、区役所前の高台の公園で参加者一同でシャンパンで乾杯したあと、彼らの家に移動。移動中にすっかり意気投合してしまった、香港出身の中国人女性と色々なことを話す。彼女は、本当に“綺麗な典型的中国人”という感じ。わかるかな、こんな形容で・・・・・。非常に気品があって、話している間に、何度も彼女の顔をまじまじと眺めてしまった私であった。

 シャンパンをほどよく飲むと、さて、いつものように色々な人に話し掛けてみる。今じゃ、すっかり夫以上にパーティー中、人から人へ渡り歩くようになってしまったな・・・・、とちょっと焦りながらも、もう習慣になってしまったので、やめられない(汗)。

 会場がスッカリ盛り上がってきたところで、ようやく昼休みで仕事を抜け出してきた夫が合流。しかし、すぐ会社に戻らなくてはならない夫は、会場に着くや否や、銃弾爆撃のように、まずすべての女性陣に挨拶を口実に話し掛け、そのあとCのアメリカからやってきている両親に、話し掛ける。

 次に、女性陣をすべて集めて、その真中に夫は陣取り、自分の大好きなこの構図で、夫にとってはどうでもいい男性にカメラを渡し、記念撮影。さすがに、本日は、Cの結婚式だと、ふと思い出したように、Cにも女性陣に囲まれて写真を撮ってみないか?、と薦める夫・・・・。その勢いに乗せられて、Cもちゃっかり真中に陣取って写真を撮ってもらい、笑顔になっている。

 撮りたいだけ写真を撮ると、時間のない夫は、次々の残りの人(男性陣も含む)すべてと短いトークという、またまた絨毯爆撃開始。私もかなりの人とコンタクトをとる人間だが、あらためて、この短時間で“自分のペース”で他人を巻き込んでまで、やりたいようにやっていく夫の姿を、あっけにとられて見るのが精一杯。そして、この男はスッキリとした表情で会社に戻っていった・・・・。

 あとから、“あの人なにもの?”と数人の人に尋ねられたのは言うまでもない。

 午後4時に家に戻り、日本の母親に電話。相変わらず(当然だが)マルチンのことで悲しみのどん底。聞いているうちにこっちも再び、どん底になってくる。ま、焦ってもしかたがないのだが。


 一休みして、今晩こそは仕事をしようっ!!(ずうっと仕事放ってあったので)と思い机に向かうと、一歩の電話が・・・・。友人Aだ。

 彼は40代後半のビジネスマンで、世界中を飛び回っている。いつもどこにいるのか全くわからない。ふと旅先から電話がかかってくるというのが常。本日は近場で、ストラスブールからドイツへ抜ける運転途中とのこと。

 Aは既婚者(18年目)。世界中を飛び回る夫に対して、彼の妻は自宅で静かに暮らすのを好む。旅先での浮気は、妻からOKをもらっている。バイタリティに溢れすぎているともいえるAは、もちろん性的にも強靭。ゆえに、妻がもう相手をすると身体がもたんっ!!、ということでOKを出したのがすべての始まり。

 Aは、非常にスマートに遊んでいた。が、昨年ひとりの女性Mに出会ってしまった。7月に彼らと一緒に食事した時には、MがAをあまりにもうっとりとした目でみつめ、それをまんざらでもない感じで受け止めているAを見て、もしや?、と思ったものである。

 そうしたら、案の定・・・・・・。どうやら、Aは、すぐとはいわないが、真面目に妻との離婚の可能性を考えていると、告白してくるではないかっ!!。なるほどね。その後、あーだこーだと人生の話を二人で延々として、電話がかかってきた時点でストラスブールにいたAは、目的地であるシュツットガルトの手前まできていた・・・・・・。

 また本日も、仕事しない記録を更新してしまいそうな予感。

 それにしても、結婚式の後に、離婚の話、やりたいようにやる夫、そして悲しみのどん底の我が母・・・・、人生いろいろですな・・・・・・・。目が回りそうだ(汗)。


2003年09月24日(水) 死に目に会うということ

 私は、幸か不幸か、一度も“死に目に会う”という経験がない。

 1967年の6月に生を受け、生まれてはじめての永遠の別れというものは、私の母方のおじいちゃん、だったはずだ・・・・・。でも、私はおじいちゃんの顔の見れば、火がついたように泣き叫び(なんでこんな拒絶反応を示したのだろう、おじいちゃんごめんなさい)、私の物心つくまえにおじいちゃんが亡くなってしまったので、何も覚えていない。

 2度めは父の姉、つまり私のおばである。彼女は1973年の4月頃、たった一人で自宅で亡くなっていた。生涯を独身で過ごし、親族たりとも自宅に一度もあげることのなかった不思議なおば・・・・・。ゆえに、おばが亡くなったと聞かされても、当時6歳未満の私には、受け止めようがなかった。

 そして、その3ヵ月後、私の父が亡くなった。とある日曜日の午後、突然父の具合が悪くなり、救急車で運ばれていったのだが、まさかそこまで重大ごとになるとは思っていなかった母の配慮により、私は近所の友人の家に一時的に預けられていた。そして、数時間後、何の説明もうけず、とりあえず父が運ばれた病院に連れていかれ、そこで冷たくなった父と対面。しかし、そこでそれ以上の劇的な感情というものは感じられなかった。ああ、なーーんだ、おとうさんはいつもように、病に伏しているのね、っていう感じの延長。

 父の葬式は、信じられない程の人がやってきて、正直私は思いっきり飽きていた。私の横では恐らく母は神妙な顔をしていたのだろうが、私としては、父の年齢(1920年生まれ)に対して、あまりにも小さい子供を不憫に思って、あらゆる人が、当時はやっていた“りかちゃん”人形を持ってきてくれて、それで遊ぶのが必死だった・・・・・(汗)。

 その次は、私が10歳くらいのころ。父の兄が亡くなった。父と同じような顔をした人だったが、だからといってそれほど執着していたわけではないので、母に連れられて、青山斎場であった葬式にクールに連れられていったことだけしか覚えていない。

 そして、かなりたって、私が社会人になって少したった頃、おばあちゃん(私の母の母親)が痴呆の末亡くなった。今、思うと、私はおばあちゃんが亡くなったという時間は、その頃つきあっていた♂と、ラブホテルにいたはずだ・・・・・(滝汗)。家にも帰らず、そのまま前日と同じ格好で会社に出勤すると、“祖母が亡くなる”という連絡を受け、真っ青になって会社を早退、そして通夜の場所に駆けつけた。

 さすがに、おばあちゃんの場合は、私のおばあちゃん、として認識はしていたものの、他の従妹達と比べて、一番なついていなかった私ゆえ、皆がワンワン泣いている横で、一人感情の発露も素直にできず、どうしていいのかまったくわからずその場を過ごした・・・・・、というのが今でも鮮明に覚えていること。

 そして・・・・・・。長い時間をおいて、今回の愛犬マルチンの旅立ち。今回もまたまた死に目に会えずに終わってしまったが、はじめて“死”という告知を受けて、思いっきり泣いてしまった。もう、目は腫れるはで人前には出られない様態。

 でも、今回も死に目に会っていないので、アタマのどこかでマルチンが亡くなったという事実を受け止めて泣くことはできても、その一方、どうそれを受け取っていいのかわからない私がいることは事実。

 その逆で、私の母は、色々な人の死に目に会っている。自分の姉、義理の姉(つまりは私の父の姉、上記)の検死、夫をはじめとして、それら事実を知った若かりし日の私は、母のことを“見取り名人”とからかい、激しい母の怒りを買ったものだ。

 そして、今思う・・・・・。またもや、マルチンは、母の腕の中で死んでいった・・・・、ということ。もちろん、私がすでに家を出てしまった今まで、母はマルチンとずっと一対一で暮らしてきていた。それだけ密着した生活を送り、愛情を注ぎ、その相手が自分の腕の中で静かに息を引き取っていくという衝撃。

 正直、私には想像できない。しかし、ある意味では、母は生と死の狭間を言葉を超えて体感しているわけだ。ゆえにショックも大きいが、心のどこかで整理がつくのかもしれない。それでも、まだマルチンが亡くなって数日しか経っていないので、母の精神的混乱は激しい。とはいえ、だ・・・・・・。

 ここに、近親者の死、ということに対する激しい温度差が私と母との間にはある。そう易々と越えられるものではないな・・・、と、あらためて思う。どちらがいいのか、さっぱりわからないが、だ。ま、そういう問題以前なのだが・・・・。

 だが、今回一つだけ、ようやく母の立場がわかったような気がした。思うに、私の父、つまりは母の夫が亡くなった時、母はそれをたいそう悲しいとお思ったとはいえ、自分でその感情を味わい尽くすまでもなく、残された自分と
幼い子供(つまりは私)と、どうやって生きていくか?、ということに考えを集中させなくていけなかっただろう、ということ。

 時を経て、どうやらこの役目は交代したようだ・・・・・・。現在、マルチンの死を自分でも受け止めていいのかわからずも、その一方でとうとう一人ぼっちで残されてしまった母の精神的ケアを考えると、易々と感傷には浸っていられない、という私の実状。そして、仕事だ、なんだと色々とやることがありすぎて、それを最低限こなしているだけで、哀しさとはまったく違う次元にいざるを得ない。

 私が何故、今ごろになってよく母親のことを考えるか?!?!?!?!。それは、今まで散々好き勝手にやってきた、という罪悪感から。今まで存分に親孝行だった人間は、こんな感じで親のことを考えることはないような気がする。

 ゆえに、今、最低限母親にできることは何か?!?!?!、と執拗に考えてしまうところがある。そうじゃないと、なにもできずにこのまま母に死なれてしまったら、一生“私がうかばれないっ”というもの。

 今まで、私の分まで散々死に目に会うという役目を一人で担ってきた母。今私が提案できるのは、彼女が留まってきた(留まるざるを得なかった)場所から、一時的にも解放させること。例えば、今まで17年と8ヶ月マルチンの世話をし、散歩をし、ゆえに旅行という自由さへなかった母に、はじめてパリに呼び寄せてみよう、ということである。

 今、マルチンの死後数日で混乱している母とはいえ、毎日説得を続け、12月初旬には、パリになんとしても呼び寄せて、実の娘の現在の生活を披露するだけでも、また彼女に新しい視点を与えられるのではないか?、という期待・・・・。そして、それを通して、実際には、想像以上にパリと日本というのが、そんなに遠くないということを気楽にわかってもらいたい、という私のエゴもあるわけだ。

 さて、どうなることやら・・・・・・・・・。




追伸、メールを送ってくれた方、そして掲示板に書き込みをしてくれた方、今週末には、なんとか余裕ができると思うので、申し訳ないですが、お待ちくださいませ・・・・・。たくさんの方の、マルチンの死への励まし等、本当に激しく感動させてもらっている、ゼロであります。メルシー・ボクー。

 

 

 

 


2003年09月22日(月) 末期の水

 ぬくもり、匂い、感触、声、挙動、寝息、爪先に至るまで、近くにいなくとも“あたかも目の前にいるように”思い出せることのできる、私の愛犬・マルチン(詳細は、2月22日の日記参照)。

 里帰りをして、実家を離れるたびに、また今度も絶対マルチンに会えると言い聞かせながら、本当にこれが最後だったら・・・・、と揺れる気持ち。

 マルチンがスヤスヤと床に転がって寝ているのを見ると、ついついそれに引き込まれるかのように、私も倒れこみ、そのまま床で寝てしまうことは日常茶飯事。そのうち、マルチンが私の身体の一部に必ずくっついてくる・・・・。

 飽きるほどやったボール投げ。マルチンが飽きるまで、それとも、私が飽きるまで、それは定かでないが、本当によくやった。

 非常に自分勝手で、あきらかに自分の意志を持って、嫌なことは嫌と伝えるマルチン。誰がナント言おうと、自分で自分のスケジュールを決め(気ままに)、庭を縦横無尽に走り、太陽の動きに合わせ、時には日向、時には日陰を選び昼寝をし、夜は、家に入り、遊ぶだけ遊んで、熟睡する・・・・。



 マルチンには、私の母と、私、そしてもう一人の事実上の飼い主兼お友達がいた。それは私の親友M。マルチンが本当に大好きだった人。9月15日の日曜日の午後に、母から一本の電話が入った。

母「マルチンの足が、体重を支えられないのか、スルスルっと、開いていっちゃって、そのまま座り込んじゃうのよ・・・・。どうしようかしら・・・」

という内容のものだった。日本の休日のことなどスッカリ忘れていたので、16日も休みだとは知らず、母親にマルチンを連れて病院に行け・・・、と動揺して意味不明に威張ったふうに命令したのが、ついさっきのように感じる。

 電話を切った後、なぜか不安を口にするともっと事態が最悪になるような気がして、誰にも言わない・・・・、と思った。でも、親友Mだけには、伝えておこうと思って、彼女の携帯に端的なメールを打っておいた。

 その後母は、連休あけにマルチンを連れて獣医のところを訪れ、水もスポイトで飲ませ、元気を取り戻してきたような感じを伝えてきた。まだヨロヨロしているが、それでも散歩もするし、自力で排便は出来ているという。そんな知らせに、“ああ、ちょっと体調を崩しただけなのかな”と思っていた。というより、なにより、そう思いたかったのだと思う・・・・・。

 そして、昨日の夕方にM嬢よりメールの返信があった。タイトルは“マルチンに会ってきたよ”というもの。ドキドキしながらメールを読み始める。何度も何度も読み返す。でも、よくわからないし、わかりたくない。

 M嬢は

『返信をさっさとしちゃうと、嫌なことが現実になってしまうような気がして、しなかったの、ゴメンね。でも、私の妙な願掛けが効いたのかどうかわからないけれど、今さっき、マルチンと会ってきたよ。でも本当にどうしようもなく気になってさっき、ゼロの実家に行ってきた。最期がそんなに遠くないことを痛いほど感じたよ・・・・。誰があんなに元気だったマルチンの寝たきりの姿を想像しただろう・・・・・。涙、涙で、マルチンのことを思い出話としてお互いに話す日は遠くない気がする・・・・。』

 という内容だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 日本は夜中なので、母には電話しかねる。こちらの時間で夜中の12時が過ぎるのをひたすら待つ。その間、何もなかったように振舞っている私。そして、日本時間の午前7時過ぎに母に電話すると、さっきまでマルチンが吼えまくって「水をくれっ!!」と暴れていたということ。それを聞いて、ホッとする。たくさん、たくさん、水を飲ませてあげたら、落ち着いて、今はグッスリ寝ているとのこと。母はそんなマルチンの横で私と電話で話しているというわけだ。

 マルチンは、晩年老犬になったせいか、非常に早起きになっていた。母と電話で話しているときは、

母「マルチンがまだ起きてないのよ」
私「でも、ちゃんと息しているんでしょ?。」
母「ちょっと待ってね、今確認してみるは・・・、ああ、ちゃんとしているわよ、よかった・・・・・。」

というような状況だった。

 その電話のあと、堰を切ったように、はじめてこの話を夫にする。話をしながら、まだマルチンは生きているのに、涙がボロボロとこぼれてくる。

 そのあと、M嬢に電話。事態を考えて私はすでに一刻でも早く帰れる飛行機を探していたのだが、どうしても正規料金以外で里帰りするには、最低予約の7日後の出発しかない。ゆえに、現実を見てきたM嬢の証言が必要だったのだ。M嬢曰く、でも、1週間は持つんじゃないか?、という感触(もちろん母も同じだった)を得て、気分的に落ち着いて眠りについたのがパリ時間で午前3時だった。

 浅い眠りのあと、母に電話するとマルチンは既にこの世の犬ではなかった。私がホッとして眠りについたのとほぼ同時に、マルチンは永遠の眠りについていた・・・・・・・。暴れて水を飲んで、グッスリと寝たマルチンは、そのままいつものように、起き上がることはなかった・・・・・。

 享年17歳とほぼ8ヶ月。1986年4月に生後2ヶ月で我が家にやってきてマルチンは、こうして大往生を遂げた。

 大病もせず、死ぬ少し前まで元気に散歩をし、寝たきり老犬となって悲惨な姿を晒すこともなく、晩年大好きだった場所で天国へ旅立っていってしまった。妙にプライドの高かったマルチンらしい、旅立ちかただったのかもしれない。

 今年日本の夏は、暑くなかったと聞いている。それに反してフランスは猛暑だった。実はここ数年、いつもマルチンのことが気になっていて、もし猛暑だったらどうなるんだろう、と密かに恐れていた。そして、今年の猛暑がフランスでよかった・・・・、と安心していた矢先、8月末あたりから日本がじわじわと暑くなっていった。これが我が老犬には、テキメンだったようだ。

 マルチンは、私に本当に語り尽くせないほどの思い出をくれた。彼女が去ってしまった今、本当に寂しい。筆舌に尽くしがたい。M嬢に電話をしてマルチンの死を告げると、彼女は絶句。その後、二人で延々と電話口で泣いた。

ひとつの命が消えたあと・・・・・。今日もそうだが、自然のなす些細な音までが耳に響く。風音にのり、まるでマルチンが天に飛び立っていく過程を、じいっと聴いているようだ。『風の音を聴け』。幼少の頃、父が亡くなった時も同じような音を聴いたような感覚がある。しかし、今回ほど哀しいことはない。





マルチン、本当に素晴らしい日々をありがとうね。私の青春時代、そして苦悩、喜び、その何もかもを共有してくれた、最愛の犬。





Adieuは言わないよ、 Au Revoir、 マルチン。


2003年09月19日(金) 喧嘩の原因

 ここ数ヶ月の夫婦喧嘩の本当の原因を発見してしまった・・・・(汗)。すでにきのうの日記にも書いたように、ちょっとした“悟り”もどきのものを感じていたのだが、それにしても・・・・・・。

 原因は、忙しさにかまけ、それと同時に楽しむだけ楽しんで、日常生活で最低限必要なこと、つまりは掃除だとか、生理整頓だとか、そういった類のことを本当に長い間わしら各々があまりにも放置しすぎていた・・・・、ということ。本当にそれぐらい我が家はスゴイ状態になっているのだ。

 85�屬離▲僖襯肇泪鵑鯤發�のが、もはや困難になってしまっている。電気をつけずに歩いたら、即座に何かにつまずき転ぶ、もしくは、何かを壊す危険がいっぱい・・・・。

 それでも、私が完全に自分の仕事に神経質になるまでは、我が家に人を呼んだり、パーティーしたりを繰り返していたが、それを一時中止して久しい今、“どーせ人が来ないんだし”という投げやりな双方の態度が史上最強の豚小屋を作り上げてしまった・・・・・・。

 夫とすれば、“いくら仕事仕事といえど、少しは妻として生理整頓してもいいんじゃないか?”、 そして私としては“てめえ、家にいたのだったら、少しは働く妻を援助して家事をしてもいいんじゃないか?”と、不愉快な環境の責任を無意識のうちに互いに擦り合ってきたというわけだ。

 実際に率先して片付けるより、相手を罵るほうが遥かに楽というわけ、だ(汗)。

 わが夫婦は、まったくうまく空間を利用していなかった。とはいえ廊下一杯に並んだ本棚には、すでに入りきらなくなった本が溢れ、ベタベタと廊下に並べられ、書斎は、私の資料だの、夫の書類だのが溢れかえり、棚という棚から今にも崩れ落ちそうなほど、モノが詰まっている。おしゃれなオブジェなんつーものを置く考えもあまりないが、そのスペースさえ全くない。

 ところで、パリの路上は汚い。犬の糞や、タバコの吸殻、食べカス、粗大ゴミ等、なんでも散らかっている。ゆえに、もともと汚いのだからと、人々が清潔にすることを心がけることがない、という悪循環。

 パリの路上に慣れてしまうと、突然日本に戻ると激しく戸惑う。なぜなら、あまりにも公共の場所が綺麗だから・・・・・。あまりにも綺麗で、無意識のうちにも“汚してはまずい”という感覚が働きはじめる。我が夫でさえ、本当に瞬時のうちに緊張して、日本滞在中はキレイ好きな性格に一時的に変化していたほど。

 ゆえに、我が家は、パリの路上のように汚かったわけで、それに慣れてしまうと、きれいにしようという感覚が麻痺してくる。とはいえ、潜在意識では、本当に嫌気がさしていた。でも、相手に文句もいえない。なぜなら、文句を言うなら、まず己が先に掃除を始めなければならないから・・・・・。そんなところでも、我がエゴイスト夫婦は、自分の楽な方向にしかアタマが回らなかったというわけだ・・・・・・。ああ、情けない。

 確かに、我が夫婦は楽しいことはほとんど共有してきたが、苦しいことは極力共有したくない、という“とんでもない”方針でやってきていたことに気づいたのだ。その結果がこの豚小屋というわけ。

 とうとう、気付きたくなかったことに夫より先に気付いてしまった私が、欧掃除&改装の提案をすると、夫が一瞬激しく逆ギレした。そうなると思ってたぜ・・・・。私だってやりたくないのだから・・・・。でも長いことかけて、話を続けているうちに、夫は完全に折れて、本日の午後から本格的に清掃と、“不要なものの破棄”を始めた・・・・・。

 私の提案は、“もし二人でキレイに家を再建して、それでも相手に不満があったら、その時話し合おうっ!!”というもの。いつ本当に再建できるかわからないが、とりあえず、だいぶ再建プロジェクトは進んだ・・・・、ホッ。

 病める時も一緒であることを誓う・・・・・、ああ、まさにこれぞ結婚生活なのかもしれない・・・・、とつくづく思ったゼロでした・・・・(涙)。

 


2003年09月18日(木) 売り言葉に買い言葉地獄からの脱出

 最近、喧嘩が立て続けな私たち夫婦。夏の長期バカンスで夫が家にいたのが何もかもの発端。どこか自分の時間を取れなかった不満というのが身体中に燻っており、それがひょんなキッカケで喧嘩に発展する。

 夫のほうは、自分の家なのに、妻に鬱陶しがられるという事態(ま、自分が夫の立場にたてば、ムカツクのだろう)に、余計私に話し掛けてくるから、悪循環。

 とはいえ、もう本当に口喧嘩はこりごりと思う私。キレた割にここのところサッと喧嘩を止めて、夫を放置するようになったので、これにも彼は驚いている様子。

 でもね・・・・・・、腹の中は怒りの炎が燃えている。そんなところでPCに向かったとしても、仕事になるはずがない。ええい、腹の中のことを全部書き出して手紙にしてやるっ!!、と思い、書き始める。おもしろいことに、仕事よりはかどる。スラスラと書いちゃったりしている自分に、びっくり(笑)。アイデア噴き出だしてくるのだ、それも勝手に。

 夏の間、夫はちょっと会社の上司と揉めていて、その上司宛てに書き留めで数度苦情の手紙を書いた。まさか上司の方は、そこまでご丁寧に、色々と夫が紙面で反論してくるとは思っていなかったこともあり、現在のところ大きく上司の成績をダウンさせることに成功。いうならば夫の書留手紙は、爆弾だったというわけ。

 手紙作成には、友人弁護士らなどと一緒に私も参加したゆえ、すっかり文調などを覚えてしまった。そして、今回夫に、同じスタイルと文調にて苦情を手紙を書くことにした。

 手紙で相手をやっつける方法が成功して得意になっている夫が、今度は同じ手法でやっつけられるという皮肉。机の上にそうっと置いておいた手紙を発見した夫は、「なんじゃこりゃ、たまらん、くそっ」と独り言を吐いている。

 さて翌日、夫は上司の真似をして、きちんと文書で自分の意見を伝えてきた。お互い、なるべく高貴な言葉や表現を使用しながらの書面での喧嘩というのは、ある意味おもしろい。同時に腹もたつが、口喧嘩よりエネルギーを消費しない。また、逸脱しないので、要点をきっちりと掻い摘むことができるところがいい。

 しかしまだ、夫の返信にまだ腹が立っていたので、第二弾を執筆(笑)。さすがに、ただの非難・罵倒とは違って、様々な例えを使って書いた成果があって、夫のほうも折れたというか、とりあえず怒りが静まり、妙に納得していたようだ。

 私のほうは、久しぶりに“書く”という作業を通して、書き始めには想像もつかなかった次元(ちょっと大げさだが、ようは悟りみたいなもの)に行き着く経験を味わい、一人で嬉しくなってしまった。



 このくらい、楽しんで仕事ができるといいのだが・・・・・(涙)。



 とはいえ、これからは、もし喧嘩になったとしても、この方法を用いていこうと心に誓ったゼロでした。


2003年09月17日(水) 女は二度生まれる

 パリ日仏会館でただ今開催中の“川島雄三映画特集”にやっとのことで行く事ができた。とはいっても、一番観たかった『雁』は残念なことに見逃してしまったが、その次に上映された『女は二度生まれる』(1961年大映)には間に合った、ホッ。おまけに無料っ!!。

 芸無し芸者・小えん、に扮する若尾文子のかわいいことっ!!、正直ビックリした。私が生まれる以前の映画であることと、どちらかというと若尾文子といえば個人的に黒川紀章の妻という印象もあり、なんとなく意外な再発見だったような気がしてならない。

 フランキー堺、山村聰、藤巻潤(アデランス)など、懐かしいメンバーらが若尾文子を巡り、男と女の理論では決して割り切れない人間模様をテンポよく描いた作品。男を翻弄しているようで、男に翻弄され、ま、ある意味、よくある話なのだが、昔の東京の雰囲気(靖国神社界隈)と、今では奇妙にさえ感じられる“べらんめえ調”の会話など、飽きずに最後まで観てしまった。

 それにしても、4月に同館にて開催された“日本映画特集”の時よりも、人が増えていたように感じたのは気のせいか?!?!?!。このままだと、来年の今ごろには、並ばないと入館できなくなるんじゃないか、と不安になる。というのも、並ぶということが異常に嫌いなので、それを考えると、たとえ面白い作品でも、意地でも観に行かなくなりそうな自分をよーーーくわかっているので・・・・。


 
 ところで、気がついたらアクセス数が4万を超えていました。突然更新されなかったり、立て続けに更新される“ゼロの視点”ですが、これからもよろしくお願い申し上げます。そして、掲示板や個人的にメールをいただいた方など、本当にありがとうございます。

 


2003年09月16日(火) 噂

 久しぶりにネットでダラダラしたいと思い、“2ちゃん”にアクセスしたのが運の尽き。なんと、とある人が9月16、17日前後にかけて、60%の確実で南関東大震災が発生するとやらの発言により、掲示板の回転の早いことといったら・・・・・。

 最近、あまりネットで日本のニュースを追ってなかったので、寝耳に水。本当に来るの?!?!?!、と半信半疑、半ば面白がって書き込みを追っていくうちにすでに数時間経過(汗)。ついでに、リンクされてた、大正12年の関東大震災の“音”ってのを聞いた途端、突然笑い事ではないような気がしてきた。リアルな音。ああ、怖っ!!。これが非常に長い。ラベルのボレロのように静かに始まり、音を重ねつつクライマックスに向かう。

 仕事から戻ってきた夫に、この音を聞かせてみたが、いかんせん地震の怖さを知らぬ国に生まれ育ったオヤジ・・・・・、へえ、って感じで聞いているだけ。ああ、どうせそんなものなのよね、あんたにとって・・・・、と落胆。

 この噂が本当になるのかどうかはしらないが、いつ発生してもおかしくはないと言われている南関東大震災・・・・・。地震発生を知り、急いで日本行きの飛行機に飛び乗ったとしても、交通手段などが完全にいかれてしまった中、どうやって私は実家にいきつくことになるのだろうか?!?!?!?。成田空港すらイカレちゃったら?!?!?!。

 そして、やっとたどり着いたところで復旧作業などに加わるなどした場合、いつフランスに戻ってこられるのやら、さっぱり見当がつかない。

 阪神大震災の時は、まだ私は日本のそして関東地方に住んでいたので、テレビで悲惨な光景をただ呆然として見ているだけだった。被災地に故郷を持ち、海外でこのニュースを知った人などのことなど考えることもなかった。そして今年の東北地震の時も、驚いたものの、それ以上は考えなかった(エゴイストですな、相変わらず・・・・)。

 が、関東・・・・、と言われると、もうドキドキしてしまう。夫にこの不安を話すと、みんなで地震が来そうな日を狙って、どこか遠いところでキャンプ生活していればいいんじゃないか?、とノンキなことを言ってくる。

 ま、一理ある。とはいえ、たかが雑誌一冊にも愛着を持ち、それを捨てられず溜め込んでいる夫の性格をついて、「じゃあ、あんただったら、最低限のモノだけ持って、さっさと自宅から離れられるの?」と聞くと、無言になる。

そういうものだ。

 話はズレるが、阪神大震災では6000〜7000人の方がお亡くなりになったということだが、今年のフランスの猛暑で、11000人以上が亡くなったということをあらためて思い出し、実はとんでもない災難の中を自分が生き抜いたのか?!?!?!、などと思ってしまった・・・・・。

 しかし、同じ言葉で単に災難と言っても、地震の場合、たくさんの死者が出た上で、街自体が壊滅してしまうという二重ショックは、生き残ってしまった人間に果てしないトラウマを残すのは自明。

 ああ、本当にいつか大地震がくるのだろうが、あと100年は待っていてほしいなあ・・・・。


2003年09月12日(金) シンクロニシティ

 最近、シンクロにシティが頻繁に私の身の回りで起こっている。もともと、こういったことは日常茶飯事だったので、あまり気にしないでいたのだが、それにしても、今回のことには少し驚いている。

 きっかけは、先日の日記にも書いた“昔のビデオ”だ。3年以上ビデオカメラ自体が壊れていて見られなかったのだが、ある日ふと夫が諦めたようにあちこちをいじっているうちに、見られるようになったのだ。

 そして、色々と懐かしい人が登場するビデオなどをボーっと、時間を見つけては見ていた。ビデオは10年以上も前のモノもたくさんあり、私が夫と出会う前の、おもしろい(ま、あくまで個人的だが)映像も楽しんだ。

 様々な映像を見ながら、“あの人どうしてるんだろう?”“実はあの人最初に会った時云々・・・”等と色々二人で何気なく話す。ま、何気ない光景なのだが・・・・・・・。


 するとどうだろう、今まで映像で見た人達から、その翌日に電話がかかってくるのだ。それだけじゃなく、おとといは、自宅のアパルトマンをから路上に出た瞬間、わしら夫婦して出会い頭にぶつかった人間が、前日にビデオで見たばっかりの友人Cだった。

 ビデオを見ながら、ふと私が“あ、この人の家、一度は行ってみたい”などと言うと、その翌日に、当人から“我が家にいらっしゃいよ”と誘いがかかる。そして“この夫婦どうなっているかな?”と妙な不安とともにコメントした妻から、翌日“離婚することになった!!”と電話がある。

 そんなわけで、9月1日に昔のビデオを見始めてから現在まで、立て続けにこういったことが起こり、共時性の流れのまま、実際に5軒の御宅にまで訪れた私たち・・・・。

 思えば、私がフランスに住み始めて以来、言葉が不自由な面を補うように他の感覚が一段を鋭くなったとような気がしている。夫は夫で、もともと“電波”君なので、誰かが彼に電話をしている際のプッシュフォンの音が聞こえるタイプ。よく友人・知人らに、わしら各々がもっとこれらの能力を利用して金を稼いだらどうだ?、とも言われることもあるが、そこまで発達しているわけでもない(笑)。

 媒体として色々キャッチしてしまう情報の料理の仕方をしらない、と言ったほうがわかりやすいか?!?!?!。

 ちなみに昨日は、本屋でとある本に突然眼がクギ付けになり、買うか買わないか非常に迷った末、とりあえず今買わないほうがいいという予感に従い家に戻ると、夫が“なぜかこの本を買わなきゃいけないような気がして”購入して私に手渡した。

 また、私たちの周りがグルグル動き出してきたのだろう。さて、今回はどこに行き着くのでしょうか?!?!?!。


2003年09月11日(木) 髪の毛

 私は髪が非常に多い(血の気も多いが・・・・)。おまけに、クセ毛で日本にいた時は、いつもそれがコンプレックスだった。周りを見渡せば、綺麗なストレートのサラサラヘアがてんこ盛りの日本。

 さて、所変われば人の反応も変わり・・・、である。フランスに住み始めると、あらゆる人が私の髪を誉めるのだっ!!。“多くて羨ましい”“髪の毛ちょうだい”“どこでそのパーマをかけてきたの?”等などたくさんの信じられない反応を日々いただいている(汗)。

 確かにコンプレックスだったとはいえ、おまけに、フランスに住み始めた頃にはどうでもいい問題になっていたとはいえ、まったく逆の反応を得ると、薄気味悪いを通り越して、笑ってしまうだけ。と同時に、多くの西洋人が薄毛に悩んでいるという実態を目の当たりにする。

 6月の里帰りでは、多くの日本人女性がレイヤーの入った髪形をしており、“どうやってスッキリと髪型を演出するか?”ということに余念のない雰囲気を感じ取る。そんな状況下、フランスから帰ってきた“おのぼり”こと私のボリューム満点ロングヘアー(でも真っ黒じゃなくて、ちょっと染めてましてよっ!!)は、恐らく親友M嬢の息子(5歳)の眼には奇異にうつっていたのだろう・・・・・・。


 久しぶりにM嬢に電話する。彼女との電話はいつもくだらない話のオンパレードでお互いの腹筋を酷使するのが常。そして、M嬢がこう話を切り出した。



M嬢「うちの息子が今度幼稚園で“フランスを作る”って行ってたよ」

私「どんなフランス?。」

M嬢「どんなって聞いても、淡々と“フランスを作る”って哲学者みたいな顔して繰り返すだけなんだよ。」

そんな話をしているところに、当人であるM嬢の息子が電話に出させろとうるさいので、M嬢がしぶしぶ彼に受話器を渡す。

私「〇〇ちゃん、ねえ、幼稚園で“フランスを作る”の?。」

M嬢の息子「そうだよ。すごいでしょ」

私「すごいね。でも、どんなフランスなの?。」

M嬢の息子「・・・・・、“へんな”フランスだよ」

私「変な、ってどういうふうに変なの?。」

M嬢の息子「・・・・・・、髪の毛がボサボサなんだよっ!!」

私「へっ?、それって、もしかして、アタシのこと?」



その瞬間、電話の向こうで母親であるM嬢が狂ったように爆笑している。そうか・・・・・、M嬢の息子にとったら、フランスは、彼の母の親友である私のイメージになってたのね・・・・。

変で髪がボサボサとは、恐れいった(笑)!!。
 


2003年09月08日(月) 電波

 つい先ほどのこと・・・・・・。

 用事を終えて、夫と家路につくためメトロのった。私たちが座ったところから少し離れたところに、電波オヤジがいた。大声はりあげて、まるで誰かと話しているかのように、モノローグを延々と続けている類の人、だ。ま、日本でもよくいるのだが・・・。

 ふと、夫に「もし、自分がああなっちゃったらどうする?」と聞きたくなった瞬間には、すでに口からその質問が飛び出ていた後だった。夫は、目で“また喧嘩売ってきたなっ、おぬしっ!!”という感じで睨んできたが、そのついでに夫は「ゼロのほうが、僕より早くああなるんじゃないか?。」と言い返してくる。

 おぬしも、切り替えしてきたな。

 と、こんな会話を繰り返しているうちに、この電波オヤジが席を立ち上がりフラフラ歩き出した。私は、このオヤジをダイレクトに見ず、窓ガラス越しにその行方を追っていく。するとどうだろう・・・・、オヤジが私たちのほうに寄ってくるではないかっ。

 えっ?!?!?!、と思ったと同時に、電波オヤジが夫に握手を求めた。一瞬の躊躇のゆえ、夫が握手に応じる。そして、私はその動向を、あいかわらず窓ガラス越しに追う・・・、そう、あくまで他人のふりだ。しかし、おかしくて、おかしくて、すでに顔が歪み出している。

 電波オヤジは色々と夫に話し掛け出した。だが、酔っ払っているのか、歯が抜けているせいなのかわからないが、発音がハッキリせずよくわからない。すかさず、夫が「何しゃべっているのか、よくわかんないから、もっとちゃんと話してくれると嬉しいなあ。」等といって、話を続けさせる。

 そして、電波オヤジは自己紹介を始め出した。名前はロネ、49歳だという。オヤジは49歳だと言ったのに、夫のほうが今度はボケていて「69歳?!?!?!」などと聞き返すと、電波オヤジは、「勘弁してくれよ・・・」と言う。

「勘弁してくれよ」か・・・・・・。それは私のセリフだ。酒焼けした顔色の電波オヤジに対して、夫は「随分日に焼けて、元気そうだね。どこでバカンス過ごしてきたの?。」などと大声で質問。周りの人が、私のように窓ガラス越しに様子を伺いながら、顔を歪ませ始めてきた。

 こんな調子の会話が10分以上続いただろうか・・・・。電波オヤジは、きっとしばらくぶりに、自分以外の人間と会話したのか、嬉しそうにしていた。そして感極まったのか、夫に抱きつこうとしたので、さすがの夫も「それはやめて」とオヤジの腕を軽く払いのけた。

 それと同時に我が家の最寄駅に到着したので、夫はまた電波オヤジと握手して、メトロを降りた。夫は刑事コロンボのようなヨレヨレのレインコートを着ている・・・・。見方によれば、彼も浮浪者に毛が生えた感じだな、とその後姿を見えしみじみ思う私。

 きっと電波オヤジは、そんな夫に直感的に親近感を覚えたのだろう。また、そんな予感が薄々したからこそ、電波オヤジに夫が話し掛けられる前に、私自身が妙な質問を夫せずにはいられなかったのだと思う。



 電波がもうひとつの電波に引き寄せられた、だたそれだけのことなのだろう、きっと・・・。
 


2003年09月07日(日) 幸せなひととき

昨日の日記に引き続き、イライラしながら仕事してたら、思わずはかどってしまい、結局ぶっ通しで土曜日の夕方から日曜日の午後1時まで働いてしまった。途中、小一時間ほど、居眠りしたが・・・・。

 怒ると仕事がはかどるということは、どういうことか?!?!?!。平和に仕事が進められないのか、私?、と自問自答。時間も忘れてひたすら仕事していたゆえ、ふと時計を見ると午前6時。その途端、急に腹が減ってきた。 そういえば、晩飯すら食っていないということに、気がついたのだ。

 今から作るのは面倒くさいし・・・・、と思いつつ、何かないかとキッチンをウロウロしてみるが、何もない。あるのは残りの味噌汁。味噌汁といえば炊き立てのご飯が欲しいものだ・・・・・。さあ、どうするか?。

 結局、米を炊いてしまった・・・・。実は数日前に日本食料品店で“うまい米”を購入していた。ちなみに、夫には提供しない(笑)。別に、夫を愛してないというわけではなくて、どんな米を提供しても、その違いのわからない人間に、高額な米はただの無駄使いだと判断したからだ。

 夜明けとともに、炊きたてご飯に高菜、そして出汁のきいた油揚げ味噌汁を食す。ああ、小さな幸せっ!!。美味いっ!!。一人で「アーっ」だの「ウーっ」だのと唸りながら米を噛みしめる。感激を声に出さずにはいられない、日本の味。

 あとで話を聞くと、寝ていたはずの夫が、私の奇妙な唸り声で目が覚めたということ。“とうとう狂ったか、わが妻?!?!?!”という感じで・・・。

 恐る恐る仕事部屋の前にきて、椅子の上であぐらかいて、PCの前で茶碗並べて、唸りながら早朝に食事している妻の後姿をみて、夫は“ああ、やっぱり狂ってしまった”と思ったらしい・・・・。

 このメニューが功を奏して、またエネルギーが沸いてきて、上記のように昼過ぎまで働いてしまったゼロでした。


2003年09月06日(土) おもいっきり、愚痴

 私は仕事。でも、夫は仕事が休みでずうっと家にいる・・・・、という状況。

 もう、ここまで書けば、何が言いたいのか、わかる人はわかるはず。そう、時々(というかしょっちゅう)激しく鬱陶しく感じる夫の存在。愛しているか否か・・・・、そういった問題じゃないわけであって。

 夫が家にいるだけで、落ち着かない。もちろん彼の家でもあるわけだから、彼が何を好きなようにしていても構わないはずなのだが・・・・。

 私の理想的な毎日の仕事スケジュールは昼に起床して、とりあえずミルクティーを飲んで、午後3時あたりにてきとーな昼ご飯を“PCの前”でとり、ネットで遊びながら気晴らしして、再び仕事に戻り、午後7時あたりに買い物へ行き、午後9時頃に夕食の支度兼食事という感じがベスト。そして、夕食時に夫婦の団欒と称して、色々話をして、午後11時までには、再び仕事に復帰したいのだ。そして、明け方まで仕事に没頭・・・・・。

 が・・・・・・・、夫が家にいると、ペースがグチャグチャになる。会社シフトが残っている夫は、午前9時には起床。そして、ご丁寧にも一日きちんと3回はハラをすかせる。午後1時を過ぎたら自動的に腹が鳴り出し、“腹が減ったーーー”などと言い出す。でも、私は、やっと寝起きの紅茶を飲んだところ。そんな時点で、昼食など作る気も起こらない。

 確かに、夫は自分で調理ができる。とはいっても、私が食べる気も起こらない、闇鍋ならぬ、闇料理なのだが。

 家にいるならば、ということで、夫に買い物をまかせる。が・・・・・・、買ってくるものは、缶詰や、冷凍食品ばかり。“食材”を購入して、それを数日間に渡って作り置きするなんて考えが彼には存在してないことだけが、よくわかるというもの。

 夫の作るものは食べたくない(マズイ)&散財したわりにはまったく料理の役にたたないものを目の当たりにして、激しくガックリする私。もし、夫が家にいなければ、夕食だけクローズアップして考えておけばよかった生活に対して、一日3食、作らないとしても、気持ちのどこかで気にしている生活は、激しく私の仕事への集中力を奪っていく。

 ゆえに、私が不機嫌になる。不機嫌な私を見て、夫が不機嫌になる。そして、イヤミの応酬に発展していき、大喧嘩になる・・・・、というわけだ(汗)。ああ、本当に悪循環!!。すべてが夫のせいではないのはわかっているものの、どう考えても、夫が会社に行っている時のほうが仕事がはかどっていたことは確かでもあり・・・・・。そんなジレンマが、遅筆になるたびにムクムクとアタマをもたげる。

 休み気分の夫は、もともとの性格もあり、妻に激しくかまってもらいたい、というタイプ。なんで、そんなタイプと結婚したのかという自問自答と、構わないときは、徹底的に構わない私という人間を、夫は妻にしたのか今となっては謎だが(笑)、時に、激しくギクシャクしてくる。

 おまけに、私は不幸なことに非常にダイレクトな性格ゆえ、ついついキツイ言葉を口からコロっと飛び出させる。その言葉に夫が反応して、逆ギレして、あっという間に、戦火があがる・・・・・・。ああ、こんなことしている暇はないのに、と、思いつつ、頭の半分が熱くなってくるので、夫の言葉にまた激しく反論・・・・・。

 不毛・・・・・・・・・・・・・・。

 “ああ言えばこう言う”というレベルで言えば、夫は王様であり、私が女王様である限り、大変になことになるわけであり・・・・・。言葉の殴り合いというのがピッタリ。あとは、ゼーゼー、ハーハー。

 夫曰く、ここまで言葉が達者で嫌な性格の女性とはじめて暮らしたと言えば、それは私も同じであり。ここまでのアホは知らんっ!!、という感じ(苦笑)。要は、男女という決定的な性別の違いを抜けば、非常に似たもの同士ゆえ、意気投合すれば凄いが、近親憎悪を招く可能性もある、ということですな・・・・。

 私の原稿の校正者としての夫の存在はあるものの、あくまで校正。それまでのアイデアの熟考は、もちろん、すべて私。傍から見ればボーっとしてたり、何もしてないように見えても、常に何か考えている。そんな時に、飯だのなんだのと気をとられていると、アイデア自体がぶっ飛んでしまう。

 ただ、どこまでが遊びでどこからが仕事がわかりにくいという難点が、夫にはつきまとっていることだと思う。これには私自身でさえ同意。だって、相手の動きがはっきりとは見えないのだから・・・・・・。

 実際に自分の事務所を持つことも考えたが、たかが一冊の本に対して、そこまでの出費はばかげている(確実な赤字になる)のでやめた。ネットカフェなどで仕事したら。という意見もあったが、カフェに数十冊の本と、資料などを運ぶことを考えると毎日が引越しになるので、これも今のところ却下(ま、たいしたことのない原稿でも、時には一行一行の確認が必要ゆえ、たくさんの資料が必要になる)。ゆえに、どうしても、我が家じゃないと働けない私。実際、辞書だけでも最低6冊は肌身はなさず使用しているゆえ・・・・・。

 おそらく、まだとうぶんバカンスなはずの夫・・・・・。どうなるんだろう、わしら?!?!?!?!。

 とにかく、今思うことは、この仕事が終わったら、一生夫と仮に少しだけでも共同作業になるようなことはしないであろう、ということ。また、それを日々強く思えば思うほど、夫婦単位で店をやったりしている人達に対しての、畏敬の念が激しく生じる日々でもある、ゼロでした。


2003年09月04日(木) 衣替え

 自分の掲示板にまったくアクセスができなくなったため、アタマにきて新しい掲示板の設置などをしているうちに、サイトの配色を変えたくなった。

 変えてみたい、でも、変えるとなると、時間がかかる・・・・、ゆえに面倒くさい・・・・・。仕事やんなきゃ・・・・、でも、仕事より面白そうかも・・・・、と、どーでもいいようなジレンマに葛藤した後、とうとう配色を変えてしまった。

 不具合は続くもので、ここ数日メールをいただいた方のモノは全部文字化けしてしまっていて読めない状態。なので、メールアドレスのほうも変えてみた。本日フランス時間で午後4時(日本時間で午後11時)までにいただいたメールすべては文字化けしているので、お手数ではなかったら、もう一度新しいメールアドレスのほうに送っていただけると幸いです。

 ということで、たいした変化ではございませんが、業務連絡と共に、これからもよろしくお願い申し上げます。
 


2003年09月03日(水) 昔のビデオ

 長いこと放ったらかしにしておいたビデオカメラを発見。ついでに、昔録画したテープも発見。発見したら、ついつい好奇心で見ないではいられない性格ゆえ、“ちょっとだけ”と言いつつ、長いこと鑑賞してしまった。

 それにしても、ある意味ショッキングだった。特に私がまったくフランス語などをわからない時期(1998年夏)の映像といったらっ!!。はっきりと発音できているのは、“OUI”(ウイ)ぐらいなもの(笑)。で、おまけに喋られないものだから、ウイばかり言っている。一度だけで充分なのに、ウイウイ、と二度も三度も繰り返したりしてるし・・・・(汗)。

 たまに知っているはずだった、初歩中の初歩な質問でも、ちょっと言い方を変えられると、全然わからずにポカンとしている映像も多々あり。現在、このビデオを見ていると、フランス語圏の友人らが話している内容もよくわかるのだが、本当に、当時はまったくわかっていなかったのだな・・・・、とあらためて実感、というより、むしろ感動。

 ある程度会話する時は、強烈に不完全な英語。見ていて、顔が赤くなってくる。当時は、大学受験の時によく使っていた“チャート式英文法”を片手に、四苦八苦して話していた記憶が蘇ってくる。

 まったくフランス語がわからない私を横に、夫とその仲間は、ベラベラとフランス語で私のことについて話している。“大学でフランス文学をやっていたとゼロは言っているが、なんでこんなに何も話せないんだ?、本当に大学行ってたのか?、ま、嘘ついてんのかもしれねーな。”とも言っている。



 そうかっ!!、キサマは、そんなことを言っていたのだね。よおくわかってしまったのだよ、おいっ。



 "J'ai peur"と途中で何度か言っている私、何について言っていたのかよくわからないが(それまでの会話が完全に収録されていないため)、発音が悪くて、誰にも通じてないのが情けない(笑)。カタカナで書くと、ジェ・プールって感じになってしまうので、実際のニュアンスは文章では表せないが、とにかく、当時の私の発音だと、最後のRの音も消えて、ただの“プー”、つまりはまるで“オナラ・プー”のような感じになってしまっている。

 思わず、この映像を見ていて、自分が何を言っているのか理解できずに、一緒にビデオ鑑賞していた夫に尋ねてしまったぐらいだ。夫が、多分、"J'ai peur"って言いたいんじゃないの?、と示唆してくれたおかげで、なるほどっ!!、と思ったほど。そのぐらい、強烈な発音(笑)。

 本当に、曖昧な記憶とは違って、映像というものは、恐ろしいほど細部をみせしめるものだな、と痛感した。同時に、格好悪いぶさまな自分の映像というものを記録しておいて、よかったかもしれないと思った。



※掲示板、変えてみました。


2003年09月02日(火) 男性ホルモン

 土曜日の晩、久しぶりに友人Aと会った。彼女は、我が家にやってきて、一通りおしゃべりした後、ワシら夫婦とAの3人で会場へ向かった。

 Aとは、今から3年くらい前、とあるパーティーで知り合って以来、なぜだか非常に意気投合してしまい、今では、Aと二人で顔をあわせれば、延々とギャーギャー騒ぎあっている仲だ。

 Aは、看護婦で7月に39歳になったばかり。女で一つで二人の子供を育てている。現在、子供達はそれぞれ元の夫に預けられているので、こうやって久しぶりに夜遊びに復活、というわけだ。この夏は、あの熱波の中、バカンスもとらず病院で走り回っていたとのこと。彼女の専門は、糖尿病が悪化した患者ばかりだ。この病気が悪化すると、足の指が腐ったりして、大変になることは有名だが、患者がAの前で嘔吐しようと、下痢しようと、そんなことは全然平気だった彼女も、さすがに猛暑の最中、腐った部位の臭いが部屋中に蔓延する環境での仕事は、気が狂いそうだったとのこと。

 聞いているだけでも、気持ち悪くなってくる。A曰く「あんた、死体映像とか好きなら、一度病院へ来ればよかったのに」と笑って薦めてくる。ま、それはそうだが、映像は臭いがないからよいわけであって・・・・・(汗)。

 Aは男性ホルモンが多すぎる、と自分で言っている。ゆえに、男性のように抜け毛が多く、ここ最近、どんどんと生え際が後退していることを悩んでいる。実際に検査したところ、予想通り、普通の女性よりかなり多くの男性ホルモンが発見されてもいるらしい。

 そんな彼女は、AVビデオが大好き。日本のソレとは違って、ただ延々と“出し入れ”ばかりが流れ、さもなくば、男根を女優が舐めまくっているシーンが多く、女性に前戯を男優がほどこしているシーンがほとんどない、というのが定番。要するに、画面の前の鑑賞者(♂)が、画面の中の男優に自己投影しやすくできているゆえ、女性が観ても、“だからどーしたっ”ってシロモノ。

 これらの感想として、フェミニスト気味の友人Mは、「わたしは、男性にとってのバスケットボールじゃないんだからねっ!!」と言い放ち、怒り狂っていたのをよく覚えている。ま、ある意味、そんな感じでズッコンバッコンと男性の望む体位にコロコロと転がされているシーンもあることだし・・・(笑)。

 が・・・・・、Aは、それが好きなのだ(笑)。観ていると燃えるという。でも、しょっちゅう借りたりする時間もないし、録画する時間もないとのことで、夫のAVビデオコレクションを借りに来る。面白いのは、ただ貸してもらうだけじゃ悪いと思ったのか、Aは、自分のコレクションをその度に持ってきて、夫と交換している、ということ。

 私はフェミニストでもないが、とはいえ、これらのモノにはまったく何も感じない。というより、ただ笑ってしまうだけ、ともいえる。随分前の日記にも書いたが、たまに知り合いの男優らが出演していることもあるし、それらに出くわすと、“お疲れさんっ!!”という感情しか湧いてこない。夫は、それなりに単純に“反応”しているらしいが(笑)。

 
 ということで、即・肉弾戦がお好みのA。実は彼女、この猛暑の中、とある王子様に出会った。彼はとてもロマンティックな性格だという。Aのことをまるでお姫様のように扱ってくれ、それはそれでAも非常に心地がいいという。でも、今までそういった扱いされたこともないし、求めたこともなかったので、「なんかちょっと薄気味悪かったのよっ!!。ゼロだったら私の気持ちわかってくれるでしょ。」とほざく。

 慣れないシチュエーションで戸惑うAの姿が容易に想像できて、私はそこでもんどりうって大爆笑。



私「これであんたの薄毛対策にも、効果が現れるんじゃないの?。」

A「なんで?。」

私「こうやってロマンティックに扱われているうちに、今までお蔵入りしていたあんたの女性ホルモンが活躍しだすってわけよっ!!」

A「なるほどっ。そうだったらいいわねぇ。」

私「病院でのホルモン治療と、彼の癒し、どっちが先に効果を表すか見ものだねっ!!」

A「確かに、男のように稼ぎ、動き、ちょっといき過ぎてたかもしれないしね、私。」

私「そうそう、そのまま続けて、いつか太い鬚が生えてくる前に、自分で自分の身体に、女ってことを再認識させておいたほうがいいよ」

A「そうよね・・・・。女性に生まれて、30代で男性化しはじめ、40代になったら本当の男になってた・・・、なんてシャレにならないものね」


 ってな感じの会話。慣れない、などといっている割には、現在の王子様のことを語るAの顔が妙に、女と通り越して、“女の子”になっているのが、妙に可愛らしいと思った。この分だと、意外に早く、Aの男性ホルモンが減少していくかもしれない?!?!?!?!。

 ところで、最近午後2時過ぎにラジオを聞きながらランチを取っていることが多いのだが、その時間帯に、とある局にて、いつもセックスお悩み相談をやってくる。これが強烈に笑える。

女性陣の主な悩み。

(1)私の夫(彼)は50秒ももたない。
(2)夫(彼)はAVの見過ぎで、本当に女性を歓ばせるテクニックを知らない
(3)夫(彼)は、ケダモノのように毎晩やりたがるのに対して、私は回数は少なくとも内容の濃いセックスを楽しみたい。

男性陣の主な悩み。

(1)妻(彼女)にもっとスケベになってもらいたい。
(2)妻(彼女)とスワップしたいが、どうやって説き伏せればよいか?。
(3)妻(彼女)が巧いフェラチオのやり方を知らない。
(4)妻(彼女)じゃ勃たない。

 どの国も同じですな(笑)。


2003年09月01日(月) Nos Meilleures Annees

 ギメ術館別館の"Pantheon Bouddhique"に取材を兼ねて出向いてみたものの、現場に到ギメ美着すると、ドアには無情にも、本日例外的に休館と書いてあるではないか・・・・・・。ガックリ。

 しょうがないので、ギメ美術館本館を見学。ルーブルと比較すれば、小さな美術館とはいえ、一点、一点の解説を読みながら、全部を鑑賞しようとすると、かなり体力を消耗する。だから、美術館はキライなのだ。ま、取材ということで無料で入場しているからまだ救われるが(笑)。

 仕事が休みの夫も同行して、ほとんど遊び状態の取材。日本のモノなどそっちのけで、インドとチベットのモノの鑑賞を楽しんでいる始末。

 リュクサンブール公園のまん前に住んでいるJYと19時に待ち合わせだったのもの、急遽JYに用事が出来たので、お流れ。じゃ、久しぶりに夫婦で飯でも食って、映画にでも・・・、ということになりパリスコープを購入したものの、観たい映画がない。なんだかんだいって、観たい映画は全部観てしまっていたので、どうしようか?!?!?!、と二人で悩む。

 でも、とりあえず映画は観たいというジレンマ・・・・。ふと友人Mからこの夏中ずうっと観るように薦められていた映画があったことを思い出し、雑誌で確認すると、まだ上映中ということが判明。とはいえ5時間半の超大作で、第一部と第二部に別れている・・・・・。めんどくせ。

 もうどうでもよくなって、とりあえずレ・アールの映画館まで行った上で、適当に選ぶ、ということにして、足を運ぶと、なんとこの超大作以外、全部5分前に始まってしまっているアリサマ。ゆえに、選択肢はたったひとつ。ま、これも、Mの執念が実ったということで、二人であきらめてこの映画を観てみることにする。

 "Nos Meilleures Annees"というイタリアテレビで放映されたらしいものの、映画版。1966〜2003年までの歴史の流れと共に、とあるイタリア家族の変遷を描いたもの。ヒッピー文化から、毛沢東思想、共産主義への共感、資本主義および合理主義への嫌悪、理想を追従してやまない二人の兄弟の姿、そして挫折等。主人公は、とても味があるものの、非常に内容は表面的だな、と個人的に思った。

 アル意味では、この表面的さが、逆にリアルなのかもしれないが。日本でもそうだが、全共闘世代などが、後に会社の金を食いつぶして豪遊している姿をよく見聞するが、それに通ずるものがある。要するに、思想だのなんだの言っても、非常に浅いわけで、本当に吟味されているわけではないのだから。

 この映画は、すでに5万人以上のフランス人がこの夏鑑賞したらしい。それもかなりの絶賛を得て。へーーえ、個人的には、どうも?!?!、という感じなのだが(ま、これはアメリーに対しても、同じことが言える)。色々と批評を読んでみたが、誉め言葉ばかり・・・・・・、不思議だ。

 夫は、もっと反応が過激で“ツマラネー”の連続(笑)。観ている最中から、座席で、こういう風にデカイ声で言うのだから、楽しんで観ている人には、失礼だと思うのだが・・・。ま、確かにものすごく面白いわけじゃないが、いちいち口にするほどでもないだろうに。

 とはいえ、まだ第一部しか観てないので、とりあえず第二部も近々観てみようと思っている。映画自体は、非常にシンプルで判り易いので、誰でも鑑賞できるし、感動もできることだろう。おまけに、イタリア人オトコが、妙にフランス人オトコと違うのは面白い。また、イタリア語のリズムと音が、その言語を全く解さないからこそ、新鮮だった。

 とりあえず現時点でよくわかったことは、これは友人Mが生き写しの映画ということ。彼女が何故こんなにこの映画を観て感動したか?、等ということはあらためてよくわかった。それだけでも、よしとするか。


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