スカーレットの心のつぶやき
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2003年05月31日(土) 何でだろう?

この一ヶ月ほど前から、胃の調子が良くなくて
食欲もなくて、食べる量が減っていたんだけれど、

そのために体重が40キロをきり、顔が痩せて
体も骨骨しくなってしまって、

これは(・_・?) ン?と思っていた。

それがこの数日前から、何となく食欲が出てきて
今のこの時だと思って
少しでも多く食べようと、張り切ったのが
いけなかったのか?

なんでなんだろう?

(・_・?) ン?

ヽ(~〜~ )ノ ハテ?

胃の具合が又悪くなった。

この私の胃の悪さを表現することは
とても難しい。

言葉では上手く言えないから。

なんていうか・・・

胃の中に鉛の棒を突っ込んだ感じ。

食道から胃の一番下の部分にその棒を入れられている
という感じなのだ。

だから、空腹感もないし、

勿論食べたいとも思わないし

胃がここに存在するという意識が
頭の中から離れない。

この胃の悪さの時には必ず
胸もむかむかし、頭もがんがんする。

昔からそうなのだ。

若い20代のころの、あの食べられない症状の時と同じ。

あの頃は「拒食症」という心療内科的な病気だったし
自分でも分らない、気づかない心の中の葛藤があった。

だから、自分自身ではコントロールできない
食欲を憎んだ。

あの病気は克服できたと信じていたし
信じたかった。

確かに、あの頃にくらべると、いくら40キロをきったとは言え、
まだまだましな状態だ。

だから、拒食症の再発ではないと思う。

この胃の悪さは、多分自律神経失調症のためではないかと思う。

私の年齢では更年期人も多いと思う。

今のところは、私には現れていない。

でも、こんなに胃の具合が悪い時には
もしかして、私も更年期にさしかかった
のかと思ったりする。

年齢には勝てない。

気持が若くても実際には年を重ねているわけだから
症状がでてきても変ではない。

ある友人が言った。

私のこの胃の悪いときには
胃自身が訴えているのだから
それをちゃんと受け止めてあげないといけない。

そして、又よくなるからと励ましてやらないといけない。

胃に休みを与えてやらなければいけない。

この友人の言葉の通りかもしれないな?

なら、もう少し胃のことを優しい気持で
見てやら無いと。

子供と同じだ。

親として見守る必要があるように
私の胃も子どもと思って見守ってやろう。

又食べたくなる時がきっと来ることを信じて。


2003年05月30日(金) 副作用

昔から、良く効く薬には何かの副作用があると思っていた。

薬はいくらそれが良い物であっても、
体に影響はあるものだとも思っていた。

私は、本当は薬大嫌い人間。

出来るなら、何も飲まない方が良い。

昔、本当に大昔、

私は眠れない時期が長くあり、
睡眠薬を飲んでいた。

今思うと不思議だけれど、薬に頼っていたのだと思う。

眠れなければ、いつかは眠ることが出来るはず。

でも

あの頃には、眠れないと思い込んでいた。

嫌なことがあっても、眠ることによって少しは楽になったから
食事が摂れなかったり、吐いた後は、
いつもそんな自分を忘れたくて
ベッドに倒れこむように眠りたかった。

だから、

体には良くないとは思いながらも
毎晩薬を飲んでいた。

不安だった・・・

本当に怖かった・・

眠って居る時だけ、全てを忘れて昼の私から逃げることが出来た。

そして、あの日、

あのことがあってから

私は一切の睡眠薬から離れることができた。

今は飲みたくもないし、飲まずに眠れる。

薬は怖い。

9年前に心臓の大動脈勉の置換手術をしてからは
血栓ができないようにするために
ワーファリンという薬を飲み続けている。

この薬は一生飲まないといけない。

一月に一度の血液検査をして、量を決める必要もある。

確かに、薬を飲みたくないと思うけれど
飲まないと生きていけないのなら仕方ない。

他にも心臓のための薬を4種類飲んでいる。

ここにも書いたけれど

その中の一つ、不整脈の薬を飲むと口の中がからからに
なって、辛くなることもある。

私の胃が悪くなるのは、こういった諸々の薬を
飲むことをやめれば、治るのかもしれない。

友人はそう言うし、私もそうかな?って思う。

でも、飲まないと生きていけないから仕方ないのだ・・・

解熱鎮痛剤によって腸に穴が空いたということを知った。

副作用は皆に作用するとは限らない。

人によって、起こる人とそうでない人が居ると思う。

でも、なるべくなら飲まないに越したことはない。

薬の中には害の方が多い薬もありそうだから。

私は風邪くらいでは薬を飲まないようにしている。

風邪をひいても安静にし、温かいものを食べ、充分な休養を
取っていれば、治ると思うから。

今の薬は仕方ないけれど

これからは薬に頼ることのないようにしたい。


2003年05月28日(水) あの頃

あの頃の私はどうしてたんだろう?

今から15年以上前のこと。

まだ娘も生まれていなかった。

結婚はしていたけれど、何か今ひとつ自分の心が
見えてなかった。

生活しているという実感がなかった。

毎日がつまらなくて、虚しくて、日々退屈していた。

淋しかった・・・

今よりも年は若いし、本来なら子育ての真っ最中の頃、

私は子どもは持てないと信じていたし
それはそれで良いと諦めていた部分がある。

諦めの気持と、焦りの気持が交差していた。

誰でも良い、私の心の支えになってくれるものが欲しかった。

何かにすがりたかった。

だから、あんなに「大衆演劇」に夢中になったのだろう・・・

今思い出しても、不思議な気がする。

私は忘れはしない。

あの日のことを。

自分が自分の命を絶とうと決心して、実行したあの日。

でも・・・

でも・・・

でも・・・

生きていた。

もう少しで危なかったらしいが、それでも生きていた。

数ヶ月の入院を経て、心はまだ傷ついていたけれど
体の表面的な様子は殆ど元に戻った。

心は同じ状態だったのに、周りも心配していたのに
入院がいやだったから治ったように見せかけていた。

母にはそんな私の姿が痛々しく写っていたに違いない。

だから、母は私を休ませようとしてくれた。

退院してある場所に母と休養を取りに行った。

そこで、私は始めて大衆演劇と出会った。

あの「姫 京乃介」劇団と。

笑われるかもしれないけれど、私はその時初めて
「死ななくて良かった、生きていて良かった」と思えた。

それからというもの、京乃介を求めて劇場に通い詰めた。

パソコンの世界がバーチャル世界であるように
あの、大衆演劇の世界も同じ架空の世界、想像の世界
非現実的な世界だった。

でも、私はその非現実世界に足を踏み入れ
そして、抜け出すことができなくなった。

何でだろう?

今も思い出してもは不思議に思う。

逃避だったのか?

代償行為だったのか?

現実の自分が満たされない満足感をあの劇の中の
あの人に求めていたのか?

何にせよ、私は私がひかり輝いているのを感じた。

満たされていた。

嬉しかった。

幸せだった。

大阪や神戸まで所謂追っかけをした。

一人で土地勘の無い大阪の町へ行けたのも
ひたすら、あの京乃介を見たいがため。

笑える・・・

今はそんな私がとても不思議・・・

人生には色んなことがある。

辛い時

悲しい時

嬉しい時

そして幸せだと感じる時、

いずれの時も私の時間なのだ。

すべては自分自身の心の持ちようだ。

あの大衆演劇にはまっていた数年は
私にとっては、自分らしくないとても曖昧な
存在感の見えない自分だったと思える。

それから、娘が生まれ忙しくなったのも手伝って

私の大衆演劇に向かう足は遠のいた。

今朝地方新聞のある記事で、久しぶりにこの大衆演劇のことを
見た。

そして、あの頃の自分を思い出したのだけれど

今では笑って話すことが出来るほど
私の心の中では消化済みのことになっている。

私には今とても大事なものがいっぱい存在している。

それらを大切にしたい。

そして、

もしも、辛くてどうしようもない気持になったときは
こうして、ここで、私自身の心のつぶやきをしよう。

逃げるのではなくて、少し場所を変えて自分を見つけてみよう。

そうすれば、きっと良い解決方法が見つかると思うから。


2003年05月27日(火) 天然繊維

昨日、コットンマフラーを買った。

コットンマフラーは、タオルと同じ素材で「綿」。
所謂、天然繊維だ。

私には光アレルギーがある。

夏になり、太陽光線を首や腕に浴びると
赤く小さなプツプツとしたものが出てきて
痒くてたまらなくなるのだ。

昔からではなく、この2,3年前から出てきた。

やはり、最近のオゾン層の破壊で、紫外線が強く
なったためかもしれない。

特に車を運転する時、運転席側の右の手がひどい。

だから、紫外線防止対策としてロング手袋をはめ、
首にはスカーフを巻いている。

でも、私がいくら注意していても、必ず首と腕は
赤く腫れ気味になって痒くてたまらなくなってしまう。

昨日買った「コットンマフラーは

「日本人の首筋のお洒落と皮膚文化」をテーマに

増え続けるアレルギー性皮膚炎症状の人に
刺激が少ないあまやかな肌触りを味わってほしいという気持から
研究に研究を重ね、遂に完成した商品らしい。

「無農薬コットン」を素材にしたこのマフラーは

�/佑�まいていても重く感じない70g以下に

�⊃イ衒�を二重織りにして、通気性と保温性を重視

��材料はスイスの田舎で作られた糸で、勿論無農薬コットン

�ぜ鵑悗了彪磴�ないように、オレンジオイル酵素による精錬

�ゥ皀縫拭爾凌佑燭舛�長い時間試用してテストを重ねて
改良改善した

��四国今治の天然水を使用した染め、染料は弱酸性

��名前もタオルマフラーではなくて、ファッション性を
感じる「コットンマフラー」に

以上、消費者の立場に立って、考えられた良い商品だと思ったので
購入したというわけ。

今年の夏はこのマフラーで、紫外線をカットして
アレルギーの症状が出ないことを楽しみにしている。

この製品に添えられていた言葉を皆に見て欲しい


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     「歩く」 「朝日新聞 天声人語」の著者 辰野さんの言葉

2本の足を交互に動かして歩いていると、
人間が本来身に着けている感覚を呼び覚ますことが出来る。
それは、自然感覚という原初的な動詞「歩く」ということ。

「歩いているうちに」細かなことが気にならなくなる。

いらいら、くよくよが減っていく。

肩やヒジの痛みが消えていく。

そして、体内に滞っていたものがゆるやかに流れ始める。

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「地球」という「タイタニック号」に乗っている私達地球人は

「タイタニック号」が大氷山にぶつかる前に方向を転換し
被害を少なくしたのと同じように、

資源節約の循環社会において、使っているものが本当に
必要なものか、無駄な邪魔なものではないかということを
考えながら生きていこうではないですか!!

このメッセージを贈ってくれた製造者の方に感謝!!


2003年05月26日(月) 雨の朝の風景

今朝は雨。

高知では明日の朝まで大雨になるとか。

例年今ごろから、梅雨入りする。

今年は梅雨入りが少し遅くなっているそうな。

確かに、梅雨には被害の出ない程度の雨がほしい。

大雨警報が出るくらいに降ってくれないと
毎年、真夏に水不足になって、
断水の不安があるから
この梅雨の時期に、いっぱい降ってくれないと心配だ。

今朝、近くの郵便局へ絵手紙を出しに行った。

昨日の夜は絵手紙タイムだった。

朝市で、真っ白なカラーの花と
季節外れだけれど、とても可愛く優しい
秋桜を買ってきた。

そして、昨日家に来た親友から
本当にステキなバラの花をいっぱいもらった。

ミニバラは赤とピンクの2種類、

そして普通のバラは色が微妙なピンクと黄色の花だった。

こうして、家に花がいっぱいあるのは本当に嬉しい。

花は心を癒してくれる。

和ませてくれる。

あまり濃い色の花は好きではないけれど・・・

でも、

花は良い。

昨日の夜は、絵手紙を全部で20枚描いた。

画材は4種類。

「カラー」

「バラ」

「秋桜」

「アジサイ」

描きながら、出す人のことを考えた。

この絵手紙を受け取ってくれた時の笑顔を想像して
自然に私も嬉しくなった。

本当に最近掲示板で知り合った人へ
初めましての気持を込めてアジサイの絵手紙を描いた。

そして、今朝投函しに行ったのだ。

雨・・・

雨に一番似合う花・・アジサイ

きっと喜んでもらえるだろう・・・

帰りの車の中から見た犬の散歩。

なんとその犬は黄色のレインコートを着ているではないか!!

驚いた。

犬って雨に濡れると風邪をひくのかな?

それとも室内で飼っているから
体を濡らして欲しくないのかな?

そして、犬は本当にレインコートえお着せてもらって
嬉しいのかな?

なんて、大したことではないのに
頭の中でその疑問が今も駆け巡っている。

雨にあたって喜ぶ草花、

我が家にあるアジサイの花は本当に嬉しそうに
雨を吸って元気な顔をしていた。

雨が降ったら困るのは、道路工事のガードマンのおじさん。

これからは梅雨に入って毎日の雨で仕事も出来にくくなるだろう。

毎日の洗濯物も、雨が続くと乾きにくくて困る。

雨は欲しい。

でも、時にはお日様の顔も見たいものだ。

これからの一ヶ月、雨とのお付き合いが始まる、

新しく知り合った人と同じく
どうかよろしくね!!


2003年05月25日(日) 人と人との縁

私がとても大切にしている言葉がある。

それは「出会いを大切に」という言葉。

人は一人で生きていくことは出来ない。

いくら、誰にも頼っていないと思っていても
この世で生活している限り、
何かいつも人と関わっているから。

勿論人の性格はそれぞれ違うから
「人間大好き、友達いっぱい」の人も居れば

孤独を愛し、なるべく人様との関わりを持たず
他人との会話もせず、ひっそりと生きていきたいと
思っている人も居るだろう。

それはその人の自由。

私が何か言う権利はない。

でも、折角こうして今の時代を共有しながら
共に生きているのだから

ある程度は人との関わりを持ち、
又他人との会話もしてこそ
楽しいものと言えるのではないだろうか?

私が去年の春に、パソコンを始めて
このHPを立ち上げてから
それまでの私には持つことのない新しい出会いが
数多くあった。

勿論、今までの私が歩いてきた道のりの中で
色々な出会いと別れを経験している。

今日、本当に久しぶりに会うことになっている
彼女との出会いも私には本当に大事に思える出会いだ。

彼女とは高校時代に知り合って、何でも心を許せる仲になった。

中学までは生まれ育った土地が違い
中学も違うから、高校に入って初めて
友達になった人だ。

あれからもう35年の月日が流れたことになる。

彼女とは最近は年賀状だけのお付き合いになって
しまっていたけれど、
親友の有り難さ、会ってなくても心が通じ合っている。

だから、疎遠になることもなく
喧嘩することもなく
何かの時にはお互いが力になってあげることのできる
とても良い関係になっている。

その彼女はご主人と離婚して、女手一つで
2人の男の子を育てている。

と言っても、二人共今は大学生、
もう彼女が手をかける年ではないが、
私なら無理だなあって思うほど
毎日の仕事に頑張っている。

「夜はアルバイト、土日もバイト」と彼女の言っている通り
本当に「いつ休めるの?」と聞きたくなるほど毎日頑張っている。

そんな彼女が今日はパソコンを取りに来る日なのだ。

私の知人が仕事場で使っているパソコンを買い換えるため
破棄するというので、譲り受けて来た。

仕事場で使っているといっても、そんなに古いものではなく
ソフトもウインドウズ98が入っていて

遊びでネットやメールをするくらいは十分使えるものだ。

買う費用のことを考えれば、助かると彼女は言ってくれた。

本当に久しぶりに会うので話しもしたいし、
長くは居られないかもしれないけれど、

もう少ししたら、いつもの朝市へ行って
あの美味しい散らし寿司と草もちを買って来ようと思っている。

さっき、ポテトサラダを作ったから
お昼は散らし寿司とサラダと味噌汁と、草もちで
久しぶりに話に花が咲くだろう。

人と人との出会いは、生まれる前から縁があると
決っているのだろうか?

神様が決めているのだろうか?

それは分らない。

でも・・・

でも・・・

何かの縁で知り合うことの出来た喜び
そして、お付き合いできる幸せ

これらは私にとっては、宝石よりも貴重なものだ。

これからも色々な出会いがあると思う。

又出会いの数だけ別れもあるだろう。

出会うことの喜びと別れることの淋しさは
きっと裏表なのだ。

出会いがあるから、別れがある。

又、別れがあるから、新しい出会いが生まれる。

皆、縁があるからそうなるのだと思う。

私の人生も折り返し地点をとっくに過ぎている。

残りの人生にも、今までと同じような
出会いと別れが待っているはず。

一度しかない人生。

死ぬ時に「ああ〜〜良い人生だった」と思えるような
そんな出会いと別れを経験して
これからの私の道を歩いて行きたい。

「人生は素晴らしい!!」と心から言えるように。


2003年05月24日(土) 苦手なもの

ああ〜〜〜〜〜嫌だ。

嫌な季節が来た。

これから家に現れるあの「ゴキブリ」のことを
考えるとぞっとする。

人の嫌いなものは皆人それぞれだと思うけれど
私は「ゴキブリ」が大の苦手なの。

母は蛇だと言った。

娘は本当に本当に小さい
針の先のような大きさの虫が居ても大騒ぎするくらい
虫が苦手。

昨日、起きてみると台所の調理台の上に、
本当に小さな、点のような蟻がうろうろしてた。

今までも夏が来る頃になると
こうしてどこからかやってくるのだ。

調理台の上には調味料を並べているし

以前は砂糖の入った容器に蟻が群がって
思わず悲鳴を上げたこともある。

蟻のイメージはかわいいし働き者で
「ありとキリギリス」の話を読んで感心した思い出もある。

だから、この小さな体で一生懸命に生きている
姿を見ると、無碍にするのも可哀想に思う。

でも・・・

でも・・・

お皿に蟻がはっているのはいただけない。

だから一つずつ手でつぶしてしまった。

しかし!!

この蟻よりもいやなのがあの憎き「ゴキブリ」だ。

大嫌い!!

あの黒く光った姿・・・

あのぴくぴくと動く触角・・・

たまに羽を広げて部屋の中を飛んだあの姿・・・

ああ〜〜〜〜嫌だ!

ゴキブリの存在は人類が現れたのと同じか又
それ以前にも居たと聞いたことがある。

そして、その強気生命力は人類が滅亡しても
まだ存在し続けるとも聞く。

人が生活している以上逃げ切れる存在ではなさそうだ。

だから、私はこの時期になると
部屋中を噴霧して卵の存在も消すと
言われている「バルサン」をするのだ。

去年はもう少し早い時期に一度目のバルサンをしたはず。

今年は父の入院やそのほかのことで忙しく
今日まで何もしていない。

昨日は蟻の出現で急いで買いに行った。

でもこのバルサンをするのには条件がある。

天気の良い日にしなければならない。

部屋の中で煙があたると駄目なものを
はじめにちゃんと隠しておかないといけない。

夫や娘の居ないウイークデーでないとできない。

だから、どうしても来週の火曜日までは待たないと
駄目なのだ。

そして一回目が終わって、2週間くらいして
二回目の噴霧をしないと効果がなかなかでないと聞いている。

今年の梅雨入りまでに出来ればしてしまいたい。

このバルサンはダニ、ノミ用だけれど
ゴキブリの現れるのも本当に少なくなる。

娘が少しアレルギーがあるので
ダニが居ないようにするのも目的の一つだ。

毎日掃除機をあてて、小まめに掃除をし
片付けるようにはしているし
絨毯は敷いてない。

でもダニは今の日本の家には何処にでも居るとのこと。

娘のためにも、
又私のためにも
大嫌いなゴキブリ退治、ダニ退治をしなくっちゃ!!

来週はちょと忙しくなるな。


2003年05月23日(金) 年は取りたくないな!!

ああ〜〜〜〜!!

本当に年は取りたくないな・・・

でも、年っていうものは、万人に共通に
重ねていくものだから、

いくら嫌だと思っても確実に取っていくんだな。

私も「心はいつも青春、18歳!」なんて
思ってるけど、今年の秋には52歳になる。

私の友人たちは、子育てもひと段落して
さあ、これからは自分たちの時代だと意気揚々の
人が多い。

でも、

私はまだまだ引退できない、
難しい年齢の娘が居る。

今娘は14歳、
そう、
後10年

後10年経ったら、娘も自分の人生を
自分の足で歩いていってくれてるはず。

それまでは、やはり母として頑張らないと。

だから元気で居なくっちゃ。

寝込んでいる暇はないよ。

ありがたいことに私は外で働いたことがない。

夫のお陰、感謝しなくっちゃ。

家で動いているのが好きな私だから
今の私が置かれている環境が好きだ。

そりゃ時々、まいにちが同じことの繰り返しで
嫌になるときもある。

何もかも放り出してどこかへ行きたいな?なんて
思うこともある。

でも、情けないけど、放ることができない。

いくら娘に偉そうに言われて
腹が立って、家を出ても帰るところはこの家しかない。

夫しか居ない。

娘しか居ない。

だから、又私は戻ってくるんだ。

まあ良いかって思う。

でも悲しいかな、この最近年を感じる。
いくら心では若いと思っていても
年からは逃げることが出来ない。

最近は老眼鏡なしでは不便になってきた。

PCのし過ぎ?と思うけれど、年のせいかな?とも思う。

白髪もお洒落染めしてるし、

体の線も崩れかけてる。

体重は減って今はこれではいけないと思うほどになった。

40キロをきるとこれはちょっと心配。

でも、食べられないから太れない。

拒食症とは違うけれど
食べることが怖くなる。

胃も老化してるのかな?

人並みに食べることができないし、
もし食べると後で必ず胃の調子が悪くなるに決ってる。

だから、本当にすずめの涙ほどしか
食べられない。

痩せるのも当たり前、
でも、まあ私の体には太るよりは良いから
これで良しとしよう。

これでも年よりは若く見られるから良いか!

まだまだ老けたくない。

心はいつも18歳!

恋もしたい。

勿論心の中だけのことだけれど。

誰かのことを想うのは若さの秘訣。

さあ、まだまだ頑張るぞ!

年は取らないの!!


2003年05月22日(木) 家族って?

今年の秋に私は52歳になる。

9月1日で、結婚18年。

娘が生まれて14年。

今日までの私達の生活はスムーズに行ったわけではない。

でも、

こうして続いている。

夫と知り合ったのは昭和54年の夏。

だから、結婚するまでの間が長くて
知り合ってからの年数を足すと、もう23年経ったことになる。

どこの夫婦もそうだとは思うけれど
今までの夫と私の関係がいつもベストということはなかった。

何度離婚を考えたことか!

夫にはその気はなかったと思ってる。

私が一人相撲を取っていたようにも思える。

実際に離婚届の用紙をもらってきて
親友に頼み込んで、保証人の欄に署名捺印してもらい
もう、出すだけになった時が一度あった。

今思うと、あの頃の私は何か焦っていたように思う。

何を焦っていたのか?

それは、私は一生この夫と2人だけで
生きていくのだという重たい思いがあったから。

家族は夫と2人だけなんだという
半ば諦めの気持と一緒に
焦る気持があった。

周囲の人たち皆の反対や心配を受けながらも
娘を産むことに決めた。

そして、心臓に負担をかけながら、食べられない
状態の長く続く月日を過ごし、出産に至った。

家族が3人になった喜びを覚えた。

自分自身の命をかけた出産だったから
余計に娘が生まれたことの喜びは大きかった。

初めての子育てに母の協力なしではやっていけず
情けないけれど、母には頼りっぱなしだった。

娘にとっては、祖母は母と同じだったはずだ。

こうして、私の望む3人家族になってからは
楽しい事だけではなかったし
喧嘩もした。

でも、離婚しようにも娘が居ることによって
私は踏みとどまることができた。

「子は鎹」と言う言葉の通りだ。

夫もたとえ私と離婚したいと思うときが
あったとしても、娘のことを思うと
それは実際には絶対に駄目だと思っていたようだ。

今娘は14歳。

最近は反抗期、自立の時期なので、
家族3人がいつも楽しく時間を過ごすことは
少なくなった。

お互いが自分の部屋に入ってPCをするようになると
食事時間が終わるとバラバラ状態になってしまう。

淋しいと感じるときもある・・・

もっと3人で話がしたいと思うときもある・・・

でも、こうして一つ屋根の下で暮らすことが
できることだけでもありがたいと思おう。

家族はどんなときも一緒に居るべきだと思うから。

良い時も悪い時も一緒に居ることが
家族なんだと思うから。


2003年05月21日(水) やはり・・・

あれほど、一喜一憂しないと決めていたのに
やはり、私は駄目だなあ・・・

何でもないことや

ちょっとしたことで

悲しくなり、食欲がなくなり
何もしたくなくなり・・・

現実から逃げようと思ってしまった。

こんな私が嫌になる。

数ヶ月前から起きている不整脈。

薬のお陰で治まっていたのに
副作用が出て、口の中がからからに渇くのが嫌で
先生に言って変えてもらった。

口の渇きは治ったけれど、

今度は薬の効きが悪くて
不整脈が出始めて
この間からひどくなってしまった。

特に夜寝ようとベッドの上に
横になるとこれがいけない・・・

脈の乱ればかりが気になって・・・

意識してしまって余計にひどく乱れていると感じて
眠れない。

私は眠れないと一番こたえる。

そして、眠れないと
普段ならなんともないことさえ気になって

大したことでもないのに、悪く悪く
考えてしまう。

一喜一憂しないと決め、段々この頃では
落ち着いていたのに・・・

本当に情けないよ〜〜〜!

でも、この不整脈の原因になっていた
心の悩み、
焦り、
苦しみ、
せつなさ、

家では笑って見せていない弱さ。

これらが、夕べの一つのことで
全て消えてしまった。

今は本当に素直になれる。

何でも普通に思える。

心って本当に不思議だ。

そして、心は良いようにも
又悪いようにも変わることができる。

もし一度思ったことがずっと続いたら
人は生きていけないと思う。

悪く思える時はとことん悩もう!

とことん悩んだその後にはきっと
良いことがあるにちがいない。

だから、悩むことも良いことなんだと思おう!

苦しみや
辛さや
悩みが

大きければ大きいほど

後に訪れてくれる

喜びや
嬉しさや
ときめきが

大きく感じられるから。

もうくよくよしない!

なるようになるから。

そのうち今不整脈も治まることだろう!

良いことだけじゃ人は生きていけない。

悪いことも含めた人生、
それが本当の人生なんだから。


2003年05月18日(日) 何か変

この頃、色々な事件が報道され、何故そういうことが
起きたのかを考えさせられることが多い。

それらは一つ一つ起きた場所も、時間も
当事者も、そして、原因も異なっている。

でも、これら一連の事柄に何か共通するもの
環境、社会性があるような気がしてならない。

一昨日に起きた、中学二年生が教室で
友人の背中を持っていたナイフで刺し重症を
負わせる事件があった。

私の娘が丁度同じ年頃なので、余計に気になって
仕方なかった。

娘も学校から帰ってくると
学校であった、嫌なことや、腹の立つことを
話してくれる。

娘にとっては、私に話すということで、心の中で
燻っていた、気持がすっきりして、気が済んでいるようだ。

事柄の大小の違いはあるけれど、今の学校は何か変!だと
思うことが多い。

例えば教師のこと。

私が子どもの頃は先生はは先生として、尊敬するまでは
ないにしても、
一応は「先生は偉いんだ」という意識を持っていた。

だから、先生の言うことを良く聞いていた。

勿論教師だって人間だから、間違ったことを言う場合も
あったし、行き過ぎたことをいうこともあった。

でも、それは生徒たちのためを思って
言ったりしたりしていたと思う。

母親がこどものことを思うばかりに口うるさく
言ってしまうことがあるように。

でも、最近の教師の態度を見たり聞いたりしていると
やはり、何か変だ。

やさしい先生が多くなっている。

勿論人間としての優しさは必要だと思う。

でも・・・

でも・・・

やはり生徒のことを一番に思うなら
やさしく接するだけでは駄目な気がするのだ。

時には厳しく注意することが必要ではないか?

子供たちに好かれるために、嫌ごとを言わずに居る
教師は、本当に生徒のためを思っている教師ではない
と思う。

こういう些細に思えることが、今の学校で問題になっている
学級崩壊にも繋がっているし、
さっきの事件のように、子供たちの心が荒れている原因に
なっている気がしてしかたないのだ。

娘の通う中学に去年一人の教師が居た。

私は一度だけ、その先生の授業を見た。

確かに、口も悪く、荒っぽい感じも受けた。

でも、一番大切な授業内容を見ていると
とても丁寧で、分りやすく、子供たちが興味を持って
勉強したくなる授業だった。

人には好き嫌いがあるから、
生徒たちの中でもその先生を大好きと思う子も居れば
大嫌いだと思う子も居た。

ある一人の生徒が一学期の初めに何かのことで
その先生から注意を受けたらしい。

詳しくは言えないけれど、そのことが親の怒りを買い、
結局その子の両親は教育委員会にまで言いに行き
今春、その先生は遠い所へ転任になり
行ってしまった。

そしてその両親は「あの先生を飛ばしてやった」と言っていると言う。

やはりこのこともおかしい。

親は勿論自分の子供を守りたいと思っている。

しかし、この言葉は絶対に変だ。

娘をはじめ多くの生徒たちは、その先生が良かった
好きだったと言っている。

娘はその先生から次のような言葉を聞いたらしい。

先生曰く、
「お前らに好かれようと思えばいくらでも方法はある。優しく
面白く、怒らないで居れば良い。
でも、先生は敢えてお前らのことを考えてこんなことを言ってるのだ。
将来きっと、先生が言っていることが良かった、正しかったと
思うときが来るはずだ。
だから、今は腹が立つかもしれないけれど、先生のいうことを聞いておけ」と。

勿論お前という言葉は言ってはならないのかもしれない。

そして、その先生が言ったことがどんなことなのか
私には分らない。

でも、何となくその教師のいうことが私には理解できる気がするのだ。

私が娘のことを思うから、色々なことを注意したり
意見を言っているのと同じだと思えるから。

他の教師のように、生徒の機嫌取りをするような態度は
絶対に変だと思う。

何故生徒に諂う態度に出るのだろう?

そういうことをしているから今の学校が乱れ
崩壊への道を進むことになるのだ。

教師はもと毅然とした態度で居てほしい。

PTAの力が怖い教師が居るということも聞く。

これってやはり変。

子供たちにとって学校は家庭と同じくらい
否、それ以上社会との接点として大事なものだと思う。

これから将来を背負っていく今のこの子どもたちに
もっと正しい厳しさや、忍耐することの大切さを
教えてほしい。

そして、学校へ行くのが楽しくなるような
そんな場所になれるよう
毎日の学校生活の中で、教師とは何か?
学校とはどうあるべきか?を再認識してほしい。

社会の原点とも言える学校を充実したものにしていけば、
きっと今、世間で問題になっていることも
解決への道を歩んでいけるようになると思う。


2003年05月17日(土) 思い出の味

誰にでも皆、何か一つは忘れられない味があるはずだ。

それは、昔どこかで口にして、家に帰って作ろうと
又作ってもらおうと思っても
料理できなかった味
料理してもらえなかった味。

又

誰かからお土産に戴いて、美味しくて
もう一度食べたいと思っても
その土地へ行かなければ、買えないもので
家に居ては口にすることができない味。

又

昔から「お袋の味」と言われるものがあるように
幼い頃に母親が作ってくれてたもので、
自分自身の心の奥深いところで
味を思い出しては懐かしく思う味。

そんな

色々な「思い出の味」というものがある。

皆さんにとって「思い出の味」は何なんだろう?

今朝、私はあるものを作った。

それは何?

人が聞いたら「な〜〜んだ!?そんなものか!」と
言われるかもしれない。

でも・・・

でも・・・・

でも・・・・・

私にとっては、とても懐かしく
又美味しい思い出の味。

その名は「糸こんにゃくの卵とじ」なんだ!!

笑う?

良いよ、笑われても。

前に私の親友も言ってた。

やはり、彼女にとっても「思い出の味」だったみたい。

たいした料理ではないのに、
何故か、一年のうちでハレの日にしか口にできなかった。

遠足のお弁当の中に入っていたり・・・

お花見のお弁当の中身だったり・・・

運動会のお弁当の隅の方にちゃんと収まっていたり。

何故?こんな時しか食べることができなかったのだろう?

作りながら思ったのだけれど

この料理って、料理のうちに入るのかな?って。

あまりにも簡単に作ることができるから。

糸こんにゃくを塩を少し入れて湯がく。

そして、5分。

水にさらして灰汁抜きをする。

最近はこの灰汁抜きをすでにして売られているものも
あるようだけれど、

本物のコンニャクイモからできた
「生芋100パーセント」の糸こんにゃくを
こうして下準備する。

そしてそれを食べやすい長さに切って、
煮て、最後に卵でとじるだけのものだ。

でも、ここで一つコツがある。

それは、普通は煮物をするときはだし汁が要る。

だし汁で煮ないと、味が出ないから。

しかし、この「糸こんにゃくの卵とじ」を作る時は
だし汁を入れないことなのだ。。

これは母が教えてくれた。

そして、今も母が言ったように、だし汁無しで
砂糖とお醤油だけで煮ている。

最後に卵をよく溶いて、鍋の周りから
少しずつ流し込み、
少し卵が固まってきたな?と思うときに
箸で全体にいきわたるように
そっと混ぜる。

そして、蓋をして蒸らす。

味付けは少し濃い目にした方が良い。

初めは濃いかな?と思っていても
最後に卵を入れると、薄くなるから。

出来上がった「糸こんにゃくの卵とじを」を
見ていてつくづく思った。

私の「思い出の味」
「懐かしい母の味」って
何と安上がりにできるものなのだろう!!

こんなに安くてしかも簡単にできる料理(?)を
何故?
母は一年に数回しか、食べさせてくれなかったのだろう?

私、大好きだったのにな・・・

今日母に会ったら、聞いてみよう。

そして、今朝私が作った「思い出の味、母の味」の
この「糸こんにゃくの卵とじ」をおすそ分けして
母に食べてもらおう。


2003年05月16日(金) 一人暮らし

春は新しく就職で自立したり、大学入学で故郷を離れて
一人暮らしを始めた人は多いはずだ。

一人暮らしの気分ってどんなんだろう?

私はこの年になるまで、一人暮らしをしたことがない。

親元を離れて暮らしたことはあるけれど、それは一人ではなかった。

だから、一人暮らしの淋しさも良さも分らない。

この間ここに書いた友人は、メールで

「一人暮らしは快適?・・・」と言ってきた。

?マークが付いているから、やはり少しは
快適で、少しは淋しく、不便も感じているのかな?

友人も生まれてはじめての一人暮らしだそうだ。

慣れれば本当に快適な気分になるのか?

それとも、淋しくてたまらなくなるのか?

これは各人皆違うと思う。

私は入院で四国を離れて過ごした期間は長かった。

勿論それまでも入院は幾度もしていたから
入院自体の淋しさは知っていた。

でも、その時は母は毎日顔を見せてくれたし
お見舞いに人も来てくれたりしたので
淋しさは紛れていた。

四国を離れ九州で入院した時は
いくらからだが弱っていたから、
入院は仕方ないものだと分っていても

毎日夕方になると屋上に上がって
家のあるであろう方角を見ては
家族の所へ帰りたいと思って涙したこともある。

しばらくすると、その入院生活にも慣れ
入院仲間もできて、段々と平気になった。

そして、入院はいくら制約があり、
自由ではなかったけれど、
元気になったら退院できるという希望があったから
生活できたのだと思う。

あれが退院する見込みもなく
いつまで居れば良いのかも分らなかったら
きっと、心理状態を正常に保つことは
難しかったかもしれない。

入院生活のほかに一度だけ、親元を離れて
暮らしたことがある。

でも、博多の町は私の心に比べて
あまりにも賑やかだった。

その賑やかで陽気な環境の中で
昼間一人でアパートの壁を見つめながら
誰とも接することなく
会話もなく
只、時間の過ぎるのを待つ生活は

私の心を段々と壊し始めていった。

そして、3ヶ月経って、私は悲鳴をあげてしまった。

若かったと弁解はしたくない。

一緒に暮らした人が嫌いになったわけではない。

いくら好きな人と住んでいたとしても
あの壁を見つめて時間を過ごす
生活は私にとっては苦痛以外の
何者でもなかった。

気が変になりそうだった。

そして、やはり病気が再発した。

負け犬のように、すごすごと家族の居る松山へ
帰ってしまった。

何故?

あのとき、もう少し我慢することができなかったのだろう?

何故?

もっと心を開いて、人との結びつきを求めなかったのだろう?

今なら同じ環境の中に置かれても
きっと、その時のような淋しさは感じない気がする。

それだけ、世間の中でもまれたからかもしれない。

結構ずうずうしく生きる術を覚えたから・・・

悩みながらも自分を傷つけずに生きていく方法が
少しずつ分ってきたから・・・

憧れの?一人暮らしは結局一度もしないまま
今に至っている。

娘は今中学二年。

娘は私とは違う

今自立の時期だからかもしれないけれど
大学は外へ出たいと言っている。

勿論親として心配はあるけれど
私は娘がこの家を出て
一人暮らしをすることに賛成だ。

きっと親の有り難さも家族の支えの有り難さも
分るに違いない。

家計は苦しくなっても
娘には一人暮らしをさせたいと心から思っている。






2003年05月15日(木) 天候不順

昨日はまるで嵐のように激しい雨が降った。

今朝も降っている。

例年こちらは夏になると必ず水不足になるので
このように雨が降ってくれるのは本当に有り難い。

毎日報道されるダムの貯水率を見ていても
一番少なかったときに比べると大分増えてきているのがわかる。

勿論まだまだ例年並の量ではないけれど、
今年の夏は渇水にならなくて済むかも?

喜ぶべきことだ。

でも、雨が降ると肌寒さを感じる。

昨日も肌寒かった。

晴れると、車の中はまるで夏のように暑くなる。

クーラーを入れたくなる。

半そでのTシャツで丁度良い感じさえする。

このように、気温の差があるとどうしても体調を崩しそうに
なってしまう。

昨日は暑かったから、同じ服装で居ると寒くなる。

もう春物は要らないと思い、この間の暑かったときに
クリーニングに出したり、洗濯して収納してしまった。

だから、昨日のように肌寒いと
羽織るものが欲しかったけれど、一度仕舞ったものを
出すのもなんだし、結局差肌寒いと感じるままにしてしまった。

私のように家に居るものはまだなんとかなる。

でも、外へ出る人は朝と昼との服装を考えて
一つは何か重ねることのできるものを持った方が良いと思う。

蒲団もこの間の暑い日が続いた時に
今までの冬用から夏用に切り替えようと思ったが
まあ、良いか、後でと思いそのままにしておいた。

でも、これが正解だったように思う。

気温の差があって、天候が不順なので
これに合わすのが難しい。

娘が風邪をひいたのは、この天候不順のためだ。

小さい頃から私が過保護にして、
暑い寒いを神経質にしてしまったから・・・

少しくらい寒暖の差があっても、
それに適応できる体になっていないのは
私の責任だ。

人にはその人それぞれの適応能力があるはず。

私の両親は最近特に、暑さを感じないと言う。

年を取るごとにそうなってきたらしい。

だから、高齢の人が真夏でも冬のものを着ているのを
見かける。

やはり若い人に比べると体全体が元気でなくなったせいかな?

だから、母もまだまだ冬用の下着が放せないと言っていた。

人それぞれ、その人に合ったものを着て
今のこの天候不順な時期を乗り切ってほしい。

日本特有の梅雨ももう直ぐだ。

沖縄は昨日梅雨入りしたとか。

後2週間もすればこのあたりも梅雨入りするだろう。

北海道を除いて日本中が梅雨になる。

夏までのこれからの時期を、自分で調節しながら
体調を崩さぬよう、気をつけたいものだ。

皆さんもくれぐれも気をつけて!!


2003年05月14日(水) 安らかに

人は自分がこの世に生まれる時、何処へ生まれるかを
選べない。

同じように、死んでいくときにいつ?何処で?
どんな風に?死ぬのかもわかっていない。

わかっていないからこそ人は毎日、未来を見つめながら
今というこの一瞬を大切にしながら生きていけるのだ。

でも、死はどんな人にも必ず訪れる。

それが、病気でか?

事故か?

殺されるか?

老衰か?

病気にしても、何の病気でか?

それは分らないし、選ぶこともできない。

しかし、誰も自分が苦しむことなく安らかに死を迎えたいと
おもっているに違いない。

この頃よく「リビング・ウィル」という言葉を耳にする。

自分が尊厳死を迎えるための「生前遺書」のことだ。

普通、遺書は自分が死んだ後、遺族により明らかにされるものだが
この「リビング・ウィル」は自分がまだ命のあるときに
自分の死について希望や選択をすることができるように
書いておくものである。

自分が不治の病になったときそして末期になったとき、
無意味な延命措置を断り、
安らかな自然死を迎えたいと誰でも思う。

そういう「尊厳ある死」を自分で決定したいと
思う人のためのものだ。

「健やかに生きる権利を

安らかに死ぬ権利を自分自身で守るために...」

でも、この尊厳死は思うほど簡単ではないと
昨日の夜のNHKの番組で言っていた。

いくら患者本人が自らの意思で
尊厳死を望み、無駄な延命措置をして欲しくないと思い
この「リビング・ウィル」を書いていても
いざその時になって、家族反対で、
望むような措置が行われないことが多いそうである。

又医者を初め、患者に接しているスタッフの気持としては
患者自身の望むことであっても
尊厳死を実行させてあげることイコール
自分たちが患者さんの自殺幇助を
しているのではないかと思うからだ。

このように自分が自分の死を安らかに
迎えたいという気持はあっても
それが簡単ではないことがわかる。

私はもし自分がもういくら治療をしても
治らないということが明らかな時、

又、植物状態になったときは要らぬ延命装置は
はずして、自然な死を選びたい。

それが家族にとっては苦しいことかもしれないが
やはり本人の意思が一番大事だと思うからである。

只、望むことはもし苦痛があるときは
その苦痛をできる限り、最大限の措置により
なくして欲しいとである。

私は自分のことを一番知っているし分る。

神様の悪戯心で長生きをする可能性もあるけれど
こうして身障者になって、私の周りの
同じ病気の人たちを見ていると
普通の人と同じ寿命は望めないと思っている。

でも、死は怖くは無い。

いつかは迎えるものが少しだけ早く来たとしても
そのことを落ち着いて迎える自信はある。

でも、正直ところ、痛みだけはごめんだ。

だから、私も安らかに、自分らしい死に方をしたいと思う。

昨夜は夫に冗談めかして「私もリビング・ウィルを
書いておこうかな?」と話したけれど
本気で考えていることである。

安らかな、静かな死を迎えたいと思っている。


2003年05月13日(火) 人生何度でも

春はスタートの季節だ。

私のメル友の一人が、明日新しい人生のスタートを切る。

2年ほど前にそれまで勤めていた職場をリストラされ
無職になったらしい。

知り合った時には無職で、失業保険をもらいながら
次の仕事を探している状態だった。

その友は同県人で、私が生まれたところに住んでいる
こともあり、何か親密感を感じることができ、
毎日ではないけれど、メールのやり取りの
お付き合いをしている。

縁は異なもので、話をしていくうちに
とても私に縁のある人だった。

年齢も近そうで、話していると姉と同じ高校で
それも同じクラスだったことが分った。

又、メールのやり取りの中で、友が私の両親を知っていて
会ったことがあるということが分り
本当に驚いたし、世間は狭いなあなんて思った。

私も両親も松山に住んでいたのだけれど
私の結婚でこの地に来た。

私が体が弱く、娘を出産してから子育てを
母に手伝ってもらっていたのだが、
ここまで来てくれるのも大変で
それでも、毎日回数券を使って
娘の遊び相手になってくれるために毎日来てくれていたのだ。

そして、松山の家を処分し、私の住むこの地へ土地を買い
家を新築して引っ越してきてくれた。

その新築する家の建設をしてくれたのが
友が勤めていた建設会社だったらしい。

家が出来上がりその後のメンテナンスを友がしてくれたと
いうことがわかり、両親も友のことを覚えていたし
姉も覚えていた。

そして、私と絵手紙仲間が開いている
銀行の絵手紙展をいつも見に行っては
感想を送ってくれていた。

私も時々友に絵手紙を出すようになり
本当に良い関係ができていた。

その友がこの間のメールで、
以前勤めていた建設会社から再就職をしないかとの
声がかかり、迷っているとのこと。

私はもし友が嫌でないなら、それはとても良いお話だと
思ったので、再就職を勧めた。

そして、友も決心し、再び前の職場で働くことにしたのだ。

でも、職場は松山ではなく高松だったので単身赴任になってしまった。

この最近体調を崩していたのも知っているので
一人暮らしは、食事も不規則になったり
栄養面でも偏ったりしないか?

又どうしても一人だと家事もしないといけないし
無理をしてしまうのではないか?と心配している。

友は明日旅立つ。

昨日すずらんの絵手紙を描いて
新しい住所宛に今朝投函しようと思っている。

どうか高松での新しい環境の中で体を壊したりせず、
心機一転、
頑張ってほしいと思う。

人生は何度でもやり直せると思っている。

新しいスタートを切ろうとしている友に
心からの拍手を送りたい。



2003年05月12日(月) 思いもよらないこと

人って、何か突然良いことがあると同じ嬉しさも
その度合いが違うのではないかなと思う。

初めから期待をしたり、想像できたり、
分っていたりすると、
例え結果が本当にステキなことで
喜ぶべきことなのに
その喜びの大きさが違ってしまうことがよくある。

入試だってそうだ。

推薦入学は本人にとってはとてもラッキーなことだし
勉強はするにしても、何かとても楽勝!って言う気持があって
同じ合格をもらっても、喜びはあり、勿論嬉しいことだけれど
充実感や達成感は、一般入試の方が強く感じるに違いない。

だからこそ、難関を突破して合格を知った時涙も出ると
言うものだ。

昨日は母の日だった。

昨日のこの「心のつぶやき」でも書いたけれど、
私はいつものことだから、家族からの感謝のプレゼント
なんてもらえないと思っていた。

数年前までは、娘も小さかったから
母の日に「お母さんへ」の手紙と共に私をとても美人に
描いてくれた絵をプレゼントしてくれていた。

夫は「有難う」の気持と共に、その日の夕食を
どこかでご馳走してくれていた。

でも、娘も大きくなるにつれて、段々と可愛い
プレゼントもしてくれなくなり、私は一抹の淋しさを
覚えていた。

私自身このごろは諦めるというか「もう良いや、その代わり
今日一日はお母さんは家事を放棄するよ」と言う気持が
強くなって、昨日もその「家事放棄」が最大の
私へのプレゼントだと思っていた。

昨日、娘が友人と松山へ買い物に行くと言い、
雨も降っていたので
夫が送り迎えをしてくれたのだが、
夕方少し帰る時間が遅いなって思っていたら
「ただいま」の声と一緒に
私への母の日のプレゼントを抱えて帰ってきたではないか!!

これには本当に驚いた。

期待していなかったし、諦めてもいたから
驚き、喜びは大きく涙さえ出そうだった。

娘は松山から籠に活けられた花いっぱいの花かごと
ブレスレッド、そして、私の大好きなアイスクリーム、
バナナケーキ、それに添えられたメッセージカードを
プレゼントしてくれた。

この最近は反抗期っていうか、親離れの時期なので
私に対して可愛げのない言葉をいつも聞いているので
そのメッセージカードに添えられた
「お母さん、いつも有難う。いつまでも元気で居てね」の
言葉は、信じられない言葉だった。

でも・・・

でも・・・

本当に嬉しかった!!

又いつも私が話しかけてもろくに返事も返って来ない
夫からは、私の趣味の絵手紙で使う絵の具「顔彩」の箱入りを
プレゼントされた。

これも本当に意外だった。

正直な所人の気持は分らないものだと思った。

期待や希望の無かった分その嬉しさは大きかったのだと思う。

改めて夫と娘に「あ・り・が・と・う」!!

期待や希望のない喜びが大きいということを
今回再認識したのだけれど、
今日は私の親友にプレゼントするパソコンを
もらいにいくことになっている。

知人の職場の買い替えのパソコンをいただけるという
話を聞き、
親友がパソコンを欲しがっていたので
彼女にもらえるいきさつの説明をしたら
とても喜んでくれたので、
今日、知人の職場にパソコンをもらいに行くことにしたのだ。

期待や希望をしていないときの喜びの大きさを
思い知った私なのに、
このパソコンについては
彼女に前もって尋ねてしまったことを失敗したかなと
思っている。

5月19日は彼女の誕生日。

本当は黙っていてその日に彼女にプレゼントしてあげたほうが
彼女の喜びは、きっと大きかったのではないか?と
今ちょっぴり後悔している私だ。

でも、夕べ彼女はメールで「嬉しい!涙が出そう」と
書いて送ってきたので、私も嬉しく思っている。


2003年05月11日(日) 母の日

今日、5月の第二日曜日は母の日。

この母の日が日本でも一般に知られるようになったのは
いつのことなんだろう?

母の日の由来は?つぎのようらしい。

1905年5月9日にアメリカのフィラデルフィアのに住む
アンナ・ジャービスという人のお母さんが亡くなり、

その悲しみの中でアンナは
「お母さんには感謝の気持でいっぱいなのに
もうお母さんは居ない、お母さんが生きていたときに
もっとお母さんをたたえて、感謝の気持を
伝えたかった。」と
思ったことから始まったとか。

そして、自分だけでなく他の人にもお母さんが
生きて居る時に同じ気持になってほしいと思い
その機会を広げようと徐々にその運動が大きなものに
なったのだそうだ。

そして、その後1913年に母の日が、
アメリカの議会で満場一致で制定されたらしい。

日本では1915年(大正4年)に教会で祝われ始め、
徐々に一般に広まっていき、
一般に広く知れ渡ったのは1937年(昭和12年)
森永製菓が告知を始めたことがきっかけだそうだ。

一般に母の日には赤いカーネーションを贈る習慣が
あるが、何故カーネーションなのかは
この花が母性愛の象徴とされているからだそうだ。

十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが
落とした涙の後に生じた花という言い伝えがあるらしい。
また、中央部の赤は
キリストの体から散った血の色ともいわれているんだって。
古代ギリシャ人が、
オリンパス山の神々の主神ゼウスに捧げたとも伝えられるように、
この花は昔、花冠を作るのに欠かせなかったところから
花冠、花輪を意味するラテン語CORONAにちなんで
CARNATIONと名付けられたとか。

また、母の日の提唱者である
アンナ・ジャービスのお母さんが
カーネーションが好きだったことも原因の一つだそうだ。

お母さんの居ない子たちは赤ではなく白いカーネーションを
買うと昔聞いたときに、とても変だと思った。

母の日や父の日は母や父のいない子どもたちに
とってはとても淋しい日になるのに
一般化されて当たり前になっていることに
疑問を感じたから。

今私は一人の娘の母として存在している。

又私にとってかけがえの無い母も居る。

母と娘の両方の立場として今日の日を過ごす
わけだけれど、私の希望としては
娘にプレゼントをもらうのではなくて
「有難う」の言葉だけもらって
後はいつもしている家事を放棄させてもらえるのが一番だ。

でも、こんな風に思っている気持は
娘には通じないだろうなと思う。

今日は偶然にも私の母の誕生日でもある。

来年も母の日に私が母に何か心ばかりのものを
プレゼントできることを祈りたいな・・・


2003年05月10日(土) 砥部動物園写生大会

先日の夏のような暑さが去り、今日は薄曇で
気温もあまり高くなく、風も少しあって、過ごしやすい一日
だった。

毎年この時期に、砥部動物園の写生大会がある。

今日がその日だった。

朝4時過ぎに起床。

私と娘のお弁当を作りできる限りの家事を済ませ
受け付けの始まる8時半までに会場へ行った。

娘が幼稚園に入園した以来、毎年行われる
写生大会には参加している。

この砥部動物園のほかに、梅津寺遊園地、伊予市にある
五色浜、そして、やはり伊予市にある厚生年金センターで
行われる写生大会がある。

私が言うのもなんだけれど、娘は小さい頃から絵が上手かった。

そして、写生大会にはいつも賞をもらっている。

中学生にもなると、行かない人の方が多いのだけれど
やはり、娘は絵を描くのが好きなので、今年も
今日が2回目の大会参加だ。

去年は「マンドリル」を描いて金賞をもらった。

マンドリルは行く前から描こうと決めていたらしい。
一昨年は「オオサイチョウ」、
その前は「ライオン」、
そして、フラミンゴ、象、サイ・・・

そして、今年は猛禽類を描きたいと言っていたが
会場に入って、まず梟を見に行った。

でも部屋は真っ暗で絵は描けないので、タカやワシの
居る場所へ行った。

結局、今年は「オジロワシ」を描くことにしたらしい。

このエリアには「オジロワシ」のほか
「シロハラウミワシ」
「カラカラ」
「クマタカ」
そして、「コンドル」が居た。

皆タカ科の鳥だと思っていたら
コンドルだけはコンドル科だった。
サーモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」では
ないが、コンドルはやはり格好よかった。

今まで動物園に行くことは何度もあったけれど、
このエリアをゆっくりと見たことはなかったので、
今日は娘が描いている間中、
彼らを観察できて面白かった。

「オジロワシ」は茶色の羽、黄色のくちばしを持っている。
「コンドル」はモノトーンの羽の色だった。

コンドルは他の鳥に比べて、動きが少なくて
同じ所にじっとしていたが、娘の描いた「オジロワシ」は
時々思い出したように、羽を広げて
止まり木から止まり木に移動していた。

午前9時から午後2時までの5時間の間に
描き終えないといけないので
娘は初めに時間の割り振りをして描くのだと言った。

いつものことだが、デッサンがとても丁寧で
細かな所を描くので後の色づけの時間が足らなくなって
折角いい感じにデッサンができていても
時間に追われてざっと塗ってしまう。

娘は今日はワシの顔、特に目を良く観察し描こうとしたので
その部分に時間をかけすぎて、後少し気持が焦った。

けれど、2時までには描き終えることができた。

私が見てすごいと思ったのは、やはり娘が力を入れて描いた
目の鋭さや表情がとても良く現れていたことである。

又、羽の一枚一枚の色に少しずつ変化を持たせ
ゆっくりと丁寧に色づけしていた。

できていくに連れて、とても良い絵になっていったと思う。

賞を取る取らないの問題ではなく
如何に自分が描きたいものを自分の感じたままに
描くことができるか?

又描いた絵が見る人に何か感じるものを与える
ことができるか?がとても大事だと思う。

その点では今日の「オジロワシ」はまるで
生きているように
今にも羽を広げて飛び立とうとしているような
迫力を感じた。

娘はもう少し・・・と思ったらしいが
私はとても良い絵に仕上がったと思っている。

重たい道具やお弁当を持ち、お供するのも
疲れるけれど、娘が満足する絵を描ける
機会を大切にしてやりたいので
今後も、一緒に行こうと思っている。

それにしても、絵が上手い人は良いなあ・・・




2003年05月09日(金) ちょっとしたこと

人って、何かちょっとしたことで嬉しかったり
悲しかったりするもんだ。

これは良いことか悪いことかははっきりしないけれど
確かに、ちょっとしたことでその日一日が気分良く
過ごせたり、憂鬱な気分で終わってしまうこともある。

私の場合は朝、起きて鏡を見て自分の顔が
輝いていると感じたり、お化粧の乗りが良くて
少しだけ自己満足したりすると
その日は何故か外へ出てみたいなんてウキウキした
気持になる。

でも、反対にその日の朝、ちょっとした
気持のすれ違いや、勘違いで
家族と上手くいかなかったり
諍いが起きたりすると
本当にその日一日とても嫌な気持で
過ごすことになる。

まだ、私なら家に居て専業主婦をしているから
良いけれど、
夫は仕事で又色々な人とのかかわりも持たないと
いけないし、
娘は娘で学校での友達との関係や
先生との係わり合いがある。

だから、朝は夫や娘が気持よく出て行けるようにしないと
いけないと思っている。

そのためには朝一番の私の態度が大事だ。
それが分っているからいつも朝起きてきた2人に
笑顔で「お早う!」と言っている。

そして、大きな声で元気良く「行ってらっしゃい!!」と
送り出すように心がけている。

本当に些細なこと、ちょっとしたことで、
その日一日の気分が左右されたり、
動揺して心臓に悪いなと思いながら過ごすのは
絶対に良くない。

このようなちょっとしたことに動揺するのは
本当は情けないことなのかもしれない。

もっとゆったりと構えて、たとえ地震が起きても
うろたえない態度で過ごしていれば
ちょっとしたことでうろうろしたり
イライラしたり、反対にウキウキしたり
しないで済むのではないかと思う。

特に母親なんだから、もっと大きな気持を持って
色々な出来事に対処していかないといけないな。

最近の私は少しはましになっている気もするけれど
まだまだ、「ちょっとしたこと」で動揺してしまう。

こういう時は必ず心身の疲れがある時だ。
分っていても疲れを感じてしんどくてたまらないときには
それが特にひどくなる。

昨夜も昼間からの疲れが残っていて
メル友に誤解されそうなメールを送ってしまった。

床について、そのことが気にかかって
なかなか寝付かれなかった。

朝起きて一番に連絡を取り謝って
誤解されずに済んだのだけれど、やはり反省している。

もっと大らかに、ゆったりした気持で居たい。

少々のことで気持が左右されないようにしたい。

神経質な私にサヨナラしたい。

今日はもう少ししたら、父を日赤へ
胆石の検査MRCPに連れて行くことになっている。

退院できたのだから、きっと大丈夫だとは思うのだけれど
今日の検査をしてみて、医者から大丈夫と言われないうちは
まだまだ不安がある。

でも、もしも期待する結果にならなくても
父の気持を考えて、私はあまり心配しないようにしようと
思っている。

ドンマイ、ドンマイ!!

なるようにしかならないよ!

ケ・セ・ラ・セ・ラ・・・

ちょっとしたことぐらいで動揺しないぞ!

そして、神様にお願いね\(゜・ ゜)神様〜


2003年05月08日(木) 青春再び?

この間から左の親知らずが生えてきて少し違和感を
覚えていたら
今度は左のほっぺたになんとニキビができてしまった。

私の肌はどちらかと言うと乾燥肌で、
10代の頃から、友たちが悩んでた
ニキビや吹き出物には縁がなかった。

今もそれは同じで私にニキビができるとは
本当にキャー!ビックリ(*゜ロ°)ノミ☆(;>_<)バシバシだ。

私の娘は今14歳、青春真っ只中。

先日も、薬局に連れて行って欲しいと言った。

ついこの間までは顔も洗わずに学校へ行っても
平気だったのに、今はお風呂では長い時間をかけて
洗髪や洗顔をしているようだ。

そしてシャンプーや洗顔料も何でも良かった子が
CMに関心を持って、自分が気に入ったものを
買ってくれと言い出した。

女の子だからそれは当たり前のことだし、
少しずつ大人の女性に向けての準備段階に入った
のだなあって思っている。

娘の顔にも一つ二つニキビらしきものが出たらしく
薬局でニキビ用の洗顔料や
ローションや、ニキビにつける薬(軟膏)を買ってやった。

毎朝、どんなに忙しくても念入りに顔を洗い
ローションや薬をつけて登校している。

そんな娘の姿を見ながら自分自身の青春時代を
思い出していた私が
本当にその青春時代のシンボルであるニキビに悩まされるとは!!

昨日も左のほっぺたのニキビが痛くなってきていて
気になりはじめていたのだけれど
丁度今朝の新聞にニキビについての記事が載っていた。

思春期のニキビの主な原因は男性ホルモンの増加による皮脂の
過剰分泌だそうだ。

そして、今の春から夏にかけての時期が、
一年の中でも一番皮脂の分泌が盛んな時期なので、
この季節に正しい予防や対策を
きちんと取らないといけないと書いてあった。

それにはやはり正しい洗顔が一番。

しっかりとあわ立てた石鹸を手にとり柔らかく肌を刺激
しないように洗う、そしてその後石鹸分が残らないように
洗い流すこと。
正しい洗顔をしないと余計に肌を痛めてしまう危険があるから。

つまり今娘が忙しい時間の中でしていることは
とても大切で必要なことだったようである。

勿論私は自然の肌に良い化粧品を使っているし
朝と夜の洗顔もきちんとしている。

突然私の左のほっぺたにできたニキビは
娘の思春期のニキビとは違うことは確かだ。

昔は顔の真ん中にできた吹き出物は命に関わるなんて聞いたことがあるし、
顔の皮膚の状態は、その人の内臓の状態に関わっていると
いう話も聞いたことがある。

ガーン!!

この間からの胃の不調や更年期症状の前触れかもしれないな・・・

私は単純に親知らずにしても今度のニキビにしても
「まだまだ私も若いんだ」なんて喜んでいたけれど
これってもしかしたら、何かの危険情報かもしれないよ。

少し様子を見なきゃ!

50歳にして青春再びと喜んでばかりはいられないな!!


2003年05月07日(水) 人生色々

今日は一ヶ月に一度のいつもの心臓の病院の
予約診察日だった。

病院へ行くといつも同じことを考える。

病院には人生の縮図のようなものがあると。

人それぞれの生き様というか人生模様を見ている気がするのだ。

私は今まで50年間生きた来て
病院と縁の切れるときはなかった。

病気を持って生まれてきたのだから仕方ない。

時には挫けそうになって、何故私だけが?と
恨みそうな気持になったこともあった。

確かに、私は他の人が経験しない病気や闘病をしてきた。

病気の上に私の人生があったと言っても過言ではない。

落ち込んで気も弱くなりそうになったときもあった。

自暴自棄になったこともあった。

そんな時、今日のように病院へ来ると
私だけが戦っているのではない、
私だけが苦しんでいるのではない
私だけが・・・

私だけが・・・

と思う気持が、あまりにも驕った気持であることに気づく。

人にはそれぞれ持って生まれた分というものがある。

私が先天性の心臓疾患で生まれたきたのも
何か意味があったのではないか?と思えるようになった。

人は皆違っている。

病院の中でもそうだ。

自分の足で歩いて来る事ができる人も居れば
杖をついている人も居る。

車椅子の人も居る

目の不自由な人も居る。

話していると、とても大変な病気と闘っている人も居る。

皆一人一人が自分に与えられた病気と闘っているのだ。

お腹の動脈瘤がいつ破れやしないかと
まるでお腹の中にダイナマイトを抱えて
毎日を送っている人もいる。

鼻に酸素のチューブを入れ、酸素ボンベから酸素を肺に
入れながら、いつも酸素ボンベと共に暮らさなければならない人が居る。

薬なしでは生きられない人たちも多く居る。

後余命が少なくても最期の日まで自分に与えられた
病魔と闘い続けている人が居る。

病気の重い軽いを人と比べるのは絶対に間違っている。

人は皆違うのだ。

私は今日も又、こうして病院に来て
自分のことを考えることができた。

血圧は上が81下が46と低すぎたし
薬の量も変わったし、
不整脈もあるけれど

私は私の足で歩け
手でものをつかむことができ、
自分の肺で呼吸することもできている。

今の所走ったり、泳いだりさえしなければ
何とか今の家での生活はできている。

絶対安静とか自宅のみ行動とかの
制約もない。

私は幸せだ。

良い友人にも恵まれ、両親は健在、家族も喧嘩しながらも
仲良くしている。

上を見れば限がない。

勿論私は人とくらべることはしない。

人は人,私は私という気持は小さい頃から持っている。

そして、自分の個性を大切にしてきた。

ユニークな人だと言われながら、それでいいじゃないと
開き直る術も知っている。

私は私の心に素直に、与えられた病気と共に
後何年かわからないけれど
自分だけの人生という舞台の上でで主役を演じ続けて
いこうと思っている。

人それぞれ、人生色々、私は私の足で
私の人生を歩いていきたい。


2003年05月06日(火) 季節

心の中に暖かな春風とともにやってきた桜花も満開を過ぎて散り
今は新緑が目にまぶしい季節になった。

時の移り変わりに改めて感心する今日この頃。

昔から、「春は別れと出会いの季節」と言われるように
卒業、そして入学に始まり、就職、退職・・・と
色々な別れと出会いがある季節だ。

私にも又新しい出会いがあった。

HPを開いて一年になるが
本当なら知り合うことも無く一生を
終わっていたはずの人たちと、こうして
出会えて、お付き合いをさせてもらえることの
喜びをかみしめている。

この最近、私は自分が少しずつではあるけれど
変わっているという感じがするのだ。

何が私を変えたか?

それは、人との出会いであるように思う。

私は自分の病気のことを盾にして
自分自身のことを甘やかしたり弁護するのは嫌だ。

でも、私は先天性の心臓疾患を持って生まれた
から確かに他の人たちとは違ったものの見方や
考え方をしていたと思う。

それが良いか悪いかはわからないけれど
私の人生は19歳で終わると信じて生きてきたから
刹那的でもあったし、子供としては可愛くない覚めた目で
周りのことを見てしまっていたように思う。

19歳で一生を終えるから、絶対に後悔のない
人生にしたいと思っていた。

だから、親にも心配をかけたし、回りの人たちにも
心配をさせてしまった生き方をしていた。

本当にいつも半ば投げやりな人生を
送っていたような気がする。

幸い?にも私は19歳では死ななかった。

医学の進歩によって、昔ならできなかった手術も
できるようになり、私は死ぬことなく
こうして50歳まで生きてくることができた。

勿論生き易い人生ではなかったし、
あの時にもう一度戻る事ができるなら
もっと素晴らしい生き方をするのにと
思うこともある。

でも、神様は公平だから、どんな環境の違った人にも
同じ時間をお与えになっている。

お金では買えないものイコール時間という
公平で大切なものによって
いくら今が嫌で仕方なくても死なない限り
逃げることができない仕組みになっている。

私はこの頃今の自分が可愛くてたまらない。

若い頃から否定的なものの見方をして、
自分自身に厳しくしていたし、
いつも気を張って、頑張って生きてきた。

完全を目指そうと頑張ってきた。

でも・・・

でも・・・

でも、それは到底無理なんだということに気がついたのだ。

世の中の流れに掉さして生きていくとしんどいと
いうことに気がついた。

流されて行くのも良いじゃあないかって思えるようになった。

良い意味での「好い加減」な人生こそ、一番大切で
自分自身にとって楽な生き方ではないかと思えるようになったのだ。

もっとりラックスして、ゆったりとした気持で
毎日を過ごすことの大切さに気づいた。

50歳を過ぎて初めて気づくなんて、なんと遅いことだろう。

今までの50年は私にとってはとてもしんどい50年だった。

私には一生懸命に生きていく生き方しかないと思っていたから。

でも、もう少し楽な生き方をしたいと思う。

今春ある人との出会いがあった。

その人のお陰で私の人生にたいする考え方が
少しずつ変化してきたのだ。

もしその人に出会わなければ私は自問自答しながら
今もまだ自分自身を苦しめる生き方をしていたはずだ。

人との出会いの大切さをしみじみ感じている。

そして、私を楽な生き方ができるように変えてくれた
友人に心から感謝している。

最近私は鏡を見るたびに、自分の顔が輝いていると
感じている。
美しいとか醜いとかいうのではなくて
キラキラしている、輝いている、
生き生きしている・・・

そう思えるのだ。

でもこれは私一人が感じていることだから
周りの人たちから見ればそんなことないと
言われるだろう。

でも良い。

私は今の私が大好きだ。

季節は初夏へ向かっている。

私の心の中の季節も長かった冬から春へ移り
今は新鮮で眩しいばかりの明るさでいっぱいの
季節を迎えている。





2003年05月05日(月) 流行

いつの時代も、その時代にしかない流行がある。

流行は何を持って流行と言うのか?

世の中の皆がしていることや、持っていることが
その流行の意味なのか?

私はこの流行というものがあまり好きではない。

変わり者と言われるかもしれないけれど
どうして周りの人と同じものを持ったり
したりしないといけないのかがわからない。

今朝のTVで、今若い女の子(中高校生)の間で
歩きながら「棒つきアメ」をなめるのが流行っていると言っていた。

見ていると、笑ってしまった。

制服を着た女の子たちが手に手にその棒つきアメを持ち
口の外へ棒を出したままで歩いているのである。

彼女たちはアメを舐めながら歩く自分たちの姿が可愛いと言っていた。

そもそもこの棒つきアメは幼い子供たちが
一度に食べきれないので棒とつけて持てるように
したらしい。

昔からペコちゃんキャンデーがあったし、もっと昔には
練りあめと言って、紙芝居を見ながら棒をまわして練って
食べるあめもあった。

でも、一時、その棒が子供たちが舐めながら転んで喉を
突いたら危ないということで敬遠された時期もある。

綿菓子の棒が脳に突き刺さってなくなった子供がいたのも
悲しいけれど、現実にあった。

だから、私も娘が小さい頃には棒のついたアメを食べさせるのを
避けていた時があった。

娘がどうしても食べたいと言った時には
一緒に居て危なくないかと心配したこともある。

流行って本当に怖いし、凄いな!

棒つきアメをなめると可愛い感じがするし
実際に可愛くなると言う。

これも流行のものだけれど
プリクラ写真を撮るときに、舐めながら撮ると
表情がとても可愛くなると言っていた。

口元がしまり、口角が上がって自然な笑顔に
なるらしい。

プロのカメラマンが言っていた。

でも、私は棒を口の外に出し、皆が皆アメを舐めながら
歩いている姿は見ていて良い物ではないと思う。

勿論今の日本では人に迷惑をかけない限り自由な国だから
彼女達がアメを舐めながら歩いていてもOKだ。

でも・・・

でも・・・・

やはり・・・

私は好きでないな・・・

流行を追いかけて、流行に飲まれて、流行に左右される
人って、結局他の人と同じでないといけないという
気持の表れだと思う。

もっと良い意味で個性を持ってほしい。

自分自身を認めるのはまず、自分からだと思う。

人と違うことを良しと思える人になってほしいと思う。


2003年05月04日(日) 記念日

皆は記念日はどうしているのだろう?

例えば、結婚記念日、誕生日など・・・

お互いにお祝いをしているのかな?

私は原則的に、何かの記念日や誕生日には
ささやかであってもいいから、何か心のこもった
プレゼントをしたいと思っている。

私の育った実家はこの気持がお互いにとてもある家だったから
両親の誕生日や、父の日、母の日、そして私達の誕生日
クリスマス、バレンタインデー、ホワイトデー、こどもの日、
お正月など、ハレの日はお祝いをして、何かを贈る習慣があった。

私は世間は皆そうだと思っていたので
結婚してからも、それまでと同じようにしようと思っていた。

でも、この考えは甘かったみたい。

夫の家ではそういう習慣は全くなかったみたいで
夫も私に対して何かの時のプレゼントは勿論
言葉もないのだ。

これには吃驚した。

やはり育った環境の違いってあるんだなあ?って認識した。

でも、結婚して私達は新しい一つの家族を作ったのだから
今までしていなくても、これからは新しく考えを変えてほしいと
思っていた。

でも・・・

でも・・・

でも・・・

これは私一人が思っていたことだったのだ。

別に高価なものがほしいわけではない。

物が欲しいのでもない。

只誕生日なら「おめでとう」の一言で良い
朝一番にその言葉をもらえたらとても嬉しくなるのだ。

結婚記念日ならその日はちょとだけご馳走をしてお互いに
よくやっているなって褒めあって、感謝とこれからのことなどを
話すのが理想だ。

父の日や母の日も「有難う」の言葉で十分だ。
プラス何か心のこもった何かをプレゼントしてくれると
余計に嬉しいな・・・

私のところは娘が一人なので、
生まれた時から色々としてやってきている。

でも、思うにしすぎたから、それが当たり前になって
娘には感謝の気持が無くなっているような気がしてならない。

自分の誕生日やクリスマスお正月には
「○○が」欲しいと早くからの催促がくる。

そのくせ、親の誕生日や父の日、母の日には感謝やおめでとうの
言葉も無く、勿論プレゼントもない。

これってなんだか変?

別に子供に何かを期待する気持はないのだけれど
子供がじぶんにだけしてもらうのが当たり前で
人には何もそんな気持を持たないということが
問題だと思う。

そういう子に育てたのが私なら、ここで愚痴を言っても
どうしようもないのだけれど
それでも言葉のプレゼントくらいは欲しいと思う。

それは相手のことを思いやるという家族の中で
一番大切な心だと思うから。

明日は子供の日だ。

娘は昨日明日の子供に日には何をしてくれるの?って聞いてたっけ。

キャハハ o(>▽▽<)o キャハハ

そうなのだ、こうなのだ。

自分のことは要求してくるのだ。

でも、私は母親としての喜びがある。

子供がここまで元気で成長したことへの感謝と祝う気持がある。

だから、明日の晩は何か娘の好物を作ってやりたいと思っている。

後一週間すれば「母の日」だ。

私は私の母への感謝の気持とともに、サンダルをプレゼントしようと
思っている。

娘からは何もないと思うけれどこうして家族が
仲良く?暮らせることが一番の喜びだから
その元になっている母としても私の存在価値を認めてくれる
だけで良いと思う。

でも、本音は娘から一輪の真っ赤なカーネーションと
「有難う」の言葉をもらえたらきっと嬉しいな?
の


2003年05月03日(土) 小澤征爾

昨日ショパンのノクターンの原曲の楽譜を
買いに行ったヤマハで、たまたま8月に
私の住む愛媛県の県民文化会館に「小澤征爾」さんの
指揮する「新日本フィルハーモニー交響楽団」の
演奏会があるのを知った。

何かとても気になって仕方なかった。

母が最近NHKの歌謡番組の中で
オーケストラの演奏を聴いて
とても感激したと言っていたので
母にこの小澤征爾さんの演奏会のことを話した。

母は夜に出かけるのが好きではないので
きっと関心を持たないだろうと思っていた。

それが意外に「聴きに行きたい」と言うではないか!

正直言って驚いた。

本当に意外だった。

母はクラシックは興味もないし、聴いても分らないと
私が思い込んでいたから
今までは私は母を誘ったことはなかった。

コンサートは色々と行った.

そして、それぞれの素晴らしさには感動していたけれど
やはりオーケストラを生で聴くのが一番だった。

本当に心の奥深くに響いてきた。

言葉では言えない感動を味わったものだ。

だから、母にもその感動を生に演奏で経験してほしいと
心から思った。

私の友人の中にピアノやコンサートの好きな人が居る。

昨日の夜、そのことを知らせたら
是非行きたいと言った。

愛媛の人ではないのだけれど、近くだから来れると言った。

その人は長野の松本市の斉藤記念館のコンサートにでも
行きたいと思っていたらしく、いつも売り切れで手に入らなかった
らしい。

だから今回のチャンスは又とないものだと喜んで
くれている。

今日改めて買いに行ったのだが、なんと座席は残り4席だけだった。

それも私が購入しようかどうしようか迷っているうちに
2席が売れたのだ。

その友人に電話で尋ねてみたら
いい席でなくても、小澤征爾の指揮するコンサートの
会場の雰囲気が味わえるだけでも幸せだし
もう二度とこんなチャンスはないかもしれないので
最後列の席でも良いと言った。

本当にそうだと私も思う。

小澤征爾さんも70歳。

後どのくらい今の状態で続けられるかは分らないし
こんなに近いところで聴くことができるのは
本当にもう二度とないような気がする。

ベートーベンの第8番の演奏をよく聴きたいと思う。

世界の小澤の指揮する新日本フィルハーモニーの演奏を
本当に楽しみにしている私だ。


2003年05月02日(金) 挑戦するということ

人は何か自分が持っている夢や目標に向かって
日々前進することができればどんなに良いだろう。

普通は思っていても、それを実現することは容易ではないと
思う。

私は今一番何がしたいか?

何をしている時が幸せか?

ここでも何回も書いたけれど、
私の今の夢はピアノだ。

小さい頃からの夢であるピアノが弾けること・・・

昔、私が育った家ではピアノは勿論オルガンでさえ欲しいとは
言えなかったし、
その頃の家にピアノがあるということ自体凄いことだった。


だから、従兄の所へ行って、オルガンを弾かせてもらうことが
とても嬉しくてたまらなかった。

家では紙鍵盤で練習した思い出が今も鮮やかに残っている。

娘が生まれ今はピアノを自由に弾ける環境に居る。

考えたらこれってとても幸せだ。

私が幼い頃から心の中で暖めていた思いを実現させることが
できる環境の中に居るのだから。

友人でやはりこの数年前からピアノに取り組んでいる人が居る。

その人と出会って、今まで家では話すことのなかった
ピアノの話ができるようになって、とても嬉しかった。

大人のピアノの練習の仕方は
いくらレッスンに通っていても
先生から戴く本は、本物ではなくて弾きやすいように易しく
書き直された本が多い。

確かに今の私のレベルでは、本物の楽譜の曲を弾くことは
至難の業だ。

だから、弾きやすい楽譜を使っていた。

でも、友人は違う。

同じ苦労をするなら、しやすい楽譜ではなくて
本当の楽譜で練習したいと言って、その楽譜で練習
しているのだ。

前に一度友人のピアノを聞かせてもらった。

感激した。

本当に感激した。

心からの拍手をおくった。

その後私のピアノに対する気持も以前より
積極的になったことは確か。

だから、この間PCの故障で11日間PCができなかった
時には、ピアノの練習を2、3時間できてかえって嬉しく思ったりした。

今も一日に最低1時間はピアノに向かっている。

昨日も弾きながら、やはり楽譜のことが気になって仕方なかった。

本屋へ行き楽譜を買おうと思って色々と見ていた
けれど、本物は難しくて、私には無理だと思い
買わずに帰った。

友人に話すと、それは本物で練習するのが良いと言われた。

そうだなあって私も納得した。

やはり挑戦する気持を持ち続けたいと思うし
本物の楽譜を弾けるようになったら、
私はきっと自信がつくと思う。

だから、今日はヤマハへ行って、もう一度ゆっくりと
楽譜を探してみようと思っている。

今年の連休はどこかへ出かける予定もないので
ピアノへの挑戦をしようかな?とも思う。

今一番番弾きたい曲は「ショパン」の「ノクターン」。

易しい楽譜では弾けるようになったから、
今度はもっと頑張ってみようと決心している私である。


2003年05月01日(木) 色々な形

人が人を大事にすることはとても必要なことだと思う。

それが家族である時は勿論だ・・・

夫婦の間にもその相手を大切にするという思いやりが
とても必要だと思う。

人と人との関係は合わせ鏡のようなものだから、
一方が相手をいとおしく思っていればその気持は
必ず相手に通じると思っている。

私と夫との関係は今その歯車が少し噛み合わなく
なっていて、ぎこちない関係になっているのだと思う。

でも、夫のことを私は愛しているし、とても大事な人だと
思っている。

昨日の夜、私はとても体調が悪かった。

この頃よく起きることだから、私は「ああ、又か」と
思い、夫に話してもどうなることでもないから
黙っていようと思っていた。

でも、胃の痛みが激しくてしんどくて辛かったので
(涙が出そうだった)遂に訴えた。

反応は私の思っていた通りだったから
話すのではなかったとも思った。

でも、少し時間が経ってから、私が改めて
「私のことを大事に思っていないでしょう?」と言うと
意外にも「いいや、大事に思っている」との返事が
返ってきた。

正直驚いた。

私のことなんて、全く気にならず、どうでも良いと思っていると
いつも私は感じていたから。

嬉しかった・・・

言葉には出さなくても心は私のことを思っていてくれると
分った気がした。

本当の私は夫に甘えたいし、夫との間を良い関係に
したいと願っている。

でも、何故か昔から、そう結婚した時から
私がしっかりしないといけないという気持が働いて
甘えるということをしたことがない。

夫が5歳下だからかな?

普段は意識していないのだけれど、たまにそう感じる
ことがある。

もしも、私が心から夫に対して甘えていれば
今のような状態にはなっていないかもしれない。

今、娘は14歳だ。

後10年もすれば娘は娘の道を一人で
あるいは誰か愛する人とともに生きていくはずだ。
その時になって、今のままの夫との関係が続いていたら
とても耐えられないと思う。

一緒に居ても空気のような関係になっていると夫は言った。

確かに昔のように夫に心がときめくことはない。

でも、これはお互い様だと思う。

夫も私に対してこころときめくなんてことは考えられない。

将来的なことを思うと、残された私達がいかに心を合わせる
ことができるかにかかっているような気がする。

今から、少しずつ夫との関係を修正して
将来、一緒に居て楽しいなって思える関係を
築いていきたいと心から思う。

夫婦は色々な形があると思う。

だから他人がこうだから私も・・・とは思わない。

私達には私達の関係の形を作れば良いと思うから。

昨日から今日にかけて、私の心は前を向いている。


スカーレット