みちる草紙

2004年11月25日(木) 微笑みの貴公子

今日、韓流スターのぺ・ヨンジュンが来日したとかで、成田空港は大騒ぎだったそうである。
全国から熱心なファンどっと押しかけ、徹夜で待っていた人も多くいたんですって。
“ヨンさま”かぁ。一言でいうと絵に描いたような“ヤサ男”だのう…(^_^;)
これが「俺さまはスター☆彡」的な仏頂面でえらそうにスカした奴なら大嫌いだったろうが
このぺさんは、終始ファンに向けて優しい笑みを絶やさない点で、まあよしとしよう。
細い目のタレ具合は波田陽区のようだが、歯列がやけに見事に揃っている( ̄ー+ ̄)

そう言えば、足を折ってまだ入院していた5月頃、隣のベッドのおばちゃんが
『今晩はね、冬のソナタを見るだよ〜♪』
と反対隣の人と話していたが、アタシは冬ソナなんて知らなかったので気にとめずにいた。
そしておばちゃんは消灯後にそっとテレビをつけ、深夜まで見ていたようだ。
その後ニュースか何かで件の韓国ドラマブームを知り、なるほどね〜と思ったのだった。
また、知人のお母さんが言うには、『ヨンさんは肌がきれいなのよ』とのこと。
ふむ、美容整形大国の美形と聞いても別に何とも思わないが、確かに美肌というものは
そうそう造れない。例えばチェ・ジゥという女優の白い肌は、本当に透きとおるばかり。

最近の日本では、そこそこ眉目の整ったタレントや俳優というのがあまりにも大勢いて
他を寄せ付けない人気独占型スターというのは、特に存在しないように思う。
この間、5夜連続で見てしまったドラマ“弟”の、往年の石原裕次郎などは一応
該当するのかも知れないが、あの裕ちゃんにしたって、アタシが知っているのは
“太陽にほえろ”の、色黒で脂ぎってブクブク太って、たまにおっとり出てきたかと思えば
精々電話をとって若手に指図するだけの、藤堂ボスのイメージしかない。
彼が一世を風靡した昭和30年代には生まれてもいなかったので、高校生くらいの時に
裕次郎が死んで、なんで世間があんなに騒ぐのか、彼の全盛期を知らないアタシには
不思議でしょうがなかった。『若い頃は足長くてかっこ良かった』と言われて見たのだが… 
悪いけど、若い頃から不細工じゃないか……石原裕次郎って(-_-;)

“弟”で裕次郎を演じた俳優はどう贔屓目に見ても男前過ぎる。慎太郎役の長瀬もだけど。
         

ついでに言うと、晩年の裕次郎役の三浦友和は、ヘタレの山崎邦正にしか見えなかった。
渡哲也役の坂口憲二は、スポーツ刈りにしてないので、それだけでもう失格。
いずれにしても、こんな風にその生涯をオールスターキャストでドラマ化されるほどの
ビッグな人が、この先、アイドル粗製乱造国の日本に誕生することなんてあるんだろうか。
太陽族の昭和は遠くなりにけり、なんだな〜と思わずにはいられない。

今は何でもかんでも貴公子がつくらしい。音速の貴公子、英国の貴公子、微笑みの貴公子。
ルックスの取沙汰の域を出ない訳ではないのだろうが、ベッカムにしてもぺにしても
日本女性の好みって、どうも紋切りな感じがするんだよなぁ… そりゃカッコいいけどもさ。
ぺ・ヨンジュンは、腹筋がビシバシ割れるほど肉体を鍛え上げているのだという。
見かけはナヨナヨ優男、でも脱げばムキムキのタフガイか。ふぅん。
背の低い男がむきになってジム通いし、マッチョと化すってのはよく聞くけど。



2004年11月24日(水) 紋次郎、ハゲる

子供の頃、“因幡の白兎”のおはなしレコードが家にあった。語りは中村メイコ。
ワニザメを騙して毛皮を剥かれた白うさぎが、大国主命に救われる話である。

大国さまの言うとおり きれいな水に身を洗い
蒲の穂綿にくるまれば うさぎは元の白うさぎ

うららかな小春日和の今日も、紋次郎を田端のうさぎ病院に連れて行くことになった。
理由は、ハゲ …(-_-;)
一昨日、右肩辺りに突然出現した直径4cmほどのそれを発見した時は
ビックリしたが、露出した皮膚はうすい桃色で、まだすべすべしていた。
ところが昨日になって見ると、もんが気にしてしきりに舐めたり掻きむしったりしたせいか
血が滲み、瘡蓋ができていて、赤剥けの肌が見るからに痛々しい。

…何だろう?疥癬かな?
ケージ内は神経質なくらい清潔に保っているつもりなのに。
患部を真水で洗い、蒲の穂綿をしいて寝転がらせておいてはダメだろうか。

やれやれ、こないだはどうにか事なきを得て、安心したと思ったら…
内心ウンザリしながら、それでもかわいいもんの健康には代えられないので
キャリーバッグに詰め込み、またしても1時間余かけてはるばる北区の病院へ。
今回体調はさほど悪くないものだから、人の気も知らず道中暴れたおしていたハゲうさぎ。

『この位置からして、注射の痕が気になって引っかいちゃったんでしょうね』
「やっぱりそうですか。万一ダニだったら嫌だなと思って連れてきたんですが…」
『注射の痕はよく揉んだんですが、ちょっと刺激が強いので、多分そのせいだと思います。
 一応、ダニの検査もしてみましょうね』
医師は、セロハンテープでもんの身体のあちこちから毛を取った。

『ダニはいませんでした』 ああ良かった!(^_^;)
『それで、塗りぐすりを出そうかと思ったんですが…』
「あ、それはすぐに舐めちゃうので、効き目がないと思います」
『ですよね。エリザベスカラーをつけてもいいんですが、紋次郎ちゃんにとってかなり
 ストレスでしょうから、上半身だけの洋服を着せてみるのもいいかも知れませんよ』
「…いや… もんは、リードもさせてくれないヤツなので…(-_-;)」
『じゃ、やっぱり飲みぐすりにしましょう。抗生物質と痒み止めを出しておきます』

待合室には他にも順番待ちの客がいたが、他のうさぎたちはおとなしくしているのに
もんの入ったキャリーだけが、ソファの上で引っくり返りそうにドスンバタン揺れる。
「これ!」
もんはこの前と違い、何か怒り狂って、中でさんざんエネルギーを爆発させていた。
ハゲは自傷行為によるものか。こいつめ、結局何でもなかったみたいだなぁ。
本日の治療費、3,200円なり。

家に帰り着き、もんをケージに移すと、そのまま倒れ込むように眠ってしまった。
もんや、お母しゃんは疲れたよ。



2004年11月18日(木) うさぎ病院初体験記

紋次郎の異変に気付いたのは、床に就こうとしていた午前3時頃だったろうか。
前肢を何度も何度も床にスイスイ滑らせ、うまく立ち上がれないのである。
その上妙におとなしい。新しい干草を入れてやってもおやつを見せても、無視を決め込む。
いやしん坊で暴れん坊のもんがひっそりしていると、何だか気持ちが悪い。
?おかしいぞ?
大体この時間帯、こいつのエンジンは全開バリバリの筈だがな。
抱き上げても普段のようにむずからず、なすがまま。こんな奴じゃないのに、益々へんだ!

 一体どしたの?もん。

 開けても出てこようとしないし。

 いつものように走らないし。 
  
 そんな顔して寝そべってばかり。    

それから朝まで一睡もせず、もんをはらはらと見守り続けた。
胸に抱いてこたつで温めたり、ベッドに寝かせてみたり、頭を撫でてやったり。
もんは、目を細めて鼬のように身体を伸ばし、鼻を小刻みに震わせ続けていた。
さっきまであんなに元気にしていたのに、急に一体どうしたのよ。
うさぎは、具合が悪くてもギリギリまで仕草に表さず、そのため手遅れになることが多い。
“もんが死んだ”
そんな報告を知人に送ることをふと想像した瞬間、鳩尾に錘を落としたような寒い痛み。

 見るからにしんどそう…。

だめだ、病院に行こう。    

いやだ!あと3日で、うちにやって来て1周年じゃないか。絶対に死なせはしないぞ!
朝になるのを待ちかねて、国内に1軒しかないという、うさぎ専門病院に電話をする。
『特に予約制ではないので、診療時間内に連れて来て下さい』
ああ良かった!もん、田端に着くまで持ちこたえるのよ!
空が鉛色に曇って外は寒い。もんをネル布でくるみ、キャリーバッグに入れる。
会社を休んでいる今で良かった。どのみち、欠勤してでも連れて行くだろうけど。

バス、西武池袋線、山手線と乗り継いで、1時間ほどして田端駅に到着した。
橋にかかる長い階段をゼイゼイ息切らせて上り、メモした道順に沿って歩いて行くと
前方左手に目当てのラビットクリニックが見える。
中に入ると、待合室にはうさぎの小物や置物が、そこかしこふんだんに並べられ
壁のボードにも、病気を治してもらったらしいうさぎの写真が、隙間なく貼られている。
時間が早かったせいか順番待ちの患者はおらず、幸いすぐに診察室にとおされた。

『どうされましたか?』 診察にあたったのは、優しげな若い女医さんであった。
「急にグッタリへたり込んでしまって、餌を食べようとしないんです…」
アタシが症状を説明する間、医師はもんを膝にのせ、腹を手でそっとさぐった。
『触ってみたら胃の辺りがとても張っているんですよ。今、毛が随分抜けてますよね。
 多分これを沢山飲み込んでいるせいで、苦しかったんでしょうね』

高繊維質の牧草やパパイヤを意識して与えていても、毛球症は避けられなかったか…。

「一日に何度もブラシをかけているんですが、とても追いつかなくて。
 あの、摘出手術になりますでしょうか?最近、下痢もよくするんです」
『硬い大きなしこりには触れませんから手術の必要はないでしょう。
 紋次郎ちゃんは甘いもの好きですか?』
「は?はい、好きですけど…」
『じゃあ、甘いシロップのおくすりを出しておきます。餌を食べないようなら
 強制給餌も必要です』

 『蠕動促進』と『食欲増進』の薬。 

以前別の病院でもらった薬を、注射器で飲ませようとして失敗した話をすると
医師はスポイトに薬を吸い取り、飲ませ方を実際にやって見せてくれた。
具合が悪いせいもあるが、もんはここでも従順にされるがまま。
そして首筋の皮をつままれ、皮下注射をブスッ!目をいっぱいに見開くもんΣ(@o@;
そのあと爪も切ってもらった。素早くパチンパチンと鮮やかな手つき。ほう、プロは違う…。

待合室に戻ると、いつの間にかうさぎを連れた飼主が大勢来ており、ソファがうまっている。
看護婦さんがアタシに椅子をすすめ、強制給餌のやり方をビデオで見せてくれた。
アタシだけでなく、他の飼主さんたちも皆、首をよじって画面に注視する。
『じゃあ星野さん、紋次郎ちゃんに薬を飲ませる練習をしてみましょう』

…えっ?今ここで?σ(^^;

こうして衆人環視の中、『紋次郎ちゃん』を膝にのせて実演を披露する羽目になる。
みんながじっと見ているのでやや緊張。しかし、うさぎ飼いとしては有益な経験であった。
もんがこれまでかかったのは犬猫病院ばかり。異端の患畜の飼主にここまでの指導は
望むべくもなく、やっぱり餅は餅屋、うさぎにはうさぎ病院だ。ありがたやありがたや。

 レシート。もんは保険証ないから実費だもんな・・。

5〜6,000円はかかるだろうとふんでいたが、初診料を含め、何と8,000円を超えた。
まあ丁寧に診てくれたし、もんが助かるなら安いもの…。とは言え予想外の金額だなぁ。
(因みに、もん自身はペットショップで3,980円で売られていた。ばっ、倍じゃん☆)

家に着き、キャリーの扉を開けると、もんは意外とすんなり這い出してきた。
そしてピョンピョンまっすぐケージに跳び込み、やおら牧草をモリモリと食み出すではないか。
ひえっ!もう薬が効いたのか?早いな(-_-;)
お前は誰に似たのか知らないが、まったく効き目の分かりやすい奴だね。
ともあれ、ラビットクリニックの先生に大感謝なのである。

 遠出して腹減ったんか?

もんの食欲は盛大に回復し、ビデオ学習も空しく、強制給餌の必要はなさそうだ。
お前さては仮病だったんだろう。そう思いたくなるほど、奴は何もなかったように跳ね回る。
こたつの中で、足に冷たいものがコロコロ触れた。やったな…黙ってりゃ21粒も。

 えへ。イッパイうんこしちゃった♪
   
寝ずの看病明けなのですぐに寝てしまいたいが“白い影”(再放送)と“弟”を見なければ。
そんなこんなで、元気になったもんと遊んでいたら、また深夜になってしまった。

↓全快バリバリでけろりとしてます。さんざん心配かけて…(^_^メ)       



2004年11月17日(水) 初冬

朝、顔を洗っていて気がついた。浸した手が痺れるほど水道水が冷たい。
冷水でキンキンに冷えた顔を拭いながら、遂にこの季節がやってきた、と思う。
もう温水でなければ洗顔も出来なくなり、軟弱者は米すらぬるま湯で研ぐ、あの冬が。
洗濯物を干しても、大気の熱で瞬く間にパリパリに乾いたあの夏の日は、もう遠い。
夏は嫌いだが、洗濯物の乾きの速さと日の長さは、あの季節の数少ない長所だ。

17時にセットしていた目覚ましが鳴り、午睡から醒める。
外は日が没した直後で、陽光の残りが僅かに西空を照らすのみ、部屋の中は既にまっくら。
夜行性の紋次郎はケージの中で静かに蹲り、あかりを灯してもまだ寝惚けている様子。
米を洗おうと流しに立ち、再び冷たい水に跳び上がって完全に目を覚ます。

ついこの間、最後の台風が上陸し、陸地を洗い浚い薙倒して行ったばかりのように思えるが
これからは、急加速に極寒の日々へ突入である。巷でははやクリスマス商戦が喧しい。
その前に、秋はどこへ置いてきてしまったのだろう。



2004年11月14日(日) 地獄変

ベッドで芥川龍之介の『地獄変』を読みながら、ページを開いたまま眠り込む。
そして、絵師良秀の描く地獄さながらの、恐ろしい夢を見てしまった。とんだ午睡だ。

窓から外を見ると、すぐ眼下にターバンを巻いた賊が、通行人の髪の毛を鷲掴みに
頭に銃口をあて、次々にぶっ放している。脳漿がとび散り、辺りは一面血の海である。
ここは中東なのか?それとも血の粛清が、遂に平和な日本にも及んだのか!
仰天し、恐怖のあまり全身が震え、心臓は早鐘のようにガンガンと鳴り出す。
隠れ場所を探すと、アタシの部屋の筈なのに、そこは見慣れぬ倉庫のような造りになっており
業務用冷蔵庫みたいな巨大なロッカーや物入れが、視界を占領して一杯に並んでいる。
そのうちの一つの扉を開け、中に潜り込むが、すぐに見つかりそうな気がして再び這い出す。
こうしている間にも、見つかって引きずり出され、殺されるかも知れない。
恐怖はひととおりでなく、夢の中でさえ、激しく打つ心臓が焼け石を抱いたように胸元で
熱く燃えさかるのが分かった。途轍もなく怖い。でも、こんなところで死んでたまるか。
外に出れば狙撃される恐れがあるが、建物の中にいては爆弾をしかけられたら一巻の終り。
一か八かの脱出を図って、無謀にも車に乗り込み、エンジンをかける…。

隣人のバイクの空ぶかし音で、はっと目が覚めた。
歯を食いしばり、全身がこわ張り、じっとりと汗ばんでいる。
もしかしたら、また舌が咽頭に落ち込み息苦しかったせいで、あんな夢を見たのかも。
ああ恐ろしや。醒めてみれば支離滅裂だが、とにかく良かった、夢で…。
起き上がっても暫くは、強烈な夢見のショックで、続きを見ているように呆然としていた。

何の因果か、こういう暗示的な悪夢を見るのは、初めてではないのである。
これが夢でなく、実際に常に死と隣り合わせの日常であったなら、アタシなど
例え銃弾を免れても、重度のストレスで長生きしそうにないと思うのだが…。

『地獄変』は高校生の頃から、何度となく読み返した有名な短編であるが
これが今回に限って、殊更生々しく情景が脳裏に映じたものなのだろうか。分からない。



2004年11月11日(木) 三行の恋文

今日、初めて知ったのだが、文検というものがあるらしい。
正式名称は『日本語文章能力検定』。
文章の内容把握能力、構成能力、表現能力、作成能力。
これらのレベルを判定してくれるんですって。ほぉ〜。
準1級、1級の受験資格は、2級に合格していることが必須だそうである。
漢字検定や色彩検定には興味をひかれていたが、今は色んな検定試験があるんだなぁ。

そう言えば、大学受験当時、進研ゼミの小論文講座をとっていた。
毎月届くテキストは読み物としては面白かったので、その都度目を通していたのだが
例題に挑戦して実際に作文することはなかった。
とうとう一度も課題を送ることなく、従って自分の弱点はそのままで、受験に臨む羽目に。
他にも、共通一次(←トシがバレますね)に必要な5科目を受講していたのに
全て同じく棚のこやしに…。何せ幼い頃から極度のズボラだったので。

訓練を怠ったせいか、未だに文章を書くと、主旨がまとまらずダラダラ冗漫な駄文になる。
プロの作家というものは、そういった基礎がきちんと完成されているのだろうか。
装飾過多の美文をものする人は多いが、余分な修辞を削ぎ落とし、簡潔明快にまとめられた
光る文章というものには、本職の書き手と言えど、なかなかお目にかかれないものだ。
改めて思うに、日本の短歌や俳句というのは、やはり究極の芸術的表現法であり
永劫に燦然と耀きわたる匠の技、と言っても過言でないかも知れない。

文検のホームページで『心に響く三行ラブレター』コンテストの優秀作品が紹介されていた。

【優秀賞】うち3作品

  “メールがきた、今何してんの?って
   ぼーっとしてるって返した 
   君のメール待ってたなんて送れへんよ”     18歳男性

  “身動きできない満員電車
   あなたを見つけたその瞬間
   僕はたった一つの自由を得た”          29歳男性

  “早く待ち合わせ場所に着きました。
   遅れてみようと思ったけど、だめでした。
   あなたに会いたい気持ちには勝てません。”   32歳女性


なるほどなるほど。
折にふれ感じるものの、意識にとどめることなく忘れ過ごしてしまうささやかな心理描写だ。
こういう何気ない最大公約数を見逃さずに掬いとる才能を、感性と呼ぶのだろう。
アタシ個人は、29歳男性の作品が秀逸だと思うけれど、他の2点の素直ないじらしさも良い。

   寝坊して待ち合わせ場所に急ぎました
   たまには早く着いていようと思ったけど、ダメでした
   待ち遠しかったくせに、遅刻癖は治りません  

32歳女性の作品は、アタシが書き直すとこうなり、もはやラブレターとしては論外・失格(-_-;)



2004年11月09日(火) 神の御許で

今日は、父方の祖父の命日であった。プロテスタントの場合、召天記念と呼ぶらしい。

あれは高校生の時。それは母方の従弟の誕生から、僅か数日後のこと。
危篤の知らせを受け、数年ぶりに見舞った祖父は病床でようよう虫の息。
痩せさらばえ、生き腐れの魚のような濁った目を、虚ろにこちらに向けていた。
『めいこは幾つになった…』「15です」
かわした会話はそれっきり。祖父が死んだのは、その二日後であった。
生まれて初めて死者のお骨を拾う。今も記憶に残る、ピンクや緑に染まった大腿骨の断面。

若い頃から病気がちで入退院を繰り返し、晩年はずっと病院のベッドで過ごした人だった。
祖父は妻を離縁したあと後妻を迎え、困窮をよそに5人もの子供をなした。
先妻の子であるアタシの父は、働けない祖父の代わりに成人するまで一家の生活を支えた。
継子いじめとは俗に言うが、更に実父に庇ってもらえない情けなさを、父は表に出すことなく
一介の下男の如く自分を遇する家族のために高校を中退して働き、そして
自分の婚期を遅らせて、弟妹の最後の一人の就職の世話までしたのであった。
この人の好い父が、隣町に住む母と見合い結婚し、漸く自分の所帯を持って
実家を出られたのは、既に30の声を聞いてからである。

アタシはこの祖父に、父同様、孫として可愛がってもらった記憶がない。
父方の親類の集まりでも、叔父や叔母たちは、異母兄の子である幼いアタシを
子供ながら勘付くほどに分け隔て、実によそよそしく辛く当たったものだ。
向う気の強い母が、父の親族全員から悉く敬遠された所為もあったのだろう。
父の気の毒な生い立ちを、母からツブサに聞かされていたアタシは、大人になったら
温順しい父に代わって、この恩知らずの親類たちに言いたい放題のことを言ってやり
きっと思い知らせてやるんだと、自分の幼さを呪い歯噛みした。
その機会はどうやら、巡ってきそうもないのだけれど。

祖父の死から20年。従姉妹たちは地元で次々に結婚し、親となっている。
恐らく、祖父の法事(ミサ?)に一度も参列したことがないのも、墓参したことがないのも
また一度として手を合わせたことすらないのも、故郷を離れたアタシくらいのものであろう。
母親似の故か、生き仏のような父とは違い、愛憎濃く生まれついたものかも知れない。
十字架を刻んだ御影石の墓石を見たのは、葬儀の日が最初で最後である。

後妻を重んじ、実の息子に苦労はかけ通しにかけても労いの言葉ひとつかけるでなく
それでいながら、キリストの敬虔な信徒として天に召されたという祖父。
彼は罰当たりな孫を、神の御許からどう見ているだろうか。



2004年11月08日(月) 人生の捨て場縹渺たり

テレビをつけたままこたつで転寝しかけていたら、好きなドキュメンタリー番組が始まる。

霊峰富士の麓に広がる青木ヶ原樹海。言わずと知れた自殺の名所である。
いつの頃からか、アタシは富士山を遥かに望むたび、ああ高いな美しいなと感嘆の一方で
あの麓には夥しい数の縊死体がぶら下がり、次々に樹木のこやしになっているのだという
おぞましい感慨を、条件反射的に掻き立てられるようになってしまった。嘆かわしい。

今回は、ここを訪れる人々に、3ヶ月にわたり取材を行ったということであったが…。

  今年の元日に撮影。十国峠より。   
   

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青木ヶ原樹海は、1000年以上も昔の富士山噴火により流れ出した溶岩流の上に
長い時をかけて樹々が生い茂り形成された、広大な原生林だということである。
磁性溶岩帯であることから方位磁石が狂うこともあり、不用意に迷い込むと
山歩きになれた人ですら迷う恐れのある、自然の驚異を体感する場所だと。

軽装でバスを降り立ち、車道伝いにとぼとぼ歩きながらひょいと樹海の中へそれる人がいる。
それは決して観光客ではない、死相をたたえ自ら魔境に踏み込む人間なのだ。
取材スタッフはすかさずあとを追い、どこへ何をしに行くのか訊ねる。
空返事をしてずんずん奥へ進む男。話しかけながら、もと来た道を戻らせようとする。

乗り捨てられた車に残されたメモが見つかり、家族に連絡をとる。
家出した男の妻は着の身着のままで駆けつけ、暗闇の林を、夫の名を切なく
大声で呼び続けさまよい歩いた。奇跡的に生還した夫。泣き崩れる妻。

また、樹海の中で呼び止め民宿で話を聞いてやると、いっとき救われたかに見える男は
翌朝、布団を丁寧にたたみ、迷惑料と共に一度は置き捨てた手荷物を再び携えて
バスで帰って行った。
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塀の中の、極刑を待つ受刑者は、せまりくる死の恐怖に絶えず怯えながら
その日その日の午前中をやり過ごす。処刑当日、いよいよひかれてゆく時には
凄まじい恐慌に陥り、中には足腰が萎え、小水を漏らす者さえあるという。
彼らには、他人を殺めてなお、自らの生への強い執着がある。
ところが、死んで償わなければならない罪を犯した訳でもなかろうに、強制でなく
自らの手で木の枝にロープをかけ、進んでぶら下がる人の数は、刑死者の何百倍である。
死よりも辛い娑婆の日常が、心弱い人々を完膚なきまでに責め苛むのであろうか。
小さないたわりに接すれば、或いはこの世に繋ぎとめられるかも知れぬ、臨界の命。

人は、死んで魂が消滅したとしても、遺骸はこの世に残して行かねばならず
埋葬という形で、生きた人の手でしかるべく片付けてもらわねばならない。
樹海内は湿度が高く、従って死体の腐敗の進行も非常に早い。
腐れ落ち、鳥や獣に食いちぎられた自殺者は、苔むす白骨と化して散乱するのみ。
人として生まれ、人として生き、今や飢餓のない社会にありながら寿命を全うすることなく
選ぶ死にざまとしては酸鼻をきわめる、最悪のものと言えるかも知れない。

戦争、事故、病気、そして自殺。
野生の獣とは異なる、自死という形での弱肉強食の淘汰が、人間社会には存在する。
人中で死ぬことさえ恐れ樹海に分け入った者を、馬鹿だ弱虫だと哄うのは容易いが
予想もしない悲惨な骸をさらばえる末路を、自分が迎えないという保証は何ひとつない。
こうして人の世にある限りは。

幼稚園で習ったおうたに『富士山』がある。

♪霞の裾を遠くひく 富士は日本一の山

その昔、神の宿るとまで言われた、日本随一のうつくしい山。
しかしその裾野には、発見を待つことなしに朽ちゆく屍が累々と…。
後世に、無数の不法投棄ごみと無数の骸が、彼を世界遺産たらしむることなく
末世を早めんとするかの如しである。

嗚呼。



2004年11月06日(土) BOULE DE SUIF -Maupassant-

友人から、携帯電話にメールが入った。
それは『恒例の忘年会を開こうと思うが、遠出は大丈夫か?』 との問い。
あんまり長いこと入院していたもんで、足の怪我を気遣ってくれたようなのである。
もうそんな季節なんだなぁ。そう言えば、街では早くもジングルベルが鳴り出した。

支障はないので、どこへなりと誘って下されと返事したものの、一つ重大な気がかりが。
今現在、まだ自主規制が解けていない、戒厳令下なのであった。
つまり、悲惨なまでに太りすぎたことによる、友人知人との面会謝絶中…(-_-;)

『そんな太ってないわよ』と言われたくて、わざと大袈裟に言ってる訳じゃないのです。
本当に、持っている服がこの冬はもう一枚も着られないのです!(T_T)

子供の頃は、教師に実親の虐待を疑われても不思議がないほどの骨皮筋子ぶりで
学生時代を通して、一向に太らずいつも顔色が悪くギスギスに痩せこけていたのに
今じゃ、そんなこと言っても誰も信用してくれない。
それどころか、ミシュランタイヤのキャラクターに似てきたとまで…(もうおしまい)。

昔、七夕の短冊に「けんかで男子に勝てるくらい太れますように」と書きつけて
一心に星に祈ったことがあった。いくら太ってたって腕っ節強くなくちゃダメだろう。
ていうか、あれ撤回します。今頃叶っても困るし。年末までもう時間ないし(ノ_<。)

  女は粋筋の女というふうに呼ばれている一人で、それほどでない年のくせに
  早くもでっぷりと肥っているので評判が高く、そのためにブール・ド・シュイフ
  (脂肪の塊)といふ綽名がついていた。
  小柄でどこもかも円く、脂肪肥りに肥っていて、ぷっくり膨れた指が
  節々でくびれているところは、短いソーセージを数珠つなぎにしたようだった。

これをまるで人ごとのように読んでいた、あの頃のわたしに戻りたい。



2004年11月04日(木) マティーニ��

咳が止まらない。このところ年中花粉症なので、ついでにクシャミ鼻水も。
これは風邪ではない、毎朝晩というもの、絶えず人を悩ませるアレルギー症状。
腹筋背筋が痙攣しそうなほど咳き込んでも、気管支に巣食うイガイガが呼吸の度に
ズーズー、ゼーコゼーコ、胸の奥で鳴り震え続ける。ちっくしょ〜!o(>_<)o

喉が灼けるくらい強いアルコールを流し込めば、エヘン虫が溶けてゆくと
どなたかが書いていたのを思い出し、いいことを聞いたとばかり、実行してみた。
40度のスコッチをグラスに注ぎ、ストレートで一気にあおる。ウウ…(-_-;)
慣れない飲み方だが、水割りより遥かにイケる。ような気がする。
でも、お酒ってこたつに入って一人で飲んでも、全然おいしくないものだ。

ホロ酔い気分になってきたので、BGMが欲しくなり、鈴木雅之のバラードを流す。
この人の歌声には不思議と、聴き手をしっぽり酔わせる艶かしい色気があるなぁ。

大人の、都会の夜の、照明をおとしたバーの漆黒の空間、夜の高速を駆け抜ける車…

そんな虚飾のイメージが鏤められた、包み込むような独特の悩ましさが、お酒によく合う。
部屋で手酌酒を酌む、今のアタシの柄ではないのだけれど。

とか言ってる間に咳も鎮まり、すっかり酔っ払ってしまった〜(@@;)
明日の朝、自力で早起きして不燃ゴミを出しに行けるだろうか。
ああ、鈴木雅之の歌にはおよそそぐわない、このバリバリの生活感!
奇特な方がおられましたら、8時にモーニングメールをお願いします。



2004年11月03日(水) 文化の日に

イラクで人質となった日本人青年の、殺害の有様を記録した衝撃的なVTRが
インターネットを通じ、世界中に配信されたという。
ほんの100年ほど前までは、どの国においても公開処刑は日常的な出来事で
それがむごたらしくあればあるほど、退屈な日常を営む庶民にとり
無類の娯楽であった訳だが、人権意識が高まって、そのような見世物を
合法的に目にする機会が失われた現代でさえ、人々はグロテスクな刺激を求め
生きた人間の斬首見たさにサイトに殺到する。それが国籍を同じくする人間であろうとも。
残虐な見世物に興奮する人間の性とは、太古の昔から変わっていないようだ。

一方で、アメリカ大統領選挙の開票結果の行方に、世界中が目を凝らしている。
冷徹かつ陰鬱な顔つきのケリー候補が追い上げを見せたが、結局はブッシュ優勢のようだ。
日本の立場としては『ブッシュでなければ困る』のだそうである。
当面は、アメリカとなれあい歩調で渡って行く外ないのが、我が国の現状である。
確かに、ケリー氏の掲げる保護貿易政策だけとってみても、彼が当選すれば
日本が徐々にないがしろにされてゆき、景気に響くのは明らかだが。
そうなった場合、つないでいた手を突然振り切られたとして、我々はどう出るのであろうか。
同胞をテロリストに惨殺されて、非道のテロリストより寧ろ、専ら犠牲者を叩き
またテロリスト同様人質をダシに自衛隊派遣を云々する、日本人のアイデンティティとは。

国際協調という枷に雁字搦めとなり、危ういバランスを辛うじて保つ我が国が
世界の中で自立するには、民族規模での成熟を待たなければならない、と思った一日。



2004年11月02日(火) ホテル・カリフォルニア野球団

日本プロ野球界に50年ぶりの新規参入を認められたのは結局
先に名乗りをあげたライブドアではなく、楽天の方だった。
フェニックスは飛ばなかったが、東北楽天ゴールデンイーグルス… 
イーグルス??どこかで聞いたような名前だな。

天才イチローや松井のメジャーでの活躍に、ごく一般的な関心を寄せるほかは
野球に特に興味はないが、仙台を巡ってバトルを繰り広げる二つのIT企業の
それもライブドア堀江社長の胡散臭さに、生理的に受け付けない何かを感じていた。
(この感じ、現職の長野県知事に対しても言えるんだけど)

『学校の勉強なんて、授業聞かなくても分かりましたね』
『楽天が連続で赤字出してるの知ってます?(笑)』
『だからなんでそういうことばっか聞きたがるの?言ったってしょうがないじゃない』
『女はカネについてくる』 …等々、取材陣に言ったとか言わなかったとか。

ずんぐりした小柄な身体に大頭をのせ、短い手を振り回廊をセコセコのし歩く。
ルックスの見苦しさもあえて省みない不敵なもの言い。そして態度のふてぶてしさ。
公式の場にノーネクタイで平然と現れる小男。札びらきって何つうか、可愛げってものがない。
アタシが審査委員なら、収益とかの財務状況やビジネスモデル以前に
独断と偏見で、まだしも控えめな三木谷社長に票を入れてやるだろうと思ったもんだ。

パ・リーグは40億の赤字だというが、これで少しは景気良くなるものなのかしら。
今年はストライキもあったし、野球界は波乱ずくめの年だったようで。
そう言えば西武もダイエーも、ありがとうセールの割に野菜は相変わらず高かった。



2004年11月01日(月) 「ああ、手がうごく」

この度、新しい貨幣の肖像に、女流文学者の樋口一葉と医学博士の野口英世が
採用され、本日より巷に出回ったそうである。
生憎、今日は外で千円札しか遣わなかったので、小銭の釣りしかもらえなかったが…。
新渡戸稲造と夏目漱石はいよいよ引退か。弐千円札ってちゃんと流通してるんだろうか。
漱石が千円札の顔として登場した時、地元(特に松山辺り)はイベントめいた騒ぎで
盛り上がっていたが、あれってそんなに昔のことだったっけ。
壱万円札は福沢諭吉より、以前の聖徳太子の方が、アタシは良かったのになぁ。
しかし世界のDr.ノグチが千円札で、夭折の女流作家が五千円札とはこれ如何に。

野口英世については、主にその少年時代を、小学1年の時の担任の先生がかいつまんで
話してくれ、初めてその名を知った。早速親に伝記を買ってもらい、読んだ。
それは確か3年生から5年生向けの内容で、文体も古めかしく苦労したように思うが
分からない語はその都度、親に訊ねたり自分勝手に解釈したりしながら
どうにかこうにか読了したものだ。

例えばイントロは 『カン、カン、カン、小使いさんの打つ火打石の音が…』 で始まり
エピローグは 『おお、そして野口博士の残した… こそが、みなさんのしがいのある
つとめではないでしょうか』 と結ばれていた。
“しがい”とは何のことやら分からず、父に訊いて「やり甲斐のある、果し甲斐のある」
という意味であろう、と述懐してもらうといった具合。

英世(幼名清作)は、赤子の頃に囲炉裏に落ちて火傷し、左手が拳状に固まったため
不自由な手を「てんぼう」と同級生にからかわれたが、学業成績は群を抜いて優秀であった。
本来であれば家業の農業を継がねばならない身であったが、母親が息子に学問で
身を立てさせようと働きづめに働き、勉学に専念させる。
良き恩師にも恵まれた清作はのちに渡米し、アフリカの地で黄熱病に倒れるまで
細菌研究の権威として成功をおさめ、世界的名声を得るほどの人物となった。

ウィルスの概念のなかった時代で、野口博士の学説は後世に悉く覆されたということだが
アタシには、高校生になって初めて読んだ一葉より、幼少期に馴染んだ野口英世、
母シカの献身から立身していった野口清作の方が、より身近に感じる人物なのである。

どうでもいいけど野口博士の肖像は、漫画家の加藤芳郎にちょっと似てるな。


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