与太郎文庫
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| 2006年08月16日(水) |
チョッちゃんが逝った 〜 黒柳家の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060816
黒柳 守綱 Violin 19080620 東京 19830430 74 /N響コンサートマスター ♀黒柳 朝 エッセイ 19100906 北海道 東京 20060816 95 /守綱の妻“チョッちゃん” ♀黒柳 徹子 タレント 19330809 東京 /守綱の長女/徹子の部屋“チョッちゃん” ♀黒柳 眞理 エッセイ 19‥‥‥ 東京 /守綱の次女/バレリーナ/美容家 黒柳 紀明 Violin 19‥‥‥ 東京 /守綱の長男/N響「姉に才能を持っていかれた」 黒柳 貴之 1956‥‥ 東京 /守綱の次男(旅行社勤務?)19980126覚醒剤逮捕 黒柳 □□ 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /守綱の三男?(夭折) ──────────────────────────────── 田口 修治 19‥‥‥ 東京 /黒柳 徹子の伯父 /日本ニュースのニューヨーク支社長/アメリカ・メトロニュース極東代表
黒柳 守綱(旧姓=田口)/黒柳弦楽四重奏団・主宰 ── 植野豊子さんを中心に チェロの橘さん ヴィオラの河野さん 第二ヴァイオリンには寺田さんたちで 東京弦楽四重奏団というのを やっておりまして これは戦前から黒柳守綱さんなどが育てて来られ たものですが その頃植野さんが独奏活動に忙がしくなったし代りに やらないかということになったのです http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691112 日本の弦楽四重奏談 �� 岩淵 竜太郎氏に聴く ── 黒柳朝さん(くろやなぎ・ちょう=エッセイスト、女優黒柳徹子 さんの母)16日午後4時31分、心不全のため東京都内の病院で死去、 95歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。喪主は長 男紀明(のりあき)氏。 バイオリニストの黒柳守綱氏(故人)と結婚し、長女の徹子さんらを 育てた。82年に出版した自伝の「チョッちゃんが行くわよ」は、87 年にNHKの連続テレビ小説「チョッちゃん」としてドラマ化されるな ど話題を呼んだ。著書はほかに「トットちゃんと私」など。 ── 《訃報 20060829 共同通信》 教育者/北海道滝川市生れ/1956聖路加病院で高齢(47)出産?〜 ── 黒柳 朝《チョッちゃんが行くわよ 19821201 主婦と生活社》 ── 黒柳 徹子《窓ぎわのトットちゃん 198103‥ 講談社》 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050321 早口は三文の徳 〜 続・一芸の人々 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960606 くたばれ!たかじん 〜 架空鼎談 〜 作成日: 20060829
| 2006年08月10日(木) |
花と嵐 〜 まさかの与太郎伝 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060810 指揮者のパフォーマンスとして、演技的に大声を出すことはあったが、 口を荒げて怒鳴ったり、争ったりするとは、誰も予想しないだろう。 しかるに、どういう風の吹きまわしか、こんなこともあったのだ。 ◇ 与太郎のタメ口 ── 立川談志『談志楽屋噺』に「タメってなぁバクチ用語で、同目の ことだ」(第二章)とある。この「タメ」が六〇年代に不良少年の中に 入った。不良少年の隠語のほとんどはテキヤやヤクザのそれを借用して おり、「タメ」も同様。七〇年代もまだ不良の言葉で、『サンデー毎日』 一九七九年六月十日号に「タメ 五分五分」「タメ 同級生」「タメグ チ 後輩が先輩と対等の口のきき方をする」と不良の言葉に出ている。 同目→五分五分→同じという風に意味が変わり、八〇年代には一般の 若者も使うようになり、今では新聞だねになるまでになった。 (梅花女子大学教授・米川 明彦) ── おしえて��308 http://homepage2.nifty.com/osiete/seito308.htm 1963年ころ。宮田くんに連れられて、タバコ店主(T)に紹介された。 このとき与太郎が「はぁ、なるほど、そうですか」と受け答えしたが、 宮田くんには(なぜか)気に入らなかったらしい。 「おまえ、あんな失礼な口の利き方はないぞ」という。 いまもって彼の言い分が理解できない(同じ事を言われた経験もない)。 その後も与太郎は、小売店主として十年以上も、店頭に立ったのだ。 六年後に、天皇の義弟ご夫妻と二時間半も歓談し、失礼はなかった。 その宮田くんは、与太郎の結婚披露宴の打合せに参加した竹内くんに 「あなた」と名指しされたときも(なぜか)腹を立てている。 ◇ 与太郎の風体 1964年ころ。竹内くんに連れられて、初めておタカさんと会ったとき、 彼女は鮮やかな緑色の毛糸のワンピースを着ていた。そこで竹内くんが 例によって「羽根をむしられたニワトリみたいだ」と辛辣な批評をした。 よせばよいのに与太郎も「ところどころムシリ残している」と加えた。 わざわざ毛玉を見せたデザインを、二人の青二才にからかわれたので、 おタカさんは、すっかり機嫌が悪くなった。 その日の与太郎の印象を、彼女は「バーテンかと思った」そうだ。 ただし、まがりなりにも小売店主であり、カメラマンでもあったので、 「人は見かけで判断してはいかん、と思うたんよ」と、補足してくれた。 たぶん彼女は、キザで軽薄な、堅気でない男だと感じたのだろう。 しかし、ピカピカの新車に乗っているし、とても顔が広くて、友人も 多いので、それなりに見直してくれたのだそうだ。 それから十数年たって、場末の美人ママに出合ったときも、最初の日 の印象について、彼女は「板前かと思った」そうである。 バーテンと調理師は、いかにも類似の職業である。 ところが、上記の美女たちの印象とは逆に、男どもの第一印象たるや、 公務員、とくに教員のイメージで、もっぱら“センセイ”と呼ばれた。 さる依頼主も、与太郎がデザイナーであることを信じなかったそうだ。 ◇ 与太郎の武勇伝 1981年ころ。場末の小さなスナックに、評判の美人ママがいた。 与太郎は、当時いちばん大切な依頼主を、その店に案内した。 自信満々の大作を納めたばかりで、得意絶頂の祝杯気分だった。 見知らぬ客が何気なく「おまえ、何ちゅう名や?」と訪ねてきた。 ムッとして苗字を答えると「嘘つけ!」と云ったからたまらない。 与太郎は、いきなり椅子から立ちあがって怒鳴りつけた。 「なにが嘘か! 嘘でなかったらどうする?」とやりかえした。 一見してヤクザ風の客に、センセイ風の客が噛みついたのである。 さすがのヤクザ風も、すっかり毒気を抜かれてしまった。 モゴモゴ何を云ってるのか分らないので、与太郎がおっかぶせた。 「ようし、ホントだったら三千円払うか?」「うん」「どうだ!」 与太郎は、アタッシュ・ケースから名刺を取りだして見せた。 「ようし分ったな、三千円だせ!」ヤクザ風が、しぶしぶ財布を出す。 それをつまんで、天井めがけて投げちらす。 「ママにチップだ、釣りはいらんぜよ」とまぁ、タンかを切った。 あまりの勢いに、ヤクザ風がシッポをまいて帰りかけたので、ママが 拾いあつめた三枚の紙幣を受けとり、一転して「冗談だ、返してやるよ」 とつきだすと、何なく受けとって出ていった。とんだ武勇伝が終った。 われながらカッコよく演じたつもりだったが、その後スポンサーは、 二度と与太郎の接待には応じなくなり、ヤクザ風も現われなくなった。 与太郎だけが見栄を切って、ママは二人の客を失ったのである。 数ヶ月のちには、他の事情から不首尾がつづいて、このスポンサーを 失うことになった。起死回生の大作を受注して、ふたたび担当者と祝杯 を挙げるまでの数年間、とてものことに苦労したのである。(20060810) ◆ はじめボクシングの、亀田一家の“タメ口”を論じるつもりだったが、 そもそも“大阪弁”を論じるための草稿があり、とてもまとまりそうに ないので、とりあえず与太郎のエピソードを書きとめておく。 以下“許せない三傑”のパフォーマンスも、いずれ別稿で論じたい。
年下の演出家に台本を破られた男。 香川 登枝緒 漫才作家 19170823 大阪 19940329 69 /朝日放送〜スチャラカ社員//てなもんや三度笠/松竹新喜劇/籍=加賀 敏雄 ──────────────────────────────── 香川 登志緒の台本を破り捨てた男。 沢田 隆治 プロデューサー 19330318 大阪 /〜てなもんや三度笠/籍=澤田 隆治 ──────────────────────────────── たかが演出ごときで灰皿を投げつけた男。 蜷川 幸雄 演出 19351015 埼玉 /宏子の父/真山 知子の夫[A]開成高校 ──────────────────────────────── 聴衆に隠して指揮棒を(胸元で)振る男。 Chung Myung-Whun 指揮 19530122 韓国 /ピアノ“三姉弟妹”の弟 /籍=鄭 京和〜李 元淑《世界がおまえたちの舞台だ 1994 中央公論社》
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| 2006年08月09日(水) |
雲をつかむ人々 〜 Cloud Computing 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060809 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html Ex libris Web Library;cloud-computing(20080322 by Max Bolotnikov) http://www.programmando.net/2010/03/cloud-computing-cose/ かつて百科事典で「コンピューター」を引くと「電子計算機のこと」 と、わずか一行で説明されていた。 やがて百科事典は、パソコンの中に、ことごとく網羅されてしまった。 http://booklog.jp/entry?keyword=Cloud+Computing&index=Books http://booklog.jp/entry?keyword=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&index=Books ── シュミットが、米国カリフォルニア州サンノゼ市 (San Jose, CA) で開催された「検索エンジン戦略会議」 (Search Engine Strategies Conference) の中で「クラウド・コンピューティング」と表現。 ── クラウド・コンピューティング(英: cloud computing)とは、 ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用 形態である。ユーザーはコンピュータ処理をネットワーク経由で、サー ビスとして利用する。── Wikipedia http://q.hatena.ne.jp/1230118403#a882761 パートナーズ 〜 先端起業の同行者たち 〜 http://q.hatena.ne.jp/1292703235#a1051105
Page, Larry 19730326 America /ペイジ Brin, Sergey 19730821 Moscow /ブリン Schmidt, Eric Emerson 19550427 America /Google CEO
── ついに、彼らの消息を知るものは誰もいなくなった。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060126 老人の海 〜 帆かける人々 〜 (20101230)
| 2006年08月02日(水) |
朝夜雑考 〜 ブレッソンの三周忌 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060802 http://q.hatena.ne.jp/1154528626 なぜラジオやテレビの宗教番組は早朝に集中して編成されているので しょうか? ラジオのAM放送は電波の特性として夜間帯は聴取地域が拡大するため、 布教を目的とする宗教番組は夜間や早朝に編成している、というのが個 人的な仮説なのですが、裏はとっていません。 ちなみにNHKラジオの語学番組も、近隣諸国の言語(ロシア・中国・ ハングル)は深夜帯に設定されているのですが、これも夜間帯電波の特 性を利用しているのではないかと思われますが、これも裏はとれていま せん。 尚、Wikipediaを見ても、その謎は解けませんでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E7%95%AA%E7%B5%84 しょうもない疑問・質問ですが、なんか頭の片隅に残ってモヤット感 が消えません。 関係者の方からの、スッキリ回答をよろしくお願いします。 tosato ◇ スッキリ回答、というわけにはいかないので、わたしの朝夜雑考より。 われわれは、一日のはじまりが朝だと信じていますが、ユダヤ教徒や イスラム教徒にとっては、夜が一日のはじまりです。 ユダヤ教では日没後の三等星が肉眼で見える時、イスラム教では月の 出が、もっとも厳粛な瞬間です。日本人が、日の出に向って祈るように なったのは、明治六年(18730101)太陽暦の採用以後です。 ミレーの《晩鐘》は、カトリック教会の鐘が(季節に関係なく)定刻 に響きわたるので、やむなく農民たちがスキ・クワを置いて祈ります。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/bougai/media/millet.gif ◇ わたしは(関係者というほどではありませんが)つぎの長寿番組に、 数年かかわったことがあります。(ラジオ第二放送に同名の番組あり) 《宗教の時間 196204‥ → こころの時代 198204‥ NHK教育TV》 往時のプロデューサー、阿満利麿(のちに明治学院大学教授)氏は、 京都大学哲学科出身、仏教住職を父にもつ、品行方正の秀才でした。 最近の出演者(聖職者や宗教学者)は、なぜか自信を失っています。 ほとんどの宗教番組は、往年の《ルーテル・アワー》のような、CM スタイルの布教活動ですが、NHKでは“宗教哲学”の紹介が目的です。 早朝に集中する理由は(視聴率など)主に編成上の都合でしょう。 わたしの亡父は、毎朝かならず神棚に拍手を打って、仏壇に合掌し、 水と花を取りかえていましたが、夜はもっぱら俗物(晩酌)でした。 三度の食事にも手を合わせていたので、合計五回祈っていたのです。 その亡父でさえも《宗教の時間》の視聴者ではなかったのです。 さらに、このような日常の宗教習俗を失った日本人は、イスラム教徒 が一日五回も礼拝すると聞いて、狂信的なイメージを抱くほどです。 ◇ なお、わたし自身は、ブレッソン晩年の発言に共感しています。 「わたしはアナーキストだ。そして無神論者だ、とくにカトリックのね」 Cartier-Bresson,Henri 19080822 France 20040802 95 / http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050605 カメラマン 〜 男の中の男ども 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19110125 大逆事件の人々 〜 命日順 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030325 報復の暦 ◆ 金光 寿郎《宗教の時間 19460120(日)08:30-09:00 NHKラジオ第二》17:30-18:00(再)
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