耳鳴りおやじの日記
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2004年08月09日(月) 花火!SUBARU!

いやースバルやりますね!

 まじかで花火1800発、子供たちも大喜び!

スバルのイベントで、花火が打ち上げられ、すごく満喫しました..

 スバルって結構好きなんですよね..

 日産の整備士の人に聞くと”スバルはマニアックだよね..”

 多くの車種を作らず、車種を限定し、低重心、安定性の限界を求めて

 車を作る”ものづくり”日本で最初の4輪駆動..独特のノウハウがあるそうです(日産整備士の弁)

 たぶん、車ってもっと走る、曲がる、止まるという単純な動作に改善すべき点があるんでしょう..そういうのにこれからも忠実になって欲しいと思いますねえ..それがスバルの生き方ですから..

 今年は日本でWRC、北海道!がんばって欲しいもんです!

 


2004年08月08日(日) 良かったお祭り!

その施設は、障害者のための施設である..

 こんな施設が今から30年前に出来たことは極めて画期的だ..

こんな便利なところにあるのだから、さぞかし、利用者は喜んだことだろう!

 ふと、壁に貼っていた利用者統計を見た..すると、肢体不自由と知的のカテゴリーが極めて多い..

 プログラムとかの充実度からみると、知的対象は少ない気がする..仲間がいるとかそういう理由ではなく、知的障害者は行く場所がなく、利用している..気がする..

 この夏のお祭りは、障害者や保護者にとって本当に良い思い出になる気がした..

 センターの知り合いに会って、いろいろ聞くと..

”知的しょうがいの方が近所でトラブルなんて全く聞きませんよ”という

 月に1千人程度、知的しょうがい者が利用している施設でさえ、そうだ..世の中は偏見と差別で満ちあふれている..

 小さなお祭りだが、障害者にとっては本当に心落ち着く場所なんだろう..

 


2004年08月07日(土) セカチュウ..

世界の中心で..を見ている..

 そのドラマで印象的な言葉がある..正確な台詞ではないが..

 ”幸せというのは、サクと私がいる、そういうことなんだ”

 長い地球の歴史から考えれば、ヒトの命は短すぎる..そのヒトが考える幸せとは、簡単に言ってしまえば”出会い”ということなのかもしれない..

 親、兄弟、友達、配偶者、子供..自分以外のヒトとの出会いだ...

 そして、その自分以外のヒトが自分を愛してくれたり、自分を高めたりしてくれる..そういう環境にいることが”究極の幸せ”なのかもしれない..

 だから、いくらデジタル社会といっても、デジタルなコミュニケーションでは、ストレスが溜まる..ヒトを感じる環境にいる必要がある..

 直接会って話すコミュニケーションは、電話やチャットなんかのコミュニケーションと違って多くの情報が交換される..デジタルコミュニケーションは、あくまでサポート的な存在だ..

 人と人が出会い、その間に生じるコミュニケーション..これに勝るものはないし、それをデジタルで表現する必要もないと思う..

 皆さんも自分なりの”幸せ感”持っていますか??

 私は、ドラマで癒される程度ですから、大したことはないです..

 でも、年をとってくると、意識的に考えないと、ダメなんですなあ、これが..

 ふー


2004年08月06日(金) 今日の日記は盛りだくさん!

1つは研究の方向性..

 ここ数日で実験系が固まってきた..これは、私が定年になるまで打ち込んでも良い、課題と言える..

2つめは、施設説明会..

 障害者施設の住民説明会..いつものように、住民対行政という構図、そして、やくざまがいに怒鳴りつける連中、涙を流しながら懇願する家族..

 ここ5年間、基本的に何も変わっていない..

 ”なぜ、この地域に立てる必要があるんじゃあ、といっているやろ、ぼけ!”まあ、こんな調子..

 そして、私が発言..”便利だからでしょ、それだけ”それ以外に理由なんてないでしょう?

 もし、大阪で住みたいところ、行ってみたい施設があるとしたら、便利なところがいいですよね、それだけの話です..

 人権侵害ってこういうことなんだ..と実感..

 倫理学の授業ってあるけど、こういう場に学生を連れてくれば、肌で感じることが出来ますよ..

 私も少し言い過ぎたんで、夜道に気をつけます..

3つめは、近くに住むおやじ友達..

 子供に何をしてあげられるのか?というテーマで日記を公開している..

その中で、”子供が甘えて抱っこばっかりだったが、山や田舎に行くことで、歩くようになった”

 そのおやじは、キャンプなどは嫌いだという..そのまま、の生活が良いという..

 もともと、じっとしては生きていけない動物が、ものを探したり、狩りをしたり、するために生きていけるのであれば、”歩いたり、走ったりすることは、動物である以上、必要不可欠のことかもしれない..

 ところが、文明が発達すると、人間はあまり、動かなくても生活できるようになる..でも、それは子供の頃からそうではないはずだ..

 ”歩く習慣を作る”というのは、歩くことで何かを発見するという喜びを引き出すことなのかもしれない..

 子供を外に連れだして、自然におくというだけで、子供たちは様々なことを感じる..その経験が、好奇心や健康観やそんなことに繋がっていくんだろう..

 そろそろ、疲れてきたので、終わり!


2004年08月05日(木) ひとりでやるということ

他学部の先生と話した..

去年から来られたということだが、うちでできにくい問題をクリアしながら
ひとりでコツコツ実験を進めていた..

 分野的に学際的なものだけに、他分野の先生と交流を持ちながら、ひとりでコツコツ実験をしている..

 結局、自分が行動し、手を動かすことからスタートするのだ..これはどの分野でも共通のことなんだろう..

 国立だ、私立だというけど、その先生は、授業数は私と同じ、授業内容も直接、研究とは関係ない..おまけに学生も抱えている..

 仕事が多い、授業が多いというのは、所詮、研究ができない研究者の言い訳に過ぎないのかもしれない..

 実験モデルが非常に似ているので、今後、お世話になります..

 熱いのでやる気がなかったのだが、若い他分野のエネルギーに刺激され、

 やる気が出てきました..ありがとうございます!
 


2004年08月04日(水) 我が学問..縮小

またまた、学会体験記..

 我々の分科会は、ある程度、中心的な存在を保っていたにもかかわらず、
ここ10年を振り返ると、むしろ、縮小傾向にあると実感できる..

 旧帝大は、I学部に合併、もしくはその連中に浸食され、我らの博士養成機関から出てきた学生の就職先は、ない..

 地方公立、市立大学は、学生が集まらないために、ひとりの先生が担当する学生数を上げざるを得ず、法人化が追い打ちをかけ、T大学の場合、最悪の場合、ここ10年人事が動かないと言う..

 また、専門系大学でも、大事だといいながら、選択科目の大学が異常に多い..

 総合して考えると、学問レベルは少しあがったが、踏み込めない境界線があるということだ..

 その点、別の領域では、他の分野の学部に採用されている..我が分野特異的な問題なのだ..

 我々は、少し考え方を変える必要がある..特にI学部にできない領域を開拓し、アメリカの追随ではなく、日本独自の路線を開拓する必要があるのではないか?

 今は論文の価値を高めるのではなく、足場をどう固めるか、それが大事だと思うのだが..

 これでは、ますます、ドクターの学生さんが減ってしまう....

 おやじとして、心配だ..
論文の価値の向上ではなく、


2004年08月03日(火) Oさん..

 Oさんは、最近、教授とトラブルを起こしたらしい..

詳細は知らないが、髪の毛がほとんど白髪になっていた...

 自分の信頼する教授に見放されること、それも自分に反省すべきことがあってそうなってしまったことは本人にとって、本当に辛いことだろう..

 Kさんのように、政治的に強いヒトならまだしも、そうでなければ、研究人生死活問題だ..

 ただ、人間関係がだめになっても、認めざるをえない業績を持っているヒトは、生きていける..それが乏しいのがこの分野と言える..

 Oさんと分かれるときに、なぜか、握手を求めてきた..お互い頑張りましょうと言うことか..なんか寂しいなあ..

 Oさんに求めたいことは、もう一回、ひとりで新しいことをやって欲しいということだ..ゼロから始めれば後はプラスにしかいかないから..

 私もぼちぼちがんばりましょうか..


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