マキュキュのからくり日記
マキュキュ
■■■
■■
■ (日記) 8月も今日で終わりだ


このところ友人の病気の事や盆過ぎに店が急激に暇だった事などで、少し憂鬱な気分になっていた。
心を強く持つよう心掛け、プラス思考にはなっていても、やはり辛い事や心配な出来事は何時と知れずそっと忍び寄ってくる。
ただ、明らかに違うのは、悪い事が少なくなってきた事と、その気持ちを引きずらなくなった事だ。気持ちの切り替えがとても早くなった。
無理に引き離すのではない、それに押しつぶされないだけの心構えが備わったと言う事なのだ。くよくよしたって何かが変わるわけじゃないと言う事実を認める事にしたら、じゃぁどうしたらいいか・・・というアイデアや考えが浮かんでくる。
以前ならどっぷりとその憂鬱さに浸り、尚更、辛さに拍車を掛けるような悪い事ばかりを想像していた。でも今は違う。

今エッセイ集の編集作業に当たっている。
いよいよ本腰を入れてやる気になったのだ。
目標は300ページほどのもの。今、約3分の1の編集がほぼ終わった。
このエッセイ集に私の夢の全てを賭けてみようと思う。
なので日記の更新が少しばかりお座成りになるかも知れないけれど、極力書きたいとは思ってるので、よろしくお願いします。

昨日癌になった友人の家に再び電話してみた。
そしたらご主人先生が出て、昨日入院したと言う。
彼女に、少し私の書いたものを渡してもらって元気を取り戻してくれたらなぁ・・・と言ったら、先生がとても喜んでくれた。
励ましの手紙を添えて近々送ろう。  

今の私にはそのくらいのことしか出来やしないのだから・・・・・・。


2005年08月31日(水)
■■■
■■
■ (日記) 精神を病む人も身体を病む人も・・・。


生真面目で責任感が強く、人を責めるより自分を責めてしまうような心優しい人が多いのではないかと私は思う。
それと神経が過敏すぎる繊細な人。
【私の場合はぐうたら神の天罰で癌になったのだが・・・】

何から何までを一人で背負い込んでしまう人、又は、背負い込まざるを得ない状況を少なからず体験した人にも多いような気がする。

もっと楽天的に、大して物事に期待しないで生きれば、きっと身体も心も壊れないのだろうなぁ・・・。

なので私は不真面目だと言われようが、無責任だと言われようが、クールだと言われようが、自分の事を大切にし、気楽に生きる事に決めた。

評判の良い人が人生に手抜きをすれば、すぐに悪評も立つが、はなから不真面目な私は、これ以上悪評の立ちようもないと思うと、気が楽だ。
それに本人が感じるよりも、世間の人々は他人には無関心なものだ。
だからこそ少々図太く楽に愉しんで生きなければ損なのだ。

サテサテ・・・本題に移る。

今日、昔からの友人【M】と電話で一時間ほど色々な話をした。
互いの夫の事、互いの経済の事、人間の事、人生の事、目標の事、色々だ。
彼女とはタテマエの関係は数年前に通り過ぎ、ホンネで何もかも話せるので、話しをしているとツイツイ時間を忘れる。
何時も電話は1分以内という私が、よくもまぁ、あんな長電話をしたもんだ。
取り留めのない話の中でも、今日の話題の一番のテーマは人の【誤解】についてだった。

人間って、【私も往々にしてそうだが】ほとんどの人が自分の思い込み【ものさし】を基本に相手の事を考える。
言葉を聞き、書いたものを読み、普段の言動を観察し、人の噂を鵜呑みにし、人の生き様の上っ面だけを見、あの人はこういう人なのだろう・・・。この人はこういう考えなのだろう・・・、と、自分勝手に思ってしまう。
友人知人に限らず、タレントに対してなどでもだ。
でも、そこに誤解や間違いも沢山ある事は余り考慮しないものだ。
誤解をされたまま、あるいは、したまま、いたずらに時を経過させてしまう事はただ多い。

話し合ってみなければ解らない事って沢山あると思う。【話し合って余計こじれる場合もあるが】
でも、大抵は腹を割って話し合う前に何らかの思い込みが発生し、誤解が生じた後は、もう話し合う気も起きなくなるのが人間の仕方なさかもしれない。事実、もう面倒くさいと思う相手も長い人生一杯出てくる。

でも、失いたくないと心から思っている相手とは、例え喧嘩をしようが、言い合いになろうが、とことん話し合ってみる機会を作る必要が有ると思う。


現に【M】のご主人と私の間に生じていた誤解の中のいくつかは、今日の妻【M】との話し合いで難なく解けた。
そしてその他の物に付いては、性格や考え方や今までの人生経験の相違から出てくる物であって、どちらが悪いとか良いとかの問題とも違う、致し方ないものだと言う納得も出来た。

人間の思考や思いはとても複雑なのだ。
自分にとって相手がハチャメチャに見えても、だらしなく見えても、情けなく見えても、相手の考え方や行動をとやかく言う前に、少し広い心を持って、どうしてあの人はこういう考えになったのだろうか・・・と、掘り下げて、その人の立場になって考えてみると、納得のいくものも有る。

なので人を病ませないためにも、壊さないためにも、人の人生と少しでも関わった以上は、そして、その人ともっと関わり続けたければ、心を広く、潤いを持ち、相手の今の結果にではなく、その結果に至った理由や、相手の心の奥底にある機微や苦悩にも関われるようにして行きたいと自己反省をした。


2005年08月29日(月)
■■■
■■
■ 【詩】   親愛なる貴女へ


貴女にどう言葉を掛けていいかワカラナイ


貴女に今度会った時 どんな顔をして会えばいいのかワカラナイ


貴女はいつも私の慰め役だった


いつも優しく いつも静かに いつも温かく包んでくれていた


今度は私が慰める役だというのに・・・・・・


やっとその出番がやってきたというのに・・・・・・


余りにも貴女の痛みや 恐怖や 苦しみや 不安が大きすぎて そしてそれが良く解るから・・・・・・


私にはなすすべも無い


何か私に言って欲しい言葉はある?

何か私にして欲しい事はある?

何か私に聞きたいことは有って?


私にできることであれば何でもしたいけど・・・・・・



でも 何も無いよね・・・・・・

今はただただ そっとしていて欲しだけだいよね・・・・・・


貴女と同じ痛み 同じ恐怖 同じ苦しみ 同じ不安を 以前味わった事がある

その思い出を胸になぞりながら

たった一人ぽっちでソレラと戦い始めたばかりの貴女を

遠い場所で分かち合いながら見守り 祈るしかないのでしょうね・・・・・・


でもね

コレだけは信じて


貴女が生きたいという希望さえ捨てなければ

貴女が失いたくないものが多いならば

きっと貴女の願いは天に届くのだという事を


希望を捨てず 諦めず もう自分の病気は治ってるのだと毎日確信し続けてね


貴女は今まで生きる事に頑張りすぎただけだよ

だから神様は貴女に休息の時を与えてくれただけ・・・


なので神様の優しさに感謝し 神様の力を信じて

少し心と身体を休めていればそれでいいんだよ


目覚めるたびに 貴女の細胞の一つ一つに元気な力がみなぎっているからね♪

手術だって 抗がん剤だって そんなに恐れなくていいからね♪

なんせ このアタシが生き証人なんだから!!


だから希望を絶対に捨てないで!!


2005年08月28日(日)
■■■
■■
■ (日記)     哀


辛過ぎる事があった。
私が啓愛する女性が悪性の癌になった。しかも両方の肺だと言う。

彼女は私の友人でもあり、私が昔、習い事をしていた時の先生でもある。
公私ともども大変お世話になった恩人だ。
と言うよりも、何しろ私は彼女の事が友人としても、女性としても、先生としても、人間として、大大大〜好きなのだ。
私が出会った数少ない神様のような人間の一人に、彼女が入る。

つい数ヶ月前、スーパーの駐車場で10年ぶりくらいにバッタリと行き会い、店を復活した事を告げると、彼女は自分の事のように、とても喜んでくれ、先々月辺りだろうか・・・、ご主人と一緒に来てくれたばかりだ。

彼女から電話があったのは4日前。
でも運転中で出られなかった。もしかしたら予約の電話かもしれない。
そう思い、その後こちらから電話した時、彼女は今打ち合わせ中なので後でマキちゃんに電話してもいいかしら? と言った。
しかし、それ以降、その日は彼女からの電話は来なかった。

私はその時の彼女の声に、何ともいえない寂しい翳りを感じ、気になって気になって仕方なかった。
ご主人と喧嘩でもしたのかな? それとも何か別の事だろうか・・・・・・。
その日は店も忙しく、電話も出来ずに一日が過ぎた。

翌日から私の携帯が料金不足で止まり、3日を経て一昨日復活した。
でも一昨日も忙しくて電話は出来なかった。
彼女からの着暦はあれから全くない。

益々気になり、今日思い切って電話をしてみた。
そうしたら(お客様のご希望により、通話が出来なくなっています。)と言うメッセージ・・・・・・。
仕方なく自宅に掛けたらご主人が出てしまった。

もしも彼女の用件が、夫婦喧嘩などだったら・・・と思い、私は咄嗟に、ご主人に(もうそろそろ二人で出かけてくれてもいい頃かな? なんて思って電話してみました〜♪)と極力明るい声でごまかした。
そしてご主人に聞いた事は彼女の癌の告白だった・・・・・・。

「きっと妻はマキちゃんに聞いて欲しかったんだと思う」ご主人はそう言って声を落とした。


彼女のご主人は心療内科の先生だ。
その先生がボロボロなのだ・・・・・・。
そんなボロボロの患者の面倒を見るはずの先生がボロボロだ・・・・・・。
そして当の彼女は、もっともっとボロボロなのだ・・・・・・。
そのボロボロに苦しんで嘆いている姿を見てるのが辛いとご主人は泣いていた。

そして聞いた私もボロボロだ・・・・・・。

こんな時、どう声を掛けていいか解んない・・・・・・。
こんな時、賢く偉い人はどうするのだろう・・・・・・。
こんな時、気の利いた言葉を言えない私は大バカだ!
何をどうしてあげればいいんだろう・・・・・・。


私に何かの不思議な力があったら魔法を掛けたい。
どうか私にそんな力をください!!

「先生、気を確かに持ってね・・・。辛くなったりしたら何時でも此処に来てね。浴びるほど一緒に飲んで一緒に泣こう・・・・・・」
そんな事しか言えなかった・・・。

彼女に奇跡が起き、何事もなかった2ヶ月前に時が逆戻りする事を祈る事しか出来ない。

余りにも彼女は聖女のような人なのだ。
そんな人がそんな病気に倒れてはいけないのに!!


2005年08月27日(土)
■■■
■■
■ (日記) 誕生日のささやかな前夜祭


今日から、愛すべき日記読者達の為に、本文の文字を少し大きくしてみた。
なんせ、少しずつ老眼を気にし始める年代の読者が、増え出したのだ。
店のお客様もこの日記を読んでくれ始めてる人が多い。

サテサテ・・・、今朝は、穏やかで静かな誕生日の朝を迎えた。
私も今日で満50歳だ。

50歳と言うのは何となく嬉しい数字だ。
49歳でも51歳でもなく、ぴったり50歳と言うのは、何とも気持ちが良い。そして人間80年生きるとして、残りの人生により一層の色合いと深みと輝きを増して生きていきたいと切に思う。

昨夜は考え抜いた挙句、店を一日休んだ。
台風接近と重なった事も有ったし、何よりも、この人生の節目とも言える50歳と言う日を迎えるにあたり、我が愛する夫フゥーリィーと、どうしても二人だけで過ごしたかったのだ。

今日は一応華金なので休む訳にも行かないでしょう?
それで急遽、昨日休む事にしたのだ。
昨日来て下さった人は大変申し訳なかったです。
なんせ、人生の50周年と言う事で、どうかお許しくださいませ。


ささやかなしゃぶしゃぶの善を囲み、新秋刀魚をこんがりと焼き、ワインを用意し、(合わねぇ!)一足先の誕生日の夜を過ごした。

いつも誕生日を迎える頃になると、めっきり朝晩は涼しくなる。
そして私の大好きな秋がやってくる。

これからも、いつも冗談を言い続け、世間をお騒がせしながら面白がられる婆さんで居続けたい。
そんな豊富を胸に掲げ、残りの人生を味わい深く生きて行こう。


2005年08月26日(金)
■■■
■■
■ (日記) 曽野綾子【良い人を止めると楽になる】への共感


昨日の午後、一気にこの本を読み終えてしまった。
やはり、アタシの予感どおり、この本は私の考えと共通する点がとても多かった。
しかしこういう類の本は初めてなのだが、今まで彼女が書いたと思われるエッセイや小説などから、本のテーマに沿い、主要部分を抜粋し、連ねた形式のものだった。
【ハテ? こういう本を何て呼ぶのだろうか?】←無知。

でもでも、ともかく 【天晴れ! 曽野綾子様♪】 だった。

【へぇ〜♪ 曽野綾子ってこういう考え方をする人なんだなぁ・・・】と改めて感心させられ、大好きになった。

アタシは決して良い人なんかではないのだけれど【良い人を続けるのに飽きるか疲れてしまった方に読んでいただければ、こんなに嬉しい事は無い】と言う前書きの部分を読み、面白そうなので借りて来たのだが、借りて本当に良かったと思う。もう一回読み返したいくらいだ。

ついつい私のクセで重要箇所のページの角を折り曲げるのだが、クリップを探したが無い。図書館の本なので、折り目がつくほどは折れない・・・・・・。まさかシールを貼り付けるのはもっといけないので、やはり一応、筋がつかない程度に折らせてもらい、パソコンに落とし、後はアイロンを掛けておいた。(笑)

元々母の影響で本は好きで読んでいた。・・・が、この類の本に興味を持ち始めたのはツイツイ最近の事だ。
【からくり箱】に元常連から連れられて来、その後常連になってくれた【M】ちゃんという女性客に初めて会った日、私が何気なく発した『私が大好きで楽しんでやれる仕事って、コレしかないんですよ♪』と言う言葉に彼女が大きく反応し、「ママに是非読ませたい本があるの」と、本田健の【きっと良くなる】と言う本を皮切りに、色々な本を貸してくれたのがきっかけだった。
それからアタシの本狂いが始まった。そして考え方も人生もガラリと良い方向に変わりつつあるのだ。

こうして何気なく手に取る本や、人に薦められて読む本が、アタシの心に浸透し、アタシに方向性を見出し、生活を楽しくさせ、どんどんどんどん良い物に出遭わせて居る・・・。そんな素敵なシンクロニシティに驚きながら、若い頃はてんで縁も無かった図書館通いを、こんなにも夢中になってさせていると言うのも、又、実に奇妙な話だ。

この先どのような本達に出合えるか解らないが、エッセイストを目指し、もしもこの先、私の人生に何かの大きな変化が現れるとしたなら、やはりそのきっかけになったのは、皆がプレゼントしてくれた【マキュキュのからくり箱】なのだ。
あの店が、未知との遭遇との大きな大きな出会いの扉だった事は明らかだと思う。きっとあの店を手にした瞬間から、何かが少しずつ動き始めたような予感がしてる。後は自分の努力と運だ。そして宇宙の神様のご機嫌しだいだ。

曽野綾子の本を読んで、私が最も深く共感した部分を少しだけ此処に載せたい。
今辛い思いをしているであろう友人の目に止まれば嬉しいと思う。

たぶん私たちが本当に困った時に、助けてくれるのは、決して経済的に余裕の有る人でもなく、権力者でもないのです。それは、苦しみと悲しみを知っている人、なのです。そう思って私たちは友情を見直すと、又新鮮な感動を覚えるのではないかと思います。「聖書の中の友情論より」

日本人の多くは、本当に人を憎んだ事が無い。これほど自分の人間愛を立証する事の好きな人たちは事実そうなのだろう。しかしほんとうに憎んだ事のある人でなければ、ほんとうの愛の立地点も又見出し得ない、とこの頃思うようになった。憎しみも薄く、愛も薄いなどという生き方を、私はどう評価していいか解らないのである。 「悪と不純の美しさより」

私は幸運な事に、親から、人間は正しく理解される事はほとんど無い、と教わった。私自身、私よりももっと幸福な人が居るだろうけど、もっと不幸な人もいるだろうと、当たり前のことを考えていた。もっと不幸な人と比べると私の幸福は感謝しなければならないし、もっと幸福な人と比べると、私のほうが人生を知っている、と思うことにした。それで私は小説家になったのである。不幸は私にとって、小説家になるための必要最低限の資格であった。

などなど、もっと沢山の箇所に心を惹かれたのだが、書ききれないや・・・。
本当に素晴らしい本だった。





2005年08月25日(木)
■■■
■■
■ (日記) 人生の師は沢山居たほう良い


それが例え実際のメンター(相談者)でも、本でも、自分の目指す著名人でも、タレントでも、俳優でも、女優でも、作家でも・・・、自分の中の【心の師】という存在は、沢山居てもいいと思う。
人間の考えや目標は日々変化する。その時々で又新鮮な発見がある。

人は人から真剣な相談事などをされると、他の人にも同じ相談をしているような人を蔑む傾向がある。
【俺の言う事だけ聞いてりゃいいものを・・・】とか、【私を信用してないから他の人にも相談したんだわ】などと臍を曲げる人間は案外多い。
誰もが自分が一番正しい意見を持っていると、自負しているせいかも知れない。
でも、私は一人の意見に納得でき得ない所などがあれば、同じ質問や悩みをいろんな人にもしてみる。

例えば相談した人の答えが余りにも抽象的で、高尚過ぎて、意味が解ら無い時など、他の人に、ある人からこんな事を言われたんだけど、どういう事なのかなぁ? 等の質問をする事も有る。
【本人に食い下がりしつこく聞けばいいのだが、そういう人に限ってもったいぶって中々答えを言ってくれないのだ】
その場合、次なる相談者は「解んない人間に、解った人間が教えをするなら、解んないような言葉を使うほうが可笑しい。そんな人に相談するお前も可笑しい」と、すぐそうなるわけだ。でもそれは私も同調する。
何の為の相談なのかわかんないもの・・・。

なので私が相談された場合は、できるだけ解りやすい言葉を使うように努力するし、他の人にも同じ相談をしているのを知ったら、先ずはその人を恨むよりも、その人にとってまだまだ私は信憑性がないんだろうなぁ・・・と苦笑することにしている。むしろ私の意見だけでそう思いこまれたんでは責任が重過ぎる事も有るので、いろんな人に求めて欲しいとさえ思う。
まだまだ自分に自信が無いので、こんな事を相談されて、こう答えたんだけど、私は間違っていたかなぁ? と全然無関係の第三者に相談する事さえも有る。

ただ、アタシとて、たまには人の役にも立てるような提案を話したいときも有る。なので意見を乞われる場にあれば、嬉しくなったりする。

他者への同じ相談。それがその人にとって裏切りになるかならないかは、その人の捕らえ方だけなので気分を害する人は気分を害するんだろうなぁ。

でも、「それなら私になんか聞かないで最初から他に相談すればいいじゃない!!」などと怒り出す人は、かえってよほど自分に自信が無い人の部類かもしれないなどと最近思う。

なにもその人を全面的に信用していないわけではないのだが、かと言って、全面的に信用しているわけでもない。その意見にたまに疑問点を持つ事も有るからだ。
特に、断定的に物事を考える人や、考えを押し付ける人、断定的な言葉で意見を言う人、あなたは全然変わってないね・・・、などと、日頃の努力や思考の変化なども見ていないくせに、決め付けたように言う人も私はあまり好きではない。
完璧な意見を述べてくれる人も、完璧に私の事を見続けてくれている人も、神以外に居るわけが無いという確信は私の中にあるわけで・・・。
そして自分が少し成長し、人を見る眼力などが身に付いて来ると、様々な矛盾が見えてくる。今まで臆病なチッポケだった人間が、何れは相談者の思考を越える事だって世の中には沢山有るのだ。
なのにいつまでも、その人を自分の作り上げた勝手なイメージだけで判断し、断定し、物を言うような人は、それこそ成長が止まっている証拠だと思う。

人間が一人として同じ人が居ないように、いろんな意見が有って当然な訳で、その中から自分が最もピン♪ と来る、無理なく真似のできそうな意見を述べてくれる人を探す権利は誰にでもあると思う。

あの人のこういう部分は尊敬に値するけど、でもこういう所はとても従えないよなぁ・・・と思うこともあるわけで、回答者の意見の全てが正しいわけでもない。

私には色々な心の師が居るが、長い人生の中、その人同士が何度かかち合った場面がある。
しかも驚くのは三者が三者を互いに排他的、否定的な目で見詰め合っている事だ。
やはり自分自身の物の見方には確固たる自信が有る人って本当に多いんだなぁ・・・と改めて思う。
でも、それはそれぞれの思い込みだけだと思う。
そんな時私は、むしろそんなことで互いを見下すようなチッポケな人間を今まで尊敬してたんだなぁ・・・と思うと、その方が悲しい。

例えば私の相談者同士が同席した場合、互いにもっと互いを知って欲しいと思うし、皆で私をこき下ろしあってくれても苦言放題でも構わないのだが、私を取り巻く良き相談者同士、第一印象だけで相手を図らず、もしも私の事を本当に心配してくれ、私が幸せになる事を心から望んでくれているのであれば、せめて普段、真剣に私に助言をしてくれている人たちをもっと尊重して欲しい。
理解してくれなくても良いが、私がそんなに酷い人を選ぶわけが無いと、もっと信用して欲しいのだ。

だいいち、第一印象や、たった数分間や数時間の居合わせだけで、互いの事等が解るはずなど無い。
あの人はあなたに無い良い面があるし、あなたにはあの人に無い尊敬する部分があるのだから、あなたの意見も聞きたいと思った訳で・・・などと思うのだが、そんな事をいちいち言い回るのも虚しい・・・。
それで腹を立てる人は腹を立てるのだ。勝手に腹を立ててくれて構わない。
そうすると私は自分が師として尊敬していた人に、ちょっと失望したりする。

私は色々な人の色々なより良い部分を参考にしたいわけで、そりゃ、たった一人の人の生き方だけに習って生きていけるほどの優れたメンターに出会えたならそれほど良い事は無い。でも、それだけ全面的に見習いたいと思う人は残念ながらまだ出会えていない。


2005年08月24日(水)
■■■
■■
■ (日記) 私の友人たちの暗黙ルール


長年付き合ってくれている友人が何人かいる。
しかも皆10年以上のロングランだ。
よくもまぁ、こんな私を見捨てずに気長に付き合ってくれるものだと感心する。
そしてその多くの友人は、互いに労わり合い、誉めあい、慰めあうなどと言う、決して美的な代物ではない。
どちらかと言うとこき下ろし合い、笑いものにし合い、互いのアラを突付き合いながら、面白がってると言うような気楽な付き合い方である。

でも、そんな中でも、友人と長続きさせるためには共通の暗黙ルールのようなものが有る事を発見した。

☆ 放って置く優しさを持つと言う事。(始終つるまない)
☆ 互いの不得手な事を強いたり、望んだりは決してしない事。
☆ 相手に真剣に何かを忠告する場合は、決して傷つけるような言葉は使わないと言う思いやりを持つ事。
☆ 相手の欠点を受け入れ、高望みしない事。
☆ 互いに互いの生活の邪魔をしない存在である事。(たまに深夜の電話で叱られるが・・・)
☆ 何かの貸し借りは、別の何かで少しでも補おうという精神を持つ事。
などなど、色々だ。

さっき借りてきた4冊の本の中に、曽野綾子の【良い人を止めると楽になる】と言う本があるのだが、その一説にこんな事が書いてあった。

人生の半分を生きて、これから後半にさしかかると思うと、好きでない事はもう関わっていたくない、とつくづく思う。
それは善悪とも道徳ともまったく別の思いであった。
一分でも一時間でも、綺麗な事、感動できる事、尊敬と驚きを持って見られる事、そして何よりも好きな事に関わっていたい。
人を恐れたり、醜いと感じたり、時にはさげすみたくなるような思いで、自分の生活を使いたくない。
この風の中に居るように、いつも素直に、しなやかに、時間の経過の中に、深く恨むことなく生きて行きたい。


私はこの中に楽しい事、を入れたいが、まったく持ってその通りだと思う。
深く深く共感してしまった。
私の気持ちをそのまま代弁してくれているような気がした。
曽野綾子は今まで殆ど読んだ事が無いが、読み始めた段階から、恐れ多い事だが、もしかしたらアタシと似てる考えを持っている人なのかもなぁ・・・と思えた。

まだ読み始めたばかりの本で、ほんの数ページしか読み進んでないが、きっと私の思うところに共通する点が多く書かれている本のように思え、これから先を読むのが楽しみだ。

しかし、そう思って本を店に持っていくと、店が暇になっていけない。
人間、全て思い通りになるということが解った以上、本が読みたい、本が読みたいと思っていると、客を来させず、神様が暇な時間を与えてくれすぎてしまう。
なので読書は寝る前の少しの時間と、起きた後の少しの時間の為の愉しみに取っておくことにしよう。






2005年08月23日(火)
■■■
■■
■ (日記) 心地良い本や人は、考え方を変えさせてくれる。


今、図書館通いが一番楽しみな生活習慣になっている。
本を購入したり、セミナーなどに参加していたら、到底払いきれないであろう金額の、宝物が沢山詰まった本が、なんせ、ただで、好きなだけ読めるのだ。こんなにありがたいことは無い。

自己啓発の本、人生哲学の本、夢を叶えるための法則本、人生を楽しく生きる為のマニュアル本、カウンセリングの本・・・、などなど、そういう類の本を端から借りては読み、文章の重要点はパソコンに書き写し、その中から厳選した手元に置きたい物だけを少しだけ購入している。
これらの類の本は、自分を成長させるための参考書。
人間性を磨かせ、自己反省の優しい教え手であり、将来の夢にきっと役立つと確信している。
自分の短所を他人に聞くには、少し勇気が要るけれど、相手が本だと思えば、素直に【私にはこういうダメな部分が有るなぁ・・・】と冷静に受け止められる。

自分を今以上にもっと低く、ダメだらけの人間だと見積もっていた頃、周りの人間全てが自分よりも賢く、えらく、自信ありげに、真剣そうに、楽しげに、幸せそうに、真面目そうに見えていた。
私以外の人間は年上だろうが年下だろうが、いつも何かを学ぶための師だった。
でも、付き合っていく中で、交流を進めていく中で、相手に対し、何とも言えない違和感を感じて来る事も多い。
無論相手も私に対し、そういう事なのだろう・・・。
でもそれは仕方が無い事なのだ。
人間は自分の思考レベルと距離感のある人は、良くも悪くも徐々に馴染めなくなると言う習性が有るものだ。よく言われる価値観の相違と言うやつなのでしょう。
そこを無理に刺激しあってまで、その人と長く付き合いたいか? と考え、去る事もあり、去られる事も有る。

類は友を呼ぶと言うように、同じような思考レベルの人が居心地良く、似たもの同士、自然に集まるように出来ているのだ。少しずつズレを感じ、だんだん自分の居場所ではないと感じ、自然に疎遠になる。しかし、そういう人たちとの出会いも、決して悲観する事ではないと言う。全ての出会いにそれなりの大きな意味があると言う。

最初はとても賢くて偉いんだなぁ・・・と思っていた人が、後に、案外そうでもないみたいだ・・・、と思う事はお互いたまたま有る。
正直、私は人間好きなのか人間嫌いなのか、自分でまだ良く解っていない。
きっと人間自体は好きなのだろうが、その資質に得て不得手が未だ多くていけない。
誰でも愛せるほど、人間の器がまだデカクない。(本たちのお陰で、徐々にそうはなりつつあるが)

私は自分自身の許容範囲やダメな部分も知っているので、自分から進んで相手の扉をノックする事は先ず少ない方だ。
以前から、一人でも多く友達を増やそうというタイプでは決してなかった。
どちらかと言えば、じっくり付き合える人が少しだけ居れば良いと思っている方だ。
自分が、万人受けする人間だとも思えない。

リアルの世界では客商売しかやったことが無いので、表向きは人懐っこいのだが、ネットの世界では興味深い物を書いている人や、魅力的で素敵な人だなぁ・・・と、よほど興味をそそられない限り、こちらから扉をノックする事はまず無い。
ネット友達の大半は、私の日記に興味を抱いて訪れてくれた人、チャットで知り合った人、日記の読者からの紹介者が私のBBSやメールに訪れ、それから付き合いが始まって行くパターンが多い。

でも、そういう場合、熱心に通ってくれる人であればあるほど、私に対し過大評価する人や、過大期待する人がいかに多いかと言う事に戸惑う事が有る。
私はそんなにたいそうな人間ではないのだと、日記に正直に書いているにも関わらず、とても気に入ってくれ、急接近して来る。

私の主義は【来るもの拒まず、去るもの追わず】なので、来てくれれば嬉しいし、それなりに私が出来うる範囲での対応は懸命にしているつもりだ。
でも、その類の人は、私という人間がどういう人間か自分勝手に作り上げ、こういう人なのだと勝手に思い込み、自分の物指し通りでは無いと感じると、悪たれを付き、攻めはじめる人間も居たりする。
私は私なりの文章を書きながら、常に私の感じ方、捉え方でそこに居ただけだ。
そこに好きで立ち寄って来たのはそっちじゃないか! と言いたい事も何度か有った。

私がネットをしていて感じた事は、人に意見する事が多い人、人を中傷しやすい人の多くが、自分自身が決して満たされていない状態の人だと言うことだ。
そしてルールにこだわる人ほどルールを守ってない。
自分の対面を守るためか、BBSなど人目に触れる場所で人を攻める人が多い。
本当に幸せで満たされている人は、もっと気持ちも大らかで、助言をすることは有っても、決して人をひどく落胆させるような、中傷的な言葉などは使わない。
そしてそういう人の共通点は。
☆自分自身は何も変えようともせず、相手が全て変わるべきだと思っている。
☆攻撃は最大の防御かのように、自分を棚に上げ、相手の事ばかりを言いたがる。
☆群れたがる。
☆人に対し、前面肯定から、一瞬にして全面否定になるという、極端な両面を持っている。
☆意見を言うのが好きな人ほど、自分が意見を言われるととたんに攻撃的になる。

【行く人は行かせなさい。来る人は来させなさい。行こうが来ようが何も変わりは無いじゃないか。取るに足らん事だ。】と言う誰かの名言があるが、私はこの言葉が好きだ。

人間は誰もが不完全なもの。
なので、少しでも早く自分の欠点に気付き、一生を掛けて、少しずつ自分の考えの間違いを修正して行きたい。

色々な本を読んでいると、自分の考え方が完璧に間違っていると思っていた部分が、案外正しかった事などに気付かされる場合も有る。そしてその反対も・・・。
既成概念や固定観念を全て正しいものだと思うのは危険である事も解った。
そして自分本人が自分の一番の良き相談者なのだと言う事も解った。
自分の心の叫びや、魂からの提案は、何にも勝る正しい答えを与えてくれる物なのだと言う。
なぜなら、自分の良い所や自分の価値を一番良く知っているのは、他人ではなくほかならぬ自分自身だからだと書かれていた。

例えば私が欠点だと思っていた、楽天主義・だまされ易い部分・商売下手な部分・何かにこだわり、頑な部分、これら全てが、決して欠点ばかりではないと言う事に気付かされ、少し気が楽になった。そして私の最も良い部分は、私が最も自分で嫌っていた、単細胞でバカな事らしい・・・・・・。

反対に自分で美徳だと思っていた部分の、物事に期待をしない事・諦め易い事・自己批判・将来への心配・取り越し苦労等は、絶対にしてはならない行為だと言う事も改めて知った。
物事への期待が大きければ大きいほど後の落胆が強いので、将来に期待をしないという消極的発想は、最もいただけない行為らしい。

最近読んだ【心を磨くEQテスト】と言う本に、子供に好かれるお母さん像と言うのがあり、その条件は、明るい事・温かい事・そしてもう一つに、【少し抜けている事】と書かれてあった。
出来すぎたお母さん、完璧に全てをこなそうと思っている母さんは、子供に取ってはきっと重い存在なのだろう・・・。
人間、抜けていて愛嬌の有る方が、良いのだ。

自己啓発本と言うのは、中には、到底まねが出来ないと思える堅苦しく難しい物もあるが、いかに気を楽にしてくれ、私の生き方はコレで良かったんだ・・・と安心させてくれるものもが結構多い。
何かに躓いた時、不毛な時、行き詰った時、どうしようもない時、毛嫌いせずに読んで見ると、途端に人生観が変わり、気が楽になり、自信が持て、人生が楽しくなる。

私のお勧めの著者は、ジョセフ、マーフィー・スティーブン、チャンドラー、ナポレオン、ヒル・本田健・中村天風・松下幸之助・など等。【後は今、手元に無いので忘れてしまった】
無論コレラを読んでいれば、ソレラの人のようになれるかなれぬかは全然問題ではなく、人生や考え方の大きな参考になる事だけは確実だ。
そして読まないよりは読んだほうが良いということも事実だ。

良書達も、相談者達も、書き手や、アドバイザー自身が、優しく温かく大らかな人で、心地良く浸透し、やる気を起こさせてくれ、押し付けがましくなく、威圧的ではなく、威張りん坊でなく、自信を喪失させるものではなく、元気を増幅させてくるものだけを選んで行けば良い。
アナタの居心地の良い人間、読み心地の良い本を、人生の担い手として選んで行けば良いと思う。



2005年08月22日(月)
■■■
■■
■ (日記) 心を打たれて止まない詩


あのときかもしれない    長田弘


 「遠くへ行ってはいけないよ。」
 子供のきみは遊びに行くとき、いつもそう言われた。いつも同じその言葉だった。だれもがきみにそう言った。きみにそう言わなかったのは、きみだけだ。
 「遠く」というのは、きみには魔法のかかった言葉のようなものだった。きみには行ってはいけない所があり、それが、「遠く」と呼ばれる所なのだ。そこへ行ってはならない。そう言われれば言われるほど、きみは「遠く」という所へ一度行きたくてたまらなくなった。
 「遠く」というのがいったいどこにあるのか、きみは知らなかった。きみの街のどこかに、それはあるのだろうか。きみはきみの街ならどこでも、きみの手のひらのように詳しく知っていた。しかし、きみの知識をありったけ集めても、やっぱりどんな「遠く」もきみの街にはなかったのだ。きみの街には隠された、秘密の「遠く」なんて所はなかった。「遠く」とはきみの街の外にある所なのだ。
 ある日、街の外へ、きみはとうとう一人で出かけていった。街の外へ行くのは難しいことではなかった。街はずれの橋を渡る。後はどんどん行けばいい。きみは急ぎ足で歩いていった。ポケットに、にぎりこぶしを突っこんで。急いで行けば、それだけ「遠く」に早く着けるのだ。そしたら、「遠く」に行ったなんてことにだれも気づかぬうちに、きみは帰れるだろう。
 けれども、どんなに急いでも、どんなに歩いても、どこが「遠く」なのか、きみにはどうしても分からない。きみはつかれ、泣きたくなり、立ち止まって、最後にはしゃがみこんでしまう。街からずいぶん離れてしまっていた。そこがどこなのかも分からなかった。もどらなければならなかった。
 来た道と同じ道をもどればいいはずだった。だが、きみは道をまちがえる。なんべんもまちがえて、きみはわっと泣き出し、うろうろ歩いた。道に迷ったんだね。だれかが言った。迷子だな。別のだれかが言った。迷子というのは、きみのことだった。きみは知らない人に連れられて、家に帰った。しかられた。
 「遠くへ行ってはいけないよ。」
 子供だった自分を思い出すとき、きみがいつも真っ先に思い出すのは、その言葉だ。子供のきみは「遠く」へ行くことを夢見た子供だった。だが、そのときのきみはまだ、「遠く」というのが、そこまで行ったら、もう引き返せない所なんだということを知らなかった。
 「遠く」というのは、行くことはできても、もどることのできない所だ。大人のきみは、そのことを知っている。大人のきみは、子供のきみにもう二度ともどれないほど、遠くまで来てしまったからだ。
 子供のきみは、ある日ふと、もうだれからも「遠くへ行ってはいけないよ。」と言われなくなったことに気づく。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子供じゃなくて、一人の大人になってたんだ。


この詩を読んで泣きじゃくったのは、もう10年以上も前だろうか。
そして時を経てつい最近、偶然にも再びこの詩に出会った。
50歳を目前にし、あの頃とは又、ぜんぜん違う涙が、溢れた。

詩と言うのはその時の状況で、たとえ同じ詩であっても全然違う意味合いに感じるから不思議だ。




2005年08月20日(土)
■■■
■■
■ (日記) 二日間の連休で考えた事。


昨日のボーリングで普段動かさない筋肉を動かしたせいで、左のお尻のホッペタが痛くて仕方ない(苦笑)
腕の外側の筋肉が昨夜は少し痛かったが、今日はもう治っている。普段右手は仕事でフライパンを振ったり、なんだかんだで沢山動かしているせいだろう。
まだまだ若いつもりで居ても後10日も寝れば50歳だ。
いきなりボーリングの3ゲームは、少しタカをくくっていたのかもしれない。
しかし、皆でこういう交流をするのは実に楽しい物だ。
久々にリフレッシュ出来た。

15日・16日の二日間は店の連休を取った。
一昨日は【M】と花火に行く予定だったので、一日はフゥーリィーと過ごすために昨日も連休を取ったのだが、結局一昨日は天気予報で局所的に豪雨に見舞われると言うので、急遽花火見物を取り止めにし、9月3日の新作花火競技会に行くことにしたのだ。
なので一昨日も昨日も、フゥーリィーと有意義に過ごす事が出来た。
一昨日は晩酌をしながらゆっくりと色々な話をすることが出来たし、昨日はボーリングをしたり、はやり夜は食事をしながら今後の事などを話し合ったりしてた。

フゥーリィーが2日間での里帰りで目の当たりにした光景は、お義父さんの著しい衰弱だったそうだ・・・・・・。
まだ伝い歩きは何とか出来るそうだが、それも時間の問題だと思われる。
食欲もあまり無く、便通も悪いそうだ。
オムツを余儀なくされているらしいが、お義母さんも心臓のバイパス手術をしたばかりの身体だ。あのままではお義母さんが参ってしまうと言う・・・・・・。
携帯で写真を撮って来てくれたのだが、本当にお義父さんはかなり痩せ細ってしまった。
あぁ・・・、早く何とかしてあげたい・・・・・・。でもどうしてあげられると言うのだろうか・・・・・・。

冬の木曾はとても寒いし、冬場を二人きりで過ごさせるのは余りにも危険なので、お義父さんをもう一度施設に預け、お義母さんは冬の間だけ、再び兄貴の家に戻すそうだが、お義母さんの本音は、この周りの景色が素晴らしい私たちの家に来たいらしい・・・。
兄貴は勤めていた会社が無くなってしまった為、多少の退職金は出ただろうが、未だ定職が決まらず、しかも糖尿を患っているため、今後が決して明るい状態ではないのだ。
なのでお義母さん一人にしても、安心して預けられる状態ではなくなってしまった・・・・・・。
二人の娘たちの嫁ぎ先には、死んでも迷惑は掛けられないと言う。

でも、私の気持ちとしては、お義父さんとお義母さんの二人を、二度と離れ離れにするのは可愛そうで仕方がないのだ・・・・・・。
引き取るなら二人を一緒に引き取ってあげたい。
お義父さんと、お義母さんが、お義母さんの手術で2ヶ月余り離れ離れになった半年前、二人は本当にロミオとジュリエットのようだった。
過去、片時も離れた事がない二人が、初めて離れ離れになったのだ。
その時の二人の寂しそうな顔と言ったら無かった・・・・・・。
あんな顔は二人に二度とさせたくはない。

二人を一挙に引き取るには、それ相当の覚悟が要ることは充分に解っている。
でも、私はあの二人が理屈抜きに大好きなのだ。
あの二人が喜ぶ顔を見ていられれば、今よりも一層楽しい幸せな気分で仕事に励めると思う。
ただ今の経済状態のままでは、まだ二人を引き取る事は不可能だ。
なので昨夜ベッドに入ってから、必死にぐうたら神を通じて創造主に強くお願いしてみた。

【二人を此処に引き取りたいと今、真剣に考えています。ただ、それには少し環境を整備しなければなりません。畳を代え、じゅうたんを張替え、余分な物を全て処分し、必要な物をある程度は揃えなければなりません。何かの為の貯金も必要です。人々に返す為のお金も必要です。まだそんな資金を算出できるほどの余裕は少しもありません。なので何とかその資金を作るきっかけを宇宙からプレゼントしてください。夢枕に立ってなんらかのお告げをください。もうあまり時間が有りません。二人が動ける内にその願いを達成出来るよう、何かの知恵とお力を与えてください】と・・・。

来年の正月を、この家で4人で過ごせるよう、その願望が聞き入れられることをこれから毎日真剣に祈ってみよう。
絶対に創造主は善い事での願いなら、その願いを聞き入れてくれるに決まっている。



2005年08月17日(水)
■■■
■■
■ (日記) マタマタ予感が的中した!!


13日の日、(N)ちゃん達と飲んでる最中、いつものように何となく胸がザワザワしたのだ。
宣言して当たらないと気恥ずかしいので、いつも人前で宣言は極力しないのだが、あの日は咄嗟に口を吐いて「近々又少し大きな地震が起きそうなな予感がする・・・」と言ってしまったのだ。

そうしたら(N)ちゃん達が「えっ、マジ? なんで解るの・・・?」と言い、どんな気分なのか聞かれた。

「何となくなんだけど、胸の辺りがざわめく様な嫌な感じがして、地震がある!って気がするんだよね・・・、そうすると大抵は一週間以内に結構大き目の地震が起きるの。アタシは地震が大大大〜っ嫌いなので、他の人よりも過敏なのかもね・・・」と、しばしその話題になったのだ。
そうしたら今日震度6弱の地震があったではないか・・・・・・!!

今パソコンを開いたら、ミクシィのメッセージ欄に(N)ちゃんから【当たりましたね・・・!】と言うメッセージがあった。

やはりアタシの前世はナマズかな???


地震の話題は怖いので、早速話題を変えよう。

今日久々にボーリングに行ってきた。
バイトの(R)一家と、(R)の友人の信大生の男の子と、フーリィーとアタシの6人。

フゥーリィーはボーリングは上手い。
会社のボーリング大会等ではいつも1位か準優勝だ。
そして(R)のダンナもアベ200の半プロクラスだ。したがつて(R)も夫婦でよく行くらしく上手い。

アタシはボーリングなど7・8年ぶりくらいでやっただろうか?
それでも1ゲーム目は103。
2ゲーム目は何と161。
3ゲーム目も144と自分ではものすごい好成績だった。

ボーリングの初体験は中学1年の時。
その時168と言う信じられない記録を出して以来、160点台を出したのは今日が初めてだ。大体過去のボーリング経験は10回ほどしかなく、いつも100前後が多かった。
なんだか今日はすこぶる調子が良かったなぁ・・・・・・。

今度からくり箱でボーリング大会でも催そうかな? なぁ〜んて直ぐその気になるアタシ。

凄く楽しかったけど、しかし今になって、右手の筋と左のお尻のホッペタが痛い・・・・・・!!
久々のボーリングでの筋肉痛だ。
もうじき50だもんな・・・。3ゲームはキツイかも・・・。


2005年08月16日(火)
■■■
■■
■ (日記) 今年のお盆は静かなお盆


今年の松本のお盆の夜は、昔と比べ、とても静かになった・・・・・・。
こんなところにも、年月の流れをひしひしと感じる・・・・・・。

そりゃそうだよね・・・・・・。エポックをやってた頃はもう6年以上前のこと。
あの頃は客自体が殆ど独身で若かったので、お盆と言えば同級会などがあり、久々の中間達が顔を揃え、皆で集まってワイワイ・イケイケで飲んでたけど、そんな連中が皆結婚し、子供を授かり、それぞれの家庭を持ったんだから、そうそうお盆と言っても集まれなくなってるんだわなぁ・・・・・・。
やはり本来はお盆は家族と過ごす物。互いの実家に行き来する物。
お盆に飲み歩く人が少なくなって当然と言えば当然だ。

昨日も寂しく2組だけ・・・。

すぐ近所の雑居ビルの中のクラブ(?)キャバクラ(?)に勤める、例の小柳ルミ子の若い頃風情のベッピンホステス(R)ちゃんが、前回連れてきたシンちゃんと言う若い客と再び訪れてくれた。
二人とも隠れ家的な【からくり箱】をとてもお気に入りのようで、常連になりつつある。
とある【商売繁盛支援サイト】の統計によると、全然知らないフリー客が入って来、その客が間を空けずに3回来ると、8割方はその店の常連になってくれるそうだ。

そして一昨日来てくれたマイミクの(N)チャンが再び、昨日も同級生(T)君を連れ、来てくれた。
この二日間で(N)チャンなりがどんな女性なのか、だいぶ良く解れた。
彼女はちっちゃい身体に、とてつもなく大きなパワーを秘めた、正にパワフルスーパーレディーだ。
前向きでとても明るく、又、すごく賢い。
健全な仕事人であり、健全な主婦であり、健全な母であり、健全な遊び人でもある。
彼女はボーカルをやっていた経験もあり、あの小さな身体のどこからあんな声が出るのだろう・・・? と言うほど声量があり、歌も抜群に上手い。
椎名林檎などを歌わせたら、本人よりも上手いかも・・・・・・。

過去に一度来てくれただけの彼女が、お盆で里帰りをしていると言う事は、友人達の店なども沢山あるというのに、その貴重な2日間を共に【からくり箱】で過ごしてくれたのは本当に嬉しくありがたい事だ。

昨日はバイトの(R)が忙しさを見込んで手伝いに来たのだが、バイトをするほどではなかったので店で一緒にだべって遊んでいた。
暫くし(R)の旦那が仕事先の美容院を終え食事に寄り、満腹になったところで二人仲良く帰っていった。

(N)ちゃんとその友人(T)君がその後カラオケで盛り上がり、とめどなくなり、ご多分に漏れず2時を回っての閉店となった。(笑)

サテサテ、今日は本来は休みなのだが、明日の諏訪湖の花火見物花火は恒例行事なので明日の変わりに営業する。
今日はまたまた東京からの客が来る予定だ。
例の熟年コーラスグループの(T)達だ。
またまた、からくり箱はカラオケボックスと化すだろう・・・・・・。
楽しみ楽しみ♪

今月はカラオケの売り上げがかなり期待できそうだ♪


2005年08月14日(日)
■■■
■■
■ (日記) 今年のお盆はどうじゃろか・・・?


昨夜は【KS】達の貸切だった。と言っても4人だが・・・・・・。
【KS】の後輩でも有るマイミク仲間の【N】ちゃんが東京から里帰りをしてて、来てくれた。
前回来た時はとても忙しくて、殆ど話も出来なかった状態なので、今回はゆっくりと話したかったし、ゆっくり接客もしたかった。
結局9時ごろから3時ごろまで盛り上がってしまった。
ゆっくり接客したいと言う念願は叶ったものの、せめてもう一組位来てくれても良さそなものを・・・・・・。
本当にウチの店は極端だ。(笑)

今日から本格的なお盆だが、今日、明日は営業する。帰省客が来てくれる事になっている。
そしてその代わりに、15日は親友【M】と諏訪湖の花火大会に行くので、お休みだ。

フゥーリィーは今朝から明日に掛けて木曾の実家に里帰りしている。
今年の夫の盆休みは今日からの4日間だけ。なので完璧にすれ違い夫婦になってしまう。会えるのは16日の昼間だけだ。

フゥーリィーの両親は、先月から夫の兄の家を出て、再び二人きりで木曾の実家で暮らし始めたのだ。
やはり長年住み慣れたあの家が落ち着くのだろう・・・。
互いに病後の年寄り夫婦なので心配なのだが、やはりもう、好きな場所で好きなようにさせてやりたい。と言うのが皆の気持ちのようだ。
木曾には親戚も多いので、皆も仕方なくOKしたのだろう・・・・・・。
私は店があるので、今回は木曾には行く事が出来ないが、うんと親孝行してくるように。そして、良〜〜〜〜〜〜〜〜〜くご先祖様のお墓に日ごろの感謝を込めて御参りしてきてね〜♪

からくり箱をオープンしてから始めてのお盆を迎えるわけだが、近年のお盆の集客状況はどうなんだろうか・・・?
いっぱい集まってくれると良いなぁ。
なんかとてつもなく懐かしい人に会えそうな予感あり。


2005年08月13日(土)
■■■
■■
■ (日記) NOが平気に言える様になってきた。


昨日、ジャスコで店の仕入れをしていたら、遠くの方から女性が近付きながら、じっとこちらを見ている。
私も何となく知ってる人だよなぁ・・・とは思うのだが、まったく思い出せない。
そうしたら彼女から「もしかして・・・マキちゃんじゃない?」と言うので「ええ、そうですけれど、アナタは?」と聞いたら「(S)子よ(S)子!」
と歯がゆそうに笑っている。
それでようやく解ったのだが、昔知っていた(S)子とは余りにも形相が違っていたので全然解らなかったのだ。
何となく彼女の顔は疲れており、精気がない。

彼女は、私が松本に来た22歳の頃、教習所代が足りなくなり、短期間のつもりでアルバイトをしていたクラブでのホステス仲間(S)子だったのだ。
年齢は私より4つばかり上だが、当時の彼女はもっと活き活きとしていて、気取らぬ面白い人だったので私は結構仲が良かった。
まぁ、27年ぶりくらいの再会なので、互いに婆さんになっていて当然なのだが・・・・・・。

「お茶でも飲まない?」と半ば強引に誘われ、まだ少し時間が有ったのでこれと言って断る理由もなくジャスコの喫茶店に入った。

「元気そうだね」と互いに面目上の挨拶を交わし、その途端、「ねぇねぇ聞いてよ」と、彼女が当時のクラブのママや他のメンバーたちの噂話や陰口を弾丸トークで喋り出したのだ。

しばらくは黙って聞いていたのだが、私はウンザリし「ねぇ、(S)子ちゃん、アナタは人の悪口ばかりだね・・・・・・。昔はそんな人じゃなかった筈なのに。ねぇ? もっと楽しい話題はないの?」と、自分でもびっくりするくらいきっぱりと話題の方向性を拒絶したのだ。

彼女もバツが悪そうに苦笑し、いったんは話題を変えはしたのだが、話している内にやはりどんどん横道に反れ、人の陰口になって行く・・・・・・。

陰口と言うのにも2種類あると思う。
明らかに悪意のみで、その人間の思い込みや偏見から発せられている悪口と、あの人は今、○△らしいんだけど・・・、もっと○△すれば良かったのにねぇ・・・などの、その人が少しでも良くなるようにとのアドバイス要素が含まれている物との2種類があると思う。

(S)子のそれは聞いているのも嫌になるほど悪意に満ち、程度の悪い陰湿な悪口だった。

私は堪り兼ねて「(S)子ちゃん、悪いけどそういう話なら私は時間もないので帰るわね。人の悪口は聞きたくないのよ」
そう言い、自分の分のコーヒー代をテーブルに置くと、私はそそくさと店を出た。

以前の私なら、きっとそこまでの強い態度は示せなかっただろう・・・。
人を傷付けるような、申し訳ない気がして嫌々ながらも話しにあいづちを打っていたかも知れない。【それは決して優しさではなく、自分の弱さからなのだが・・・】
NOと言えない日本人だった私は、人からNOと言われる事も自分がNOと言う事もきっと怖かったのだと思う。
NOと言う事、言われる事は、全面否定する事、あるいは、全面否定される事と同じ事なのだ・・・などと言う間違った認識があった。
人間はもっと複雑で、ある部分はYESだけど、そこの部分だけは妥協したくないのでNOだわね・・・、と言う事も多いのだ。
だからNOイコール全面否定では決して無いのだが・・・・・・。

なので、不本意ながら、心ではこういうことを聞いているのは嫌だなぁと思いながらも、その場の雰囲気を壊すのが申し訳なく、人に合わせ、人に引きずられるようなところがあった。
でも、今はNOの裏側にYESが含まれている事も充分知っているし、NOは決して否定語ではなく、建設的な考えに切り替えるためのNOが有る事も知った。

プラス思考に移り変わって行くと、マイナスの要因を発している人がだんだん苦手になって行く。
折角良いエネルギーが充満し始めているところに負のエネルギーが注ぎこまれると、弱い内はツイそっちに引っ張られそうになってしまうものだ。
それは長年住み慣れた場所に戻るような安堵感にどこか似ている。
でも、やはり私の道は間違いだったと気付いた以上は、正しいNOを持つ事で、そのリバウンドから守られる事も十分に知った。

彼女はもしかしたら傷ついたかもしれない。
でも、私のNOから何かを汲み取ってくれ、彼女自身が思考を変えて行ってくれれば、そのNOが役に立つのかもしれないと思うと、後ろめたさは全然無かった。


2005年08月12日(金)
■■■
■■
■ (日記) 楊枝会社の人必見♪ ちょっとしたアイデア


妻楊枝を買うといつも思う。
これって不便だなぁ・・・と。むろん楊枝自体は大変便利な代物だ。

ただ、アレって、大抵の家は少しずつ抜き取っては楊枝刺しに入れ変えるわなぁ・・・。すると、だんだん残りの楊枝は放射線状に広がり、楊枝の蓋を閉めるのがとても困難なのだ。
こっちをつぼめりゃあっちが広がり、あっちをつぼめりゃこっちが広がり、手がもう一本欲しいといつも思いませんか?
全て纏めたつもりでも必ず3〜4本が、蓋からはみ出る。

そこでちょっとしたアイデアなのだが・・・、容器の底に剣山ではないが、荒めのスポンジのようなものを三分の二ほど詰め、最初から楊枝を刺しておいて売れば良いと思ったりたんだけど・・・、どうだろうか・・・。
そうすりゃ必要なだけ抜き取っても残りの楊枝はまっすぐ立ったまま散らばらないと思う。したがってすんなりと蓋を閉められる。

楊枝の会社に勤めてる人は、このアイデアを出せば使い勝手が良くなって、そこの楊枝だけが飛ぶように売れるようになり、その社員の成績も上がるのではないか?(笑)
早いもん勝ちだぞ。パクレパクレ〜♪(笑)
そんなちょっとしたアイデアが浮かぶたび【発明ノート】に記載し、一人ほくそえんでいる。

「マキ姉ぇ、なにか良いアイデア考えろ! 俺が商品化するから二人で組んで大儲けしようじゃないか♪」
親友テツがこう言うのだ。
アッと言わせるアイデア商品のパテントを取ろうと、電気技術会社の上役である親友【テツ】と、始終いろんなアイデアをだしまくっちゃ、店で飲みながら、ああだこうだやっている。
これは中々楽しく、夢があり、お酒も進む。
ふとした時に、ふとしたアイデアが浮かぶ。
店のトイレ掃除をしている時、料理を作っている時、散歩してる時・・・。
どれもコレもコストの安い商品なので薄利多売のものばかり。
しかし、そんな夢をずっと描き続けていれば、いつかは下手な鉄砲も数打ちゃ当たるかも知れない。

このアイデアは内緒だが、今までに素晴らしい案が3つ浮かび、製品化できるかどうかただいま会社には内緒で研究中だという。
なんだかワクワクだなぁ。


2005年08月11日(木)
■■■
■■
■ (日記) 信じようが信じまいが・・・・・・


人生哲学の本や、人生を説いた本を読んでいると、どれもこれも共通点が有ると言う事は以前にも書いたが、中村天風も、本田健も、ジョセフ・マーフィーも、スティーブン・チャンドラーも、その他諸々の著者達も、その多くが、到達点は同じで、宇宙の法則【宇宙真理】を説いている物が多い。
無論これは宗教でもなんでもなく、宇宙界の自然法則なのだと言う。

なので対象の呼び名は、神・キリスト・アラー・お釈迦様・ぐうたら神・・・人それぞれまちまちだが、それはその人の習慣で良いそうだ。
ただ、真の神とは人物の形をしたものではなく、宇宙霊と言うとてつもないエネルギーの事なのだそうだ。【国や著者によって呼び名は様々】
所謂、この宇宙界の全てを作った創造主のことを指している。

その創造主が我々人間一人一人をこの世に産み出し、守り、労わり、愛し、必要とし、意味を持たせ、役割を与え、全ての人物が成長し、進歩しながら、個々の願う通りの人生を歩いて行かせるため、個々の潜在意識を受信しながら、その望みを叶えてくださっているのだそうだ・・・。

そして私が読んだ著者の誰もが、今有るあなたの状況は、全てがあなた自身の望みと心の態度の持ち方で出来上がっている物である。
生まれついた家庭のせいでも、親のせいでも、周りの環境のせいでも、夫や妻のせいでも、子供のせいでも、友人のせいでもなく、アナタが心に描いた、アナタが心に想像した通りの産物なのだ。
全て、あなたの思考(感じたまま)に、創造主が応え、注文通りの人生を贈り与えているものなのだ。
と書かれている。

以前はまだ半信半疑だったが、人生とは良くも悪くも、自分が望んだ(思った)通りの人生が与えられるものだ。と言う事を読み、この日記にも書いた事がある。
皮肉なようだが【そんな事あるわけがないじゃない!】と思っていれば、あるわけないと思っている本人の思った通りの人生になる訳だと・・・・・・。
それを読んで、なるほどなぁ・・・と思った。

なので自分自身を否定する言葉や、人を否定する言葉、憎しみ、怒り、ねたみ、助言や批評ではない悪意からの批判、恨み、嫉み、嫉妬、意地悪等で心の中が充満している人は、潜在意識がその方向に全て働きかけ【悪い事への方が数倍強く働きかけるようだ】、それを受信した宇宙霊が、そういうドロドロの世界がその人の好む居場所なのだと思い込み、その通りの人生にどんどんしてあげているそうで、それも宇宙霊の純粋な愛なのだそうだ。
なのでそういう思考をずっと続けている人はそんな世界から中々出られない。

だからこそ、そういう環境が嫌だ。何とかしたい。と気付いたならば、自分の思考を変えていく必要があるのだそうだ。
自分のことは自分でしか救えないと言うのも皆共通して書いてある。
先ずはそれに真剣に気付く事こそが大切だと言う。そして気付けば早いもん勝ちで実行に移せば、直ぐにステキな不思議が続々訪れるようになる。

人を愛し、人を受け入れ、人を許し、良い事のみを分かち合い、愛や和や楽しみや感謝に満ちた思考に切り替えていけば、人生はとても充実した幸せなものとなり、永久的な宇宙霊の愛から祝福され、常に守られ、気持ちも心も豊かになり、生活も次第に豊かになり、宇宙霊からタナボタ的に嬉しい事が次々とプレゼントで届くようになる。
悪い思考で居るよりも良い思考に切り替えた方が、自分自身だって気持ちも良く、楽しく素晴らしく充実した人生を送る事が出来るのだ。

以前同じレベルの暗い場所に居て、互いの傷を舐めあい、慰めあい、世の儚さを嘆きあっていた友人達がたくさん居た。
多分個々に心の中ではこの境遇から早く抜け出さなければ・・・、とは思って焦っていても、その術さえ知らず、ただ、同病相哀れむの精神で仲間が居ると言う事に安堵し、寄り添っていた気がする。
自分を甘やかし、自己弁護し、自己憐憫し、同情をあおり、苦悶していただけの私だった。

でも幸いな事に、周りに居る良き友人達がきっかけとなり、色々なアドバイスを与えられ、色々な良書を与えられ、良書を自らむさぼり読み、その世界からいち早く抜け出そうとし、先ずはこんなに世の中にシラケ、ふてくされていた私自身が、もしも本当にただ思考を切り替える事だけで、幸せになれたとしたなら、今は置いてきぼりにしている人々にも説得力を持って伝えてあげられる事が出来るのではないかと思い、少しずつ自分の思考を改めるよう、良書を教科書に、実行し始めてみた。

そして切り替えた段階からほんの数ヶ月で、今は魔法が掛かったように、こんなにも毎日の日々が楽しく愛しく、充実している。

まだまだ将来の夢は大きく、到達するには時間が掛かるだろうが、その夢も決して諦めない。
宇宙霊に守られ、宇宙霊がこちらを向き、「やっと気付いたな」と、Vサインを送り、ニッコリと微笑みかけてくれたのは確かなのだ。
なので宇宙霊の弟子(?)であるぐうたら神も、最近は気味悪いほどとても親切だ。
宇宙霊は私のようなものでも大歓迎してくれ、抱き締めてくれるのだから・・・、あなたならもっともっと大丈夫!

ほんの少しの切り替えで、こんなにも人生が大きく変わるのだと言う事を、私は相手が望むならば誰に対してでも、私なりが経験してきた思考の切り替え方を喜んで伝えたい。【無論私を否定し続けた人にでもだ】
私はあくまでも、来るもの拒まず去るもの追わず主義だ。
なのでおせっかい扱いされるのは嫌なので、自分から進んでは行かない。
求められさえすれば喜び勇んで参上したい。

そんなに大変な事でも、面倒な事でも、たいそうな事でも、大げさな事でもないのだから・・・。でなければ、この怠慢な私は、まだまだ暗く苦しいながらも、あの長年住み慣れた安直な世界にどっぷりと浸っていた事だろう・・・・・・。

そして嬉しくも全面的に自分を変える必要もないみたいだ。良い所は持ち続けていれば良い。自分に気付かされた短所だけを2進1退しながら、躓きながら、時にコケながら、一緒に手を貸しあいながら、少しずつ少しずつ上がって行けば良いではないか・・・・・・。

信じようと信じまいと鼻先で笑おうと構わない。「フン!」と思っている人は今のままの場所に身をゆだね続けていれば良いだけの事だ。
そこがきっとその人に取っては未だ居心地が良いのだろう・・・。

でもツイ半年前まで、私は【人生なんてそんな上手くいくはずがないよ・・・】と諦めかけていた側の張本人として、その真理はやはり間違いではないのだと、身を持って改めて気付かされた。
もっと早く気付けば良かったと、今では思っている。

いとも簡単に幸せな充実感は手に入るものだったんだなぁ・・・。


2005年08月10日(水)
■■■
■■
■ (日記) 気まぐれでカレーを作ってる


地元TV曲の夕方の番組で、カレー特集をやっていたのを見てたら、無性に辛いカレーが食べたくなった。
んで、今作ってる最中だ。

アタシのレパートリーのカレーは6種。

�.船�ンとほうれん草のココナツミルクのカレー
�▲船�ンとポテトの煮込みカレー
��キーマカレー
�ぅ掘璽奸璽匹離后璽廛�レー
�ゥ咫璽侫�レー(まろやかな欧風カレー)
�Ε泪�ん家カレー

早速少し早目に店入りし、その中で今日はマキん家カレーを作った。
勿論ルーは市販のルー。定番は、バーモント・こくまろ・塾の3種【全て辛口】をブレンドするのだが、でも今日は更に、今売り出し中の【絶品】というのをメインに混ぜてみた。

味付けは、一般家庭のカレーに少し手間隙を加え、うんと辛くしたやつだ。
【coco1カレーで言えば、3辛チョイと言うところかな?】
レストランの気取ったソレではなく、ちゃんとジャガイモもニンジンも玉葱も入っていて、豚肉はあえて角切りではなく、肩ロースの薄切りを使う。しかもしゃぶしゃぶ用の超薄切りだ。
アタシャ、煮込む時間を掛けられない時は、ゴロゴロした角切りの肉よりも、ポークカレーの場合は薄切りのほうが手っ取り早いし、味も旨いので好きだ。
ビーフカレーの場合はルーから自分で作り、シチューとカレーのあいのこのように、辛さを押さえまろやかに仕上げる。その時は、ビーフシチューのように、でぇ〜っかく切って、トロトロになるまで肉とルーを煮込む。

あっ、出来た出来た♪ 今ちょうど出来上がったのでソレを試食しながら日記を書こう。

ウッ、ウッ、ウマイィ〜ッ♪ ウ〜ッ! 辛っ!! この辛さがたまらん。【手前味噌】

今日は隠し味に濃縮ののままの創味のつゆをお猪口に一杯分くらい入れてみた。そしたら味にコクと少々のくどくもない甘みが出て益々美味しくなった。

後、補充した隠し味はいつもの通り、生姜とにんにくのみじん切りを狐色になるまで良く炒めた物・ガラムマサラ・シナモン・ナツメッグ・コショウ・クローブ・カエンペッパー・コンソメ顆粒・中濃ソースを少々・醤油を少々くらいかな?
店にはインスタントコーヒーが無いので、香り付けに何時も少し入れるのだが、今日は抜きだ。

いやぁ、気まぐれに作った割には上出来上出来♪

辛〜いカレーが食べたい方、是非からくり箱にお急ぎを!!
明日あたりまで食べられる可能性アリです。



2005年08月09日(火)
■■■
■■
■ (日記) この3日間の事


金曜日は日記を書く少し前頃から、再び熱がぶり返したようだ。
後に再び酷いピィ〜ピィ〜♪&9度台の熱が出始めた。
熱は確かに高いしお腹も下っているのだが、気持ちはとても元気なのだ。
この日はカウンセラーの友人(Y)さんから10人の予約を受けていた。
(Y)さんの生徒(生徒と言っても皆社会人だが)達に暑気払いを施してあげようと言う(Y)さんの計画だ。
予約の時間は6時半から。

本当は薬を使うのは本意ではなかったが、仕方なく朝一でボルタレン座薬のお世話になり、日記を書いた後もう一眠りし、目覚めたら熱が一気に6度台まで下がっていたので、昼過ぎから早々に仕入れに行く。

仕入れから帰り、家で出来るものは下準備をし、店には4時入りし、本格的に料理を作り始める。
そして6時頃になり、バイトの(R)が来てくれ、準備万端整い、ポツリポツリと予約のメンバーたちが揃い始めた。

この日は今覚えているだけでも(Y)さん達が総勢12人。(T)さんたちが7人。友人(A)姉妹が2人。親友テツたちが3人。エポック当時からの客である(N)さんたち2人。と、ものすごく繁盛し、店が終わったのは3時半。
全ての後片づけが終わり家に帰ったのは4時半だった。
そしてバタンキュ〜♪

中村天風の書に、具合が悪い時は、その事を完全に心の中から追い払い、忘れてしまえば身体の苦痛が軽減されるものだと書かれてある。病気のことを気にかけていれば気にかけるほど、病気は長引くと言う。
本当に楽しく忙しくしていると、具合の悪さも忘れ、あっという間に時が過ぎて行く。
朝ボルタレンを入れただけで、それからは夜は何もしていないのに、お腹の調子もさほどではなく、熱がぶり返す事もなかった。そして無事に一日終えられた。
あれからは今日までまったく熱も出ていないしお腹も完全に良くなった。
夏風邪はもう完全に退散してくれたらしい。
それにしても、金曜はフゥーリィーが足の痙攣のため手伝っては貰えなかったのだが、(R)と二人だけで、よく頑張った。
(R)は本当に良く動いてくれ、とても助かる存在だ。
こんど飛び切り美味しいランチでもご馳走しよう。

そして土曜日は、本来は松本で一番にぎやかな【松本ぼんぼん】と言うお祭りなのだが、夕方からものすごい雷雨で、可愛そうに、初めて中止になってしまったようだ。
なので、忙しくなる予定だったのだが、物静かなスタートとなった。
それでも、昨夜に引き続き(T)さんたちが3人、(R)の息子とその友人が2人。マイミク仲間のSOJAさん。PTA仲間だった(A)さん。その他忘れてしまった・・・が来てくれ、またまた楽しい日を過ごした。

そして昨日の休みは久々にフゥーリィーと二人のんびりと過ごし、たくさんの会話をし、ふざけ合い、笑いあい、晩酌をし、夕食を食べ、一週間の心地よい疲れを取るべく、サッカーが終わった後は韓国への勝利に一安心し、もうベッドに入り、直ぐに寝こけてしまったみたいだ。

アタシは不眠症は昔から余り無いので、いつもは寝るのが3時4時なのに、休みの日には10時でも眠れると言う特技がある。
9時間も寝貯めが出来、おかげで今朝はスッキリと7時に目が覚めた。

この所、店もソコソコ良くなりつつあるし、本当に毎日が楽しく、充実し、店の客層も明るく平和で楽しいメンバーばかりだ。店は私自身のオアシスにし、客たちの語り処として憩いの場でありたい。そんな願望が達成しつつある。

金曜の前半はとても面白いシンクロニシティがあり、(Y)さんたちのグループと(T)たちのグループと(A)姉妹の3組でもう店は一杯だったのだが、(Y)さんは(T)さんのグループに以前の仕事仲間を見付け、(A)姉妹は(Y)さんのグループに義兄弟を見付けると言う偶然が重なった。
(Y)さんは「この店っていつもそんな小粋な不思議を見せてくれる店なんだよねぇ」と目をまん丸にして笑っていた。

料理も雰囲気もとても良い店ですねと、(Y)さんのメンバー達に言われ、ホッ♪と胸を撫で下ろす。
(Y)さんにも「本当にありがとう、マキちゃんのお陰でものすごくよくしてもらえてみんな喜んでたよ」と言って貰えた。
(Y)さんの顔を立てられた事が嬉しい。

(Y)さんたちが解散した後、その他の客が来出し、それから3時半までの営業になったのだ。

・・・と、此処まで書いていたら絶妙なタイミングで、当の(Y)さんから携帯にお礼メールが入った。
ドレドレ?
【先日はありがとうございました。美味しい料理若者たちは大変喜んでいましたよ。金曜日はとても忙しかったですよね。次回は出来るだけ平日にします】ですって。(笑)

先週の一週間も、良く働いた。自分で自分を昨日、たっぷりと誉めてあげた。
具合の悪い時は、店に行くとなお更元気になる。

今週も忙しいと良いなぁ。
気分的には私用がない限り、年中無休でやっても良いくらいなのだが、そうするとフゥーリィーと一生会えなくなっちゃうしなぁ・・・・・・。




2005年08月08日(月)
■■■
■■
■ 【愛猫エッセイ】 老いて益々魔女元気


昨日は【厳密に言えば一昨日の店終了時ごろから】お腹に不調が出だし【厳密に言えばピィーピィー♪】オマケに熱が9度2分まで出ていたのだが、昨日はボルタレンも他の薬も何も使わず、夕刻の出勤時間までに自分の自己暗示だけで治ってしまった。
本来なら9度以上の熱があれば、さすがに店を休むところだが、4時ごろになったら急に熱がス〜ッと下がっちゃったので通常通り開けたら、案外忙しくてとてもとても楽しい一日になった。

店終了後仲間に誘われ、仲良しのミィちゃんを含め、近所の同業者の店に繰り出し、3時半まで大いに盛り上がった。
その後店で仮眠を取り、8時半ごろ家に帰り、もう一眠りしようとしたら、ミュウーに鼻先を舐められ、それでも無視して寝たふりをしていたら、今度は鼻先をかじってきやがった・・・・・・!!
最初は優しく咬んでいるのだが、無視し続けるとだんだん強くかじりやがる!!
そして耳まで・・・・・・。

ね、ね、ね、寝てられない・・・・・・。

と言う訳で、今、渋々起きて日記を書いている。


そんなミュウーに2ヶ月ほど前、面白半分で1つお願いをしてみたことがある。

「ミュウー? ミュウーはこの家に貰われて来て幸せだと思ってる? もし幸せだと思っていたら、童話なんかでは、たいていは恩返しと言うものが付き物なんだけどなぁ・・・・・・」
とアタシがぶつくさ話し掛けたら、アタシの顔をジーッと見つめ、耳をピクピクさせながら真剣な面持ちで首を傾げてるのだ。
それを見たら、もしかしたらこの子、本当に願いを叶えてくれるのかも知れない・・・と言うような気になり、「今から1つお願いをするから、叶えて頂戴ね」と言ってみたのだ。

「エ〜ット・・・、前からデジカメが欲しかったんだ。なので、どこかにデジカメが落ちてたら絶対に咥えてきてね♪」

と、そんなお願いをしたのも忘れかけていたつい最近、親友のテツたちが店に来ていた時の事・・・。
皆でデジカメの性能の話になり、私が「デジカメってリサイクルショップではいくらくらいから有るの?」と聞いてみたら、テツが「マキ姉、デジカメ欲しいのか?」と言うから「うんうん、前から欲しいなとは思ってたのよ・・・。だって携帯がダメになって機種変した時、カメラ機能が良いものに・・・と言って変えて貰ったのに、前のよりも全然最悪なんだもん・・・!」と言ったらテツが、「じゃぁ、俺んちの古いデジカメあげるわ」と軽く言われてキョトン!

何でもテツのお父さんがデジカメフェチで、全然使ってないデジカメがいくつも有るというのだ。
そして貰ったデジカメは、キャノンの製品で、何と10万相当のものらしい。
画素数は最近の物よりも幾分少ないそうだが、画質が素晴らしく綺麗だ。
取説を無くしてしまったらしいので、今、ホームセンターに注文している所だ。

嬉しいなぁ、嬉しいなぁ・・・・・・。兼ねてからの念願だったデジカメが手に入った♪

ハテ? コレはミュウーのお陰なのだろうか・・・・・・?
ミュウーが願いを叶えてくれたのだろうか・・・・・・?
んな訳ないか・・・。
いや、やっぱ、きっとそうなんだ・・・・・。そう思ったほうがロマンがある。

このところのミュウーは猛暑だと言うのに、相変わらず元気に庭で遊んでいる。
一昨日、間茶トラのデブ猫にちょっかいを出されたらしく、しばらく押入れに引きこもっていたけれど、今日も懲りずに又庭に出た。
1時間半は帰ってこないだろう。

さぁ、鬼・・・じゃない、魔女の居ぬ間にもう一眠りしておこう。
今日は(Y)さん達から10人の予約を貰っている。
張り切って料理を作ろう♪



2005年08月05日(金)
■■■
■■
■ (日記) エネルギーと良書類の相乗効果か!?


先週のからくり箱は何か不思議なバカ力を発揮したみたいだ・・・・・・。
日記を書く暇が余り取れなかったのだが、この所、店も運勢も急上昇している。
良書群によってポジティブな気持ちに移行した事と、良い強いエネルギーを店に充満させて貰った事での相乗効果のせいか、強く願えばその願いは必ず叶うのだと言う事を再び立証できたような一週間となった。

先月はボーナス払いや纏め払いなどの出費が重なった割りには、ボーナスが殆ど出なかったと言う憂き目に会い、最後の週になってまだ20万近くも足りず、家の家賃も店の家賃も、1から貯め始めなければならないと言う窮地に立たされた。

そんな時こそあきらめてはいけない事を良書で読んでいたので、心を強く持ち、無理を承知で【今週中に(厳密に言えばたった5日間ほど)何が何でも20万を貯めるのだ! ・・・ではなく、いや、必ず貯まる!】 と、強く念じてみたのだが、何と、その願いがちゃんと叶ったではないか・・・・・・・!
しかも、特に金曜日の売り上げは、開店来の売り上げトップを記録した。

その金曜日が実に不思議だった・・・。
何度か日記に登場している、心のメンターである(Y)さんと早い時間に店で待ち合わせをし、久々にゆっくりと深い話をした。
彼女は江原啓之のような不思議な能力を備えている。
彼女とは、いつでも高レベルなとても尊い対話が出来るのだ。

M氏が来松した際、彼女は祇園祭に出かけており、残念ながら店には来られなかったのだが、その時の様子やら、店にエネルギーを注ぎこんで貰った事、思考の切り替えのアドバイスなどをされた事やらをゆっくりと、じっくりと話したかったのだ。
彼女もその時の事に以前から興味を抱いていた。
そうしたら、彼女が「いや! 凄いよマキちゃん! 今、こうしてマキちゃんと話している間中、私の身体がビリビリ反応してるのよ・・・!」と言われ、私やからくり箱にエネルギーが充満している事を感じ取ってくれたのだ。
彼女はM氏が来る前にも私と電話で会話している時に、痺れは感じていたらしい。
でも、それが確実に強くなってるとハッキリ金曜日に言ってくれた。

何度か日記には書いたが、いつも不思議に思うのは、彼女を呼んで真剣な話をしている時は、誰も入って来ないのだ。
話がし終わる時間まで、その空間が静止してくれるみたいだ。
彼女とスピリチャルな深い対話がしたい・・・。
そんな日は、正直、その間だけは他に邪魔をされたくないと思っている。
彼女が普通に遊びに(飲みに)来る時は、他にも数組の客が居る事はあるのだが、真剣な話をしに来る時は、何か不思議な磁気が働き、その願いが叶うのか、いつも二人だけにさせて貰える。
そして金曜日も、話がちゃんとし終わった頃を見計らうように、一人目の客が入って来た。
そして(Y)さんは彼にバトンを渡し、満足気に帰って行った・・・。

それから後は、止まっていた時計の針が回り始めたように、一体何人客が入ったのか解らないくらいに忙しい日となった。
店が終えたのは4時半だったが、不思議と腰痛も疲れも無かった。
仕込みの時間を入れれば、12時間半も働いた事になる。
でも、腰痛はからくり箱の開店以来、殆ど起きていない。それ自体が信じられない事だ。

当日のオソがけ、からくり箱を始める前に、散々ママに嫌な思いをさせられながら働いていた店の同僚も、久々に一人で飲みに来てくれた。私とは仲良しだった子だ。
彼女いわく「今日、ウチの店は駅前だと言うのにお茶っぴき(客が一人も来ない事)だったんだよ。此処は凄く混んでるじゃん・・・、しかも、ママなんか、金曜だって言うのに一度も顔も出さないんだよ、信じられる? やる気有るのかって言いたいよ、ホント・・・」と、ボヤイていた。
まだそんななんだなぁ・・・、あのママは・・・・・・。

やはり、物事は、全て自分の思考により、どうにでも変化して行かせられる物なのだという事は、どうやら明らからしい。
思った通り、望んだ通り。心がけ次第の結果が待っている。
なので否定的に物事を捉えれば否定的な結果が待ちうけ、ふてくされて人生を送ればふてくされた結果が待ちうけるものなのだそうだ。
特に自分や他人が悪くなる事を思考によぎらせれば、相手にではなく、その全てが自分に反映し、数倍になりその人自身に帰ると言う。
否定的な考え、消極的な考えや悩みは、肯定的な物よりも、潜在意識に数倍強く大きく働きかけ、潜在意識はそれをその人の望みだと思い込み、そのような人生にしてくれるらしい。【要は良くなるも悪くなるも注文通りになるということだ】
だからこそ、どうせ私には無理なのだ・・・とか、どうせ私はダメなのだ・・・とか、今月も苦しくなるんだろうなぁ・・・とか、貧乏だ・・・とか、バカだ・・・ちょんだ・・・とか、そういう言葉は口が裂けても絶対に吐いてはならぬと、どの本にも書いてある。そういう言葉を吐けば吐くだけ、その通りの人生になってしまうのだそうだ。
そんな口癖を直すだけでも人生は明らかに変わってくると言う。半信半疑でためしにやってみたら、本当に幸せに生きられるようになって来た。

急には無理でも、2進1退しながら、徐々に肯定語ばかりを使うようにしていけば良いみたいだ。
強く意識していると、人に対しても自分に対してもだんだん否定的な考えは出なくなるものだ。

自分には良いことのみが起こると決め込み、悪い事は一つも起こらないのだと強く自分に言い聞かせるのだ。
簡単なようで難しいけど、難しいようで簡単な事だ。
ある意味、楽天的におき楽に考えれば良いと言うのだから・・・。

そう言えば、ツイ半年前までの私は、ネガティブ側の思考が多かったよなぁ。日記を読んでもそれが良く解る。
謙遜は美徳くらいに考えていたが、それもダメみたいだ。
そんな自虐的な言葉を書く事のネタにし、自信の無さからの悪い口癖が8割を占めていたように思う・・・。
きっと長年の癖で潜在意識に染み込んでいたんだろうなぁ・・・・・・。
だから長年、私の潜在意識がそうなりたいのだなぁと思い込み、そのような人生にしてくれてたのだ。なのでいつまで喘いでもそんな世界から抜け出せないでいたんだと思う。
それがようやく今になり、良い友人達や、良書のお陰で気付く事が出来たのだ。

今でこそ、以前の私はそういう人生に自分からしていたのだと気付き、苦笑いだ。
かなり気付くのが遅かったが、それを知るチャンスが巡って来た分だけ私は救われていたのかもしれない・・・。


2005年08月01日(月)

My追加
☆優しいあなたは両方 クリック してくれると思うな〜☆ 人気投票ランキング
≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL