マキュキュのからくり日記
マキュキュ
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■ (日記) 寝ているうちに凄い事になってたみたいだ!!


昨夜は流石にお茶ッぴき。
そりゃそうだよねぇ・・・。
数時間後には岡田ジャパンの奮闘振りに日本列島が興奮しまくる訳だから・・・・・・。みんな早目に床に付いて3時の目覚ましと共にまた、TVにかじりつくのだろう。
飲んでなんかいられるか!! って所だよなぁ・・・。

九時・・・・・・十時・・・・・・十一時・・・・・と、誰も来ないので仕方なく店で応募用の原稿の続きを書いていた。
でも、店で書いてると、いつお客が来るか解らないのであまり気を入れて書けないから、納得する表現が下りて来ず、書いては消し、書いては消しの繰り返し。
あぁ・・・ダメダコリャ・・・と、ため息をつき、仕方ないので眠気覚ましに脱出ゲームなどをやっていた。
そういうアタシも数時間後のワールドカップにドキドキワクワク・・・。
ゲームにも身が入らず・・・・・・。

そうしたらタイミングよく、転勤で遠い場所に移ってしまった元常連が電話をくれた。
先日も迷える子羊・・・・・あ、いや・・・、迷える老トドを心配し、わざわざ電話をくれたのだが、お客さんが居たりしてゆっくりと話せなかった。

店の事、今抱いている様々な思い、人間関係のこと、将来の願望などなど・・・、相手が掛けてくれた事を良い事に(笑)延々一時間半にわたり色々な話をしまくった。
アタシは普段、掛かってきた電話も掛けた電話も、殆ど1分以内の通話しかした事ないから、1時間半なんてまるで、高校生になったような気分だった。
昨日の電話は人生のベスト3に入る長電話だった・・・。

散々思いを聞いてもらい電話を切り、お茶ッぴきなので折角飲まずに我慢していたのだけれど、電話のさいちゅう飲みたくなってきて、チューハイを3杯チビチビ飲んでしまった。
ゲームの続きをしながら、代行を待っていたが、あんがい早く代行が来てしまい脱出ならず。午前二時に家に着いた。

帰宅後ビールを飲みながら眠気を我慢し、少し本を読み、時間が来たので祈るような気持ちでTVに齧り付いた。
「オネガイ!! 勝ってくれ!! 勝ってどん底のアタシにも勇気と元気を与えてくれ!!」
旦那と一緒に観ようと思ったら、なぜかパジャマをオケツの割れ目までずり下げ、大口開けて高イビキ・・・。
ダメダコリャ・・・。
ハテ・・・、一体何の夢を見ていたのだろうか・・・・・・。

旦那は仕事が早いので可哀想だから起こさなかった。

キックオフを迎え、前半で大興奮。
涙ながらに独り身もだえながら応援していたというのに・・・・・・。
後半が楽しみで、楽しみで、あんなに興奮状態だったのに・・・。

前半が終了し、休憩になった途端、コテンと寝コケてしまったみたいだ。

何だか寝ている内にもの凄いドラマがあったようで、3対1で勝ち残ったと朝のニュースで知り、何で寝ちゃったのだろうかと泣くほどシャクだったが、ものすごく嬉しかった。

凄いなぁ・・・岡田ジャパン。
本戦前はあんなに不調だったのに・・・・・・。
なにか神が乗り移ったみたいだ。

ゲゲゲの女房も経済状況が徐々に良くなりつつあるようだし、あんなに沈み込んでいた岡田ジャパンも奇跡を起こしているし、アタシも最近、急激にいい兆しがたくさん出始めてきたので、何とか応援者達の期待にそえるよう頑張ろうという気が湧き上がってきた。

ほんとうに皆、ありがとうです。
サササッと引きっぱなしだった波が、向こうの方から又少しずつ押し寄せてきそうな予感めいたものがして、かなりやる気が出てきた。
なんか、また、朝っぱらから泣けてきそうだからこの辺で今日はやめておこう。


2010年06月25日(金)
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■ (日記) ぽすとまん、誕生日おめでとう。


先週の土曜日、京都に住むマイミクのぽすとまん(以前の仕事がHNに)が、わざわざアタシに会いに松本まで来てくれたのだ。
彼はいまや立派な行政書士である。

当日は久々の「からくりマジック」が起き、ぽすとまんと散々深良い話しをし、それが済んだ頃、常連たちがやって来て店は久々に賑やかだった。
ぽすとまんは福の神だ!!
エベスさんかビリケンか・・・・・・。

彼との出会いは3年前。
なぜか彼が(水中バレエ)のキーワードでネット検索していた所、アタシの日記が引っかかり、アタシの波乱人生に興味を持ってくれ、アタシがミクシィの会員だと知り、メッセ欄にコメントをくれたのがきっかけだった。

彼はアタシの赤裸々自伝(人生波茶滅茶)も読んでくれたらしく、こんな激動の人生を送っている人に一度会ってみたいと思い、3年前に初めて店に来てくれたのだ。
そして今回店をたたむ事を知り、慌てて三年ぶりに会いに来てくれた。

アチャ〜!! やってしまった!!!

アタシはそう思った。
わざわざ京都から出向かせてしまったのに、店を継続するとなると、詐欺みたいではないか・・・・・・。
しかし、彼が来た当日の当日まで、店をどうするかは本当に迷っていたので、駆け込み乗車は成立してしまったけれど、彼とは彼の職業上、真剣に話したい事や聴きたい事もたくさんあった事は確かなのだ。

店を辞めないことに付いてはちょっと心苦しくもあるのだが、正直、彼が話してくれた数々の事や彼の気持ちが手伝ってくれたお陰で、店を存続する気持ちが湧き上がったので、もし、ぽすとまんが来なかったら未だに迷い続けていたかもしれない・・・・・・。

彼はアタシの書く日記(文体)が好きだという。
そしてアタシの類稀なハチャメチャ人生も・・・・・・。
だから、いつかきっと花がひらく事を信じて、店をやりつづけていて欲しいと、社交辞令でもななく、お世辞でもなく、言ってくれたのだ。




2010年06月24日(木)
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■ (日記) もう少しあの店で頑張ってみることになりました。


正直、昨夜の昨夜まで心はユラユラと揺れ動き、ギリギリ迷い続けていました。

去年の11月頃から、負のスパイラル状態はピークに達し、もう生きているのさえ空しくなることばかりが続いていて、五周年のパーティーをした時も、それをさよならパーティーにしようかどうしようか、当日まで迷っていたほどでした。

それでもあの店を失えば夫の収入だけでは暮らしていけなく、アタシたちの生きる術は何もなくなるという事は解りきっていました。
なので何とか店だけは存続したいと思い、いっそ人との関わりが少なくて済む、カレー屋にしようかと考えはしたのですが、結局は立地的に見てもそれは大変難しそうで、諦めるしかなかったのです。

大家さんにも店を辞める旨を伝えてしまったし、店からもミクシィからも引退し、しばらくの間身を隠し、どこかに引越し、本を読んだり物を書いたり、パートをしながらひっそりと暮らせるならそれも良いと思い、ハローワークにも何度か足を運んでみましたが、腰痛や気持ちの落ち込みが酷い今の状態のアタシには、出来そうな仕事など何も無く、絶望的な気持ちで毎日をすごしていました。
 
その内、世の中から消えたい気持ちがどんどん膨らみ、魂は既に、あちら側に入りかけていた状態でした。
心療内科に行こうとも思いましたが、そんな治療費など算出できなかったですからね・・・・・。
なので市が行っている無料のカウンセリングを受けたり、時にはいのちの電話にまでも電話し、はたして自分の必要性は本当にあるのか無いのか探ろうとしたこともありました。
結局は福祉課に行けとか、生活相談を受けろとか、心療内科へ行けとかの答えばかりで、解りきった返事しか反って来ませんでした。

でも、そんな中、あの店は辞めないで!という人も何人か居てくれ、アタシの書く日記やアタシ自身の事も大好きだと言ってくれる人もいて、死んでしまうのは勿体無い。まだまだアンタは世の中の役に立てるから。等と言ってくれる人も居て(苦笑)先週の日曜日は、アタシの生き神様のような存在の一人でもある(H)ちゃんにも会え、「例え一人でも二人でも本気であの店やオマエの事を愛してくれる人が居る限り、店は絶対にやってなきゃダメダよ!!」と、強いお叱りを受けました。

店をやっていれば、また人様に心配を掛けたり迷惑が掛かると思い真剣に悩んでいたのですが、まだまだアタシを応援していたい、と言ってくれる人も何人か居るし、一人でもアタシを必要としてくれる人が居ると言うありがたさも充分に解ったので、なるべくロスを出さず体力的にも神経的にも消耗を減らす方法を考えていたのですが、今の状態よりも良くなる方法をアドバイス頂きましたのでその方法を取り入れ店を継続させることにしました。(それに付いては後日書きます)

大家さんに問い合わせたら、まだやる人は見付かっていなく、アタシにはまだ辞めて欲しくないと言ってくれたので、もう少しだけあの店で踏ん張ってみます。
なので駆け込み乗車をしてあげようと思っていた方は、来月も店が在る事になりましたので・・・。

本当に皆様を心配させ、振り回してしまい申し訳ないですが、やはりあの店をなくすことは即、生きていけないことに繋がるので、何とか最後のチャンスだと頑張ります。
あの店の存続を嬉しいと思ってくださる方は、どうかまた、足を運んでやってください。

辞めると書いたのは真剣にそう思っていたからであり、お客さんを来させるための手段などではないと言う事だけは、どうかご理解ください。

取り急ぎ、ご報告です。


2010年06月20日(日)
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■ 【ある詩人の詩】 がっつり頭をぶん殴られた。


マイミクのシンちゃまの所から、ひとつ引っこ抜いてきました。


1.自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

(茨城のり子)

ものすごくズシッ!!とのしかかる詩だなぁ・・・。
頭をぶん殴られたような衝撃だった。



2010年06月18日(金)
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■ 今日の名言&アタシが愛するシャンソン(日記が通じたのだろうか)


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今日の名言

マキュキュが天から心を授かっているのは、人を愛するためである。

                             マキュキュ

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[m:83]私に名言 for mixi[m:83]
http://mixi.jp/view_appli.pl?id=5328
※モバイルアプリにも対応!

この名言も覚えが無いので載せて見た。


いま応募作を猪突猛進で書いているところ・・・。
「どうかコレが審査委員の目に留まりますように・・・・・・。」
毎日そう祈りながら書いている。
書きながら様々な想いと自問自答しながら自分とジッと対峙している。


昨日は店に出ようとエンジンを掛けた辺りから嘲笑うように雨がザンザン降りになり、結局最後までお客は一人も来なかった・・・。
来たのは二か月分のオシボリの集金と、代行のメモ帳サービスだけ・・・。

「フッ・・・」と自嘲し、「ゲゲゲじゃないけど、アタシにはやはり貧乏神どころじゃなく死神が執り付いてるみたいだわ・・・」と独り言をポツリ・・・。
無性に音楽が聴きたくなり、モニタをYOU_CUBEに切り替えた。


ところで・・・先日アタシが書いた日記のシャンソンの事なのだが・・・。
「過ぎ去りし青春の日々」という金子由香里のシャンソンが、どうしてももう一度聴きたく、どなたか持っている人はyou_Cubeに載せて欲しいと書いたのだが・・・、覚えている人は居るだろうか?

つい先日まではどんなに探そうが見付からなかったのに、昨日やっと出逢えた。
アタシの人生は常にこのように、深い絶望の裏側には何かの御褒美がくっ付いている。
アタシの日記を読んで、載せてくれた人が居るとしか思えない。
その人たちは皆ぐうたら神が用意したお使い神の一人だと思う。
載せて下さった方、本当にありがとう。
お陰で昨日は、思い切り泣けて(心地良い涙)思い切りシャンソンに浸れた夜になった。

過ぎ去りし青春の日々  (金子由香里)
http://www.youtube.com/watch?v=2_5iobZY978

想い出のサントロペ  (金子由香里)
http://www.youtube.com/watch?v=FzymwSVIaXw&feature=related

時は過ぎてゆく  (金子由香里)
http://www.youtube.com/watch?v=coiXF-PqgGQ&feature=related

オマケで
黒い鷲   (バルバラ)
http://www.youtube.com/watch?v=t4LiSjm67DE

上のバルバラのと同じ歌だが、この、岸洋子(希望と言う歌で有名な歌手)の「黒い鷲」は圧巻!!
やはり岸洋子は歌が上手いなぁ・・・・・・。

黒い鷲   (岸洋子)
http://www.youtube.com/watch?v=obaD7GxtWpQ

追加です。
この人の黒い鷲、凄く良い!!!

http://www.youtube.com/watch?v=nCGPwo28XPo&feature=related





2010年06月16日(水)
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■ (日記) うそズラァ!!


この場合の「うそズラァ!」の発音だが・・・・・・、(う)よりも(そ)にアクセントを置き、数分の�飢擦曚評紊�り気味に発音し、あとのズラァは徐々に下げ気味に発音するのが好ましい。

二度くらい声に出して読んでみた方は、正直に手を挙げてみてください。
ハイ、正直ですね・・・。お疲れ様でした。


まぁ、冗談はさておき、アタシの家のすぐ近所に最近出来たばかりの結構広いラーメン屋。
ラーメンが大好物のアタシは、美味しければ嬉しいなぁと、貧乏ラン友(ランチ友達)の(E)と二人で、開店二日目くらいの時、たしか300円くらいの割引券が付いた新聞広告の切り抜きを持ち、その店に行ってみたのだ。

その店は、揃いの黒い小洒落たTシャツなどを着たような、センセーショナルな今風のラーメン屋ではなく、いかにも家内経営と言った感じの素朴なラーメン屋なのだが、アタシはそこの味が結構気に入り、先月末、亭主ともう一回だけ行ってみたのだ。そしたら亭主の評判もソコソコだった。

オープンから僅か一ヶ月チョイしか経たぬ昨日、毎日通る道なので、何気なく通ったのだが、視界に違和感を感じ、振り返りザマに見てみたら、な、な、な、なんと、もうラーメン屋の看板が変わっているではないか!!!???
オマケに花輪まで出ている。
そこで「う、う、うそズラァ!!」と相成った訳だ。

急ハンドルを切り、用もないのにそのラーメン店の隣にある「酒の○キョウ」に立ち寄り、顔なじみでアタシの店にも飲みに来てくれるA君に「ねぇねぇ、おとなりのラーメン屋一体どうなっちゃってるのさ」と聞いて見たら、A君も「オレも最初はびっくりしたよ」と苦笑いしながら、経営者も味も変わっていないのだが、単に看板を代えて、メニューも少し増やし、リニューアルオープンしただけだと教えてくれた。

「なぁ〜んだぁ、折角美味しかったのに、最短距離で潰れちゃってもう他の店になっちゃったのかと思って心配したよ・・・」と、ホッ!と胸を撫で下ろしたのだ。

しかし、以前はトンカツ屋だったので、オープンの時にもお金を掛けて看板を作ったのだろうに、僅か一月チョイでリニューアルオープンとは随分豪勢で勿体無いなぁ・・・・・・と思うと共に、お金持ちなのかもしれないと、少し羨ましかった。

何はともあれ、あの味が残っていて良かった。

備考
場所は松本市山辺線に有る惣社(ぞうざ)の信号機の所。
前の名前は忘れてしまったが、今の名は、「ガキ大将ラーメン」です。
松本の方は一度お試しあれ。



2010年06月14日(月)
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■ (日記) 初挑戦


今朝のゲゲゲはまるっきり今の我が家と同じようだった。
同時進行してるなぁ・・・と思いながらも、あっちはこれからどんどん良くなっていく訳で・・・・・・。
あちらも今の段階では執拗な乏神神に執り付かれてしまったみたいだが、アタシのほうは死神に取り付かれている感じだ。


サテサテ、最近は読書にどっぷりと浸かっていたので、日記らしい日記が書けずにいたが、先日の長々しい読書感想文(?)は、アタシの文章力とか表現力とか、思いとかが文章に素直にこめられているかどうかの練習文でもあったのだ。

公募雑誌の募集を見ていると、たまに、心を打たれた本の感想文や作者に対する思いを綴る・・・、という公募もあり、いずれは挑戦してみたいと思っている。

ところでつい3〜4日前、玄関に封書が届いていて、又請求書かとうんざりして宛名を見てみると、文芸社からだった。

過去に三度ほど原稿用紙2〜300枚を超える作品を応募したのだが、どれも評価は上々ながら、共同出版を勧められ、それにも200万近いお金が掛かるのでお断りしていた結構大きな出版社。
「明日生きるお金もないような人間が200万など払えるものですか」とお断りしたのだが、その後も何度か担当らしき編集者の方から電話を頂き(義母の葬儀のさいちゅうも)「アナタの作品、編集部でも評判が良かったんだから、何とか本にしてみましょうよ・・・」とかなりご執心だった。
「それほど好評なら、全面出版にしてくださいよ。逆さに振っても鼻血どころか鼻水も出やしませんよ」と言ったらそれから電話がぷつりと途絶えた。
その出版社は血液型なんとかという本がベストセラーになり、大変儲けた会社なんだから、こんな貧乏人にはもう少し譲歩してくれればいいのに・・・・・・。

封筒を開けてみると、何とかキャンペーンらしく、400字詰め原稿用紙50枚以上のショートstoryの原稿募集要項が印刷されたものだった。
今まで小説のようなものはまともに書いた事がないのだけれど、なんとなくこの時期にそんな封書が届いたのはぐうたら神の差し金かも知れないし、虫の知らせかも知れないとも思い、今朝から(笑)挑戦してみている。

もうアタシには明日がないのだから、こうなりゃ、下手な鉄砲も数ウチャ中るだ!!

締め切りが来月20日必着なので慌てて書かなきゃ・・・。



2010年06月11日(金)
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■ (日記) 重兼芳子さんのこと (追記)


重兼芳子さんの3冊目の本をさっき読み終えた。
「さよならを言う前に」と言う本で、これは彼女の講演録を書籍にしたものだ。

重兼さんの事を、「彼女」などと書くのは大変おこがましいのだが、生前彼女は先生とか重兼女史とかの堅苦しい呼ばれ方を大変嫌い、おばちゃんとか、お母ちゃんとかと呼ばれる事をとても好んだ人だというので、あえて彼女という言葉を使わせていただいている。
ほんとうなら亡き母と同じ年なのでアタシも「重兼ママ」とか、「芳子カアチャン」と呼びたいくらいだ。

彼女を知れば知るほど、アタシの感覚や経験や思いと似通った部分があり、あぁ・・・この人が今でも生きていたら、どんなに話がしたかったことだろうか・・・とシミジミ思う。
多分、アタシは蹴られようが引っこ抜かれようが、土下座をしてでも、文章と人生との両面で、弟子入りをさせてもらっていたと思う。

今アタシは人生最大で最後の崖っ淵に立ち(今に始まって事ではないのだが)アタシが心の底から求めて止まないものがある。
それは、アタシが魂で共感でき、心から尊敬でき、教えに素直に従えるホンモノの師匠みたいな存在だ。
例えば、中村天風とか、フジコヘミングもアタシの理想の師なのだが、天風先生はもうとうの昔にこの世にアバヨをしてしまっている人だし、フジコヘミングはご健在であるし、魂で会いたいと願えばあってくれそうな人だという気持ちもあるのだが、あまりに多忙そうで遠い雲の上の存在だし、彼女を探し当てるだけの経済余裕も無い。

もしも重兼さんが生きていて、彼女がアタシの話を聴いてくれたなら、きっとこんな事を言ってくれそうな気がする。

「わたしは生まれた家も結婚した後も、経済的には不自由をしたことがあまりなかったけれど、あなたは子供の頃からずっとずっと苦しいおもいを散々してきたのね・・・・・・。その分あなたはきっといずれ、か弱い人たちの魂を揺さぶるような、素晴らしいものが書けるとわたしは思うわ。」
そう言ってきっとアタシを抱きしめ、身体をゆさぶってくれるだろう。

翻訳家である重兼さんの娘さん(裕子さん)が書かれた、後書き?(お母様の性分)で、たった数ページの中でこれほど多くの共感できる部分や似ているところを見つけた。
アタシが深く共感する部分や、同じ経験や、アタシとよく似ている部分を抜粋してみた。
以下は重兼裕子さんが書いた後書きからの抜粋。


母は身体に軽い障害があり、器用でもなく、当時の理想とする良妻になるための条件からは遠くはずれていた。また、学校と言う枠内での評価もあまり高くなかったが、不思議に人をひきつける何かをもっていた。
そして誰にも出来ない果敢(かかん)な決断力をそなえていた。
―中略― この、後には引けない状況をつくって自分を追い込んでいくやり方は、二度目の手術を受けようと決意する人生の最後まで変わらない母の姿勢だった。



母は激動の昭和の夜明けとともに生まれ、暗い少女時代をすごしたため、少し卑屈で素直でない面があった。時代の動揺をひと一倍するどく感じ、その影響をモロに受けたのだろう。人の裏の真意をさぐったり、世間と違う見解を模索したり、それは作家としては必要な資質だったのかも知れないが、やっかいな魂を身の内に抱えていたともいえるだろう。
ー中略ー
母は「生きる」と言う行為そのものが下手で、どこか常に無理をしている感じがあった。


娘時代も嫁いでからも、いつも何らかの批判を浴びてきた母は、家族が出来て初めて自分の居場所を見つけた。夫や子供は自分をそのまま受け入れてくれる。(アタシの場合、子供は違ったようだ)そこには何の条件付けもない。母は常に条件でひとを見ない事を信条としてきた。



母は世間の常識より、自分の勘や感覚が教えるものを見逃すまいとする姿勢が強かった―中略―その母の感性は、たとえ親子のあいだでも、どうにもならないのである。


母はもう一つ、普通の人とは違うアンテナの感度を持っていた。
「管理される」ということにたいして極端な拒否反応をしめすのだ。そのため病院食を食べる事に非常な困難を伴った。(アタシも病院食を断っていた)―中略ーあのお盆にずらりと並んだ給食様式で食事が与えられること、そのものが既に受け付けられない。―中略―一般常識からすればわがまま以外のなにものでもない。「何を贅沢な」と一言のもとにはね付けられ、一笑にふされるのがおちである。
―中略―けれども母とて、自分で選んで繊細に生まれついたのではない。
「ご飯を食べなければ元気になれない。みんな気をつかってわたしを励まし心配してくれている。わがままが言えるような立場ではない」
理屈は全て頭の中では解っていてる。ところが体が言う事を聞かない。「あのプラスティックのにおいがダメ。かいだとたん吐きそうになる」


母はこの、本当の自由をこよなく愛することこそが母の子供の頃からの本質で、実は今までずっと、無理を重ねながら生きてきたのではないかと感じた。生きるため自分の本質を騙し騙しし、なんとかこの年までまわりの状況に合わせながら日を送ってきたのだ。それが身体も衰弱し、人生の最後の段階になって、とうとう理性では抑えられなくなったのである。


母の厄介なのは通常、まわりのひとが病人に快癒を願うとき、「がんばって」と声をかけるとき、一見そこには何の不都合もないように見えることだ。しかしそれは相手の性格、病状によっては、気づかずに心理的な圧迫を加えていることがある。しかしそれは善意であるだけに、よけいに始末が悪い。病人はまわりが自分の事を心配してくれる気持ちがわかるだけに、「うっとうしい」とも言えずに我慢をしてしまう事も有るのではないだろうか。それでは病人は自分の病気のほかに、周りの人の思いまで背負わなければならなくなるではないか。


母は、あなたほど幸せな理想的な老後はないと、ひとによく言われていたが、それは母の抱えていた暗闇が周りの人には見えにくかったからであり、本当に普通の幸せだけですむのであれば、作家と言う自分の内面をえぐるような職業をあえて選ぶはずがない。
またうまく世間を渡れる性分であれば、もっと楽な道をたどっていただろう。
母は不都合な事をだれか別の人や社会のせいにすることが出来ず、みんな自分の身に受けてしまうたちだった。


しかし世の中は不思議なもので、そのようなぎこちない生き方をしているからこそ、見えてくるものや手に入るものがある。母のこころの活動はまわりには理解しにくいものだった。決められた時間にすばやく答えを出す学校のテストや、失敗を許されない入学試験はもっとも不得手な部類に入る。反面、自分の中の体内リズムでゆっくりと物事を考え、本の世界に没頭し、想像や音楽の庭で自由に遊ぶことは、ひとより数倍得意であった。
ただそれは社会の中で生き抜くとき、すぐに役立つ資質ではない。
けれどもその目に見えない自分の世界をいつまでも捨てる事ができなかったために、それが最終的には母の独自な世界をかたちづくり、仕事をすることができたのだ。人生の後半で母が果たした仕事の量と質を考えるとき、こうした条件が一つに重なって、微妙なバランスを保ちながら作用していったとおもう。
それは当事者の意思が関った部分より、人間の知恵を遠く超えた計画のなかに組み込まれていた部分のほうがはるかに大きい。


母は生まれてから数々の喜びと哀しみを味わい、最後にふたたび生まれた時の無垢な状態に戻って亡くなった。


以上。

アタシもこうありたい・・・・・・。


2010年06月09日(水)
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■ (長文日記) 衝撃の出会い〜重兼芳子さんのこと


最近常連さんになってくれた、あっちゃん(高校音楽教師&バイオリニスト)が、地元の大企業F電機の社長さんと交友関係にあるらしく、ときどき社長さんの別荘にお呼ばれしては、演奏会を兼ねた内輪のパーティーなどで盛り上がり、楽しんでいるという話を聞いた。
社長さん自身もチェロを奏でるらしく、飲むと駄洒落がポンポン飛び出し、大変温かく、ユーモラスで気さくで楽しいお方だそうである。
「ねぇねぇ、店をたたむ前に一度連れてきて〜」等と冗談紛れにオネダリしてみたのだが、あっちゃんは「さぁね、どうしようかなぁ〜」と言う面持ちで、ただニヤニヤしているだけ・・・。

ところが、アタシがもっともっと興味深かったのは、その社長さんのお母様が芥川賞を受賞した作家さんだったと言う事だ。
彼女は、残念な事に平成5年に癌で他界されてしまっている。
アタシは早速ネットのブックオフで検索し、受賞作(やまあいの煙り)を購入してみようと思ったのだが、生憎その作品は無く、また、あまりお金を使えないので、数ある作品の中から直感で「たとえ病むとも」と「ひとりを生きる」の二冊の中古本を注文してみたのだ。
重兼芳子さんと言うのがその作家さんのお名前である。(多分本名かと)

話の勢いで注文してしまったものの、正直、F電機の社長さんのお母様・クラッシック愛好家・超エリートな家族構成・芥川賞受賞作家と言うキーワードが、あまりにもアタシとはかけ離れた世界の差に、きわめて貧困で俗物的なアタシは、きっとアタシなんかが読んでもチンプンカンプンに堅苦しくて、よけいな落ち込みがたまるだけで、きっと馴染めない本なんだろうなぁ・・・などと勝手に思い、暫くの間食指が動かず放置されていたのだ。

一緒に注文したフジコヘミングの本が読み終わってしまったので、他に読む本も無く、ある種の覚悟を決めてページをめくってみたのだ。
そして読み進むに連れ、(あぁ・・・この人とアタシの物事や人に対する思いは、なんてよく似ているのだろう・・・)と驚き、涙ながらに読む部分が多く、著者がたまらなく愛しくなり、アタシは一気に著者の虜になってしまったのだ。
まだ二冊しか著者の本を読んでないので、知識は浅いのだが、アタシは彼女のありったけの本を読みたくなってしまった。
 
著者は昭和2年の生まれだそうで、アタシの母とまったく同じ年。
そしてアタシの母は62歳で、著者は66歳と言うまだまだ志半ばで癌のためこの世を去っている。
同じ昭和2年に生まれ、僅か3〜4年の差で同じ癌で亡くなった・・・・・・。
それだけでも何か、この本との出会いに、不思議な巡りあわせみたいなものを感じてしまった。

著者は股関節に先天性の病を持ち、北海道の炭鉱の社宅で生まれたと言う。
炭鉱といっても彼女の父は中間管理職だったため、危険を伴う現場仕事ではなく、社宅も常に温かなストーブが燃え滾り、衣服も充分に与えられたたいへん恵まれた環境だったそうである。
一方(タコ)と呼ばれる現場仕事の人々の子供達は、ま冬の寒さの中、靴下も履いておらず、弁当さえ持って来られない子供も多く、彼女は幼心に「危険な仕事をしている人が貧しくて、安全な仕事をしている人たちが、その何倍もお金を貰っている」と言う格差、貧富の差、不公平さに深い疑問と理不尽な気持ちを抱いていたと言う。
ある日優しさからお弁当を分け与えた子に、ソレを窓から捨てられ、彼女は大きなショックを受ける。
しかし後に、自分は上からの有利な目線でその子達を見、可哀想な子たちめぐんであげた、と自分自身におごり高ぶりの自己満足の気持ちが有ったことに気付き自分を恥じる。

後に北海道からいきなり九州に転校する憂き目に遭い、身体的及び方言の違いなどのコンプレックスからか、学校でも孤立した存在で、勉強嫌い、落ちこぼれ、人と群れる事を嫌い、ひとり空を見詰めては様々な空想に耽っていたような、かなり屈折した少女だったと言う。

今で言う高校はなんとか卒業したものの、やはり今で言う大学は早いうちに退学してしまい、人ともたれあう人生を嫌い、独自の自由感を満喫したい彼女は、せめて良い所に嫁にやりたいと、花嫁修業やしつけに厳しい母にペロリと舌を出し、学生運動などをしている仲間などと、歌作りや、物を書くことに惹かれてゆく。
そして物を書く場に使わせてもらっていた教会の、理解があり寛容な牧師さんに、せめて何かのお礼を・・・という軽い気持ちで、10代の後半だと思ったが、プロテスタントの洗礼を受けるのだ。

著者は炭鉱での体験や戦争体験、自分の実体験から、強者と弱者の矛盾性、格差社会の矛盾性、生きること、死ぬことの意味を深く探求し始め、永遠のテーマとしてソレを魂の傍らにしっかり置き、物を書く勉強に没頭する。

やがて大きな土木会社に勤めるご主人と結婚し、転勤族のため各地を転々としながら4人の子供を儲ける。
(しかし、二番目の子供さんは(女児)僅か生後4ヶ月で重い病で亡くされている。)
著者のご主人は人望が厚く、部下の面倒見も良く、大変寛容な人だそうで、若い頃はまだまだ経済力も無かったので、部下達を自宅に連れてきてはドンチャン騒ぎさせる事が多く、ツマミなどを作り安酒でもてなしている内に、「お母ちゃんも一杯やろうよ」などと部下達に誘われ、一滴も飲めなかった著者もどんどん酒豪になり「私、居酒屋の女将になるのが夢なんだわ」などと笑っていたと言う。
著者は声楽やクラシックが好きで、酔っ払うと歌ったりサル踊りをしたり、ご主人の部下達にたいへん慕われていたという。

家計簿をつければ3日坊主、掃除は大の苦手、家事は一向に上手にならない、ご主人の収入が増えれば増えるで、勝手気ままに車や着る物や夜遊びに使ってしまうような、楽しい事好きの不良主婦だったと本人自身が書いている。
子育ても彼女が子を育てるのではなく、子供に育てられた部分が多々あったのではないかと想像させられる。

著者は炭鉱暮らしや戦争体験での憤りや人生の虚しさ、自分自身の挫折感やコンプレックスを幼い頃からたくさん抱えもち、色々な社会を見てきたお陰で、傲慢なもの、人を見下すもの、権威的なものには反感を持ち、一方で、弱いものに対しては温かい慈愛の目を持ち、常に神や自分と自問自答しながら、彼女自身の洞察力や感性を磨いてきたのだろう。
人々の本物の優しさや、ずるさ、心の中を見抜く審美眼の鋭さは、彼女の著書の場所場所に現れている。

著者は一際ホスピスには強い関心を持ち、外国へ何度も視察に訪れ、日本のホスピスではボランティア活動に参加しながら、自分達の理想のホスピスを作るプロジェクトに参加し、人生の終末を迎える人々と心と心で触れ合い、語り合い、意欲満々でその活動を広めていた。
そして50歳を過ぎてから書いた小説が芥川賞を受賞し、益々経済力にも恵まれるようになり、作家としての出筆・講演会・ホスピス建設・遊び・旅行・主婦業と、慌しくも最高に充実した人生を駆け抜けていく。

そんな折、たまたま仲良しのお医者さんと飲みながらダンスを踊っていた時、その医師に「その息切れがどうも気になるから一度診察を受けてみなさい」と言われ、人間ドックを受けたところ、肝臓と腸の一部に悪性の癌があると告知され、「いよいよ、自分の番が来た」と思い、運を天に任せ、覚悟を決めたそうだ。
クリスチャンでもあり、ホスピスの活動をしていた彼女だけに、比較的冷静な気持ちで受け止める事が出来たのだろうが、死への恐怖やコレからどうなっていくのかと言う不安は、やはり人並みではなかったとうかがえる。
入院し、医局の総力を結集するほどの難しい大手術を受けるのだが、手術から僅か三日目、術後の経過も良くなく、病床で熱と苦痛にあえいでいる最中、他の病気で緊急入院した最愛の夫が、突然、食べ物を誤飲し、肺炎を起こし、急死してしまったという事を家族に知らされ、彼女は死よりもつらい絶望を味わう。

ご主人は仕事一筋で朴訥な人だったため、妻に「愛してる」とか「好きだよ」などと言う言葉はいっぺんも吐いたことの無い人だったそうだが、よほど妻の病にショックを受けたのだろう・・・。よほど深く愛していたのだろう・・・。その行く末を見守る恐怖に耐えかね、自ら病気を引き起こし、あっけなく妻より先に亡くなってしまわれたのだ。
最愛の夫の死にさえ立ち会う事もできず、葬儀にも出られず、鎮静剤を打たれて3日間眠らせられている内に全ての儀式が執り済まされていたのだ。
著者は贖罪の念に駆られ、自分を責め、今まで夫の広くて深い愛情と言う名の傘下のもとで庇護されていたからこそ、伸び伸びと自由に飛べていた事のありがたさと、夫への愛の深さを改めて思い知る。

その後著者は娘さんや息子さんたちに支えられながら、徐々に元気を取り戻し、出筆活動、講演会、ホスピス建設に打ち込むのだが、発病から二年半でとうとう彼女自身、ホスピスの出来上がりを待たずしてこの世を去ってしまわれる。

アタシが最初に読んだ本が、いみじくも著者が最後に書いた著書らしく(たとえ病むとも)著者が最後に入院した病床出で書かれた作品だった。
本の三分の二ほどの所でプツリと―絶筆―となっており、あまりに生々しく悲しく、そこでアタシは涙が止まらなくなった。
その後の文章は翻訳家をなさっていると言う娘さんが引き継いで書いておられる。


重兼芳子と言う人の著書を、ひょんな事から知りえて、生きる希望さえ完全に失いつつある今のアタシがソレに出会ったという事は、ものすごくアタシの中では奇跡な訳で・・・・・・。
教えてくれたあっちゃんには、心の底から感謝している。

年齢も生い立ちも環境も境遇も立派さも、著者とアタシは雲泥の差ほど違うけれど、社会の仕組みや、権威的な人々や、浅く物事を考えている人々に、思いのどこかで反発したり失望しながら、自分よりもまだまだ世の中に失望して居る人たちもいて、そんなか弱い人を何かの形で救えないかと言う気持ちはこんなアタシでも持っている。
だからアタシは経済力も無いし、何も出来ないが、自分の生き恥やダメ人間さを正直に晒すことで、アタシよりも苦しい人たちに少しは(こんなバカもいるのだから・・・)とクスリと笑ってもらったり、安心してもらいたくて貧乏赤裸々日記を凝りもせず、8年間も綴り続けてきたのだ。

これは過去の日記にも、多分初めて書いた長編手記にも書いたと思うが、いずれはアタシが書いたものが売れて、応援しつづけてくれた人々に恩返しをし、やがてたくさんのお金を稼いで実績を作り、心温かい人々に協力を求め、身寄りの無い人やホームレスなどが安心して入れる、カラオケバーや喫煙所や小さなDVDルームや図書館や瞑想ルームや雀宅をも備えたホスピスを作るのがかねてからのアタシの夢だった。
著者もまったく同じような設備を備えたホームレスを建設することが夢だったと知り、「あっ!! 同じだ同じだ」と、ものすごく驚いたのだ。
著者は自由人だし、ノン兵衛だし、タバコも吸うし、カラオケ大好きな遊び人。
そんな所もそっくり同じで・・・・・・。
アタシが癌になった時の入院中の行動(常に喫煙所にいたし、こっそり病院を抜け出し、友達のスナックで飲んだり、寿司や焼肉などを食べに行っていた)生や死に対する思い、無駄な延命治療への疑問、医療や看護婦さんたちに寄せる思いや願いなど、全てが酷似しており、今この段階で著者の本に出合えた事が、ぐうたら神の最後のアタシへの締めくくりのプレゼントのような気がしてならない。
アタシだって極貧でも、せめて心や夢くらいは豊かでありたい。

今のアタシは何の力も無いし、明日さえ無いかもしれない、どん底の状態ではあるけれど、何かにしがみ付いてでも、一作くらいはこの世に書いた物を残してからでも死ぬのは遅くないと、希望というか最後の願いみたいなものが彼女の本に出会えたお陰で再びかすかながらも蘇った。

そしてこんな事を思った・・・・・・。
もしかしたら平成二年にこの世を去ったアタシの母が、アタシを心から心配し、天国で重兼さんと知り合い、仲良しになり、アタシにその存在を伝えたく、重兼さんの本をあっちゃんという人間を通じてアタシに読ませてくれたのかもしれない・・・・・・。
きっとそうに違いない。

先日、コマキが著者の受賞作(やまあいの煙)他、数冊をプレゼントしてくれた。
まだこれから読むのだが、重兼芳子さんの全てをもっともっと深く知りたい。


2010年06月07日(月)
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■ (日記) 私に名言&久々のシンクロニシティー



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今日の名言

マキュキュの考えたとおりに生きなければならない。そうでないと、マキュキュが生きたとおりに考えてしまう。

                             マキュキュ

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[m:83]私に名言 for mixi[m:83]
http://mixi.jp/view_appli.pl?id=5328
※モバイルアプリにも対応!

わっ、コレはじめて見た。
なかなか面白いので載せてみた。

最近、今朝の「ゲゲゲの女房」じゃぁないが、貧乏神がピッタリとアタシに憑り付いているみたいで、アタシにもその姿が見えるような見えないような・・・・・・、そんな寒気を感じる今日この頃。
運気がそんななのであまり際立ったシンクロニシティーはココ最近起きてなかったけど、昨日はちょっとビックリした。

昨夜店にはダウアーが居て、その他は東京に住む従姉妹の息子(これは甥でもなさそうだし何になるんだったっけ? ま、いいか・・・)がお世話になっていると言う方が、たまたま松本に仕事で来ていたらしく、二人連れでわざわざアタシの店に立ち寄ってくれたのだ。

初めてのお客さんはコレでも中々緊張する。
潰れかけてる店とはいえ、増してや親類筋の紹介なので、極力良い印象を与えたいと思う。
しかしお連れさんと話しが弾んでいたようなので、下手にお邪魔をせず、挨拶を交わした後はダウアーと飲みながら世間話をしていた。
と、そこに珍しい人から電話が・・・・・・。

松本から横浜に引っ越して行ったプアゾンからではないか・・・。
てっきり松本に里帰りでもしているのかと思ったら、新宿からのようだ。

お仲間のホッコちゃんと新宿の行きつけのシャンソニエ(かな?)ゲイバー(かな?)で飲んでる最中らしく、日記か何かでアタシが今月で店をたたむ事を知り、心配して電話をくれたようだ。

ホッコちゃんの事は昔からよく日記に書かせてもらっているが、出逢いからして不思議な巡り合わせを感じさせられる、アタシの守り神的な存在である。
互いにシャンソンが大好きで、彼女は東京のライブハウスなどに良く出演しており、アタシ等夫婦を招待してくれたりした事も多々あった。
ともかく、アタシが人生最大の凹みに直面すると、いつまでもこんなアタシが情けなく、さぞや嫌われてるだろうと思うので、アタシからの連絡は遠慮がちになるのだが、ソレをテレパシーで受信してくれるのか、必ずそんな時に限って連絡が入るのだ。

プアゾンからホッコちゃんに電話が代わり「お前は何をやっているんだ!!何故アタシに連絡しないの!? 会いたくないの!?」と叱られ(^^;、(いつも叱られてばかりww)ソレが結構、まだ見放されてなかったんだなぁ・・・と、嬉しくもあって・・・・・・。
今月はからくりに来てくれるというので、ホッコちゃんとも最後の晩餐が出来る事になりそうだ。

と、そうしたら再びプアゾンに電話が代わり、彼女が「もう一人、もの凄い人に電話を代るからねぇ〜」と言うので誰かと思ったら、な、な、なんと・・・つい先日、30年ぶりくらいで再会した、大昔の常連さんではないか・・・。

彼は(Yッチ)と言い、母の店の頃に始終通っていた、やはりシャンソン大好きなお客さんで、この前ジョージンちゃんが店に連れて来てくれた時、互いに「ハテ? どこかでお目にかかったような・・・」としばらく考えていたのだが、そりゃそうだよ・・・。週に何度も母の店に通っていたお客さんなのだから・・・・・・。
店のアルバムには今は亡き、互いの若かりし頃の写真が未だに残っている。
「いやぁ〜。三十年ぶりではないですか・・・」
と、あまりに変化したアタシの容姿を凝視しながら、(Yッチ)は言葉を詰まらせていた。

その後あまりの懐かしさに話しが弾み、ジョージンちゃんが帰った後、二人でシャンソンで大盛り上がりし、余程じゃないと滅多に歌わないという「ヨイトマケの歌」なども歌わせてしまい、久々の再会を喜んだのである。

「えっ!? ナ、ナ、ナゼに(Yッチ)と、プアゾン達が!?」
アタシはてっきりプアゾンと(Y)が知り合いなのかなぁと思ったが、どうも偶然らしい。
ホッコちゃんの行きつけの店に飲みに行ったら、そこに(Y)がたまたま来たのだろう・・・、きっと席も隣り合わせか何かになったに違いない・・・。
(Yッチ)は良く東京のシャンソニエやゲイバーには通っているらしいからね・・・・・・。

それで松本の話題が出てビックラコイテ、ジョージンちゃんの話になり、「ウソ、ウソ!! 私ジョージンちゃん知ってる知ってる〜」なんてまたまたビックラコイテる内に、ついでにアタシの名前まで出てきたので、極め付けにビックラコイタのだろうとアタシャ推測した。

しかし、あのだだっ広い東京の新宿で、しかも同じ時間帯に同じ店にアタシの知り合いの二組が居合わせ、増してやそんなに狭い店じゃなかろうに、間近に座り、アタシやジョージンちゃんの話題でもりあがるなんて、ドラマの世界じゃよく有るようでも、中々無い話だ・・・・・・。

何か店の締めくくりにおもしろいシンクロニシティーが起こったもんだと、チョット感慨深かった・・・・・・。

(Yッチ)や、ホッコちゃんたちとからくりでの再会を誓い、電話を切り、その後、東京から来たお客さんたちとカラオケを少し歌って話しをした後「明日も早いから」と彼等が帰ってゆき、その後ちょっとダウアーと起きたばかりの不思議なシンクロに付いて話をし、昨夜は店を終えた。

昨夜は奇妙な一日だった・・・・・・。


2010年06月04日(金)
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■ (日記) 割れ鍋に綴じ蓋プロジェクトの続き(凄い長文)


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今日の名言

一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来ればマキュキュの幸福なのだ

                             マキュキュ

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[m:83]私に名言 for mixi[m:83]
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この名言、あまり記憶にないので初めて見たのかも・・・。
そうだわね・・・。アタシに出会えて良かったと、本心から感じてくれる人が一人でも居たら、それだけでもアタシが生まれた価値があるのかもしれない・・・。

サテサテ、以前書きかけたものの、トイレ工事の音に萎えて書くのをやめた、候補名「割れ鍋に綴じ蓋プロジェクト」「補い愛プロジェクト」「3丁目の夕日プロジェクト」に付いて、なんとなくまた書いてみたくなった。
こんな殺伐とした世の中だし、凶悪な犯罪者も増えつつあるので、様々な困難や危険が伴うと思われ、実現化することは絶対にあり得ない話なのだろうが、あくまでも、単なるアタシの理想の空想なので、かなり長くなりそうだが、もしも興味があるなら読んでください。

その日、客は常連の事務長一人だけで、二人でポチポチ飲みながら、その話でバカほど盛り上がったのだ。
それは「今の日本って貧乏人は本当に切実で、明日生きる為のお金さえ無いって人も大勢居るだろうに、中には使い切れないほどのお金を抱え込んでいる人だって居るわけでしょう? なんかどんどん両極端になってるみたいよね・・・」
というアタシのボヤキから話が始まったのだ。

「実際、医療費や保険料も払えない人は年々増えてるし、その反面、何に使うのか知らないけど、既に有り余っているお金を更に増やそうと躍起になっている人も居るしね・・・・・・」
「でもさ、ただお金や財産だけ腐るほど持ってても、それで本当の生き甲斐や幸せを感じられてるのかなぁ・・・中には心の満たされてない大金持ちもたくさん居ると思うんだ」
「きっとそういう人は金を持ってるってだけで安心なんだよ・・・。その為だけに周りが寄ってくるって猜疑心もあるだろうしね」
「そんな人はいっそのこと、一生懸命生きているけど貧しくて外食の1つや旅行の1つもできないような人々を、ちょっとした食事や小旅行に連れて行ってみたらいいのに・・・。こんな僅かな事を、こんなにも嬉しそうに楽しそうに喜んでくれる人たちが居るんだ・・・って、新鮮な発見ができるだろうし、心からの満足感が得られるかもしれないもの」
「まぁ、贅沢が当たり前みたいな人々だけに周りを取り囲まれているだろうから、きっと自分の裕福さに麻痺してるだろうしね・・・。ほんの僅かなお金でこんなにも人を幸せな気持ちにできる上、自分の徳も積めると思えばもっと気持ちよくお金が使えるのになぁ」
「人生に退屈しているお金持ちで、誰か面白がってアタシに出版費投資してくれる人いないかなぁ・・・・・・」
「アハハ、全国を捜し歩けば、そんな奇特な人も一人や二人いるかもね」
「全国を捜し歩くお金が有ったら、本を出そうなんて思わないわよ」
「そりゃそうだ」

「例えばお金に限らず、たくさんの土地や畑があってもそれを活用してくれるはずの子供達にそっぽを向かれていて、もう自分達にはそんな体力もなく、ただ土地も家も朽ち果てさせるだけしかない大地主とかもいるかもね・・・」
「それじゃいくら土地が余っていても宝の持ち腐れだよね」
「明日食う金も住む場所も無くなっちゃった若者とか、体力は有り余ってても仕事が無い失業者とかが、荒れた土地をたくさん持っているような老人なんかと仲良く手を組んで、互いに助け合えたら良いのにね・・・・・・」
「そうだよね・・・。部屋や食べ物は提供するから、畑を好きに耕してくれて、収穫が得られるようになったらそれを売って互いに分け合おうとかね・・・」

そこから更に話しはどんどん果てしなく広がっていって・・・。

「例えば東京なんかで、食べるお金がない貧乏学生なんかが、30分皿洗いするとランチや定食がただで食べられるなんて店もちかごろ出来始めてるじゃない? アタシあれって凄く良いシステムだと思うんだ・・・。モチロンそんな客ばかりじゃ店は潰れちゃうんだろうから時間指定なんだろうけど、互いのプライドや生活を損ねない程度にお互いが助かるんだもん、一石二鳥よね」

「今日はどうしても酒が飲みたいけど金が無いから、飲ませてもらった代わりに得意な手品や歌でその店のお客を盛り上げるとか、接客を手伝うとか、掃除が何よりの趣味で汚れた場所ほど綺麗にしたくてたまらないと言うような人も中には居るかも・・・。そういう人がママみたいに掃除が苦手な人と合体すれば、綺麗にしてもらえた上に喜んでもらえる訳だから・・・」
「んだんだ。こっちもそれじゃ申し訳無いから3回分飲み代タダにするわ、とかね・・・」
「持ちつ持たれつ精神が最近なくなってきたよねぇ・・・」

「偶には子供を置いて夫婦水入らずで映画を観に行ったりデートもしたいけど、親と離れて暮らしていたり、頼める知人も居ないような若夫婦も多いと思うのよ・・・。方や、子供が大好きで何人も子供や孫などを育て上げた経験のあるお婆ちゃんなんかが、退屈な時間帯、そのお宅で留守番をしてあげるとか」・・・。若夫婦も高額なベビーシッターなど雇わずにデートを楽しめる訳だし、お婆ちゃんだって大好きな子供のお守りをさせてもらう事で、退屈しのぎになったり、役に立った事で生き甲斐を感じたりする訳・・・」

「他にも料理が得意な人が苦手な家に料理を作りに行ったり教えに行く代わりに、一食食べさせてもらうとか、自分の家のおかずを少し貰って帰るとか・・・」
「金持ちの爺ちゃんなんかが、冥土の土産にと、偶にはパァ〜ッと派手に夜遊びがしたいなんて思ったら、以前はその道のオーソリティーでも、今は貧乏になっちゃって夜遊びが出来ない人なんかと合体して、案内と護衛を兼ねて一緒に遊ばせてもらうとか・・・」
「うんうん、それも良いかも」

「ホームレスって世間からは蔑まれているじゃない。もちろん働くのが嫌でただブラブラしているような人は話の外だよ。でもホームレスの中にはそれなりの地位を築いていた人もけっこう多い訳で・・・。人が良いがために裏切られたり騙されたりして会社を倒産させた人とか、良いようにコキ使われた挙句、会社を首になったりする人も居て、家族や友人に迷惑をかけたくないがためにホームレスにならざるを得ない人だって居るわけじゃん。ホームレスを弱者呼ばわりする人も多いけど、人を貶めて金持ちになっている人なんかよりもよっぽど崇高で尊厳がある人も多いはずで、こんな冷淡で無機質な世の中に期待を捨て、しがらみから解き放たれて、返って、人間性を取り戻したと思ってる人もいるかも」
「そうだわね・・・。じゃぁ、そんな人たちを集めて、体験談を話してもらい、奇麗事ではない、リアルな社会勉強や人生勉強の講師役になってもらったりするのも良いかも知れないわね〜」
「うんうん」
「後・・・、竹馬や、コマや、凧作りや、外遊びの得意だったお爺ちゃんとか、お手玉や綾取りが得意だったお婆ちゃんなんかを保母さんや保父さんにして、子供達に懐かしい遊びを教えてもらったりするのも良いかもね・・・」
「もしそんな世の中になったら、様々な人々の出番や役立ち所もたくさん出てきて、自分は必要とされて無いとか、人に認められないとかの虚無感を感じている人も減るだろうし、人に役立つ事の心地良さを知って、犯罪や自殺者や世捨て人なんかもグンと減るかもしれないわね・・・」
「頼りない政治家なんかに任せているより、人間同士、足りない所を補い合って助け合いながら生きていった方が、世の中もっと皆が優しい気持ちになれるかもね・・・」
と、こんな話をしている内にあっと言う間に閉店時間を迎えたのだ。

アタシが子供時代の日本は「ねぇねぇ、お味噌分けてよ」「お醤油分けてよ」なんてことは日常茶飯事だったし、少し余裕のある人の家などは、共稼ぎ夫婦の子供などを気軽に引き受け、その家の子供たちと一緒にご飯を食べさたり、時には泊めさせたり、誰かしらの家に誰かしらの子供が混ざってるような光景は当たり前だった。
その家でもしも喧嘩や怪我などをしても、訴えようなどと言う人は誰一人いなかった。
人の家の子供を自分の家の子のように、本気で諭したり叱り付けてくれる大人も多かったし・・・・・・。

子供の頃から動物狂だったアタシは、近所の犬を散歩させてもらったり、家畜の餌やりをさせてもらうだけでも嬉しかったのに、お礼にお菓子やオモチャをくれたり、偶にはお小遣いなんかも貰っちゃって、近所の駄菓子屋にお友達を誘って飛んでいったりしていた。
僅か50年前の事なのに、今ではもう遠い昔の御伽噺(おとぎばなし)のようだ。

老若男女を問わず、誰にでもひとつやふたつ、人より上手な事や優れた部分や特技はあるはずなのだから、それを役立てることで喜びを感じる人と、その特技を借りたい人。人の助けが必要な人と、人を助けたいけど方法が解らない人などがタイミングよく合体し合えたら、世の中もっと明るくなりそうだ・・・なんて感じる。
モチロンお金のやり取りは基本的に無い訳で(もしかしたら価値を認められてお金を払ってあげたくなる事だってあるかもしれないが)互いの善意、優しさ、持ちつ持たれつの精神のみで成り立つ世界なので、だからこそ仕事のように不得手な事を無理にやらされたり、生活の為にとストレスを貯めながら働く事も無い訳で・・・・・・。
巨大掲示板みたいなものを各市町村で管理し、希望者だけが登録するようにしたら良いと思う。
みんな心のどこかで、昭和時代のあんな温かみを欲しがり、懐かんでいる人も多いと思うし、ソロソロ自分達で「心のあり方」を真剣に見詰め直さないと、日本はもう乾ききった砂漠になると感じている人も多いのではないかと思う・・・・・・。


2010年06月01日(火)

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