与太郎文庫
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1969年11月22日(土)  楽中楽外 〜 音楽家たちの夜と昼 〜


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│ adlib/19691122
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 楽中楽外 〜 音楽家たち(イ・ムジチ)の夜と昼 〜
 
 イ・ムジチ合奏団といえば、レコードにしろ実演にしろ、いささかの
隙もなく、はりつめた、まるでカミソリのような音をつくり出す。その
彼らだって、酒を飲んだり騒いだりすることもあるだろう。こんどの来
日では、22日間というもの、休みなしの連続公演で、第七夜を済ませた
一行は、疲れもみせず最近発足した、若い女性ばかりの弦楽合奏団“オ
ルケストラ・ダルキ・フロラルコ”の夜食招待に応じて、正装のまま近
くのレストランにあらわれた。
 日本のレストランの出す料理などイタリア人にとって、ほんのオード
ブルまがいではないか、との招待側の心配もあったにちがいなく、しか
るに彼らは予想したよりも、つつましく飲みかつ食べていたのは御同慶
の至りである。
 フロラルコを主宰する田村隆至氏が歓迎の意ならびに自己紹介をのべ
るとリーダーのミケルッチ氏は“女性ばかりとはうらやましい、こちら
にも3人はいるんだがね”と両手をひろげてみせた。きけば、フロラル
コが三日後にデビュー・コンサートを催すのに6ヶ月間の練習期間しか
なかった点が、イ・ムジチの発足当時と同じだそうだ。“イタリアに来
ればおおいに歓迎しよう”と、居ならぶ妙令の花を前にして気嫌の悪い
はずもなく、メンバーの誰かが“こんなに女性がいるんだから、もっと
仲良く坐ろうではないか”と提案したので、フロラルコ諸嬢は万博のコ
ンパニオンよろしく宴席に散ることとなった。この日のために彼女らは、
練習の合間を縫ってイタリア語の勉強を重ねたときくが、彼らのあまり
の早口に、結局はほとんど役立たなかったようである。
 フロラルコとしては、せっかくの機会だし、なんぞ参考になるような
意見でもきき出せればと期待して、あらかじめイタリア語に堪能な中川
先生に来てもらっていたのだが、つい先ほどまで他処で、客人をもてな
した続きとかで先生“今宵はさっぱり調子が出ない”といわれる始末。
しかし頼りにしないわけにはいかず、なんぞはやく、とあせるうち食べ
るものも飲むものも片づいていくほどに、心残りを記念写真に託して、
おひらきとなる。
 “演奏してみないか”とフロラルコにいったのは、単なる社交辞令で
あったかもしれぬが、すでに遅し。なかに楽器のケースをひらいて見せ
てくれる気のよいメンバーもいた。
 二次会という習慣がイタリア紳士に通じたのか、ボスをはじめ3−1
−2の変則編成とこちら4人、まさに“秋の酔っぱらいたち”となるべ
く出発した。
 誰が案内したのか、何をどうまちがったかゴーゴー喫茶の椅子に落着
いた一行10人、中川先生はおもむろに調子をとりもどしておられるよう
だが、あとの3対6は依然ことばが通じない。いつでも取りだせるよう
ヴァイオリン・ケースを胸に、リンガフォン仕込みの耳をそばだてる田
村先生、ほぼあきらめて腕ぐみなどしている門コンダクター、禁酒中と
かでジュースをなめている今席のスポンサーT氏、筆者ときては、なん
ぞ記事になることあらばと、片言の英語でも通じないだろうかとボスに
話しかけたが、悠揚と首をかしげ、応じてはくれぬ。ヴァイオリンのア
ポストーリ氏が少しできるらしいので、そちらへ行くと“今宵はまこと
にグラツェである”といいながら、要するに隣の超ミニスカートに気を
とられていて、一向に話は進まない。
 チェロのストラーノ氏が、いちばん陽気にしゃべってはいるが、どう
も参考になる意見ではなさそうだ。むしろ超ミニたちが、結構話をつけ
て、一緒にゴーゴーを踊りだす始末。チェロのチェントゥリオーネ氏は、
タンバリンを打ちながら、ビートルズの音楽に合せてつい正式に踊って
しまう。
 もう一軒誘っても、迷惑そうでもなく、こんどはスナックの円卓をと
り囲む。考えれば彼らのレコードが、日本の、数年間の四季を通じての
ベスト・セラーであり、それぞれはたいへんな金持のはずであるが、さ
したる素振りもなく、ボスはおおむね無口で、ビールをスイッ・スイッ
と飲んでおり、ヴァイオリンのヴィカーリ氏は、塩昆布をつまんで“こ
れは海の草かな”とたよりない手つきでパクついている。ヴィオラのベ
ンニーチ氏に至っては、他の店から応援に駆けつけたホステスの和服の
八つ口に腕を通してみて、みんなに“おい、どうだ”と自慢している。
 当然ながら、ホステスたちは一行が何者であるかを知らない。“ねえ、
この蝶ネクタイでめかしこんだ人たち、いったい何屋さん?”と尋ねる
ので、イタリアから来たサーカスの団長と主なる猛獣使いの一行である、
と教えてやった。中川先生にそれを翻訳して貰うと“アクロバッティ?”
といっただけで動じない。つまりこの冗談、うけなかったわけだ。しか
し、ひとりとして退屈したようすもなく、夜もふけて、いよいよホテル
に帰るとなって力づよい握手とともに“グラツェ”を連発していたから、
案外に彼らにとって、この夜は参考になったのかもしれない。
 とりまとめていえば、演奏家たるもの一種の“時間芸術”に賭けてい
るわけで、こんな他愛もない時間といえども、実は眠ることと同じくら
い必要なのかもしれない。
 田村先生の、すべてのイタリア語を動員してのやりとりで彼らは、本
番前の8時間もの練習を常にして“同じように演ろうとしてもどこか変っ
てくる、解釈や意図の転化ではなく、それこそわれわれの音楽なのだ”
というようなことをいっていた。
 彼らがレコードと同じことを演るかどうか、息をのんで集まった当夜
の聴衆のひとりとして、あえてプログラムをかえりみるならば、《アイ
ネ・クライネ・ナハト・ムジーク》とか、アンコールでバッハの《アリ
ア》を、いとも音響的に整理する意図のうちに、あれかこれか、という
切りすての態度も評価せざるを得ない。逆に作曲家や聴衆は、常にあれ
もこれも、という願望が先立っているのかもしれない。そして、彼らが
どんなにレコードとちがったことを演ったとしても、やっぱり、レコー
ドは売れつづけるのではないか。
 
…… 宴会は早い目に、喧嘩は遅い目に。
http://blog.btrax.com/jp/2017/06/30/contact/
 米デザイン会社で実際に利用されている1ページだけの契約書
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http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4140340452
── シェークスピア《ヘンリー四世 1597 England 198211‥ NHK》
https://twitter.com/awalibrary/status/881914103199023104
 
*こちら5人/あとの4対6は依然ことばが/一行11人
*今席のスポンサーT氏=田中 義雄*増田 勇三先生=忍&明の父
 Play Back《イ・ムジチ合奏団 196911‥ 京都公演》Photo by Awa ?
 
 バイオリン教室を主宰する増田先生に「アンコールは何でした?」と
問われたので「バッハのアリアでした」と答えると「なにか印象に残る
ようなことは?」「?」
「コントラバスの木目が綺麗でしたね」「ほかには?」「ステージ中央
に一つ、左右に一つづつ照明がありましてね、つまりそのハゲ頭が都合
よく配置されてましたね」
 にこりともしないで立ち去った先生の姿は、レストランにあらわれた。
数人のメンバーに楽器を見せてもらうのが、いつものことらしい。
 あとで気づいたことだが、先生は演奏会そのものは聴いていなかった
のだ。だからアンコールの曲名を知る必要があったのだ。
 
‥‥ 約一ヶ月の滞在期間は短いものでしたが、変化に富んだ旅をする
ことができました。地方都市の中で、ことに私の心に焼きついたのは広
島です。イタリアにいた時には実感し得なかった原爆の激しさと悲しさ
を、広島の記念館で資料を見たとき初めて肌に感じ、市内を歩くにつれ
て痛ましい思いが募って、その夜の舞台で『G線上のアリア』を弾いた
時には、とうとう涙をおさえることができなくなってしまいました。イ
タリア人の感傷とおっしゃるかもしれませんが、日本にある原爆をテー
マにした合唱曲、シンフォニーなど、すべてを知りたい気持です。
‥‥ ロベルト・ミケルッチ(イ・ムジチ合奏団・第一バイオリン)
── 《掲示板 19691213 週刊新潮》


 アポストーリ     Violin 19‥‥‥ Italy /
 ヴィカーリ      Violin 19‥‥‥ Italy /
 ベンニーチ      Viola 19‥‥‥ Italy /
 ストラーノ      Cello 19‥‥‥ Italy /
 チェントリオーネ   Cello 19‥‥‥ Italy /
 
 上記は、次々号《アルペジオ》用に抜き書きしたメモ。
(ミケルッチ氏は、写真前列の右から三人目)
 下記は、歴代イ・ムジチ合奏団コンサート・マスター《四季》録音
 
 Ayo, Félix      Violin 19330701 Spain       /1[1952-1969]
 Michelucci, Roberto Violin 19221029 Italy 20101113 88 /2[1969-1973]
 Accardo, Salvatore  Violin 19410926 Italy       /3[1973-](2人制)
♀Carmirelli, Pina   Violin 19140123 Italy 19930226 79 /3[1973-/ 4[1982-1988] (単独)Giuseppina
 Agostini, Federico  Violin 19‥‥‥ Italy       /5[1988-199.]
♀Sirbu, Mariana    Violin 1949‥‥ Rumania      /6[199.-2003]/シブル?
 Anselmi,       Violin 19‥‥‥ Italy 201907‥ ? /7[2003-2019] 急逝
 Spadano, Massimo   Violin 19‥‥‥ Italy       /8[201907‥-] ゲストマスター就任 201910‥ 日本ツアー

 
 ■ フロラルコ(花の合奏団)デビュー
 
 ふたたびフロラルコについて書くのは特に本誌との関係があるためで
はない。十字屋楽器店のきも入りという面はいくぶんあるらしい。指揮
者の門 良一(かど・りょういち)氏は、京大交響楽団で9年も振ってい
たので、ポスターなどでおなじみの方も多いはずである。なにしろほと
んどが未婚の女性でもあり、主宰者をして“彼なら安心”といわせたと
か。どうせ振るのが仕事だから、そんなことはどうでもよいが、13日シ
ルク・ホールでの初演奏会では、大フィルのチェリスト武藤俊介氏を迎
えて、きちょうめんなプログラムを組んでいた。
 同じケースでは、服部良一氏の女性交響楽団が耳あたらしいし、本来
N響やイ・ムジチに迫るという性質のものではないが、かといって中途
半端なセミ・クラよりも、いわば大人むきの、現代的なサロン・オケに
成長してほしいものだ。従来のサロン風オケといえば、ごく最近まで、
NHKがテレビなどで、もっともらしく演出していたが、いちばん物足
りないのは技術より以前の、音楽的活力ではなかったか。今さらいうこ
ともないが、とくに無表情がいただけない。
 うやうやしい侍女たちになるよりも、のびのびした娘らしいステージ
・マナーが、今後の評判を決定することになろう。たとえば、振袖で勢
揃いしたお嬢さん方が、さっそうとモーツアルトを弾く図など、想像す
るだけでもたのしい。
 
 ■ 京響に渡辺暁雄氏内定 
 
 果してどうなることか、と心配されている京響問題のひとつに、よう
やく結論が出たようだ。21日の京都新聞朝刊によると“……外山雄三氏
の後任について人選を進めていた京都市は、このほど元日本フィルハー
モニー交響楽団常任指揮者でフリーの渡辺暁雄(50)を内定、来年四月
から二年間の約束で、一年ごとに契約する予定。……京響にもこれまで
客演指揮したことがあり、かつて常任指揮者候補にあがったこともある。
”というわけでまずは落着かと思えば“……一方、外山氏は市の態度を
不満とし、また同氏を来年四月以降も契約するよう主張している府勤労
者文化団体連盟など民主団体も署名や文化団体、文化人らを動員して外
山氏を支持。市の態度変更を求めていく態度を示しており、京響指揮者
問題をめぐる波乱は今後も避けられないとみられる。”始末で、京響フ
ァンならずとも気のもめることではある。これ以上複雑になるといけな
いから、あえて論評をさけるが、これまでのところ議論百出はおろか、
いわゆる識者の意見と称するものに、一向お目にかかれないのも不思議
である。投書欄でたしか一度だけ一般市民の声が載っていたようだが、
いわれるところの赤字7100万にかけても、たえずくわしい経過を知りた
いものだ。
 
 ■ 岩渕 竜太郎ベートーヴェン連続演奏会
 
 生誕 200年祭ともなると、各種の企画乱立も予想されるのであるが、
そういう懸念そのものは、おおむね東京中心・中央集権の現状を前提と
しているに他ならない。こと京都に関しては、乱立でもいいから、もう
少し筋のとおった演奏会が増えてほしいと思われる。
 もちろん京都会館あり、国際会館まである京都だから、いちおうは有
名タレントや交響楽団の来演もあるが、いずれも一発勝負の、ミーハー
・プロ優先で、骨のあるちゃんとした意図にもとずくものは、きわめて
稀なのである。その意味で、22日にはじまった連続演奏会に期待する人
たちは、少数ながらもいたにちがいない。音大の岩渕教授が、いわば満
を持しての再登場であるが、かつてのプロムジカ時代とは、立場も条件
も異なる上に、10ヶ月にわたるチクルスを、いかに盛りあげていくか、
衿を正して注目する所以である。
 第二ヴァイオリン弓山アヤ、ヴィオラ青柳朝子、チェロ白石将といっ
たメンバーたちはいずれも若いし、あらゆる意味でクワルテットの経験
が豊富だとは思えないが、斯界の大先輩にみっちり仕込まれ、胸を借り
ての公開のチャンスでもあるし、存分に腕をみがいてほしいものだ。第
1夜を聴いたかぎりでは、まだ決して“出来上った”クワルテットとは
いいがたいけれども、回を重ねるにしたがっての成長過程も興味あると
ころで、できることなら同じメンバーで永く続けて、定着した団体にな
ってほしい。
 本誌第5号の《弦楽四重奏談》での黒沼氏いわく、最近の聴衆の多く
が、レコードにおける完璧な音の世界に満足してしまっているのではな
いか、という問題についても、その答が出るには、こうした地元の演奏
会が数多く試みられたのちになろう。
 岩渕教授が、いかに果敢な決意で事に当っておられるか、たとえば第
2回以後の日程が定まっていないことにもあらわれている。つまり、額
縁よりも絵を描くことこそ先決だし、世話役である十字屋楽器店として
も極力つらぬいてほしい態度である。    (阿波)

 Vivaldi, Antonio     作曲 16780304 Italy Wien 17410728 63 /1740 消息不明 1680‥‥岩
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%F4%A5%A3%A5%F4%A5%A1%A5%EB%A5%C7%A5%A3
 Bach, Johann Sebastian  作曲 16850321 Deutschland 17500728 65 /〜《管弦楽組曲 No.3“アリア”》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%D0%A5%C3%A5%CF
 Mozart, Wolfgang Amadeus 作曲 17560127 Austria   17911205 35 /〜《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K.525》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%E2%A1%BC%A5%C4%A5%A1%A5%EB%A5%C8
 服部 良一      作曲・指揮 19071001 大阪 東京  19930130 85 /克久の父〜山寺の和尚さん/別れのブルース/湖畔の宿/青い山脈/蘇州夜曲/東京ブギウギ
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C9%FE%C9%F4+%CE%C9%B0%EC
 中川 牧三      テノール 19160309 京都 神戸  20080318 105 /京都日伊協会長/籍=牧太郎
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C3%E6%C0%EE+%CB%D2%BB%B0
 黒沼 俊夫       チェロ 19180103 東京 藤沢  19920728 74 /巌本真理弦楽四重奏団/京都市立芸術大学教授
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B9%F5%BE%C2+%BD%D3%C9%D7
 渡辺 暁雄        指揮 19190605 東京    19900622 71 /京都市交響楽団/日本フィルハーモニー交響楽団/作陽音楽大学長
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C5%CF%CA%D5+%B6%C7%CD%BA
 岩淵 龍太郎   ヴァイオリン 19280121 東京 大阪  20160105 87 /NHK交響楽団演奏長/プロムジカ弦楽四重奏団/京都市立芸術大学教授/岩渕 竜太郎
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B4%E4%CA%A5+%CE%B6%C2%C0%CF%BA
 外山 雄三     作曲・指揮 19310510 東京 /京都市交響楽団〜《ラプソディー》《外山雄三と語る会 19681101》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B3%B0%BB%B3+%CD%BA%BB%B0
 門 良一         指揮 19390726 大阪 /物理学/京都産業大学名誉教授
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 田村 隆至       Violin 193.‥‥ 京都 /
https://www.ekiten.jp/shop_4853884/
♀弓山 アヤ       Violin 194.‥‥ Japan /
http://aof.moo.jp/db/cgi-bin/sh_data/sh_data/11_10.html
♀青柳 朝子        Viola 194.‥‥ Japan /
https://www.facebook.com/public/Asako-Aoyagi
 武藤 俊介        Cello 194.‥‥ Japan /
https://minocon.jimdofree.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/history/
 白石 将         Cello 194.‥‥ Japan /松永クヮルテット
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C7%F2%C0%D0+%BE%AD

 
(20061116)(20220113)
 
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 YMDay(20031017-20211112)last up dated.


1969年11月12日(水)  日本の弦楽四重奏談 �� 岩淵 竜太郎氏に聴く

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691112
 
 京都市立芸術大学音楽学部教授というよりも、かつてのN響コンサー
ト・マスター、あるいはプロムジカ弦楽四重奏団のリーダーとして知る 
人の方が、より多いかもしれない。オールド・ファンならずとも、昭和
14年の音楽コンクールで優勝をあらそった江藤俊哉少年と共に、翌年は
新交響楽団とバッハのドッペル・コンチェルトを協演した天才2少年の
話題は、なんとなくなつかしいのである。京都定住数年、ふたたびクワ
ルテットを結成してベートーヴェンに取りくむ氏を囲んでの一刻はまた
たく間にうち過ぎた。

 ■ 譜めくりの時代

── 弦楽四重奏について いろいろ談じていただく というのが本来 
の企画なのですが お伺いしたいことがあまりにたくさんあるようです 
多岐にわたる異色の御経歴の持主と申してよろしいでしょうか たとえ
ば東京大学法学部出身のヴァイオリニストでいらっしゃる(笑)
岩渕 文科にしては 数学の点数がよかったとかで 運よく(笑)入っ
たのが終戦の年なんです 周囲では上野の音楽学校を受けさせるつもり 
だったらしいんですけれども
技術的にいちばん大切な 中学3年の頃から 勤労動員にかり出されて
畑を掘ったりして とても練習するどころではなかったし ほんとうは
迷ったあげくに 運命のいたずらとでも申しましょうか(笑)ところが
翌21年2月には 旧円封鎖によって実家の経済が急変いたしまして と
りあえず アルバイトをしなければならないことになり 英語の家庭教
師みたいなことをやっておりました そんなことなら もういちどヴァ
イオリンを弾かないか といってくれる人がいまして当時N響などのメ
ンバーがやっていたスモール・オケに入れてもらったんです これが実
は米軍キャンプをまわる楽団でして その いちばんうしろで弾くこと
になりました
── いま考えると ちょっと信じられないようなお話ですね(笑)そ
こでポピュラー・ミュージックなども弾かれたのですか
岩渕 メンバーの間では 大歌舞伎サワリ大全集などと申しましてね
リゴレットだのタンホイザーなどの ごく一部をつなぎ合せたもので
カール・フレッシュの編曲でしたかね こういうのは譜をめくる
だけでも慣れるまではたいへんでしてね まごまごしてるとウィリアム
・テルなんか ぜんぜん弾かないうちに終ってしまうんです(笑)人数
がすくないので 二三度まちがってバレたりしますと すぐクビになる 
んです だから小さくなって弾くわけですが 終ってから封を切ります
と50円入ってるんです 昭和21年のことですから ほんとに申しわけな
いくらい(笑)いただいておったのです
── なかなか止めるわけにはまいりませんね(笑)
岩渕 ところが 米軍バンドじゃつまらないだろう と幼い頃からお
世話になっていた渡辺暁雄さんから 東フィルに来ないか と誘われま
してね 当時の東フィルは一種の任意団体のようなもので いつ休んで
もかまわない といった条件で 私も まだ学校に籍がありましたし
お受けしたわけです
 同じ頃ちょうど 植野豊子さんを中心に チェロの橘さん ヴィオラ
の河野さん 第二ヴァイオリンには寺田さんたちで 東京弦楽四重奏団
というのをやっておりまして これは戦前から黒柳守綱さんなどが育て
て来られたものですが その頃植野さんが独奏活動に忙がしくなったし
代りにやらないかということになったのです
── それが 最初のクワルテットの御経験でしたか
岩渕 そうです 以前からブッシュとか カペー四重奏団をレコードで
聴いてあこがれてはいたんですが 実際にやってみると ききしにまさ
る面白いものなんです 22・23年頃ですから 一般公演はまだできなく
て ラジオ・リサイタルというNHKの番組で 野村光一さんの解説で
数回出演したのを記憶しております
 そんなことをやっているうちに 学校の方も だんだん疎遠になるし
そんなもの止めちまえ なんていう悪友がおりまして(笑)一方では 
シンフォニーも面白くなってきましたし どうせやるならN響に来ない
かと誘われまして どうも誘惑には勝てない性分ですから(笑)
── 最初からコンサート・マスターに着任されたのですか
岩渕 第2プルトの外側 つまり第3奏者として 1年ばかり見習いを
やりまして ローゼンシュトックが26年にふたたびN響の常任指揮者と
して来日した時から その任につきました

 ■ 忘れられない指揮者たち

── ローゼンシュトックといえば 例の江藤少年との天才二重奏いら
いの縁ですね 当時のN響は終戦後 いわゆる来日演奏家を一手に迎え
て協演した時代ですが おそらくその演奏長としての御苦労は たいへ
んだったでしょうね
岩渕 苦労もありましたが いい経験をさせてもらいました だいたいは
オケっていうのは 指揮者次第といいますか いい指揮者に会ったときに
は 実に会心の音が出るんです ローゼンシュトックが戦後なんとかし
て演ろうとして できなかった曲に ストラヴィンスキーの《春の祭典》
がありました これを実際にN響で振ったのが ジャン・マルティノン
だったわけです 彼とは忘れられない経験がいくつかありましたね
── 26年でしたね ときに折よく アイザック・スターンとの協演が
実現して 戦後初の大物同志の顔合わせと評判になりましたね
岩渕 そうです 特にマルティノンの《幻想交響曲》では 最初の練習
でしたが はじめ まるでリズムを明示しないんです われわれはとても
ついていけない ところが オーボー奏者として当時ウィーンから来て
いたシフトなどは それでちゃんと吹けるわけです そこで じゃもう
いっぺん といって振りはじめると こんどは実にうまくいくんです
おどろきましたね つまり はじめての オーケストラってものを彼は
一瞬のうちに見ぬいてしまうわけです 《幻想》という曲は 演奏する
側から どちらかといえばドタドタした作品なんですけれども(笑)あ
る意味で 当時のN響はウブだったというか 客観的にも技術の水準は
今ほどでなかったのですが それをあそこまでもっていけるというのは
たいへんな力だと思いますね 実にファンタスティックな すばらしい
指揮でしたね
── その翌年は いよいよカラヤンがやって来ましたね 15年前とい
えば まだ帝王になる直前で この時のエピソードに 彼が練習の際に
黒いトックリのセーターを着てあらわれて まじめな気むずかしい表情
で振っていて フォルテシモになるとボコっとおヘソが見える(笑)た
しか当時のN響メンバーによる芸術新潮での座談会でしたけれども
岩渕 そうでしたか(笑)たいへんにエネルギッシュな指揮者でした
おヘソで思い出したんですが(笑)実におどろいたことがあるんです
ベートーヴェンの《第九交響曲》を彼が指揮して 本番のときなんです
けれども 私はすぐ近くで弾いておりましたが 彼のズボンのある箇処
が 何と申しますか つまり あきらかな状態になってるわけですね
私ははじめ何かのまちがいじゃないかと思ったんですけれど(笑)それ
が全曲を通じてずっとなんです まったく おどろきました
── 活字にしにくいエピソードでしょうね これは(笑)
岩渕 こうした大指揮者になりますと オーケストラは まるで磁石に
かかったように 自在にふりまわされるわけですね 一方では 天才的
なテクニシャンというタイプの人もいますし コステラネッツなどもそ
うでしたけれど ほんとうに指揮者次第だと思います

 ■ プロムジカへの道

── コンサート・マスターとしての任務のほかに たえずクワルテッ
トもやっておられましたね
岩渕 そうです プロムジカ弦楽四重奏団としてデビューするまで3年
くらい チェロが常松さん ヴィオラが小磯さん 第二ヴァイオリンを
竹内さんといったメンバーで だいたい固定していましたね
── 28年に正式結成にあたっては N響側の協力もあったわけですね
岩渕 私的な団体ではあったのですけれども N響の演奏に差支えない
範囲でということで 有馬理事長も了解してくださった 当時のN響は
全体的に給料も安かったし 研究費のかたちで いくぶん援助していた
だいたりもしました ところが 後でだんだん判ってきたことなんです
が 同じオケのメンバーであっても ひと月くらい顔を合わせないよう
なことがあるわけです それでしばらく音も合わせていないで 久しぶ
りにやると どうも音が溶けてこない クワルテットというものは そ
ういうものらしいんですね
── しじゅう奏していないと(笑)
岩渕 そうなんです(笑)そのうちオケとのかけもち自体に無理を感じ
るようになりまして いずれをとるかということで 自分のクワルテット
として力のかぎり いけるところまでやってみたかったですね
── デビュー・プログラムはやはりベートーヴェンで始まりましたか
岩渕 《ラズモフスキー第2番》とドボルザークの《アメリカ》 そし
てブラームスの《ピアノ五重奏曲》ピアノは松浦豊明さんで このとき
からチェロが松下修也さんになりました はじめはN響のスケジュール
とかちあわないよう 合間をぬってやっていたのですけれども 今にく
らべて 臨時演奏会などがぎりぎりの間ぎわになって決ったりしまして
当時しばしばそんなことが重なりましてとても体力的にも両立がむずか
しくなってきたわけです そんなところへ 渡辺さんが日フィルを創ら
れるに当って またまた誘いを受けました これが はじめの話ではい
くらでもクワルテットをやれる というたいへんいい条件なので つい
その気になったわけです(笑)
── 当時 最高の切札でもあったわけですね(笑)30年の日フィル京
都公演は まだ京都会館がなくて 同志社の栄光館でしたね
岩渕 そうでした 《運命》などをやりました コンサート・マスター
には ブローダス・アール氏がいて 客員として加わりましたので ク
ワルテットの時は休みますよ という条件だったのですが 実際にはな
にしろ6プルトしかありませんので いくらいいといわれましても休む
と格好がつかない状態でしたね
── 32年には プロムジカとしての二度目の京都公演を聴かせていた
だきました この時の第二ヴァイオリンは堀伝さんでしたね
岩渕 つまり 日フィルには 結局2年近くいたわけで その後京都の
音大に関係しましてから 西ドイツに行きまして 雑誌を見ておりますと
四つのオーケストラでコンサート・マスターを募集しているのです ち
ょうど楽器を買うお金もほしかったので 問いあわせててみますと三つ
はすでに決定したあとで 一つだけ残っていました あちらのオケの試 
験というのは 旅費・日当が向う持ちなんです ですから もしダメで
も見物してこれるわけですから(笑)出かけてみました これがフラン
ケンランド州立交響楽団でして エーリッヒ・クロスという指揮者のも
とで 1年ばかりやって音大に帰ってきました

 ■ ヴィオラが足りない

── 一時は 京響で演奏顧問として坐っておられましたけれども 音
大では 主にアカデミア弦楽合奏団の指導に御熱心でしたね
岩渕 このところ すこし休んでいるのですが音大の弦楽器教育という
面でたいへん有効な活動になると思いましてね
── たとえば ふと考えるのですが 学生時代から同じメンバーによ
るクワルテットを育てる というようなことは不可能でしょうか
岩渕 それこそ理想的なんでしょうけれど ひとつの大学で 同じ条件
の奏者をそろえるというのは 年令的にも技術的にも たいへんむずか
しいようですね 過去の形態としては 海野義雄を中心に芸大在学生に
よるアカデミア弦楽四重奏団というのをやっておりまして 彼がN響へ
入ってからも しばらく続けていたようですが きわめて稀な例だと
思われます ひとつの理由として 考えられるのにヴィオラという楽器
に人材が少ないのです
── ヴァイオリンからの転向はむずかしいのでしょうか
岩渕 できるんです ところが才能のある人ほど やりたがらないのが
現状でして これほどヴィオラ奏者が足りないのだから やってみない
かとすすめても やっぱりヴァイオリンから離れたがらないですね
── むかし 大ヴァイオリニストのイザイエがたいそうヴィオラを愛
して 室内楽ではいつも持ちかえて楽しんだといわれますが 技術的に
危険なことなのでしょうか
岩渕 それがほんとうなんです すこしも危険な問題はないはずです 
音大でも 一定のローテーションを組んで ひととおりは やらせる
ようにしているんですけれども どうも人気がありませんね あらゆる
角度からみて私はヴィオラをすばらしい楽器だと思いますし 有利でも
あるんですが どういうわけでしょうかね(笑)

 ■ 微調整のプログラム

── ベートーヴェンの全曲演奏会は これまでに何度かなさったので
しょうか
岩渕 連続としては こんどで2度目ですね 37年にそれまでの足か
け10年の集大成というわけでやったことがあります
── こんどのプログラムの第1回は最初・真中・最後と並んでいます
が 全曲の組合せかたにもいろいろあるでしょうね
岩渕 二通りの考え方ができますね ひとつは一回ごとのプロを 個々
に音楽的に独立したものにしていく もうひとつはベートーヴェン自身
がいかにたどったか という再現です こんどの場合は前者をとりまし
て ちょうど作品18が6曲ありますので これを全6回の冒頭にすえて
毎回 初期・中期・後期の各スタイルを あきらかにしたいと考えてい
ます ただし16曲を6回で割りきれない点はありますが(笑)
── もうひとつの問題といえますかどうか たとえば第1回のプロで
は ヘ長調が三つ並ぶのですが
岩渕 一般的には ひとつのプロで関係調による変化があった方がいい
ようですね このことを たいへんやかましくいったのがエッシュバッ
ハーでした 彼は稀にみるほどの絶対音感の持主でもありましたので
調性によって たとえば変イ長調とイ長調では 音そのものの色あいの
ようなものが異なって聴こえるらしいですね 私は実のところ半分くら
いは わかるような気もするんですが(笑)それほど厳密には感じてい
ませんが 有馬さんの部屋へエッシュバッハーが飛びこんできていわく
どこかで鳴らしてる レコードの回転が少し速いから 何とかしろなん
ていう実話もありました(笑)彼にとって それがかなり苦痛らしくて
決してキザなふうではなかったですから そういう人たちのためにも
注意すべきことですね
── すると たとえばヴァイオリンでよく響く調性であってもヴィオ
ラおよびチェロには向かないという場合もあるわけですね
岩渕 弦楽器の場合は純正律で5度ずつ正しく調弦しますと 音の巾が
だんだんひろくなるんです そこでかなりいろんな操作をしませんと
つじつまが合わなくなるということが起ります 具体的にクワルテット
の音程は特殊なものでヴァイオリンのE弦はすこし下げ チェロのC弦
をすこし上げて調弦します それに第一ヴァイオリンがいい気持になっ
て明るい音程で歌ったりすると 妙なことになるわけです
── たえず低音弦とのバランスを考えなければならない
岩渕 ですから ひとりでさらってるいる分には いい音程なのに
アンサンブルになるとおかしくなる人たちもいますね 一般のこれまで
の音感教育が どちらかといえば ピアノ中心で 耳が平均律的に訓練
されていることもあるでしょうね
── 写真におけるピントの問題が いくぶん似ているようですね 見た
とおりに写るという一眼レフでは 人によって微妙な差が生じるわけで
す 人間の目といえば 耳にくらべてより以上に日常的で 主観的なの
で そのごくわずかなちがいで平面上のチャンスを逸することもあるよ
うに思われます
岩渕 たいへん興味のある問題ですね おそらく理論的なものと経験的
なものとの一致がクワルテットの場合にも必要でしょうね
              (喫茶スマートにて 1969・11・12)
 
────────────────────────────────
 
 *=カール・フレッシュの編曲→カール・フィッシャー(楽譜出版社)
 Fischer, Carl 楽器商 1849‥‥ Germany America 1923‥‥ 74 /1872渡米
── Dotzauer,F.《Merhod I for Cello ‥‥ Carl Fischer Music》
http://www.carlfischer.com/
(20070221)
 


1969年11月11日(火)  乱読のすすめ

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691111
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
http://adlib.hatenablog.com/
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19691111
 Ex libris Web Library;
http://booklog.jp/users/awalibrary/
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAA4FW
── スタンダール/高松 英夫・富永 明夫・訳
《モーツアルト 19700101 東京創元新社》
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4106601052
── スタンダール/高松 英夫・富永 明夫・訳
《モーツアルト、ハイドン、メタスタジオ伝 1815-19661201 新潮社》
 
── 失職したペール(スタンダール)にはわずかな恩給しかない。い
よいよ文筆で生活をたてることを、本気で考えなければならないときが
きた。だが、才人ペールにはプロの作家のような修業をする気がまった
くない。まず考えたのは、自分の大好きな音楽家たちの評伝だが、べつ
に自分が苦労して集めなくても、資料は他人が集めているのだから、そ
れは遠慮なく拝借するとして、これに自分流のオリジナルな解釈を加え、
やぼな文章のかわりにピリっとした文章でこれを処理すればいい。
(新潮世界文学5〜小林 正<生涯と作品>)(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAVGYA
── 《世界短篇文学全集03 19630920 集英社》手塚 富雄・編:ドイツ文学19世紀
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19640120
 
── ワグナー/高木 卓・訳《ベートーヴェンまいり 1840 世界短編文学全集3 集英社》
 
── 「腹がたつ仕事ですよ」とベートーベンはこたえた。「私は歌劇
作曲者じゃありません。少なくとも私は二度と歌劇をよろこんで書きた
いような劇場は、この世の中では知りませんね。(略)したがっていろ
いろ賑やかながらくた曲をつくっては、いいかげんな声が出る女たちに
調子をあわせて、彼女らがそれを歌って拍手喝采をえれば何よりだ、と
思うような者はパリの婦人洋服屋にでもなればいいんです、だが音楽劇
の作曲者にはなれませんね。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JACTT6
── アラン/宗 左近・訳《音楽家訪問 1927-1965-19700101 白水社》
 
── ハ短調についてはいわなければならぬことがたくさんある。ハ短
調が宗教的な匂いをもっていて悼ましいものであるということは、誰で
もが容易に見抜くことであろう。だが調の弁証法は重大な考察、すなわ
ちハ短調というこの有名な調本来の音響性に対して今よりもいっそう耳
を傾けさせるにいたると思われる考察を生み出すようにわたしには思わ
れるのである。変ロ長調は宗教的といってしまってはいささか言いすぎ
である。事物の世号との結びつきを感じさせる優しい感情を伴っていて、
変ロ長調はむしろ宇宙的な調である。そこには、ヘ長および変ロ短調を
経由してわたしたちが降りて行くのだということを忘れてはならない。
(P000)
http://booklog.jp/entry?keyword=%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AE%B6%E8%A8%AA%E5%95%8F&index=Books
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4480010998
── リウォルド/池上 忠治・訳《セザンヌの手紙 1937-19671210 筑摩書房》
Rewald & John 19730301
 
── 親愛なるモルシュタット、あなたのお手紙によると、音楽を続け
る経済的な見通しがおつきになったのだそうですね。天国へゆかないと
音楽がやれないという事態が回避されたこの幸運をあなたのために大変
嬉しく思います。われわれはみな芸術の道を歩んでいて、芸術家にとっ
てあれほど必要な研鑚が物質的不自由によって乱されることを臨まない
のですから。共感をこめて握手をお送りします。今後あなたの手は愚物
どもの商品で汚されることがないわけですね。『タンホイザー序曲』
『ローエングリン』『さまよえるオランダ人』などをお聞かせいただい
たのは大変な幸運でした。(18680524)(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JA6CTO
── ドリンカー/水垣 玲子・訳《音楽にみる女性史 1948-19671220 音楽之友社》
 
── まず未開社会でいかに女性が豊かな音楽生活に貢献していたかを
説く。そこでは、分娩に際して歌われる旋律が耕作歌ともなり、戦場へ
男を送り出す歌ともなり、死者を葬う挽歌ともなる、といった興味不快
考察もみられる。Wehkage──苦痛にみちた叫び声──こそ、未開社会
の女性の音楽的発想の根源である、と著者はいう。(柴田 南雄・解題)
(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4102118047
── サガン/朝吹 登水子・訳《ブラームスはお好き 1959-19610501 新潮社》
 
── 『六時に、プレイエル・ホールでとてもいい音楽会があります』
とシモンは書いていた、『ブラームスはお好きですか? きのうは失礼
しました』ポールはほほえんだ。彼女が十七ぐらいの時、男の子たちが
彼女にきいたのとおなじ種類の質問だった。もしかしたら、その後も人
々はこのような質問をしているのかもしれなかった。だが返事をきこう
ともせずに。だが、こういう生活の中で、人生のこんな年になって、だ
れが返事なぞきいていよう? それに、彼女はブラームスを好きだろう
か?(P000)
 
 脈絡なく、あらたな楽想(モティーフ)が始まるが、あまりに深刻な
ため、つい容認してしまう。しかし、どこに必然性があるのか。
 あの深刻な響きは、ほんとうに意味があるのか?
 
── ブラームス《交響曲第四番終楽章》サヴァリッシュ・指揮。
── 《さらばN響アワー 20120318 NHKe》
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101050171
── 三島 由紀夫《音楽 1965‥‥ 中央公論社 19700201 新潮社》
 
── 『あ、音楽がはじまる』と思った瞬間に、いくらヴォリュームを
高めても何もきこえなくなり、しばらくたって次の曲についての解説が
はじまると、その解説は明瞭にきこえる。つまり彼女が、一旦、「音楽」
という観念を頭に浮べると、その瞬間から音楽が消えてしまう。音楽と
いう観念が音楽自体を消すのである。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J92SI4
── 堀内 敬三《定本・日本の軍歌 19690905 実業之日本社》
 
── その場にいた瀬戸口翁は『うん、ちょうどそんな頃だ。わしはあ
の大演習には出なくて横須賀で留守しておったが』といったので、早速
記録を調べて日付を確定し、その結果「軍艦行進曲四十年記念演奏会」
というのが昭和十五年九月十七日夜、日比谷公会堂で開かれた。しかし
佐藤満吉楽長の話によると瀬戸口楽長は明治三十四年頃でもまたいろい
ろ苦心して手を入れていたそうであるから、明治三十三年に発表したの
は、あるいは現形と多少異っていたかも知れない。その時分この曲はハ
長調であったが、それでは歌うのに高すぎるので、瀬戸口翁は明治四十
三年楽譜を出版するときに今のト長調に改めたのだそうである。(P000)
 
 ◇
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J95YJE
── なだ・いなだ《クヮルテット 19700215 文芸春秋社》
 
── そうです、その法廷に、まったく偶然に入ったのです。すると、
一人の男がさばかれていました。すぐに、その男が被告だとわかりまし
た。私だって、裁判もののテレビドラマぐらい見たことがありますしね。
そうです。被告席にすわっているのが被告にきまっています。そりゃ、
そうでしょう、被告が、もしかしたら裁判長席にすわっているかもしれ
ない、なんて考えられますか。検察官席にすわっているのが検察官で、
弁護人席にいるのが弁護人です。(P000)
 
 ↑月刊アルペジオ 10-06 ↓10-10
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700303
 出谷 啓:ジャズを読む
 
(20120321)
 


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