耳鳴りおやじの日記
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まあ、いろいろあろうが、大学院の時の同級生はみんな頑張っている...
議論することになれていなかった学部生とは違って、K研究室ではみんな暇があると議論していた気がする..
特にW先生が上にいたことで、議論が白熱した..廊下で立ち話になっても、そこから、データの話になり、そのままそこで、1時間以上、議論したこともあったかもしれない..
K先生は、積極的に外部の学生を入れたことで、研究室の活性化を目指したのだろう..
あの時期はまだ、就職があり、しっかり仕事をすれば、K先生が就職先を見つけてくれるという安心感があった...
研究室内でいざこざがなかったわけではないが、男同士の問題なので意外とさっぱりしていた気がする...みんなさほど悪い連中でもないのだ..
そして、今もお互いの仕事が気になる..お互い負けたくないという気持ちがどこかにあり、それがまた、研究の原動力になっているのだろう...
最近、この大学院の時に築かれた友達関係とライバル意識が重要だと感じる...友達関係が希薄だったり、研究面のライバル意識があまりないと、その後の研究の進み具合に大きく影響を与える気がする..
研究はいばらの道だ..挫折や苦悩は日常茶飯事だが、それを支えるのは、大学院の時の友達だったりする..
だから、大学院の時はたくさん苦労して、友達同士支え合う経験をするのが良いと感じる...
企業家のKさんをみていると、今後も支え合う関係でいられるか..ちょっと不安ではあるが..
お盆と言えば、良く富山のおばあちゃんのうちに親戚一同集まって、おいしいものをたくさん食べた思い出がある..
おばあちゃんの家は、海から近く、かにや魚をとって良く遊んだものだ..セミ取りも良くした..懐かしい記憶だ..
だから、今でも親戚同士は仲が良い..小さいときから山や海でよく遊んだからだ..
今は少子化で子供も少ないが、その夏の集まりでは、子供たちが9人!
...今では、おばあちゃんは亡くなり、残念な事に2人のおばさんがガンで他界している..時代の流れを感じる..
しかし、セミの鳴くお墓に行き、お墓を洗い、ロウソクを変えるというお盆の年中行事は、子供ながらにわくわくしたものだ..
年を取ると昔のことばかり考えるが、こういう子供の思いでは大切にしたい..そして自分の子にも同じ経験をさせてあげたいと感じる..
自分の親は健在だが、ひとまず、来年はお墓まいりにでも行ってみるか?
N先生宅に行ってバーベキューをしてきた..
素晴らしい家で、中も綺麗で、ほんとびっくり!しかし、かなり、お金を使っているなあという印象を受けた!
でも、新しい家を購入して、家の事を考えるのは楽しい事なんですね。
バーベキューも初心者なんで、すべて私がやりました..
しかし、生命科学領域で学位をとり、ポスドクもなく、即アカデミックポジションを取得し、優秀な教授の下で自由に研究でき、家庭も持って30代でマイホームって、ちょっとできすぎ!
うちの研究室には、ポスドクを旦那に持つ奥さんがバイトで勤めている..旦那は36才..微妙な年齢である..奥さんもわかっているらしい..この年齢になると高学歴といえども、リスクだけが向上する..
今から思えば、博士課程というのはかなり、リスクの高い選択だ..だから、研究テーマよりも、その研究室の人数に対する生産性と論文の質、就職状況を十分吟味して選択する必要がある..
ポスドク中もとにかく論文書きに集中し、論文が書けないところなら、1年で出る..1年単位で考える事が必要かもしれない..
そして30代前半で就職する..大卒の就職する企業の定年はだいたい、60才、大学は65才前後のところが多い..つまり、この5年間の間に就職までこぎ着けないと生涯賃金が低下するだけでなく、アカデミックポジションすらつけない可能性がある..というわけだ..それでも良いというなら話は別だが..
大学冬の時代は、ポスドク冬の時代でもある..自己のキャリアマネイジメントも必要な時代である気がする..
...まあ、ひとごとではないのだが...
2004年08月14日(土) |
世の中バランス取れている.. |
うちの子は知的障害である..まあ、おそらく自立は難しいだろう..
困ったもんだなあ、とその時は思った..しかし..
その時、お世話になったT先生..その先生から新しい見方を教えてもらい、そして、その考え方は、いつの間にか、同僚のK先生の教育観に影響を与え、そして授業改善につながった..
そして、関係する人事と言うことで、採用したA先生によって、授業研究は発展し、多くのデータを生み出した..
さらに、A先生がお世話になっているY先生と同じ大学にT先生が在職し、A先生をいろいろサポートしてくれたという..
失うことがあれば、得ることもあるというが、世の中バランスがとれている..有り難い話である..
見方を広げることで、今まで気づかなかったことも見えてきたりする..
”わかる”という自信は、限定された環境のみ通用するものなのかもしれない..
私もいつもがんこおやじで失敗しているので、もっと人の意見を聞くように努力します..
良くお世話になっているU先生から
”文化人として名を連ねて欲しいのでお願いします”という依頼があった..
”文化人の前におやじですから”と言いたいところだが、施設の問題と絡んでいるのでそういうわけにもいかない感じだ..
しかし、文化人がこう主張しているからということで、問題解決するんだろうか?そんなことなら、すでに解決済みのような気がする..
文化人という言葉もどうも、一般人との差を感じさせていやな響きである..むしろ
”おやじの会として名を連ねて”という方が自然だなあ..
女の先生はどうなるのか?
”おばはんの会として名を連ねて”なんか、イメージ悪い...
昨日、研究室のポスドクの男の子と話していたら、どうやらM先生とトラブルがあったらしい...
やはりなあ..という気がした..いつかはトラブルと思っていたが..
詳細は知らないが、そのポスドクの言った言葉が印象的だった..
”ホントに自由にさせてください、論文書きますからという気持ちですよ”
この意味は深い..なぜなら、この分野は実験でデータが出ないと論文が書けないからだ..”書きますから”というのはデータは必ず出しますからという自信だ..知らない場所、慣れない研究室でやっていくことはホントに大変な事なのである..
ポスドクになるとはこういう事だと感心した..私も老いたポスドクだが、若い発想に刺激され、頑張らねばと思うこの頃だ..
夏休みだから?論文を読んでみた..
その論文は、その分野の力を結集した論文だった..
でも、なんでこんな狭い社会でとも感じた...
論文の内容はかなり、その研究者の人間関係の幅に関係すると思った..
すでにいろいろなことが、もっとわかっているのにそこに入れない状況がある..不思議な話だ..
もっといろいろなところに頭を下げていけば、面白い研究が出来るのにとも感じた..せっかく、何十万という機械を買っていながら、生かせていない..
この分野独自のモデルがもっと必要だ..他の分野が興味を持たざるを得ないモデルを提唱し、高度な研究をする必要がある..
私はもう、疲れたおやじなので、若い方がんばって!
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