ゼロの視点
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| 2009年02月27日(金) |
Gran Torino |
クリント・イーストウッドの最新作『Gran Torino』を観てきた。フランスで公開されてまもなくのウイークエンドに映画館へ足を運んだので、そりゃあすごい人だった。映画館前の長蛇の列をみて、《ほ〜らみたことか、だから来たくなかったんだよ!》と夫にぶーたれてみたが、彼はそんなのお構いなし。オッサン、意外にミーハーなのだ・・・・・・(汗)。
ストーリーについては、あえて詳しく書かないが、冒頭から、やりとりや様々なシークエンスがとても面白く、まったく飽きない映画だった。イーストウッドが、毒舌頑固ジジイをコメディアンのように演じているのが妙に笑えた。
が、どうみても、毎日ビールをたらふく飲む、ブルーカラーの退職者じいさんにしては、イーストウッドがいい男すぎるのが、説得力ねえなぁ・・、と思った。本来なら酒でむくんでくるだろう顔とか、たるんでくるだろう腹など、そんな兆候まったくなし。来年には80歳になるというイーストウッドが、すくっと立ち上がった姿は、いまだにいいオトコすぎて、見惚れてしまう(笑)。
胸板もいいぐあいに厚いし、上腕部の筋肉も男らしい、そして、腰からしたはスラッとひたすらながく、映画途中、銃を手にしたイーストウッドが、またダーティーハリーになってしまうのか?、と冷や冷やしてしまったほど。こんな彼に、息子夫婦が老人ホーム入居をすすめるシーンがあるのだが、個人的にツボにはまって、大爆笑してしまった。
ラストにむけての展開は、なんだかなぁ、という感じだった。イーストウッドの作品で『ミリオンダラー・ベイビー』という映画を見たときも、巷でいわれるような感動は得られなかった私。『Gran Torino』でも、やはり同じような感触を得たにすぎなかった。が、映画館内には、鼻をすする音などが響き渡っていたので、結構な人が感動して泣いていたものと推測される。
『ミリオンダラー・ベイビー』は、以前、日本からフランスへ戻る飛行機内で鑑賞したのだが、なんだかピンとこず。その直後に、まだ機内でまったく眠くなかった私は、『海を飛ぶ夢 (原題Mar adentro/スペイン2004)』という映画を見始めた。
すると、だ・・・、奇遇なことにこれも尊厳死を扱った映画だったのだが、何の期待もせずに鑑賞しはじめた私は、もう最後には感動しまくって機内でウルウル、鼻水ジュルジュ状態。『ミリオンダラー・ベイビー』なんて陳腐だなぁ、なんて思ってしまうほど、個人的にはヒットした作品に出会ってしまった。
イーストウッド独特の説教臭さとは裏腹に、妙に単純というか、浅いような気がしてならないのは、なぜなんだろう?!?!?!。ううーん、なんだかなぁ。
これだったら、イーストウッドが同じく監督した作品『ガントレット(原題The Gauntlet/アメリカ1977)』のほうが、説教臭くなくて面白かったような気がする。たいしてストーリーもないものの、イーストウッドと私生活でも愛人だったという女優ソンドラ・ロックが乗ったバスが一斉銃撃されるシーンをやりたいがためだけに作った?、という作品。
ちなみに、死んだと思われたイーストウッドが目を開けて、ソンドラ・ロックに向かって、《Nag,, nag, nag 》と言いながら、起き上がってくるシーンは、私のお気に入り。なんだか、またこのシーンだけでもいいから見たくなってきた♪。
| 2009年02月24日(火) |
異国で生活するということ |
子供には幼稚園や学校、お父さんには会社、ママにはカルチャーセンター、そして老人にはデイサービスといった感じで、夫が日本に滞在しているあいだは、自治体ボランティアがやっている日本語教室へ通ってもらっていた。
私は、フランスでの自治体無料フランス語教室というものへ通ったことがある。学びにくる人の大半は、ちょっと浅黒いくらいから、真っ黒に日焼けした方々で、その次には、黄色く焼けた人とかも結構いたが、真っ白な人たちというのは、意外と少ないものだった。いたとしても、ロシア系がちょっとというくらいだったか・・・?!?!?。
夫に通わせた日本語教室も、気がつけば東南アジア系の人や、ぱっと見は日本人と区別がつかないような中国系や韓国系の人などが多く、白人系はあまりたくさんいなかった。が、夫は北京語を話すので、これはこれで、彼にとってはいい機会。
無料うんぬんというより、こういうところへ、敢えて足を運ぶことで、自分がいる社会の裏がみえてくるゆえに、実に面白いと私は思っている。また、私はフランスで外国人として生活しているとはいえ、日本に住む外国人事情については、お世辞にも詳しいとはいえないことに、あらためて気づく始末。
授業が終わった夫を迎えに行った時、教室を出たところで夫とあーだこーだフランス語でべらべら話していた時のこと。誰もフランス語なんてわかりゃしないと思っていたのが間違いで、久々にフランス語を聞いて、つい嬉しくなって私たちに話しかけてきたのは、セネガル人。
中国で長いこと仕事をしているうちに、日本人女性と知り合った後、九州に二人で移住し5年。こっちには数ヶ月前にやってきたばかりという彼。日本人の妻との共通言語は中国語で、彼自身、日本語ははあまりできないという。
日本人の友人もつくれず、妻とのコミュニケーションにも限度があり、気がつけばどんどん隙間があいてきてしまっているようなことを語ってくれた彼。このご時勢、仕事もなかなかみつからないとのことで、みるからに元気がないセネガル人。
彼はもっと私たちと話をしていたそうだったが、あいにく、私たちは他の用事がつまっていたので、「また今度!」と言って別れたものの、次に夫が日本語教室に戻ったときには、彼の姿はなかったらしい・・・・。
何の変哲のない、日本人ばかりいそうな住宅街の中にあるマクドナ○ドで、無線LANに接続して、夫と二人で各自のパソコンに向かって、100円コーヒーで粘っていた時のこと。気がついたら、若いインド人男性が私たちと友達になりたそうに笑いかけている。
こんな場所で、非日本人とコンタクトとるなど、まったく考えたこともなかった私だったが、夫と一緒にいると、どうもこういうことが頻繁に発生しだすのだ。難しすぎて、私には覚えられない名前の、最先端の科学技術を研究するために日本に留学しているという彼。
思い切り文系のクセして、なぜかインド人留学生の研究分野について、ちょっとだけ聞きかじり情報をもっていた夫が、英語で話し始めると、みるみるインド人の顔が嬉しそうに輝いていく。これをみて、ああ、この人ももしかして、日本で孤独だった?、等と思ってしまった私。
「日本語なんて、主語からはじまって最後の最後につく動詞までをちゃんときいてないと、肯定文なのか否定文なのかもわからない、とんでもない言語、本当に難しくて頭にくるっ!」等と、夫がこれまた嬉しそうに語りだすと、インド人も「そうだ、そうだ♪」と、悩みを共感する他者が出現して楽しそうに応答。
この時も、インド人はもっと私たちと話したりしていたかったようだが、あいにく、時間制限つきで日本にいるだけの身、用事がつまっていたので、これまたここでバイバイ。私たちは名刺を持参しておらず、彼が連絡くださいと名刺を夫にあげたのだが、ADHD気味な夫がきちんと保管できるわけもなく、見事紛失。ゆえに、以後、このインド人とは連絡が取れていない。
フランス在住の日本人連中とつるんで、フランス人の悪口言ったり、フランス語のことぼろくそ言ったりして憂さを晴らすことを、私もよくやってるが、日本に住む外国人も、日本語や文化の壁にぶつかり悩んだり、苦しんでいる姿を目の当たりにすると、それはそれで感慨深いものだった。
外国人にはなかなか入り込みにくい日本独特の通勤風景と、ボジョレ・ヌーボーの広告
西表島のとある集落のとある旅館でのこと。宿泊に際しては、この地にて長年フィールドワークをしている研究者T氏に手配してもらったので、宿泊当日に宿に行くまで、直接宿の人とやりとりすることはなかった。
到着したら、手配してくれたT氏の名前を伝えたあとで、宿泊の手続きをすればいいのかな?、などと漠然と考えながら、港からのバスにゆられていた私たち。ようやく目的地の停留所に到着し、そこからは荷物をガラガラとひいて宿まで徒歩。
なんとも昭和テイストの風情ある宿の玄関に入り、「すみませ〜ん」と声をかけてみる。しばらくすると、奥のほうからリラックスした格好の宿の主とみられる人が、私たちのほうへ向かって歩いてきたので、挨拶をしながら次のように言ってみた。
「Tさんのほうから紹介で、本日から2泊お世話になることになってるものなんですが・・」と伝えると、宿の主人と見られる人は「ちょっと待っててください」という言葉とともに、また奥へ消えていった。
予約表でも確認に戻ったのかな?、などと思いつつ、玄関で待ってみた。
女性の声「だれぇ?」
と、奥からの会話が明瞭に聞こえてきた。どうやら、主人の妻と思われる人が、奥に陣取っているようで、「だれぇ?」という、夫に対するものの尋ね方と声の出し方からして、主人が完全に妻の尻に敷かれている妻 感じがひしひしと伝わってきて、おかしくなってきて私はニヤニヤ笑いが止まらなくなってきた。
そして、「だれぇ?」という妻の問いに、主人は次のように答えた。
主人「ガイジンっ」
妻「じゃ、○○号室」
が・い・じ・ん?!?!?!?!、と、ここまであっけらかんと会話されたうえに、ガイジンと答えるだけですぐに部屋番号がわかるという、この宿のチェックインシステムに、ビックリ。そして、主人が奥から玄関に戻ってきて私たちに、「それじゃ、お部屋に案内します」といって、一緒に彼についてくるように指示してきた。
部屋に案内されたあとは、「食事は6時からです」という言葉だけを、主人は私たちにかけただけで、彼はまた奥方がいると思われる部屋へ消えていった。私たちが誰で、どこからきたのかなどということはどうでもいいらしい。宿帳に記入なんつーことも求められず。夫のパスポートを見せろとか、そんなのももちろんなし。
T氏の知り合いということでOKだったんだろうが、それでも、ガイジンというひとくくりでやり取りが片付いてしまうシュールなコミュニケーションがツボにはまってしまい、しばし笑いが止まらなかった私。
今や差別用語のひとつとして、マスコミをはじめ自主規制されて久しい言葉、それがガイジン!。こういった自主規制に常日頃うんざりしていた私は、妙にこれが面白くて新鮮で、嬉しくなってしまったのだ。ううーん、このユルさ、たまらないっす♪。
怖いものなしの認知症老人連中と、かろうじて成立するか否かギリギリのラインで会話していると、突然、ものすごい放送禁止用語とか、差別用語が彼女らの口から出てきて、これまたものすごく面白く、ツボに入りまくった私は終始笑いっぱなしになるのだが、それと似た面白さが、宿の主人との会話で体感でき、ひどく満足だったゼロでした。
昨年の秋に、夫と従姉妹H嬢カップルの4人で善光寺に行った時のこと。折りしも、七五三の季節ということで、参道から境内にかけて、華やかに晴れ着をまとった子連れ家族で溢れてかえっていた。
『ほら、これが七五三といって・・・』と夫に説明しようと振り返ると、彼の姿はない。またいつものように七五三という行事をはじめて日本でみて、興奮してバッテリーが切れるまでアホのように写真を撮り続けに旅立ってしまった模様・・・・・・。
自分の知っているありったけの日本語単語を口にし、数え切れない家族連れに話しかけ、ポーズをとらせたうえて写真を撮りまくっている夫・・・・。こういった時にうっかり近づくと、今度は写真撮らせてくれている人たちに私が質問攻めにされる羽目に陥るから、私は、遠巻きに他人の振りして彼らをチェックするのみ。
『どちらの国のかたですか ?』,『日本語お上手ですね』、『おもしろい方ですね』、などにはじまり、『ご夫婦なんですか?』なんて、決して尋ねられることのないように、常に遠巻きなのだ、私は・・・・。
きっと放っておけば、腹がすききるまで通る人、通る人を写真とりまくっているだろう夫。どこかで犬笛を吹いて、オッサンを呼び戻さないと・・・・・、ということで、日本人の耳にはペット犬の名前のようにしか聞こえない夫の名前を大声で呼んでみる。
突如境内で、図体のでかい得体の知れない女が、『ポチィィィイイイっ!』と叫びだすと、その呼ばれている“ポチ”というのがどんなものなのか、ついついつられて探してしまう人がチラホラ。そして、私を取り巻く周囲に一瞬の静寂が訪れる。“ポチ”とやらがどこから出てくるのか?。
皆がさりげなくアンテナを張り出したところに、オッサンが“やべぇ、ゼロに怒られる・・・”みたいな雰囲気をモロダシにしながら、私のほうへ向かって走ってくる。こんな光景を目の当たりにし、周囲の人々はポチが、“ただの変な外人”だったことを察し、彼らはまた自分たちの日常に戻っていった。が、私の“なんでもあり”な日常は引き続いており、善光寺本道内に入り、胎内巡りをしはじめた時のことだった・・。
胎内巡り、または戒壇巡りとは、《瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる御本尊様とつながれた極楽の錠前に触れ、秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際、お迎えに来ていただけるという約束をいただく道場。(善光寺公式ホームページの説明より抜粋)、というシロモノ。
私を先頭に、夫、従姉妹H嬢カップルらと続いて漆黒の闇の世界へ降りていく。何度もこれをやっている私とはいえ、久々の真っ暗闇に腰がひける。壁づたいにゆっくりゆっくりと歩いていくうちに、なんとなく足元が見えてきた。
暗闇といえども、目が慣れてくると足元が見えるようになるのか?、と妙に感動しながら、また少しずつ進んでいくと、足元だけでなく壁の構造まで見えるようになってきた。そのうち、前を行く人の姿まで見えるようになってきて、『おおおおおっ、すごい、仏教の奇跡か??』と俄かに焦りだし、後ろをふりむいてみた。
すると・・・・・・・・・、奇跡でもなんでもなく、夫が携帯懐中電灯をつけていたことが発覚。ご丁寧にも、最初は携帯からもれた光にはじまり、本格的に懐中電灯を探し出し点灯させていたらしく、ゆえに、徐々に色々なものがみえるような効果となった模様・・・・。
そして私は、おお慌てで夫に注意する。が、夫、なぜか逆ギレ。「こっちのほうが歩きやすいじゃないか!」と。逆ギレする夫に、「暗闇を歩くことに意味があるんだ、ボケっ!」と、私がまたキレそうになったが、これ以上ここで喧嘩しても、ますます周りの人に迷惑をかけるだけなので、夫の耳元で、ささやきながらもきつーーく怒って、懐中電灯を消さるのに一苦労。
それにしても、迷惑だ・・・・・・・・・・この外人・・・・・・・。
ってか、築地のマグロの競り場で追い出される外国人観光客って、こんなやつらなんだろうとつくづく思ったゼロでした。
善光寺で七五三♪
| 2009年02月10日(火) |
Young@Heart |
新年早々、有楽町にどうしても観ておきたい映画があったので、出かけていった。ずうっと布団にくるまっていたい誘惑に何度もくじけそうになったものの、その日はなんとかそれに打ち勝ち、映画館まで到着することができたのだった。
その映画は、『Young@Heart(邦題ヤング@ハート/Stephen Walker監督2007年イギリス)』。平均年齢80歳のコーラスグループの日々を追ったドキュメンタリー形式の映画。ボブディランやトーキングヘッズなどのレパートリーをカバーするだけでなく、な、な、なんと、ソニック・ユースのコアな曲までやってしまうから、もうそれだけでぶったまげな、アメリカ・マサチューセッツ州にある老人コーラス隊。
思えば、母がボケ始めたと思われる2003年からの日々は、そんな親を介護する娘としての視点と、様々な問題を抱えながら置いていく高齢者というものに対峙するライターとしての視点で過ごしてきている私。ゆえに、この映画は双方の観点から決して逃してはならない作品であったのは確かなのだが、実際にはじまった瞬間に、もう感動してしまったほど。
それほどまでに、命がある限り、その最後の最後まで自分の意思でチャレンジし、歌おうとする彼らのずざまじいエネルギーが、私たちの魂にダイレクトに訴えかけてくるのだ。ドキュメンタリー形式なので、撮影途中に亡くなっていく人も出てくる。
私が彼らの年齢になったら、ここまで歌っていられるのかどうかすらわからないとはいえ、こうであれればいいなぁ・・・、と思わせるだけの内容だった。
身体能力が落ちるに従い、徐々に増えていく不安。それらの不安に押しつぶされまくった挙句、日々鬱々と嘆き悲しみ、手を差し伸べようとしてくれる人にさへネガティブな発言をするような高齢者にはつくづくなりたくないものだが、こうならないためのヒントがここに集約されているように思った。
また、このコーラスをひっぱっていく指揮兼コーチのボブの態度がとてもいい。高齢者相手に、まったく手加減せず(日本だったら、ひたすらやさしくしすぎて気色悪いくらいなものだが)、びしびしと難曲を彼らにチャレンジさせていくのだ。
妙に老人扱い=コワレモノ扱いすることがいいとは限らない!、と示すいい手本になっているように思えて鳴らない。実際にこの映画を薦めてくれたMT嬢曰く、「ゼロの親に対する態度が鬼畜だと思ってたけれど、あれってもしかして高齢者をシャキっとさせる効果があるのかな?、ってこの映画をみて考えさせられた・・・」とのこと。
老人だからとか、ボケてきたからというだけで、やさしくして、何も否定しないで受け止めていくというのが本当にいいのか?、という問題提示を私たちに投げかけてくるだけでなく、死ぬ間際までチャレンジする目標がある人間がどれほど幸せでいられるか?、というものを示唆してくれるすばらしい映画だと思った。
同じく人の《死》にまつわる映画『おくりびと』を観たかった私。結局念願かなって、フランスに戻る機内で鑑賞することができた。これはこれでいい作品だと思ったものの、個人的には『Young@Heart』から得た感動からは程遠いと思ったゼロでした。
里帰り中に、非常によく耳にした言葉が“アラフォー”。まさしく、私がアラフォーなわけで、この世代がクローズアップされていると思うと、妙におかしくなってくる。そして、里帰り中に、私が交流する友人・知人の大多数がまたアラフォー女性ばかり。
極めつけアラフォーの友人MF嬢。1月2日に夫と息子2人と一緒に、彼女の実家へ挨拶をかねて年始の食事会へでかけたあと、その晩、夫にクルマで送られて私の実家にやってきた。
MF嬢の夫が「お届けにまいりました〜♪」と、彼女をうちに届けにきたのだ。そして、彼女の夫と息子たちはそのまま、家にクルマで戻っていき、妻でありママでもあるMF嬢は、この晩から、わが実家に2泊もしていくのだ。
そこに、近所の幼馴染のアラフォーMT嬢が、やはり家族との食事会を終えたあと、我が実家へ飲みなおしに合流してくる。皆で、お酒はちょっとだけ・・・等といいながら、気がついたら明け方まで・・・、といういつものパターンを2009年早々繰り広げ、すっかり明るくなった頃、MT嬢が千鳥足で家路についていった。
その後、爆睡しまくった私とMF嬢。昼には起床して、せっかくだからこれからどっか温泉旅行にでも行こうっ!、と盛り上がりネットで行き先を検索しているうちに、「昼寝する?」、とどちらからともなく言い出し、温泉どころか布団に逆戻して、ふたたび爆睡。
ようやく目が覚めると、完全に夜。ダラダラしすぎて何もする気がおこらないので、近所の寿司屋へ二人で行ったあと、スーパー銭湯にGO。露天風呂に入りながら、2時半もひたすらくだらないおしゃべりに花をさかせたためか、すっかりふやけてぶよぶよ。
MF嬢とは、10代の終わりから一緒に旅行しまくってきた同士。あの頃のように“ピチピチ”ではない私たちの肌をお互いにチェックして、「昔のようには、水をはじかなくなったねぇ・・・」と言い合い大爆笑。ここで、ショックをうけることなく爆笑していること自体、わしらが相当なばばあになってきていることがわかろうというもの。
風呂からあがるとまもなく日付もかわり、そんな暗い真夜中、ヒトケが全くない、無名の神社仏閣などを参拝。遠くからみたら、ただの仏像泥棒にしかみえないくらいの私たちだったが、こういう初詣が好きなのだからしょうがない。
そして、午前3時過ぎごろに家に戻り、ちょっと一杯ひっかけて就寝。とりあえず、こうしてアラフォーといわれるわしらは、年始早々、一緒にしたことが“昼寝”という、ただただ非生産的な時間を共有することで、見事にも現実逃避を堪能した。
自分たちの親が、私と同じ年齢だった頃、こんなことはしてなかっただろうなぁ、とつくづく思いながら、今、この時代にこの年齢で、妻、ないしは親でいることができてよかったのかも・・・・?!?!、と二人で妙に納得した正月だった。
おととしの冬、中途半端に溜まっていた、夫名義のA○Aマイルが有効期限を迎えることになり、しょうがないのでマイルを使って自転車をもらうことした。実家には、母が昔使っていた自転車があったものの、もう手入れもされずに放置されているだけの状態だったこともあり、1台くらいあっても無駄ではなかろう・・・・、と思ってのことだった。
が、この1台が私の人生を変えた♪、なんていうとちょっと大げさなのだが、今じゃすっかり自転車ばばあと化してしまった私。奇しくも、昨年はガソリンが値上がりしたこともあり、いつ実家のクルマを手放してもいいように、可能な限り自転車で移動するように努めはじめたのがキッカケ。
すると、これがなんとも気持ちよく、やみつきになってしまったのだ。クルマをすっ飛ばして、もしくは電車やバスをつかってイライラしながら、目的地から目的地へ余裕なく移動する生活とはうって違い、今まで目に付かなかった景色などが、どんどんと目に飛び込んでくる。
雨風のときはさすがに不便だが、それ以外は楽しくてしょうがない自転車。走行距離を測ってみると、平均20キロ以上は毎日走っている模様。昨年、里帰りした翌日に友人MF嬢と、あらかじめ調査しておいた、とある“地域”に潜入ルポサイクリングした時は、2日で56キロも自転車を漕いでいた。
その後、自転車ショップに通って色々なオプションを購入し、快適にバージョンアップしたこともあり、ますますマイ自転車に愛着が沸いてしまい、パリに戻ってきた今も、これを乗り回したい気分。が、さすがに愛車を運んでくるわけにもいかないので、パリでは、あの有名な貸し自転車VELIBが私の移動手段のメインになっている。
よほどの悪天候でないかぎり、私はあらゆる場所に自転車で突撃するようになった。もともと、ゆっくり自転車を漕ぐことができない性質の私。日本でも、パリでも、異様な速さで街中を疾走している。パーティーなどへ行く時も、ドレスやパンプスなどをリュックサックに詰め込んで、髪を振り乱して自転車で現地へGO。
昔は、ちょとでも歩いたり、自転車にのるだけでもダルーっと思っていたような私が、こんなに元気にチャリンコ乗り回すようになるとは・・・・!。こうして、年をとればとるほど元気になっていく私は、いつかマラソンとかはじめてそうな気がしないでもない・・・・・。
やたら元気なばーさんとかを見て、こういう暑苦しい人種は地球上からいなくなってしまえばいい!、などとかつては思っていた自分が、それに確実に一歩一歩、近づいているのかもしれない・・・、と思うと、ちょっとだけ背筋が寒くなるのだが、ま、しょうがない。
日本とパリでのチャリンコ生活での一番違いはといえば、そのスリル感だと個人的に思っている。歩道を器用に走ったり、一通を逆走等なんでもありで、日常生活に密接した乗り物なのが、日本の自転車生活。しかし、フランスでは、バイクなどと一緒に車道を走らねばならないので、危険がいっぱい。
4車線道路を左から右へバイクのように移動する時の冷や冷や感とか、極めつけは凱旋門のロータリーに突っ込んで行き、自分が行きたい方向へ抜けていくまでの“危険な遊戯”は、本当にやみつきになるのだが、一歩間違えるとあっという間に病院行き。
ということで、VELIB愛用の皆様、お互いに気をつけながらも、自転車生活を楽しみましょう〜♪。
夫がおしゃべりなせいで、色々な仏人の友人・知人に会うたびに、「ゼロが書いた本が出版されたんだってねぇ、でどんな内容?」と聞いてくる。本がでたところまで語るなら、全部てきとうに話しておいてくれよ、夫・・・、と思うのだが、みなが興味津々に尋ねてくるから、これが非常に面倒くさい。
できることなら、こんなこと話したくないのだから、私・・・・。でも、てきとうにはぐらかしても、なんとかして本の内容を知ろうとしてくるツワモノ相手に、私は「フランス人について」と答える。すると、もっともっと知りたがってくるのが彼ら。
ここで、「一般的に日本人とフランス人を比較したうえでのことで」と、前置きをきちんと言うのだが、そのあとに「日本人よりフランス人のほうがケチなような気がしたので・・・」と、長々と説明しようとすると、もうこの一文だけした耳に入らなかったフランス人連中・・・・。人の話なんぞまったく聞かずに、自論を繰り広げ私を言いくるめようとしてくるから、これまた非常に面倒くさい・・・・。
それも・・・・《自分たちは、全然ケチじゃない!》と、私に説得にかかってくるのだから・・・・。熱くなって説得してくるならまだいいが、ぶち切れる人らもいるから厄介だ。こういう人を見て内心、死ぬほどおかしくてたまらず、いつかどこかで発表しよう♪、なんて思っているのだが、その場で笑うと面倒くさいことになるので、マジメなフリして、事態の収拾にあたるのが常。
いずれにせよ、言葉などは相対的なものだから、あなたにとってケチと思うことと、私にとってケチと思うことが違って当たり前。元来、哲学的だとか、知的だとか、議論好きだなどと言われて喜んでいるあなた方フランス人というものがあるのだとすれば、こういった機会をシャレとして受け取り、色々と議論してもいいはずだ、と私がバッサリと切り返すと、結構彼らは一瞬おとなしくなるから面白い。
あえてそこでムキになるということは、思い当たることがあるのか?、と矢継ぎ早に攻めていくと、一瞬おとなしくなったフランス人がまた熱くなりだす。ま、私も面倒くさいといいながら、相手をいじって遊んでいるだけともいえるのだが・・・・。
とにかく、ケチといわれると、まるで自分が貧乏といわれたかのように取り違える人が多いのには、驚いた。おまけに、私の友人・知人レベルのフランス人において、その90%以上の人が、自分のことをケチだなんてこれっぽっちも考えたことがないということは、こういう問答を繰り返しているうちに、よ〜くわかった。
この議論を円満に終わらせるために、いつも私は《なんでも言いなりに、金を払わないあなたがたフランス人のほうが一枚も二枚も上手で、アタマがいいのよ〜、おほほほほ》と、誉めて誉めて誉めまくる。すると彼らは、本当に嬉しそうに納得して、違う話題に移って私を解放してくれるのだ。
さすが、《うちの豚児が》、《私の子供はたいしたことなくて》などと、人前では謙遜するのをよしとしてきた、一般的日本人とは違い、身内だけだろうが、人前だろうが、誉めあって馴れ合っているフランス人ら相手には、大げさなくらい誉めておけば、たいていのことは大丈夫なのかもしれない。
ちなみに、うちのくそばばあこと、ブルターニュの地方都市に君臨している姑は、自分の息子をいとおしそうな目でみつめ、その全身をなめまくりそうな勢いで、《ああ、私の生きた美しい彫刻よ♪》などとよく叫んでいる・・・・・。
この言葉をふいに耳にするたびに、大爆笑せざるを得ない私だが、こんなことを大真面目にやっている人がいるのだと思うと、ある意味ホラー映画にしか思えないセロでした。彫刻が動き出したら、怖いじゃねーか、ばばあ!。
今回は、3ヶ月オープンの航空券をつかって里帰りしてた私。ちょっと長くなりそうな時は、いつもこの航空券をゲットするのだが、まだサーチャージが高い頃だったので、結構フトコロが痛かった。
10月のはじめに日本にやってきて、帰仏は12月21日にしてあったので、余裕で3ヶ月以内でOKのはずだった・・・・。が、前の日記にも書いたように、母の成年後見人になるための、裁判所への申立てなどでど12月中にフランスに戻るのは不可能になってしまった。
普段だったら問題はなかったのだが、いかんせん年末年始をはさんでのこと。役所仕事は完全にその間停止してしまうことを予想しても、3ヶ月オープンチケット有効期限内の1月上旬に帰仏するのでは、何も用は足せないことは火を見るより明らか・・・・・。
さーーて、困った・・・・・。どうしていいかわからないまま、A○Aに電話して、自分のチケット状況を問い合わせてみることにした。ま、たずねたところで何が変わるわけではないとはしても、だ。
するとオペレーターが、「お客様のチケットは、1年オープンです!」と行って来る・・・・。
「い、い、い・・・・・い・ち・ね・ん ?!?!??!!」と、裏声で叫ばんばかりに驚いてオペレーターに問いただす・・・・。
それでも、彼女は「はい、1年になっております・・・」
「ってことは、私はいつまでにフランスに戻ればいいんですか?」と尋ねると、2009年の10月はじめ、という答えがかえってきて、嬉しいの意外なことへの驚きに、しばし呆然としてしまった私。とにかく、この電話では、すぐに帰国日を決められそうにないので、また電話して、帰国の日を決めさせてもらうということで電話を切った。
これで嫌味ばかりの裁判所書記官にも、“余裕をもって日本にいられる自分”というのを誇示できるし、色々な雑用をゆっくりと整理できる!、と思ったら、俄然、人生がばら色のように感じられてきた(←単純)。この時点で、お先真っ暗なほど、書記官に致命的なことを言われていた私だったのだが、この吉報を得たあとは、足取り軽く新宿へ遊びに行ってしまった。
あれもしたい、これもしたい、等と考えていくうちに、だんだんと私は、いつ帰仏したらいいのかわからなくなってきていた。そういえば、春にはまた日本に来たいようなkとを夫が言っていたし、2月末にらくにインド旅行にいかないか?、という誘いが別のところから入ったり、ならいっそのこと、春に夫にこっちに来てもらい、またどっか旅行でも行ったあとにフランスへ戻る?、などと考え始めるまでになっていた。
が、せっかくの1年オープン、GW明けに帰仏しちゃうのはもったいないから、もっと日本にいて、夏祭りまで楽しんでしまおうかなど、妄想が膨らむ一方。時間制限付の食べ放題バイキングに突如、放り込まれたかのように、自分の腹が本当に空いているかどうかは別にして、とにかくできるだけのプロフィットはゲットしたい・・、と気が触れはじてきていた私。
そのうち、まったく自分が何をしたいかわからなくなった私は、深夜に電話占いまでしはじめた。そして、ようやく自分がピンときていてものが明確になってきたのと、占いの運気がほぼ一致していることに気づくことができたような気がして、やっと帰る日の目処がたてられるようになったのだ。
その翌日、紆余曲折を得たうえで決めた日にちで、帰国便を予約しようとA○Aに電話すると、なんと私のチケットが1年オープンじゃなくて、3ヶ月だと、オペレーターがのたまう・・・・・。前回同様、オペレーターの返答を耳にした私は、電話口で、「3ヶ月だってぇぇええええええっ !!!!!!!、ふざけんなぁぁああああああっ。」と絶叫。
オペレーターに、それまでの事情を話したところで、相手はこっちを信用しない。私に、1年オープンだと言ったオペレーターの名前を覚えてなかったこともあり、私がでっちあげて騒いでいるとしか、相手はとらないのだ・・・・。
が、なんとしてもこのドタバタを有利に展開させたい私は、色々と作戦を考えながらもオペレーターと押し問答。そして、ふと思い出したのが、電話の内容がサービス向上のためにすべて録音されている、というアナウンス!。とっさにそのことを述べ、会話があった日時などを基に、“1年オープン”の会話を探してもらうことにした。
折り返し電話するとのことで、待つことたったの5分。あっさりA○Aから電話がかかってきて、オペレーターは「残念ながら、お客様の会話をみつけることができませんでした」とのたまってくる・・・・。ここで、じょじょに怒りのバロメーターがあがってきた私は、マジに食いついていくことにした。
粘りに粘って、色々なことを慇懃無礼にいいって責めながら、もっとA○Aに真剣に調べてもらうように交渉・・・、とはいえ、自分たちに不利なことだから、見つからないフリして逃げ切るかもしれない・・・、という不安がよぎりはじめる。私のほうから電話した記録をとろうとNT○に電話すると、A○Aにはフリーダイヤルで電話しているので、私からの記録は残らないと言われ、哀れ撃沈。
あとは、運を天に任せるしかないと、自腹で片道だけでも航空券を購入した場合の値段などをネットで調べだす・・・・。が、馬鹿にならない値段・・・・、それも片道だけで・・・・・。ううーん、なんてこった・・・、と、またまたどよーーーんとしてきたゼロ・・・・。占いまでしたってのに!、と、意味のない怒りと悲しみがこみ上げて来る。
そして、夕方、どうしてもはずせない用事があったので、クルマで出かけようとしたその時、私の携帯が鳴った。A○Aからだった・・・・・・。
「申し訳ございません」という相手側の会話がはじまったので、とりあえずホッとしながら相手の話を聞いていると、A○Aの人らは、ちゃんと“1年オープン”の会話を発見してくれたとのこと。そして、このおかげで私がすでに裁判所とのことで約束してしまい、後戻りできないことを考慮して、お詫びとして例外的に私が希望する日に帰仏できるようにしてくれる・・・、という条件を提示してきた。
わーーーーーーーーーーーい、わーーーーーーーーーーーーーーい♪
粘った甲斐があったというものだ。結局私が希望したのは、1月の下旬であったこともあり、A○A側も私が悪質でもないことを悟ったのか、とにかく和解となった。しかしそれにしても、この日は長かった・・・・、朝の9時過ぎに電話したのを皮切りに、片付いたのは夕方5時ちょっと前・・・・・・。ここまで二転三転と振り回され、さすがのゼロもヘロヘロでした・・・・・・・・。
本を出版するにあたって、ペンネームをなんとかしないと・・・・、ということになった。このサイト《ゼロの視点》をもじって、“マダムゼロ”という名前で本を出しちゃえ♪、なんて思って編集者YT嬢に言うと、そんな胡散臭い名前はやめてくれ、と却下されてしまった。怪しい占い師のようで、よくないとのと・・・・(涙)。
他にもいろいろと自分なりの候補があったのだが、どれも胡散臭かったり、サブカルチャー色が強かったりと、次々に却下され、とにかく普通っぽい名前にしてもらいたいと、強くYT嬢に説得された挙句、ふと思いついたのが、“もたいようこ”というペンネーム。
2006年2月から、認知症対応型のグループホームで暮らしている母。そんな彼女が、時によっては、今の姓ではなくて、旧姓時代にワープすることがけっこうあるのだが、そのときの苗字がもたい。なので、ホーム内では、よく“もたいさん”だとか、“もっちゃん”などと呼ばれている母をみているうちに、あ、もたいでいいや♪、と思ってつけたのが、このペンネーム。
あまりにも、自分からかけなはれた名前をつけてしまったあと、それに対応できなくて困っている自分を、たやすく想像できてしまったこともあり、すんなりと私自身になじむモノが必要だった。例えば、「もたいさ〜ん」っていう声が背後からしても、恐らくこの名前だったら、自分のことが呼ばれているなと思って、振り向くことができるだろう・・・、というわけ。
《フランス人のケチの美学》を購入してくれた友人・知人らが、次々に「なんでまた、もたいって名前になったの?。」と聞いてくる。または、“もたいまさこ”かと思った・・・・、というのも多い(笑)。ま、その都度、上記の説明をしているのだが、母のいるホームに本のチラシを置かせてもらったときだけは、「なんでもたいなの?。」と、さすがに誰も私に尋ねてくることはなかった。
姓名判断などが大好きな友人SY嬢が、勝手に“もたいようこ”を調べてくれたりもしたが、ま、とりあえず悪くないらしい。本名よりもいいらしいというのだが、どうすりゃいいんだろうか?。そこまでおせーてくれよ、友人よ!。
グループホームにいる“もたいさん”
毎回、日本の家にいる時の最後 (つまりは、フランスに戻る直前) には、気持ちいいくらいにモノを捨てて、部屋をサッパリさせたくなる衝動に駆られる私。そして今回は、長年放置してきた2階の自分の部屋、それも机の上にできた小高くも険しい山にアタック登頂することにした。
たいがいこういう衝動が私を襲ってくるのが、夜中・・・・・・。今回も例学なくこれがやってきた時は、午前0時を過ぎていた・・・。そして、そこに山があるから・・・、とばかりに、整理すべし、整理すべし、整理すべし・・・。たまに表層雪崩に襲われたりもするが、それでも順調にすすみ、足元には、満杯になった45ℓのゴミ袋がどんどん増えていく。
こんなに捨てることができるのだったら、10年前にやっておけばよかった・・・、と思ったが、後悔してもしょうがないし、自分の非も認めたくないので、あえて都合よく《こういう運命だったんだ》と、突如、運命論者になったつもりで、扱いにくい感情を処理。
昔、大学受験の時に余分にもらっておいた、封すら開けてない数通の内申書にはじまり、中学校の時の生徒手帳、くだらないことしか書いてない友人との交換日記、書きかけの論文、会社員だった頃の給料明細など、過去の遺物がわんさかと出てきた・・・・・(汗)。
遊びほうけて、家に帰るのは週に数日だった頃に、こうした状況に怒り狂った母が私あてに書いてきた手紙まで出てきた。《果たし状》か?、というほどに鬼気迫る文面・・・・・・。今じゃすっかりボケて、終始笑顔な母の姿に、あまりにも慣れてしまっていたので、この手紙を丑三つ時に発見したときは、ちょっと背筋がぞおっとした。怖い母親は、確かに存在してたんだ・・・・・、と。
というように、次から次へと不思議なモノが出てきていたのが、その中に、20代中盤にうけた会社での健康診断の結果が数通あった。体重をみると、ものすごく細かったのに、アタマがクラクラしかけたが、もっとビックリしたのは、私の身長だった・・・・。
169,2�僂筏�載されているのだ。その翌年も、よく翌年の健康診断でも、やはり同じ身長・・・・・・。
ところが、2007年の始めに、フランスで行った健康診断では、私の身長は173�僂箸いΔ海箸砲覆辰討い襦�このとき、一緒に検診した夫の身長も、彼が思っていたのより1cm高くなっていたこともあって、きっとフランスのことだかが、計測器までがインチキなんだと思い込んでいた。が、昨年、今度は日本で検診をしたら、やはり173�僂世辰燭里澄ΑΑΑΑΑΑ�
私は、今でも日々成長しているのだろうか?!?!??!
わからない、わからない、わからない・・・・・。
それにしても、今回の登頂アタックでは、とんでもないものを発見してしまった。友人に、2m1cmというのがいるが、こんなに大きくならないように注意しないと・・・・・・(汗)。
戸隠の巨大な杉並木のおかげで、小人にみえる私
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