与太郎文庫
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| 1958年01月31日(金) |
人間の条件 〜 総目次 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580131 第一部 #000/P003-005 まえがき(19560711) 第一部 #001/P009 第一部 #002/P012 第一部 #003/P022 第一部 #004/P025 第一部 #005/P030 影山と女給 第一部 #006/P036 美千子の夢 第一部 #007/P039 第一部 #008/P041 第一部 #009/P052 トラックで引越 第一部 #010/P057 第一部 #011/P068 第一部 #012/P073 第一部 #013/P077 第一部 #014/P085 第一部 #015/P092 第一部 #016/P106 第一部 #017/P109 第一部 #018/P117 アッツ島玉砕より半月後 第一部 #019/P130 第一部 #020/P135 七月の或る日(194307‥) 第一部 #021/P140 第一部 #022/P146「二十八です」 第一部 #023/P158 犬の生命 第一部 #024/P159 第一部 #025/P161 第一部 #026/P167 第一部 #027/P175 第一部 #028/P179 第一部 #029/P184 第一部 #030/P186「南方共栄圏を死守せよ」 第一部 #031/P188 第一部 #032/P189 第一部 #033/P197 第一部 #034/P200 娼婦頭・金東福 第一部 #035/P205 第一部 #036/P208 第一部 #037/P215 第一部 #038/P220 紙と鉛筆 第一部 #039/P229 第一部 #040/P235 第一部 #041/P241 陳の初体験/朝鮮人・張命賛 第一部 #042/P249 第一部 #043/P255 イタリア降伏(19430908) 第一部 #044/P259 第一部 #045/P263 第一部 #046/P267 第一部 #047/P278 鉄条網の恋・揚春蘭と高 ◆ 第二部 #048/P005 特殊工人逃亡 第二部 #049/P013 王享立の手記 第二部 #050/P026 第二部 #051/P051 第二部 #052/P034 第二部 #053/P037 支那料理屋の七人 第二部 #054/P046 第二部 #055/P048 湯船の二人 第二部 #056/P053 ピクニック 第二部 #057/P055 謀略と脅迫 第二部 #058/P064 金曜日の夕方 第二部 #059/P065 秋の朝、六ヶ月目の休暇 第二部 #060/P073 崔の容疑 第二部 #061/P077 第二部 #062/P080 美千子と靖子 第二部 #063/P090 古屋の手仕舞 第二部 #064/P099 張命賛の拷問 第二部 #065/P103 古屋の胸倉 第二部 #066/P108 沖島の訪問 第二部 #067/P115 古屋と陳 第二部 #068/P118 陳の謝々 第二部 #069/P123 娼婦たち 第二部 #070/P127 モーゼル二号、陳の自殺 第二部 #071/P132 五人の焼死体 宋ほか3人と陳。 第二部 #072/P136 第二部 #073/P138 陳の老母 第二部 #074/P141 梶の表彰状 第二部 #075/P146 所長宅の酒宴 第二部 #076/P157 第二部 #077/P159 渡合憲兵軍曹と河野大尉 第二部 #078/P161 高ら七人の捕縛 第二部 #079/P170 逃亡か処刑か 第二部 #080/P176 第二部 #081/P178 捕虜の生命「日華同盟条約調印(19431030)」 第二部 #082/P184 処刑前夜 第二部 #083/P189 王と梶の対話 第二部 #084/P193 娼婦の嘆願 第二部 #085/P197 公開処刑(P204-208)四人目に中止。 第二部 #086/P209 梶の逮捕。自宅捜査。王の手記。 第二部 #087/P215 田中上等兵と渡合軍曹の拷問。 第二部 #088/P225 人間らしい勇気 第二部 #089/P226 同僚たちの訪問 第二部 #090/P229 処刑三日後、美千子の面会 第二部 #091/P232 処刑二日後、王ら特殊工人三十名の逃亡 第二部 #092/P238 梶の夢。 第二部 #093/P242 梶と美千子の対面 第二部 #094/P247 美千子の後姿 第二部 #095/P248 数日後、梶の釈放。 第二部 #096/P249 梶の召集令状。 第二部 #097/P257-259 出征前夜。 ◆ 第三部 #001/P005 日野准尉 第三部 #002/P018 新城一等兵 第三部 #003/P015 小原初年兵、地方新聞記者 第三部 #004/P020 板内上等兵。「好きな古兵がいるか?」 第三部 #005/P031 水汲み 第三部 #006/P038 手榴弾投擲要員 第三部 #007/P046 軍用はがき 第三部 #008/P053 柴田兵長 第三部 #009/P054 体前支え、対抗ビンタ 第三部 #010/P065 美千子の手紙 第三部 #011/P072 陸軍記念日(19430310) 第三部 #012/P078 日野准尉 第三部 #013/P086 猥歌「五月一日付を以て四年兵は満期除隊だとよ!」 第三部 #014/P099 盲射撃 第三部 #015/P106 遺言 第三部 #016/P111 「ここで家内に手紙を書け」 第三部 #017/P114 小原二等兵の手紙 第三部 #018/P116 雪中演習 第三部 #019/P124 慰問演芸隊 第三部 #020/P130 慰問演芸会場 第三部 #021/P135 年令二十八才、身長一七三センチ、体重六九キロ六〇〇。 第三部 #022/P143 美千子来る。 第三部 #023/P145 第三部 #024/P146 ノロの肉。一枚の毛布。 第三部 #025/P152 異常な一夜 第三部 #026/P157 剣術稽古 第三部 #027/P162 第三部 #028/P164 第三部 #029/P171 小原二党兵 第三部 #030/P176 第三部 #031/P182 第三部 #032/P184 行軍 第三部 #033/P194 第三班初年兵二十名。 第三部 #034/P201 第三部 #035/P205 小原の自殺 第三部 #036/P211 吉田上等兵の処罰要求 第三部 #037/P218 小原未亡人 第三部 #038/P222 軍隊の責任 第三部 #039/P229 中隊の失態 第三部 #040/P230 工藤隊長 第三部 #041/P237 クーニャン 第三部 #042/P243 第三部 #043/P248 第三部 #044/P253 板内と新城 第三部 #045/P258 家宅捜査 第三部 #046/P262 新城一等兵の重営倉 第三部 #047/P266 野火、新城の脱走 第三部 #048/P276〜279 吉田上等兵の病死、梶の発熱。 ◆ 第四部 #000/P000 読書の栞 1(欠) 第四部 #001/P005 急性肺炎 第四部 #002/P009 丹下一等兵。サイパン上陸から20日ほど後に陥落「おとといらしい」 第四部 #003/P018 内科分館 第四部 #004/P023 消毒室 第四部 #005/P026 喀痰提出 第四部 #006/P031 徳永看護婦。5日ほど前にグァム島守備隊全滅 第四部 #007/P038 別れ別れ 第四部 #008/P042 転属命令 第四部 #009/P045 坐金伍長(幹候) 第四部 #010/P048 角倉中尉の官舎当番。夫人の妹・佳久子。 第四部 #011/P058 冤罪 第四部 #012/P064 年末から正月 第四部 #013/P071 寄生虫の好意 第四部 #014/P074 梶の転属 第四部 #015/P078 第十一中隊、影山少尉との再会。 第四部 #016/P082 船田予備中尉(中隊長) 第四部 #017/P084 猪に発砲、牛島少佐(予備役)大隊長の抜刀。 第四部 #018/P095 五月の風、ホタルとユキ 第四部 #019/P100 盟邦ドイツの降伏。梶の上等兵進級 第四部 #020/P107 梶上等兵 第四部 #021/P110 赤星上等兵 第四部 #022/P119 五月の下旬。女の写真→P125(韓国ドラマ) 第四部 #023/P126 五十六人の部下 第四部 #024/P135 鳴門二等兵、三十九歳の棟梁 第四部 #025/P145 沖縄陥落 第四部 #026/P152 非国民 第四部 #027/P158 第四部 #028/P165 営庭 第四部 #029/P170 東部国境異常なし 第四部 #030/P177 親睦演芸会、鳴門二等兵の反抗 第四部 #031/P186 第四部 #032/P191 小泉二等兵の質問 第四部 #033/P196 梶の帯剣 第四部 #034/P205 第四部 #035/P213 第四部 #036/P216 作業隊 第四部 #037/P223 美千子の手紙 第四部 #038/P228 井原二等兵の許婚 第四部 #039/P235 女の軍属 第四部 #040/P242 第四部 #041/P249 青雲台潰滅 第四部 #042/P260 兵器受領隊 第四部 #043/P268 第四部 #044/P279 野中少尉 第四部 #045/P282 甘味品の再分配 第四部 #046/P301 蛸壺 第四部 #047/P308〜320 小銃分隊 ◆ 第五部 #000/P000 読書の栞 2(欠) 第五部 #001/P005 第五部 #002/P011 *日本兵は時計を持っていたか? 第五部 #003/P016 *梶は応用化学専攻。 第五部 #004/P025 川村上等兵の断末魔、野中少尉の自決 第五部 #005/P031 第五部 #006/P036 小野寺兵長の発狂(絞殺) 第五部 #007/P049 第五部 #008/P056 歩哨の刺殺 第五部 #009/P061 弘中班長の指揮権 第五部 #010/P069 地方人男女 第五部 #011/P077 蝸牛と茸と娼婦→P083《生存者》 第五部 #012/P084 写真屋の子 第五部 #013/P091 娼婦と茸、老教師夫婦→《生存者》 第五部 #014/P107 五人の死体 第五部 #015/P118 永田大尉。丹下一等兵との再会 第五部 #016/P132 満腹 第五部 #017/P141 下痢、ミッチェル女史の描写 第五部 #018/P152 走る豚 第五部 #019/P159 第五部 #020/P168 死に切れずにいたノロを射殺。 第五部 #021/P175 鶏の屠殺 第五部 #022/P177 5:3の比率 第五部 #023/P185 白系露人夫婦 桐原の回想 第五部 #024/P193 トウモロコシ畑 第五部 #025/P203 農家と民兵 第五部 #026/P213 朝鮮人「八月の十五日です」 第五部 #027/P217 朝鮮人部落 第五部 #028/P223 八月十三日に部隊が全滅。姉(18)と弟。 第五部 #029/P234 第五部 #030/P238 第五部 #031/P240-251 梶と桐原。 ◆ 第六部 #000/P000 読書の栞 3(P1-4) 第六部 #001/P005 赤軍大尉と沖島、ダワイ(出せ) 第六部 #002/P011 政治将校と沖島、マダーム(女) 第六部 #003/P018 美千子と靖子と沖島、カピタン。 第六部 #004/P030 梶と桐原の別離 第六部 #005/P039 鳴戸二等兵との再会 第六部 #006/P045 影山戦死(ダルタニアン) 第六部 #007/P055 桐原・福本・匹田の獣欲。 第六部 #008/P061 第六部 #009/P063 越冬隊長 第六部 #010/P070 二名斬殺の北郷曹長を、丹下が銃殺。 第六部 #011/P079 「人間は一人平均年間一石で生きて行ける」 第六部 #012/P084 丹下の投降。梶が二名の赤兵を銃殺。 第六部 #013/P091 部落まで 第六部 #014/P096 四五人の女 第六部 #015/P102 鎌の刃に似た月夜の略奪「品行方正の兵隊さん」 第六部 #016/P109 小田原評定(寺田の残留、七人の侍)捕虜に。 第六部 #017/P125 インチキ保安隊、珠代「フリフリマダム」に。 第六部 #018/P134 梶の消息 第六部 #019/P138 靖子と美千子の商売 第六部 #020/P144 岡崎の三白眼「黒木所長は土下座」花街の女をトラックで 第六部 #021/P151 沖島と美千子と靖子と「惣一饅頭」 第六部 #022/P155 謝医師との再会。沖島、保安隊に連行。 第六部 #023/P163 老虎嶺で、岡崎に殴られた中国人が告発。 第六部 #024/P168 雑居房の唄。岡崎の裏切りと釈放。 第六部 #025/P174 沖島の供述「渡合憲兵は敗戦と同時に逃亡した」 第六部 #026/P180 能登同志の新聞創刊 第六部 #027/P184 吉良、ボードレール「獣の眠りを眠れかし」を諳んじる。 第六部 #028/P189 秋のシャワー 第六部 #029/P193 「死にそうなときに盗むんなら、俺は何も云えん」 第六部 #030/P202 「停止!」「誰が云ったのか?」「ファシストのサムライ」 第六部 #031/P211 一週間に小匙一匙程度の塩、それとほぼ同量の砂糖(近衛秀麿) 第六部 #032/P219 「ヨッポイマーチ!」 第六部 #033/P225 「病欠」のゴミ箱漁り。赤軍の合唱。桐原伍長? 第六部 #034/P231 桐原「梶、今度は俺の番だぞ」 第六部 #035/P241 野毛少佐「麻袋のことでも、長沼飛行中尉をやりこめたそうじゃないか」 第六部 #036/P246 「俺が寺田の代りに毎日残ることになった」 第六部 #037/P250 「在隊期間は?」「一年九ヶ月」皆川の誤訳「愚か者の話である」アスピリン 第六部 #038/P262 チャパーエフは梶との約束を守った。「スパシーボ」丹下と再会。 第六部 #039/P269 「寺田は死にました」桐原を殴殺して脱走。決定的な絶望的な行動。 第六部 #040/P277 美千子の「民主日報」 第六部 #041/P286-294 「ニポン、コジキ、カ」最期の肉饅頭。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560810 人間の条件 〜 千三百万部のベストセラー初版 〜 (20080308)
| 1958年01月29日(水) |
映画私帖 〜 醜女を演じた美女 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580129 Ex libris Web Library;Morgan, Michele ── 《両面の鏡 Le Miroir a Deux Faces 1958‥‥ Italy 19600306 Japan》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/********** …… (19580129)パリの警察署では、有名な整形外科医ポスタ博士を 射殺し、自首した男の取調べが行われていた。 その男の自供につれて、 次のような事実が明るみに出ていった。―― 物語は10年前にさかのほる。ピエール・タルディヴェは中学校の数学 教師で、30才になるがまだ独身だった。性格が弱く、ぶおとこで、無趣 味な彼も、最近ようやく結婚する気になり、新聞に�犧覆魑瓩燹蹐旅�告 を出した。ただし、配偶者の容貌には何も条件をつけないと書き加えて。 そして応募してきた女性たちの写真を見くらペながら、なかでも一番 不器量な、自分にふさわしい女性を選ばうとしている様子であった。 http://group2015.web.fc2.com/Italy/miroir.html
Cayatte, André 19090203 France 19890206 80 /《裁きは終りぬ》 Bourvil 19170727 France 19700923 96 /《仁義》 ♀Morgan, Michele 19200229 France 20161220 96 /《落ちた偶像》
http://q.hatena.ne.jp/1545451998#a1269870(No.4 20181224 05:34:34) http://q.hatena.ne.jp/1545451998#a1269855(No.2 20181222 18:20:58) 一声二顔三姿 〜 ダンディズムの条件 〜 若き日の津川 雅彦は(週刊新潮で)記者会見の発言をからかわれた。 「フランス旅行での収穫は?」「女が、よかったです」「?」 実は、最盛期のミシェル・モルガンに会っての印象を語ったのだ。 …… 洛星中学校から同志社高校、早稲田大学高等学院編入・中退。 明治大学付属中野高等学校、明治大学文学部、文化学院卒業。 ……(洛星は)1951年に学校法人として認可され[5]、1952年に中学校 が、1955年には高等学校が創立された(Wikipedia)。 津川 雅彦の中高学歴は、誤って(逆に)記載されている。 同志社中学校から洛星高校(=正/誤=)洛星中学校から同志社高校 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090706 惜春帳 〜 同志社中学三学年 〜 同志社高校でなく洛星高校へ進んだのは、通学の便宜によるものか。 当時の洛星は、背広の制服で知られたが、似合う者は限られていた。 むしろ津川は、似合いすぎて目立ったので、転校したのではないか。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19740829 ベルばら 〜 ベルとバラの日々 〜 https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%B4%A5%E5%B7%9D%20%E9%9B%85%E5%BD%A6&ao=a
http://twitter.com/awalibrary http://twilog.org/awalibrary(ツイログ検索) http://booklog.jp/users/awalibrary(書籍目録) | http://q.hatena.ne.jp/adlib/(はてなQ&A) http://d.hatena.ne.jp/adlib+bilda/(準公開) https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gswyn755 | http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19580129 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
(20181224) ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580120 >> 高校氷上 第三日 男子個人 佐々木に栄冠 フィギュア 全国高校水上選手権大会第三日の二十日は、午前七時から盛岡市高松 ノ池特設リングでアイス・ホッケー一、二回戦五試合、同八時からスピ ード女子三千、一千、男子千五百、男子一万の五種目、フィギュアは フリーを行った。予定されたアイス・ホッケー準決勝を最終日に延期し たが、スロードでは女子三千に室間(室蘭●水丘)佐藤●子(南佐久実) 男子一万で小林(●谷工)鈴木(釧路潮●)三浦(盛工)と五つの大会 新を出した。団体では男子は苫工、盛工が1.5点差でせり合い、女子は 南佐久実が大量55点をあげ二位八戸東を30点引離して三連勝を確定した。 アイス・ホッケーは苫小牧工、日光、釧路潮●が大差で、また愛知が 作新学院を接線の末破り準決勝に進出した。 フィギュア男子は佐々木(同志社)が断然強く、女子は吉原(金蘭会) が優勝候補の金子(川村女子学園)●●(金城学園)を押えてそれぞれ 優勝、団体では男子は同志社が初優勝、女子は金城学園が二連勝した。 ◇…フィギュア…◇ 【男子】�〆粥耕敝卞鵝米瓜崋辧�82・67(スクール 47・1、フリー 34・97) 席次数3��垣田(日大)70・58 ��今野(横浜)69・69 �ぞ�泉 (同志社香里)�ゾ�林(甲南)藤田(愛知) △得点=�‘瓜崋劭隠悪�愛知10�F�大9�げI唯賢テ瓜崋匚疥ぃ鍬�甲南6 【女子】�ゝ噺兇箸�子(金蘭会)76・68(スクール 46・0、フリー 30・68) 席次数 5・5 ── 《同志社が初優勝 19580121 京都新聞》第27372号 ──────────────────────────────── 悲痛だった吉葉山の記者会見 〜 九日目の土俵から 〜 けいこ場の壁に「静粛」の張り紙がある。いつもなら元気な掛け声が 響いてくるのが、この日の吉葉山道場はお通夜のように静まり返ってい た。ただ気負う報道陣が続々と詰めかけるだけ。吉葉山引退かどうか。 緊張はいやがうえにも道場の空気を重苦しいものにしていた。やがて十 二時十八分まちかねた報道陣の前に高島親方を先頭に吉葉山、中尾後援 会長が現われる。百人あまりの報道陣でギッシリ詰ったけいこ場ぎわの 十六畳の広間中央に紅潮した吉葉山がすわり「きょうかぎり引退します」 としわがれた声で発表、心なしか語尾がふるえていたようだ。つづいて 中尾会長が後援会の声明を発表する。 「二十九年初場所全勝優勝し、横綱なっていらい一生懸命土俵を勤めて きたが相次ぐ病気、負傷のため武運つたなく初場所で土俵を去ること… …」 その間吉葉はうつむき加減に会長の読む一語一語に耳を傾けていたが、 握りしめるあコブシも限界にきたのか、クリリとした大きな両眼から大 粒の涙がせきを切って流れ落ちた。胸に去来するものは過去二十年間の 土俵の喜び、悲しみ、苦しみだったろう。会長の声明が終ると吉葉はわ れに返ったかのように大きな手の甲で横一文字に涙をぬぐい「私は不思 議に3の数字に非常な縁があった。初土俵が昭和十三年、三十年初場所 から三場所連続休場、引退が三十三年です」としわがれたふるえ声で静 かに語った。思えば四年前二十九年前初場所に輝く全勝優勝を遂げ四十 三人目の横綱に推された時のあのはなばなしさはなく沈痛な記者会見で あった。 ○●…横綱吉葉山引退も、東西両支度部屋は予期していた通りという 顔。三横綱の土俵入りが終ると栃錦は「とても人ごとでない。あすはわ が身だからね」また鏡里は「ハラは決めているんだから……」とそれぞ れ毛布を体にかけて横になった。 ○●…横綱陣の取組前に、場内アナウンスが初めて吉葉山引退を放送 した。このショックでもあるまいが千代、鏡の両横綱がコロリ、コロリ と倒れる。首をまげ、考え込むようにして引揚げてきた千代の山は「先 に行きすぎた。攻めに出なければ水が入るのにね。ちょっと勝をいそい であわてた」と案外明るい表情。花道を寂しそうに引揚げてきた鏡里は 「勝とうと思って出たからいけないんだ。あわてたんだ」とさっぱりし た顔。 ○●…千代を下手ひねりで破った琴ケ浜は「右四つで相撲を取ったの は生れて初めてだ」また鏡里を押出しで勝った若前田は「初めて勝った。 決まった時、横綱が四つんばいになっていた」とうれしそうに笑顔がい つまでも消えなかった。 ── 《大手でぬぐうホオの涙 19580121 京都新聞》第27372号 << ── Cop'19580121 Sasaki 紙面右方に、大相撲横綱・吉葉山の引退(19580120)記者会見。 寝太郎(追辞)〜 Epilogue 〜 昭和三十三年一月、同志社高校二年D組の司級・獅子堂静雄(生物) 先生は、居眠りしている生徒の肩をドついて目ざめさせてから、この日 の大ニュースを伝えた。 「いまごろ居眠りしおって、なにも知らんナ。けさの新聞をみるヒマも 無かったんやろ……」 いつもながら先生の話は、あらぬ方角からはじまるので、最後の一言 まで聞きのがせない。よくわからないまま寝太郎も坐りなおす。 「帰ったらすぐに、けさの新聞を読んでみいよ。だれが写っとるか……。 わしゃ惚れぼれしたで、その笑顔の良ぇこと、あれこそ日本一の晴れ姿 やった、……(あとはムニャムニャ)」 陶然とした表情のまま、先生は出席簿をかかえて教室を出ていった。 だれかが「なんのこっちゃ?」とたずね、だれかが「ササキのことや」 と答える。なんぞ悪いことでもやったにしては先生の表情と合わない。 「あいつ、何しょったんや」という声に、みんなが彼のほうを見ると、 席は空っぽである。本人が居ないから、事情を知る者をさがしだすと、 フィギャー・スケートで優勝したのだという。 それも、昨年の優勝を譲った相手からタイトルを奪還したという。 その伝聞によれば、連日未明に起床してランニングしていたという。 そのまま無人のスケート・リンク(当時はじめて完成した京都アリーナ) に到着するや、たった一人で氷上を滑走するという。ときにはコーチも 付くのだろうが、想像するだけでゾっとするような寂寥感がある。 あるいは、氷に対する厳しさを少年のような心につつんで、だれもが 知らない世界に賭けていたのであろうか。 中学一年からの同級生である寝太郎と、二人そろって授業中に眠りこ けたことはあるが、そんな話は聞いたことがない(へぇ、彼はスケート なんかやってたのか)。 それにくらべて寝太郎ごときは、チェロを抱えて登下校し、わずかな 休み時間にセコセコ鳴らして、放課後に数十人をかりあつめて棒を振る など、いかにも世俗的である。 この冊子を発送する前日、一冊の宛名を書きかえることになった。 そのいきさつを、ここに書きくわえたい。 誰に約束したわけでもない、自分のための覚書きのような文集だから、 いずれそのうちまもなく、など五年もすぎてしまった。世間がはしゃぐ “ミレニアム”につられて、世紀末に終えることにする。 宛名を確認しながら、ふと彼がスケートで日本一になった直後の姿を 思いうかべてみるに、当時の新聞を見ていないし、のちの友人たちも、 現場で応援した者はいない。本人が見せびらかすことはないから、彼の 友人であることを自慢するにも、年月日だけでも知っておきたい。 そこで彼に「いつか、新聞のコピーでもよいから送ってくれないか」 と伝えるために電話をかけた。 この前に電話したのは、昨年九月八日午後十時ごろである。東京出張 のため不在だったので、二十七年ぶりに良子夫人と話をする。 「来々年は、カレも還暦なのよ」 「ボクはもう済ませたけどね。彼は何月生れだったかな?」 「三月三日、おひなまつりよ」 「だから二人も娘ができたのかな、両親ともに美男美女だから、天は不 公平だね」このあと夫婦のノロケばなしにつきあってしまう。 「奥さんと話しこんだから、ダンナはもう電話くれなくてもいいや。ど うせ用なんかないんだから」と受話器を置いた。 先の電話から三十九日後、彼女は未亡人となり、一周忌から七十五日 もたって、まぬけな悪友は、なぐさめる言葉もなかった。 「そうか、たいへんやったね。新聞の日付をしらべて、かならず写真の コピーを送るからね」 そのあとすぐ、葬儀に参列したはずの友人にたずねた。阪急電鉄では 社長室長もつとめたというから、冠婚葬祭の専門家にちがいない。 「君の印象では、彼の名誉はりっぱにたたえられていたか?」 「こう言うのもなんだが、はなやかなもんやった。オムロンの“大社長” はじめ、めぼしい友人はほとんど来ていた。小学校の同窓生とやらで、 中村玉緒なんかの花輪もあった」 「いまごろになって、ボクにできることはないか?」 「そやなあ、線香にそえてお悔やみの手紙でも出したらええんちゃうか」 「抹香くさいのは似合わんから、手紙を書こう」 (Day'20001221-1223) ──────────────────────────────── 佐々木 敏男 19400303 京都 19991017 59/19580120 Champion ! Figure Skating〜《世界大百科事典 平凡社》国民体育大会/スケート 当時のコーチを三十歳とすれば、現在七十三才。佐野 稔(二歳)、 伊藤みどりはまだ生れていない。 吉田 肇によれば、佐々木の死の当日、夫人はアメリカ出張中だった。 (不確実な伝聞によれば、彼の父もアメリカで客死したという) 中村玉緒(19390712生)は、立誠小学校の同級生(1993廃校)。 安田幸世は優勝当日の目撃証人。文部科学省の記録によれば、彼自身 も出場していた。 Let'604-8074 * 佐々木 良子 様 やや季節はずれですが、あなたの故郷にちかい静岡産の温室メロンを、 送ります。 あのあと、西山ドライブウェーの吉田 肇 君に電話をしたら、 「あれくらいヨメはんに惚れられたら、佐々木も男ミョウリやで」と、 うらやましがってました。だから、言ってやりました。 「オマエなんか、いまなんぼか稼いどるから、ヨメはんも大事にしてく れるけど、引退したらホッとかれるぞ」 あなたは、敏男君のりっぱな遺伝子を受けついだお嬢さんを、二人も 育てあげたのだから、これからもいっそう誇りたかく生きなさい。 もし、彼の悪口をいう奴がいたら、かならずボクに云いつけなさい。 ボクがきつくしかってやります。 彼のことを思い出したら、ボクにも電話しなさい(女房がやきもちを 焼くかもしれんが、ナニかまうものか)。 十七歳のときの彼の写真が載っている新聞を見つけ出して、かならず コピーを送ります(すこし時間はかかるかもしれないが)。 こんどのボクの本には、彼のこと、あなたのこと、やしき・たかじん のことなど、あちこちに書いてあるので、親しい友人や、先生たちにも 贈ることにしました。 ではまた。 Fax :086-46*-**** E-Mail : awalibrary@dream.com ──────────────────────────────── 710-00*-**** 阿波 雅敏 086-46*-**** 20001224 Mai'20001222 from 西山ドライブウェイ株式会社 お問い合わせの方々の住所は下記の通りです。 中沢由美 610-1153 * 栄楽祥子 573-0033 * 河原満夫 610-0331 * 吉田 肇 610-1124 * ──────────────────────────────── *死亡記事/《ヨミダス》参照 Tel' & Fax'20001225 from Mr.津田(京都新聞社・読者応答室) Pho'19991019-20001225 075-241-5421 >> 佐々木 敏男(ささき・としお=府スケート連盟理事、元同大フィギュ アスケート部ヘッドコーチ)17日午後8時58分、腹膜炎のため京都市上 京区の病院で死去、59歳。自宅は京都市中京区朝倉町534。告別式は21 日正午から京都市上京区堀川通出水下ルの京都中央祭典ホールで。喪主 は妻良子(りょうこ)さん。 ── 《京都新聞 19991019 》 佐々木敏男氏(府スケート連盟理事)死去=京都 佐々木 敏男氏(ささき・としお=府スケート連盟理事)17日午後 8時58分、腹膜炎のため死去。59歳。告別式は21日正午から京都 市上京区東堀川通出水下る192の1の京都中央祭典ホールで。自宅は 同市中京区富小路通三条下る朝倉町534、富小路アーバンライフ60 4。喪主は妻、良子(りょうこ)さん。 ── 19991019 大阪朝刊 丹波セ 28頁 144字 01段 /読売新聞 連盟委員を登録取り消し/日本スケート連盟 日本スケート連盟は21日、関西ブロック選出のフィギュア委員佐々 木敏男氏の連盟登録を取り消した。事実上の除名。佐々木氏は、連盟や フィギュア委員会の運営を批判した文書を再三日本体育協会など関係機 関に送付。連盟は、こうした文書の内容が事実に反し、連盟の名誉を傷 つけた、と処分理由を説明している。 ── 19950722 東京朝刊 スポA 23頁 00144字 01段 日本スケート連盟は4日、都内で理事会を開き、米同時テロ事件を受 けた危機管理委員会(委員長=松本充雄専務理事)を設置した。来年2 月に迫ったソルトレークシティー五輪動向の情報収集と、日本代表選手 の安全管理対策などが狙い。外務省や日本オリンピック委員会(JOC) の米国派遣職員らとの連携を密にしながら、近日中にも第1回委員会を 開く。 委員会は松本委員長以下、各競技部門の強化部長らがスタッフ。現在、 スピードスケートでは金メダル候補の清水宏保(NEC)ら選手、コー チら35人がカナダ・カルガリーでの氷上合宿を行っているが、ソルト レーク合宿は見合わせている状況。また、ショートトラックの日本代表 チームは、北米遠征のため今月11日に代表選手が渡米する。 ── 20011005 MSN=YOMIURI ON-LINE << ―― 安田 幸世 やすだ・こうせい 昭15.5.5 伏見 政1 民社党 府運連副書記長 同志社大経 〒612 (075-64*-****) ―― 《読売人名録 19910301 読売新聞社》P658 ──────────────────────────────── →《落第生は二度眠る 〜 寒月の右手 〜 20030115 》 →《幻の弦楽技法 〜 出谷 啓氏への未投函書簡 〜 20030115 》 →《チャンピオン 19580120 与太郎文庫》 ―― 《同窓会始末 19710115 》虚々日々 P223 ―― 《アキレスとメロス 19711114 》虚々日々 P127 ―― 《くたばれ!たかじん 19960606-0607 》虚々日々 P234 ―― やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 》虚々日々 P232 (20060109)
| 1958年01月12日(日) |
色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112 >> 色盲に矯正の喜び 新居浜市の中学の先生 苦心の治療研究 【新居浜発】一生治らないものと思いこまれ、医学界でも全く見捨てて いる色盲、色弱の治療方法を、中学校の図画担当の若い先生が研究して 成功、近くアメリカの眼科学界専門雑誌に発表される。新居浜市泉川中 学校の牛尾邦香教諭(27)=同市坂井=である。同教諭が考案した色覚 矯正器は、すでに百人に近い色神異常者の色覚をよび戻し、早いものは 三週間、難症でも三カ月で治し、大学入試や自衛隊、警官、船員の採用 試験にパスして喜ぶ若人や肉親の手紙が舞込んでいる。眼科医(別子住 友病院川井健二医博)の追試の結果もこれを裏付けており、今月からこ の矯正器で本格的な基礎実験と追試にのり出す岡山大学医学部眼科教室 の赤木五郎主任教授もその理論を激賞、同教諭の「先天性色神異常の矯 正に関する研究」という論文と追試結果の詳細を国外に紹介発表するこ とになったもの。 一昨年の夏、美術の授業中、補色対比を説明するため、色紙で残像実 験をした。真白い画用紙の上に赤色の紙を置き、二十秒ほど見つめさせ た後、その赤い紙をサッと取り除くと、色覚の正しいものは画用紙の上 に赤の補色(陰性残像)である青緑か緑色が必ず浮ぶ。ところが、ある クラスで「全然見えない」という生徒が四人いた。色盲検査表で調べる と、四人とも完全な色盲か色弱の生徒だ。美しい七色のニジを一本の黒 線に描く生徒ばかりだった。そこで牛尾教諭は「色神異常者は残像が現 れにくい」ことを知り、この残像実験を繰返すことによって視細胞を刺 激すれば、眠っている色に対する能力がよみがえるのでなかろうかと推 理し、全校の色神異常者を集めて推理を行動に移した。 根気のよい残像実験を続けているうち、少しずつ残像の現われてく る生徒が出て来た。医学的な裏付けは別として推理は的中したわけ。 そこで昨年のはじめ、授業の合間をみては箱型の光学設計の矯正器を 手製でつくりあげ、色盲の生徒三十余人を対象に毎日反復、経過や結 果をコツコツ記録、カルテを新居浜市住友病院の眼科医川井健二医博 (三五)の元へ持込んで、着想が医学的に成立つかどうかを質した。 「理論は立派に成立つ」という答に勇気づけられ、矯正した生徒十余 人を連れて、日曜ごとにこの道の権威である岡山大学の赤木教授に精 密検査をしてもらうため通い続け「正常」と診断される生徒がふえて ゆくに(略 〜 欠落 〜) 牛尾教諭の話(略)の門をたたくツエともなれば幸いである。あとは専 門の眼科医がバトンを受継いで追試してもらえばよい。論文は全国の 医大や名のある眼科医に三百余送ってある。むしろ反論が出て、色覚 理論闘争が展開されることを望んでいる。それが色覚異常者を一日も 早く救う道だから…。 川井医博の話 二カ月にわたり四坂島の子供十人を対象にはじめての追 試をしてみたが、アノマロスコープの精密検査の結果、一人は完全に 治り、他の九人も色覚がうんと出てきた。トレーニングを続ければ治 る見込みは十分だ。いままでの医学界の常識では、基礎実験から結果 が生れるのが普通だが、こんどの場合は逆に結果が先に出たため、問 題がむつかしくなった形。できるだけ多くの眼科医が追試して牛尾氏 の研究を認め、さらに完全なものが生れることを期待したい。 赤木教授の話 牛尾君のアイデアは弱視治療の原理と同じで、その鋭い 観察と推理の運び方は敬服すべきでぜひ外国の雑誌に発表するよう私 からすすめた。理論的にも色盲矯正の可能性は十分成立つし、昨年、 私の元へ連れてきた治療中の生徒をアノマロスコープで測定したが、 効果は確かにあった。新しい矯正器も届いているし、十分追試し、私 の方からのデータも別に外国の雑誌に発表したいと思っている。 西条市氷見町朝日、無職 山内時子さん(43)の話 遺伝のためか母子 三人とも色盲で、一昨年長男裕明(19)が倉レ西条工場の入社試験を うけ最後になってはねられた時は望みを失ってしまいました。しかし 昨年六月から1ヵ月間通って矯正したおかげで裕明は完全になおり九 日によろこんで善通寺の自衛隊に入隊しました。いま機械を借りて来 て次男貴明(17)=西条高校三年=と私が矯正していますが、全然ち がった色の世界にはいったようで母子で喜んでいます。(この項西条) ── 《毎日新聞 19580112 京都版》 << >> 阿波 雅敏 様 前略 色盲にてお困りの様子ですが、誠にお気の毒に存じます。 牛尾氏の色盲治療法は原理は面白い着想ですが、未だ研究途上 のものであり、実際的な効果が必ずあるとは現在までの所では云い切れ ません。今後更に研究しなければ判らない段階です。 目下私共の教室でも、この研究を行いつヽありますので、この点が 明かになった上で治療を行われる様おすすめ致します。 尚現在行っている方法は、一治療を終了するに約一ヶ月を要します。 念のため申し添えます。 月 日 ___________様 岡山大学 医学部 眼科教室 右の通りですから、追試の結果が出るまでお待ち下さい。そして その後にもう一度 お問合はせ下さい。 岡山市岡 164 岡山大学医学部付属病院 岡山大学医学部 (Let'595 19580219-0305 消印・孔版返書) << ── 【色盲】しき‐もう 2(比喩的に)物事の状態や道理などを識別する能力がないこと。 ── Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) → 《山陽新聞 19890528 》ほか・参照。
Dalton,John “Daltonism”17660906 England 18440727 77“色盲論,1794”気象化学 Helmholtz,Hermann Ludwig 18210831 Deutsch 18940908 73“三原色,1894”Ferdinand von Ladd-Franklin,Christine 18471201 England 19300305 82“色覚発育説” America
── ドールトン 2) /イギリスの化学者、物理学者。12歳で学校を開 いて村の子供たちを教えたが、15歳のときケンダルの町で兄とともに学 校を経営し、またこの頃から気象観測を始め、以来その死まで57年間こ れを2万回続けた。それまでに行った研究発表は、極光の観察を含んだ 気象に関する主著《Mateorological observations and essays,1793》に 発表され、更に色盲についての詳細な記述を発表したが(1794)、彼自身 も色盲であって、これ以来色盲を“Daltonism”と呼んだ人々もある。 ── 《西洋人名辞典 19840620 岩波書店》P935-6 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101 >< http://d.hatena.ne.jp/adlib/archive?word=%BB%E0%B7%BA ↓keyword“色盲・色弱・色覚” http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580112 色盲矯正法 〜 門をたたくツエ 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19590220 異験 〜 色盲検査表の原理 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641210 《点展・第一号》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605 早くセネカ! http://d.hatena.ne.jp/adlib/19990603 色覚異常 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001231 《虚々日々》目次 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010517 麿は磨ちがい団ちがい 〜 團家の人々 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021122 ぬばたま http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030726 解剖学者の脳 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101 色盲検査 〜 教育委員会の迷妄 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060707 総目次 00000000〜200601106 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060906 九月六日生れの人々 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071114 色盲色弱の謎 〜 終りなき誤解 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080926 明日に向って眠れ! 〜 古きよきアメリカの新顔 〜 (20080929)
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