出動! - 2004年09月30日(木) どうやら今年は台風の当たり年のようで、ここ青森県には 珍しく3度も台風がやってきた。場所によってりんごが落果 被害を受けたりした。我が家もヒヤヒヤさせられたが幸い 被害ほとんどはなし。 そして日本列島を縦断しながら全国各地に大きな被害を もたらし、青森県にもやって来た21号。風はほとんどない ものの、大量の雨を降らせた。昨日の夜から続くザーザー降り。 朝、りんご園を回り排水を確認して、詰まっている側溝を チョチョイと掃除。(この降り方はちょっとヤバイかなあ)と 思いながら家に帰ると一本の電話が。思ったとおり南部町 水防団、2年2ヶ月ぶりの出動命令だ。 水防団は消防団の「裏の顔」である。とりあえずの任務は 地区の巡回。この地区には川がないが、山間部なので土砂崩れ が起きていないかポンプ車で見回り。特に何事もなく午前中は ひとまず終了。 午後になり他の地区から応援要請が出た。まだ被害はないが、 馬渕川が氾濫しそうなので今のうちに土嚢を作っておく という。まだ重労働ができない僕は土嚢袋を渡す係。一応 いないよりはマシかな。1時間ほど作って終了。帰り際に 馬渕川を見ると、もうギリギリまで水位が上がってきてる。 まだ雨は降り続いている。氾濫するのは目に見えているな。 うちに来ているパートのおばちゃんの家が支流沿いにあるが、 大丈夫かなと思い見に行こうとすると、そこへ通じる道路は すでに通行止めになっている。やっぱりまた(詳しくは02年 7月11日の日記で)浸水してしまうのか…。 屯所に戻り一休みしているとまたも応援要請が。やはりついに 来ました、駅前付近の堤防へ集合だ。 馬渕川はところどころ氾濫していて、さっき土嚢作りのために 通った道路ももはや全面通行止めになっていて、唯一残った 幹線道路は渋滞している。堤防へ到着すると、特に被害のない 地区の分団はすべてここへ集まっている。またしても土嚢作り だ。しかも今度は急を要する。 今度は袋を配りつつ、砂を入れた土嚢の口を結ぶ役目だ。 これならさっきよりも多少は役に立っていると思うが、 結ぶだけ結んでトラックへの積込みをしないので周りの人達 から白い目で見られているような気もする。「すみません、 ヘルニアやったばかりなので重い物は持てないんです。3日後 に大阪でのライブも控えているのでここで無理をするわけには いかないのです。どうか、ライブを楽しみに待っていてくれる 人達のためにも、この私めの無礼をお許し下さい。」と みんなにいちいち説明するわけにもいかず、開き直ってただ ひたすら袋の口を結ぶ。(あ、そういえば去年もツアーの 合間に「消防団」として出動してたな) 先輩団員や、後からやってきたクロバラメンバー(ほとんどが 「水防」団員でもある)達が「あんまり無理するなよ」と 言ってくれるのがありがたい。 作っても作っても次々に土嚢袋の詰まったダンボール箱が 積み上げられ、せっかく減ってきた砂山の上にダンプが砂を 盛り上げる。辺りは暗くなり、投光器が運び込まれる。 これはエンドレスか、と思い始めた時、一旦休憩という事に。 おにぎりが支給されほっと一息。さっきは暗くてよく見え なかったが、かなりの数の土嚢が堤防に積まれている。それ でもなんとかギリギリで持ちこたえているようだ。 水位が上がらなくなったのでそのまま様子を見ることに。 そして午後7時40分。「解散!」 帰り道、ポンプ車から町を眺めた。暗い中、民家の前の街灯が 水面に反射してキラキラ光っている。あそこは本当は川じゃ ないはずなのに。2年前より確実に被害は大きい。 前回も同じような被害に遭った人も多いだろう。一日も早い 復旧を願う。10/3に予定していた町内運動会もすでに中止が 決定したようだ。 こんな南部町を救うためにも、10/10のツアーファイナル、 南部町ふれあい交流プラザでのライブはぜひともいいものに しなければならない。そしてそのために、たくさんの人に観に 来て欲しい。 ... 移動日 - 2004年09月10日(金) 体調はすっかり回復。これまで高山病のおかげでほとんど 食欲がなかった。喉を通るのはホテルの朝食ぐらい。パンや フルーツ、コーヒーなどの軽い物だ。コーンフレークが こんなにうまいもんだと思ったことはなかった。そして牛乳が うまい。多めの朝食と日中のコーラでなんとか栄養を補って いた。ふと手を見てみると爪の根元の白い部分(何ていうん だっけ?)が完全消滅していた。しかしもう大丈夫だろう。 今日は移動日。朝9:00に例のバスでコチャバンバに出発。 昼の移動なので景色がよく見える。山道を走りぬけ、地平線の 見える平原を爆走する。遠くには蜃気楼も見える。すべてが ダイナミックだ。 途中、気が付くと見知らぬオジサンがバスの中を発泡 スチロールの箱を持って歩いている。「アイスクリーム!」 おっ、アイスの差し入れとは気が利くなあ。でもバスに こんな人乗ってたかなあ、と思いながらも一つもらって 食べる。袋には黄色いアイスの絵が描いてあったのに開けて みたら中身はピンクだよ。まあでもうまいからいいや。 数人がありがたく頂いた。 後にそのオジサンはアイス屋さんだった事を教えられた。 お金は現地スタッフの誰かがまとめて払ったらしい。 バスの運転手がアイス屋から小銭をもらい、途中でバスに 乗せたんだと。長距離バスの運転手はこうやって勝手に 小遣い稼ぎをしているらしい。僕は寝ていて気が付かなかった が、前日夜走りしていた時は「行商のオバチャン」みたいな 人を途中で乗せていたらしい。大量のタマネギを荷物室に ドッサリ突っ込んで。もちろん運賃を取っている。これ、 「T.Segi y Nature World 御一行様」チャーターバス なんですけど…。 18:00に明日のコンサート地、コチャバンバに到着。ここは 標高2,560mととても”低”いので酸素も濃く感じる。緑も多く 道路も広く、高原のカリフォルニア(行った事はないが)と いった感じだ。 ここにボリビアのスーパースター、トゥーパイの所有する スタジオがある。今日はそこで「T.Segiとゆかいな仲間達」 のために歓迎パーティーを開いてくれるという。 立派なスタジオの前には芝生を敷きつめた広い庭があり、 瀬木さんの20年来の友人だというエドウィンが笑顔で迎えて くれた。彼はカルカスというグループを経て今はトゥーパイと いうデュオでギターとボーカルを担当している。二つの グループで今までにダブル・プラチナディスクやトリプル・ プラチナディスクを獲得しているという、問答無用のスーパー スターである。なるほど、車庫にはこっちに来てからまだ 見たことのなかったトヨタの新車がピカピカに磨き上げられて 鎮座している。 パーティーが始まった。会場内にはトゥーパイやNWのアルバム が流される。その場で焼かれた分厚いステーキと共についに 解禁したビール(高山病にアルコールは禁物なので)を飲む。 その間も瀬木さんは向こうのテーブルでインタビューを 受けたりしていて忙しそう。 近くではかなり間があいてはいるものの花火が上がっている。 街全体にゆとりが感じられる。いいなあコチャバンバ。好きに なりそう。 ... 来ボ初ライブ - 2004年09月09日(木) 朝6:30ポトシ到着。ここは4,070mで「世界一標高の高い町」 (そんなんばっかり)だそうだ。ラパスよりは高いが、昨日 5,300mまで登った事を考えれば多少気が楽だ。 ホテルで朝食をとり少々休憩。今日はボリビアでのNW初ライブ だが、それに先駆けてなんと「記者会見」をするという。 記者会見はメンバー、関係者、マスコミで一つのテーブルを 囲んで行われた。瀬木さんと現地スタッフが受け答えを しているが、スペイン語なのでどういう会話が進行して いるのかは全くわからない。途中で「メンバーそれぞれから 一言ずつ」という事で日本語で一言。通訳もされないまま、 またスペイン語での質疑応答が始まった。僕の一言は どうなるの? 今日のコンサート会場を下見。おそらくポトシ一大きな ホールだろう。立派な作りだがかなり古そうだ。標高が高い ため外にいると日差しがとても強く、紫外線も「生」で 当たっているような気がする。意外と暖かく、Tシャツでも 大丈夫だ。しかしいったんホールの中に入るととても寒い。 夜は結構冷えるのでそのまま冷蔵庫状態になっている。 空気が薄い分、熱の伝わり方が遅いんじゃないだろうかと 思うぐらい中と外の気温が違う。 「暖房は入れないんですか?」と聞いたところ、「そんな ものはない」とのこと。そういえばホテルにも暖房はない。 部屋にいる時はベッドに潜り込んでいなければならない ぐらいだ。 この会場にはグランドピアノがあるが、いったい何年使って いないんだろうというぐらい埃だらけ。そしてやはり調律も メチャクチャ。調律担当のナオさんは頭を抱える。「調律以前 の問題だ」 改めてリハーサルの時間に会場に行くと、ピアノはものの 見事によみがえっていた!ついに高山病に侵されてしまった ナオさんは通常よりもたっぷり時間をかけた調律を終えて ダウン。その後本番中は毛布とありったけの上着で グルグル巻きになり酸素マスクを着けた状態でステージを 見守る事になる。 コンサートは19:30スタート。しかしのんきなボリビア国民は その時間にはやって来ない。パラパラと集まり始め、結局 30分押しで緊張の初コンサートが始まった。 大きなホールはほぼ埋まっている。今日は特に入場料が安い せいもあるのか。ちなみに確か2ボリビアーノ(約35円) ぐらいだと聞いた。物価が日本の1/10だとしてもちょっと 安すぎるな。 元ちゃんの体調は回復していないどころかラパスよりも高地に 来て益々悪化していて、本人は「もうだめかもしれない」と 思った時がライブ中に何回かあったらしい。MCの間に ドラムセットの一部としてセットされた酸素ボンベのマスクを 口に当てる姿が痛々しかった。しかしそんな逆境の時ほど パワフルになるのが元ちゃん。「そんなに叩きまくって 大丈夫か?これが元ちゃんの最後のステージになってしまう のか?」と心配するほどだった。 お客さんの反応はものすごくいい。聞いた事もない音楽に 対して、一曲目から何の躊躇もなく大きな歓声と拍手が。 「みなさんアフリカに行った事ありますか?」という お決まりのMCに対してもすかさず「ノォ〜!」と大合唱で 返事が返ってくる。何といっても一番気持ちいい瞬間は、 ”コンドルは飛んで行く”を演奏した時だ。オリジナルとは ガラリとアレンジを変えているので、初めは誰もそれと 気が付かない。そしてメロディーが入り、それがボリビア 生まれの世界的スタンダード曲だと判った瞬間「ウォー!」と 歓声が上がる。してやったり。そして最後の曲を終えて あいさつをすると客席はスタンディングオベーション。 ナオさん、元ちゃんをはじめみんなの苦労やがんばり、そして 無事に初日のコンサートをすばらしいものにできたという 喜びから、メンバーの元に駆け寄ってきたサポーターの何人か は「よかったよかった」と涙を流している。かくしてNWの 「来ボ」初コンサートは大成功のうちに終わった。 さあ、この先はどんなコンサートツアーになるのか? ... アンデスツアー - 2004年09月08日(水) 予定したライブがなくなった(?)ので、今日はアンデス 観光ツアー。高山病の元ちゃんを一人ホテルに残し、車2台で 「観光ガイドにも載っていないコース」へ出発。 当然舗装もしていない狭い道をグングン走る。確実に標高が 高くなっていくのを体で感じる。まだ高山病の症状が少し 残っている僕は、どんどん迫ってくるアンデスの山々に 感動しながらも(え〜、まだ登るのか〜)と恐怖感も 増してくる。油断していると酸素が足りなくなるのでまめに 深呼吸をする。車には酸素ボンベを積んでいるのでそれも 時々吸う。 しかしこんなところでも生活している人がいて、あちこちで リャマやアルパカを放牧している。人間ってたくましいな。 どのぐらい走っただろうか、目的地に到着。山小屋のような ものがあり、ちょっとした休憩所のようになっている。標高は 4,850m。ここから「ちょっとした」トレッキングコースがある。 断崖絶壁の中に雪解け水をふもとまで運ぶための水路が あり、それにそって細い一本道がある。幅は広い所で50cm、 狭い所では15�僂阿蕕ぁM遒舛燭藉岼磴い覆�「死」あるのみ。 そんな所を片道1時間半かけて歩くという。椎間板ヘルニアが 完治していない僕は3時間も歩けないし、足のふんばりも あまりきかない状態だ。高山病もまだしっかり回復して いない。そういう理由が半分、「高所恐怖症なので怖くて 行けない」というのが半分で、ほんの「さわりだけ」歩いて 記念写真を撮ってすぐ戻り、他の3人と共に車で待機。 11人も行ったら一人ぐらい死ぬんじゃないかと思ったが、 実際行った人達も「死ぬかもしれない」と思ったらしい。 何人が途中で引き返してくるかと車で待っていたが、結局 全員あきらめることなく、しかも無事生還した。天候が崩れて きたので残念ながら最後までは行かなかったらしいが。車で 待っている間にうかつにも昼寝をしてしまった僕は、高山病を 少し悪化させてしまった。眠ると呼吸が浅くなるので酸素が 足りなくなってしまうのである。 これでラパスに帰れると思ったが、今日の行先は実は もう一ヶ所あった。それは「世界一標高の高いスキー場」…。 道はどんどん狭くなり、デコボコになり、急角度になる。 そして、着いた着いた。看板には5,300mと書いてある。何も こんな所まで来てスキーなんかしなくてもいいのに…。 さすがにここへ来るとほとんどの人が体調不良を訴え、 酸素ボンベを「回し吸い」する。僕は朝からとあまり 変わらない。頭痛はするが、酸素ボンベが必要という程でも ない。とりあえず全員で記念撮影をして、急いで車へ戻る。 これでもう後は下るだけだ。 夕方ラパスに戻ると、心なしか空気が濃いような気がする。 やっぱり体調は思わしくなく、食欲もないので夜まで部屋で 横になる。 22時、ロビー集合。これからチャーターしたバスで明日の コンサート会場のあるポトシに移動する。ファーストクラス 並みに座席が広くとってあり、これはゆっくり休めそうだ。 とにかく体調が早くよくなればいいが。明日は初ライブだ。 ... ラパス到着 - 2004年09月07日(火) ついにボリビア・ラパス空港に到着。成田から25時間。 今回はメンバーそれぞれが最低限で最大限の楽器を持ち込んだ こともあり、なかでも僕は初めての海外旅行ということも あり、ここまでは大変な道のりだった。スタッフ、サポーター 含め総勢16人。しかしドラムフルセットにジャンベまでを 持ち込んだ元ちゃんはエライと思う。 現地時間午前5時過ぎ、ラパス空港を出ると外の芝生は霜で 真っ白になっている。遠くにはアンデスの山々が見え、 昇ったばかりの朝日によって神秘的な風景を描き出している。 早速ホテルにチェックインし朝食をとり、少しの間横になる。 若手メンバー3人でどこかで昼食をとろうと約束をしていた ので昼ごろ目を覚ますと、ちょっと頭痛が。とりあえず外へ 出てにぎやかなラパス中心街と思える辺りをぶらぶらする。 が、頭痛はどんどんひどくなり、胃もムカムカしてきた。 「午前中も歩き回っていた」という妙に元気な元ちゃんに 誘われるまま、屋台村のようなところを突き進む。車を気に せずガンガン道路を横断していく彼はすっかり現地人に 見える。しかし屋台村の揚げ物の匂いがますます吐き気を 誘う。 結局無難なバーガーキング(こっちでは高級レストランの 部類に入るらしい)に入ったが、僕はさすがに食べる気力が なく、テイクアウトにして一人ホテルに戻った。 横になっても体調は変わらず。3,650mと世界一標高の高い首都 ラパス。これが噂の高山病か。前もって薬を飲んでいたが 効き目はなかったようだ。瀬木さんに連絡を取ると、すぐに 薬と酸素ボンベを持って来てくれた。その酸素を少しの間 吸っていると、今までのが何だったのかと思うぐらいに たちまち回復。やっぱり酸素は大事なんだな。 その後食欲も少し戻り、冷めたハンバーガーをむさぼり食う。 夜、TV生出演。日本でいうとNEWS23のような番組かな。 サウンドチェックの時間にスタジオに入ると、ほとんど準備が できていない。ほほう、これがボリビアか。でもTV生演奏 なんだけど間に合うのか?と心配していると、そのスタジオの 中で突然番組が始まってしまった。日本人スタッフ、メンバー の間に緊張が走る。そこで現地スタッフから通達が。「この後 CMが入るのでその間にサウンドチェックお願いします」 え?CMって1分半とかじゃないの…? こうなると逆に楽しくなってくる。 日本人スタッフのすばらしい働きもあり、ベースアンプも モニターさえもない(!?)というシンプルなシステムの せいもあり、CMの間にサウンドチェックを無事(無理やり) 終えてさあ本番。自分の音はほとんど聞こえないが、ドラムの 生音を聞いてリズムを合わせていればいいや(というかそう するしかない)と開き直って演奏。なーんとか本番終了。 楽器を片付けていると「う…すげー頭いてえ」と元ちゃん。 ふっふっふ、君にもやっとボリビアの洗礼がやってきた ようだな。僕もまだまだ油断はできないぞ。 ...
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