耳鳴りおやじの日記
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有り難い話を3つ...
昔から、良く飲みに連れて行ってくれるF教授にはくしお祝いをしていただきました....なんとも不思議なのだが、所属する年輩の先生からは一言もはくし取得に関してコメントがない点だ...以前、職場にいたK先生は
”はくしになったようだな””はい”で会話が終わったし..
言葉が見つからないくらい嬉しいと解釈します..有り難い話です..
もうひとつは、I大学から、名誉博士号の授与通知がきたこと...あまりに唐突すぎて、びっくりしました....そんなに偉くないので、ゴミ箱に丁重に置かせていただきました..有り難い話です..
最後は、☆の千一元監督を頭に全国”おやじの会”、名前だけで有り難みがありますねえ...おやじの強さを世に知らしめて活動するらしい...
本当に有り難い話だ....どうぞ、この私を名誉顧問にしてください
そうしたら、必ず、おやじぱわーを発揮します!
そういう気持ちにさせてくれた”おやじの会”有り難や..有り難や..
またまた、難しい話...
最近、大学評価が、盛んだ....これは、課題設定、実行、評価というステップだが、別に大学評価に限ったことではない...
そもそも、何か行ったときの成果を検証するときに、その行動が有効であったかということは、こういうステップを踏むのが自然だ..
大学評価だといって、大騒ぎするのは、今まで大学がさぼって来たからだと感じる...自分が行っている教育が有効だと”本当に”考えている教員はむしろ、評価されることで有り難いと感じるかもしれない...
以前、障害者の施設コンフリクトで、住民が”建物を造ると自然が破壊される”とかなんとかいって大暴れしたということがあったが、本音は障害者が近くに来て欲しくないという本音をすり替えているだけという記事を読んだ事がある....
大学評価を避ける人はこれに少し似ていて”経験の浅い学生に評価されても意味ない”とか”成果は卒業してから出るもんだ”とか言っているが、本音は
”そんなことされたら、自分の評価が下がるじゃないか、助けてよう”
という事に違いない...
障害者のかかわりを避けていたら、障害者を理解できないように、学生の評価を避けていたら学生を理解できないと思うのだが....
評価を避けている先生方、
”あんたはそんなに偉くないから心配しないで..肩書きがなくなったら、 ただのおやじだから..”
うん?待てよ、それは俺だ!おやじの戯言、恐るべし!
2004年05月11日(火) |
物には心があるという心 |
昨日、テレビを見ていたら面白いことを言っていた..
”日本人はロボットに心があると感じている..アトムが良い例だ”
これはもともと、日本人が物に心があり、大切にする習慣があることに繋がっているということらしい..
アメリカ出身のタレントが言うには”ロボットに心なんかあるかあ”
日本人は、二足歩行のロボット作成にこだわるらしいが、ロボットを人間にみたてるからかもしれない..
以前、研究室のMさんが、”なぜ、ここで熱を加えるのですか”と質問したときに、ボスがふざけて”熱を加えるとびっくりするからだよ””そうですか!” 納得する方も納得する方だが、実験を続けていくと扱う物に愛着が湧き、日本人は心があるように思えてくるのかもしれない...
アメリカ人は実験が下手と言われるが、実験の失敗が材料にあると考えるからではないのかと思える..
たとえ、売れなくても良い物ができれば満足するという心は、大和魂かもしれない..良い物をつくれば、作品は自分に微笑んでくれると感じるからかもしれない..
研究者の作品は論文だが、さすがに論文に心があると考える人はいないだろう..しかし、こだわりを持って論文づくりをしたいものだ..そうすれば自分の財産になる気がする..
...なんて難しい話をすると、疲れる...
昨日、家族でスペシャルオリンピクスに参加した...
非常に不思議に思うことは、”父親がいない”事だ...
コーチはもちろん、男性が居るのだが、アスリートの保護者として来ていない...
たとえ、保護者のメインが母親だとしても日曜日だから、見に来てもよいのではないかと思った...
何となく思ったのは、未だ、”子供の世話”の延長上にあるのではないかということだ..小さい子を公園で遊ばせる延長上にある..
しかし、アスリートの多くは小さい子ではない...父親の存在はなぜないのだろうか?
また、ただ単にスポーツ教室と違って、試合がある...割にはなんとなく適当に練習している..運動機能の向上をモニターできるのかなあ...
ほんと、不思議である..今後解明していこう!
ダイキンの社長が代わったそうだ..その社長が大切にしている言葉が
”知音”意味は自分を生かしてくれる友の事らしい...良い言葉だなと思う...
生かしてくれる友とは自分を”叱咤激励”してくれる友だという... これまた、しびれる言葉だ...
とかく、関わりが薄くなっていく人間関係の中で、”叱咤激励”してくれる友がどれだけいるだろうか?
しかし、この”知音”の数が多ければ多いほど、人間は磨かれる気がするし、そのような友を多く持っている人は魅力的だ..
これは個人レベルの外部評価とも言える...外部評価が多くあり、いろいろな評価を受けてこそ、人間は成長できる気がする..
明治大学では、保護者の授業参観を行っているらしい..これはある意味、外部評価だ...そして意外と上手くいっているらしい...
しかし、授業参観で授業を見られたらどうしようという心配もある..
高齢化社会の話をしても、授業後の感想に
”講義どおり、教員も高齢化されていますね、ファイト!”
って書かれたらどうしよう....叱咤激励...うんうん
今年、入ってきた女の子が静かだ..今まではなかった事..
話を上級生から聞くと、3人の女の子はまじめなだけでなく、お互いあまり仲良くないらしい...これは非常に珍しい...
この研究室は、いままで教授が逃げるくらい女の子で騒がしい研究室だ...ホントめずらしい...
しかし、結構不気味である..7人居て一言も話さないで4〜5時間座っている...機械音と携帯電話着信音...
”みなさん、もうちょっと話しませんか?”って言ってみようか?
おやじは向こういけという目で睨まれて終わりだろう...
お菓子でつってみようか...ブルボンのホワイトロリータあたりで..
”お菓子ありますよ..どうですか?”
そんな安い、知らない菓子で集めようと思っても無理だろう..第一、ホワイトロリータが今の子には古すぎる(というか知らない)
しょうがないから、親父一人、屋上でホワイトロリータでも食べるか..
(これが一番寂しい風景)
昨日は、GWにたまりかねて、仕事に行った...
だれも仕事に来ていなくて、なんとなく寂しく、孤独な思いをしたが、この状況で仕事が出来ないとだめなんだろうなあと感じた..
知り合いのポスドクの子は、新しい研究室に来て、休みの日も来て仕事をしている..決して業績が少ないわけでも、能力がないわけでもない..
いろいろな人に試薬のありかを尋ねて、自分で実験を進めている..さぞ、孤独なんだろうなと思うが、あまりそのような素振りは見せず、たんたんとこつこつと行っている...
研究者はみんなで助け合って仕事をしなくてはいけないんだろうけど、最後はその人が何ができるかで、評価を決まってしまう気がする....彼を見ているとそんな気がしてくる..
彼は3年契約だ..その先はわからない..辛く孤独な毎日だが、それを表に出さずにやっている...
以前、東大出身のSさんというポスドクと知り合いになったことがあった.彼の研究は虫の研究だったが、1年間育てて、エサも公園でつかまえて かなりのフィールドワークをして、1〜3年間に論文になるかわからない状態だという...
”大変ですね”と声をかけると ”自分が好きで選んだ道だから不満は言わないようにしています”
その時、僕も研究で苦しい思いをしていた時期だったが、いろいろ考えさせられた...
研究とは人間を磨く過程である....わたしもおやじ改造計画の一つとして、頑張らなくては...
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