ゼロの視点
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2004年07月31日(土) 美しい景色とボッタクリ

 ホテルの窓からさんさんと降り注ぐ太陽で、目覚める。パリじゃなかなか味わえない太陽過多な日々。

 ホテル最上階のテラスで朝食を取りながら、静かなCalviの港を眺める。

私「パリじゃ、なかなか味わえんぞ、こんな雰囲気。」

夫「ブルターニュじゃもっと味わえんっ!!」


 わしらは基本的に、朝食とりながら午前中いっぱいダーラダラしているのが常。観光などは二の次になることも多々あるが、これもバカンス、のんびりいこう。

 さすがに、物価の高さと、わしらのバカンスの日数を考慮すると、ランチなどはスーパーで買い物してやるべく安くあげておいたほうが良し、と思い、ホテルの従業員で人のよさそうな人をみつけて、スーパーの場所を聞き出す。

 炎天下を15分くらい歩いた後、大型スーパーにたどり着く。スーパー内のパン屋のピザは、観光地のソレの値段の半額以下。

 ふふふ、これで3週間弱のバカンスも安上がりに・・・・、と思いつつ、冷房の効いたスーパー内で、ついつい色々なものを買い漁ってしまい、結局100ユーロ以上も散財してしまった。安上がりになるはずが・・・、ううっ。

 ま、でもこれで、レジャーに必要なモノはすべて揃ったし、いつでも美味いワインがどこでも飲めるように、たくさんのボトルも・・・・、と思いきや、わしらはスーパーに徒歩で来ている・・・(汗)。

 というわけで、予定時間を繰り上げて、近くのレンタカー屋へ、パリから予約しておいたクルマ(1週間のレンタル予定)を取りに行く。

 コルシカをバイクで巡るか?、それともクルマにするか?、と随分迷ったが、結局、夫が身軽に旅行できないタイプ、つまりは、ゴチャゴチャと色々なものを引越しのようにスーツケースに詰め込まないと家を離れられない性格ゆえ、バイクの後ろに積むのは不可能と判断し、結局クルマとなった。

 クルマを引き取った後、すぐさま荷物を詰め込む。すると、そこまもう小さなわしらの豚小屋と化す。もう何年も前から使っていたかのようなルノー・クリオの4ドアで、Ile Rousseへ向かう。

 歩くのが面倒くさいので、Ile Rousseの繁華街などは、クルマで観光。こういう観光の仕方は、とても好きだ。何周か繁華街を回ったのち、Ile Rousse自体を遠くから眺めながら楽しめそうな、ヒトケの少ないビーチ探し。

 ようやくナイスなビーチを見つけたので、ツマミやサンドイッチ、ワイン、水を始め、水中メガネなどを用意してクルマを離れる。

 それでもビーチにはたくさん人がいる。また、わしらは時々泳ぎながら宴会もしたいわけで、それにふさわしい場所を探し回る。で、結局みつけたのが、ビーチのど真ん中にある、海に突き出した岩場の上。これぞバカの高登り。

 岩のでこぼこなどをうまく利用して、たくさんの惣菜を並べ、ワインの栓を抜く快感は別格。うまーーーーーーーーーいっ。遠くでは、Ile Rousseが太陽の光を浴びて、文字通り赤く輝いている。

 たらふく呑んで、食ったあとは、海水浴。夫はすでに水中メガネを装着して、海の中。気がつくと、夫の姿ははるか遠く。どうやら魚と一緒になって、どんどん流れていってしまったようだ。そして、夫曰く、彼はこうやって流されている自分が好きなようだ。ま、キミの生活を見ていると、ある意味納得できるのだが(笑)。

 うーん、しかし気持ちよく飲んだなぁ・・・、と思った瞬間、ふと昔、たこ八郎が泥酔した後、海で泳いで死んじゃった話を思い出してしまった。なぜか、この逸話はよく思い出してしまう私。私への警告か?!?!?!。それに、さっきタコのツマミ食ったし・・・・。

 が、こんな迷いを吹き飛ばすように海に潜ると、たくさんの魚が楽しそうに泳いでいる。海草がゆらめくその間に、ウニなども発見。誤って踏まないようにするのが大変なほど。夫じゃないが、海の中の景観に見惚れていると、本当に遠くまで行ってしまう。

 海水浴のあとは、沿岸沿いの道を離れて、山道へはずれてみる。Corbaraという小さな街のはずれにある僧院からの景観は別格だった。コルシカは海もいいが、本当に素晴らしいのは山岳地帯やそこに点在する小さな集落とは聞いていたが、本当にそうなのかもしれない。

 山の中腹からの眺めは、まるで空を飛んでいるかのよう。遠くでゆっくりと沈んでいく太陽をしばし眺める。そして太陽が沈みきるか否かで、山の中腹のあちらこちらの村が灯り出す美しさ。

 夜、ホテルに戻って休憩したあと、再びCalviの港町へ。

 実は昨夜、とあるレストランに入った。パエリアお二人様で20ユーロという看板に引き寄せられて入ったのだが、ここにインチキがあって、実際は1人20ユーロだったのだ。

 看板の書き方や、メニューの書き方が実に曖昧で、実際にわしらのようにひっかかった“ケチで目先の利益にコロッと騙される観光客”が、毎日同じような目にあっているのでは・・・、と推測される。

 それだけじゃなく、何度か、入ったカフェや店で、頼んでないものがレシートに知らない間に追加されていることが多々あった。普段はあまりレシートなどもチェックしない私だったが、今回はなぜかピンと来るものがあって、そのたびにレシートチェックして、“不可思議な追加物”を何度か発見。

 今晩も夜中過ぎに、港のカフェで冷えたロゼを注文して、それを飲みながら二人でボーっとしていたのだが、会計の際に、また変なモノが追加されており、さりげなく苦情を言ってOKとなった。

 なかなか、うかつに酔っ払っていられないのが、コルシカなのか?!?!?!。
 


2004年07月30日(金) バカンス

 本日から8月18日までバカンス。とりあえず手元にあるのは、コルシカ島はCalviまでの片道航空券のみ。8月18日にどうやってパリに戻ってくるのかは、まだ全く決めていない。

 我が家恒例の、出発前のドタバタ。今回の飛行機はオルリー空港からなので、そこにとりあえず到着するまでが勝負。なせ、毎回慌てて、まるで夜逃げでもするように出発するのだろうか・・・・?!?!?!。わからん。

 今回は本当にたくさんの雑事が重なり、夫婦2人でまた30枚くらいの皿を同時に回しているような生活だったので、無事に午前10時までに空港に到着できた時には、マジでホッとした。

 おまけに、エー〇フランスのカウンターのねーちゃんに、ふたりでおべっかを言ったら、予定より一便早い飛行機を用意してくれ、一刻でも早くパリを離れたかった夫は大喜び。

 待つこともなく、チェックインしてさっさと搭乗ゲートに進める爽快さ。同じ便に修道僧を発見。夫と2人で“あれは本物か?”に始まり、“修道僧もバカンスか?”“修道僧はどうやって海水浴するのか?”としばし議論。ま、暇つぶしなんだが・・・。

 飛行機の席につくなり、早起きして作っておいた照り焼きバーガーをほおばる。空腹そうな人の前で、うまいものを食べる優越感。あとは、1時間45分シートに座っているだけで、わしらはコルシカーーーーっ。

 Calviの小さな空港に降り立つと、そこは真夏。太陽と海を欲して、発狂寸前だった夫は、満面の笑み。
 
 昨年の夏は、バカンスにも出かけずパリに居残っていた私たち。私は例の猛暑の中、ひたすら仕事をし、夫の相手もせず、一日中パソコンの前で過ごした。暑さと仕事のストレスでイライラする私と、当時会社で痛めつけられていた夫のストレスが狭い家の中で炸裂した日々。

 “昨年のような夏は、もう二度と味わいたくないっ!!”という夫の恨みつらみが、私たちをコルシカに連れてきたといっても過言ではない。

 

 ところで、Calviの空港から市街地までの交通手段はタクシーのみ。“キミ達観光客には選択肢なんてないんだぜ”という感じで、横柄なツラで並んでいるタクシーの運転手達。うーーん、ぼったクリな匂い。

 私たちの前に並んでいた家族は、信じられないほどのトランクを抱えていた。引越しか?、というほど。そして、その荷物をすべて運びきれないと、一人の女性タクシードライバーが客に断りを入れて、少し大きめのタクシーの運転手にこの一家をまわす。

 するとどうだろう、何が不満なのかわからないが、この大きめなタクシーの運転手がいきなり怒鳴り始めた。あまりにも唐突だったので、不覚にも私は噴出して笑い出してしまうところだった。

 この運転手は、ひたすら大きな声で叫んでいる。さすがコルシカ人?!?!?!、等と夫とひそひそと話しながら、野次馬根性丸出しでその様を眺める。

 とはいっても、ここでオヤジの怒りを鑑賞していても時間の無駄なので、先の女性ドライバーのタクシーに乗り込む。そして、色々と彼女にさりげなくインタビュー。

 島国根性とはよくいったものだが、フランス大陸に住む人から見ると、コルシカ島の人々が、よそ者を激しく排除する傾向があることは、なにかにつけて話題になる。

 で、この女性ドライバーも大陸出身者。コルシカに移住して10年とのことだった。すかさず、よそ者として生き難いことはあるか?、と質問すると、彼女のクチが実に滑らかにまわり出す。ほほうっ、やっぱり、か?。

 さっき、突然怒り狂い出したタクシードライバーは、コルシカ人。おまけに、タクシー連盟のボス的存在らしく、コルシカ人だけで結束しており、大陸出身者とは普段はクチもきかないとのこと。

 とはいえ、彼に逆らうとあとでどんな目に遭うかもわからないので、あくまで“さわらぬ神に祟りなし”的に振舞っているのが現状らしい。

 確かに、一部のコルシカ人らの色々な意味での結束力→他者排斥というのは、時に常軌を逸しているような点もしばしばあるわけであり、彼女の言葉もある意味本当なのだろう。

 でもね、女性ドライバーさんよ、大陸出身だろうがコルシカ人だろうが、たった数キロの距離で14ユーロってのは、高すぎねーか?!?!?!。

 昨年の異常な猛暑の影響で、涼しいところでバカンスを今年は過ごしたいという人が増えたという理由と、テロの危険、そして、観光客をバカにしたかのように高いコルシカの物価などが重なり、今年のコルシカは30%強の観光客減。

 こんなにどんどん値段を吊り上げていくと、どんどん観光収入が減るぞっ、と言ってやりたいところだが、そこまでコルシカ人を強気にさせるほど、やっぱりコルシカは美しい島だった・・・・、くやしいっ(笑)。

 ホテルに到着して、さっそく水着に着替えてビーチへ。ブルターニュの冷たい海に慣れすぎてしまっている私たちにとって、Calviの海水の暖かさは、驚異的。突然飛び込んでも、心臓麻痺を起こしそうな心配はない。

 透き通る海水。
 
 頭上に広がる青い空。

 パリから飛行機でたったの1時間45分。

 
 ああ、くせになりそうだぜ、コルシカよ・・・・・。


 しかし、日に焼けた人が溢れかえるビーチで、ひとり妙に白い夫の姿が実に笑えた。彼がどんなに遠くまで泳いでいっても、その背中の白さで、双眼鏡なしで夫を発見できるのはありがたい(笑)。


2004年07月27日(火) ばばあ・バカンス前のひと騒動

 8月7日は、我が姑殿のお誕生日。例年、夫の弟の別荘にて、盛大な姑のバースデーパーティーが開催される。昨年も、猛暑&仕事で四苦八苦しているのにも関わらず、参加“させられ”た。


 もし、不参加などを申し立てれば、そりゃあ大騒ぎ。

 誰が大騒ぎするかって?。

 そりゃ、姑殿でございます。

 他の者は、誰も大騒ぎなどいたしません。


 
 さて、今年の夫の休暇は、本当に選択の余地がなかった。なので、バカンス・ハイシーズン期の8月始めから3週間弱にしか、休暇が取れない。どこに行くにも高い、人が多い、といいことはなし。

 おまけに、もし、姑のバースデーパーティーのため“だけ”に、ブルターニュ地方のとある場所にある夫の弟の別荘に足を運ぶとなると、バカンスが分断される・・・・・。

 やっと人気のないビーチを見つけてのんびり出来たとしても、姑の一声で、大慌てでブルターニュに駆けつけ、おまけに何日間も拘束された挙句、“人生の教訓”と題して、たくさんのアドヴァイスやそれにかこつけた泣き言などを聞かされる日々が待っているはずだった・・・・。

 そして、またその後、再びビーチに出かけても、気分はスッキリしないまま、2人でうなだれたまま、しょんぼりとしている姿が目に浮かぶ・・・・。

 ああ、嫌だなあ・・・・、と思いつつ、キャンセルなど出来ないと思い込んでいた私だったが、ある日突然、夫が“今回は、ママンの誕生会をぶっちぎろうっ”と申し出てきたのだっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!。

 あまりに嬉しい申し出に、戸惑いすぎてなかなか返事のできない私。でも、さ・・・・・、本当にそんなことできるの?!?!?!。と思いきや、今回の夫の決心は本当に固かった。本当にぶっちぎることになったのだ。

 昨年は、姑の80歳の誕生日だった。が、夫曰く“80歳は確かに、大台に乗ったということで重大だったけれど、それプラス1才はたいしたことないから、ぶっちぎる”とのこと(汗)。

 先月まで日本で、姑よりも若い我が母のボケを見てきた私。いくら元気だからといって・・・・・、と考えてみたが、確かに姑はボケそうにもないし、年齢を逆手にとって、ここ数週間嫌がらせのかぎりを2人の息子家庭に振りまいてきた事実もあり、考えた挙句、やはり嬉しい夫の申し出に飛びつく。

 実は、この“ぶっちぎり作戦”は、2週間前から密かに決めていた。夫の弟家族も、姑の妹も知っていた。が、私を含め、このことを前もって姑に言うと、もっと嫌がらせがひどくなるし、私たちだけじゃなくて、姑を取り巻くあらゆる人間が巻き込まれるので、なるべく直前に白状しろと、説得されていた夫。

 そして、本日、とうとう夫が戦争の火蓋を切った。

 『ぼくたち、ママンの誕生会なんて行かないよっ』と・・・・。


 夫曰く、その時のママンこと我が姑殿の発狂具合は、凄かったそうである。おまけに、姑が私たちに頼んだ“ある重要なこと”を、私たちは未だやってないこともあり、信じられないほど電話口で狂っていた姑・・・・。

 1週間前、姑からの電話を取った瞬間、ただただ自分の思うことばかりを喋りつづけたうえ、私にいいがかりをつけてきた“ばばあ”に対して、私は「あなたの息子さんのせいですので、わたしのせいじゃありませんっ」とすでに、私自身も戦争の火蓋を切っていたのだが。

 そんな私に、姑は『私は、自分の人生のほとんどをふがいない夫を助けるためだけに生きてきたから、あなたも同じことをやって当然っ』と言ってきたので、『そんな夫を選んだのはあなたの問題、そして、もしあなたの夫と自分の息子に共通点が見受けられるのなら、それはあなたの教育のしかたの問題であって、そんなあなたの息子にわたしなりの対応をしても、それはあなたの関与するところではないっ』と、あまりにも冷静で淡々とした声で言い返すと、わけのわからない絶叫を電話口で続けていた姑。

 ますますエキサイトして、一方的に電話口で話しつづける姑。なので、テレビのリモコンでつまらん番組をザッピングするように、“プツッ”と電話を突然切った。

 

 そして、本日聞いたことだが、夫も、その弟も、現在信じられないほど困ったチャンになっている姑からの電話は、私と同じようにみんな“プツッ”と切っているとのこと。ちょっと笑ってしまった。なーんだ、みんな同じことやってるのねっ!!。

 確かに姑はボケていない。が、アル意味これも老いなのだ。すべての事象をネガティブにとらえ、自分が置いていかれるような感じがして、若い世代に食って掛かってくる。攻撃的な鬱・・・・、みたいな感じにも思われる。

 が、それと同時に、醜くだろうがなんだろうが、自分の思う通りにいかない場合、荒れればなんとかみんなが自分に従ってくれると計算してやっているところがあるのが、たまらない。

 ボーダーラインか?、ばばあっ?!?!?!。

 今回は、本当に私は何もイニシアティブを取らぬまま、ばばあの息子達自身が反旗を翻し出しているのが非常に興味深い。

 前述した、姑に頼まれいた重大なこともやらぬまま、バカンスに出かけようとしている私たち。そんな私たちを脅す意味で、先ほど姑から“これからパリに行ってやるっ!!”という脅迫電話がかかってきた。

 が、パリに来ても、私たちはもうすぐいなくなる。夫の弟家族もいなくなる。冷静に考えれば、そんなところにやってきて、彼女が自分の思う通りに愚痴ったり、家族を振り回したりできるわけがない。

 ってことで、夫とその弟には、“これはただの脅しにすぎないよ”と言って安心させておいた。

 だって、ね・・・・・・。姑の本当の目的ってのは・・・・、ね。自分だけが不幸だと思ってイライラしているわけであり、自分から遠いところに住む息子家族らが、自分という存在なくして楽しくやっていそうだと思うと、見捨てられたように感じられ、またそれを腹立たしく思うわけであり・・・・。そして、そんなパリにやってきて、いかに自分が大変だとか、色々大騒ぎして、息子達の家族に毒をなげつけて、みんながヘトヘトに自分以上に疲れ果てて、喧嘩した姿を見ると、落ち着くってのが、常套手段なのだからっ。そして、幸せになって、自分の郷に戻っていく・・・・・。

 ちょっとあまりにも悪質じゃないか?!?!、って私は常々思っていたが、今回は息子達が勝手に動き出したので、楽チンな私。



 夫から誕生会ドタキャンの宣告を受けた姑は、それでも夫を精神的に揺さぶろうとして、『ああ、なんてあなたの弟はかわいそうなんでしょうっ。せっかく色々と準備しているのにっ』と言ってきたそうだ。

 それに対して、夫は『ママン、弟はとっくにこのアイデアを知ってたし、賛成してくれてたよん』と明るい声で答えると、姑は絶句。さすがにいつものマニピュレーションは通用せず。


 といってもね、我が姑よ・・・・。

 別に、この日に私たちが行けないだけであって、

 数週間後には姑のところに行くかもしれないし、

 こうやってしょっちゅう会えるだけれもありがたい・・・、

 って側面を忘れて、世界一不幸なママンっていう

 位置に座りつづけると、本当に大切なものを気がついた時には

 忘れちゃうことになるっすよ?!?!?!。




 私は人生を知っていると数秒ごとに豪語する姑、本当に知っているのか?。


2004年07月26日(月) 丸尾な世界

 夫が、パリプラージュ(セーヌ川沿いに夏の間だけ設けられたビーチもどきの場所)へ出向いて、そこで毎日行われている太極拳を見に行きたいと、会社から電話してきた。

 太極拳って普通午前中じゃないの?、と聞くと、“いや、夕方もやっているような予感がする”とのお返事・・・。私とすると、やってないような予感がするものの、ま、いいかと思い、18時半にシャトレで夫と待ち合わせして、行って見ることにした。

 この間までは一瞬、暑かったパリだったが、本日は非常に寒い。薄着でフラフラと出てきてしまった私は、“しまったっ!!”という感じ。なのに、パリ・プラージュでは、暑い日を設定し作られたスプリンクラーが無残にも作動しており、曇り空で肌寒い沿道に、人口の雨を降らせ続けている。

 ゆえに、そこを通る人は、嫌でもびしょぬれになる・・・・。ああ、たまんねーぜ。


 ようやく太極拳の場所に到着すると、予想通り午前中だったので、誰もいず・・・・。ほらね。自分でも、散々、太極拳を朝方にやる理由だのを説明しているのにねェ・・・、夫よ。

 ともかく、目的を失ったわしらは、そのままそこをブラブラし、ふいに思いついた友人Mへ電話してみる。運良くMがいたので、3人で一緒に映画でも行こうということになった。

 が、突然、今度はスプリンクラーではなく、本当の雨が激しく振り出し、ずぶ濡れになる。もう、この時点でかなりイライラしていた私は、ようやく落ち合ったMから差し出された傘の存在によって救われる。

 が、傘が夫の手に渡った。ま、オトコなら傘ぐらいもっててね、と思ったのがすべての間違い。3人で傘に入りながら、パリスコープを見て、今から観る映画選び。こんなことをしているうちに雨が小ぶりになったので、傘をたたもうとする夫。

 が、背後に人がいるなんてことを全く気にしない夫は、思い切り濡れまくった傘を後ろに下げる→そこにいた私に直撃→私、ずぶ濡れ・・・、ということになり、夫とひと悶着(怒)。

 あわや、また夫婦喧嘩か?、と思われる危うい雰囲気の中、Mがなんとか取り持って映画館に到着。未だに何を観るか決めてない私たちは、そのままとりあえずチケット購入のために、列に並ぶ。そして、ひょんなことから日本映画があったので、それを選んだ。


 フランス版タイトル“GOZU”、邦題『極道恐怖大劇場--牛頭--』(監督:三池崇史/2003年) だ。

 この映画について、まったく予備知識のない私たち3人。チケットを買う寸前にMが私に、“あんまり残酷で暴力的な映画は嫌いなんだけれど、ゼロどう思う?”と尋ねてきたので、“ヤクザ映画って書いてあるから、多少は暴力的なんじゃないの”等と、のんきな会話をしていた。

 私たちが映画館に入ったときには、すでに予告等が終わり、今、まさに本編が始まろうとする暗闇。空いている席を悠長に探す時間もなく、一番前の席に3人で座る。

 どんな映画なんだろうか・・・・・・・?!?!?!


 今やヤクザ映画には欠かせない俳優となっている、哀川翔のド・アップ(なんせ一番前の席なので)が続き、日本ではやっているはずのチワワ犬を、振り回しぶっ殺す。うーーーん、つかみはOK。

 と同時に、さっき“残酷で暴力的な映画は嫌い”と言っていたMの顔を覗き込む。いやあ、もう、いきなり、はじまっちゃったねェ・・・・、ふふふ。でも、私のせいじゃないよ、ひひひ。


 この映画は、私的には、本当にヒット中のヒット、いやホームランっ、ともいえるものだった。詳しくは書かないが、サドマゾ&エログロナンセンスな世界。丸尾末広等のマンガを思い出さずにはいられない。昨年、丸尾のマンガをゲットして、これを一字一句訳して夫に読ませておいてよかった。

 じゃなかったら、映画の途中で夫みずから“まるで丸尾の世界だね”なんて言葉は出てこなかったと思うからだ。やはり石の上にも3年(笑)、色々とコアな日本サブカルチャーを教えておくものだ、と自画自賛。


 すごいぞ、三池崇史!!


 後で調べたところによると、日本では劇場公開されず、レンタルオンリーとか・・・・・。ってことは、この映画を、大画面&一番前の席で観た、ってことはまずまずなのか?。

 予想外にも、Mが各シーンで爆笑している。そして、各シーンで驚いている。これだけでも、なかなか楽しめた。夫も、しかり。

 舞台は名古屋なのだが、度々繰り返される“あんた、名古屋の人じゃないね”というのが、ツボにはまる。日本中をロードムービーのように、何度も旅した旅に味わった感触。また、敢えて地元の人しか集わない閉鎖的な空間に、するりと入っていった時の感覚が蘇る。ああ、たまらないっ!!。これぞ、私の日本旅行の原点なのだから。

 映画館に入る前には、喧嘩寸前だったわしらも、知らぬ間に仲直りし、映画館を出た後は、3人で映画についての議論で盛り上がり、そのままクルド料理やに流れ込んで、実に楽しい晩となった。めでたし、めでたし。

 なにもかも“牛頭”のおかげです。ありがたや、ありがたや。
 


2004年07月25日(日) ドーパミンな日々

 母のことで奔走し続けた一ヵ月半の日本里帰りの日々。そして、フランスに戻ってきたのが6月25日。それからようやく一ヶ月が経過した。実に、あっという間の一ヶ月だったように思う。

 フランスに戻ってきた直後に、母が悪徳訪問業者にひっかかり、そのクーリング作業などに追われ、と同時に一ヵ月半の不在とストレスでちょっとギクシャクした夫婦関係の修繕、色々と処理しなければならないことなどが同時に発生・・・・、まるで10枚ぐらいの皿を同時に回し続けるような生活。

 
 なかなか、濃かった・・・・・。

 
 ドーパミンが出まくってたような気がしてならない。


 問題察知、ないしはそれの見通しをたて、対策を探す。そしてその問い合わせや、心理作戦を考えて、行動に移し、できるだけ早く結果に到達する。ってなことが、この2ヶ月の間、私のアタマ活動のメインになっていた。なので、そこには、“効率”を挙げようとするのが最優先という私に対して、“効率”というものの考え方が違う非日本人の夫と真っ向からの対立、が避けられなくなる。

 しかし、これは非日本人ということだけではないということも気づいている。よくいえば、オトコとオンナの違いとも推測される(汗)。

 子育て真っ最中の夫婦などには、こういった問題がたくさんあるんじゃないか?、等と思われてならないことがある。母になった妻が、子を育ながら
日常生活を悪戦苦闘しながら成り立たせていく姿は、まるで皿回しをしているようだ。

 そこに、取り残される夫というオス。時には例外もあって、色々と皿が割れないようにさりげないフォローをしてくれる人もいるのだろうが・・・。

 夫のほうは、突然、妻の生活運行速度が時速50�舛世辰燭里�、200�舛泙脳緇此�そんなスピードを感じつつもギアチェンジしきれずに、オロオロ。そして、そこに妙な罪悪感が発生して、妻の一言一言に過敏に反応して、それが喧嘩に繋がっていく・・・・、ってな感じ?。

 おまけに、物凄い勢いで走っているのだから、妻は夫のことを構っていられない。そう、そんな余裕などないのだ。効率最優先の妻には、夫が付け焼刃のやさしい言葉など、効果はない。妻が欲しいのは、実生活に役立つささやかで、能率のよい支援だったりする。

 で、しばし効率を最優先するばかりに、夫のちょっとズレた支援を無残に却下しまくるうちに、夫のほうはだんだんとうなだれていく。ここで夫を誉めておけば、またやる気になるのだろうが、頭でわかっていても、なかなかできることではない。

 ボケ老人への対応も、本質は同じようなもの。叱るより、見逃せ。却下するより、受け入れろ。ってわけだが、これが実に難しい。というかわしにゃあ、不可能に近い。子育ての本質も、恐らくそんなものだろう。

 いずれにせよ、自分以外の親しい他者との生活、およびその世話というのは、俗に言う正論を超越した、“自分のキャパシティーを拡大させていく闘い”というものが存在するのだ・・・・、とつくづく思う今日この頃。つまりは、広い意味での寛容性と柔軟性。

 他者を責めることは本当に簡単。また、悩んでいる人に正論をぶつけて、“我こそ人生の勝者なり”と威張りつづけることも非常に容易。“〜すべき”と、第三者が簡単に言うアドバイスなんてのもあるだろうが、人生の問題ってのは、“〜すべき”だったことが難しくなってきた時点で、発生するのが常。

 誤算こそ、人生。

 また、誤算をなるべく避けたいと思うのが人間の本音。

 だから、人生に誤算が発生すると混乱する。

 PCだったら、フリーズしてしまう、と言ったところだろうか?。

 誤算という言葉は、不条理という言葉にも置き換えられるかもしれない。



 私にとって、6月がピークだったとすれば、現在の日常生活運行速度はようやく落ち着いてきたように思われる。と、同時に、気がついたら夫のほうの運行速度が少し上がってきたともいえる。が、どうにか2人一緒の運行速度に落ち着いてきた。

 また、母のほうも気分的に落ち着いてきた感じが電話で感じられる。ま、新しい生活(介護保険サービスにサポートされた日々)に徐々に慣れはじめてきたのだろう。

 母の新生活が始まったのが、6月25日でもあった。それは、私のフランスへの帰国日だった。その時、一ヶ月も経てば、落ち着くと強く自分に言い聞かせていたものだったが、実際には何度も心が揺れた。

 本当に落ち着くのか?、もしそうじゃなかったらどうしよう?、等とネガティブな感情が油断すると襲ってくる。これが非常に厄介だ。

 しかし、自分を含めて、他者ではなおさらのこと、自分が思う通りになど結果を期待できないと、常々言い聞かせ、モヤモヤとネガティブな気分が襲ってきた時は、思い切り気分転換するように心掛けてきたのだが・・・。


 

 本日たまたまやってきた友人Eが、私の顔をみて、“すごくいい顔してるね、なんだかスッキリしてる”と言ってきた。これも、私にとっての人生の難題の最初の一山をクリアーした証なのだろうか?。そうだったら、嬉しいものだ。

 そんなEも、人生の暗い日々をひとまず乗り越えて、生き返ってきたひとり。気分転換に一ヶ月ほどバカンスを過ごしてきて、真っ黒に日焼けしたEの笑顔は、つい六ヶ月前の彼の表情とはまるで違う。彼の人生の十字架は、私のソレとは比べ物にならないほど、重いものなのだが、こうやって生き返る人を目の当たりにするだけで、元気がもらえるのは嬉しいことだ。

 私も週末にはバカンスへ出発する。バカンス先からも母に電話したり、ケアマネージャーと連絡とったりする日々は続くだろうが、思い切り気分転換して、次の山に備えようと思うゼロでした。


2004年07月21日(水) 民族大移動

 私の予感どおり、バカンス先は激しい勢いで“クロアチアか?”と思わせておいて、突然コルシカ島に決定、という結果になった。



 ほらね・・・・・・。

 やっぱり・・・・・。



 コルシカ近辺で、ヨットで優雅にクルージングしている友人ES一家に合流するのだ。でも、ただ合流するだけじゃつまらんので、まず2人でコルシカに飛び、数日内地でブラブラしたあと、ヨットに乗り込むというのが大まかなスケジュール。

 アラン・ドロンを一躍スターに押し上げた映画『太陽がいっぱい』みたいに、最後に殺人になっちゃったりして?!?!?!、等と想像してみたりする私(笑)。


 クロアチアは、先日のSの説明だとドイツ人の避暑地と化しているとのこと。中産階級以下のドイツ人が、せっせと通いつめるバカンス先の一つらしい。

 確かに、ここ数日間パソコンに張り付いて、航空券などの発見状況などを調べていたが、ドイツ系航空会社が主で、すべて満席。現地ホテルの予約ができたとしても、そこにたどり着く手段がないんじゃしょうがない。

 また、1週間単位のクロアチア・バカンス・パック旅行は現在でもたくさんフランス国内で販売されているが、私たちは1週間じゃなくて、2週間はのんびりしたい。しかし、パック旅行の常で、期間延長は不可能とのつれないお返事・・・。

 ホテルだけ予約しておいて、あとはパリから延々と列車ないしは、レンタカーに乗ってアクセスするか?、とまで考えたが、そこまで疲れることもしたくないので、結局今年のクロアチア行きは断念。

 そんなところに、入ってきた一本の電話。それがESからだった。

 今年のコルシカ島観光客は、例年に比べて30%減とのこと。イヴォン・コロナ問題にはじまり、テロだのなんだので、すっかりイメージダウンしたらしい。確かに、コルシカに関係ないフランス人の多くは、コルシカ人のことを激しく嫌っていることが多い。

 コルシカ人さへいなければ、コルシカ島はいいところだ・・・、と言っている人をよくみかける。が、実際には、パリも同じ事。フランス人さへいなければ、パリは素晴らしい、等と世界各国のパリ憧憬者たちが語り継いでいるのは本当のこと、だ(笑)。

 今のパリは、日に日に外国人観光客で埋め尽くされはじめている。道やメトロで耳に入る言語のバリエーションは、実に豊富。いつものように、メトロの階段を駆け上ろうとしても、前へ進めないこともしばしば。というのも、のんびりした観光客が、横にひろがって、チンタラチンタラと歩いているからだ。

 噂によると、パリというのは、世界で一番観光客が訪れる、とのことだが、そんなにある意味“魅力的”な土地から、意地でも違った場所へバカンスに出かけたいと思う、パリジャン・パリジェンヌの姿が、妙に笑える。


 が、人のことは笑っていられない・・・、ということが判明した。

 夫の昔からの友人一家Pが、8月中旬から関西を中心に日本でバカンスをすることになったのだ。この件で、私は数日前から、俄か旅行代理店のようになり彼らの相談にのっている次第。

 私だったら、絶対に8月の日本へは行きたくない。特に、今年の夏の猛暑報告を、友人からのメールやら、ネットやらで知るたびに、ハーハーと息と体温が同時に上がってくるようだ。これぞ、バーチャル猛暑体験。

 私が“ねえねえ、日本の夏はすごーーーーく暑いんだよ・・”“京都なんて、灼熱地獄だよ・・・”と言っても、彼らの日本旅行に対する熱意は消え去らない。逆に、もっと燃え上がっていくようにすら感じられるのが、怖い。

 P一家の家長であるYは、神戸に海岸があると聞いて、そこで本格的ダイビングをやるつもりだったらしい(笑)。この話を聞いただけで、彼らは日本を除く、東南アジアにある、ゆったりとくつろげるリゾート・ビーチを都合よく想像しているのが伺える・・・・・、非常にイタイ。

 これを、現在パリ住まいの友人T氏(関西出身)に話すと、大爆笑。どうせなら、ということで、彼らに須磨海岸近辺の工場配置地図を、彼らに見せてあげるように頼んでみた。実際に地図を見せられた彼らは絶句(笑)。

 そして、地図を見せてあげているT氏自身、来週からビザの手続きなので一度関西に戻らなくてはならない運命。色々と準備があるので、一ヵ月半ほど関西に留まるのだが、猛暑を考えるだけで、今から鬱モード。

 同じところへ行く人間同士で、ここまで極端なコントラスト。なんともいえない・・・・。



 

 自分が属している社会および日常生活から、思い切り“金払ってでも”“苦労してでも”離れること、それがバカンスの目的なんだな・・・・、と、つくづく痛感したゼロでした。


2004年07月18日(日) バカンスはどこ?

 夫の夏の休暇日はすでに決定している。そして、夫はバカンスを思い切りエンジョイするつもりで張り切っている。

 が・・・・、未だ“どこ”でバカンスを過ごすかまったく白紙状態の我が家。ま、これもいつものことなのだが。で、バカンスに行きたいが、行き先が決まってないということから発生する焦燥感で、あたふたしている夫・・・・・、これも毎年恒例だ。

 突然、どこにも行けないのではないか?、という恐怖感に押しつぶされそうになっているのが、傍から見てもわかる。そして、友人らに電話をかけまくる。もちろん友人らの9割以上がすでに、バカンス先を決めているか、もしくはすでにバカンス先で、優雅な日々を送っていたりするから、余計ドツボにはまっていく夫。

 いちいち、人に影響されて揺れるなっ!!、と言えば、即喧嘩になるので、私は頑張ってこの一言を飲み込む毎日(涙)。


 そして、ふと海もきれいだし、クロアチアなんてのはどうだろう?!?!?!、と夫が言い出した。この言葉につられるように、クロアチアのことをちょっとネットで調べてみると、悪くはなさそう。しかし、現地を知っている人の意見が知りたい・・・。さて、誰にするか?、と考えていると、私の携帯にSからのSMSのメッセージが届く。

 普段は南仏住まいのSは、本日パリにいるという。で、このSこそ、父はフランス人だが、母はベオグラード生まれの旧ユーゴスラビア人。なので、クロアチアなども大変よく知っているオトコなのだ。

 こんないいチャンスはないと、すぐさまSが現在フラフラしているマレ地区にわしら夫婦で押しかけ、色々とクロアチアのことについて教えてもらうことにした。

 説明を聞いているうちに、すっかりクロアチアにいるような気分になって盛り上がっている私たち。夫は、すでに海の中に使っている気分であることは間違いなし。

 しかし、それでも、嫌な予感がする私。ほぼ行き先を決めて、強烈に気分が盛り上がると、そこには行けないというジンクスが必ずあるからだ。今までほとんどそうだし・・・・(泣笑)。

 さあ、本当にクロアチアになるのだろうか?、それとも思っていもいなかった場所にでかけることになるのだろうか?。まったくわからん、ゼロでした。

 個人的には、こんなハイシーズンに大枚はたいて、人の溢れるバカンス先に行きたくない、というのが本音なのだが・・・・。なにせ、夫が・・・・、ううっ。


2004年07月13日(火) 物乞い

 午後7時近く、私はアンヴァリッドの駅近くを、家路につくために急ぎ足で歩いていた。

 すると、突然とある人に呼び止められる。つい、返事をしてしまった私。振り返ると、アジア系の高齢男性が立っていた。道でも尋ねるつもりなのか?、と思って、彼の言うことをちょっと聞いてみようと思うようなアクションと取ると、彼はベラベラと自己紹介をし始めた。

 感覚で知っているので、これはナンパではない(笑)。とはいえ、どんな理由で急ぎ足の私を呼び止めたのかを知りたくなってきた私は、彼の訳のワカラン話に耳を傾けつづけてみた。

 しかし、私を呼び止めたからには、それなりの“オチ”が欲しいものだ。じゃないと、いじめるぞ、じじいっ。なんて、ことは思っても顔に出さず。

 彼は、ジャケットの左襟部分にたくさんつけた勲章もどきを私に見せてくる。彼曰く、フランス軍に所属していたとのこと。そして、現在はニースに住んでいて、29年ぶりにパリにやってきたという。なぜなら、明日、タイからやってくる娘たちや妻の迎えをしなければならないからだ、という。

 そんな彼自身はラオス人で、74才とのこと。29年ぶりにやってきたパリでは、仕事に急ぐ人たちに駅のホームで押されて、ひっくり返り、その際に手首を怪我してしまったといい、丁寧に手当てされ包帯に巻かれた彼の腕を私に見せてくる。

 彼に話し掛けられた瞬間から気付いていたことだが、かなり彼のフランス語のレベルは低い。さりげなく彼のフランス語レベルを計るために、彼が話したことを専門用語だの、文学的用語だのに置き換えて、繰り返してみると、彼は全然それらの言葉がわからない。

 かなり長くフランス軍にいたという彼だったが、そんなに長くいてもこのボキャブラリーという時点で、そうとう怪しい。また、胸にぶら下がっている勲章もどきも、相当ヤバイ、というかインチキそのもの。

 怪我した腕の手当ての仕方は、まさしくプロによるものだったので、さりげなく、“さっき駅で怪我したと言い張る彼”に、どこで手当てしてもらったのだ?、と聞くと、警察でやってもらったという。

 この時点で、大爆笑しそうになった私だが、彼がどんなオチを持ってくるかに興味があったので、“いい警察に連れて行ってもらってよかったですねぇ”と相槌を打っておく。

 私の出身はどこか?、というので、今回は嘘もつかず日本人だと答えておく。すると、このオヤジは調子にのって、“僕たちは同士だ”などと言ってくる。“なんで同士になるの?”と聞き返すと、アジア人だからだ、とのこと。なんのこっちゃ。

 で、いよいよ本題。結構オヤジの話にも飽きてきたので、そろそろ手の内を知りたくなってきたところの私だった。オヤジ曰く、義理の弟がオルレアンにいるという。で、明日妻と娘たちを空港へ迎えにいったら、その足でオルレアンに向かいたいらしい。で、その際の交通費が足りないという。

 ほーら、やっと本当の姿をみせてきたな、じじいっ。

 “いくら必要なの?”と聞くと、じじいは“8ユーロ79サンチーム”というわけのわからん厳密さで答えてくる。

 そうか・・・・・、こんなつまらん額で、つまらんでっち上げ話に突き合わされていたというわけか、わしは・・・・、と思うと、無償に私自身でじじいも考えもしなかったオチをつけて、この無駄にした時間にピリオドを打ちたくなってきた。

 なので、

私“そうですか、たった8ユーロちょっとがないために、大変な思いをしてらっしゃるのですね・・・。大変ですねぇ、本当に・・・・”

じじい“そうなんだよ、同士としてこの金を都合してくれないか?。”

私“私の母国には、72歳になる母が1人で暮らしております。もしかしたらアルツハイマーかもしれません。そして、夫はリストラ寸前で鬱病です。で、私はフランスと日本の行き来のために、これまでに資産を食いつぶしてきています。そごんじの通り、日本は世界一物価が高い・・・・。医療費もバカにならない。このままいくと、すべてが共倒れになって、近いうちに私は首をつるかもしれません”

じじい“・・・・・・・”

私“なので、たった100ユーロでもあれば、それでも足しになるのですが、用立ててくれませんか、同士よっ!!”

とじじいに尋ねてみた。すると、どんどん逃げ腰になっていくじじい。

じじい“100ユーロといわれても・・・”

私“あなた、自分だけが不幸だと思ってませんか?。”

じじい“・・・・・”

私“目の前に自分よりもっと金を必要としている人間がいるかもしれないのに、途端に無口になるとは、随分失礼な人ですね・・・・。ああ、残念だ”

じじい“・・・・・”

私“アナタの話は充分聞いてあげたのに、今のあたなの態度はなんですっ!!。無責任もはななだしいっ!!”

というと、彼は逃げていった(笑)。

 ということで、無駄話をきかされた憂さ晴らしを即座にやって、気分壮快なゼロでした。

 

 


2004年07月11日(日) 少女3人

 昨年の10月からはじめたレイキ。9日の金曜日からノルマンディにある、わしらのレイキマスターの別荘にて、わしら自身がレイキマスターになるための最終スタージュが行われた。

 色々と学ぶことがあるので、本当のレイキマスターになるにはまだまだ時間がかかるが、なかなか充実した週末だった。

 さて、このスタージュには、パリから同行したP&O夫妻とその娘S(7歳)、そして、別荘に遊びに来ていたわしらのレイキマスターMの娘E(35歳)とその彼(32歳)とEの娘達(V6歳とC3歳)がいた。

 最初のうち、一人っ子のSは、V&C姉妹と距離をとっていたが、自然に仲良くなりだす。そして、Sと長女のVは年齢も近いことから、あっという間に意気投合。そして、残されるは3歳のC・・・・・。

 一生懸命、年上の2人の気をひこうとするC。が、ことごとく年上の2人に無視されるか、いじめられるのが宿命。

 年上2人がカケッコをする。当然Cのかけっこの速さでは追いつかない。で、途中でCは走るのをやめる。Cは、年上2人が振り向いてくれるのを期待する。が、そんなCの期待を裏切るように、年上2人は走り続ける。取り残されるCは、しばし呆然。

 が、呆然としていても人生は進まない・・・・、と悟ったかのように、再び年上2人に追いつこうと走り出すC。

 ああ、これが下に生まれてきた人間の宿命なのか?、と、しばし激しい好奇心をもって観察。実に面白い。

 思えば、私もよく親戚の家に遊びに行って、上の従妹たちになんとか追いつこうとしたことがあったのを思い出す。長女タイプが遊びの指揮をとる。そして、それについていく。が、ついていけないことも多々ある。ハブにされることもある、って感じだ。

 が、私はもともと一人っ子ゆえ、ハブにされたようにされても、意外にうろたえないゆえ、そこでまた問題が生じたりして(笑)。

 3人の少女が繰り広げる世界をみているうちに、夫に“あんたも小さい頃、自分の弟をこうやって扱っていたんでしょう?!?!”と聞かずにはいられなくなった。

 すると、嬉しそうに“当たり前じゃん”と答える夫。Sの父Pも長男で、3歳したの弟がいる身ゆえ、今、この3人の少女達の世界で何が起こっているか、ありありとわかるという。

 何度も何度も、年上2人に追い出されるようにして、居場所がなくなったCが大人の世界に助けを求めにやってくる。

“みんなが仲間に入れてくれない”
“みんながいじわる”

等と、顔をグチャグチャにして泣いて走ってくる(笑)。そして、しこたま母に抱っこされて慰められると、また、年上の仲間になんとか割り込もうと出陣していくC。

 こんなことをしていれば、将来的に下が強くなるのも頷けると、つくづく思った。

 逆に、ボスのように仲間を仕切っている長男・長女タイプが、実は意外に大人になると弱くなっていくのではないか?、と思わざるを得ない。というのも、仕切れる場所がないと、どうやってがんばって仲間に入れてーーーーっ、とアプローチができないのではないか?、と思うからだ。

 ま、長男・長女タイプでも色々いるだろうが、とりあえず私の知る長女=姑や、長男=夫などを見ていると、こう考えてしまいがちだ。

 自分がボスになれないような立場には、非常に弱い彼らたち。一番したの立場から、新しい世界に入っていくことを極力さけるようなキライがある。もし、そんな時、誰かが彼らを持ち上げてあげれば、あっという間にリラックスする彼ら。が、それがないと、すねたりするから面倒くさいことがある。

 上でないと我慢がならない性質。不思議だ(笑)。なんで、こんなに不器用なんだろうか、彼らは?!?!?!。

 お兄ちゃん、お姉ちゃんなんか必要ないよ・・・・、なんて態度をとられるととたんにむくれるタイプの長男長女。必要とされたい、で、色々な世話をする、が、仮にしたの人間に“そんなことまで頼んでねーよ”とか言われると、やっぱりむくれてしまうタイプの長男長女。

 こんな時、このタイプの長男長女が期待している言葉は、“お兄ちゃん、もしくはお姉ちゃんのおかげで云々”というもの。また、このおかげで、自分が下の人間よりも上であることが確認できるわけで、何よりも嬉しい、というわけだ。

 姑に関して言えば、自分を必要とされてないと感じられる状況になればなるほど困ったチャンになるのは明白。むくれ度合いは信じられないほど、だ。それに比べ、姑の妹の不満の出し方は、姑のソレとは全然違う。どっちがいいのかは知らないが、この違いこそが私を楽しませる。

 逆に、長女でも末っ子でもない、中間子である自分の母になると、もっとわからなくなる。アル意味私にとっては宇宙人のようでもある。

 そんなわけで、週末は、この少女3人の挙動・言動で、大人たちが自分たちの子供時代を思い出し、色々な議論に花が咲いた。


2004年07月04日(日) 大家拝見

 5月末からパリにやってきて、しばらく我が夫の家に同居したあと、我が姑殿が所有するワンルームに住んでいたT氏。そんな彼は、とうとう自分の住処を見つけて7月1日からそこに住み始めている。

 高級住宅街にある、彼の新居。これ以外にも、数件の物件を同じような高級住宅街のみに所有する、T氏の大家はかなりの金持ちなのだろうな、と想像できる。

 大家夫婦の夫のほうは、中国に以前住んでいて、中国語も話すという人。そして、ドイツ人の奥方のほうは、大の日本好きということもあり、彼らの物件は日本人だけにしか貸さないようになっているらしい。

 大概の日本人は、きれいに部屋を使用し、家賃の払いもキチンとしているということは、恐らく一番大家側にとっては嬉しい条件だろう。


 さて、夕方T氏から電話があった。どうやら、今晩、T氏の大家の家でアペロがあるらしいから一緒に来る?、ということだった。それまでダラダラしていた私だったが、“金持ちそうなT氏の大家はどんな人か?”という私の好奇心に火をつけたので、さっそく行くことにした。

 急いでメトロに乗ろうとホームへ駆け下りていくと、そこで見知った顔を発見する。それは、夫の友人で、中国語と中国文化の大家のCHだった。なぜか彼とは行く方向が同じだったので、一緒にメトロに乗り、話をしながら道中を楽しんだ。

 そういえば、先日も、メトロに飛び乗ったら、同じ車両に夫の弟が乗っているのをすばやく発見。背後から彼に忍び寄り、ひとしきり彼が驚くのを楽しんだ後、世間話をしたことがあったが、どうも最近、こうして突然見知った顔に出くわすパターンが増えてきているのが笑える。

 さて、T氏とは、とあるメトロ駅のホームで待ち合わせしていたのだが、実はその駅が工事中でメトロは通過してしまうことを知るが、時すでに遅し。もうわしは、メトロの中。

 さて、どうするか・・・・?。

 工事中の駅の一駅前にするか、それとも一駅後にするか・・?。

 
 迷った挙句、一駅後の駅で降りると、ホームの先にT氏を発見。やった、当たったぜっ!!。そして、2人で高級住宅街を抜け、T氏の大家のアパルトマンに到着。想像以上にゴージャスな建物だった。

 そして、T氏の大家のアパルトマン内部に入ると、もっと想像以上にゴージャスだったので、思わず笑ってしまったほど。パリを一望できるテラスから、シャンパングラスを持って、くつろぐ日曜日の夕方。

 T氏の大家は、T氏が写真家と知って、自分の知り合いの日本人写真家を紹介しようと思い、今回のアペロを企画したようだった。そして、そこには、T氏の大家の知人写真家とその彼女で建築家の韓国人女性、そして、T氏、私の日本語を扱う4人+招き人としてのT氏の大家の計5人。

 今回は、T氏の大家の手前もあって、気がつくと皆がフランス語で話している。まだ、フランス語を自由に扱えないT氏も、耳をそばだてて会話の進み具合を追っている、という感じ。

 T氏の大家は、結局何をしている人がわからなかった(笑)。彼曰く、自分の仕事のことは秘密にしておきたいのだという。とはいえ、部屋に飾ってある絵や、本などを糸口に、色々とT氏の大家にさりげなく質問していく私。この人物性格推測ゲームが好きでしょうがない私、という性格をあらためて再認識して、ひとりでニヤニヤしてしまう。

 大家の夫のほうは、パリ、そして奥方のほうは南仏に暮らしているとのこと。夫のほうは、仕事であちこちを飛び回っているので、パリにもあまりいないことが多いらしい。

 離婚までする必要はないが、お互いに別々に楽しもう・・・、という夫婦かな?、などと思わせることがたくさんあった。帰り際、T氏と“結構、大家は遊んでそうだよねっ”とまたまたニタニタしてしまった。

 いずれにせよ、大家が遊んでいるか否かに関わらず、とてもいい人だったので、T氏はラッキーだと思ったゼロでした。


2004年07月02日(金) 訳すことの限界

 早朝、日本より電話。母の家の裏に住んでいるY嬢だった。彼女はいつもつかず離れずで、母の様子を見ていてくれる人。今回の母のクーリングオフ騒動でも活躍してくれた、私にとっても大変ありがたい人でもある。

 Y嬢から、ここ一週間の母の様子を聞いて、どうやら本日、母がデイサービスをサボっているらしい情報も入手したので、さっそくデイサービスセンターへ電話して、どんな理由で母が本日のことを断ったか?、などを尋ねる。

 そして、クーリングオフ騒動や近所の人の証言などもあわせて、今度はケアマネージャーI嬢に電話する。

 母は、私が出発前に必死に作った週間予定表をなくしてしまったのだった。なくさないように・・・・、ということで、冷蔵庫のドアにセロテープでベタベタに張っておいた、というのに・・・。なので、ケアマネI嬢に予定表の作成をお願いしたのだった。

 その後、母に電話して、また喧嘩になって母に電話を切られる。非常に腹立たしいっ!!。やさしくしようとしても不可能だーーーー。



12時頃に、とあるメトロのホームでY嬢と待ち合わせし、S嬢宅へ向かう。自宅からメトロに乗る前は、天気だったのに、メトロを降りた時点では、まるでちいさな嵐のような天気。なので、いそいで傘を購入。

 S嬢宅に到着するやいなや、S嬢の夫MそしてS嬢の母殿と5人で近くの中華レストランへ。S嬢の母殿があまりにもおもしろい発言をするので、このテーブルに座るたった1人だけ日本語を解さないS嬢の夫Mに申し訳ないような気がしながらも、4人で日本語で喋り捲り、食べまくる。

 おまけに、日本のテレビ番組などの話になると、いくらフランス語できちんと訳したところで、その番組自体などを知らないと話にならないことが多々アル。こういった時、つくづく非日本人との交流の難しさと感じる昨今。我が夫も含めて、だ。

 日本滞在中に、何度か夫に介護保険のことを説明してみようとトライしたが、この制度のことは理解できても、それにまつわる行政の対応などを夫はよく理解することができなかった。なぜなら、フランスのソレとあまりにも違うから、だ。それでも理解させようとすると、一冊本を書いたほうが早そうなほど、多角的に説明しないといけないような気がしてきて、説明自体を大分端折ったような気がする。

 そんなわけで、今回は、S嬢の夫Mはほとんどテーブルで発言することのないまま、ランチが終了した。これが、我が夫だったら、Mほど我慢してないのだろうな・・・、と思うことしきり(汗)。

 とはいえ、その後Mを抜いた日本人4人だけで再びカフェで集い、延々とお喋り。その席で、各々が“昔、私たちがこっちに来たての頃は、Mみたいに会話に参加できず、退屈な時間を過ごしたものだった”等と言って、お互い様だっ、という結論に至る(笑)。

 殊に、ただ今日本からパリに来ているS嬢の母などは、娘であるS嬢の義理家族と一緒に食事したりする場面によく出くわすものの、そこでの会話はよくわからない。わからないからこそ、視点を変えて、同席した人たちの挙動を観察したりして、それなりに楽しんでみたりしているとのこと。が、これが毎日続くとなると、さすがにちょっとツライというのも本音。

 となると、私もY嬢もS嬢も、それなりに一番退屈な時間というのを越えて現在に至るわけだから、結構頑張ったのねェ・・・・、と自画自賛。


 今は、愛猫と一緒に日本で留守番しているというS嬢の父が、母に持たせたお金で、私とY嬢は全部奢ってもらってしまった。縁側でネコを抱きしめているS嬢の父親の後姿などを想像しながらも、たらふく食べさせてもらった。ありがとう。


 その後は、S嬢らと別れまっすぐ家に戻ろうか?、と思っていたのだが、気がついたらY嬢と一緒にまた別のカフェへ移り、そこでビールを飲みまくり。Y嬢は非常に酒に強く、いい酒のみ友達だったのだが、残念なことに彼女は来週にはロンドンへ引越ししてしまう。

 なので、これが最後ということで、飲みまくり&話しまくり。レ・アール近くのテラス席で、馬鹿笑いしながら大ジョッキ抱えている日本人女性2人は、私たちでした・・・・・(汗)。


2004年07月01日(木) 家政婦

どうやら、とうとう母のクーリングオフの件、一件落着したそうだ・・・・。ふうっ。

 消費者生活支援センターのK嬢からも、母に電話があったそうで、“すべて手続きは終わりました、もう何も心配しなくて大丈夫です”とのことだった。ということで、これから母は、助けてくれたご近所さんにお礼周りをしに行くとのことだった。

 ま、もし、母の言ったことが本当ならば・・・だが(汗)。


 どこまで、この件で母が懲りたか?、というのが一目でわかる機械でも欲しいものだ。

 

 さて、私の不在中に、クチこみの評判で家政婦Mを雇い出した夫。そして、本日、またその家政婦Mに来てもらった。私も帰国後バタバタして心労が重なってたので、こうして家事全部をやってもらうと非常に助かる。

 でも、時給制なので、ケチな私はちゃんと家政婦Mが働く内容と、時間をチェックしてしまうので、その間に両手離しで昼寝とかはできない。ああ、貧乏性(汗)。

 家政婦Mはルーマニア人。甲斐性なしで酒を飲んでは暴力をふるう夫から逃れ、7年前にフランスにやってきて、ウルトラ家政婦として稼いでいる。もちろん彼女はノービザ。つまり闇で働いているので、わしらの支払いはいつもキャッシュとなる。

 彼女の2人の子供は、ルーマニアに残し、3ヶ月に一度はフランスを離れるという生活を続けているとのことだ。ルーマニアに戻る際には、色々な闇のルートがあって、そのバスに乗ると簡単に国に戻れるらしい。

 彼女曰く、ルーマニアは国をあげて外国に稼ぎに行くことを奨励しているらしく、ビザがあろうとなかろうと、自国に帰る際、国境で係員に100ユーロ払えば、簡単に入国させてもらえるとのこと。

 私がフランスに住んで、7年目。そして家政婦Mは8年目になるのだが、生活が本当に違うのだ・・・・、と実感。フランス語文法では、自動詞の複合過去を頻繁に間違えながらも、それなりに堪能に話す彼女。生きるために彼女が獲得したのだな・・・、とこれまた実感。

 家政婦Mが私に質問してくる。

M「フランスと日本を往復するのに飛行機で何時間?」

私「直行便で約11時間だよ」

M「ひえーーーーーーっ」

私「・・・・・」

 なんと反応していいのかわからないが、とにかく彼女にとって飛行機に11時間も乗るなんて、信じられないのだそうだ(笑)。それほど、彼女にとっては遠い国なのだろう、日本がっ!!。

 私としたら、飛行機なんて乗ってしまえばたいして時間は気にならない。が、成田・実家間のほうがよっぽと不便だっ、と訴えたいのだが、これを家政婦Mに言っても仕方がない(汗)。

 それにしても、よく働く家政婦M。以前、引越し時にアフリカ系家政婦を雇ったことがあったのだが、彼女は、適当に慣れてくると、ダラダラ働き出し、時間を稼ごうとする態度がみえみえだったので、働かすだけ働かせて、最後に自給を値切って、首を切ったことがあった。

 それに比べると、信じられない仕事の質。時間内にフルに働く彼女を見ていると、また頼みたくなる。が、あんまり頼むと金がなくなる(泣笑)。これからは、人を招いた後の後片付けなどがある時に、頼もうと思った。あとは、忙しくてアイロンがけなどができない場合なども、頼もう。

 それくらい、アイロンかけが大嫌いなゼロでした。


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