みちる草紙

2002年03月31日(日) ソリテュード

零時を回ろうとする頃、携帯�笋�鳴る。ん?この着信音は。
こっちが一人暮らしだと思って、またしてもこんな時間に…(-_-;)

Oさんは以前、アタシが真心こめて描いてやった似顔絵が気に食わなかったと見え
しばらく連絡が途絶えていた。アゴがしゃくれているので、見たままを表現した
つもりだったのに、アゴイサムそっくりだと難癖をつけてきたのである。
自尊心のやたら強い人間の顔など、うかつに似せて描くものではない。

『新しい職場どお?また上司と喧嘩したりしてない?』
ちっとも面白くない。全然つまんない(ー_ー#)
『当たり前じゃん、仕事するとこなんだから』(同じことを誰かに言われたなぁ)
それよりお嬢さんもう入学でしょう。どうだった、お受験のアンバイは。
『うちの娘ドクターになるって言ってるんだけどさ、医者にするまでの教育費
 人に聞いたら5千万くらいかかるんだってね!?』
頭が良かったら、公立から現役で医学部にパスするかも知れないわよ?
『頭が俺に似たら、先ず無理だろうなぁ(笑)』(これも同じこと言った人間がいた)

はあ、同年代の人間は皆もう親になって、子供の将来をあれこれ案じているのだ。
それどころか老後の設計まで、かなり具体的なプランを立てている者もある。
アタシと年が幾つも離れていない別の友人も、我が子の受験や急病のことなど
親としての悩みをたまに明かすこともあるが、そんな時アタシは、一般的な
気休め位しか言えず、また自分がそのような形で社会と関りを持たずにいるという
事実を再認識するのである。どこか途方に暮れたような気分を味わいながら。

今日、父がアタシのちょうど倍の年になった。
今のアタシと同じ年齢で父は初めて親となり、母は妹を産んでいた。
これまでの人生は瞬く間だったような気がするが、両親は既に老人である。
何ごともなければ、親たちの今の年齢に追いつくのもすぐであろう。
その昔、女は子供を産まなければ何の値打ちもないとされた時代もあった。

普段はなるべく考えまいとするのだが、人は死ぬ時に、必ず屍を遺して逝く。
自分の死に水を取ってくれるのは、遺体の最後の処置をしてくれるのは
一体誰なのだろうか。最近、ともすればそんなことばかり思うようになった。
けれど侘しい胸の内を語っても、返ってくる言葉は皆、判で押したように同じである。
『心配しなくてもメイ子さんは100まで生きるよ(爆)』

じゃかーしぃ!(-_-;)



2002年03月30日(土) 従妹を偲ぶ

あれは確か、8歳の誕生日を迎えて間もない、3月30日のことである。

夜が明けるか明けない頃、階下で突然電話が鳴り、両親が慌しく降りて行った。
アタシは妹と枕を並べて寝ていたが、二人ともその音で目を覚まし、黙って顔を
見合わせた。母が『お義母さん』と呼びかけていたので、早朝の電話の主が
父の継母であることも、また、それがただならぬ用件であることも分かった。
しばらくして、母が静かに階段をのぼってくると、息をつめて待っている
アタシたちの部屋の襖を少し開け、言った。 「Mちゃん、死んだ…」

「ええっ!」先ずびっくりして寝床から跳ね起きたのは、妹であった。
それもその筈、妹はつい数日前、病院で従妹のMを見舞ったばかりで
家に帰ってきてからも、Mのことをさかんに話していたところだったのである。

享年2歳。Mは生まれつき心臓に穴が開いており、まだほんの赤ん坊の身で
繰り返し小さな胸をメスで切り裂かれていた。持ち堪えられる筈もない。
アタシが覚えているのは、病室のベッドで、叔母がMにうどんを食べさせていた
光景だけである。赤子ゆえか身体が弱っているせいなのか、一言の片言すら
声に出さず、アタシの顔を大きな目で珍しそうにじっと見つめていた。
母親似で色の白い、愛想のない子だな、と思った。Mの記憶はそこまでである。

6年前の正月、実家に帰省した折、Mの妹たちが叔母夫婦と遊びにやってきた。
祖父の葬式で初めて彼女らに会った時、アタシは高校生になったばかりで
Mの二人の妹は、まだ人の死など理解できぬ幼い子供だった。
しかし10年ぶりに会ってみれば、上の子は早くもすっかり大人びている。
二人ともニコリともせず、内気だが強情で、生意気盛り。
叔母と同様、神経質で愛嬌がなく、人のなけなしの財布からお年玉を
もぎ取って行った。Mが生きていれば、その年に成人していた筈なのだが
この妹たちは無邪気にも、幼くして死んだ姉を知らない。

Mの死後、狂わんばかりに嘆き悲しんだ叔母は、それから何年もの間
頑固に『子供はもう産みたくない』と言い続けていたと聞く。
けれどあれから25年の歳月が矢のように過ぎた。
生きる間もなく世を去ったMを、事実、親類の誰もが遠い過去の出来ごととして
もう殆ど忘れかけてしまっているのである。

明日は父の誕生日。狂い咲き桜の3月も去く。



2002年03月22日(金) 誕生日の贈り物

NHKをつけっぱなしにしてブラウン管をボーッと眺めていると
海外ドラマ『アリーmyラブ4』が始まったので、観るともなしに観る。

サブタイトルは“誕生日の贈り物”。(��_��)ン?
どうやら主人公の女性弁護士“アリー”の誕生日だったらしい。
アリーは恋人が訪ねて来ないのでふて腐れ、友人に愚痴っていた。
「仕事もあるし、いい服だって持ってる。それなのに」
「あたしには分かるのよ。いつか捨てられる…」
結局は彼氏は滑り込みセーフでかけつけ、メイクラブのハッピーエンドとなる。

もちろん、アメリカで放映されたのは別の日だろうし、今日日本で観たのもたまたま
なのだが、何となく奇遇だなという思いがして、普段ならこんなドラマは
すかさずチャンネルを変えるところなのに、今回はしまいまで観てしまった(~_~;)

アリーもアタシと同年代(という設定)なんだなぁ。
「何も持っていなかった頃は、欲しいものを手に入れるための貪欲さが
 パワーの源だったのに、それを手にした今は欲しいものがなくなった。
 恋人だってちゃんといる。なのに何故か寂しい…。
 一人ぽっちで寂しいのは当たり前だけど、彼がいるのに寂しいなんて」
確かこんなことを捲くし立てていたように思う。

欲しいものを全て手にした訳ではないが、アタシの場合は『夢』だろうか。
昔の夢は既に忘却の彼方にある。幾らでも叶えるチャンスが転がっていた時期は
あっという間に過ぎ去った。己の器を知り、諦めること、捨てることを覚えた。
少女の頃は、自分が30代になったらどうしているのか、全く考えたことが
なくはなかったが、少なくとも平凡な境遇は予想だにしなかったのだけれど。

それにしてもこのドラマには暗さが微塵もなく、展開がアッケラカンとし過ぎて
どうもピンとこない。映画でも同じことを感じるが、今日日のアメリカンドラマ
って皆こうなのか。70年代風哀愁好きのアタシにはもの足りないなぁ。

明日はお天気次第だけど、お花見にでも行ってみるか…ヽ( ̄○ ̄)ノ



2002年03月21日(木) 世迷い言

毎年、人知れず過ぎることを願うばかりの、今日は自分の生まれた日である。

日中は台風と錯覚するほど凄まじい暴風が吹き荒れ、否応なく部屋に足止めされたが
昨夜、所謂椿事が起こったお陰で、何もない誕生日にならずに済んだ。
去年の同じ日には、どうやって過ごしたのか思い出すのが困難だが、今年この日は
深夜の奇妙な出来事とともに、何年経っても記憶から消えることはないだろう。

期待は常に必然と同義であることを願って止まないのが人である。
例えば。来る、来ない、来る、来ない… の花占いではないが
「来て欲しい」「来ないかも知れない」「必ず来る」「来ないのは単なる偶然」
千々に乱れる祈りに似た想い即ち期待を、持続させるにはタフでなければならぬ。
そこで、持ち堪える体力を補うために、様々の方便を捻り出そうと試みるのである。

「来るかも知れない」「絶対来ない」「偶然来たら」「来ないに決まっている」
期待はしないに越したことはないのだ。来ようが来るまいが、こればかりは
勘の及ぶ領域でもない。予感など悪い方が不思議とよく当たる。それならば。
友の予言めいた忠告にも耳を貸さず、負の予想に意固地に信をおいておきさえすれば
期待を剥ぎ取られた創痕が癒えるのも早いだろうという、ネガティヴメソッドを
知らず知らず編み出し、モルヒネ代わりに用いていたのであった。

ところが、予想に反する幸運に際しては相乗効果が得られるとは限らず
喜びは時に不可解な衝撃によって、相殺されてしまうこともある。
タナボタは無論嬉しいには違いないが、納める重箱が見当たらなかったり
空腹を代品で紛らわせている最中だったりして、せっかくの幸運を
周到に迎え入れられない無防備さが、本来の美味を大きく損なう結果ともなる。

甘受する悲しみは半分で済むが、享受する喜びもやはり半減してしまう。
切なる願いが叶えば喜びも倍以上で、期待を裏切られれば悲しみは無限である。
攻防と鬩ぎ合いの末導かれたハイリスクハイリターンの法則が、あたかも
フラクタル現象のように、既にそこにも備わっていた。
「傷つくのを怖がってちゃ何も出来ない」「安定よりスリル」「夢を諦めないで」
こんな手垢のついた言い回しも、俄然リアリティをおびてくるものだ。

文字数オーバーで、ハプニングを具体的に述べることが出来なくなった。
今年の誕生日は、そんなこんなでありました。おしまい(*^o^*)
(訳わからん)



2002年03月09日(土) 従姉を偲ぶ

今日は1つ年上の従姉、C幸の誕生日である。しかし、彼女の消息は知れない。

幼い頃はこの従姉が苦手だった。甘やかされた一人娘だけに、非常にワガママ。
親の仕事の都合でC幸の家に預けられる時など、いつも心底うんざりしたものである。
1年生のC幸は、幼稚園児のアタシをつかまえ、すぐ得意げに教科書を引っ張り出す。
そして先生気どりで、習いたての漢字の書き取りや加減計算を勿体ぶって出題しては
「こんなのも分かんないの?」(知るかそんなの)と侮蔑の笑みで不当な優越感を示し
時には体罰(げんこ)まで加えくさる。ガキながら、その暴君ぶりが堂に入っており
チビのアタシはどんなに悔しくとも、抵抗する術なくじっと耐え忍ぶだけ…(TへT)
幼な心にそれが癪でたまらず、従姉の遊び相手役は拷問にも等しい苦痛であった。

アタシが中学生の時、C幸の両親は離婚した。母親が駈落ちして家を出たのである。
学年が上がるにつれ行き来はなくなっていたが、C幸が嫌いだったアタシは、まるで
赤の他人ごとのようにその事件を聞き、憎たらしい従姉には良い薬だとさえ思った。
けれど、性格はともかく従姉は学業優秀であった。高校では理系選抜クラスに在籍し
特に数学は学年上位。母はいつも小言ついでに「C幸は家事一切をこなしながら
あんなに成績が良いのに、引きかえアンタは!」と八つ当たりしてきたものだ…(-_-;)

ところが従姉は大学進学を断念し看護婦になった。そして奇妙なことに、今現在
彼女の住所も勤務先も、結婚したかどうかさえ、親族の誰一人として知る者はない。
出奔していた叔母が男と別れて市内に舞い戻り、娘の消息を訊ねてまわったのだが
今更ふしだらな母親に関わってはと、C幸の身辺を案じた親戚は皆口を閉ざした。
また彼女の父親筋も、母方の親族との一切の交流をプッツリ絶ってしまったため
いつしか父娘の行方は、杳として知れなくなったとのことである。

最後に会ったのは卒業式の日だった。ちらと顔は合わせたが、言葉も交わさぬまま
遂にそれっきりとなった。在りし日のワガママ娘が、今や近寄り難いもの静かさで
落ち着き払い、冷然と大人びていたあの顔を、時折り思い出す。
キャリア十数年を経たベテラン看護婦の従姉は、どこかの病院で今日も
働いていることだろう。血縁の、しかしもはや見知らぬ他人として。

春は、恐らく二度と会うことのないであろう友を回想する季節でもある。



2002年03月05日(火) ろくでなしと呼ばれて

先日、TVで“男はつらいよ”を観ていると、寅さんがこんな風に言っていた。
『大体なぁ、絵なんか描く女なんてのは、ろくなもんじゃないんだよ!』
そ、そうなのか…。心当たりを振り返れば、まぁそうかも知れないわね〜σ(^◇^;)

知人からタブレットという便利なものを譲り受け、ここ数日色々描きなぐっている。
攣りそうな人差し指で左ボタンを押さえつけ、ぎこちなくマウスを引き摺りながら
苦労して描いていたのが全くアホらしく思えるほど楽ちん。しかし、時間と労力を
大幅に省けるようになったとは言え、飽くまで仕上がりの決め手はデッサン力であり
最終的に己の力量不足との闘いとなる。元々自分の弱点は熟知しているつもりでも
社会人になってからは、のんびりお絵描きに没頭する暇もなく、技術面での精進を
怠り続けてきた。こうして久々に描いてみると、当たり前の話だが苦手は苦手のまま
年だけ食ったからといって、知らない間に上手くなっている訳もなかった(-_-;)

それでも新しい玩具を手にすると、手すさびにも弄繰り回したくなるものだ。
ペン画に慣れたら取りあえず塗ってみたいし、塗れるのが分かったら今度は
フルカラーでいきたい。アナログ人間を自認しつつも、やれキャンバスの画材のと
道具をあれこれと揃える必要がないパソコン描画は、不精なアタシには願ったりの
暇潰しなのである。精々、趣味がないよりいいじゃないか、という程度なのだけれど。

ただ困るのは、夢中になっているうちに、時間がそれこそアッという間に過ぎてしまい
ふと気付けばしばしば深夜になっていたりすること。こんなの一文にもならないのに。
来週からは、所謂食べてゆくための仕事に復帰するから、もう無理だろうなぁ。
ずっとこのまんま、ダラダラダラダラ絵ばっかり描いて過ごしたいなぁぁぁ…(>o<)
しかし、気が向いた時しか、それも自分の描きたいものしか描きたくないアタシは
これを職業にすることは決してないだろう、としみじみ思い知るのである。

やっぱり、ろくなもんじゃないのかしら(;^_^A



2002年03月03日(日) 春先オーメン

弥生三月、桃の節句。遂に来たな!という感じである。何がってこのシーズンが。
お雛さまを嬉しがる年でもないし、誕生月が待ち遠しかった訳でもない(まさかなぁ)。
自然治癒の見込みのないこの病の、地獄の苦悩を共有する同志にしか分からない。
ここ1週間様子を見ていたが、いよいよ今日、症状が本格的になってきた(>o<)

昨夜、一晩中こたつに潜り込み本を読んでいた。夜の間は、たまに鼻の奥がムズっと
する程度で、クシャミを出してチンとかめば、しばらくは治まっていたのだが…。
夜が白々と明けてゆくに従い、鼻腔奥の「ツーン」感が頻繁に襲ってくるようになる。
ふぁ…ふぁ…とやってる間に見る見る鼻腔内は洟で蓋がれ、すすり上げることさえ
叶わなくなったかと思うとタラタラ流れ出る。そして眼にも、しみるように強烈な
「ツーン」を感じ次の瞬間波動砲がハナタレ…Σハックション!あー畜生!(`◇´)
ちゃんと夜就寝していても、洟がたれて目が覚めるのは情けないことこの上なし。

昨日までは症状が軽かったので、ひょっとすると今年はそう悩まされないで済むかも
知れない、大体花粉症なんてものはアタシの「気のせい」で、意識しなければ
もしかしたら何ごともなく越せるかも知れない…など、喉元過ぎればの典型みたいに
希望的観測までしかけた時だった。みんな…現実逃避の幻想だったのよね…。
何もしないのに、悪性の癌がひとりでに消える筈はないのである。カラダって正直。

冬将軍の夜が明け、黎明にも似た早春。その訪れは、暖かに和らいだ陽射しでも
花々の蕾や草木の芽吹くさまでも、鶯の可愛い鳴き声によってでもなく
自らのカラダでもって知るのである。とか言ってる間に次のクサメが炸裂…!!
昔は『花粉症』という言葉さえ知らなかったのに、最初に自覚症状が現れたのは
いつのことだったろう。知らないうちに悪の因子を体内に宿してしまい、以来毎年
春になると前兆が。肌身離せぬ点眼薬と鼻腔洗浄スプレーは、言わば聖水である。

どうでもいいけど、全国の杉の木を引っこ抜いてくんないかな!(>人<)チーン!


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