母のタイムスリップ日記
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娘 最近 朝帰りが続いている。 不毛な仕事で嫌気がさしている日々である。 今朝も 6時頃帰宅。 マイカーは この2日間 家に戻っていない。タクシー帰りである。 戻ったら 転げるようにベットに潜り込んでいった。
夫は 娘と入れ替わるように 仕事に出て行った。 同じ家に住みながら 逢ってないんだよね。 夫は 娘のこと気にしているけれど 疲れて帰っているのが判るから声はかけない。
今日は 母の通院を予定していたが 午後に廻す事にして 会議に出向いた。みんな 予定がびっしりで お互いに調整しながらなので仕方がない。
娘 今日も仕事だし これじゃ起きられないだろう。 一応 出掛けに声をかけたけれど 心配なので子機を娘の部屋にそうっと置いて 家を出た。 携帯は着信音がセーブされているので起きない可能性があるから...。
電車で移動して乗り換えの時に 家に電話をして娘が起きているか確認。無事 起きていたようでホッとする。
会議を終えて 家に戻って遅めの昼食。 直ぐに母の所に向かう。 母は 表情が曇っていたので 直ぐにトイレ誘導。 出ました 細かったが普通量。 床に便が少し落ちていたので職員に排便の確認を取ったら「早朝に少量出ていたようです」とのことだった。 便をふき取って床を消毒しておいた。
それから 着替えをして「遊びに行きましょう」と母を誘う。 結構よい感じで外出できた。
今日の難題は バスの乗り換え。 最近 バスを使っていないので膝がカクッとならないかと不安。
バス停の前まで行ったら 丁度空車のタクシーと出会う。 急いで 手を上げてタクシーに乗り込んだ。 まだ 新米の運転手さんで 講習も受けたばかりという事で高齢者対応が良かった。 今時の新規の運転手さんは きちんとそういう講習を受けているんだと知った。
罹り付けの医師の診療所には 高齢の女性が数名。 母が初めてきたような表情でキョトキョトしていた。 母と私をニコニコと見守りながら 自分の親のお話をなさっていた。母の年齢が気になる様子だった。
程なく 診察室から医師が出てきて 母の両手を引いて診察室へ移動。母もニコニコしながら着いて行く。 建物は初めて見るような感じだったけれど 医師の顔は不思議と覚えていた。人の顔って 意外と記憶に残るんだね。
血圧を測るとき「何をするのですか」と一瞬 不穏モード。 「元気かなって 血圧を測るんだって」と伝えると納得してくれた。 不穏になるくらいなので やっぱり血圧は高めだった。
診察を終えて 薬局でお薬を頂いてから 家に戻って夕食か それとも外食かと迷う。 今晩 やっておきたい仕事があることを思い出して 外食に決めた。でも 最近は 用心のため施設の近くでしか外食していないのでちょっと不安。
この夏 何処にも連れて行けなかったので 今日はちょっと罪滅ぼしだわ!
バス停のそばまで行ったら丁度路線バスが停車。 ステップも無事上れて座席に座った。 後は 降りる時だけれど 終点だから最後に降りれば他の人に迷惑を掛けることもないわ。
5時少し前に着いた。 この間 お寿司食べ損ねたから 今日はすし屋さん。 メニューをみると ギリギリランチタイム。 場所が変われば 5時までランチタイムなんだね♪
寿司のコースとうなぎと土瓶蒸しのコースに決めた。 握りとチラシを量を控えてのセット。 茶碗蒸しを食べ始めたら 母の表情が緩んだ。 おやつを抜いたので きっとお腹がすいていたんだね。 チラシは母には無理そうなので私が食べた。 うなぎの方にも刺身がついていて うなぎと刺身とご飯を3分の1母に分けた。 向き合いながら 食事介助。 お客さんもまだ居ないので 気が楽に介助できた。 お吸い物にはもが入っていた。はもだけ取り出して食べてもらう。
土瓶蒸しは 母に上げた。 一口運ぶと更に母の顔が緩んだ。 嬉しいではないか。こんなに喜んでくれるなんて...。 握り寿司も満足そうに食べていた。
ちょっと困ったのが 椎茸。 小さな干ししいたけの煮物だけれど 噛み切のが大変そう。 味はお好みらしく 食べたい様子。 でも箸では 小さく出来ない。 少しずつ 食べてもらうしかなかった。 最後にお茶をたっぷり飲んで貰う。 お店を出て 少し休息をした。 前回は 食後スタスタ歩いて失敗したのだからなぁ〜。
休息後 タクシー乗り場へ。 思ったより待っている人がいて その間に母の不穏モードが始まった。乗り込む順番が来て先に乗ったら 母が外で拒否。 ♪行きはよいよい帰りはこわい♪である。 行きは すんなり乗れたのだけれど...。 タクシーを降りて 母を介助しようとしたら 後ろに待っていた人が手伝ってくれた。 年を重ねた程よいご婦人で ぶしつけでない程よい介助だった。 母を乗せてから 私が乗り込んだ。 この間 運転手さんは知らん振り。 降りる時 またおなじ事が起きる事が容易に想像できて冷や汗たらり。
施設前に着いた時「少し時間がかかるかもしれませんので ごめんなさい」と先に謝った。 すると 運転手さん 車から降りて 右側のドアを開けてくれ 降車の見守りをしてくれた。きっと渋々。 「時々 こうなるのです」と言い訳がましく話したが 同意もせず否定もせずで渋い表情だった。 でも 気持ちがあったと受け止め「ありがとうございました」とお礼を伝えた。
施設に着いてから 歯磨き トイレ誘導。 パジャマに着替えて 布団を敷いて ホールに移動。 母も落ち着いて来たので そうっと施設を後にした。
家に戻ったら 電話が鳴った。 ご近所の一人暮らしの方で「草取りしたら腰を痛めたので暇な時に 草取りして頂けますか」という事だった。 明日午前中に伺う事を約束して電話を切った。 出来る所まで 少しずつのお手伝いである。
2007年08月30日(木) |
風にまかせようっと♪ |
多くの認知症となった本人や介護者の臨床例を見てきた 認知症医療専門者や介護専門職の方の殆どが 個を支える必要性を理解していると思う。 でも時に 出会う専門職の方の口から「あ〜それ いつものことでしょ」と言う言葉に出会う時がある。
その人たちから見ればいつもの事であっても 本人にとって また 家族にとってもいつもの事であっても「どこか違う」「判っているんだよね」という感覚が湧き上がる。 それが 支えるという事だと思う。
たとえ ほんとにいつものことであっても 家族の気持ちに寄り添ってくれる専門職員であって欲しいと願う。 時に 職員の観察が外れている事だってある。 認知症と言う病は 全てが解決されている訳ではないのだから。
症例だって 似て非なるものだってある。 本人だって家族だって 小さな灯火をたいて日々暮らしている。
勤務から解き放たれる時「今日の言葉がけは どうだったろうか?」「おへそは 本人や家族に向いていただろうか?」と振り返りながら記録に記入して頂けたら 笑顔のお返しがあると思うだけれど...。 大変なお仕事なのは重々承知しているのです。 こんな考え方って 介護者の我儘でしょうかね?
最近 こんな風に感じる事が多いのです。 何故でしょうね? 母が 御世話になっている関連の専門職の方の話ばかりではありません。 何となくですが 地域包括と言うシステムが導入されてから始まっているような気がしていますが 気のせいでしょうか?
さて 今日は溜めた仕事をようやく終了。 月末の恒例である。
夕方 菜園に出向いて草取り。 あるある 草がいっぱい。 今年は 放置しすぎて...野菜たちに申し訳ない気分である。 気候のせいか 日当たりが良くないせいか ヤーコンの成長がイマイチ悪い。枝豆は 実は付いているが もう少し豆が膨らむまで待ってみようと思う。 さて 散漫な日記となるが 枡添要一厚生労働大臣。 年金の財源の一部を消費税で補って行くという考えだそうだ。 でもね 経済が活性化しているって何処の話? 少なくとも 母の年金は 介護保険負担が増えて目減りして 利用料は上がって...。母の年金額では 賄えない状況なんだよね。 その上 消費税が上がったら 日用品の負担額がまた増えるでしょ。 もう 何処を買い控えればいいの? という愚痴も零れてくる。 生活に余裕のある人ならいいけれど...。なんだかなぁ〜。
みんな 財源がないなら負担増止む無しって言う人ばかりなのかな? 1度 庶民と同じ収入で3ヶ月限定でいいから 実体験してみてよと言いたくなるのは 私だけかな?
あわわ...止まらなくなりそうだから 今日はやめようっと! 風まかせ 風まかせだわ♪
2007年08月29日(水) |
涼しさに誘われてお散歩 |
施設では 昼食前のゆったりとした時間が流れていた。 一人一人に「こんにちわ♪」と挨拶をすると皆 ニコッと笑顔を返してくださった。 母は 心なしか不安げな様子。近くに行けば笑顔を見せてくれるが 離れたところだと気が廻らない感じだった。
母と居室に入り 暫く外の景色を眺めた。 時折 窓辺にもたれかかるように俯いたりしていた。
元気を付けて貰おうと 椅子に座ってもらって 母の前で踊ってみた。 母は 上体だけで私の踊りを真似しようとしていた。 気力はあるんだろうなと想像できた。
この所 暑さも手伝ってお散歩も少なめで この2日は面会もお休みしていた。 そこで 両手を取って立位して貰い 両足の屈伸を出来る所までやって貰った。次は 片足ずつ上げて貰い バランス感覚の様子を探ってみた。 どの動作も 母なりにこなせたので安心できた。 「おしまいにしようか?」と聞くと「ありがとう」と涙をいっぱい溜めて言った。話しかけただけで 目をウルウルさせていたので 感情失禁のある日だったのかも知れない。 2日続けて面会していないので 何か感じる所があるのかも知れないと思い 声に出さずに謝った。
其の後 トイレ誘導しポトンと1個排出。後 続く事もなく終了。
程なく昼食となった。自力で食べ始める気配もないので介助で食事を始めた。何とか全量摂取できた。
居室に誘導し 歯磨き 洗面 トイレ誘導しリハを受ける準備をして待った。今日は 動きもなくウトウト状態となってリハが終わっても眠っていた。
職員の声で目覚めた母。 「学校に行かせてください」と言う寝言で目が覚めたのだ。 何か夢を見ていたのかな。いつになく 大きなはっきりした寝言だった。 ふと なんか臭う。 職員がいたので「母でしょうかね?それとも他の居室?」と聞くと居室外では臭っていないという事で 母の機嫌を損ねないようにトイレ誘導。 緩めの物を背負っていた。 昼前の時の排泄で お腹が少しキュルキュルしていた事を思い出し そういう事だったかと思った。
その後 母を散歩に誘った。 「遊びに行こう!」と。母はいたずらっ子のように目を輝かせて「行く」 歩行も安定しており 気持ち良さそうだった。
今日は 結構歩いた。 私の昼食が未だだったので 近くのすし屋のランチタイムに出掛たが既にタイムアウトで鍵がかかっていた。 仕方なし ファミレスへ入った。 母には豆乳のケーキとフルーツティー。 私の昼食も少し分け 食べてもらう。 自力で食べるのは無理で介助した。食べる事は嫌じゃないみたいだった。 しっかり水分を摂ってから また 更に歩いて 公園の小山を上って降りた。この頃から 少し前のめりになり 心臓もバクバク感があり疲労していると感じた。 施設に戻って椅子に座って上履きに替えたが 直ぐに立ち上がる元気もなさそうだった。 荷物を置いて玄関に戻ると 元気を取り戻した母は 介助で立ち上がれ 居室に戻った。 期限は悪くなく トイレ誘導した。 ファミレスを出る時もトイレに入ったので 今回は空振り。
暫く休息してホールに移動。 テレビを見始めたので そうっと施設を後にした。
行きがけに郵便局に振込みするため立ち寄った。 が またしても忘れもの。 母のケアプランの用紙のファイルを忘れたのだ。 ちゃんと預かっていてくれた。 このところ 多い。もともと多いのにまたしても...である。ヤレヤレである。涼しくなったのだから いい加減にしなくちゃね!
急にある所に 人と待ち合わせて出掛けることになった。 目的の場所は ある程度判っていたのだが...。
今朝 アポイントメントが取れたという事で 待ち合わせ場所を電話で聞いている時「JRの〇×駅。〇時」と言われた。 頭がパニくる。 ...JRの〇×駅って何処だ?聞いたことがない... 「何線ですか?」 「〇〇線」 「〇〇線で〇×駅って有りますか?」 「△駅から 一駅よ」 「え 一駅って...そんな駅あるんですか?」 受話器を持ちながら焦る焦る。
その内に はっきりと駅名が聴こえた。 「はいはい。判りました。△〇駅ね。〇×駅って聴こえていたので判らなかった。こっちの耳がおかしくなってますね。ごめんなさい」 電話の向こうで笑ってた。
聞き間違い...。 まるで母のようだ。 母も話が聞き取れなくて おかしな言葉を反芻していた。 こういう時 脳みそ全開して 自分の知っている情報を検索を始める。 何となく 母の普段の生活がこんな風なのかなと想像した。
無事 訪問先について あれこれとお話して 昨年の最初の一歩から 更に前進できそうな感触があった。
利用者さん 訪問。 今日は 離れの本を本屋さんに査定して頂く予定。 利用者さんは 一人暮らしなので 申し込みや連絡先は我が家にした。業者さんが見えるのは 午後一。
そんな訳で 午前中はいつも通りの活動することになった。 暑さのピークは過ぎたとはいえ まだ30度越えなのだ。 なのに 利用者さんは庭の草取りをなさっていた。 来年は90歳と言う利用者さんである。
いつもにこやかな方である。 編み掛けのレースがテーブルに置いてあった。 未だに 中位の作品は いとも簡単に編まれる。
掃除を始めた。 この夏 エアコンをお使いの形跡はない。 扇風機は 各部屋に置いてある。 エアコンがないかと思ったが 各部屋にきちんと設置されていた。 「暑いので 窓を開け放ってみたけれど 余計暑くなるのです。だから 雨戸を閉めた方が涼しいです」の言葉からも冷房を入れてないと察せられた。 いやはや お元気です♪
いつも通りのお掃除をして活動は 終わった。 「本屋さんから 連絡があったらまたきます」と伝えて家に戻った。
急いで昼食を取り 洗濯物を取り込んで 電話を待って利用さん宅2度目の訪問。 表札と申込者の名前が違うので 判らないと困るので 庭のベンチで利用者さんとお話しながら待っていた。
「今日は 利用者さんがお母さんで 私は嫁に出た娘で演技ですよ」と伝えた。 「ふふふ」と利用者さんは笑った。 一人暮らしと悟られないようにするためである。 物騒な世の中なので 用心に越した事はない。
「いくらになるかしら?」と利用者さん。 「さぁ〜 たいした事はないと思うけれど 出来ればいっぱい引き取ってもらえるといいですね」と答えた。
程なく 業者さんが見えた。 離れに案内すると「お部屋で待っていて下さっていいですよ」と言われた。30分ほどで 査定が終わり「1360円です」と言う。 「どんな本を持っていかれたのだろうかしら...」と離れに行くと殆ど減っていなかった。全集物は しっかり其のまま残ってた。
全て廃棄予定だったし 貴重品は置いていないので心配は要らなかったけれど...。 数冊で1360円という事は お宝本があったのではないかと想像した。作業の様子を見ていてどんな本だったのか見ていれば良かったなと思った。 何故 そう思ったかというと引き取った本を見せてくれなかったからである。ちょっとしてやられた感じがする。
娘も以前 店頭まで運んで処分した事があるが 高く引き取ってはくれなかったと言っていたので 全幅の信頼をしていたわけではないのだが...。
利用者さんは「捨てる筈の物がお金になるなんて 面白いですね」とニコニコなさっていた。
活動報告書を書きながら 利用者さんとあれこれお話した。 普段の活動では 家中のお掃除なのでおしゃべりする時間はないのだ。 話の中で「食べ物があれば 1週間位外出しない事もあるのですよ」と言われた。
報告書を書いて帰ろうとすると「あなたといると楽しいわ。今日もとても面白かった」と話された。 1週間も1人で過ごされていれば 人とのお話も楽しいと感じられるのではないだろうか?
家に戻って 外出するにも中途半端な時間となってしまったので 家の掃除をした。 日の暮れるまで トタパタやって 7時すぎからようやく夕食の支度。 まだ 家の掃除は半分も終わっていないやい。
母の所に行くと何だかグッタリしていた。 ソファーに座っているのだが 力ない感じなのだ。 どこかが調子悪いのかなと思った。
声をかけても空ろ。 居室に誘導し 手遊びを始めても動きが合わない。 脳梗塞かなぁ〜なんて 少し心配。 でも歩く事はできるしなぁ〜。
職員がゴミ回収に来てくれたので「排便はどうでしょう?」と伺うと「マイナス4日です」と言われた。 先日 辛そうだったから出るものと思ったが駄目だったんだね。 「投薬は どうなっていますか?」と伺うと「朝 マグラックス。後はアロエエキスをいつも通りです」という事だった。 「少し前までお腹マッサージしていましたが空振りでした」とも言われた。
気合を入れて 母をトイレに誘導した。 少し嫌がった。 母を便座に座らせる時は ゆっくりと両手で抱え込むようにして母の力を借りながら 丁度良い位置に座れるようにする。 前過ぎず 後ろ過ぎずに正面に。 何となく出そうもない雰囲気だったので「無理かな?でも 4日だよね」と思い「いち・にいのさん♪いきんでみよう」と声をかけたら なんと母のお腹に力が入った。 途端に出ました。4日目なのでコロコロしているかと思いきやすごい健康的なものだった。 其の後も普通量があり これで便秘解消だろう。
水分摂取とマグラックス1回とアロエエキスで母には丁度良いのかな? この感じだと元気な頃の母のペースだから。
下剤が効きすぎて緩やかだと やはり苦しそうな感じは否めないのだ。 この1年は 調整が付かなくて ハラハラしたが良かったわ♪
職員にも「マッサージ効果があったようで 出ましたぁ〜。ありがとうございました」と様子を伝えたら「良かったですぅ〜」という返事を頂いた。
手洗いを済ませて皆でおやつを頂く。 其の後 居室に入って 持参したお茶とイチジク2個とお菓子を介助して食べて貰った。
今日は 言葉数が極端に少なくて心配した。 でも おやつの時テーブルに運ばれたお茶を「これは私のだ」と手に取って一口飲めたのでホッとした。
其の後再度 手遊びにチャレンジしたら きちんと出来た。 やはり どこか調子悪いと反応も低下するんだね。 言葉が出たのも お腹がスッキリしたあとである。 それも一応 主語述語がある 意味のある言葉を発せた。
便秘解消は マグラックスのおかげかアロエエキスのおかげか 水分摂取の効果か はたまた気持ちが安定しているおかげか? どれかは判らないけれど 解消できたという事は嬉しい。
だんだんと気持ちにゆとりができて 笑顔が戻ってきた所でそうっと施設を後にした。
介護保険のアンケートを依頼されていた事を忘れていて 慌てて個別に訪問しながら用紙を手渡しした。
玄関先で...と思っていたのだが 個々に抱えている問題があって話しこむことになって ついつい長くなってしまった。
病の進行と共に 医療対応の部分が増えて行く。 若い人でも躊躇が有るのに 老々介護となるとずしんと重たくなる。 在宅の限界とやんわり伝えても「もう少し...」と思われたら それ以上の事は言えなくなる。 頑張ろうと言う思いに水を差す事は なかなか口に出来ない。
高齢者の場合 ちょっとした事で坂を転げ落ちるように悪化する事が多い。 例えば イロウ設置したら特養によっては 入所出来ない。 入所中にイロウとなった場合は 対応も考慮してもらえるけれど...。 この差は 老々介護の場合には堪えるのだろうと思う。
アンケート配布には 時間がかかってしまったけれど その分 これから先の母の介護に関しては また勉強させてもらった。
今日新聞を読みながら ちょっと落ち込んだ。 世の中には いろんな考え方が有る事は承知しているのだが...。 別に個人を特定して言っていることではないのけれど 何となく自分の事のように感じてしまっている。 前に進むことも 後ろに下がる事も出来ない今の自分の状況。 言い訳しても何も始まらない。 重たい気分を引きずりながら 気持ちの整理をするしかないなぁ〜。
施設の前の公園で地域の盆踊り大会。 今年はお天気も良くて良かった。
今日は 頼まれもしないのに 着物を2組持って出かけた。 先に着物だけ届けて 弟の借りていたアパートのキイを返しに行くつもりだったが なかなか時間が取れなかった。
朝 返しておこうと思ったのだが 役所の方のお話があったので行きそびれてしまったのだ。
持参した2枚のうちの1枚は 結局入所者のお1人に着て戴く事になった。 入所者には それぞれ浴衣が用意されてはいたが 状態によってはない人もいた。職員にしたら 少し迷惑な行為ではあるのだ。
それでも 半ば強引に「故郷のお母様からお着物が届いているんですよ。折角だから お召しになりませんか?」と誘いをかけた。 施設長が気を利かせて 着付けをしてくださった。 お手伝いは もう1人のご家族と私。 洋服の上に着つけた。 脱ぐことがお嫌いな方である。 ギュッと締めないで...と言う注文も多い。 でもちゃんと出来た。 着て見たら結構気に入られたようで 脱がれる事はなかった。 その姿で盆踊りの公園へ。 昨年は ご主人と出かけたが人込みを避けてファミレスに出かけれてしまったのだった。 でも今年は 違った。 夏祭りに溶け込んでいらした。
実は着付けの介助に移った時 母ともう1人は食事中だった。 着付けを終えて戻ったら 二人ともおへそがくるりと背中に回って 介助してもそっぽを向かれる事態となってしまった。 私もその家族も苦笑いするしかなかった。
でも 食事も終えて着付けをして公園に出向く頃には ご機嫌も上を向き始めていた。 昨年 母は まだ夜店を廻ったりできたが今年は少し困難。 環境適応するまで時間がかかるのも確か。 今年は端っこに腰掛けて雰囲気に浸っていることが長かった。
そうやっている事で 普通じゃ体験しそうもないことに遭遇。 衆議院議員さんが見え 母に話し掛けて握手を求め「自分の母も96歳で元気なんです。よく来てくれましたね」といったのだ。 閣僚経験者である。 別に応援していた人ではないのだが...それでも地域に出るって見知らぬ人との出会いも大事だし...。 票になるかも知れないのだから 無愛想ではないし...母にとっては面白い経験だったろう。
其の後 持参したところてんを食べてもらう。 この当りから 母の機嫌は非常に良くなった。 盆踊りが休息となって 参加賞を配るあたりで夜店に並ぶ人も少なくなったので母と2人で夜店に並んだ。 たこ焼き3パック購入して施設に戻った。
湯茶や氷 果物は1度 家に戻って運んできてもう1人のご家族と食べリ飲んだり...。 昨年の悪夢が甦ったので 準備してたのだ。 もう1人のご家族は 帰路2時間をかけて戻られるのだ。 職員もお茶を準備してくれてはいたが。
施設に戻った母は 食べる意欲満々。満面の笑み。 他の方も同様だった。
歯磨きも済ませて 氷を口に含ませて見たら喜んだ。 「なくなった」と催促するほど。 なにせ 暑いのだ。 水分もかなり補給できた。
ニコニコ笑顔のまま お布団に横になってもらい そうっと家路についた。
2007年08月23日(木) |
認知症+併発する病の対応 |
弟の会社は 昨日でこちらの仕事を終えて 今日引き上げる予定だった。 昨夕は 残った方に夕食を差し入れ。
今朝は 残務整理の事で弟のいるアパートまで出向いた。 気温は下がったが 歩けばまだ汗が流れる。 最終の打ち合わせをして 鍵は家に届けてもらう事で決着。
その足で電車に乗って会議の場所に向かう。 一昨日は 電車の冷房効いているの?と思うほど暑かったが今日は 汗が引いてくれて助かった。
会議に出て 自分の担当するだけ 手付かずになっていることに気が付き愕然。慌てて もう1人の担当者と打ち合わせ日を設定した。 会議は 二つ有ったが 夕方から地元のヘルパーさんから 若年性認知症の方のご家族の相談に乗って欲しいと依頼され急遽逢う事になっていたので 後の会議は失礼した。
ご家族とヘルパーさんとで いろいろお話をした。 具体的な事は 端折ることにして...。 認知症と診断されたのが 他の病で入院してからだという事だった。昨日電話で相談されてきた方も 同じ流れである。 最近 このパターンが多いように感じる。 まだ 初期から中期に移行中の方と感じた。 そういう場合 病の理解も浅いし 関連情報も良く判らないと言うのが現状である。 だから 家族は右往左往する。 つまり 介護保険利用前なのである。
病院から 在宅の介護は無理だろうと言われており施設も探さなくてはならないのだ。 本人の核もまだ保たれている所も多いが 認知症の症状と言う部分もあり 認知症についてヘルパーさんも加わってあれこれ話をした。
話しているうちに「あ〜そうでしたか。皆さん そういう症状があるのですね」と言われて「何となく はっきりと見えてきたように思います」と言われた。
施設の受け入れを役所に聞いて見ても 単純に老健は「短期入所が原則です」といわれると全く予知がないと思い込んでしまうのがちなのが 初期の介護者。 とりあえず 地域にある施設に片っ端から当たってみて 更に見学してみて絞り込みするように...とアドバイスした。 それと地域包括の利用。 こちらも彩星の会に問い合わせて情報を探る事にした。
病が認知症だけでないところにこのご家族の悩みがある。 認知症+併発する病は ほんとに難しいのが現状である。
昨日から 朝日新聞のコラムに彩星の会の干場さんのことが載っている。 今日の新聞で話されている事は 干場さんからテープを聞かせて貰った場面の話だった。 言葉を失いつつあるので 家族で必死にリハビリに取り組まれたいた頃の場面である。 誰でも 過去には 本人のためという思いが強く強行に追い込んでしまうことがあるもので 自分の過去もあわせて思い出していた。
そんな所に電話があった。 弟の奥さんの友人である。 以前近くに住んでいたので交流はある方。 今回 弟がこちらで仕事している間にその方のお宅を訪ねたとは聞いていた。ご主人のお父様と奥様のお母様を引き取って現在同居中なのだ。 暫く音信も途絶えていたのだが 以外にも 我が家の近くにお住まいだという事を知った。
電話の用は 介護の話をなさりたかったのだった。 圧迫骨折で入院して 認知症発症を指摘され 退院前までに家の中の環境を整える必要があると言われて 指定された場所の家の写真を何枚も準備するように言われたそうだ。 また 家族との話し合いも月に3回なされて 医療・介護・リハ担当者等病院関係者が4.5名と家族1人での話し合いが持たれたそうだ。 それがプレッシャーとなって 半ば強引に退院なさったそうだ。 まだ 介護保険の認定も受ける前で 手探りしながら情報を集めてようやく週1のデイケアを利用できるようになっているという事だった。
確かに理想的な対処の病院だと思うが踏み込みすぎては居ないだろうか? 意地悪く見れば 取り込みのように感じるのだ。 「在宅に戻るにあたり 環境を整える必要が有るかも知れないので ケアマネさんによく相談なさってみると良いですよ。ご家族でなさっても良いですし もし ご希望がありましたらこちらでも対応できます」が妥当なのではないかと思う。 この病院では 他にもそういう事例が出ているとある方から伺った。
何故 その病院に入院なさったかと伺うと 圧迫骨折で救急搬送された病院が 期限が過ぎて転院を迫られたそうだ。 そこでピンときて「〇×整形外科?」と聞くと「そうだ」という事だった。 友人のお義母さまも救急搬送で同じ病院で同じように退院を迫られたのだった。たまたま 救急で運ばれた時点で こちらに相談があったので地域包括に繋げて 病院探しも無事乗り切ったのだ。
おそらく これからこういう事例が増えていくだろう。 救急搬送しても満床と断られるケースが増えてきているのだ。
他にも いろいろお話なされたが これから また 安心して電話できるわと言われた。
病院問題は深刻なことになってきているなぁ〜。
病院側はマンパワーで解決できるけれど 今の状態での人員増は無理と言っているしなぁ〜。厚労省よ...だいじょうぶなんかい???? 予算もないとなると やはり真剣に見守りボランティアを考えたら良いのかなぁ〜。
母のリハビリギリギリに施設に駆け込んだ。 母の口の中には まだ食べ物が残っていて お茶も少し残っていた。 職員は 食器洗いを始めていた。
湯飲みを持って居室に移動。入れ歯を外してトイレ誘導。 入れ歯を外す時にもごっそり食べ物があった。 お昼はお魚だったと想像できた。
トイレのすまないうちに療法士さんが見えてしまった。 トイレを済ませて歯磨きしてもらおうと思ったがなにせ 直ぐの切り替えは認知症の母には難しい。 漱ぐ事でもたついたので「リハが済んでからにしようね」と母に言ったら 「療法士さん ゆっくりで良いですよ」と言ってくださった。 「私も今来たばかりなんですよ」というと「汗を見れば判りますよ」と言われた。そう 私の頭からは湯気が出てきそうなほどに汗が流れ落ちているのだった。 気が付けば 居室のエアコンも切ってあった。ホヘッ! 慌てて エアコンのスイッチを急速で入れた。 気温は 35度越えなのだ。
リハが済んでから 持参したお茶を母に飲ませて 更におやつの時に私にまで出してくれたアイス珈琲を 母に飲ませた。勿論 母に出してくれた物も母に飲ませた。 母の口にあれだけ食べ物が残ってたのだから お茶をお代わりしたとは思えないし...。
私は飲みたければいつでも飲む事が出来る。 でも母は 喉が渇いたと訴えも出来ないし 自分で飲む事も出来ない。 どっちが大変かは おのずと判る事である。 母の居室にはそれでもコップが置いてあるが...他の居室には???
施設の暮らしぶりをみていて 体調が思わしくないと基本的生活習慣の維持するためのフォローが 置き去りになっていくように見える。 そうするとおのずとそういった生活習慣の機能がダウンしていくように見える。まだ 身体機能がしっかりしている時はさほど影響していないように見えるが 身体的機能が下り坂になっている時には結構致命的になりそうな気がしてならない。 無理を強いるという事ではないのだけれど 出来る限りの対応出来ないかなぁ〜。
何だか悪い事だけ書いてしまっているようで気が引ける。 そうそう 母の足の打撲で湿布していた時 水虫が悪化していた。 今日見たら 綺麗になっていた。 これは 施設側の対応のおかげだと思う。
昨日 ドライシャンプーしている時の事。 しきりにおかちゃんと呼んでいた。 「どうしたの?」と聞いたら「おかちゃん 我慢しなさいっていうんだ」と母は言った。
胸に手を当てれば シャンプーしている時や美容院に出かけている時「綺麗になるんだから ちょっと我慢してよ」と何回か言っている私。 ちくりと心が痛んだ。 でも そういう言葉が 関連付いて母の記憶に残っている事を知り 嬉しかった。
出来れば 母の気持ちに添うようにしてあげたいけれど 時として衛生を保つため 危険回避のため 母の気持ちに添えないこともある。
感情で怒る事はもうないけれど でも駄目な時は駄目というルールは 決めている。 無理を押し通す時は 命に関る時で 後は母の様子を見ながら無理を通すかを判断するようにしている。 駄目のルールは そう多くないのだけれど...。
入れ歯装着拒否 食事拒否 トイレ誘導拒否等いろいろ起きるけれど そういった時の判断基準は 1度引き下がり 再度挑戦という事を繰り返している。そういう時は 無理はしない。 強行するよりも 引き下がる事を優先したほうが 再度挑戦の時うまく行く確率が高いようにおもえるからである。 感情のぶつかりが少なくなった分 受け容れてくれる確立が高くなって来たと感じている。
母と私の関係は 最近は こんな感じである。 母は 過去に「間違っていたら 言って頂戴ね」と幾度か言っていた。 だから 許してくれるだろうと勝手に思っている。
2007年08月20日(月) |
美味しかったんだね♪ |
また 暑い日が戻ってきてしまった。 でも 気持ち控えめかな。
夕方 ヒグラシの声が聴こえて「わぁ〜い もう直ぐ秋かぁ〜」と嬉しくなった。ところが いつまで経っても鳴き続けている。 「ふぇ〜突然変異!」と思った途端 目覚ましの音だと気がついた。 全く オッチョコチョイである。
でもさっき 庭の隅で虫の音が聴こえてきた。 今度は 本物。
朝は畑に出向いてゴーヤを収穫。今年は ゴーヤ豊作なので篭いっぱい。 先日 暑さでわさび菜が弱っていたのだが 今朝見たら青々としてきていた。雨のおかげだろうな。 トマトも諦めていたが 赤くなっていた。 ナスも数粒。 苗は元気を取り戻しつつあった。 赤紫蘇を収穫。
家に戻って紫蘇ジュースを作った。 今年初。遅いのだけれど...でも気持ちにゆとりがなくて出来なかったのだ。 作りたての紫蘇ジュースと梅の時期に作った梅ジュースとゴーヤを持って母の所に出かけた。 ところてんとオレンジゼリーも持参。
施設では昼食中で少し介助できた。 職員にゴーヤを貰って頂き 入所者の方に触れてもらった。 「きゅうりだ」と言われる。 「触ってみて きゅうりかな」と聞いてみたがきゅうりと違う事は判ったが何かは判らなかった。 ゴーヤそのものが ポピュラーになったのは最近だから仕方がないだろうなぁ〜。
食後そんなこんなで話していて 母のトイレ誘導少し遅れた。 トイレ誘導した時には 少し出てしまったものの残りはトイレへ。 其の後 良好な大も。やったぁ〜!と言う感じ。 昼食後「つまり気味なのでヨーグルトを...」といわれ 食べさせたがヨーグルト効果にしては早すぎる。きっと自然な物だろう。 強くいきむ事はなかったが お腹に触れたら結構力が入っていた。 柔らかくなければ いきめるのではないかと感じた。 しかし かなり難しいだろうけれど...。 確か前回もそうだった。 お腹の調子戻りつつあるのかな???
其の後手洗いを済ませて 持参したところてんやゼリーを食べてもらう。 これが 昼食後にも関らず良く食べていた。 夏は 多少の酸味と口当たりの良い物が食べやすいのだろう。
其の後 ホールに出てみんなと遊んだ。 車椅子の方がベットに寝たがって幾度も「ベットに連れて行って」と御願いしていたからだ。 出来れば 日中は起きていたほうが良い事は職員に聞いてたし 少し足を動かした方が良いという事も有った。 最初は 母とその方で簡単リハビリと思っていたが みんなが興味深々と言う雰囲気になったので「夏の歌メドレー」や「お国自慢の歌」をみんなで唄った。私の知らない歌の時は教えて戴く 歌詞を忘れたら覚えている人が繋いでくれて...みんな助け合ってひとつの歌を唄った。 飽き始めたら「じゃんけんぽん」 「負けると悔しいよ」と言うので勝つまで続けた。
一時間余 みんなで楽しんでいたら おやつの時間となった。 「ベットへ行きたい」と言っていた方は もう眠い時間をやり過ごせたようで「ベットへ...」は言わなくなっていた。 「あんた 面白いね」と言ってもらえた。「へへへ 抜け作だから...」と笑いで対応。その方も他の方も 大笑い。
おやつは 施設長の故郷から送られてきたというザボン? 「はなさん 手伝ってもらえる?」という事で せっせと皮むきの手伝い。 食が細くなっている人も酸っぱいの嫌いな方も みんなせっせと食べる食べる。噎せはしないかと 施設長も私も気になったが 誰も噎せない。 おかわりの連続。 普通「もう いいわ」と言うのだけれど 誰一人言わなくて剥いた物は 全量みんなのお腹に納まった。 ほんの一口味見させてもらったら ザボンよりもみずみずしく酸味が弱く甘みも薄い。ほんとに食べやすいものだったのだと知った。 母は お皿に身崩れを貰ってスプーンですくって食べて貰った。 自力で食べていた。
みんなとても満ち足りた表情だった。 そういえば 今日は誰一人ウロチョロしなかったなぁ〜。
母をトイレ誘導。ジャストタイミング。 でもどうやら また腹痛が始まったようだ。コロンと1個だけ落ちた所をみるとまだ残っているのかも知れないし 今度こそヨーグルト効果かも。 何となく手が熱いので検温したら6度9分で微妙な所だ。 食欲もあるし さっきまでは 遊べていたのだから心配は無いと思うが 言葉を発せないというのは致命的だなぁ〜。
夕方になったのでそうっと施設を後にした。
この2日寝室のエアコンを入れなかった。 その代わりビーズのクッションを首に当たる所に置いて眠っている。 いろんな冷たいグッズを試してみたが 何れも湿った感触が私には合わない。先日 友人に送った鉢巻タイプの物は 友人も好みではなかったみたいだった。で 娘さんに譲渡したそうだ。 夫はといえば 健康のため 毎朝徒歩通勤なので首に巻いたり鉢巻にして重宝している様子だ。 ひとそれぞれ好む形があるのだなとつくづく感じる。
エアコンを使わずにひんやり眠れるというシートがあるとネットに有ったので調べてみた。 冷えすぎ注意とあったが 本当だろうか? 値段とどのくらい持つか等あれこれ検討してみた。 まだ 購入する気持ちにはならないが 手に触れて見てみたいとは思っている。
まだ 一晩中蝉が鳴いていて夏が永遠に続きそうな気持ちになる。
今日は 久しぶりに家族が1日揃っていた。 夕食は外食。 外食嫌いの夫だが 渋々同行。 出かけたお店は 野菜が自慢の所。 切り立ての野菜のバイキング。 南瓜 茄子 オクラ とうもろこし等食べ易い形に切ってあり グラスに取りテーブルに運ぶ。これら 全て生。 パリパリと塩やドレッシングで食べる。 「俺きゅうりだけでよい」と言っていた夫だが 結構食べていた。 テーブルのしきりは蛍光灯の灯りで野菜が水栽培されている。 うちの菜園で育てているわさび菜は夏場はうまく育たないが こうやれば柔かなものに育つだろうなぁ〜。 天麩羅は格別。 海老は有るが 他は全て野菜。 ご飯は 注文してから炊くので40分はかかる。 人気の店なので 行列のできる前にサッと入って ゆっくり食べてきた。 野菜で お腹がいっぱいになった。 おなかの中は 健康でいっぱい ミネラルでいっぱいと言う感じとなった。
母も連れてこようかなと思うけれど 生の野菜何処まで食べられるだろう? 昼にでもチャレンジしてみようかな? どんな顔するだろうなぁ〜。
「家族揃って...」も この夏はこれが最初で最後なんだろうな。
2007年08月18日(土) |
フェイントかけたら...笑ったよ! |
今朝 末弟から電話があった。 昨日 最終の片付けのためこちらに来たと連絡があったばかり。 我が家から布団3組貸してあるので それを近日中に返しに行くとも言っていた。「長男は?」と聞くと「もう来ない」と言う。 つまりのところ 先日スイカやら枝豆やらを運んできたのが最後だったらしい。それなら やっぱり母の所に立ち寄ればよかったのになぁ〜。 あれだけ喜ぶ母なのになぁ〜。
で弟の電話は いとこの奥さんが亡くなったと言う知らせだった。 2年くらい闘病の末という事だった。 公立病院の婦長さんをなさっていた。今年定年位だと思うが...。 仕事をなさっていたので あまり行き来はなかったのだが...。
夕方 長男からもその事で連絡が入った。 その時 父の末弟がどうやら呆けてきているらしく 今回葬式には出ないと連絡が入ったらしく「お前知っている?」と聞かれた。 叔父はこちらに住んでおり 数年前我が家まで奥さんと共に遊びに来てくれた。それ以来逢っていない。 年賀状は今年も来ていたが 達筆の文字に陰りを感じ気になっていた。
そこで 夜 叔父の家に電話をした。 おばさんが出て 認知症ではないのだけれど...と言葉を濁した。 それでも よくよくお話を伺っていると どうやらせん妄らしい。 お子様も今 子育て真っ最中らしく 2人でゆったりと暮らしているみたい。 とは言っても 症状的には認知症に似ているところもあり ついつい言葉を荒げてしまう情けない介護だと話された。 でも おばさんのお話も少し話が行ったり来たりで危なげなのである。 孤立した生活をなさっているんだろうな...と心配になってきた。 おばさんは 脳腫瘍で手術なさったおり歩行が大変になってしまい 身障者の手帳をお持ちである。 介護保険の認定も受けていて でもまだ何も使っていない様子だった。 まだ 年齢的には若いからなぁ〜。 「近いうちに遊びに行くね」といったら「是非来てお喋りしよう」と言ってくださった。
さてと 今日の母。 ご機嫌度は中くらい。 昼食介助をして全量摂取。 其の後 トイレ誘導。既に出た後だった。 今日は 涼しいのでお散歩日和。 と言う訳で 歩き専門の外出をした。 歩く事は苦にならないようで 背中を丸めながらも良く歩いた。 久々にかなりの距離を歩いた。 「大丈夫?」の声にも頷いてやる気満々。 途中で従姉妹の奥さんが亡くなったことや教会の仲間が亡くなった事を伝えると「亡くなったの」と聞きなおしてきた。 「うん でも〇チャンには こちらでのお役目がまだ残っているから 元気で感謝して暮らさなくてはね。御願いよ!」と伝えると 思いがけない返事が返ってきた。「はい」聞き間違えかと思って「長生きしなくちゃね」と再度言うと「はい」と言う返事。 嬉しかった!
長い散歩とは言っても1.5キロ弱程度。 母にとっては限界だろう。 休息は1度。後は施設前でちょこっと腰を下ろして呼吸を整えて貰った。 顔に薄っすらと汗をかいていた。 でも満足げな表情だった。 歌は聞くだけだった。 それでも道端の草や狂い咲きしたふじの花に手を添えて撫でていた。
施設に戻って 少し横になってもらい 団扇で扇いであげた。 冷房は効いているけれど...。 背中から風を送ると後ろを向いて幾度も姿を確かめていた。 グルミットを優しく撫でて まるで子供をあやすような仕草が止まって数分眠っていた。
目を開けた時「起きる?」と聞くと頷く。 抱きかかえて起してトイレ誘導。 排尿とコロンコロンと3粒ほど排出。 それで治まったようだ。
母は笑顔を見せ 両手うちのゲームをして暫く過ごす。 フェイントをかけても笑いながら動作していた。声を立てて笑ってた。 母と過ごす時間は 限りなくサイレントの世界となってしまったが 笑い声を聞けて嬉しかった。 感度良好の母。
2007年08月17日(金) |
サマージャンボ 当たったけれど... |
日が落ちてから買い物にでた。 雨雲が広がり始めていた。買い物するのはコロッケを作る為のパン粉のみ。 直ぐ戻るし 運動がてらだからと家を出たのだった。
けれど 買い物にでるとあれもこれもと思う。 お店を替えて...と外に出た時 ポツリとあたった。 どうせ 果物見るだけだ直ぐ終わるのだし...。
が買い物が済んで外に出たら 傘なしでは歩けそうもない雨。 思いなおして 濡れにくいコースを使ってバスターミナルへ。
あ〜パン粉だけにすれば良かった。
雨が降った直後は 路面にあたった雨で熱気が漂って気持ち悪くなるほど。 でも 暫くして雨が上がり 風がちょっとだけ冷たくなった。
帰る道すがら 明日使おうと思った冷麺に献立を変更する事に決めた。 「じゃ 買い物出なきゃいいのに...」と1人突っ込みしてしまった。
待望の雨。嬉しい!!なにせ 暑過ぎた。 考えれば連日40度越えの地域も有るのだから それを考えれば贅沢なんだけれど...。
で 昨日サマージャンボの抽選を 深夜に思い出してネットで調べた。 そりゃ 最高額から...。 頭の数字が違ってカックン。 だんだん 下げて行き 額面も下がっていく。 二桁でやっと数字があった。 はい 当たったというよりも元を取ったという事。 これを元に また宝くじ挑戦と行こうかなと...ちっちゃなくだらない夢を広げた。 この宝くじ 娘が買ったものですが...良いのでしょうか?
冷麺 美味しかったそうです。 1年に1度献立にのるくらいの冷麺ですが...。 今日は しゃぶしゃぶ用の肉を茹で きゅうりと蕪を千切り パイナップル。レタスやもやしも良いのですが 今日はなかったので試しに蕪を使ってみた。歯ごたえが面白いと言う評価でした。チャンチャン!
今夜は冷房の効きがよい。熱帯夜返上と行けばいいのだが...。
2007年08月16日(木) |
今年の暑さは記録的? |
早朝の地震「起きなくちゃ」と思いながら 布団の中で様子見。 其のうちおさまって また寝入る。 がまた地震。再度眠る気にもならなくて早起きした。 でも 朝から生ぬるい空気で 汗びっしょりとなった。
以前 訪問活動をしていた方のご家族から残暑見舞いが届いた。 もう 亡くなられて7.8年経過している。 冷房が嫌いで 団扇であおいで差し上げていたっけな。 蒸しタオルで清拭して差し上げると「涼しい 気持ちよい」と笑顔を見せてくれていたっけ。 熱すぎて「アチッ!」と言われたこともあったなぁ〜。 年が明ければ100歳という時に亡くなったんだっけ。
介護なさっていたのは お孫さん。お仕事しながらの介護だった。 お1人で介護なさっていた。
通勤に時間がかかり帰宅が8時過ぎるので 娘や母をを連れて時間外に 様子見に出向いた事もあった。
そういえば あの頃母の認知症は始まっていた。 普通にお話できていたけれど 人と話す事は無理で会話が成立しなかった。 会話が成立しないのは 今だって同じだけれど あの頃と今とは比較に成らない。語彙が数えるほどしか残っていないのだなぁ〜。
チャリで母の所に行く。 生ぬるい風なので 施設に着く頃には汗がドボドボ流れた。 この所 汗が出ても吹く風で心地よかったのだが 今日はべったりしている。
ソファーに座っている母を立ち上がり介助してトイレ誘導。 今日は 健康な排泄が出来た。久しぶりにいいものだった。 が 其の後 腹痛。表情は歪む。 まだ 少し残っている可能性があるのだが 数回誘導しても無理だった。
手を洗って 歯磨きしてから居室で 持参した梨を食べてもらう。 初めに梨を一切れ手に持たせて自力で食べてもらうが 一切れの半分食べて放棄していた。 仕方がないので一口づつ介助。大きな梨の4分の3を食べた。 1個を12切れに切り分けたのだ。 途中 持参したほうじ茶に手を伸ばしたので 200ccほど飲んだ。 積極的に飲んでいた。 食べ終わった頃には 笑顔を取り戻したのでホッとしたが それも束の間また歪んだ表情になり「おかちゃん」を連発。 腹痛のようだ。
水分をたっぷり取ったので尿の出も良かった。
実は今日 母は 早春に着る長袖のハイネックを着ていて驚いた。 エアコンが効いているからそうしたのだろうか? それにしても 綿の長袖は他にも有るのに...引っ張り出して着用していたのだ。 取りやすい場所に 7分袖のセーターもあるし半袖Tシャツも長袖のブラウスシルクのカーディガンだって有るのだけれど...。
暑かろうと思い 半袖で丈も長いポロシャツ着替えてもらった。 着替えて寒そうでもなかったので カーディガンは着用させないでおいた。 先日は 真冬用の厚手のパジャマが出ていたので持ち帰って洗濯した。 七分丈のパジャマだってあるし 薄手の長袖のパジャマだってあるのだけれど...。 母が寒がってるのかなぁ〜。
母の曇りがちの表情に「お腹痛いの?」と聞くと頷いてお腹を擦っている。 「治ったの?」と聞けば これまた頷くのだ。 「どっち?」と聞けば 反応なし。 聞かれている事は判っていても 答え方がわからないといった風である。
幾度もお腹に手をやるので 腹痛は間違いないと思うのだが...。 どうにもお手上げ。
頭もばさばさなので ドライシャンプーで頭皮マッサージをして 首筋や背中や顔を拭いてあげた。嫌がる様子はなかった。
空に雲が立ち込めてきて 雨がポツンと落ちてきたので そうっと施設を後にした。 家に連れてきたいけれど あと少し涼しくなるまで待つ事にした。
今日 日本新記録の暑さが出たようだ...。 気象庁が 最初に「猛暑」と宣言したのは どうやら正しかったみたいだ。
今日は 終戦記念日。 6日の長崎 8日の広島 そして今日。 戦争が 原爆落下で ようやく終息する事になったんだろうなと 毎年想像する8月である。
戦争を知らない世代ではあるが でも傷跡は見て育った。 思想統一がいつの間にか始まり 戦争をする事が悪い事だとは気がつかなかったと親から聞いている。
戦争中の食料事情も聞いている。 全て伝聞でしかないが それでも悲惨さを知るには十分である。
戦争は気がつかないうちに始まるという事だけは しっかり受け止めている。周囲の流れに巻き込まれないように...と密かに念じて過ごしている。
TBSラジオの大沢悠里のゆうゆうワイドで秋山ちえこ氏が「かわいそうなぞう」の朗読をしていた。 いつまでも続けて欲しいと思った。
今日は パソコンの前で1日が過ぎた。 インストールがうまく行かず カスタマーセンターに助けて貰って何とか終了できたが 長い時間を要した。 相変わらずのIT音痴。
家の中で過ごしてみて 暑さのピーク時にはエアコンの効きも良くないと知った。「節電にご協力ください」というパンフを見て協力しなければと思い雨戸を半分閉めて西日を遮って節電協力。 幼い頃は うちわだけで過ごしていたのだし...。
夕刻に少し風が出てきたので 窓と言う窓を全開して空気の入れ替えをした。
あしたも暑そうだ。 週末には 少し暑さも和らぐという。 昨日の母の様子では 少しなら外に出るのも良さそうである。 また 暑さに負けずにお散歩に連れ出そうっと。
随分続くなぁ〜 暑い日。 朝から茹だるような暑さ でも口ほど参っていない。 夏の始まりは辛くかんじるけれど 食欲もあり結構元気。 というか 母の事意外は 動かないという事も影響があるのかな? 自分の時間が少し出来て お便りに返事を書けるゆとりが出来ている。 時間のゆとりって大事だなぁ〜。
母の昼食に間に合うようにチャリで走った。 日焼けを避けるため 長袖シャツを羽織って...。
母の食事は始まっていたが 介助を職員とバトンタッチした。 なすの漬物を運んだので 母に出したが こなすと言えども噛み切る事は無理だった。小さくして食べさせた。 ご飯と一緒だと飲み込むけれど なすだけだと口の中にいつまでも残っている。白菜の刻みの漬物も繊維が残っていた。 歯がたった1本の歯になってしまって初めての夏。 やはり 1本になってしまうと咀嚼する力も弱くなってしまう。
食後 歯磨きをしてトイレ誘導してから お散歩に出た。 出る間際 どうかな?と思ったけれど 出てみると意欲が見せてくれた。 「元気?」「うん」 「歩ける?」頷く。 「暑いでしょ」コックリ頷く。 私は昼食 母はデザート。遠くまでは怖いので 足慣らしにファミレスへ。 母にチョコバナナパフェをオーダー。 今日は 昼食後にも関らずほぼ全量食べた。 お豆腐も食べた。拒否はなかった。 珈琲も少な目ながら ちゃんと飲んだ。 勿論 介助である。 でも自力で珈琲を飲んだり パフェを食べたりも有った。
小1時間でファミレスを出て 遠回りして野菜スタンドへ。 母自身 注意深く歩いている。そして 何より楽しそう。 お散歩で こんなに楽しそうな表情は久しぶりである。
日陰で立ち止まって休みながら ドラックストアへ入った。 ワゴンを一緒に押しながら...。 2.3回店内を回って買い物を済ませて トイレ誘導。 出た後だった。失敗失敗。
また 外に出て歩き始めた。 疲れはピークに達しているように見えた。少し前のめりで「おかちゃん」と数回出た。 コンビニで ふんわりカキ氷を購入。 ゆっくりと施設に戻った。ギリギリの状態だった。
この所 熱中症で亡くなる方が多いが ややそれに近い感じ。暑さで参っていると感じた。 施設に着いて 玄関の椅子で暫く休憩。 落ち着いてから 居室に移動した。
居室で ふんわりカキ氷をハンカチに包んで首筋に当てた。 気持ち良さそうな表情だ。 汗も流れていた。良かった 汗が出るならお散歩成功だわ。 タオルを渡すと顔を拭いていた。
其の後 かき氷を3分の2を母に食べさせた。 美味しそうに 食べていた。 それから お茶を少し飲んでもらう。
少し経てから 体の清浄液で手足 背中 首 お腹を拭いた。 其れから顔も拭いた。 顔と首はガーゼが真っ黒になった。 夏場の入浴 考えなくてはなぁ〜。 最後に頭のマッサージ。
其の後 居室に掃除機を掛けた。
そうそう 途中で畑のトマトをみて「トマト」と言えた。 緑の葉っぱの中に真っ赤なトマトが見えて 鮮やかだったから目に留まったのだろうなぁ〜。
青い空も幾度も見上げた。 首筋の筋力を維持する事は 嚥下力の維持にも繋がるのでお散歩には必須な動作である。楽しみと実益を兼ねた動きである。
すっかり落ち着いて機嫌も良好。 ホールへ移動してテレビに視線を移したのでそうっと帰宅。
チャリを漕いで上り道をエッチラオッチラ...。 汗が流れたついでに 冷房を入れる前に一気に夕食の支度。 こうなると 火を使っていない部屋の涼しさは格別。
一旦冷房を入れると 途端に家の中がもやっと感じてしまう。 今日は 思い切ってお散歩できて良かった。 これで 少し吹っ切れそうな気がする。
昨晩は ペルセウス座流星群を観測した。 町内にある見晴らしの丘に午前零時に娘と出かけた。 見晴らしの丘には 結構人が出ていた。 でも耳を澄ませば 流星群の事を見るためでなく夜景を眺めに来ている人もいた。 見晴らしの丘は 少し明るいので 明かりを避けて少し離れたところで観測した。 一際明るく輝き弧を書くように闇に消えた。
星を眺めるのは好き。 子供の頃は 星座表を手にして夜空を見上げたものだ。 遠出する事は禁じられていたので 家の前でだったけれど…。 校庭で観測会があると知らせが有っても我が家は禁止だった。 だから いつも1人で時に兄弟で夜空を眺めたものである。 昔は夜が暗かったしスモッグもないので晴れてさえ入れば星は綺麗に見えた。
結婚してからと言えば ハレー彗星を見に出かけたことだ。 義兄から誘われて 夫のふるさとまで娘を連れて出かけて 義兄の家族と共に早朝に観測できる場所まで寒空の下出かけた。
其の後 娘が中学生3年だったかなぁ〜 ふるさとに向かい 介護帰省の時に渋滞する高速道の上で見た。あの年は酷い渋滞で車が動かなかったのだ。 長い道のり 夜空の流星群は大きなプレゼントのように感じた。 出かけてまで星を見たいと思わない夫だが 家族3人で星空を眺めそれからふるさとにつくまであれこれとその話で盛りあがった事を記憶している。 あの時 これから また大きな流星群を見られるのは10年余後と聞いて 見る機会が有るだろうか?と思ったものである。 渋滞で遅れに遅れてようやくふるさとに着いた時「大変だったわね」と母が出迎えてくれたんだなぁ〜。父も「ご苦労ご苦労」って迎えてくれたんだなぁ〜。
其の後も 小さな流星群を見てきた。 今回のように近くで星を眺めるのに都合のよい場所で…。 おそらく 母が寝入っているので 娘と2人そうっと見に出かけた筈。
昨日は「母にも見せたいな」なんて思ったけれど 考えれば 遠くの花火を見ていることさえ大変なので無理な事なのだろう。まして暗い夜道を歩くのは 転倒のリスクも背負う事になるのだものね。
夕方 娘の幼馴染がやってきた。 幼稚園時代の頃からのお友達。 近所には複数の幼稚園が有ったが 1番遠い所にある幼稚園に通った中。 別に親同士示し合わせた訳ではない。 大人の足で15分程度の所なのだが 2人は1時間以上をかけて遊びながら通園していた。 「ふたりはいっしょ」のがまくんとかえるくんの関係みたいだった。 同じ一人っ子なのだが タイプは全く違う。彼女の方は優等生。娘は…。 昨年 眼科に通院した折 パッタリ出逢って以来ちょこちょこ逢っているみたい。 「ふけたね」と娘からしょっちゅう言われるのだが「おばちゃん 変わらないね」と感激してくれた。お世辞と判っていても嬉しいんだわさ♪
2007年08月12日(日) |
本日は...感情の波高し! |
施設に着くと「さっき 足の手当てして機嫌を悪くさせてしまいました」と職員の方が言われた。 母はトイレ誘導してもらっている最中だった。 早速 バトンタッチ。 泣きそうな困った顔をしていた。
何となく排泄がありそうな感じだったが 排尿だけだった。 トイレを出て 歯磨き。 あれれ 下の入れ歯がない。ちと吃驚。 職員に伺うと「預かっています」という事でホッとした。 しかし口をなかなか空けなかったので機嫌が悪い事だけは判った。 上の入れ歯を外したものの 歯磨きは無理と感じたので持参した飲み物を飲んでもらう。半分嫌がったが 何とか全量飲めた。 その内に機嫌がやや戻った。 笑顔はないが 言葉が出てきたのである。 独り言に近いのだが それでも 話せば少しは気持ちを吐き出せるのだろうと感じるのだ。
再度トイレ誘導したら 排泄出来た。 特に緩くはない。 お腹が 少しゴロゴロしていた。 入れ歯の装着は相変わらず拒否。
ホールでは おやつが始まっているようなので 連れ出しておやつを頂く。 栗の入った葛桜のようなものだった。 普通なら大好きな筈だが 入れ歯の装着を嫌がるくらいなのでご機嫌宜しくないのである。 一口運んであげたらペッと更に戻した。 母は こういう事はあまりしないのだが 時折 やってくれる。 体調が悪いのだろうかと思う。 歯に食べかすが残っており 入れ歯の装着を嫌がるくらいなので歯が痛いのかもしれない。 歯茎に触れると「痛い」と言った。でも赤くなってる訳ではない。 少し前に肩に触れたら 非常に嫌がった。 いつもは 何てことないのになぁ〜。 この機嫌の悪さは なんだろうなぁ〜。
おやつの最中にそばを離れて 遠くから母に手を振ったら「ふん」とばかりに顔を思いっきり背けられた。 そばに行けば「来なくともいいです」と言う。 誰か判らないで言っているのか はたまた本気でそう言っているのか...。
いずれにしても 孤立感を感じている事だけは間違いなさそうである。 スキンシップしてあげたくても 近寄れば「来るな」って言うしなぁ〜。 どうしてあげる事も出来ない。 そうっと肩に手を触れると肩をゆすって「するな!」と嫌がる。 肩と言うか首筋が痛そうである。 無論 外見はなんの変化も見られない。 今日は 痛みを感じるので機嫌が悪いのかなぁ〜。
居室に連れて行こうとしても 幾度も拒否。 時間を置いて幾度かチャレンジして 何とか居室に誘導。 耳元で「大事な〇ちゃん!」と幾度も囁くが 空振り。 窓辺に誘導して 外の景色を見せると下を向いてしまう。
「外に行こうよ」と誘うとようやく出る気になったみたいなので外出。 歌を唄っても気乗りしない様子だが 時折 道端の草を撫でる仕草が出た。 川べりで立ち止まって「牛和歌丸」の歌を唄うとじっと聞き入っていた。 でも 自分から唄おうとはしなかった。
それでも 僅かずつ手でリズムを取るようになった。 笑顔は見えないが 何処かで心が溶けているかも知れないと感じた。
施設に戻って入れ歯装着してみたら 受け容れてくれた。 やったぁ! 手を洗って ホールの椅子に座ってもらった。 そろそろと夕食が始まる筈。これなら 何とかなるかも...。
職員に御願いして帰宅。
帰り道 あれこれ考えてみた。何故 機嫌が悪かったのか? 職員のせいでない事は明らかである。
ひょっとすると 小さな脳梗塞が起きているのでは ないだろうか? 歩く事に不自由はなかったし手足にも異常はなかった。 でも記憶を司る当りで変化がおきて それを何等かの形で母はおかしいと感じているのではないのかなぁ〜。 あくまでも憶測の域を出ない考えだけれど...。 小さければ 元に戻る確立も高いし 諦めずに向き合って行こうっと!
昼前 介護仲間から電話があった。 ご主人が軽い脳梗塞を起したらしく手がだらんとしているという事だった。 デイは 一旦休まれたが 大変だろうと思った職員の配慮でデイに連れ出したそうだ。 でもやはり 家のほうが良いみたいだと家に送ってきたそうだ。
生憎 医療機関は盆休み体制。 以前救急で搬送して 大変な目にあっているので 同じ思いはしたくないので家で様子を見るという事だった。 ヘルパーさんも直ぐにははいれないという事だった。 「買い物の帰りに立ち寄らせてください」と伝えて電話を切った。
暫くして また電話。 家族がお盆休みなので 早めに帰省すると電話があったので何とかなりそうですという事だった。
安心して 夕方買い物に出た。 冷たいネッカチーフとやらがあるというので それを探してみた。 見つかった。 水で湿らすだけで 冷たくなるのだそうだ。 それも何時間も持続するそうだ。 ふたつ購入。 ひとつは 毎朝頑張って徒歩で通勤する夫のため。 もうひとつは 病の友人のため。 帰りはバスでと運良く停車中のバスに飛び乗った。
すると 携帯が鳴った。 介護仲間の番号。 慌ててバスを降りて 電話を受けた。 救急で搬送して 入院できました。家族が立ち会ってくれました。入院は2週間位。其の後 転院先の施設を探しましょうとなったそうだ。 医師も 介護者の健康を気にかけているようだったという。
電話を切ったら涙が零れてきた。 「良かった ほんとに良かった」 1人で介護なさっているので どんなにか心細い事だろうと心配だった。
入院したら 今度はきっと疱瘡との戦いになるかもしれないので 単純には喜べないが でも これで良かったのだと思う。
入院もタイミング次第と言う所が情けない。 これはまた後日に...。
昨夜 枝豆を茹でて ナスを漬けて 寝入ったのは午前2時。 朝は いつも通りに起きて食事の支度をして 夫を送り出す。 この所 朝の支度に取り掛かるまで頭が廻らなくてのろのろしてしまう。 以前 母が「あんたは 何でも早いね」と言っていたが<早いのは能力があるからではなくて 若いって事だったのだろうな>とふと思った。
早昼ご飯をして 母の所に出かける。 陽射しが強く Tシャツの上に長袖のブラウスをはおり 帽子を被ってチャリで坂を下りた。 坂を下りれば 後は比較的平らなのだが 信号停止になると汗がツーッと流れる。 新聞を見ても 晴れマークが続いており 当分この猛暑は続く模様で気が遠くなってしまう。 お彼岸までの道のりは 随分あるんだよねぇ〜。
この所 どうも気持ちが負のスパイラルに嵌っているようで 我ながらウンザリする。 これも暑さのせいなのだろうか? 何にもしないでゴロゴロするか 美術館に出かけて気分転換を計りたい気分である。 母がまだしっかり歩けている頃は 良く美術館に出かけていた。 大変さはあったけれど 2人で楽しめたので随分救われていたと思う。 最近は 同じ事で一緒に楽しめるって めっきり減ってきたなぁ〜。
アッ いかんいかん また負の方向に走り出しているわ♪
そういえば 昨日のお昼 娘の中学時代のPTAの仲間とパッタリ出逢った。 「お元気?」から始まって「どう?」と話が流れて...。 「実はね あの地震で実家がね...」という事に。 聞けば 激震が走った所だった。 前回の地震で被災し ようやく立ち直った所でまたやられてしまったそうだ。 「いや 戦争を生き抜いてきた親は強いわ。傾いた家で今も踏ん張って暮らしているのよ。『ないもの尽しには 慣れっこだ』って 言ってる」 「近くに住んでいる兄の所も前回の補修工事のローンも済んでないのに またやられて 頭抱えている。『これで また来たら 今度は親を頼む』って言われてる」 深刻なお話だった。 ため息付いている自分が情けなくなってきた。 そして夕方に 畑に出かけた時 昨年までお隣同士だった方とパッタリ。 聞けば この春に息子さんが癌で手術なさって 病院通いが続いていたそうだ。
ともすると 自分のしんどさばかりが目に付くけれど...大変さは そこそこみんなが背負っている物だと感じた昨日だったのだ。
さて 今日の母は 私同様の心模様のようで...。 曇り時々晴れといった具合。 心のお天気は お腹の調子に深く関っている様子。 下りきみのお腹のようで腹痛もあるみたいだった。
気持ちの転換を計りながら お散歩に出る機会を窺っていたが ちょっと無理そうだった。 手や足の爪切り ドライシャンプー等身体のメンテに切り替えた。
それでも 腹痛前線は快復せず おやつに突入。 今日は 人的作戦よりテレビ作戦や人形の方が良いみたい。
施設を出る前に 職員に排便状況を伝えて 排便関係の薬は全面ストップを御願いした。
今日は 大失敗をしでかした。 帰路に買い物をして会計している時お財布がないことに気が付いた。 落としたのではなく 家に忘れてきたのだ。 今日に限って 母の施設の近くのスーパーで買い物しているので 家に戻って...と言う訳にも行かない。 知り合いに逢う確率はかなり低い。 夫の会社が近いので電話をしたら 出先にいて無理で会社の人に走ってもらった。 ふと 普段使わないカードが一枚あることに気が付いた。 ATMも有るので急遽引き落として何とか自力で会計を済ませた。 しかし 会社の人が来る事は間違いなく喫茶コーナーで珈琲を飲みながら待った。いやはや 焦ると冷静さを失ってすぐさま人に頼ってしまうなぁ〜。
おそらく 自分の負のスパイラルのせいなのだろう。 ひと晩寝て 何とかいつものペースに戻れれば 良いのだけれど...。
夫は「今年の盆休みは取れそうもないなぁ〜」と7月中旬ごろからぼやいていた。 娘は「今年は盆休みを連続11日とるぞ」と意気込んでいた。
最近 夫は「2日くらい休めるかな」と言い始めている。 娘は 「盆休み無理」と言っている。
一昨日から 明け方まで仕事して帰宅の娘。 今日は 大阪まで出張である。 急に忙しくなって パタパタしている。
我が家には 盆休みはないかも知れないなぁ〜。
夕方 弟が立ち寄った。 故郷の仕事とこちらの仕事が並行していて 入ったり来たりしてる。 故郷から 枝豆や茄子やスイカを運んできて「お母さんに食べさせて」と言う。 丁度 娘の友達が来ていたので 上がって少し話して貰った。
弟は お墓参りの為に帰るそうだ。 お嫁さんが 忙しくこの週末しかお墓参りに行けないと言われて帰るという事だった。 その後は きっと盆休みである。
ほんの数分我が家にいて アパートに戻った。 帰った後で...。 「なんか おかしいでしょ」と同意を求めた。
「まだ こちらにいるのだから自分で運べば良いでしょ。 その方が お墓参りよりずっと良いでしょ」
「ですよね」
介護を替われとは言わないけれど...。 釈然としない。 施設から緊急時対応の家族の希望を提出して欲しいと書類を受けている。 この事をきちんと相談したかった。 また 気になる事もありそれも話したい。 でも 言い出すきっかけがない。
娘の友達は 留学を終えて戻ってきたばかり。 外国に出てみて「日本の良さを知った」そうだ。 勿論 語学もある程度習得できた様子。 向こうの人がわからないだろうと日本の悪口を言って でも日本製品は好きと言う言葉をしっかり聞き取ったそうだ。 でも気付かぬ振りをしたそうだ。
彼女は お母様の事も心配で相談してきた。 まずは病院でMRI検査を受けるように伝えた。 認知症と限らないからである。 通院の仕方などもアドバイスした。
彼女は 私のパソコンの先生。 今日もあれこれ 見てもらった。 最近 パソコンが重たいのである。 調べてもらったら どうもソフトに異常があるかも知れないという事だった。時間切れで今日は終了。 娘も帰国後電話で話しても まだあっていないので 近いうちにまた見てくれるという事だった。 初期化することになりそうだ。 となれば データを保存という面倒な作業が待っている。 わわわわっ!
終電ギリギリに彼女は帰っていった。
駅まで送っている間に娘から電話が入っていた。 どうやら アメリカ出張のお土産を渡して欲しかったらしい。 遅かったね♪
娘の友達は 娘がいなくとも遊びに来てくれる。 時には 母に逢ってくれたりである。 もう1人の孫よりも母にあっている回数は多い。 嬉しい存在である。
昼食の時は 割りににこやかだった。 天丼のご飯の量が 普段より多いのに しっかり食べた。 他の入所者を見ていても 天丼は好評で 皆「美味しい。おいしい」と召し上がっていた。 夏は うな丼 天丼なんかが食べやすいのかもしれない。 酢の物が嫌いでいつも残す方もとろろの酢の物は綺麗に召し上がっていた。 「わぁ〜い 珍しいね」と声をかけたら「つるつると美味しいんだもの」とニコニコ笑っていらした。
食後 1人の入所者の方が「あんみつ食べたい。お腹すいた」と言われた。 「あんみつね。いいですね。あとで買って来ましょう」と相槌を打つと「私のお財布から10円取って みんなの分も買ってきて頂戴」と言われる。 「何個買ってきましょうか?」「そうね 10個」 「はい もう少し涼しくなったら 買いに行ってきます」と返事するとニコニコ笑顔。 其のうち 車椅子でコックリコックリ居眠りなさっていた。 静かな 午後の風景である。
トイレ誘導に手間取っていたら 療法士さんが見えた。 療法士さんが 母を誘導してくださった。
母は 横になると直ぐに寝入ってしまった。 血圧を測ってもピクリともしない。 リハ中もちょこっと動いたが 体の向きを変えても眠った儘。 リハが終わっても眠り続けていた。
ホールに移動すると点滴で絶食中だった方が 食事を取り始めていた。 あまり口を開かないが 少しずつ召し上がっていた。
お昼に長く寝ると夜間目覚めるだろうと思って 母に声を掛けた。 2.3度声を掛け ようやく目覚めた。 「おかちゃん ここが...」と何かを訴える風な言葉だった。 「起きる?」と聞くと頷く。 タオルケットを畳んでいるうちにうつらうつら始める。 「おきようね」と声をかけて立ち上がってもらいトイレ誘導。
トイレでは 排泄あり。細いものだった。 その頃から腹痛が有るようで トイレから立ち上がろうとしない。 暫く トイレで奮闘。 お腹が痛むようなので わき腹やお腹に薄荷油を塗ってあげた。
其の後歯磨きをして お茶を飲んでもらった。 水分摂取は嫌がらないが 腹痛はつらそう。
母を椅子に座らせて トイレ掃除。 便座の下が酷く汚れていたので 排便がいつだったかを確認。 昨日 2回有ったと言うことだった。 昨日はご機嫌だった言われたが 一昨日は不機嫌だったのか? 強い下痢だったと思われるが その時もご機嫌だったのかなぁ〜。
断続的に腹痛があるようで 俯き加減の母だった。 外の暑さは 半端じゃないので お散歩は見送って 施設を後にした。
帰路は 銀行に立ち寄って振り込み。 施設の利用料の自動引き落としが出来ず ほんとに面倒。 先月 窓口で払い込んだら時間がかかった上手数料を取られた。 振込みの方が得策とわかって 2回に分けて振り込んだ。
昨日 今日と母の発する言葉は 理解不能が多い。 アブが飛んでいると言ったりした。 様子を見る限り 幻覚とか妄想とか言うたぐいのものではないように見える。また ひとつ階段をおりつつあるのかなとも思う。 でも 言葉が出ているわけだから 良いと考える事にした。 嘆いて見ても始まらない。
2007年08月07日(火) |
は・な・び 綺麗だったね♪ |
今日は 介護者の会の定例会でいろんな事があった。 でも介護者の会の事は 後日に廻して…。
朝 家の中をお掃除しながら夕食の支度に取りかかる。 地域で花火がある日なので 母を呼んで弟も呼んで…と思っての事である。 気持ちはあるのだが 介護者の会も有るしそれが終わってからだと 道路が混んで大変なことになるのは目に見えている。 弟を呼ぶにしても 疲れているのだろうし…と思うし 折角だから会社の人も呼んで上げれば良いのかななんて思ったりである。 だとすると もう少しおつまみも必要か…。 でも そんな時間もないしなぁ〜。 等とグダグダ考え空回りしていた。
ひとつ 事を起そうとするととてつもなく気が遠くなってしまう。 母の移動が 悩みの種になってしまう。
結局 家族会に出向く時までにも結論が出なくて 帰りにさらに簡単に出来るおつまみを購入して家に戻った。
鉢植えに水をやっても まだ気持ちが定まらない。 「そうだ こっちが母の所に出向こう」と決め 施設に電話した。 施設は 早めに玄関がロックされてしまうので 迷惑をかけてもいけないので 様子をお聞きしてからと思ったのだ。 「母はまだ起きていますか?」と聞くと「はい」という事だったので「これから伺います」と伝えた。 でも パジャマに着替えているという事だった。
途中で スイカと飲み物を購入してチャリで母の所に向かった。 パジャマに着替えていたのは 母だけで他の方は洋服のままだった。 面倒を掛けるから仕方ないのだろう。 夜間用のパンツを着用していた。 トイレ誘導した時 大きなパット2枚重ねてオムツを付け その上にトレーニングパンツ着用していた。オムツでパジャマの前がもっこりしていた。 家に泊まる時は トレーニングパンツにパット一枚で間に合うようになっているのだ。 トイレ誘導時にパットが濡れていた。 オムツを外して パットを替えた。 それから 歯磨きをして 外に出た。 母は 今日はご機嫌という事だった。 確かに母の機嫌は良かった。外に出るという事も理解できていた。 夜間外出は機嫌が悪くなる時もあるが 今日はそんなこともなかった。 暗い夜道なので かなり注意を払わなければならなかった。
行き先は 施設の前にある小山のある公園。 小山にシートを引いて見物しようと思った。
小山のてっぺんの平らなところには 見物客がシートを広げていたので 足場の悪い斜面に腰を下ろすしかなかった。 斜面にシートを広げてようやく腰を下ろすとお尻が滑ってしまう。 暫くすると母は自分の足で滑らない工夫が出来た。 すごいではないか。 私が説明したとして理解して貰うまでは時間がかかる。 何だか妙に嬉しくなった。
花火見学は子供連れもいて 暗いところを走り回る子供に気を取られてしまう母だったが60パーセントは花火を楽しめた。 真っ暗な空のかなたにピカッと光るので 母は「わぁ〜」パチパチと手を叩いていた。 良かった。花火を見ながら スイカを食べてお茶を飲んで…。 人混みに紛れない分 落ち着いて見られたと思う。
花火が終わって施設に戻って トイレ誘導をしたら「つるつると…」と母は言いながら嫌がった。出ている最中と判っているんだと直感。 残りはトイレに出来た。 勿論 トレーニングパンツも少し濡れたので全面交換。 其の後 手を洗い 顔を洗い 歯磨きを済ませて布団に横になって貰った。 ご機嫌な状態は続いていた。
行くまでは あれこれ迷ったけれど 出かけて良かった。 来年どうかは わからないから…。
昨日 菜園で草取りをして戻ったら 夫が帰宅していた。 先に手を洗い それから食事の支度と思った。 洗面台で汗だくの顔を拭いたら タオルがまっくろけ。 雨が降り出す前 風が強くなり草を抜いた時に土を被ったのだった。 「へへへ まっくろけ」と夫に言うと「そんな事はいいから お茶をくれ」と言われた。 「ムッ」としたけれど 仕事帰りでお腹も空いて機嫌も悪いのだろうと思いなおして「あとちょっとお待ちください」とスタコラとその場を逃げた。 正面から向かってもどうにもならない時がある。
今日は 利用者さん訪問。 離れの本を片付ける予定だったが 本格的な暑さとなって電気のない部屋での作業は辛いだろうからと取りやめになった。 自然クーラーの入る部屋だったので 私的には大丈夫と思ったのだが...。
考えてみれば 利用者さん宅 クーラーを使っていない。 扇風機が廻っている部屋はあるけれど...。 これが すごいと感じた。 その中で 2時間のお掃除。タオルを持参して首にかけてお掃除した。 外から入る風が気持ちよかった。
活動を終えて家に戻る。 活動中は 汗がでたけれどそれほど暑いと感じなかった。 でも くたびれたのだろう 15分ほど床に寝転んで寝てしまった。 扇風機回して...。
日が傾くのを待って 買い物やら銀行周り。 自転車で行こうかと思ったが気力が今ひとつ足りない。 テクテクと坂道を下りた。 陽射しはジリジリして暑かった。 もう 腕は真っ黒に日焼けしてしまっている。
電車に乗って銀行を回って買い物して家に戻ると7時少し前。 食事の支度を始めようとしたら電話が鳴った。 介護仲間で 今 会に足を運べない方だった。 1時間余 この数ヶ月の様子を話してくださった。 お母様 グループホームに入所出来た様子だった。 この方 お子様が重い病で今大変な時である。
介護者もそれぞれ事情がある お母様 順調に施設に溶け込まれてお過ごしという事だったので安堵した。
あ 今日の暑さもすごかったな。 食事の支度がずれ込んで 我が家は11時ごろまでモワッとした空気が漂っていて 帰宅した夫が「あついあつい」と言っていた。 今夜も熱帯夜か。
朝 北側の欅の枝を剪定。 日陰を作ってくれるのは有り難いのだが 庭からはみ出てしまっては 少し気がひけるからなぁ〜。 其の後 隣家との境にある垣根を剪定。 ここは あまり日が当たらないので シダ類が繁殖する。 すみれも繁殖中なので すみれまで抜いてしまわないように注意して草取りをした。
一昨日 食が進まなかった入所者にお米からお粥さんを作り 梅の味噌漬けと一緒に施設に向かった。今日は 娘もお付き合いである。 母は 半分機嫌が良いのだが 断続的に俯く。 腹痛だろうと思い お通じの確認を取る。5日目に突入という事だった。 排便間違いないだろう。
お粥さんを食べさせたかった方は 熱のため絶食になっており ベットで点滴を受けられていた。 その方のお部屋を訪問すると最近見ないほどの柔かな笑顔を見せてくれた。 いつも 居場所を求めて ホール内を転々と移動なさっているのだが 今はじっと寝ているという事だった。 ベットの上で気持ち良さそうだったので 良かったなと思う。 具合が悪い人を良かったというのは おかしな話だが でも辛そうな表情が消えていたので良かったと感じたのである。
でお粥さんは「美味しい物に手が伸びそうな方に食べさせてください」と御願いした。 施設内には お粥さんを召し上がっている方がいる。 施設の食事で十分食べられる人は それで良いけれど 食が進まない方には美味しい物を食べさせて少しでも食が進めば良いと思った。
丁度 鼻腔から栄養摂取なさっていた方が管を外して 口から食べ初めつつ有るという事で その方に...と言われていた。
母の食事は 娘が介助した。 時折 腹痛のため俯いてしまい隣で声を掛けながら見守った。
いつもは自力で召し上がる方が 今日はなかなかうまく食事できないようなので少し介助してして差し上げた。 「ありがとう」と言う言葉を本人から頂き恐縮してしまった。
食後 母をトイレ誘導。 案の定排泄あり。大・小共に。 食事中我慢していたのだなと感じたので「偉かったね」と声を掛けた。 其の後 歯磨き。
少しお部屋で休息。 持参した 黒豆茶とあんこ玉を差し出すと 食後なのに美味しそうに飲み 食べていた。
ホールに移動してテレビを見始めたので そうっと帰宅。
夕方 菜園に草取りに出た。 ナスはてんとう虫に葉っぱが食べられていて無残な姿。 苗が参っているように見えたので 剪定。 トマトもお天気が良くないせいなのだろう 青いままだった。
元気なのは ヤーコンと紫蘇とにがうり。 にがうりは収穫出来た。今年初である。 ナスや茗荷も収穫出来た。
草取りは2時間近く。遠くで雷が鳴って雨もポツリと落ちてきた頃 ようやく草取りも終了。 娘が傘をさして 迎えに来てくれた。
7時前 夫も帰宅して大急ぎで夕食準備。 みんな揃って夕食なんて 久しぶりである。
収穫した茗荷やナスを使って 今年初の冷汁。 紫蘇も使って千切りキャベツを作り メンチカツを揚げた。 今朝 夫の知り合いが 三崎に行ったと鯵のひものを持ってきてくれたので美味しいうちにとこれも焼いた。 きゅうりや人参 セロリやオクラを水を入れたビニール袋に入れて冷凍庫に入れて急速に冷やした。甘長も種を取って冷やした。 氷水に冷えた野菜を浮かべてキンキンに冷えた生野菜サラダを作った。 野菜いっぱいの食卓となった。
雷も鳴って 雨も落ちて少しは気温が下がった。 が 思ったほど雨は降らなくて残念。
菜園は これからもう少し整理して種を撒いたほうが良さそう。 緊急避難でトマトの枝を折って刺していたら 根付いた様子で嬉しかった。 ナスは 木酢を散布しておいたが...雨でどうなるかなぁ〜。
この二日で気になっていたことの半分は片付いた。 今度は家の中なんだわ。明日できるかなぁ〜。 母が 落ち着いているので助かっている。
それにしても今日も暑かったわ♪
朝から庭木の剪定・草取りを始めた。 風があるから 午前中はまだましだった。 それでも 途中大量に水分補給。 水分は汗となって 体外へ。
昼食を挟んで 午後の作業は ジリジリとした陽射しで 更に汗が出た。 熱中症も気になり 1時間ごとに10分ほど室内に入って水分補給。
木の根元に入り込んで草を取る。 匍匐前進の体勢。
作業は 夕刻まで続いて 片付けが済んで5時半だった。
娘が「おかん 背中塩吹いているよ」 帽子もぐっしょりで 塩を吹いていた。
アイス珈琲をたてて 一休み。 それから お風呂掃除がてらシャワーを浴びてやっと一息つけた。 腰も腕も痛いしボーッとしている。
日が暮れてから スーパーまで娘と買い物に出かけた。 娘は娘の行動をして 後に落ち合った。 「ね おかん どうして篭ふたつも持っているの?」 ふと手元をみると 選んだ品を入れてある篭の他にもうひとつ空の篭を持っていた。
「いつ持ったんだろう?言われるまで気がつかなかった」と言うと...。 娘が慌てた。「ちょっと 大丈夫なの?」
記憶を辿っても 一個は野菜を入れる時に持った事は覚えているが 空の籠は その先なのか後なのか記憶がない。
バックは途中で肩に掛けたのは覚えていたのだが 一瞬 篭に気をとられたら「バックが何処に行ったの?」なんて 口走ったものだから 更に娘は心配したようだった。 いや 直ぐに思い出せたけれど...危ないんだわね。
これも熱中症の一種かな? それとも老化現象?
長袖にGパンなので熱がこもったのかな? 擦り傷やら 打撲やら アチコチに小さな怪我があった。 腰も痛いなぁ〜。
気になりながら 放置してきたので 大仕事になってしまったのだなぁ〜。 でも とりあえずさっぱりとしたので 良い事にしよう♪
夕食後 娘がアロマやら白花油で手当てしてくれた。
昼食に間に合うように母の所に向かった。 施設は昼食前で ゆったりとした時が流れていた。
母のトイレ誘導がまだという事だったので トイレに誘導した。 グットタイミングで小。 母の機嫌は非常に良くて 茶目っ気のある表情であれこれ私にかまって来た。この所 こういう事が多い。
程なく昼食が始まった。 母は 自力で食べ始めた。 それに引き換え お隣の方は 口を閉じて食事が進まない。 隣で 声がけをして あれこれ工夫しながら介助してみるが 貝の様に口を閉じている事が多い。 スプーンを持たせてみると 自力で一口運ばれたが 後はまた貝のようだ。
この方 昨年 隙を突いて キッチンに入り みんなのおかずを食べてしまった事も有ったのだが...。 この所 調子が良くない。 眠そうに生あくびをしているところをみると夜間眠れて居ないかなぁ〜。
汁物は 辛うじて飲んでくれる。 食事が始まって1時間経過して 食べた量は スプーン1杯のお粥と切り昆布の煮物スプーン2杯。ミートローフ 一口。味噌汁の実の茄子3切れ。お茶150cc。汁150cc。 そこで 補助食品の登場。 いつもならスルッと飲まれるのだが 今日は少し困難。 でも 1時間経過すると 少し食べるようになった。 とは言っても 食べる量はほんとに少量。 1時間半かけてみたが それ以上無理をする事は本人の為にならないと思って切り上げた。 一体 何が起きているんだろうな? 食後 ソファーに移動してもらったら ぐっすりと眠っていた。 体力落ちているのかなぁ〜。
その間にそのまたお隣の方 汁物とミートローフとご飯のみで他の2種のおかずを残されて どうしても召し上がらない。 職員が「美味しいですからもう少し召し上がりませんか?」と勧めると「あなた 召し上がってください」とつれない反応。 職員はそれを一旦下げて 別の器に盛り付けて「いかがですか?」と勧めていらした。 すると 綺麗に食べれられた。 時折 こういう対応なさるのだが いつもうまく行くとは限らない。 でも 今日は ベリーグッド ジャストタイミングだった。
対応した職員が とても嬉しそうだった。 「こんなにうまく行く事も有るんですね」とにこやかな笑顔。
職員は 職務だから「嫌」と言う訳ではないだろうが 対応がうまく行けば気持ちも良くなる。 これって 家族の介護も同じ。介護に当たっている人の嬉しい瞬間である。
母は全量摂取できた。 この所 向かい側の人の器にまで箸を伸ばしてしまう母。 注意しなくちゃならない。
食後トイレ誘導 歯磨き お茶を飲んで貰って フロアのソファーに落ち着いてもらう。テレビを入れると見入っていた。
午後の会議に遅れたけれど 電車に乗って出かけた。
今日は 暑いけれど 体は動くので助かる。 会議は 早めに終了したので助かった。 帰路 夫の洋服を購入して帰宅した。 なかなか 買い物する時間がなくてようやくである。
パソコンに向かって作業。 すっかり仕上げて大丈夫と思っていたら 間違いに気付いて やり直し。 いつまで経っても 素人作業。
直し始めると 全体が気になってやり直し。
気がつけば夕方だった。 買い物もせず 家に篭もりきりの一日となった。
庭の木や草 畑が気になったけれど 全て放置。 やる気が出ない。
昨夜 久しぶりにゴキブリが飛んでいるのに遭遇。 深夜 ゴキちゃんと格闘した。 眠りも浅く 幾度も目覚めた。 そのせいなのかも知れないなぁ〜。
日曜日TBSラジオの安住さんの日曜天国を聞いていたら 茅葺屋根の家に今も手入れしながら 住み続けている人の事を話していた。 「お金もかかるのに何故?」の問いに「何となく...」という答えが返ってきたそうだ。
最近の自分にウンザリしながらいたので 自分に「何故?」と問うてみた。 やっぱり「何となく...」という結論に達した。
最初の頃は 意気込みもあったと思うけれど 長い年月の流れの中で「何となく」という感覚になってきているのだなと1人苦笑してしまった。
弟達は 相変わらずマイペース。 仕事をして疲れるのだろうと思うけれど...。 こちらで生活することに関して こちらにかかってくる負担はある程度覚悟していた。 でも 何処かで母にも関ってくれるだろうという思いもあった。
母の事は 言われたら同行程度。 会社の用があると我が家を使う。
今日もそんな用事に振り回された。 弟達にとって 相変わらず専業主婦というイメージがあるのだろう。
今日は母のリハビリが有り 夕方からは会議が入っていた。 弟の用のおかげで 面会の時間が削られ慌しい一日となってしまった。
会議の準備を面会前にと思っていたが それも儘ならないことに...。 弟の用で早めに帰宅するはめになった。 自分の用も母の面会も削られて 何だかなぁ〜と言う気分。
そういった事も含めて 「何となく受け容れて 後に苦しむ」と言うパターンが日々展開しているのだ。 受け容れる自分が悪いのだから どうしようもない...。
今日の母は やや躁状態。 食事介助の時も ニコニコ あはは と言った所。 口の中に残った物は 自分の手の平に出していた。 食後の歯磨きは勿論対応したけれど...。 見た目には汚いけれど 自分で出せるっていう事は ある意味嬉しい。 その動作に 母の判断力が働いたと判るからである。 手の平の食べかすをティッシュに受け取り 綺麗に拭き取った。
手を拭いていたら して貰っている事の意味は判るようで「ありがとう」という表情を返してきた。 言葉はなしなのだが 通じていると感じる瞬間である。
リハビリの体勢になって療法士さんを待つ。 が 躁状態の葉はは眠りかけてはパッ留めを見開く。 ぬいぐるみに手を伸ばして 目の前に置きなおしてみたり...。 グルミットの寝そべっているぬいぐるみをそばに置いたら 頭を撫でて静かになった。 療法士さんが少し遅れてきたので 後は職員に御願いして家に戻った。
弟の用も足せたので 安心して作業に入り夕食の支度を途中までして会議に出向くため 電車に乗った。
今日の会議で出会う人は みんな初めての人たちである。 介護者からの意見を発して欲しいと望まれていたので 介護者の直面する困難な事を率直に伝えた。 これから 何回かこの会議があるので 意見交換しながら 介護環境を整えることになる。 とっぷりと日が暮れ ラッシュの電車に飛び乗った。
仕事のはねた弟に「来るの?」と電話すると 明日早朝立ち寄るという。 おいおいと思う。 「今朝だって 夫を送り出したのも早かったんだよ。忙しさや疲れは あなたの専売特許ではないのよ」と喉まで出掛かる。 気持ちとは裏腹に「判った。明日の朝ね」と返事する自分に「なんだかなぁ」と嫌気がさした。 どうせなら 余計な事考えずに出来れば ストレスもないのだろうけれど...出来てない人間だからなぁ〜。
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