耳鳴りおやじの日記
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M先生は、昔からの知り合いで、後輩でもある...
昨日、その先生の上司にあった..そしてM先生の事を聞いた..
大変な事になっているらしい..派閥争いに負けて居場所がないらしい..
上司によれば”普通ならここにはいれないはずだけどな”
上司の言い分もあれば、M先生の言い分もあるだろう..しかし、いずれにしても、たった、10人にも満たない部署でもっと仲良くしなさいよといいたい..
彼は、別の先生と組んで過激な政治活動して上手くいかなかった..このしこりはおそらく、残るし、彼にとっても非常にマイナスだろう..
みんなそれぞれ、マイナスなイメージを持っているけど、それを我慢したり、強く出さなかったりしてうまくやっているところがある..
彼はおそらくこの一件で昇進がさらに遅れるだろう..残念だ..
M先生もそろそろ大人になって欲しい..M先生はおそらく政治活動には向かないだろう..もっと地道に研究したり、授業に取り組んで欲しいと思う..評価はその結果ついてくると感じた方がいいと思う..
昔、一緒に研究した同士として、結婚式の司会を担当したものとして、
”地道にやってくれ〜”といいたい!
昨日、とーいっくまがいのテストを受けに行った...
最近、テスト監督しかしていないので、テストを受けることがひさしぶりで緊張したし、何よりも試験監督の気持ちを察してしまった...
まあ、読む方はいいとして、聞く方が...アウト...
いきなり、英語でべらべら流れて聞き取れるほど何もしていないことがよくわかった...
とにかく、何も準備せず、前日も酒を飲んでいたし、カレーも食べていたし、当日は消しゴムも忘れるしで、そんな状況では出来た方かなあ...
小学生も多く、わかいもんには負けるかと頑張ったかいもあるかなあ..
しかし、結果次第...悪かったら、耳が悪いせいにしよう...それじゃだめか...
2004年06月13日(日) |
共鳴コミュニケーション |
今年の前期はなんとなく、授業が上手くいったなあ..と感じた..
最近の学生さんは、お互いのコミュニケーションをあまり、取ろうとは思わないようだ..
しかし、上手いように持っていけば友達同士がお互いに共鳴するようにコミュニケーションを取れるようになる...これは素晴らしいと感じた..
その為にはどうすれば良いか..最近なんとなくわかってきた..年の功だろうか..
実験や研究にもテクニックがあるように、授業にもあるのだろう..
なんか実験プロトコールのような物がないかなあ、授業プロトコールってものが..
誰か、持っていたら見せて!
ビジネス戦略のひとつで ”大きな市場の小さな領域で、信念と努力を貫き成功を収める事によって、その大きな市場で成功を修めて行く。”ということらしい...
競争が激しくなり、その中で特徴を出し、生き抜いていくためには、このニッチ戦略が必要だ...
ブックオフの店長の言葉で
”「よく、古本屋って儲かるんですか? と質問されますが、古本屋なんか儲からない。 だからこそ誰にも負けない努力をするから上手くいくようになる。」”という...
これって、わしの分野と似てないか?
”よく、PEって学問ですか? と質問されますが、PEなんて学問じゃない。だからこそ、誰にも負けない努力をするから上手くいくようになる” ってことか?
大切なのは、こんなことはビジネスの世界で当たり前の事だということ..みんな苦労して努力しているということだ...
知り合いのA先生はビジネスの資格を目指される様なので、今度いろいろ 教えて貰おう...
O大学の偉い先生が...
”今までは助手や講師が教授に勝てることはなかったが、新しい分野では私もいつ負けるかわからないし、そうなっていかなくてはいけない”
正にそうだ..肩書きに差があっても、常に既存の考え方を批判的に検証し、ベンチャースピリットを持ち、新しい事に挑戦する...教授はむしろ、そういう人材を大切にすべきで、自分の思うままにならないことを喜ぶべきだ..
しかし、挑戦には失敗も伴うかもしれない、そのリスクをいかに回避するかを考える事も重要だ...挑戦とリスク回避を上手くコントロールすることが、極めて重要だ...
私は最近、どうもセルフエフィカシーという感情がない...つまり、できるとかできないとか、有る仕事を手がける際に普通考える感情がないのだ..不思議だ..
しかし、新しい分野を切り開くときに、自分の能力のあるなしを考えていたら、何もできない気がする...
有る本に成功するためには”試行”することが大事という話が載っていたが、私は最近そんな気分だ..”ひとまずやる”その感情しか存在しない..
おやじになってくると若い人のエネルギーを欲しくなるが、自分にもっとプレッシャーを与えてくれる若い方、ホント募集します..
枯れ葉も使いようによっては、焼き芋ぐらいの道具になりますから..
校庭から、高い鉄棒が消えているらしい...安全面を配慮してらしい...
子供たちにパソコンを与えることはもっと危ないのではないのか?
以前の体育会系クラブの不祥事の影響からか、体を動かす意味や機会が著しく低下している気がする...
50m走のタイムも下がっているらしい...筋力の低下らしい...
ヒトは動物ではないというように、ヒトだけ度外視するヒトがいるらしいが、ヒトはヒトである前に動物である...家畜同然の生活で体を動かす機会が失われたら、それは動物ではない...
最近、なんでもゆとりで、大人の強制力が消失しているが、生徒の自由を重んじるので有れば、そこには社会的責任を強く求めなくてはいけない..責任を追及しない自由は放任である..
ルールを守らない生徒には自由を与えないという姿勢も必要ではないか? それでも守らない生徒は社会的制裁を与えるという責任も認識させる...
教育管理が徹底すれば、高い鉄棒も高価なパソコンも安全になる...
おやじだけかな、こんな考え....
娘と妻を失った父...たくさんの思い出が有ったに違いない...
あまりに辛く、娘を持つ身として、その辛さは実感できる...
この1週間の間に2回、息子の誕生日があったが、こんな事件を思うたび、誕生日を祝ったりする時間の重要性を感じる...節目を実感し、確かめる時間を持つことが極めて重要なのだ...
仕事が忙しくてそんな時間がないという人もいるが、仕事をすべて失っても家族は無償の愛情を注いでくれるに違いない..仕事がなくなるなんてない..そんな事はないと言えない時代になっている..
日常の幸せを確かめる時間が不足している時代なのかもしれない..デジタル化が進み、外でもゲームだ、携帯だとやっていると、自分自身を振り返る時間すらない..家族で御飯を食べる瞬間や子供の顔を見る時間が、不足しているのではないか...まあ、人の事は言えないが...
ここ数年、車をやめ、ゆっくり歩いていると自分を確かめる時間が増える..ウオーキングにはそんな効果もあるんだなあと感じる..
世の中のおやじ殿、運動は心の健康にもききまっせ!
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