与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541127 f:id:adlib:20061221044601j:image f:id:adlib:20061220230012j:image Ex libris Web Library; ── 九州民謡/西山 龍介・編曲《五木の子守唄 1953‥‥ 孔版刷》 (合唱コンクール 19541122 礼拝堂/EVE音楽会 19541127-28 栄光館) ♀照菊 Terugiku 歌手 1924‥‥ 東京 1988‥‥ 64 /旧姓=飛田 静江 /1958 和田 寿三(キングレコード文芸部ディレクター)と結婚引退。 http://blog.livedoor.jp/ya2pan2/archives/tennessee.html ◆ 元禄子守唄 〜 信楽先生講義録 〜 …… 信楽先生は六月廿八日同志社教会で洗礼を受けられました。これ は同中にとっても近来にない喜ばしいことで今後同中が益々神に恵まれ たよい学校になることが期待されます。/註 洗礼を受けると云うこと は神の御前に無条件降伏し、己の罪を告白してキリストの僕になること です。── 《信楽先生授洗さる 19530716 同志社中学生新聞第十四号》 同中三美男を選ぶならば、久保誠三先生とならぶにちがいない。優男 の上山先生を加えてもよい。端正な容貌、上背のある恰幅、メリハリの ある態度、給仕から苦学して今日あることなど、寸分の隙もない。 三年生になってようやく、日本史の授業を受けることになった。 信楽先生は、まず黒板に「日本三大革命」と大書して、大化の改新・ 明治維新・終戦、を列挙した。なるほど、これだけ勉強すれば卒業かと 安心したのは間違いで、他にもいろいろあるらしい。しかしまぁ、その 文字もまた見事なもので、三筆とよぶにふさわしい。 二学期の中間試験では、「元禄三大文化」として近松・芭蕉・白石に ついて述べよ、という設問が予想された。はじめてヤマを張ったところ、 ズバリ的中したが、これくらいの予測はだれにもできる。要は文章力・ 表現力が採点の対象である。自信たっぷりに答案を書き上げ、これなら 格別のおぼしめしにあずかって当然だと考えた。 試験後は文化祭をひかえて、多忙なスケジュールがつづく。授業中に 手帳をとりだしてメモを確認していると、いつのまにか背後から先生の 手がのびて、無言のまま取上げられてしまった。あとで職員室へ行くと、 担任の児玉先生(英語)が返してくれた。 「アワくん、忙しいのは分るけど、これはいけませんよ」 また、つぎの授業では、ぐっすりと眠りこけてしまった。 「眠いのなら(教室の)外で寝たまえ」と、信楽先生の表情がけわしい。 そうか、授業中に眠るのは目ざわりにちがいない。保健室なら誰にも 迷惑をかけないわけだ。この日は父の革靴に、新聞紙をつめて履いてき たので、歩くたびにキュッキュ・キュッキュ音がする。同級生たちが、 「あいつ、また新聞紙つめとる」とささやく声を背に、教室を出ること になった。またもや担任教諭に呼ばれる。 「アワくん、忙しいのは分るけど、授業中の居眠りはいかんよ」 「ゆうべは、朝の三時まで起きてたんです」 「明け方の空気は身体によくないんよ。もっと早く床につきなさいね」 当の信楽先生は、くりかえし叱ることはしないが、あきらかに不機嫌 な気配が伝わってくる。試験で満点をとっても、不遜な態度は許さない と云わんばかりである。 前教頭の内藤先生(国語・古文)には廊下で呼びとめられた。 「君には、困ったもんだ。せっかくあと一問で満点ちゅうのに、なんで 取らんのか。けしからん」ほめられていい成績で、なぜ叱られるのか? つまり、その他の課目では、ことごとく惨敗していたのである。 …… 「大化改新」が歴史家に云われるようになったのは廃藩置県以後 である。それまでは日本書紀に孝徳天皇の「大化詔」が載っているとは 分っていても、歴史家は問題にもしていなかった。「大化改新」をクロ ーズアップさせ教科書にも載るようにしたのは、古代の祭政一致・天皇 親政・官僚制度(律令国家)を、維新に照応させて権威づける明治政府 の政策からである。※(脱藩考) ── 松本 清張《史観宰相論 19850825-19860725 文春文庫》198012‥ http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/416710668X ◆ シンギング 〜 だれが歌うのか子守唄 〜 「同志社女子短期大学のヒガサです」と自己紹介したとき、すかさず 「夏向きやなぁ」と野次をとばして以来、別々のクラスではあったが、 有賀・木下ら三人組との交際がつづいていたのである。 余談になるが、中学三年生と短大二年生は、ふつう十五歳と二十歳で あって、与太郎は一年歳を食っているから、四歳あわよくば三つ違いの お姉さんである。ハイキングにも出かけたし、戸畑市に帰郷した彼女が 東上するときには停車時刻を電報で知らせてくるので、三人組は京都駅 まで出かけて、数分の再会をたのしんだ。高校時代を通じて手紙のやり とりがつづき、美術学校にすすんでからも、さきに彼女が引っ越してい た神山町(東京・渋谷)の邸宅で夕飯に招かれることになった。 しかし、あらわれるたびに落剥していく中退学生は、バプテスト教会 の牧師令嬢から、印刷された一片のはがき(新居案内)を受けとった。 もしも彼女の夫君に出会うことがあれば、心をこめて伝えたい。 「彼女は、キリスト教徒として誇りたかい淑女でした。いっぽう小生も、 すくなくとも彼女の前では、敬虔なる下僕であったことを誓います!」 合唱コンクールの準備はととのった。そして猛練習がはじまった。 職員室の用をすませて出ようとすると、信楽先生に呼びとめられた。 「君のクラスでは、自由曲に《五木の子守唄》を合唱するらしいね」 「そうです」 「もっと中学生らしい、明るい歌を選んではどうかね」 「?」 「ボクの知るところ《五木の子守唄》は、階級的差別をうたった民謡で あるらしい。中学生には難解で、不適当な主題ではないかね」 「よう考えて、みんなと相談してみます」 「そうすることだね」 他の先生たちは、息をひそめて与太郎の反応をうかがっていた。彼が 一言も反論しないので、すこし意外だったらしい。あとですぐ本宮先生 にたずねられた。 「シガラキ先生、なんちゅうて?」 「まぁその、もっと明るい歌に代えたらどや、云われました」 「ふーん、それで君はどう答えたんや」 「みんなと相談してみる、云いました」 「みんな、どうするかな?」 「やっぱり、この曲がえぇ、云うと思います。なかなかの名曲ですワ」 同級生のメンバーには、こう伝えた。 「ある先生が、この曲は暗いから止めたらどや、云われたけど、みんな この曲えぇ思うやろ。コンクールで優勝したら栄光館に出られるぞ」 コンクールの審査員は、すべて信楽先生と同じ意見であるわけがない。 まして信楽先生は、われわれの練習を聞こうともしないのだ。 それきり信楽先生には報告もせず、先生も回答を求めなかった。 ── 安井 かずみ・詞/平尾 昌晃・曲/小柳 ルミ子・唄 《わたしの城下町 19710425 ワーナーパイオニア》 …… ♪ だれが歌うのか子守唄《五木の子守唄》に酷似している。 ── 宮崎 康平・詞&曲/森繁 久弥・唱《島原地方の子守唄》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030301 口先老人 ◆ 五木節考 〜 誰がための子守唄か 〜 日本民謡のなかでも《五木の子守唄》には、いくつかの疑点がある。 戦後とつぜんの流行によって“子守唄の里”と称された五木村の人々 は、この子守唄を聞いて育ったにすぎない。 本来の作詞・作曲者とみられる“かんじん”の少女たちは、隣接する 大陸出身者の被差別集落から五木村に派遣された幼い季節労働者である。 雇い主に云えないような愚痴ばかりで、背中の子どもには一言も語り かけない唄を、はたして子守唄といえるだろうか。彼女たちは、職業的 “シンガー・ソング・ライター”ではないから、どこかで聴きおぼえた 魅惑のメロディにのせて、不条理へのメッセージを託したにちがいない。 魅惑のメロディとはなにか、いつどこで聴きおぼえたのか? もともと五木村に伝わった里謡でないのだから、在日一世が大陸から もち運んだ古謡か、あるいは被差別部落だけにもちこまれた当時最新の ポップスではないか。 この曲の起源を、中国大陸・朝鮮半島、あるいは沖縄離島にもとめる ことはできない。東南アジアの旋律は、西欧音楽の階名唱法の主音“ド” で終わることがないからである。 おなじ熊本民謡《おてもやん》は“ソ”で始まり、最後には非音階の “囃言葉”で終わる。《中国地方の子守唄》も“ソ”で始まり“レ”で 終わる。全国的に普及した《ねんころり》にいたっては“ラ”で始まり、 あやうく“ド”で終わるかとみえて、結局は“レ”に落着く。 西欧音階が“ドミソ”いずれかで始まって、かならず“ド”で終わる ように、充足感をもって完結するのに対して、なぜか東洋音階では余韻 をもたせるように“レ”で終わる。いわば完結しないのである。 朝鮮伝来の雅楽譜として書かれた《君が代》も“レ”で始まって“レ” で終わる。これを西洋人に聴かせるため、西欧風に演奏するには、冒頭 の「レドレミソミレ」と結尾「ドレラソラソミレ」の部分に和声進行の 法則が適用できないので、特殊なマジックを要する。 そこで編曲者は、ハーモニーを放棄して(無理にハモらず)あたかも ファンファーレのごとく斉奏(ユニゾン)として、中間部分だけ荘重な ハーモニーを響かせることにした。ちょうど、頭と尻尾をモノクロで、 真中をカラーで色づけするような趣向で、いかにも風変りではあるが、 それなりに格調たかい曲想となった。しかし、なんといっても百二十年 も前のテンポ指定(♪=69)は“NHKの子守唄”には適していても、 現代人にとっては緩慢すぎる。 かくして“ソ”で始まって“ド”で終わる《五木の子守唄》が東洋の メロディでないことは、ほぼ確実である。戦後とつぜん脚光を浴びたの も、それほど古い時代のものでない証拠であろう。“かんじん”の少女 たちは、いつどこで聴きおぼえたのだろうか。かりにロシア民謡なら、 そのまま朝鮮半島に伝わっていた可能性もある。ロシア正教の讃美歌の 替え歌だったら、キリシタン禁制の対象にもなるまい。(20000609-1017) かずかずの前衛音楽を初演した経験をもつニューヨーク・フィルでも、 《ノヴェンバー・ステップス》のリハーサルでは、尺八特有のメロディ をはじめて聴いたメンバーの間から失笑がもれたという(典拠不詳)。 雅楽器では吹奏楽を演奏できないが、現代の吹奏楽なら雅楽そのまま に演奏できる。しかし、オリンピックで日の丸を揚げるたびに、外国人 の反応を気にしなければならない。(この項未完) ◆ 五木村 〜 売られた子守唄の里 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000128
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19541127 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
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| 1954年11月23日(火) |
秋の夜の感傷 〜 続・虫のいろいろ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541123 秋の夜の感傷 そろそろ秋だなと思っていたら、にわかに小さな虫が増えた。私の部 屋の二本の蛍光燈のまわりには三ミリ位の虫どもがキリキリ舞っては落 ちてゆく。うっかり早くからふとんなど敷いていると、寝るときにふる い落したうえ薬をまくなど大さわぎしなければならない。 おまけに今年は、新しい蛍光燈とスタンドでよほど明るくなっている ので、小さな客人たちは好んでやってくる。本を読んでいると、彼らが 音をたてて本の上に落ちてくる。みていると舞っているときはいかにも 幸福そうで、やがて陶酔のはてにトンと落ちてきて腰をぬかしている彼 らである。鉛筆の先でつついても動けないのがいるし、死んでしまって いるのもいた。 あまり多いときは古い洋服ブラシで掃きあつめるのだが、たいてい掌 の上に小さな山ができるくらいはある。それらをながめていると、これ が連夜、私の部屋をおとずれる客人たちの静かな姿かと気の毒になる。 そんなある夜のこと、私は近視なので部屋の採光には特に注意してい て、そのときも半球形の反射笠に六〇ワットの電球を入れて天井に反射 させていたのだった。初秋の夜ともなればさすがに静かなもので、私は 反射笠の中にかなり大きな虫が入ったことをその音で知った。 机の上に乗ってのぞきこむと将棋の駒より一まわりほど大きい例のぶ あつい感じの蛾が熱い電燈のまわりをきゅうくつに飛びまわっていた。 指でもむとパン粉みたいになりそうなこの珍客は蛾特有の粉をのぞきこ んだ私の頭髪とマツ毛に不遠慮にふりまくので私はいそいで首をひっこ めた。 “やっかいな客”私は力にうったえてこの不遠慮な客人を片づけること にした。 私がチリ紙をもった手を近づけると蛾はますますはげしく反射笠の中 を飛びまわった。そして、そのほんのすこしの間に、笠の内側に卵を三 個、きれいに並べて産みつけた。私はそれを横目で見やってなおも彼女 を捕えようとあせった。……ようやく捕えた私は薄いチリ紙を通して、 ぶよぶよした感触に接した。とたんに私はぞっとした。“この俺の手の 中でも彼女は卵を産みつづけている……”私はさっき反射笠の内側に産 みつけられた三個の卵のあのつややかなうすももいろを想い出してふる え上った。 私はバタバタする蛾をつまんだまま、もう一度さきの卵をのぞきこん だ。殻につつまれていた三つの生命は、反射笠の熱によって完全にとけ てしまっていた。何となくホッとした私は手の中の虜が全く動かなくな っていることに気がついた。 ── 阿波 雅敏《秋の夜の感傷 19541122 同志社中学生新聞・第十六号》 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 人間性の変換 〜 裁判より得たる教訓 〜 ── 人間はなぜ戦争を好むのか。ある人はこれをこんなふうに説く。 本来、微生物や、下等動物から、だんだん生存競争に勝ちつづけて人 間までになった。人間となってからも、他の種族との間に不断の競争を する。社会主義者にいわせると、継続的に階級闘争をくり返す。この間 に、闘争とか戦争とかということが本能に近い習性となって、人間の骨 髄にこびりついた。子供のあそびでも戦争ごっこが一番好きになる。原 始的人間性の再演かもしれないと。 第一次欧州戦争のとき、名を忘れたが、ドイツの生物学者が、昆虫や 蛾の類が夏季に誘蛾灯に集まって、そこで焼き殺されるのは、こんなわ けだと説明した。 本来、昆虫は幼虫からサナギとなり、昆虫に変化するのである。幼虫、 サナギの時代は光線を必要としないのであるが、それが孵化して蛾とな ったときに目ができ、羽をそなえるにいたる。この場合光を見ることが できる。こんなものができたのは、昔の昔、大昔のことであるから、光 といえば太陽の光線の外にはなかった。太陽の光に向かって飛べばおの ずから温暖であり、適当の食物も得られる。ゆえに光に向かって飛ぶと いうことは昆虫や蛾の自己保存、種族発展に最適なことであった。しか るに、ここに原始人がついに火を発明し、現代人はさらに電灯まで発明 した。昔のままの本能を維持するより外のことを知らぬ昆虫や蛾は、往 古の太陽の光と同じように輝く火なり、電灯に集まり焼け死ぬのである。 人間が戦争の声を耳にすれば、きそって敵に向かう心をふるい起こす のは、このあわれな夏の虫が灯火なり誘蛾電灯で焼け死ぬのと同一原理 によるものだと生物学者は説いた。カイゼル・ウィルヘルムはこんなこ とを説かれてはわが軍の士気にかかわるとて、直ちに学者を逮捕し、投 獄した。(196703‥ 読売新聞社) ── 清瀬 一郎《秘録東京裁判 19860710 中公文庫》P213-214 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 終着駅 高島 春江
新聞部長から原稿を頼まれたのは、まだ五月雨の頃で、私は水の清い 「我が里」の風景を書いて「今流れに飛びかう蛍が美しい。」と結んだ が、夏が過ぎて秋になった。季節のずれを嫌ってその原稿を「風すぎて」 という一聯の短歌ととりかえた。風とは勿論台風のことで、風のあとの 静けさの中に、夏から咲きついだ空色の朝顔が、小さくくさむらのそこ、 ここに咲いているのを詠んだりした。然し、今はもう晩秋である。庭に は菊が咲き乱れている。それなのに、新聞はまだ出ない。私はわが歌を 季節はずれの「すまじきもの」に入れたくないので、三度目の原稿を書 こうと思う。 私はいつか子供達と映画をみにいって、偶然「終着駅」と云うのをみ た。ローマ駅での一つの出来事で、退屈もしなかったが、さして感動も しなかった。けれども「終着駅」と云う題は妙に私の心にひっかかって、 忘れられなかった。その後、省線電車にのる度に「この電車の終着駅は ○○で……」と云う車掌の言葉にも一寸心の動くのを覚える。 終着駅!! これはおもしろいと思う。逢えば別離があり、生あれば死 あり、始めあれば終りあると云う無常くさい意味で面白がるのではない が、とにかく自分の周囲の諸行、くさぐさの事柄についてその終着駅を 考えるのは面白い。 私はいくつかの友情の終着駅を或いはなつかしく、或いは淋しく思い だすのである。そしてその愛情を全うすることのむずかしさを思う。 あなた方にも、この中学校を巣立ってゆく日が必ずあるのである。満 足と悦びをもってその日を迎え得るよう、やはり考えなければならない ことではなかろうか。 「神よ、あなたに仕えた私をあまり不満に思ってはいられますまいか。 ほんの少しのことしかできませんでした。そして、もうこれ以上はでき ないのです……。私は戦いました。苦しみました。迷いました。作りま した。父なるあなたの腕の中で息をつかせて下さい。またいつか、新し い戦いのために私はよみがえるでしょう」これはロマン・ロランの作品 ジャン・クリストフの臨終の言葉である。音楽の天才ジャン・クリスト フの生涯は全く苦悶と闘争の連続であったが、その終着駅は実に美しい、 調和そのものであった。昼と夜とは微笑し、愛と憎とは一体となり、生 に栄えあれ!死に栄えあれ!と凡べてを祝福し得て、もはや彼の心を乱 す何ものもなかったのである。その終着駅は又、歓喜そのものであった。 「門が開いた。……私が捜していた諧和音はこれだ。……しかしこれが 究極ではない!まだ新しいたくさんの空間がある……あすになったらも っと先へ進もう」全生涯を通じて仕えようと努めた神の至高の平和の中 へ没入して消えることの歓喜!彼はこのすばらしい歓喜を最後の時に持 ったのである。(了) 私は疎開地で毎日眺めた、美しい瀬戸内海の入日を思い出す。 ──《同志社中学生新聞・第十六号 19541122 》 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530716 転才 〜 くもとハチのはなし 〜 http://q.hatena.ne.jp/1164333882 ここに述べられた、ドイツの生物学者の名を教えてください。 (20060109-1124-20080703)
| 1954年11月22日(月) |
男女共学の発展のために |
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541122 http://www.hatena.ne.jp/adlib/activities http://twitter.com/awalibrary http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19541122
Ex libris Awa Library;“クラスの横顔”カット (左から一年一学期、二年二学期、三年三学期) ── 《同志社中学生新聞 19541122 第十六号》 生徒会の文化活動の発展を期す 生徒会長 木村 祥子 本年度の文化祭は二十二、三両日にわたって行われます。これは学校 の対外的行事であると同時に生徒会にとっても重要な年間行事の一つで あります。この催はわれわれの日頃の精進の結果を表わし、それによっ て知識や情操を養い、今後の努力を促すためのものであって、主体はあ くまで私たち生徒にあります。三年前までは文化祭のこの意義がくみと られず、バザーの余興のような感があったのを、当時の生徒会の方々の 熱意と諸先生ならびに父兄の良識によって今日の在り方に改められたの です。このたび特に関係部員の御努力によって、宗教、E・S・S、地 歴の各部が新しく参加され、一段と光彩を添える事になり、又、クラス 単位点数制も実施する事に決定しました。これは勝負の意味でなく、一 人でも多く、一点でも多く参加出品されるようにとの願いからで、要は 同中生の文化的才能がどれだけあるかを示すにあるのです。「われわれ の手で」という自覚を持ち、そして計画倒れにならないようお互に努力 したいと思います。この文化祭を催すにあたって諸先生の並々ならぬ御 努力と父母の会の方々の大きな陰の努力のあった事を深く感謝して「我 々の文化祭」を有意義に過ごしたいと思います。 ◇ 論説 男女共学の発展のために 阿波 雅敏 「今年から女子の数が増えた」「今年の生徒会長と、書記長は女子であ る」共学同志社としてこれらはきわめて当然であるべき事柄なのに、と もすれば不思議なことのように思えるのは遺憾である。一年生はようや くクラスの四分の一が女子になったが二、三年は五分の一を下回るとい う現状で、これでは共学でなくて女子は“おそえもの”の存在である。 昨年までの生徒会活動もほとんど男子役員の手で動かされ、ただ一つ美 化委員会だけがつつましく働いていた。今年はそういった偏向をさける ために、各クラスから女子を二名選出することになったがそれも代議員 と美化委員に限られかえって無理なふり当てが行われたりしていわゆる “貴族的”な代議員会ができ上ってしまった。男女の数を等しくするこ とも一手段であるわけだがこれも必ずしも総てを解決するとはいえない。 現在の同中で女子の仕事が制限されているということについてはいろ いろ問題があって、前に美化委員会の顧問をしておられたある先生が、 「生徒は校内の美化は美化委員会がやるものときめている、だからゴミ ひろいは女子の仕事だと思われている」となげかれた話がある。終戦後 九年を経た“封建民主国”“日本にはまだまだ”の匂いが消えるどころ かともすれば煙を出そうとしている。これは私たちにもいえることで学 校で民主主義を学んだ私たちは家へ帰ると父の意見を絶対視する母を見 る、こういう矛盾はいろいろな場合に直面するのだ。 私たちは今一度静かに反省してみたい。日ごろ何んでもないことのよ うに思われていること。例えば男の友人には敬称をつける人も、女子の 人にはそうしないことはないか、女の人は男子の協力をこばむことはな いか。文化国日本は真の民主主義の実践なくしてできない。 ◆ 幻のバッジ・デザイン 七つの委員会、三つの任意団体を各色別に並べた最初の幾何学的作品。 本宮先生は「ゲジゲジみたいに見えんか」と心配したが、七宝焼だから、 そうは見えない。残念ながら他の事情から実現しなかったが、卒業後の 《中学生新聞・第十八号》によれば、別のデザインで製作されたらしい。 同志社中学生徒会《役員バッジ 195403・・ca 》(Day'19970104 参照)
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[f:id:adlib:20150209040507j:image:medium] 同志社中学校生徒会(役員名簿)
生徒会会長 木村 祥子 3D 音楽部ピアノ班/数学部 生徒会副会長 内村 公義 3A 図書委員/放送部長 生徒会副会長 小林 茂之 3E 執行委員会/級代表委員会 生徒会書記長 田中 恭子 3E 代議員会議長 清浦 圭明 3A 代議員会副議長 岩崎 由美 3C 代議員会書記 岸田 良信 3B 図書委員会 河原 満夫 3C 学術部委員長/地歴部長 公安委員会 吹田 秀雄 3A 阿波 雅敏 3C 新聞部長 井上 正雄 3D 宗教部長 美化委員会 保健体育委員会 会計委員会 運動部委員長 文化部委員長
──────────────────────────────── 新聞部顧問・本宮先生の原案による、もっとも不得意な意見論文。 第十七号は、オール同志社中高新聞部の合同編集により一週間のちに、 創立七十九周年記念号《同志社中学版・第十七号》として発刊された。 このため、一学期に発刊予定号が繰りのべられた。 “アナグマ・レポート”事件終息釈明に対する返信(Let'337 19540804) 第十六号の総評は、一年先輩の洛北高校生・沖中忠順君から長文書簡 (Let'351 19541123) にくわしい。 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20061115)(20140218)(20150209)
| 1954年11月21日(日) |
同志社中学文化祭プログラム |
↓ last updated page http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541121 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 ↑Index 19020102〜99991231 ↓Edita for text http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Awa Library;19541122同志社中学生新聞16P10cp ── 編集兼発行人 阿波 雅敏/印刷所 都新聞印刷局 《文化祭記念号 19541122 同志社中学生新聞 第16号》P09 ──────────────────────────────── 有意義な文化祭に クラス採点制実施 秋も漸く深く、色ずいた木立ちのこずえ越しに彰栄の鐘がすみきった 学園に一きわ高くひびく季節になりました。今日私達の意義深い文化祭 を持つに際し、今一度その意義を考え、平和な文化国民にふさわしい教 養と態度を養うことは大切なことです。一昨年秋に生徒会に於てバザー やバーゲンセールが主である文化祭ではなく、同中生の文化のための文 化を持とうと発案され、生徒の手によりそれが実行されました。然るに 昨年、今年と回を重ねるに従って当初の意義を忘れられて生徒の大多数 が安易なレクリエーション的な考えを持つ傾向になることは厳にいまし めなければならない。本年文化祭に採点制を実践したのも一人でも多く の生徒がよりよい作品を出品するように奨励するためである。 勿論運動の場合も同じですが勝つ事や賞に入ることが目的ではなく参 加する事が大切なのですが、どうせ参加するならあくまで良心的、芸術 的なものでなければならない。その場しのぎの間に合せなら三文の価値 もない、これを機会として真正の文化に目覚め、興味を呼び起すならば この二日間が私達の生陸にとって誠に意義深いものとなるのではなかろ うか。 本年度は昨年に比較して展覧会も地歴郡、宗教部、ESS等がふえ従 来からの各部も内容的に次第に充実して来ており、又学芸会の内容も昨 年より充実して来たことは喜ばしい。 ──────────────────────────────── 同志社中学校文化祭 プログラム 第一日(十一月二十二日)(月) 08:10-08:25 礼拝(チャペル) 08:30-10:30 合唱コンクール(チャペル) 10:40-12:00 弁論大会(チャペル) 英語弁論大会(化学実験室) 珠算競技大会(図画教室) 席上揮毫大会(研究室、視覚教室) 楽焼コンクール(工業教室) 学芸会(チャペル) 第二日(十一月二十三日)(火・祭日) 08:10-08:50 特別礼拝(チャペル) 09:00-10:00 文化講演(チャペル)アンナプルナ登攀 今西 錦司 10:30-12:00 クイズ大会(チャペル) 13:00-16:00 学芸会(チャペル) (尚、両日を通じて各会場にて左の催しがあります。) 作品陳列展 生物、化学、工業、華道、書道、生活科学、絵画、新聞、 写真、地歴、E・S・S、宗教 らくやき 模擬店 バーゲン・セール(第2日のみ) ──────────────────────────────── 合唱コンクール 課題曲 一年 秋に寄せて コンパース曲 二年 湖上の月 ロッシーニ曲 三年 野ばら ウェルナー曲 自由曲 一A ローレライ ジルヘル曲 一B スキー ドイツ民謡 一C まごころ キユッケン曲 一D 遠足 ドイツ民謡 一E 久しき苦 ぺーレイ曲 二A 子守歌 モーツアルト曲 二B 真白き富士の嶺 カードン曲 二C み翼のかげ マルティン曲 二D 讃美歌五〇九 二E 狩の歌 ドイツ民謡 三A 希望のささやき ホークン曲 三B オールド・ブラック・ジョウ フォスター曲 三C 五ツ木の子守歌 九州民謡 三D 海女の子供 キャンプソング 三E 遠き山に ドボルザーク曲 ──────────────────────────────── 弁論大会出場者 「少年よ大志を抱け」 一A 鈴木 謙介 「落し物」 一B 福田 経三 「一つの世界」 一C 亀田 誠二 「らしく」 一D 竹内 宏一 「一国の良心となれ」 一E 石角 雅則 「尊ぶべきもの」 二A 松田 忠興 「最近の私選について」 二B 山口 茂 「古美術に対する態度」 二C 安田 真美 「労働と学問」 二D 服部 京一 「中学生とラジオ」 二E 馬場 久雄 「足跡」 三A 久城 幸治 「責任」 三B 吉村 修二 「美術の秋」 三C 岸田 貞義 「一国の良心」 三D 伊藤 太一郎 「もっと勇気をもて」 三E 山本 祝子 ──────────────────────────────── クイズ大会 新らしい企画で先生方も出場! 今年のクイズ大会には昨年好評だった「三つの歌」に加え新らしい試 みとして先生と生徒対抗の「二十の扉」が行なわれる。回答者は先生側 から久保教頭先生他四名、生徒側から各学年二名宛で競技は五回戦で行 なわれる。 また「三つの歌」には先生方がそれぞれ御担当のクラスの生徒と二人 で出場される。尚、これには校長先生及び父母の会の会長さんも出場し て下さることになった。なお司会は「二十の扉」を昨年のクイズ番組で 二三年生にはおなじみの須田さんが、また「三つの歌」は同志社放送局 の野垣さんがして下さる。(会場案内図は裏面へ) ──────────────────────────────── プログラム(第1日) (午後1時〜4時) 1 合唱 A 草刈の歌 B たてよいざたて ホザナ・コーラス 2 舞踊劇「赤頭巾さん」 洋舞班(声)2D 加藤 雅彦 3 ヴァイオリン独奏 A トロイメライ B スーヴニール 2年 松田 忠輿 4 二重唱 A サンタルチア B めえめえ子山羊 1年 横井 軍平 1年 猿橋 厚 5 弦楽合奏 A ガヴォット(バッハ管弦楽鼠曲第3番より) B ヴァイオリン協襲曲 イ短調 第一楽章 (ヴィヴァルディ) 弦楽合葬班 6 英語劇「森の中の家」 (2,3年有志)3A 清浦 圭明(解説) 7 吹奏楽 A 行進曲 アメリカ巡羅兵 高校ブラスバンド B 序曲 十字勲章 C タンゴ ラ・クムパルシータ D 行進曲 ワシントンの陣営 8 狂言「附子」 (3A有志) 主人=野沢 義忠、太郎冠者=久城 幸治、次郎冠者=立石 義雄 9 演劇「楽しい旅」 高校演劇部 ──────────────────────────────── プログラム(第2日) (午後1時〜4時) 1 吹奏楽 A 行進曲 アメリカ巡羅兵 高校ブラスバンド B 序曲 十字勲章 C タンゴ ラ・クムパルシータ D 行進曲 ワシントンの陣営 2 弁論 3 合唱 1年 4 英語暗誦 5 合唱 2年 6 舞踊劇「赤頭巾さん」 洋舞班(声)2D 加藤 雅彦 7 ヴァイオリン独奏 A トロイメライ B スーヴニール 2年 松田 忠輿 8 二重唱 A サンタルチア B めえめえ子山羊 1年 横井 軍平 1年 猿橋 厚 9 合唱 3年 10 英語劇「森の中の家」 2,3年有志(解説)3A 清浦 圭明 11 合唱 A 草刈の歌 B たてよいざたて ホザナ・コーラス 12 弦楽合奏 A ガヴォット(バッハ管弦楽鼠曲第3番より) B ヴァイオリン協襲曲 イ短調 第一楽章 (ヴィヴァルディ) 弦楽合葬班 13 狂言「附子」 (3A有志) 主人=野沢 義忠、太郎冠者=久城 幸治、次郎冠者=立石 義雄 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ ※ 195511.. 狂言「附子」太郎冠者=竹内 康(3A有志) ※ 弦楽合葬班:ジュニア・シンフォニー“DJS”同志社中高管弦楽団。 (20090913)
| 1954年11月06日(土) |
ショスタコーヴィッチ《祝典序曲》の編曲と移調 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541106 Ex libris Web Library;“Festival Overture” https://www.youtube.com/watch?v=ZycHParRYi8(KBS Symphony Orchestra) Shostakovich, Dmitrii Dmitrievich 19060925 Russia 19750809 68 /19060912 Julius ── ショスタコーヴィッチ《祝典序曲 イ長調 Op.96 19541106 初演》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680419 《初演年譜》1950〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090503 眠りの前の最後の歌 https://www.youtube.com/watch?v=MxtL1cl8Haw(5:53) ↓ Nobel Prize Concert 2009 https://www.youtube.com/watch?v=1gDZTah8J2A&list=RD1gDZTah8J2A#t=1 ショスタコーヴィッチ《祝典序曲 19‥‥‥ 大阪府音楽団定期公演》 …… 東山高校時代、何回か演奏した思い出の曲。ショスタコーヴィッチ の『祝典序曲』。この曲の生演奏を初めて聴いたのは、確か、大阪の 中之島にある「フェスティバルホール」で開催された、大阪府音楽団の 定期公演だったと記憶している。 ・・・・・ うちの吹奏楽部のトレーナーをしていただいていたクラリネットの 村瀬 二郎先生は、この「府音」の、コンサートマスターだった。 (後に楽長になられた) どういう経緯か、よく憶えていないのだが、ぼくたち部員数名が、 村瀬先生(から入場券をいただいたような?)の率いる楽団におじゃまし、 いい席で、のうのうと鑑賞できたのは、ひとえに、先生のお蔭である。 ・・・・・ ぼく自身、在学の3年間、村瀬先生には、いろいろ教えを請うことが でき、本当に感謝してもし尽くせない思いがある。 ・・・・・ さて、その演奏会、冒頭の曲がショスタコーヴィッチの『祝典序曲』 だった。最初の一瞬でしびれてしまった。 トランペットの、透き通るようなファンファーレ。 存在を誇示する金管の中低音。速い動きのなかで、激しく切なく、 しきりに語りかける木管。もう、最高だった。 そして、ぼくは、その曲が終わるまで、呼吸しなかった、かも(笑 この曲を聴いたのは初めてだった。 そして、感動し、一生、忘れない一曲になってしまったのである。 ぼくが3年生となった定期演奏会には、村瀬先生に、この曲を含む、 メイン3曲を指揮していただけた。 そして、そのことは、29年たった今でも、ぼくの宝物として、心の 底に、大切にしまっていることができているのである。 http://akarui-clarinet.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/__86b8.html 村瀬 二郎先生と『祝典序曲』20060725 吹奏楽@アカルイくらりねっと …… 吹奏楽用の編曲でも盛んに演奏されている。編曲の際、原曲のイ 長調は吹奏楽では演奏しにくい調であるため、半音低い変イ長調や半音 高い変ロ長調に移調される。中でも、ドナルド・ハンスバーガーが編曲 した版(変イ長調)が名高い(Wikipedia)。 (20170714)
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19541106 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(19541106) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
| 1954年11月01日(月) |
座談会 久保先生を囲んで |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541101
出席者 久保 政義(教頭) 平岡 澄江(教諭) 高島 春江(教諭) 阿波 雅敏 木村 祥子 木下 聖治 内村 公義 河原 満夫 司会 井上 正雄(編集発行人)
司会 久保先生、生徒が宗教的に無関心であるということは、どういう ことでしょう。 久保 それはね、やはり年令的に、そういう時期ではないからであって、 これが高校になるといくらかあらわれてくる。でもやはり中学時 代はその準備期間なのであって、皆が知らないうちに宗教的なも のが養われているとみていヽのです。だからこのときに指導者が 本当に真剣になって呼びかけるならばそれはきっと高校で実を結 ぶと思うのです。問題はたえず私たちが努力しているかどうかと いうことに大きな問題があると思うのです。こういうことも云え るかも知れませんね。生徒会の活動が旧制中学時代より活発にな ってきているのに、宗教的な活動がそれに平行していないという ことですね。同志社の様な学校は宗教的なものが伴なわない限り 公立の学校と変らない。同志社の特質がそういう面でも表われて こないということは残念ですね。 阿波 一寸ポイントが外れるかも知れませんが宗教部が生徒会の執行委 員会の一角をなしていること、生徒会で重要な地位を占めている こと、これはその性格からいって疑問があると思うのです。たと えば予算にしても他のクラブとちがって生徒会からいくらでも貰 えるというように宗教部が、その意味でうまくゆくのは当り前だ という気がするのです。宗教部というのは本当に「もりあがった 力」の集まりでなければと思うのです。 久保 阿波君の意見はもっともだと思うのですが、私は、生徒会の指導 者になりうる人はやはり同志社の精神を最もよく理解した人であ ってほしいのです。そういう人に指導する地位を与えることは非 常に大切だと思うのです。もっとも私の願いは選ばれた人たちが 本当によく新島精神を理解し、そうして指導してほしいというこ となのです。そしてそうなることによって本当に同志社独特の生 徒会が生れると思うのです。 ◆ 年々よくなる同志社中 木村 代議員会は存じませんけれども、執行委員会では会議を始める前 にいつもお祈りしています。 久保 それはいヽことですね。私はやはり昨年より今年と、だんだん生 徒会は同志社らしく動きつつあると思っています。生徒会が新し くできた当時は同志社らしくない空気も少しはあったのですが、 それらは徐々に薄らいでゆくことでしょうし、皆が努力してやっ てゆけばだんだん立派な学校になると思います。
◆ よかった修養会 木下 今年の委員の修養会などその意味で非常に大きな成果をあげたも のといえますが、新聞は�狷瓜崋卆鎖世瞭讃讚瓩判颪い討い泙靴� が本当にそうですね。 久保 あれは私達でもよく考えたのですが結果として非常によかったと 思うんです。 平岡 今木村さんから具体的なことについてお話がありましたけれども、 例えば�猯蘿匯�間の静じゃく�瓩箸�礼拝遅刻欠席などは公安委員 会の方たちが非常に熱心になさっていますね。 高島 その具体的なことの、根本は一つだと思うんです。宗教的キリス ト教的に物を考える、その分れ目だと思うのです。キリスト教的 に物を処理するかしないか、根本ができてなかったらどちらへ傾 くか判らない。だから入学当時は思想らしい思想はもってないん ですが三年生になるとそれができてきます。その三年間の間に皆 が�燹屮�リスト教的」な考え方�瓩忙蠅襪�どうか非常に大きな問 題があると思うんです。(一同うなづく) ◆ 悩みは進歩なり 司会 礼拝時間は昔はもっと静かだったんですか。 久保 いやとっても、それで当時の指導者たちが苦しんだです。彼らは 自分たちが騒いでいることがたまらなかったのでしょう。しかし そういうことに心を痛めることはそれ自体同志社的なのであって、 規則づくめで生徒を抑える学校と違うわけですね。そして上級生 がそれを自覚して下級生を導いてゆく。私はそれをこの同志社中 学に望みたいですね。教師というのは生徒を叱るためじゃなくて 生徒の相談相手であればいヽんです。 司会 内村君このことについて何か。 内村 礼拝が何であるか判っている人が少ないということが原因じゃな いんですか。 木下 学校と教会の相違が考えられますね。 久保 そうなんです。学校はどこまでも教育機関であるために、信仰を 人々に迫ってゆくということは困難ですから、やはり生徒はでき るだけ自分の霊を直接導いてくれる教会へ行って、牧師と学生が 一対一の交わりをすることをすすめます。学校はいわば教会で実 を実らせるための準備として知識を与えるところですからね。 ◆ レポート以来教会行きがゆううつ/感想文ならけっこう 高島 この時代の人達が教会に連なるということは大切なことですね。 私の知っている人が東京の大学へ行っているのですが、京都へ帰 る楽しみの一つが教会に行くことだそうですよ。それに戦時中外 地へ行っていた人が故郷の家へ帰るよりも先に教会へ帰る。とに かくそこへ早く入り込むという事は大切ですね。教会の生活をし ないで礼拝は理解できないでしょうね。 ◆ 五日制 久保 今の若い人は教会に連らなる習慣をつけた方がいヽですよ。学校 生活も忙しいけれども。 平岡 それを思うと六日制になったことはプラスになった一面マイナス になった、ともいえますね。 久保 どちらともいえませんね。 司会 日曜日に教会へ行く習慣をつけた方がよいといわれましたけれど もどうしたら皆がなっとくして教会へ行くでしょうか。 久保 六日制なので強いることもできないのですが。 高島 教会に連らなっている人達がもったらどうでしょう。 木下 上級生の影響は大きいです。一年生のときに�犇飢颪惺圓辰討澆� うか�瓩箸い辰燭薛猝滅鬚�ないからやめておけ�瓩箸い錣譴燭里� 例のレポート発令まで一度も行かずじまいでした。でもそれから はしぶしぶながら教会へ行く習慣がついたのです。 木村 久保先生、先生のレポートは私達に強制されないのでしたら、す ヽめるという意味なのでしょうか。 久保 あれはね、私は毎日曜要求していないのです。あなた方に一ト月 に二回くらいは教会へ行ってもらって、どんな話を聞いてきたか 知りたいというのが僕の要求なんです。だからいやな人は書かな ければいヽんです。 木村 私は小さいときから教会へ行っていたのですけれども先生がレポ ートを書くようにいわれてから教会へ行くのがゆううつになった のです。前は一生懸命聞いていたお話も、先生がレポートを出せ とおっしゃると何か上べだけ聞いてそしてこれやったらこういう 文にできるなァとか、こヽは難かしいからこヽは聞かんともっと やさしいところを聞いておこうという様な具合で、そんな気持で 教会へ行くのが嫌なのです。これは私だけなのかも知れませんけ れども。 久保 それは僕の望んでいる態度の逆なんです。私はあれを読むとき名 前を見ないですらすらと読んで、あとで全員の名前をつけておく のです。だから点数など全くつけませんし、名前だけで用は足り るのです。内容は全然問題にしてないんです。 木下 僕はこのごろ書くのがめんどうになったので友達に見せてもらっ てます。(笑) 久保 私はこんどあれを改めて感想文にしようと思うのです。しかも簡 単なのをね。 木村 それでしたら私達にとってけっこうなことです。そのお話につい てよく考えられますから。 阿波 ジュニア・チャーチの先生に来ておられる神学生の人がこういっ ておられました。�犒�達の書いていること、時を選ばず、お祈り の途中でも書いていること、それは、説教をする人の言った言葉 であって言わんとした心を写しとっていない�瓠ー造砲修Δ世隼� いました。 久保 でもね、夢遊病者のような書き方をしている人は少ないですよ。 とにかく書くことがプラスになると思うのです。たとえ僕がだま されたとしても。 ◆ ファイトに欠く宗教部 司会 大分時間も過ぎましたので、この辺で宗教部でない方、何か宗教 部に望まれることがありましたら……。 高島 相当おせっかいなまでにも積極的にあられることがいヽと思いま す。お友達を教会へさそったり、家庭的な書物をすヽめたり、意 義ある行為だと思いますね。お友達同志やりにくいとは思います がね。でもそれは克服しなければならないと思います。 司会 阿波君何か……。 阿波 宗教部の方、ファイトに欠けると思うんです。学校生活に於ても、 宗教部員としてのプライドといつも新鮮な情熱で、すべてのこと に当ってほしいと思います。 久保 しかも年令的にそういう確心がないから……。何しろ与えられた ものだけに自分で獲得したより情熱は薄いでしょうね。まァでき るだけ勉強しますよ。 内村 宗教部に本当のクリスチャンといえる人が何人いるかということ ですが、宗教部でも本当の信仰を持つ人を養ってもらいたいと思 います。 河原 理屈だけでなく、行動にもそれが表われる宗教部を望みます。 木村 今年はいくらか活発ですけれども、今迄の宗教部の人達一つのカ ラの中にとじこもっておられるように思うんです。もっと積極的 に行事など計画していただけたらけっこうだと思います。それに は確かな信仰が必要ですし内村さんがおっしゃったように本当に 信仰を持つ人が沢山出られるように望みます。 司会 どうもいろいろお話し下さいましてありがとうございました。お かげで私達の活動について色々反省することができ、これからは 益々努力してよりよい宗教部になるよう努めたいと思います。あ りがとうございました。 ── 《彰栄・創刊号 195411.? 同志社中学宗教部》 → ── 《彰栄・第二号 19550316 同志社中学宗教部》 ──────────────────────────────── ◆ “クボエム or アナグマ”教頭 創刊号には日付がないが、おそらく文化祭当日に配布したもの。署名 がなくとも題字・カットをみれば《図書室便り》とおなじ、影の編集者 の存在は一目瞭然である。この座談会では、宗教部員は司会者だけで、 あきらかに教師と生徒が対峙して、レポート・キャンペーンの結論が出 ている。しかし当時は、それほど策を弄したつもりではなかったが。 ── 9月12日、敬老の日に先立ち、桝本市長は今年度100歳を迎 えられる北区の久保政義さん(写真A)と右京区の永井丑之助さん(写 真B)のお宅を訪問。記念品として京漆器の壽盆(ことぶきぼん)を贈 呈し長寿を祝いました。 今年度市内で100歳を迎えられる長寿者は昨年度より31人増加し て135人。これで100歳以上の長寿者は341人となりました。 http://www.city.kyoto.jp/koho/shinbun/15ks1003.pdf ── 《敬老の日を前に市長が長寿者を祝福 20031001 市民しんぶん 第738号》 ◆ 写真 《ライオン校長 Pho'195407.. 由良キャンプ》 加藤 延雄(同志社中学高校長) 《神学生 Pho'195408,, 》Let'195408.. 江川 永 (群馬県出身) ──────────────────────────────── ── 兄の曾て西京を出発するや、僕に約して曰く、公会へは必ず出づ べしと。然るに未だ数月をも経過せざるに、東京の公会にもご出席なく、 しかのみならず、当会(京都第二公会)より御退会の事とは、余り約し て速かに約に違ふに似たり。これ小生の君の将来のキャレクトル (Cha- racter) を成し立つるに、何等かの影響を生ずべきやと、大に痛心する 所なり。一諾不変は男子の常なるも、斯くの如く速かに氷解霧散せしむ るものは、兄には必らず見る所あるを、然かするなるべけれ共、斯くの 如く一約一諾を易々然として変ずるは、大丈夫の大いに恥づる所なるべ し/御忠告の段、多謝の至り。何れ僕成るべく丈け注意いたし、弊校の 進歩を計るべく候。同志社生徒の自負心の点には、僕も着目しをり候へ ば、何れ此点にも精々注意仕るべし。斯くの如く東西所を異にする共、 何なりと僕の心得となるべき事は、御遠慮無く御忠告を仰ぎ度く候。右 は貴答の為め早々此くの如きなり。(1880)九月廿一日 徳富猪一郎 君 ── 同志社・編《新島襄書簡集 19880316 岩波文庫》P143-144
新島 襄 同志社創立 18430212 江戸 18900123 48 小田原客死 18751129同志社英学校創設 天保14.0114幼名=七五三太 徳富 蘇峰 歴史評論 18630314 肥後 19571102 94 戦犯〜《近世日本国民史 1953 大阪毎日新聞》 文久 3.0125 廬花の兄
◆ 主の祈り ── 天にまします 我らの父よ/願わくば 御名を崇めさせ給え/ 御国を 来たらせ給え/御心の 天になるごとく/地にもなさせ給え /我らの日々の糧を/今日も与え給え/我らを こころみにあわせず /悪より救い出し給え/国と力と栄えとは/限りなく 汝のものなれ ばなり/アーメン ── 《マタイによる福音書 6章9節》 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031009 《新約聖書》(詩篇・付) 《新約聖書》(口語訳) 《讃美歌》《Takasago》 《新・讃美歌》
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