2003年07月25日(金)
伊一郎という名の友がいる。
父親の名は伊三郎。
なんだかよくわからない。
伊一郎には叔父がいる。
父である伊三郎からみれば弟だ。
名を十郎という。
全然わからない。
傾向は確かにある。
だが、法則がないではないか、ここには。
残念ながら伊一郎は一人っ子だったが、
もし弟がいたらなんと名づけられていたのだろう。
伊二郎ではたぶんなかろう。
そのような法則はこの一族にはないのだから。
意表をついて惣五郎とか平八郎とかいうのはどうだ。
どうだ、と胸を張るようなことではないが。
伊三郎と十郎の関係はどうか。
他の兄弟が間にいると考えるのが妥当だが、
この一族のことだからわからない。
十郎の息子はどうか。
七郎とかいうのだろうか。
あるいは因習を断ち切るつもりで、
アキラなどと名づけているかもしれない。
傾向だけあって法則のない名前を持つこの一族、
嘘のようだが本当で、実在する。
2003年07月19日(土)
妻が「ER」を観ている。
毎回せわしないドラマだなぁと思いながら、
それを横目にぼくはハードディスクのなかを見ている。
インターネットのキャッシュファイルを。
そいで、前から訊こう訊こうと思ってたんだが、
この「4KXFU7W3」とか「6CSM6DQU」とかいうフォルダの名前、
なにか意味を持つんだろうか。
でまた、その中味はどんな基準で振り分けられるんだろうか。
誰に訊いたらいいのかわからないし、
知ってどうすると逆に聞き返されたら
軽きに泣きて三歩歩まずなので、
結局その疑問を口にしたことはないのだが。
以上、枕。以下、本題。
キャッシュファイルのなかから、こんなん出ました。
ちょっと泣きました。
一緒になって泣いてくれる人が、
ここには5人ぐらいはいるんじゃないかと思いますが、
その5人以外の方、意味不明でごめんなさい。
こんな日記でぼくを楽しませてくれた方でした。
好きでした。
もう一度逢いたい。
嘘。
何度でも。
すごく。
2003年07月16日(水)
コンスタントに書けねーなー、最近。
ほとんどなーんも考えてないし。
黙々と生活しておりますな。
といって、つまらない毎日だと思っているわけではけっしてなく、
けっこう楽しく過していたり。
ではなにが楽しいのかというと。
うーん。
理解に苦しみますね。
我ながら。
☆彡
全然脈絡ないですが、
18日はうちの猫の誕生日。14歳。
ここ数年、毎年、これが最後の夏かといわれながらも、
階段の踊り場でぺしゃんこになって生き続けています。
一時はぺしゃんこになりすぎて、
3.8を切ったら死ぬといわれていた体重も、
4.3キロまで盛り返しました。
まー、「死ぬといわれていた」といっても、
獣医さんがそう言ったわけではなく、
ぼくと妻とが勝手に言い募っているだけなんですが。はは。
シアワセなんでしょうかね、
こんな父母と共に暮らして。
2003年07月13日(日)
桐野夏生「グロテスク」をもう少しで読み終えてしまう。
惜しいので、ちと中断。
☆彡
昼休みの仕事場で読み始めた頃、年若い後輩が
なにを読んでるんですか、どんな内容なんですかと寄ってきたので、
東電OL殺人事件がモチーフになっているみたいだと答えた。
なんですかそれはと再び訊かれ、
マスコミを賑わせた97年のその事件について、
ぼくはかいつまんで説明した。
以来だ。
社内で顔を合わせるたびに、その年若い後輩が
「……東電OL殺人事件」とつぶやくようになったのは。
お調子者で可愛い奴だと思う反面
(嘘、ホントははっきり馬鹿だと思っている)、
こんな奴に真面目に説明した自分が忌々しい。
訊くんじゃないよ、さして興味もないことを。
滔々と弁じたてるんじゃないよ、お愛想だけで訊いてくる奴に。
☆彡
桐野夏生描くところの壊れた人、あるいは人が壊れていくさまに、
どうやらぼくは惹かれているらしい。
あと、花村萬月も大好きだなどといったら、
ちょっと危ない気がしないでもないが。
あー。丸尾末広も好きだけどな。はは。
危ねー、危ねー。
2003年07月07日(月)
ファイル交換について特集されている雑誌の多さに気づいた頃、
周囲のパソコン使いたちはすでにそれに血道を上げていて、
あー、やっぱりソコにいきますかと、
ぼくはちょっとため息をつきたい気持ちになってしまったのだった。
本当に欲しいものは代価を支払って手に入れるし、
それを払う気になれないものは、実はたいして欲しいわけではない。
そんな経験則を持っているぼくには、
さして欲しくもないモノを手に入れるのに躍起になっているようにしか、
彼らは見えない。
しかし、なにか欲しいものがあっての収集という手段ではもはやなく、
収集という行為そのものが目的と化しているような風潮のなか、
そんなにソレが欲しいのかと訊くのは、おそらく間違いなのだろうとも思う。
これ、彼らが貧乏で、ぼくが裕福だという話では絶対ないと思うがどうか。