耳鳴りおやじの日記
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2004年10月06日(水) 自己評価、自己点検!

自己評価の書類を書いて大学に出した..

まあ、いろいろ出てきて..

”これじゃあ、多くの先生からお叱りの言葉をもらうよ”
”私だったら通しませんよ、こんなもん”

とまあ、こんな感じだ..こんな状況だから自己評価なんて無理なんだと感じる..

どんなに教員が一生懸命にやっても、学生が授業アンケートで
”わかりにくいです”という意見を出したら、それは素直な意見で理由を考えればいいだけである...学生が先生の顔色伺ってたら意見は言えない..

しかし、個人的には楽しいと感じる..批判されて初めて本音を感じることができるからだ..また、組織の仕組み、人間関係がよくわかる..

 少し叩けばほこりですむが、たくさん叩くとゴミがたくさん落ちてきて逆に潰される..その駆け引きが難しい..たくさん叩いてもゴミが落ちてこないくらい、クリーンな環境を築きたい物だ..

 おやじのがんばり時だ..
 



2004年10月05日(火) 学問の発展..

昨日もセミナーだった..S教授にいつものようにちくちく刺された...
..しかし、批判してくれる人は大事にしたい..

 今の研究室はS教授がひっぱっているが、今の技術を昔から持っていたわけではない..しかし、今では革新的に技術が定着している..

 これは我々の分野ではなかなかあることではない..なぜなら、ボスを超える技術を身につけることがなかなかできないからだ..

 K大学のO先生と話していたときに”自分の技術ではここまでしかいかないということがわかる”と言っていた..S先生も分子的な事をやっているが、”高いジャーナルは狙えない”と言っていた..

 こういう風に考えてしまうのは彼だけでないだろう..それではなぜそう思うのか?

 考えてみると、何故か我々の分野は非常に閉鎖的で、外に出ようとしない気がする..もっと若い人を育てる努力をしないと足踏みをしているうちに
世間から取り残されてしまう..

 押さえつけるボスではなく、若い研究者に様々な経験をさせて、ボスは刺激を受けて頑張るという構造を作る必要があるかもしれない..

 分子の世界で医学が取り残された理由がそこにある..(ここでひっそり)おやじの提言である..


2004年10月04日(月) 公立離れ...

先日、福祉の会で中学校の先生と話をしていたら、興味深いことを言っていた..

 ”ここに多くの中学生がいるのに、うちの中学に来ないんです”

 は?と感じた..なぜなら、その中学校は名門中と呼ばれているからだ..

 いろいろ聞いているうちに、公立中への失望感が見えてきた..もんかしょうが、ゆとり学習だ、自由だと言っているうちに生徒の学力は急降下..大学進学率の低下を招くことになった..

 加えて、公立は先生の移動が多く、責任が明確でない..それに対して私立は移動がなく、自分たちの学校に愛着を持ち、教育にあたっている..

 では、大学はどうか..おそらく、就職率、サポート体制が良いところに流れていくだろう..今は企業が頭の良さとブランドで採用しているが、そうではないことに気づいて、私立に流れるかもしれない..

 10年後、国公立大学は、しょうがないので研究者養成に向くが、ポスドクは余り、その状況を敏感に感じた受験者は受験しなくなるという悪循環におちってしまう..

 どくほうかした大学は、私立と同様に受験に対して魅力ある大学像を描けないと縮小されるしかないのだ..

 大学も試練の時代だ..


2004年10月03日(日) 誰もまねできない、誰も追いつけない

ある新聞がイチローを賞賛した言葉だ...

 イチローは多くの日本人に勇気を与えてくれたのではないかと感じる..

 アメリカに勝てない日本、という日本人感情は揺らいだと感じる..

 研究についても言えることだ..自分の研究が誰にもまねできず、誰にも追いつけないものなら、素晴らしいことだし、それを求め続けているともいえる..

 ただ、研究に必要な事はもうひとつあると思う..それはその研究が価値があるかという視点だ..どうでも良い研究なら誰もまねしないし、追いつこうともしない..

 だから、研究者の場合は..”誰もが価値を認める”という視点が必要だろう..

 教育についても同じで誰もが価値を認め、まねできず、おいつけない教育プログラムを提供できれば素晴らしいことである..

 多くの研究者は、おそらく様々な理由から妥協して論文を書いていると思う..しかし、そこに”安心感”を求めると、そこで研究者としての発展はない気がする..

 じゃあ、どうするか?イチローが球を打つことにこだわったように、自分の仕事にこだわりを持ち、コツコツやる..それだけだと思う..

 ああ、だんだん、この日記も”耳鳴りがんこおやじの日記”になりそう..いやだあ..


2004年10月01日(金) 耳鳴りをお持ちの方へ

昨日、耳鳴りをお持ちの方からメールをもらいました..

耳が悪いだけでなく、耳鳴りが続くのは辛いことで、今も気にならないかというとそういうわけではありません..

 分子生物学的にはこういう状態は”dominant positive”というんですねえ
つまり、傷がつくことでシグナルが流れ放しになる..耳鳴りの事です..

 それで、まあ、耳鳴りは大変なのですが、多くの先輩方が言われるように

 結局”慣れていく”わけです..これは”大変なことだ”という感情から”たいしたことない”という感情の変化も含んでいます..

 耳鳴りは治らないけど、耳鳴りに付随する感情、不安感は完璧に改善します..きっぱり!

 アナウンサーの鳥越俊太郎さんも耳鳴りおやじだけど、今も大活躍ですよね..笑点の..誰だっけも鳴りっぱなしだそうです..

 耳鳴りおやじの会でも作って、”みになる”話でもしましょうか!


2004年09月30日(木) 安心できる場所

おやじ仲間の近所の?さんのホームページで印象的な言葉..

”「居場所」・・・このキーワードは別に子供達だけが求めているものではなく、大人の世界でもほぼすべての人が「居場所」を求めて生きている、と言っても良いかも知れない。ただ、大人は子供よりももっともっと視野が広く、情報が多いのであらゆる「居場所」に自分の存在を据えることが出来る。”

 今の世の中では、自分の存在を認め、確認してくれる場所、”居場所”があまりにも少ないのかもしれない..

 ?さんはシステムエンジニアだが、インターネットを”場所”にしてはいけないとも言う..あくまで”道具”しなければならないのだ..

 本来ならば、”家庭”が”居場所”なのかもしれない..しかし、その機能が年々、消失して来ている気もする..

 大学生相手でも、彼らに居場所を与える必要がある..それはあまりに簡単な事だ”名前を呼んで、目を合わせ、顔を見る”それだけだ..

 それだけで、学生は変わる..”確認されている”実感を感じるからかもしれない..

 おやじとしては、自分の子供に家庭という”居場所”を作ってあげたい..それが、おやじとしてやらなければならない一番大事な仕事である..

 不思議と、子供たちに居場所を与え続けると、自分もそこに居場所を感じることが出来る...これが教育の原点かもしれない...

 そんなことを教えてくれる?さんのHP教えて欲しい人はメールくださいな


2004年09月29日(水) したいことをしている

いつも読んでる実験医学に面白い事が書いてあった..

”人間は結局したいことをしている”という...

実験で失敗しても、それは、その安心感を求めているという..

これは確かにそうかもしれない..実験が上手くいっていないときに

”本気で結果を出す気か?”と自問自答したときがあったが、本気で出す気が出たときと結果が出始めた時期は重なる..つまり、結果が出ていなかったときは”結果をださないつもり”で実験してたことになる..

 イチローは”やりたいことをやっていれば、失敗しても悔いがない”という話をしていたが、”やりたいこと”を真剣にこつこつやるという前提がなくてはならない..

 逆に考えれば、本当に真剣にやっていれば、結果はどうでもよくなるのかもしれない..それくらい真剣にやることが必要なのかもしれない..

 ”結果が考えられないくらい真剣にやる”

これが”したいこと”なのかもしれない..

おやじもたまには良いこというなああ.....


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