2003年09月21日(日)
どんなマシンとソフトを使っているか。
いわゆる制作環境というやつが明記されているサイトがある。
大事なことなのか、それ。
どうだっていいんじゃないか、そういうの。
という気持ちでずっといたが、今ここでぼくは確信を持って言おう。
それは環境問題の核心ではないのだと。
真の環境とは、つまりこういうことだ。
PCは自室にある自分のマシンであるとか。
しかし、隣室の妹の話し声が気になって集中できないとか。
あるいは、居間にある家族共有のマシンを使って、
しかも、誰にも内緒で手早くこっそり作っているんだとか。
そうだろ。それが本当の制作環境というやつだろう。
CPUのパワーとか、HDDの総容量とか、メモリの搭載量とか、
デジカメやスキャナの機種とか、ソフトのヴァージョンとか。
んなこと教えてもらってうれしいか?
なにを聞いても「はぁ、そうすか」と言うしかないじゃないか。
というわけで、ぼくの制作環境。
PCは一応自分のものだが、リビングの一角にあり、
しかも家中でネットに繋がっているのはこれしかないので、
しばしば家族にも使用される。
HP作りは秘密ではなく、「お気に入り」に登録されてもいるし、
「site」という名のフォルダも隠されているわけではない。
お絵描きしている最中にちらりと覗き見されると汗をかくが、
妻のことばに生返事しながらのこの環境が、ぼくは嫌いではない。
その妻が最近、ある雑誌に投稿したそうだ。
与えられたお題は「夫の背中」。
あだー。
2003年09月16日(火)
継続的に日記を書くことができない理由の続き。
というか、このあいだ書き忘れた5つめの理由。
もしかしたら、最高最大の。
それはなにかというとだな、
あのな、えっとな、ぼくのパソコンはな、
これがなんとリビングにあるんだな。
ハンデじゃないか、これって。えぇ?
リビングだで? えぇ?
横っちょでテレビ観たりしてる奴がいるんだで?
奥の方で食事してる奴がいるんだで?
ソファでうたた寝している奴とかいるんだで?
のべつ幕なしに話しかける奴とかさ。
日記がどうとか言ってる場合じゃないよな、これはもう。
ハンデだろ? ハンデだよなぁ?
そうとも、ハンデさぁ!
ぼくの日記がヨソサマより更新頻度が低かったり、
つまらなかったりするのは、そういうワケです。
2003年09月11日(木)
日記を毎日、とまではいかなくとも、
1日おきなり、2日おきなり、
もう少しコンスタントに書けないのはなぜなんだろうと、
ぼくはつらつら考えた。
1 時間がない。
2 とりたたて書くほどのことのない、変化のない毎日だ。
3 書いていても楽しくない。
4 読んでみてもつまらない。
1も2も事実ではあるのだが、
だったら、時間があれば書けるのか、
ネタがあれば書けるのかと自問してみる。
言い訳にしかなっていないことに気づくのだった。
で、ぼくの場合、やはり3と4。
書くからには楽しく書きたい。
読むからにはぐふふと読みたい。
そのどちらかが満足されるなら、
時間がなくてもネタがなくても、
ぼくはなにがしか書いてしまうのだと思う。
というか、書いてきた。ということになるのでしょう。
あの程度のものをニヤニヤしながら書いて、
ウヒヒと読み返したりしているようではまだまだだと、
心のなかでは思っても、口には出さずにいてほしい。
☆彡
「陰摩羅鬼の瑕」、ブータレた後は一気呵成。が。
ええと、あの、これ。
これって、もしかして駄作ですか?
っていうかこのシリーズ、「絡新婦の理」までですよね?
☆彡
庭のツバキの虫退治に乗り出したらば、きっちりかぶれた。
汗疹のような赤い発疹が首から両肘、両手首。
いやぁあああ。
2003年09月08日(月)
お盆休みに買った「おんもらき」をまだ読み終えることができない。
結局読み始めたのは休みが終わってからだったというのもあるが、
それにしても林羅山だの儒教だのといった話は拷問なみ。
その章だけで、ほとんど1週間を費やしてしまったぞ、ワタシは。
☆彡
妹が飛行機の窓から撮ったという、
グレートバリアリーフのデジカメ写真の鮮明さに息を飲む。
同じことをぼくのデジカメでやったら、たぶん窓ガラスしか映らない。
にわかに欲しくなってしまった光学12倍ズーム。
☆彡
数ある大沢作品のなかでも「天使の牙」は、
荒唐無稽ながらかなりおもしろく読めたもののひとつだった。
映画化されたそれを観ようという気には、しかしあのキャストではなれないが、
この時期、テーマ曲にタトゥーを持ってくるとはどういうセンスなのだろう。
もちろん、問題はタトゥーにあるのではない。この時期、にある。
☆彡
HPを閉じたり、その更新を長らく停止していたり、
ネット上での消息が不明になっていたぼくのお気に入りの人たちが、
先月の末あたりからぽつりぽつりと姿を現し始めてきた。
心の奥から、それはぞゎっと喜ばしいことである。
ネット仲間の絆の脆さは、これまで何度も思い知らされてきたが、
一生モノと呼べる関係を、そこに築いてみたいものだとぼくは思う。
青いか。おいちゃんなのに、ぼかぁ夢ばっか見ているか。