耳鳴りおやじの日記
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どうも私には論文の図を作るセンスがないなあとしみじみ感じることがある ...
論文を読んでいると、そういうセンスがない著者に出くわして、
”ほんま、だいじょうぶやろか?”と疑いたくもなることがある..
たいしたデータではないときに、センスのある図を出されると
”苦労しているなあ”と感じられるが..
重要なデータが出ているときに、センスのない図を出されると
”このデータ大丈夫やろか?”と、データそのものを疑うようになる..
どっちが好意的に受け止められるかは明白である...
センスのあるデータとはどんなデータかといえば、それは単純に焦点が絞られて、わかりやすい図と言うことになるか..
図を見ただけ、で単純な結論が伝わってくるそんな図がいいのだろう..
しかし、センスを磨くにはどうしたらよいのだろう...
図画工作のセンスが必要な気がする..だめだ..小学校からやりなおすか..
2004年11月12日(金) |
やっと風邪も回復.. |
なんか、書くことないので、しょうもない題名.. 何のために日記を書いているのかもわからない毎日だが、おやじの独り言..
来週、セミナーがある..自分の担当で読んでいるが、論文を読みこなし、人に説明するというのは何回やっても難しいものだ..
何が難しいか?これはいろいろある..
まず、内容が難しい..これはよくあることだ..データ、結論が明白であっても内容そのものが難しい時がある.. 2つめは、実験の解釈が難しい場合、実験を行った本人、論文を査読した人が甘くみると、何のためにこの実験を行ったのかが明白ではなくなる..
3つめは、結果の解釈が難しい..これは論文を書いている人の意図が見えない場合で内容が難しいということとは別の事である..
一般的に論文のグレードを示すインパクトファクターも、10以上ある論文に関しては当たりはずれがなく、新規性、データ、結果のバランスがよく、安心して読んでいられる気がする..
しかし、そんな論文を作るとなると話は別である..これはもっと難しい.. 難しいことは若者に任すというのが、おやじの役割かもなあ..
2004年11月11日(木) |
教育はどこへ向かうのか? |
嫁さんの知り合いのお母さんのお子さんは障害をもっている...
中学校に行けるかどうか、その学校に問い合わせたところ
”どうぞ、来られてください”という返事をもらって、気持ちよく通っていたら、校長と教頭がそっくり替わって、態度が逆転したそうだ..
最近の少子化と生徒獲得の激化で、私立が人気だそうだ..公立も生徒が集まらないと活性化しない..特に最近の義務教育費の問題が拍車をかけている..
多くの家族が望むこと..それは基礎学力をつけ、有名大学に合格させることだけである..それだけを目指せば、クラブ活動の切り捨て、障害児童の切り捨て、に進むことは自明の理である..
そのお母さんは最終的に養護学校を選択したそうだが、果たしてそれで良いのだろうか?
本当に親が養護学校を良いと思って通わせていないのならば、自分の子を養護学校に捨てたことになる..
これは、郊外の障害者施設に入所させる発想と類似する..うばすてやまの発想である..
なぜ、公的な機関が福祉を行わなければならないか..その意味を考えなくてはいけない..市場原理だと潰されるからだ..
風邪をひいていると、がんこおやじに変身してしまう..むむ
N先生が亡くなった.. 面識は全くなく、ただ有名な先生だということは知っている..
弟子のH先生が、N先生から教わって、座右の銘にしている言葉が
”何が知りたいのか?”
何かを知るために研究をしているのだが、意外にも研究をしているうちに”何を知りたいのか?”という視点を失うことがある..
これは論文を書くための研究になればなるほどその傾向が強くなるが、データをたくさん出してもそのデータの意味、全体的な位置、他のデータとの整合性みたいなものが乏しいと、その研究の視点がむしろぼやけてしまう..
自然科学系はデータ中心になるが、何が知りたいかという視点を甘くするとその後の苦労も報われない場合がある..
N先生はまた、時代の流行に流されず、物事の本質を研究する重要性を説いていたようだ..
成功したから言えるのだ、といってしまえばそれまでだ..世の中には研究をしているふりをしている人が山ほどいる(私もそうだが)
頑固一徹おやじ研究者が求められるかもしれない..(風邪でしんどい)
2004年11月08日(月) |
新撰組もそろそろ終わり.. |
大変な時代である...
現代ではなく、幕末の話である..
ドラマ新撰組の話はほとんど推測かもしれないが、その時代の若者が、今の若者よりも真剣に生きていたという事実は真実だろう..話がこじれたりしただけでも、切り捨てられた時代である..
”武士以上に武士になりたい”という近藤勇の気持ちが、新撰組を維持させていたのかもしれない..だから、何が正しいかという判断は甘かったのかもしれない..しかし、それを彼は経験で補ってきた..
苦しみが彼を成長させ、強くしている(という演出だが)..
だから、派閥を嫌い、戦を避けている(という演出だが)..
新撰組が今の日本を見たらなんて言うだろう...自分たちの死はこういう現代を生み出すために必要だったか、なんて思うかなあ..
様々な価値観が飛び交い、混沌としていた幕末..また、そんな時代がやってきそうである..
去年の今頃というのは、論文を書いていたなあと思い出した..
論文というのは書ける時と書けない時がある..
ただ、止まってしまっても、一晩寝ると、不思議なことにまた書けてしまう..頭の中で何が起きているのか?
いつでも時間があると思うと人はなかなか集中できない..気がする.. 締め切りがあり、雑用がそこそこある方が時間的制約を受け、集中できる気がする..
しかし、今の時期はあまりに書類が多く、なかなか実験に入れない...まあ、それでもなんとかなりそうだが..
ぼちぼち行きます..無理せず..おやじですから..
昨日は、近所の方とBBQ...
相手の家族がバーベキューを一回もやったとこがない家族だったので、 すべてこちらで準備して行った..
だだ広い河川敷で行うのは、なかなか良くて、子供たちは大喜び...
その後、近くの大学の学祭へ..盛り上がっていましたねえ..
そして、帰ってきてダウン....それだけの1日....
おやじは思いでつくりで必死です..
最近の疲労に追い打ちをかけるような疲労..何しているんだか..
日本は平和である..ありがたいことだ..
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