耳鳴りおやじの日記
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2004年07月21日(水) プロ野球という組織

渡辺オーナーの選手軽視の発言が問題になっている..自分がすべてを決め、選手の意見など意味がないと考えているのか..老害も甚だしいが、それ以上に、こんな組織が今後、まともに存続するのかという懸念もある..

 この騒動を見ると、なんとなく、大学の組織と重なる..

オーナーである運営組織、選手である教員、観客は学生だ...

 学生は、教員の教育や研究に魅力を感じて、満足感を得る..教員は、その大学でいい仕事をすれば、もっと良い条件を求めて新しい大学に移るかもしれないし、スカウトされるかもしれない..

 プロ野球にしても、大学組織にしても、運営組織は、選手や教員を大事にしなくてはいけない..大事にするというより、個人の能力を尊重すべきかもしれない..

 何よりも、観客(学生)がしらけてしまう..選手は観客に素晴らしいプレーを見せて、夢を与える..教員もそうかもしれない..

その選手や教員の能力を軽視してしまうことは、お金を払ってサービスを受けている人たちを裏切ることになる..悲しいことだ..

 法人化、民営化で、大学もきょじんの組織みたいになるかな?


2004年07月20日(火) 夏のアスレチック!

いやはや、六甲山にいってK家とアスレチックをしてきた..といっても、わたしではなく、子供たちだが..

 その場所は、かなり気持ちが良い場所で、森林浴もしてきた..とにかく、下の娘も以前は怖がっていたが、今ではがんがんにいっている..

 こういう、なんていうか、体を動かすイベントを組むと一日が充実する..

 一方で、イラクの子はこのような楽しみはなく、親を目の前で殺される場合もあるような生活をしている..

 しかし、アフガニスタンなどで活躍している中村医師は、先日、テレビで
”昔は人間の不平等さを嘆いたもんだが、今は少し考え方が変わった。ヒトには定めがあり、その中で幸せを求めて生活しているんだと。”

 今の状況を嘆くより、これからの楽しみや幸福感を考えて生活した方が、良い..のかも。

 さあ、今日は子供は終業式!夏だ!海だ!山だ!ジョギングだ!

 仕事????


2004年07月18日(日) 体調を壊して

情けないことに体調を壊した..

授業終了、2週間の間に飲み会と会議の嵐で、ホントに疲れた..

いつも、思うのだが、授業終了とともに体調を崩す気がする..全く、昔から学習していない..

 実験で忙しくて、体調を崩す場合、”休め”の信号だが、酒と会議のために体調を崩す場合、”しっかりしろ”の信号に思える..

 早く、体調戻して復帰したい!


2004年07月16日(金) 懇親会

大学の懇親会に出た..

ノミニケーションという言葉があるが、あまり日頃話していない人と話すととても親睦が深まって良い..

 昨日もこんな意見が..

 ”学部長、手を広げすぎですわ”とSさん

 ”私に仕事まるなげですわ”T氏

 ”あなたの分野は必要なんですか”M氏

 まあ、言いたい放題!でも酒の席のことは忘れましょう..

 ..それは、私の事です..すみません、I先生..

 


2004年07月15日(木) 近くの歯医者!

昨日は、近くの歯医者に検診にいった..

 この歯医者は、少し気になる歯医者だと昔から思っていた..

 患者さんのためにいろいろなサービスを考え、行っていくことは経営では必要なことである..それ以外に、この歯医者では面白いことを理念として掲げている..

 ”スタッフの幸せを考える”ということだ..

 この理念には、スタッフが幸せになれば、患者に対する対応もよくなり、サービスが向上するという考え方だ..

 大学のスタッフも同じかもしれないと思う..研究に充実感を持ち、教育の意義を感じ、その仕事に生きがいを感じることができれば、学生にそれは伝わっていく..

 良く学生の満足感を高めるというが、その前に教員の満足感を高めていかないと、長続きはしない気がする..

 私の家庭内の満足感は..???


2004年07月14日(水) S短大解散..

S短大が解散命令を受けたらしい..

 ひとりひとりの先生は頑張っているだろうに、学生も含めて大変な事だ..ひとごとではない..

 これからは、特に大学冬の時代だ..今までの常識では通用しなくなる可能性もあり、柔軟な発想が必要とされるかもしれない..

 国家公務員の定昇がなくなったという事から、私立もそうなっていくだろう..まず、ボーナスに査定が反映される..

 個人の能力が重視されると共に、組織としてのマネージメントも必要になるだろう..

 ホント、こんな話をすると暗くなる..明るい話はないかなあ(コメント)


2004年07月13日(火) 1人称の意見

昨日読んだおやじむけの雑誌に面白いことが載っていた..

 テレビのネタで、事件の被害者の気持ちを逆なでするようなネタを批判するヒトがいるが、そもそも、被害者の気持ちは本当に聞いたのかということだ..

 世の中には、他人のためとかいって、仰々しく批判するケースが多々ある..しかし、当事者がなんと思って思っているか、あまり確認していないのではないかということだ..

 以前、番組で売れない力士にひどいことをさせているネタがあったらしい..視聴者から”力士があまりにかわいそうだ”という批判が殺到し、結局、そのネタはなくなったそうだが、その一方で、力士の収入は落ち、生活が苦しくなったそうだ..

 私のようなおやじもホント気をつけなくてはいけないのが、誰かの”代弁者”になりうるのかと言うことだ..

 いろいろな事を考え、学生のため、社会のためとか、やっていることが、本当にその人々のニーズに対応しているか...

 研究も本来なら、”誰かの為なのか”もしれないが、お金を多く貰い、時間がなくなり、名誉も得てくると、”誰かの為というのが重要ではなくなり、自分の為に”誰かのため”という大義名分を使うようになりがちだ..

 そして、それは”誰かに”押しつけることになってしまう..

 まあ、思ってくれるだけましという考え方もある..誰か、私のために
大義名分でもでもいいから、金と時間を使ってくれないかな..

 


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