スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去
私にとって川柳という存在は
今では私自身の一部になっている気がする。
昨日は午前2時半に起きて
6月末が締め切りの
二つの投句先へ出す川柳の推敲と
柳誌の課題吟なとを作って清書
いつでも投句可能にしておいた。
アズキが逝って
もし、私に川柳がなかったら
今は落ち込み家の中で
鬱になっていたかもしれない。
三つの川柳の会に所属
月7回の勉強会に参加することは
結構大変だけれど
今は、私の外出する機会になっているから
ありがたいと思う。
明日はその中の一つの会で
担当の番になっているから
資料作りにも忙しかった。
なんだかんだ言いながら
これからも川柳は私の生きる目的の一つとして
ずっと存在するのだろう。
それで良いと思う。
今日は19年前に亡くなった父の祥月命日だった。
時が過ぎるって本当にはやいと思う。
父が亡くなった時のことが
まるで昨日のように鮮明に思い出される。
父は刑事一筋で家に居ることがなかなか無くて
一緒に遊んだ記憶もあまりない。
父親不在の家庭だった気がする。
でも、やさしかった。
刑事に向いてないなあなんて思っていた。
警察を定年で退職してから
第二の就職をして80歳まで仕事をした。
84歳で亡くなったから
本当に休めた時間は無かったような気がする。
父は癌になり
家で看取り見送った。
父は自分の人生で後悔することはないと言い切った。
最期まで癌告知をしなかったけれど
もしかしたら気付いていたかもしれない。
でも、父の性格を思うと知らせない方が良いと決めたのだ。
それで良かったと思う。
今日は姉と二人でお墓参りに行った。
私が守っている仏壇に父の好物のきんつばを供えた。
父が逝き、母が逝き、夫が逝き、
そしてアズキが逝って
私はひとりぼっちになってしまったけれど
これからの私の時間を元気で愉しいことだけして
過ごそうと思う。
先月25日アズキがわたしの傍から居なくなった。
虹の橋を渡っていってしまった。
この2年半、アズキは頑張ってくれた。
3回危機的状態になっても
なんとかまた元気を取りもどして
ずっと私と一緒に居てくれた。
夫が亡くなって9年、私の家族はアズキだけだった。
アズキは私に絶対的な信頼をおいてくれていた。
私に100%の愛をくれた。
私もアズキの病院通いのほか、
アズキを中心にした生活をしていた。
最近では日中でも長い時間留守にできなかった。
夜も私のベッドの上で寝ていたアズキは
掛け替えのない存在になっていた。
アズキは今も居る気がする。
外出から帰っても
アズキが待ってくれているように思う。
朝のおはようから晩のおやすみまで
今までと同じように声かけしている。
話をしている。
アズキは私にとって永遠だ。
アズキのお通夜や葬儀もしてやれた。
姉や友達が送ってくれた。
小さなお骨になったけれど
こんなにもみんなから愛されたアズキは
幸せだったと思う。
アズキ、ありがとう!
お母さんがそっちに行くまで待っててね。
スカーレット
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