スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
私の好物は何?と聞かれたら
アイスと応える。
これが大好きというものもない私だが
夏場になると必ず毎日アイスを食べてしまう。
このごろのような梅雨の中休みの、
じっとしているだけで汗ばむ
蒸し暑い日の私の楽しみは、
アイスを食べることだ。
アイスと言っても、
高級なバニラアイスクリームではなくて、
一本60円の棒に挿した昔ながらのアイスキャンデーだ。
安上がりだなあ・・と自分でも笑ってしまう。
中には一個300円くらいするアイスクリームもあるが
私にとって一番美味しいと感じるのは
ミ ルク味や小豆味、ソーダ味のアイスキャンデーだ。
これらを口にすると、幼い頃の懐かしい思い出が甦って来る。
私が生まれ育ったのは長屋だった。
そして、夏になると必ず長屋の一斉消毒の日が来た。
消毒の日は家の中には居られない。
母はご近所さんたちと井戸端でワイワイガヤガヤ、話に花を咲かせ、
私たち子供は勉強から解放され
暑さを忘れて缶けりやかくれんぼをして遊んだ。
そして、必ず誰か代表者が
近所のアイスキャンデー屋さんに、
アイスキャンデーを買いに行った。
甘酒、小豆、ミルク、オレンジ味、と色々あったが、
一番人気だったのは甘酒味だった。
確か一本5円だったと思う。
井戸の周りに集まって大人も子供も一緒になって
アイスキャンデーをかじる様は、
戦後のモノのない時代の、
夏ならではのちょっと贅沢な光景だった。
今では味わうことのできないあのアイスキャンデーの味は、
私の心の中にしっかりと残っている。
たまにはこんな日があっても良いのかな・・
昨日は母の温熱療法の日だったが
朝、病院から電話が入り
機械の具合が悪いので中止してほしいと言ってきた。
そして、その代わりに今日の朝一番に受けることになった。
いつも行く整形外科へ母を連れて行った後で
温熱療法へ行く予定にしていたが急遽変更になった。
私の悪い癖で
予定していたことが何かの事情で変わることが
とても苦手なのだ。
これも私の勝手なことで
事情というものはいつも変化することが本当なのだから
私が気落ちする必要などまったくない。
それは分かっている。
でも、昨日の午前中の私の行動は予定していただけに
時間がぽっかりを空いたことに戸惑ってしまった。
昨日はやはり蒸し暑くて
じっとしていても汗ばむ嫌な天候の一日だった。
午後からは私の歯医者があり
昨日で歯の治療は一応終了した。
その歯医者の時間までの数時間を
無為に過ごしてしまった。
こんな時間もあって良いのだろう。
たまには何もせずぼ〜っとする時間も必要なのだろう。
それは分かっている。
でも、しんどいと言いながら忙しいのが性にあっている。
今日は朝一番に母を温熱療法の病院へ、
帰りに整形外科へ連れて行く。
午後からは母を美容院へ。
私も三カ月ぶりにカットしたいと思っている。
今日は一日忙しくても
私にあった日になるかもしれない。
やはり無為に過ごす時間は苦手だ。
昨日は本当に暑かった。
真夏のからっとした暑さではなく
梅雨の時期のなんともいえないむっとした暑さで
じっとしていても汗がにじみ出て
車はクーラーなしでは走れない一日だった。
母は病気になり、また高齢ということもあって
私が暑いと言っても、家ではまだ長袖で春もののパジャマを着ていた。
それが、昨日の朝行ってみると
夏に着るムームーを着ていたのには驚いた。
袖は七分袖だが一昨日までとは偉い違いだ。
その母が夕ご飯の頃から、しんどさを訴えた。
病気のこともあり不安になった。
一喜一憂してはダメだと思いながらも
母が楽そうな顔をしていると安心し
しんどいというと心配になる。
そして、そのしんどさが暑さのせいだろうと
私は思おうとしてTVの天気予報を見た。
それによると、昨日の松山の最高気温は34度だったと言う。
今年一番の暑さだと思う。
真夏34度もあれば冷房をつける。
私が昨日の午後から冷房をつけたいと思ったのが頷ける。
母の体のためには冷房はない方が良いのだろうが
私は冷房のない部屋で過ごすことは苦痛だし
心臓の具合が悪くなる。
今年の夏は母の家で過ごすことになるのだから
私も冷房なしの暮らしを覚悟しないといけないのかなあ・・と思っていた。
でも、母がしんどいと言った後で
こんなに暑かったら冷房を軽く入れて
快適に過ごしたいと言った。
よほど、しんどかったのだと思う。
今日は昨日に比べると少しはましのようだ。
これで梅雨が明けて毎日真夏日の日々となると
本当に憂鬱になる。
夏は暑いもの。
それは確かだけれど、夏が苦手な私にとって
数か月は暑さとの闘いになるようだ。
昨日は、大阪の娘の公演を観に行ってきた。
母のことが気になっていたが
母が大丈夫だと言ってくれたので
お昼と晩の御飯の用意をして
なるべく動かないようにと言って行った。
朝5時35分のバスに乗る。
大雨、それも嵐のような雨
往復とも休憩はあったがバスから降りることをしなかった。
石橋駅から歩いて20分
午後1時に阪大に着く。
公演は午後1時半から。
今回の公演は6作品のオムニバスで
一回4作品の公演があった。
娘が脚本・演出・出演した作品は
昨日の午後1時半の公演の第三作目。
一つの作品は30分から40分ほどの短いものだった。
身びいきではないが
後の三作品に比べて、娘の作品がダントツに面白かった。
今回は一回生が参加するものだったので
脚本を初めて書いた人も居たようだ。
娘の作品は「YESダンツマ1☆3」
千里中央あたりの団地が舞台、
地域密着アラサー型ヒロインの
団地妻三人、つまり団妻(ダンツマ)3人が
家事や出産に頑張りながら
悪をやっつけるというもので
笑いあり感動ありのものだった。
楽しかった!
本当に面白くて笑ってしまった。
雨の中、遠いところから行った甲斐があった。
来週の日曜日はもう一度大阪へ行く。
この時には姉に母のことを頼んで行くので安心だ。
帰宅したら23時半になって
正直疲れたけれど、充実した一日だった。
今度の公演は9月のはじめにある。
出来たら夫と二人で観に行きたい・
| 2010年06月26日(土) |
子宮頚がん予防ワクチンの危険性 |
昨日、驚くべき情報を得た。
それは、子宮頚がん予防ワクチンに
命の危険性と不妊症になる可能性があるということだ。
子宮頚がん予防ワクチンは女性の救世主だと思っていた。
11歳〜14歳の女性を中心に公費で接種しようとする運動が起きた時
これはとても良いことだと思った。
そして、年齢的には遅いかもしれないが
21歳になる娘に受けるようにと勧めた。
しかし、「日本の子供の未来を・守る会」のブログを読んだり
南出弁護士の話を動画で見て恐ろしくなった。
この子宮頚がん予防ワクチンには
アジュバンドという成分が添加されている。
これは免疫賦活剤または免疫増強剤であり
もともとペットの去勢・避妊薬として開発されたもので、
これを人間に与えると、一切妊娠ができなくなり、
以降妊娠したくとも一切不妊治療ができなくなるとのこと。
完全永久不妊症となるのだそうだ。
また米では死亡例も報告されている。
しかし、日本では一切公表されていない。
自民党も民主党もワクチンを無料で行おうと言っている。
三原じゅん子氏は自分の経験から
今回の参議院選で無料配布と検診の無料化を唱えている。
多分、彼女はワクチンの危険性を知らないのだと思う。
一方、南出先生の動画の中の話を聞くと
徳島出身の民主党・衆議院議員である仁木博文氏は 産婦人科医でありながら
ワクチン接種の危険性を知っていて接種を広めようとしているようだ。
これって確信犯だし許せないことだと思う。
このまま政府が無料で摂取させ続けるとしたら
後できっと問題になると思う。
エイズの原因となった血液製剤のように。
製薬会社と病院が儲けるために
子供たちの未来を奪ってはいけない。
昨夜は娘から電話が入ったので
この話をしてワクチン接種をやめるように言っておいた。
こういった情報を全国の女の子を持つお母さんたちに知って欲しい。
日本民族が消えてしまわないうちに。
| 2010年06月25日(金) |
サッカーワールドカップを見て |
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会第14日の試合
今朝、いつものように4時前に起床し
台所へ立ちTVを付けたら中継をしていたので
家事をしながら見ることに。
E組の日本はデンマークを3−1で勝った。
2002年の日韓大会以来、
2大会ぶり2回目の決勝トーナメント進出を決めた。
見始めた時には2点リードしていたが
1点返されどうなるかひやひやしていたが
残り時間が少なくなった時に
岡崎がゴールを決めそのまま試合時間は終了。
3対1で勝利した。
確かにとても嬉しいことだ。
あまりスポーツに関心のない私でさえ喜ぶのだから
南アフリカまで足を延ばして応援している人や
日本で夜中からずっと観戦している人たちにとって
今回の勝利、決勝トーナメント出場は相当嬉しいことだろう。
何かひとつのことに打ち込める人ってとても羨ましい。
何もかも忘れひとつのことに集中しやり遂げるって
自己満足の世界ではなく自己実現につながることだと思う。
スポーツだけではない。
娘が演劇に打ち込んでいる姿を見ても同じように思う。
私にはそんなものがない。
寝食を忘れて夢中になって何かをする、
そんなことが今まで私にあっただろうか?
同じ一生、
何かを見つけて頑張れる人と
私のように何もなくただ時間の過ぎるのを待つだけの人では
生きる人生の重さも濃さも異なる。
私も夢中になれる何かを見つけたいものだ。
本当に忙しい。
毎日、時間があっと言う間に過ぎて行く。
朝は4時前に起床。
我が家の掃除洗濯、夫の食事作りをした後
母の家に行き、母を毎日病院へ連れて行く。
その後は我が家と母の家の買い物、
そして母の家の洗濯と食事作り。
朝から晩まで家事で明け暮れる。
その間の合間に私が出来ることはしれている。
昨日は姉の小学校の恩師が高齢になり
一人暮らしをしているのだが
最近は自分のことが出来なくなり
家族も居ないので介護付き有料老人ホームに入りたいと言っている。
私の知人が入所しているのでお見舞いに行き
とても感じが良くスタッフも親切で良いし
こんなところに入れたら良いのでは?と思い姉に話をした。
昨日は姉が先生を連れて見学に行きたいというので
私がそのホームを案内した。
知人が入っている部屋も頼んで見学させてもらった。
最上階にある空部屋も見せてもらった。
そして、色々な条件等を聞いたが
満室で入所したい人はキャンセル待ち状態だとのこと。
今まで先生は二か所ほど介護施設を見学したが
昨日行ったところが一番良いと言っていた。
入所するとしてもどのくらい待てばいいのか分からない。
私が出来ることはそこまでだ。
姉と共に先生をお送りし急いで母の家に戻った。
その間、二人の人から電話をもらったが
話すことはできなくて申し訳なかった。
夕ご飯の前には疲れてしまって・・
こんな具合だと明後日大阪へは行けそうもない・・
そんなことを思うくらい疲れてしまった。
夜はメールが来ていたが放ったまま寝た。
毎日毎日バタバタと走り回っている。
休む時間など皆無だ。
体は疲れているに違いない。
倒れないようにしたい。
私の部屋にかけてある
相田みつをさんの小さなカレンダー。
ひと月31の言葉が変わっていて
毎月同じ日には同じ言葉を見ることになる。
その中で感動したりそうだと変に納得したりする言葉がある。
20日の言葉だ。
「声」
あなたの声を
電話で聞いた
だけで
その日一日
こころが
なごむ
理屈じゃねんだよ
なあ
この短い言葉に頷いている私が居る。
昨日は尊敬する人と電話で話すことが出来た。
先生の言葉のひとつひとつが
私の頭から足の先まで温かくしてくれた。
生きるということはこんなことなのだと思う。
理屈じゃないのだ。
うまく言葉には出せないけれど
また頑張ろうという気持ちになった。
声を聞くことが出来るのは
生きているからだ。
死んでしまえば生の声を聞くことはできない。
相手が死んでも、自分が死んでも同じだ。
だから、私も生きて行こう。
あなたの声を聞くためにも。
昨日は一日、病院のはしごをした。
9時から母を整形へ。
電気治療と低周波治療を30分して
毎週月曜日に受けている
温熱療法の病院へ。
少し早く病院についたので30分ほど待つ。
それから胸に当ててもらって1時間。
帰りにお昼を食べて帰宅。
自宅に戻って洗濯ものを取り入れる。
給料日が過ぎていたので銀行と郵便局へ。
娘への仕送りや娘のアパートの家賃の振り込み。
2時前に私の湿疹の治療を受けている皮膚科へ。
一週間前にもらった軟膏を使い切ったが
あまり効果がないと医者に言って
別の軟膏を出してもらった。
これで少し効けば良いけれど・・
3時に母が先日診てもらった内科へ
検便の結果を教えてもらいに行く。
幸いなことに潜血反応はマイナスだった。
一安心。
でも、下痢と便秘が交代交代で起きるのは
あまり良いとは思えない。
春に受けた治療の後遺症なのだろうか?
しばらくビオフェルミンを飲んで様子をみることになった。
帰宅したら午後4時。
母の夕ご飯の準備をする。
一日バタバタしていて何をしたというわけではないのに
何故か疲れてしまった。
病院へ行くのは気疲れするものだ。
当分の間、母の整形外科への通院が続く。
私も何か手足を縛られているような感じで落ち着かない。
丸一日自分のためだけの時間が持てたら良いなあと思うが
もし、そうなったらかえって落ち着かなかったりして。
病院通いと母の世話で日々過ごす時間が
本当は私の幸せな時間なのかもしれない。
昨日は本当に久しぶりの支える会・役員会を開くことが出来た。
5月のはじめに街頭・チラシ配布活動をして以来
私自身の落ち込みや母のこともあり
一時は会そのものの存続も危うくなり
役員の方たちには本当にご心配とご迷惑をかけてしまった。
でも、皆、私の事情等を理解してくれて
支えて下さり本当に感謝している。
昨日は、母のことを姉に任せて
午前10時半から12時まで開くことが出来た。
会は今まで通りに存続させること
支部長も私が続けること
そして、「頑張れ日本!全国行動委員会 愛媛県本部」を
立ち上げたことを報告することが出来た。
どれだけ行動できるかどうかは分からない。
でも、立ち上げることに意味がある。
皆快く了承してくれた。
今後の活動は参議院選が終わり、
民主党がどうなっているかを見極めてから
日本を解体する法案等を皆に知ってもらうために
立ち上げを記念して活動をしようということになった。
役員会を解散した後
一人の役員と一緒に知人のお見舞いに行った。
日に日に回復しているのは聞いていたが
昨日、行ってみて改めて知人の回復力の凄さを思った。
1時間半ほどお邪魔して色んな話を聞いたが
知人はずっとしゃべりっぱなしで
こちらの方が大丈夫かなあと心配した。
昔の話が多かったが誰かに話しをするのが楽しいのだと思う。
雨も激しくなったり止んだりの一日だったが
久しぶりの役員会を開いて
皆さんから新しい情報を得ることもできたし
とても有意義な時間を過ごすことが出来た。
昨日のつぶやきに書いたように
この数日の母の足・膝の痛みはひどく
家の中でも歩けなくなりつつあるのを見て
安静のためにも入院したら良いと思った。
昨日は整形外科は電気治療を受けるために母を連れて行き
母には内緒で先生と話をさせてもらった。
今の母の状態を話し、
先生から母に入院したほうが良いと言って欲しいと頼んだ。
先生は私の話を聞くまでもなく
母の状態を見てしばらく安静が必要だと判断された。
そして、電気治療が済んだあと母を診察室に呼び
今月いっぱい安静のために入院するように言った。
母は入院は嫌だと言った。
先生と母との話を聞きながらとても腹が立った。
医者のいうこと、私のいうことをどうして母は聞かないのか?
母が一人で何もかも出来るのなら良いが
それが出来ない今の状態で
段々ひどくなってきたら
結局のところ、私の負担が増える。
負担が増えるだけで済めば良いが
早めの処置・治療をしないと
治りも遅くなり苦しいのは母だ。
だから、しばらくの間だけで良いから入院してほしいと
帰りの車の中で母を説得した。
母は黙って聞いていた。
バックミラーで母の顔を見てみた。
母はとても悲しそうな顔をして
黙って目を瞑っている。
その母の顔を見て私は悔やんだ。
母の気持ちを考えず私の気持ちだけを押しつけていたのを反省した。
やはり家が一番良いのだ。
だから、母にごめんと謝った。
そして、出来るだけ動かないようにしてと頼んだ。
私が母に代わってできないことだけ
トイレや洗顔や歯磨きやお風呂等だけをして
それ以外は歩かないように言った。
母は分かってくれた。
やはり母の気持ちを一番に考えないといけない。
私自身の気持ちは二の次だ。
高齢の母が何をするのが一番幸せなのかを考えねばならない。
母には本当に悪かったと心から思う。
昨日の朝、いつものように母の所へ行った。
昨日は燃えるごみの日で
いつもなら母がごみ出しをしている。
このことを私がするから母にしないで良いと何度言っていることか。
それでも、母は自分が出来ることはしたいと言うので
母の言うようにさせていた。
それが、昨日の朝は燃えるごみが袋に入ったまま
駐車場に置かれていた。
母は出そうとしたのだが、足(昨日は膝)の痛みが激しく
座薬を入れても効果がなく痛みは減らないので
歩けなくて出せなかったと言った。
本当に辛そうだった。
これも腰椎の変形性関節症の為だろう。
去年の秋に坐骨神経痛がひどくなり
3か月入院した整形外科へ連れて行った。
膝のレントゲンを撮ってもらったが
去年とあまり変化はない。
だから、膝が相当悪くて痛みが出たのではなく
腰から太ももへ降りてきた痛みが膝へ来たということらしい。
歩くのも私が母の片方の手を引き
一方で杖をついてもなかなか歩きにくい。
昨日は歯医者の日でもあったので連れて行ったが
足を引きずるように歩いていた。
整形の医者の話ではあまり歩かない方が良いとのこと。
やはり痛みの激しい時は安静にするのが一番良い。
母に入院する?と言ったら嫌だと言う。
私は母が入院してトイレもベッドの横に置いてすれば
歩かなくても済む。
悪い時に一時でもそうした方が良いのではないかと思うのだ。
でも、母の気持ちを優先したいから
無理には入院させることはできない。
だから、毎日母を整形へ連れて行くことにした。
電気治療を続けたら少しはましになるかもしれない。
毎日の治療をしてそれでもあまり効果がなく
痛みも依然として続くなら入院を考えよう。
痛みはどこであれ可哀想だ。
毎日父の仏壇に向かって母のことをお願いしている。
どうか、少しでも母の痛みが少なくなりますように・・と。
世間では殺人をはじめとする
殺伐とした事件が毎日のように
日本のどこかで起きている。
そんなニュースを耳にするたびに
なんとも言えない悲しい嫌な気分になってしまう。
先日は女子高校の生徒が友人を刺し
刺された友人は重体だと言う。
授業中に起きたという事件、
日ごろから相手に対して憎しみを持っていたのだろうか。
友人同士での喧嘩は勿論普通に起きる。
でも、殺してやりたいとまで思う気持ちが分からない。
昔、小学生でも同じような事件が起きた。
殺した女の子は相手が死んだにも関わらず
またリセットして生き返ると本気で思っていたようだ。
高校生ともなればさすがそんなバカなことを思ってはいないはず、
やはり殺意が芽生えたということなのだろう。
そして、今朝のニュースでも
男子生徒が女子生徒を包丁で刺したといっていた。
命に別条はないとのこと、
殺すつもりはなかったと男子生徒は殺意を否定している。
模倣犯なのだろうか。
先の事件がきっかけとなったのだろうか。
あまりにも単純な思考回路の持ち主のように思う。
そんな悲しい事件の中で、たまに心温まる話を耳にすることがある。
今朝、送られてきた情報によると
沖縄戦でこの世を去った兄への思いから、
20年以上にわたって戦没者の遺骨収集に携わり、
今年1月、87歳で亡くなった女性が
生前、「兄たちの慰霊に充ててほしい」と示した遺志で、
総額7千万円が遺骨収集の実施団体や寺社などに寄付される。
このうち4千万円は、兄の御霊が眠る靖国神社(東京)に贈られるという。
なかなかできないことだ。
少しのお金に執着する人が多い今の世の中
大金を寄付することって遺族にも理解がなければ無理だ。
脱税するために庭の植木の下に金塊を隠す人も居れば
こうして、何千万円というお金と寄付する人も居る。
この違いは何だろう・・と思う。
同じ、人として生まれ、世のため人のために生きることができたら
こんなに嬉しいことはない。
このニュースを産経新聞が報じていたが
TVや新聞でもっと大きく報道しても良いのではないかと思う。
暗いニュースには皆辟易しているはずだから。
私はあまりコーヒーを飲む習慣がない。
コーヒーが体に良いことは知っている。
でも、家ではたまにしか飲まないし
飲む時は牛乳に溶いて飲む。
自分でコーヒー豆を挽いてサイフォンで沸かして飲む人や
ドリップ式のコーヒーを飲む人は
本当に好きで味の分かる人なのだろう。
喫茶店では紅茶を注文することが多い。
外で食事をした時に、たまに食後のコーヒーを注文することがある。
先日、姉に連れて行ってもらった店の食後のコーヒーは
味が分からない私でさえ本当に美味しいと思えた。
そんな私がネットでコーヒーを注文した。
テレビで香味焙煎のCMを見て
母に飲んでもらいたくて先行予約をしたのだ。
インスタントコーヒーだが味は良いみたいだ。
母はコーヒーが好きだ。
毎朝、飲んでいる。
まろやかな味が好きでモカを飲んでいる。
だから、注文した香味焙煎を好むかどうか?分からない。
新・ネスカフェ香味焙煎は
もはや、インスタントコーヒーではないとの謳い文句に惹かれた。
「レギュラーソリュブルコーヒー」誕生とある。
50年かけて開発した革命的「挽き豆包み製法」とは
ネスカフェ独自のt抽出液と微粒子レベルまで粉砕した
コーヒー豆を混ぜ合わせ、大切な香りと味を
フリーズドライコーヒーの中に包み込むという製法らしい。
発売前の先行販売を予約注文したというわけだ。
70グラム入り深煎りと中煎り2瓶で2000円。
値段が高いか安いか?分からない。
でも、美味しいというから母に飲んでもらいたい。
http://onlineshop.nestle.co.jp/front/category/koumibaisen
母の元に届くのは7月末発送というから8月になるかもしれない。
母へのお中元にしようか・・・
喜んでくれると嬉しい。
二年前に背中に一つ小さなぶつぶつが出来た。
痒くて我慢できずついつい掻いてしまった。
夏場に出来たから秋になったら治ると思っていたが
秋になり冬になっても治ることはなく
湿疹の数も段々増え
痒みも増して掻き毟ってしまった。
その結果、掻いた跡が残って
色も茶色に残ってしまった。
私の背中は綺麗だった。
ニキビも湿疹もできたことがなく
人さまに見せるわけではないが
本当に綺麗な背中だった。
それが今は恥ずかしい跡が残っている。
痒みもありまた掻いてしまう。
赤みのある湿疹は痒い。
血が出るほど掻くので傷跡が残り
その古い湿疹さえ痒く感じる。
一時はバセドウ病の治療薬の副作用かと思い
主治医に診てもらったら違うと言われた。
思いきって皮膚科を受診した。
その結果はただの湿疹だった。
塗り薬をもらった。
これを一日二回から三回塗っていれば治ると言われた。
あれから一週間になる。
べとつきがあって本当は塗るのが嫌だけど
我慢して塗っている。
背中まで手が回りにくくて難儀しながら
それでも早く治したいから塗っている。
古い湿疹の跡が少し落ち着いたみたい。
でも、まだ赤みのある小さな湿疹は
痒くてたまらない。
何かに夢中になっていて忘れることはあるが
お風呂に入り温まると余計に痒くなる。
早く治って元のように綺麗な背中になるように
毎日願いながら塗っている。
ただ、この塗り薬が副腎皮質ホルモン剤なのが気になる。
一時的には治り綺麗になるが
余計に肌が黒ずむのではないか?
それでも、医者のいうことを信じたい。
夏場になると背中が見える服も着る機会がある。
だから、早く綺麗に治ってほしい。
でも、治るかな・・
母が去年の晩夏に入院して以来
今までずっと母の看護・介護をしている私は
時にストレスがたまって何もかも嫌になり
このまま居なくなってしまいたいなんて
本当に親不孝なことを考えたことがある。
そして、会の活動も休止
講演会に参加するのも中止
行きたいところへも行かず
ただ、母を守りたいという一心だけで
毎日毎日自分の家と母の家との家事で明け暮れる。
姉は一週間に一度顔を見せる。
だから、ストレスなんてあるわけもなく
いつも母の家の掃除や片づけ等を頑張ってやっている。
私の母の看護・介護には期限がない。
無期限なのだから嫌になるのも仕方ないって
自分では分かっていながら
頑張らないといけないと自分自身にプレッシャーをかけて
何か生きていると言うこと自体が無意味に思えることもあって
これは心が壊れるかもしれないと思ったりすることもある。
こんな気持ちを母が知ったらどんな気持ちになるだろう。
悲しむに違いない。
母が喜ぶことは、私が元気で居ること。
体だけではなく心も元気で居ることだと思う。
だから、私は我慢するのをやめた。
私がしたくても我慢していたことを
やれる範囲でやっていこうと決心した。
母に正直に話したら分かってくれるし
母はきっとその方が嬉しいと思う。
26日は大阪へ娘の演劇公演を観に行くつもりだ。
姉がその日は都合が悪く母のことをする人が居ない。
前日に食事を作り冷蔵庫に入れておけば
チンして食べてくれるだろう。
母の様子は電話すれば分かる。
7月になったらもう一日大阪へ行きたい日がある。
その日のことは姉に頼んだ。
私が我慢してストレスをためることよりも
元気でたまにはやりたいことをやり
笑顔で母に接してあげることの方が
母はきっと喜ぶ。
なんて、自己弁護をしている私だ。
| 2010年06月14日(月) |
お墓参りと従弟の来訪 |
昨日は大雨の中
母を連れて父の四回目の祥月命日のお墓参りに行ってきた。
母は座薬を入れていたので普段よりは少しは楽そうだったが
雨降りのこともあり、本当は無理をしないでほしかった。
お寺に着くと、姉が来ていた。
姉は数日前にお墓掃除を綺麗にしてくれていた。
昨日はお花とお線香とお供え物を持って行っただけで良かった。
姉には感謝している。
母は父の墓前で私たちのことばかり報告とお願いをしていた。
自分のことを一切お願いしない母に代わって
私は母を守ってほしいと父に頼んだ。
お墓参りから帰って直ぐに
父方の従弟夫婦がやってきた。
奥さんの方は初めて母の家に来たことになる。
ちょうどお昼前だったので
お昼を用意し、お茶やお菓子でもてなす。
母は座薬を入れ化粧もしていたので
普段家に居る時に比べると雲泥の差。
重病人とは思えない。
だから、従弟夫婦も安心していたようだ。
父よりも3年前に亡くなった叔父の思い出や
二年前に亡くなった義理の伯母の話、
そして父や叔父の若い頃
祖父の話などなど
昔話に花を咲かせた。
11時半から午後3時まで居て帰って行った。
正直、疲れた。
母も同じだったと思う。
お客をするってとても気を遣う。
食事を出すとなると余計にしんどい。
私が居たからいいものの
もし、母一人だけが居た時に来てくれたら
母は困っただろうし、
せっかく来てくれたことを有難迷惑に思ったかもしれない。
良かれと思ってする行為、
勿論、その気持ちはとても有難いが
もし、来るなら来るで一報があったら良かった。
心の準備も、おもてなしの準備もできるのに。
母は当分、お客さんは良いと言っていたが
これって本音だと思う。
土曜日に医者に行き、新たに悪いところが見つかり
ただえさえ落ち込んでいる母、
そんな母を見ているから私は不安になる。
昨夜もなかなか寝付かれなかった。
今日はその母を温熱療法9回目に連れて行く。
九州地方が梅雨入りした。
二週間ほど遅れた梅雨入りだ。
今年はインド洋の海水温が高かった影響で、
梅雨前線を日本列島に向けて押し上げる
太平洋高気圧の北への張り出しが弱く、
梅雨入りが平年より遅れたという。
梅雨入り後は梅雨前線が
西日本に停滞しやすいと予想されており、
雨量は平年と変わらずまとまったものになりそうだという。
今も雨が降っている。
毎年、夏になると渇水の心配をしているから
梅雨の間に十分な雨の量を期待した。
でも、被害が出るほど降ってくれるのも困る。
集中豪雨で被害の出ることのないよう祈りたい。
雨は嫌いだ。
誰もそうだと思う。
洗濯ものは乾かないし
歩くのも足元が汚れる。
傘をささないと髪の毛はじとっとして
肌も湿った感じでべとつく。
そんな雨も降らないと困るから
人間って結構勝手なものだと思う。
今日は父の祥月命日で
母とお墓参りに行くことにしている。
歩くのも難儀な母だが
祥月命日だからお墓参りに行くと言っている。
雨が少し小降りになってくれると良いが・・
今日あたり、四国も梅雨入りするかもしれない。
お昼前の11時10分から民放ラジオの人生相談番組を
車の中や家のラジオでよく聴いている。
私自身が悩んだりくよくよしている時に
人生相談の回答者の答えになるほどと頷くことも多い。
また、世の中にはいろんなことで悩んでいる人が多いのだと
妙に感心したり、自分自身を幸せだと感じてみたり色々だ。
最近では、子供が引きこもっていて
30や40歳になっても親がかりで
自立していないという相談が多い。
以前は不倫や浮気問題が結構あった。
時代が不況に入り、就職難で家に引きこもる子供たちが
多くなったせいだろうか?
それとも、親の子供に対しての姿勢に問題があるのだろうか?
そんなことを思いながら聴くことが多い。
回答者は心理学者や弁護士、
幼児教育に携わっている人
精神科の医者、作家などだが
その中でいつも違和感を持つのが昨日聴いた相談の回答者だ。
三石メソードの三石由紀子氏だ。
三石氏は受験のカリスマと呼ばれ
講演会を開催し評判の人物のようだ。
ざっくばらんなもの言いで親しみやすいのは確かだ。
人望もあるようだが
昨日の三石氏の回答には腹が立って仕方なかった。
相談していたのは69歳の女性。
筋萎縮性側索硬化症を患い一人暮らしをしている。
娘が3人居て下の二人が面倒を看てくれている。
その娘たちが食費と称して月額3万〜5万を
相談者の女性に請求し
支払いが少し遅くなったら、家の中でどなり散らし
足でものを蹴って暴れると言う。
女性は病気のこともあり将来が不安で
少しでもお金を貯蓄していたいが
娘たちの散財が不安だ、どうしたらいいかという相談だった。
話を詳しく聴いてみると
毎朝夕ヘルパーさんが来てくれて
食事の世話、掃除洗濯をしてくれる。
夕ご飯は1品作ってくれる。
お風呂も週3回ヘルパーに入れてもらう。
排便や排尿もバルーンを付けていたりヘルパーの手助けを受けている。
娘が来るのはスーパーで食料品の買い出しをして
小さな子供たちを連れて晩御飯を作り
一緒に食べて帰る時だそうだ。
一人なら食費はしれている。
しかし、孫を連れ娘が食べにくるので食費もかかる。
以上のことを聴いて、私は娘たちが
食費を浮かそうと思って食べにくるのだと思った。
幼い子供たちを育てながら働きには行ってないようだ。
家計も苦しいだろう。
だから、実の母親の面倒(食事)を看ている風で
実はちゃっかりたかっているのではないかと思った。
それなのに、三石氏は相談者を批判した。
娘たちが毎日来てくれ食事を一緒に食べてくれることに
感謝しないといけないと言ったのだ。
そして、それをしないと後で後悔する、
娘たちが寄り付かなくなってからでは遅い。
あなたの考え方を変えなさいと。
有難いことではないかと、
そんな言葉で相談者を批判した。
相談者は物静かな人で、自分が批判されたことに対して
反省をしている様子だった。
私は怒りがわいてきた。
三石氏に何が分かるというのだ。
私が回答者だったら、娘の態度を批判する。
そして、娘にきちんと話すように答える。
母にこの相談の話をした。
私が毎日母の家で母の介護や看護、食事作りをしながら
昼と夜、一緒にご飯を食べることが
とても心苦しく思っていたからだ。
母一人の食事のための材料を調達するために
母にお金をもらうのはまあ良い。
でも、私の分まで母に支払ってもらうことが
なんだかたかっているような気がして
とても心苦しいのだ。
母は私にそんなことを思わなくて良い、
いつも面倒をみてくれて有難いし
食事を作ってくれて一緒に食べることに対して
有難いと思っていると言う。
母の気持ちが有難い。
でも、親の面倒を子供が看るのは当たり前だ。
親の介護や看護をすることは
決して褒められるものでもなく
子供として普通のことだ。
だから、回答者の言うことに違和感を覚える。
人生相談なんて所詮そんなものだろう。
当事者でなければ絶対に分からないことがある。
三石氏は親の介護や看護をしたことがあるのだろうか。
彼女がいくら人望があり人気のある人だとしても
私には彼女を好きになれない。
昨日は竹田恒泰先生の
二回目の古事記勉強会に行ってきた。
4月23日に一回目があったが
この時はプレ勉強会と懇親会のため
実際に古事記を学ぶのは昨日が初めてだった。
竹田研究会に入会し
古事記の勉強をしたいと思って古事記を読み始めた。
と言っても、「マンガで読む古事記」だ。
漫画と言ってバカにはできないほど評価されている本だ。
竹田先生の現代訳古事記がまだ発刊されていないので
それまで概要を知りたくて読み始めた。
勉強会に申し込みはしたものの
母のこともありいつ行けなくなるか分からない。
昨日の勉強会も18時から21時だったので
母の晩御飯のことがあり、
行けない可能性が大なので、電話で断っていた。
でも、昨日は先生の勉強会の前に
アパグループの元谷外志雄氏の講演会があるので
1時間遅れで行くことにして参加することが出来た。
元谷外志雄氏とアパホテル社長 元谷芙美子氏の後ろの席に座った。
竹田先生の話は本当に楽しい。
大学生が喜んで聴くはずだ。
まるでさだまさしが話をしているように
笑いあり感動ありでとても魅力的な話だ。
2時間の勉強会のうち
古事記の内容は半分ほどの時間で
あとはそれに関わる話しをしてくれた。
最後の方はやっと本文に入ったものの
門をくぐったと言ったところで終了。
次ということになった。
古事記は楽しい。
本当に面白い。
古事記を読んでいて
昔、誰かから聞かされた神話が出てきて
ああ〜これも知ってる、あれも知ってるという思いがしている。
学校で教えてもらったのではないと思う。
何で読んだのだろう。
本かな?
神話を教えない民族は100年で滅ぶと
トゥインビーは言ったと言う。
戦後GHQにより神話を封印されたことで
日本はダメになったのだと思う。
神話・古事記や日本書紀を小学校で教えるべきだ。
そうすれば天皇とは何か?
何故、日本は天皇・皇室を大事にしないといけないのか?が
どんな人でも理解できると思う。
次回は8月。
楽しみだ。
昨日はバセドウ病の治療に行っている
愛大付属病院の受診日だった。
予約時間より早めに行こうと
朝7時に家を出て着いたのが7時35分。
受付順番の札は15番。
待つこと1時間弱、受付が始まった。
血液検査の順番は23番で結構早くしてもらえた。
第三内科の待合室で9時40分まで待つ。
前回の診察で私は医者の態度に腹が立ち
病院を変えようと思ったし
相談室へ相談をしに行った。
その効果があったのか?
昨日の主治医の態度は妙に親切だった。
と言うか、それが普通だと思う。
検査結果は正常値になったとのこと。
毎日1錠飲んでいた薬が
一日おきに1錠と減った。
次回は8月お盆過ぎの受診だ。
それで大丈夫なら薬をやめて様子を見るらしい。
徐々に減らして薬をやめてみての繰り返しを続けている。
治りきることはなく
投薬を中止して数カ月過ぎると再発する。
一笑飲むのが良いのではないかと思うが
今度は機能低下症になるかもしれないので
薬をやめる時期を見極めるのがとても難しいようだ。
それでも、自覚症状が消えているし
歩くのも普通に歩けるし
なんとか回復しているのは確かだ。
体重は今ひとつ増えないが
医者は今の体重で良いと言った。
私的には夏を迎えることもあり
あまりに痩せていると見苦しい気がする。
まあ、焦らずにぼつぼつと治そう。
帰宅して母のお昼にうどんを30分煮込んであげた。
午後も母の家で過ごす。
母が少しでも楽になったら本当にうれしい。
私の薬が減ったことよりも何倍も嬉しいのにな・・
| 2010年06月09日(水) |
私の生まれた意味・生きる意味 |
昨日は、母を腹部エコー検査に連れて行った。
最近の母は下痢が続いている。
先日は腸閉そくかと疑うばかりの便秘をしていたのに
数日は下痢が続いているらしい。
そして、先週の血液検査でひっかかった箇所があった。
母の話では腎機能に異常があるということだったが
昨日、医者の話を直接聞いたら
腎機能は異状なかった。
でも、肝臓に・・・
ショックだった。
体中に散っていることは
母も知っているがなかなか事実を認めたくない。
昨日、帰宅して母に話した。
母は外見はとても平気そうだった。
受け入れることが出来ているはずだから、
外から見たら平気そうに見える。
でも、母の本当の気持ちはだれにも分からない。
母と一日のほとんどを一緒に過ごす私には
母のちょっとした表情や態度の変化を見ている。
だから、いくら平気そうにしていても
母が本当はショックだったと分かった。
私自身、落ち込んだ。
母の傍に要るのが辛くて
家の用事もあり帰宅して
しばらく一人で考えた。
母も一人になりたかったかもしれない。
色んなことを考え落ち込んでいても仕方ないと思った。
私が明るく元気にしていないとだめだ。
母を励ますこと、母を支えること
それが今の私にとって一番大事なことだ。
私が生まれてきた意味
何度も死にかけても生きている意味
それは娘を産み
父と母に孫という存在の喜びを味わってもらったこと
そして、父を最期まで看取ったこと、
母を看護すること
母を安らかな気持ちで過ごさせてあげること
母を看取ること
それこそが私の生まれた意味であり
生きる意味なのだ。
そう思えば母の前で笑顔になれた。
頑張ろう。
先週の金曜日にレンタルした
DVD五枚、もう観てしまった。
良かった。
�。咤釘悄。腺裡帖。圍硲邸。達稗圍�
このムービ版第二作目が今上映中だということもあり
前々から観たいと思っていたので一気に観た。
なんてしゃれた女性ばかりが居るのだろう。
日本でもこういう女性が増えているのだろうか。
一言で言ってかっこいい。
上映中の第二作目を観たくなった。
母の介護の手の空いた時間を見つけて観に行こうかと思っている。
�△靴△錣擦砲覆襪燭瓩裡横靴離疋譽�
これがまた良い。
ほんわかした気持ちになったし
多分、若い未婚の女性が観たら
元気と勇気をもらえると思う。
本当に心から愛する人と結婚できた人って
幸せだと思う。
どんなに過程は困難な大変なことがあっても
結果的にそれは肥やしになると思うから。
��終わりで始まりの4日間
これは最初はちょっと退屈かなと思っていたが
途中から段々面白くなってきた。
心と心の結びつきが
人を変えることができる。
現代に存在する様々な精神疾患や
心の病で悩んでいる人には原因がある。
その原因を見つけ取り除くことが出来たら
大体の心の病は治癒できると思う。
�の�人はゴースト
肉体は今にも死と面していても
心・魂がこの世に未練を残していた時
愛はその未練を解消し
生きる意味を与え
生きる力を生み
新しい第一歩を踏み出すことが出来る。
もし、母が亡くなっても
ゴーストとして私の傍にずっといてくれたら
私は母と会話し、母と笑い生きていける。
そんなことは不可能なことなのだろうが
それでも、私は母がゴーストとして傍にいてくれたら
本当にうれしい。
�ゥ戰�スの恋に勝つルール
私が好きな女優・キャメロン・ディアスが主演しているので
絶対に面白いと思っていたが
その期待を裏切ることなく
楽しむことが出来た。
何度笑ったことだろう。
そして感動したことだろう。
やはり縁って存在するのだ。
魂と魂が結びつき肉体も結ばれる。
本当のその人にとって大切な人なら
どんなことがあっても離れてはいけない。
もし、私が・・と思ってしまった。
若いって良いなあ。
私も死んでいて青春時代を取り戻すことが出来たら
この5本の映画の中の
どれかと同じ場面に遭遇していたかもしれない。
今では遅すぎるから。
でも、楽しかった。
SEX AND THE CITY第二作目を観に行くか?
それとも、その分で10枚レンタルしてこようか・・
私の今の一番の楽しみは映画観賞だ。
やはり疲れているのだろうか・・・
今朝、嫌な夢で飛び起きた。
起きて鏡を見てびっくり。
自分の顔ではないように
腫れぼったい顔をしている。
胸も押しつぶされそうなしんどさが残っている。
なんで?
起きる前まで見ていた夢のためだと思った。
全てを思い出すことはできない。
でも、とても自分自身が世間からどのように評価されているか?を
表している夢だった。
私は人の評価を得ようとか
人からほめられたいとか思わない。
でも、一番奥にある心の底には
そんな気持ちがあるのだろうか・・・
どんな夢か?
私が大勢の人たちの前で娘(実際には違う女性)と
お笑いの世界の漫才を演じているのだ。
それも全て相方とアドリブで。
大阪弁で。
大阪が第二の故郷なんて言っているセリフを覚えている。
私が相方(娘から藤山直美に代わっていた)と
日本中を旅行し
そこで体験した色んなことをネタにして
私が突っ込みで相方がボケで漫才をしていた。
本当は、最初は相方は人形だった。
それもパンダのぬいぐるみ。
私が相方を左手に持ち話しかけているうちに
その人形が娘である藤山直美に変わり
物凄いボケで笑わすのだ。
すべて台本なしのアドリブで。
私が何を話してもそれにきちんとボケてくれる。
喋り始めてずっとその調子だった。
終わってからの聴衆の反応がこれまたおかしい。
ある人は下品だった。
ある人は最高だった。
吉本へ入団テストを受けたら良いとまで言っていた、
なんでこのような夢を見たのか?
本当に不思議でたまらない。
そして、気持ちよく起きれたのなら良いけれど
胸が苦しく顔がむくんだ感じて起きたのだから
余計に気分は悪い。
起床した後はいつものように家事をして
洗顔し化粧をする段階では
顔はいつもの私の顔に戻って
むくんだ感じも消えている。
心臓あたりの重苦しさはまだ続いている。
睡眠不足と体を動かしすぎるのと
両方が影響しているのだろうか。
本当は何もしないで二三日療養すると治りそうだ。
でも、それも出来ない。
嫌な夢のように馬車馬のように
喋り続ける代わりに家事・用事に動き回らなければならないのだから。
最近、眠れない。
と言うか、眠りがとても浅い。
22時頃に布団に入り
寝ようと思っても寝つきが悪い。
寝つきが良かった私だから不思議だ。
いつもなら、布団に入って5分もすればもう夢の中だった。
それが、最近はなかなか眠れず
また夜中2時か3時には必ず目が覚める。
目ざめてもう一度布団の中に入り
再び夢の中の時もたまにあるが
大体は眠れずそのまま起きてしまう。
昨夜もそうだった。
だから、睡眠時間は3時間半ほどだ。
今朝もそう。
23時に寝て2時半に目が覚めて
DVDで映画を観て今の時間となった。
4時になったら家事を始めよう。
不眠の原因が分からない。
心配なことは前からある。
新たな心配事はない。
でも、眠れないのだ。
体調は悪いわけではない。
食欲はある。
それでも、眠れないのは
精神的なものだろうか。
母のことが心配で、考えていたら
段々悪いことばかり思ってしまう。
日中は大丈夫だ。
怒りも笑いも悲しみも起きる。
だから、正常だと思っている。
昨日は母の家で湿気取りの交換をした。
12個の湿気取りの液を捨て
新たな湿気取りを近くのホームセンターに買いに行き
日付を書いてクローゼットや押し入れや靴箱に入れた。
家事は普通にこなす。
4時になったら
夫の昼と夜の食事を作って冷蔵庫に入れ、
トイレの掃除と部屋の掃除、
拭き掃除、押し入れの片づけ、大きなものの洗濯等々・・
母の家に行き母の食事の世話や買い物、
普段と同じことが出来る。
たまに、全てを放りだしたい気分になることもあるが
嫌々、そんなことを思ってはダメだと言い聞かせ
普通に家事をこなす毎日。
これが不眠の原因なのだろうか。
ぐっすりと9時間くらい寝てみたい。
夜間を除けば
母とほとんど一緒に私にとって
母の様子に一喜一憂している私自身を
とても頼りなく情けなく思ってしまう。
母が笑っていると安心するし
反対に辛そうなしかめっ面をしているのを見ると
こちらまで心が沈んでしまう。
数日前から母は入れ歯を作り直すために
下の歯のない状態だ。
だから、食べるものも私と同じものは無理で
おかゆとか温泉卵とかスープだとか・・
軟らかいするっと口に入るものしか食べられない。
そんな母のために献立を考え
栄養のバランスのとれた少しでも栄養価の高い
そして軟らかめのものを作るのってなかなか大変だ。
私は少しの量で良いし
グルメでもないから献立にあまりこだわらない。
ただ、野菜を多めに取ることを一番にしている。
魚や肉はなくても良い。
野菜をたっぷり食べることが
母にとってもとても良いと思うが
サラダはダメだし
固い野菜はダメ。
結局、カボチャやジャガイモや山芋や
口の中で自然につぶれるようなものに偏ってしまう。
昨日はかぼちゃとスナックエンドウを
とても軟らかく炊いた。
それにポタージュスープと温泉卵。
母はとても美味しかったと言ってくれた。
この言葉を聞きほっとした。
泊まろうか?と尋ねても、今はまだ良いと言う。
泊まるのは最後だと言う。
その母の言葉で昨夜も19時半に帰宅した。
そのあと母はどうしたのだろう?と心配になった。
TV番組も面白くないので21時には寝ると言う。
本当は母を見るのが辛くて夜だけほっとできる自分の家に戻るのかも?
私ってダメだなあ・・・
どんなにつらくても母の傍に居るべきなのに。
今日も家の用事を済ませて早目に母のところに行こう。
昨日は、姉が母の家に来るということなので
母のお昼・鍋焼きうどんを用意しておいて
後は姉に任せ親友とランチを食べることにした。
午前中に夕ご飯のポテトサラダを作って母の家に持っていき、
そして、11時45分に親友とエミフルで待ち合わせ。
朝5時に朝食を食べた私は
お腹が空いていて、早目に着いたということもあり
ランチをどこでしようかと店を見て回った。
一度食べたことのあるランチバイキングの店を覗いた。
和洋中の食べ物にデザートが何種類もあり
ちょっと魅力的だった。
普通ならバイキングは私にとって不利だし敬遠するが
お腹が空いていたせいもあり興味津々・・・
親友と会ってその話をすると一笑された。
店に入ってみたものの
時間的制約(70分以内)もあり結局やめた。
そして、イタリアンランチが食べれる
元祖にんにくやに入った。
ランチにもABCの三種類があったが
飲み物を別に注文することにしてAにした。
Aはスパゲティかオムライスの中から一品選ぶ、
デザートのドルチェから一品選び
グリーンサラダが付いて980円、
それにアイスレモンティをつけて1096円だった。
私はスパゲッティを選び、親友はオムライスを選んだ。
昨日の日替わりスパゲティは
「博多明太子とシメジの青シソ風味」
オムライスはなつかしケチャップオムライスだった。
元々、スパゲティは嫌いではないが好きというほどでもない。
オムライスを食べようと思った。
でも、ほかのテーブルを見るとほとんどがスパゲティを食べていた。
店の女の人にどちらがよく出ますか?と尋ねた。
やはりスパゲティだとのこと。
それで決めた。
親友はオムライスにした。
あっさりしてとても美味しかった。
麺は少し細め、麺の上に明太子と大根おろしが乗っている。
ソテーしたシメジが絡み、青シソ風味のソースがかかっていて
和風の味付けで、あっさりうどんのような味だった。
オムライスを食べている親友に一口試食してもらった。
オムライスよりスパゲティに軍配が上がった。
デザートのドルチェは
チョコレートケーキとプリンとカタラーナの三種類で
親友はプチチョコレートケーキを
私はプチカタラーナを選んだ。
カタラーナは初めて聞く名前だったし
どんなものか想像もつかなかったので店員さんに尋ねた。
どうもプリンを冷やし固めたようなものだとのこと。
味は如何なものかと楽しみにしていた。
プリン色で小さなキューブ型のもので固くて冷たかった。
味はプリン味でほんのり甘い。
初めて食べたがまあまあという感じだった。
夜、帰宅してからカタラーナなるものを検索してみた。
そして、下記の情報を得た。
「カタラーナとは、簡単にいうとプリン味のアイスで
もともとはスペインが発祥とされ、
イタリアで定番のドルチェとして親しまれているアイスデザート」
「濃厚なアイスをキャラメリゼしたもの
or濃厚な焼きプリンを冷凍庫で固めたもの」
昨日は全て残すことなく平らげた。
夕ご飯までにお腹がなかなか空かなかったけれど満足した。
親友と4時間半もお喋り出来たこともあり
(店を出て場所を変えて話した)
とても楽しい時間を過ごすことが出来た。
たまには息抜きをしないといけないと思う。
母に話すととても喜んでくれた。
そして、母に食べに行こうと誘った。
母の入れ歯治療が済み食べることが出来るようになったら
母を連れて食べに行こうと思う。
多分、病院の帰りになると思うけど・・
昨日の夕方4時半頃
私は母の家のこたつに足を入れてウトウトしていた。
電話の音がしている。
母は歩きにくいのだから私が出ないといけないのに
頭がぼうっとして体が動かない。
ソファーに腰かけていた母が電話に出たようだ。
母は耳が遠い。
補聴器を新しいものに代えても電話は苦手だ。
そんな母が話をしているのをなんとなく聞いていた。
でも、何について話しているのかは分からなかった。
電話を終えた母に何だったの?と尋ねた。
すると、母は「○○銀行から電話で5時までに家に来る」と言った。
夕方の忙しくなる時間に何故銀行さんが来るのだろうと
正直不思議に思ったが
母は預金通帳を出して待っている。
時計の針は5時を過ぎ5時半になった。
それでも、銀行さんは誰も来ない。
おかしいと思って銀行に電話をしてみた。
電話口に出た銀行員は名乗った後
そのような電話をかけていないと言った。
銀行内に居る銀行員たちにも聞いてみてくれたが
誰も母の家に電話をした人はいなかった。
母はとても不安に思っている様子だった。
私は、来るであろう銀行員のために
玄関のカギを開けて待っていたのだが、閉めに行った。
そして、これは詐欺ではないかと思った。
そう思えば納得する。
銀行員は必ず名乗る。
それが一番おかしい。
銀行側も電話をしていないと言う。
やはり変だ。
NTTの「ナンバーお知らせ136」にかけて
最後にかかってきた相手の電話番号を調べてみた。
器械音の女性の声は携帯番号を発した。
それは母に銀行だと言ってかけてきた人の電話だった。
銀行員がかけるなら銀行の電話を使うはずだ。
自分の携帯からかけてくるはずがない。
これはやはり詐欺未遂だったのではないか。
そう思った私は警察署に電話をして事情を説明した。
警察は、今後、母には電話がかかってきたら
相手の電話番号を尋ね、改めてかけなおすからと言って
切るようにと言った。
私は毎日母の家に居る。
何かの用事で居ない時にかかってきたら
「娘の居る時にかけなおしてくれと言ってね」と母に言っておいた。
母は不安な夜を過ごしたのだろう。
未遂で終わった今回のこと、
世の中って本当に怖い、
一人暮らしのお年寄りが狙われる事件が多いが
他人事ではないと思った。
昨日に続いて今日も携帯の話題を。
昨日は携帯を持たずに母の病院へ行った。
そこではっと気が付いた。
先週の土曜日に7年目の車検をしたが
車の窓に貼る検査標章が当日にはもらえなくて
代わりに保安基準検査標章を貼ってもらっている。
これは車検から15日間使用できるそうで
私の標章には11日と記入されている。
検査標章が昨日、火曜日には準備できるから
携帯へ連絡すると車屋さんに言われていたのを思い出した。
私が携帯を持たずに外出していたから
もしかして連絡をもらっていたら車屋さんに申し訳ない。
病院の公衆電話から電話をかけてみた。
まだ届いていないようで携帯にも連絡していないとのこと。
ほっとした。
午後、母の病院から帰って自宅に戻った途端に
携帯が鳴りだした。
7年前からお付き合いをしている人からの電話だった。
久しぶりに話をすることが出来た。
また連絡すると言って電話は切れた。
やはり携帯は携帯すべきなのかな・・と思った。
また、夜11時頃、借りてきていたDVDを見終え
さあ寝ようと布団の中に入り
今日あったこと、母のことなどを思い返していたら
枕元の携帯が鳴った。
娘からだと着信音でわかった。
最近では娘からかかってくることはめったにない。
用事があるか体調を崩した時だけだ。
便りのないのが無事な証拠と思って
あまり気にせず過ごしていた。
案の定体調が悪いとの電話。
水ぼうそうになったのでは?と言う。
娘は小さい頃に二度水ぼうそうをしている。
だから、違うと思うよと言ったが
蕁麻疹かもしれないと言うので
早目に医者にかかるように言った。
それから公演の話や国家公務員試験の話
昨日初めてバイトをしたという話などなど
30分ほど話すことが出来た。
やはり携帯は私には必要なのだと思う。
娘と母とだけ話すにしても
それはそれで価値あるものなのだと思った。
車屋さんからの連絡が今週中に入るはず。
今日も母の病院だ。
携帯して行かねばならないみたい。
ドコモのCMのように携帯電話の気持ちになると
いつも一緒に居たいのかな・・
携帯電話はいつの間にか必需品となっていて
若者ほどではないが
携帯をチェックする癖がついていた。
携帯に縛られているような気がしてとても嫌だった。
私の親友は携帯を持たない。
持つ必要がないと言うのだ。
私とお昼ご飯を食べる予定で
待ち合わせをしている時
どちらかが約束の時間に送れる場合など
連絡するために彼女に携帯を持ってほしいなんて
思ったこともある。
しかし、携帯がなければないで生活に支障をきたすものではない。
私の場合、3月の西村眞悟先生の講演会の時
参加申し込み等で携帯を使う機会が多く
毎日肌身話さず持っていた。
最近はその必要もなく、また会の活動も休止状態。
会の仲間からの連絡も入ることはないし
こちらからかける必要もない。
娘や姉や母以外にはかかってくることはない。
携帯メールはもともと大嫌いだったから
娘からのメール以外は使いたくない。
姉や友人からのメールはPCへ入れてもらえば良い。
そんなわけで携帯から解放されることが出来そうになった。
ただ、娘は固定電話を持っていない。
携帯で連絡するしか方法がない。
だから、携帯を解約することはできない。
また母からの連絡も携帯に入る。
三人がファミリー割引をしていて無料通話が出来るからだ。
解約はできないけれど常時持つ必要はないのだ。
昨日から携帯電話を携帯しないことにした。
誰からもかかってこない電話、
誰からもメールが来ない電話を持っていても無駄だから。
何と開放的な気分だろう。
若者が携帯電話を命の次に大事なものだと言う気持ちが分からない。
そして、段々親友の気持ちが理解できるようになった。
昨日も今日も明日も
母を病院へ連れて行く。
病院では携帯は電源を切ることにしているから
持っていても持っていなくても関係ない。
夜、自宅に帰って寝る時に携帯を見た時
もし、万が一誰からか電話が入っていたとしても
必要ならまたかけてくれるだろう。
娘からだったらかけなおせば良い。
緊急電話なんてかかるはずがないのだから。
携帯のない生活も良いものだ。
スカーレット
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