与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2006年10月31日(火)  「為」の字

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061030
 
http://q.hatena.ne.jp/1162212105
 
 「為」の字をバランスよく書く方法を教えてください。
 できれば1発でコツがつかめるようなものがいいです。
STRIKE-FREEDOM 質問に答える ウォッチリストに追加 のっかりはてな
状態:回答受付中 回答数:6 / 20件 回答ポイント:70ポイント
登録:2006-10-30 21:41:48 終了:
カテゴリー:学習・教育 生活
 

 
 adlib 2006-10-31 05:09:16
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061030
 スケッチしてみました。
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20061031)


2006年10月18日(水)  経営三原則 ~ わたしの経営免許論 ~

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061018
 
 学問に哲学と実学があるとすれば、経済学部は哲学、経営学部は実学
を学ぶところです。ところが、かつて下記のような発言がありました。
(わたしは研究者ではないので、うろおぼえで、詳細未詳ですが……)
 
…… 平家物語に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあれば、
われわれ経済学者は、これを理論的に分析しなくてはならない。
── 京都大学経済学部50周年の記念講演より
 
 この発言は、のちに「われわれが研究しつづけてきた経済学ごときは、
実は、まるで市場経済にとって役に立たなかったのではないか」という
反省の弁となったのです。
 
 このような学者の態度は、そもそも経済学や経営学に、学問としての
価値を認めるかどうか、という段階に来ています。これを容認すると、
現代日本の経営者たちの学歴は、ほとんどが怪しげなものに映ります。
 
 1.理論と現実と決断
 
 かつてアメリカでは、ハーバード大学ビジネス・スクールが、過去の
企業の事例を分析する“ケース・スタディ”に着目し、そのかたわらで
パソコンの表計算が出現したため、それなりの進歩が始まったのです。
 
 日本でも、経済に弱いとされた小泉首相が、当面の財政再建問題を、
竹中大臣(慶応大学経済学部教授)に丸投げし、理論武装させたのです。
 古参議員の「学者に市場は分らない」という批判を浴びながら……。
 
 しからば国会議員が、現実の市場経済に通じているとも思えません。
 大企業の経営者であった麻生外相、中小企業の成功者である民主党の
河村議員を例外として、ほとんどシロウト同然の経歴です。
 
 というわけで、昨年はホリエモンを担ぎだしましたが、さすがに彼の
経営手法が新らしすぎて、まさかの政界進出は実現しませんでした。
(もちろん今後とも、IT革命の理論家による経済学が待望されますが)
 
 2.指導者の誤録
 
 奥田 碩(トヨタ会長)いわく「最近わたしも妻も、韓国ドラマしか観
なくなった。NHKも負けずにがんばってもらいたい」(20040530)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/06/01/20040601000019.html
 
 日本経団連会長は“財界の総理”ともいわれる重要人物です。
 北尾 吉孝(SBI-CEO)も、ホリエモンを指さして「清冽な資本市場の
流れを汚してはいけない」など、いかにも三流文学もどきです。
 
 リコール隠しで追いつめられた、三菱自動車水島工場所長も、テレビ
取材に「これからはスリー・ダイヤの精神でやっていく」
 まるで真珠湾や吉良邸討入り前夜のような、芝居がかった発言です。
 
 稲盛 和夫(京セラ名誉会長)に至っては「神戸周辺では、源平合戦
のように(略)積み重ねられたカルマを清算するために、今度のような
阪神大震災が起きたとしか思えません」と、本気で大真面目なのです。
 
 3.日ハムの人事管理
 
 プロ野球の選手起用は、監督がコーチに「いま調子がいいのは誰だ?」
と聞いて「あいつが一番です、なにしろがんばってますから」といった
やりとりで決定するそうですが、実態は不明です。
 
 むかし西武ライオンズの広岡監督は、食事メニューまでカロリー計算
する“管理野球”で連勝しました。ただし、こういう手法を好まない人
は少なくないので、どの業界も根づよく精神論が残っています。
 
 精神論は、証拠を必要としないため、とても便利なのです。
 はてなQ&Aで、URLを示さない回答のように、出典不明なのです。
 そこで、ことしの日ハムは、数字データの裏づけを要求したのです。
 
 すべての選手の実績を、点数によって采配することに決めたのです。
「こいつは昨夜これだけ食べて、これだけ眠った」というデータで(?)
── 《クローズアップ現代 20061017(火)19:30-20:00 NHK》
 
 4.データの虚実
 
 日露戦争以後の日本軍は、軍医総監の森 鴎外でさえも、白米が脚気
の原因になることを否定しつづけたほどです。兵士の食料補給について、
数値データを黙殺して作戦命令を下したと伝えられます。
 
 しかし、今日のようにパソコンが普及して、数値データが自由に操作
できても、先の指導者のごとき不得要領の発言が、まかり通るのです。
 彼らに反論できる者は(マスコミをふくめて)居ないも同然です。
 
 彼らは、都合のよいデータだけ採用して、結論をみちびきます。
 一部のデータを織りこんだら、全体が科学的だと主張します。
 これからの経営者は、医師や弁護士とともに、免許更新すべきです。
 
 中小企業の経営者も、労働三法の基礎知識を問われるべきです。
 非正規社員やフリーターに依存するかぎり、一時的なコストダウンの
ために、長期的な経営基盤がゆらぐことは明らかなのです。(未完)
 
 ◆ 関連資料
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021018
 経営免許(きっかり四年前の日記)
 
http://okwave.jp/qa1276156.html
 経営者と労働者に“共通一次試験”を課す(20050318)
 
http://q.hatena.ne.jp/1097658786#a181879
 立石 義雄《大企業病》
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790218
 林 正典《わが経営を語る》
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
http://q.hatena.ne.jp/1161168497
 
(20061018-1019)


2006年10月15日(日)  中川三拍子 ~ 飲む・打つ・買う ~

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061015
 
── 中川昭一(自民党政調会長)がテレビ番組内で当時の北朝鮮によ
る核兵器実験を受け、日本の核武装についても「議論を尽くすべき」と
発言。これに関して民主党の中川正春は、メディアの取材に対し「核保
有を議論するとはけしからん話」と述べた。これらの反対意見に対し
中川昭一は「最近は非核三原則に加え、「議論もさせない」という
『非核四原則』になっている」と皮肉った。更に後に「考えてもいけない」
という『五原則』だと付け加えた。(20061015)── (Wikipedia)
 


 中川 昭一 衆議院議員 19530719 東京 /財務相10[20080924-20090217] 20090214泥酔会見
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090217
 金と銀 ~ 金融相と日銀総裁 ~
 
 中川 正春 衆議院議員 19500610 三重 /民主党/パチンコチェーン協会アドバイザー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5862950 (9:24)
 中川 正春 20090113 財務金融委員会
 
 中川 秀直 衆議院議員 19440202 東京 /元自民党幹事長/俊思の娘婿/籍=広島
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090128
 誤辞苑 ~ 渦中の人々、火中の人 ~
 
 元科学技術庁長官19960216住専関連“献金150万円”受領会見
2000官房長官0925「女性問題報道は個人的なこと」1026辞任

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070808 七人の侍 ~ 安倍内閣の永久戦犯たち ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070408 暦の謎々 ~ お釈迦さまざま ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050713 大江戸花火事情 ~ 天声人後と朝令不改 ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050522 憎めない人々 ~ 駄弁・誤弁・訥弁 ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050115 続・さらば、テレビ ~ NHK vs 朝日 ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040430 すっとこどっこい! ~ 最初はグーグル ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850812*御巣鷹山の月 ~ 日航ジャンボ機・乗客乗員名簿 ~
 
(20090302)
 


2006年10月06日(金)  ゆけむり随想 ~ フロブロガー ~

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061006
 
 筆擱かず ~ 晩秋の老友たち ~
 
 ゴリが、久しぶりに電話をかけてきた。(2005晩秋~師走)
 与太郎の話は、どうしても長くなる。
 とくに、かかってきた場合には……。
 
 土井くんのときのように、往復数時間に及ぶこともあった。
 土井くんは、かつてカメラマンを志して、土門 拳 のアシスタントを
つとめたことがあり、それなりの憤懣を語ってくれた。
 
 われわれは、長距離電話を、とても高いと思いこむ世代でもある。
 そこで、みんなが決まり文句を用意するようになった。
 与太郎を怒らせないよう(気づかって)さまざまの口実で……。
 
ゴリ「そろそろ、かかってくる電話の予定があるよって」
土井「来客があるらしいので」
田村「これから出かけるところですので」
 
 ゴリと河原に、礼状まがいのプリント(年内完成予定のファイル草稿)
を送ると、河原から長文の紀行文が、ゴリからは長めの返書に先だって、
初釜の抹茶が届けられた。
 
 君子の交わり淡きこと水の如し。(1994晩秋の書簡で)
 さはさりながら、いそいそと礼状を書く。
「ものくれぬ友往生す、いわんやものくるる友においておや」
 
 ようやく(かつての)ゴリとの決裂と和解を「シンコペーション」に
まとめ、本人に送ってみる。
 さしたる異議を申したてなかったので、ブログに公開した。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021
 シンコペーション ~ 決裂と和解 ~
 
 河原には、清水先生と親しいらしいので、ラスプーチン他の講義録を
完成しようともくろんで、できれば清水先生にも読んでもらいたいので、
《落第生は二度眠る/夜汽車の女》を(友情に託して)送ってみた。
 
 また、河原の旅行記を、与太郎文庫に収録・公開してよいか、許諾
を求め、ついでに誕生日も訊ねたが、いままでのところ沙汰がない。
 
 
 ◆ 煙筆 ~ 弘法は選ばず ~
 
 ゴリの万年筆は手作りだそうだ(かつての悪筆に改善のきざし顕著)。
 与太郎は、むかしから筆圧が強すぎて、いかなる高級品も使いこなせ
なかった(中学時代のウォ-ターマンや東京時代のシェーファーなど)。
 
 万年筆には、書き手に合わせて調整する技術が必要らしい。
 その熟練工が、たったひとり生存しているそうだ。
 なぜか名だたるメーカーは、ひとことも宣伝しなかったが。

 万年筆の神様(ながはら・のぶよし)
 
 呉市の万年筆職人、長原宣義さん(72)は、どんな万年筆でもすぐ
に直してくれることから「万年筆の神様」と呼ばれている。長原さんは
全国各地の百貨店で、万年筆を修理するクリニックを開いている。そこ
では、様々な思いのこもった万年筆との出会いがある。20年ぶりに直
った父親の形見の万年筆。夫婦の絆を取り戻すきっかけとなった万年筆。
訪れる人々の心も治す長原さんと万年筆にまつわる人間模様を描く。
── 《ふるさと発 ~ 心も治すペン修理職人「万年筆の神様」~ 
20050204(金)19:30~19:58 NHK広島》*
ナガサワ文具センター営業企画課”筆記具愛用者のひとりごと”係
http://www.rakuten.ne.jp/gold/nagasawa/hitorigoto/index.htm

 エンピツは(新しいものほど改竄される可能性が高いので)ある時期
から、なるべく使わないようにしてきた。
 ほんとうは、あて名だけでも毛筆を使えば、もっともらしいのだが。
 
 むかし金谷先生のキュリー夫人像にインクをこぼして、最初のウソを
ついたことや、幼い次男がインクをこぼしたのを叱った記憶のトラウマ
から、いまでもキーボードが液体に弱いことに不安がある。
 
 1977-1986 pax adlib 約10年間(専用箋&エンピツ)
 1981-1990 pax adlib 約10年間(専用箋&エンピツ併用)
 1987-2006 pax aedlib 約20年間(ボールペン&キーボード)
 
 エンピツ時代から、いきなりボールペンに移行したのではなく、一時
システム・ダイアリーを常用していて、クロス、Ash(英国ブランド)
のボールペン、ミニサイズのシャープペンシルも併用した。
 
────────────────────────────────
 
 * ペンドクター広沢 諄一(パイロット万年筆OB)のペンクリニック
 
 記憶のトラウマ連鎖
 金谷先生の《キューリー夫人像》にインクをこぼしたこと。
 次男がインクをこぼしたのを叱ったこと。
── 《嘘太郎 20001224 虚々日々》P
 
 
 約二十年前、シェーファーのボールペンにめぐりあった。
 ダイエーの文房具売場に、ダンヒルやモンブランの高級筆記用具が、
無造作に並んでいて、半額以下の値札がついていたのだ。
 
 手にとってみると、決して偽物ではない。
 東京時代に、パイロット万年筆のディスプレイを経験していたので、
こういう商品が安値で投売りされる現実におどろいた。
 
 とりあえず一本だけ買って帰ったものの、つぎに出かけたときには、
その売場が消えていた。それでも他のテナントで替芯を買えた。
 三度目には、ダイエーから文房具が消えてしまっていた。
 
 数分歩いて、地元百貨店にたどりつくと、ここにも替芯はなかった。
 パソコンのネット・ショップが出現するまで、約十年の空白期間は、
全国ネットの通信販売に頼った。


 ◆ 水筆 ~ 浴槽随筆 ~
 
 故・伊丹十三はシェーファーのシャープペンシルを使いはじめて、
人生観が変ったそうだ(あるいは厭世観が深まったのだろうか)。
 Q&A掲示板で質問投稿したが、確証が得られない(別項に詳述)。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19971220
 その男、一三 ~ 伊丹十三の謎 ~
── シェーファー/伊丹 十三・訳《ピサロ 198505‥ 話の特集》
 
 読みかけの文庫本や、スキャナーでOCR読取り変換したネット文献
をプリントアウトして、四つ折りのA4用紙とともに風呂場に持ちこむ。
 余白に、ボールペンで乱雑に書きこみ、訂正と推敲を重ねる。
 
 もとは作曲家の故・團 伊玖磨のライフスタイルである。
 彼は、新婚以来、八丈島の孤島では、風呂場に新聞紙を浮かべて、
読み終わるとまとめて、ふたたび風呂をわかす。まさにリサイクル。
 
 できれば、水陸両用パソコン(!)を持ちこみたいのだが。
 風呂に入ると、脳の血流が通って、さまざまの記憶や思考が走馬灯
のように巡りはじめるのだ。目を閉じれば、さらによし。(20060710)
 
20060920 ボールペン替芯3本とシャープペンシルを注文する。
20060922 シェーファー・シャープペンシル届く。なかなかの感触。
 芯と軸のバランスに優れているらしい(これが最後になるだろう)。
 
 風呂場では、シェーファー・シャープペンシルは使えないことが分る。
 紙が湿って、薄くなるのは、鉛を使わなくなったからか。
 昔のエンピツは、舐めると濃くなったものだが……。(20090926)
 
 筆記用具には、適度な重みが必要らしい。
 ただし、化粧箱は(贈答用の需要が中心なので)華美にすぎる。
 携帯ケースまで付けるのは過剰サービスで、いただけない。
 
 風呂場で何でもできるわけではない。ゲラ刷りを持ちこんで、元原稿
と照合するには、一定の広さのテーブルが必要だ。
 いちばん適しているのは、細部の誤字脱字の校正である。
 
 
 ◆ バス・シンガー ~ 風呂場のスバル ~
 
 加山雄三のフロをみて、さっそく星の見える24時間ブロに改築した。
 毎日二回、哲学書などを持ちこんで、読書にふける。
── 《スタジオパークからこんにちは 20061013(金)13:05~14:00 NHK》
 谷村 新司4年ぶり新曲披露▽デビュー35年を語る。
/有働 由美子/小川 浩司
 
 初の北京公演では、チケットの裏に「鑑賞の心得」が印刷してあった。
 両手をひざに、背筋を伸ばして聴くように、書いてある。
 そこで、とう・しょうへいの前へ行って、歌ってみた。
 
 主席が立ち上がったので、観客も立ち上がって歌いはじめた。
 彼らは、音楽を聴いて“のる”ことを知らなかった。
 アリスは“中国のビートルズ”となった。
 
── 後年、俳優・戸浦六宏氏に出会ったとき、一筆書いてみせたが、
後に彼が酔書流書道の二代目家元であることを知った。どうも、この世
界のことはよくわからない(《居酒屋・杉さかやの客たち》に詳述)。
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P048
 
 戸浦 六宏 俳優 19300430 大阪 東京 19930325 62 /籍=東良 睦宏
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923
 点鬼簿 ~ 与太郎の過去帳 ~
 
http://q.hatena.ne.jp/1161065967
 架空講座 ~ 谷村新司とその時代 ~

────────────────────────────────
 
 北京と上海に音楽院があり、上海交響楽団はあるが、北京交響楽団は
ない? 谷村 新司は上海音楽院教授。
 鄧 小平(Dang Xiao-ping)共産党主席 19040822 China 北京 19970219 92 /
── 《北京バイオリン》
── 《ドラマバーBS2「春のおすすめBS海外ドラマ」20070324(土)
26:30~27:15 NHK総合》谷村 新司, 愛華 みれ, 篠井 英介
 
── 風呂に入る時にはかならず、召使に傍らで本を読ませた。その日
の日記に書きとどめるべく新しい知識を仕入れるためだ。彼はこれらを、
たぶん、かつがせた椅子に乗ってローマへ往還する途次に書きとめたの
だろう。
── Forbes, Malcolm & Bloch, Jeff《They went That-A-Way 1988》
── 安次嶺 佳子・訳《有名人のご臨終さまざま 19940215 草思社》P140
 Plinius Secundus,Gaius 0023‥‥ Rome 00790825 56 /火山灰死
 
http://q.hatena.ne.jp/1150169214#a549187
 良書三原則 ~ 読んだら捨てよ ~
 
(20061006-20070713)
 


2006年10月01日(日)  馬三題 ~ 秋の夜噺 ~

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061001
 
(画像)http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061001
── ながい夜なが~い髪ながあ~い曲…………。traced by Osada,H。
── Awa, Masatoshi《秋の夜は長い! 19781001 aedlib》
 
http://q.hatena.ne.jp/1159643323#a614625
 
 「母さん、アメリカって遠いの?」「黙って泳ぎなさい」(小朝)。
 秋の休日にステキな小話が聞きたくなりました。条件1:1回答1小話。
とっておきの小話で勝負してください。条件2:四百字以内。条件3:
下ネタや時事ネタ、国家や民族を比較する小話は趣味ではありません。
条件4:小話を集めたホームページや本の紹介はけっこうです。
bijyou 質問に答える ウォッチリストに追加 のっかりはてな
状態:回答受付中 回答数:6 / 10件 回答ポイント:110ポイント
登録:2006-10-01 04:08:43
 
 ▲ adlib 2006-10-01 18:41:22
 
 馬肥ゆる秋
 
── ダイエットには、乗馬がいいんです。なにしろ一週間で5キロも
やせました。もちろん馬のほうですが……。
── 羽田 健太郎《徹子の部屋 20050929 テレビ朝日》
 


♀黒柳 徹子 タレント 19330809 東京 /守綱の長女“トットちゃん”
 羽田 健太郎 ピアノ 19490112 東京 /作曲・編曲“ハネケン”

 
 ▼ bijyou 2006-10-01 23:56:17
 
 ベタだけどわるくないね。落ち着きがある。
『細川家には、昔はもっと良い宝物があったんですが、戦争でかなり焼
けてしまったんですよ。いやいや太平洋戦争の時ではなく、応仁の乱の
時ですがね』(細川護貞)
 
(▲)adlib 2006-10-02 00:00
 
 「上記発言は細川護煕の父である護貞のジョーク(Wikipedia)」
 わたしの記憶では、指揮者の近衛秀麿が「前の戦争では、貴重な本を
失くした」と語ったように、作曲家の團伊玖磨が記しています。
 
 対談集《パイプのけむり》では、兄の文麿、真梨子夫人をふくめて、
八回も登場するので、あるいは両家いずれかの受売りかもしれません。
 つぎの伝聞も(なにげに)もっともらしいですね。
 
── 近衛さんは生前楽界では、「おやかた」と呼ばれていた。朝比奈
隆さんが「おっさん」と呼ばれるのと同じ、尊称の混じった愛称だった。
だが近衛さんの「おやかた」は、「親方」ではなく「お館」だったらし
い。つまり「お館さま」の短縮形というわけだ。さすがは堂上貴族で、
五摂家の一員らしい尊称ではないか。多分選挙運動の真っ最中だったが、
何かの会話の途中に、「あそこのうちはね、途中で代が変わっています
からね」といわれた。何の話だろうとよく考えてみると「あそこのうち」
とはおそれ多くも「天皇家」のことだったのである。南北朝の時代のこ
とを指してのことだろうが、近衛家はそれでも代変わりはしていないと
いう、貴族のプライドのようなものがひしひしと感じられた。天皇家を
「あそこのうち」呼ばわり出来るのは、当時といえども近衛さんぐらい
しかいなかったろう。
── 出谷 啓《クラシック この演奏家を聴け! 19960410 音楽之友社》P59
 

 近衛 秀麿   指揮 18981118 東京   19730602 74 /文麿の弟
 團  伊玖磨  作曲 19240407 東京 蘇州 20010517 77 /── 《夕鶴》
 出谷 啓  音楽評論 19400614 大阪          /── 《演奏会評》
http://homepage3.nifty.com/detani/new_page_1.htm

 
 ◆ 馬馳せる秋
 
── 黒柳「むかし馬に乗せてもらったの。そしたら急に駆けだして、
止まらなくなったのよ。そいで一生懸命話しかけたの。帰ったらすぐに
ニンジンいっぱい上げるからって。そしたらピタっと止まってくれたの」
 団「なるほど、馬をも黙らせたか。馬の耳に早口だね」(うろおぼえ)
── 團 伊玖磨《なおなおパイプのけむり ~ 菜種梅雨 ~ 19770429-0506
朝日新聞社》P.294(1613番 10巻 No.47)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050321
 早口は三文の徳 ~ 続・一芸の人々 ~
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050203
 ダ・ジャーレ記念日 ~ Viva da-Jare ! ~
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
http://q.hatena.ne.jp/1155690321#a588986
 
 よく「因数分解が何の役にたつんだよ」という子どもがいます(大人
にもそういう人が稀にいます)。参照↓(略)
 これに対するスマートな反論をお願いします。
 
 ▲ 15 回答者:adlib 2006-08-16 18:37:50 満足! 5ポイント
 
 羊は何匹? 
 
 ある日、散歩中の学者に、農夫が声をかけた。
「センセイ、あっちに群れてる馬が何頭か、数えられるかね」
「もちろん、簡単なことさ」
 
 学者が、たちどころに数をいい当てたので、農夫がおどろく。
「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんです?」
「それはだな、まず足の本数を数えて、4で割るのだ」
 
 つぎの日、散歩中の農夫に、学者が声をかけた。
「やぁきみ、あっちに群れてる鹿が何頭か、数えられるかね」
「もちろん、簡単なことさ」
 
 農夫が、たちどころに数をいい当てたので、学者がおどろく。
「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんだい?」
「それはだね、まず角の本数を数えて、2で割ったのさ」
 
「馬と鹿と、どっちが数えやすいか」「もちろん馬だ」「いや鹿だ」
というわけで、どっちが利口か分らなくなる。
 よーく勉強しないと、馬鹿な大人になりますよ、という教訓。
 
(フランス小噺と《史記・始皇本紀》二世皇帝の故事を合成)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910330
 羊たちの伝説
 
 ▼ 質問者:tian_x2001 2006-08-16 20:14:35
 
「>>フランス小噺と《史記・始皇本紀》二世皇帝の故事を合成 ??
 この話はご自分で創作されたものですか?
 いずれにせよ
「どっちが利口か分らなくなる」→「馬鹿な大人」という文脈の繋がり
がよく分かりませんし、この農夫と学者が馬鹿だとは思いません。
 意味のある回答とは思えません。」
 
 ▲ adlib 2006-08-19 21:12:52
 
>意味のある回答とは思えません<
 
 わたしの小噺「羊は何匹?」は、無限につづくのですが、その意図が
質問者に伝わらなかったらしいので、オチと補釈を加えておきます。
(このパロディが、面白いかどうかという議論も無用です)
 
 翌々日、散歩中の牧童に、農夫と学者が声をかけた。
「やぁきみ、あっちに群れてる羊が何頭か、数えられるかね」
「もちろん、簡単なことさ」
 
 牧童が、たちどころに数をいい当てたので、農夫と学者がおどろく。
「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんだい?」
「それはだね、まず尻尾(*)を数えて、1で割るだけさ」
 
(*)羊の尻尾は、生後まもなく切断される(野性なら約30センチ)。
 ここで、馬と鹿と羊が混在しているときには、全体の足の本数とか、
角の数を分別する必要があり、これが“因数と展開の概念”なのです。
 
 さらに「羊は何匹?」とは“累乗冪の概念”を示したつもりです。
 だれでも、馬と鹿と羊は一目で分りますが、数式上で表現するには、
それなりの法則性と約束事を、みずから発見しなければなりません。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850101
 中学生諸君! Basic 5 ~ 与太郎の教材 ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050130
 
 ◇ 訂正・追記(不投稿)
 
 sheep sleep 眠れる羊たち Sleeping sheep
 
 もとの西洋小噺(出典不詳)は、むかし田村くんに教わったもの。
 いったい、愚かな相手をからかったのは、学者か農夫いずれか。
(初稿は、XP1977に所収)
 
 最後は、頭数さえ数えれば、1で割らなくてもよいことが分る。
 質問を左辺として、右辺に回答が出そろったら、つぎには改行して、
因数分解された方程式が書かれる。
 
 ◇ 夏目漱石は「莫迦」と書く。
 
── 馬鹿の語源の俗説として、「鹿をさして馬となす」(「史記(秦
始皇本紀)」の故事から)がある。
 これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と
答えた者は暗殺された。
 このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味
として使われているといったものだが、「鹿」を「か」と読むのは大和
言葉で、漢文では「ばろく」と読む。
http://gogen-allguide.com/ha/baka.html
 語源由来辞典
 
(19781001-20060816-1002)


与太郎 |MAILHomePage

My追加