耳鳴りおやじの日記
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2004年10月25日(月) |
自然災害から感じること |
地震の被害があまりにもひどい..
今年は、台風による被害もひどく、なぜ、日本だけこんな目にあわなくてはいけないのかと感じてしまう..
そして、こういうときに思うのは、人は無力であり、最後は助け合わなくてはいけないということだ...
昨日、SOのイベントがあったのだが、なかなか居場所がない彼らを救うことが出来るのも同じ人間である...施設コンフリクトで排除する事にエネルギーを注ぐのであれば、彼らにどういうサポートができるかということにエネルギーを注いで欲しいものである...
サポートしようとしても、必ずぶつかる壁は出てくる..だから、最初から壁はいらないのだ..
どうも疲れているとクライ話になりがちである..今週は学祭..若いエネルギーでももらって元気出すか...
近所のおやじ友達?のIさんの日記で..
佐世保小6女児事件の被害者の父親、御手洗恭二さん子どもである怜美さんに宛てた手記の中で
「子どものすべては理解できないと分かったうえで、理解する努力を続けてください。それぞれの家がそれぞれのやり方で」...と述べている。
これは、教育と言うよりは人としての生き方にかかわる言葉である...
障害児に対しても生徒に対しても学生に対しても、友人に対しても先輩に対しても..そして自然現象にたいしてもこの言葉は当てはまる...
すべてがそんなに簡単には理解できないのである...だから、ストレスが溜まるし、なかなか上手くいかない..そもそも上手くなんかいかないのである...世の中は...
しかし、理解できないから捨ててしまったらそれまでである..じゃあ、理解できる事を探そうか..なんて言っても簡単に理解できることは大したことではない...
理解しようとして苦しみ、失敗して、そしてまた考える..その連続である..
”障害者を理解してください”..真剣に理解しようとしない言葉である..そんな簡単な事ではない..
理解しなければ幸せに生きることができない状況に立たされて初めて、理解しようとするものだ..
なんか、最近の私は説教おやじになっているなあ..ストレス溜まっているのかなあ..
おやじの教育熱も高まってきたところで...
生徒に考える能力を与え、選択の幅を広げる...か? 考える隙を与えず、すべてを学ばせる...か?
中学高校で選択幅を広げ、好きな科目を取らせ、嫌な科目はとらない...という方向にきている...これが結局、学力低下を導く..
いずれにしても、生徒にプレッシャーがかからないと意味がないと感じる..それを乗り越えてこそ、意味がある..
選択の幅を増やすのは良いが、それなら評価を厳しくして必ず下から4割は落とす....ぐらいのことをやらないと、楽な科目を選択するだけである..科目間の差をなくすためにもそれぐらいの事をやらなければならない..
逆にそれくらいのことが、できないのであれば選択の幅を増やすことは教育の質の低下につながる...
おやじの古くさい感覚から感じるのは、それは多くの学校でできないと思う..なぜなら、評価を厳しくすれば落ちこぼれが激増し、授業が成立しないだけでなく、ドロップアウトする生徒が増えるからだ..
この方法で成功するのは国立大学ばりばり入学実績をもつお金持ち学校しかできない..だから公立では無理である..
だから、現実的には選択幅をなくし、5教科7科目(今は違うかも?)をしっかり学ばせる..嫌な科目でも面白くさせるのが教育である..
アラカルト方式は教育放棄の道へ進む...それを認識している現場教員は文科省のやり方に幻滅し、さらに教育意欲を低下させる..
ゆとり教育を主張している役人は、今、精神的にゆとりがない..間違いない!!!
今年は本当に台風が多い...
台風によって身内を亡くされたひと、家を奪われたひとの気持ちは一言では語れない..
首都圏でも台風は様々な影響を与えてきた...一番、影響受けるのは交通網である...これは停止すると家に帰れないからだ...昨日は多くの会社が早く社員を帰しただろう..
大学も休講になった...しかし、その分は補講だ...今年は台風補講だらけである...これは学生にとってうれしいのだろうか?
大学という組織も独立行政法人化され、今までのようにはいかない時代である..しかし、サービスを受ける学生の視点から改革をしないと、首を絞めることになる..
大学にとって台風の目が近づくのは2007年、全入時代...しかし、そのために行った改革が失敗すれば大きな爪あとを残す..
今わかっていることは、初等中等教育が失敗しているという事実である..それをどう改善するか、大学とどう連携するかという視点から改革をしなければ、ならない..
なんか、暗くなるおやじでした..
健康日本21って何?とか、ニュース読んでいたら、ここ4年間の間に肥満の人が急増し、厚生労働省が危機感を募らせているようだ...
以前は肥満と判定される人を”4人に1人”から”6人に1人”と数値目標立てていたようだが、それが4年後に”3人に1人”になってしまったというのだ...
そういえば、うちの大学でも新入生の糖尿病が増えているという...
これは厚生労働省と文部科学省との連携不足もあるとおもう..厚生労働省の数値目標をどう改善するかは、教育現場と深く関わるからだ...
学力は低下するし、体力は低下するし、肥満は増えるし...少子化の進行で1人1人のケアは上がるはずなのにむしろ、低下傾向にある..
一方で、喫煙者の割合は低下している...3割を切ったそうだ..肥満になるならないは個人の問題だろうって言うヒトがいるが、そうなら学力も同じである...だからそんな議論は無意味だ...
社会の機能がシステムなら、個人の能力もシステムである..人間をシステムと捉えて体の事、学力の事、心の事などをシステムとして良くしなくてはいけない....
健康日本21、数値目標って言うじゃない〜、でも実際は肥満だらけになっていますから〜残念...
肥満日本まっしぐら21..斬り...早く仕事しよ...
大昔、このテーマで書いたことがあったが、健忘症がひどく、すでに忘れている..再度、このテーマで書きたくなった..
京大総長が”わかる”とは何かという事を書いていた..
”50ヤードなので柔らかさが重要であった”を例に出している..
まず、ゴルフを全くやっていないひとには何のことかわからない.. 仮にわかったとしても、体の柔らかさとは何か?というのは、
”体験”してみなければわからないのである..とある.. つまり、体で理解するということだ..
このインテリおやじは、わかる過程は3段階あって、最初の段階は”言葉の理解”、次の段階は”言葉が示す対象世界の理解”、そして最後は”感覚の理解”であると述べている..
逆に考えれば、”経験していない人”は”本当にわかっていない人”とも考えられる..
今の教育が、いらない教育を切り落とし、必要なことのみを残していくことを目指しても、必要な教育がテストの点数を取るだけのものなら、結局、その内容の理解につながらないのではないか?
感覚とは、外部とのコミュニケーションだから、生物にはこれがないと成長しないのかもしれない..
高齢化社会、おやじも経験の時代である..どんなに老いても経験だけは誰にも負けない..といいたい(言えるかな??)
娘の誕生日だった..
まあ、良く大きくなったものである..親からみれば、まだ小さいときの思いでが強く残っている..
”パパへ かんしゃしています”なんて手紙で書くもんだから、うれしいのを通り越してうるうるもんである..
この言葉を次にもらうのは”結婚式”の時かと思うと、なおさら泣けてくる..
運動会といい、子どもの誕生日といい、子どもがいなければ体験しないイベントである...世の中には子どもが欲しくてもできない人も多いが、結婚を避けていたり、子どもをつくらない大人もすごく多い..
それぞれの生き方があり、否定は出来ないが、人として成長するためには様々なエネルギーの必要な経験を積む必要がある気がする..
子育てはエネルギーのかかる事だが、大人として成長するためには大事な経験である..お金がたくさんあり、かっこいい服や車を乗り回すことが大人ではないのである..
おやじは枯れるものだが、そこに栄養を与えてくれるのは子どもである..
娘にエネルギーをもらったおやじであった..
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