耳鳴りおやじの日記
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昨日はミニ忘年会だった..
そして、その場所はカウンターが主な席の居酒屋だった..
カウンターの先に見えるのは料理をするおやじとおばさんだけだ..店内にはテレビがおいてあり、主におやじがひとりで訪れてテレビを見ながら一杯飲むタイプの”おやじバー”である..
去年も千葉でこのような居酒屋に行ったが、日本全国津々浦々、こういうタイプの居酒屋は存在するし、長く続いている気がする..
その空間は若者のバカ騒ぎがないせいか、不思議と静かであり、とても居心地がよい..
また、全体的に余裕がある..この余裕はどこからくるのかと考えていたら、そうかこの店は多くの部分が調理場で客の座る場所がむしろちいさいのだと感じた..また、調理場が目の前なので注文しやすく、また調理をしている人が直接渡すので極めて”温かい”のである..
こういうところは”たそがれおやじ”にはぴったりである..全国にこのおやじバーをもっとひろげたいものだ!
昨日懇談会があったそうだ..
次男が、算数、国語..図工、体育に至るまですべての評価がAだそうだ..
A評価をもらえる児童はクラスで人数が決まっているため、だれでももらえる評価でないうえに、小学校も地元では有名な教育校なので、全体的に学習意欲が高い...
担任の先生曰く”当学校では異例です!”
..しかし、なんであいつは私と違って勉強が好きなんだろうと思うことがある..朝、6時起きでドリルをやるやつなんか、今時いるかあ?
家でも勉強をやれなんて言ってきた覚えはないし、むしろ、ええかげんにやれとからかっていたのに...
しかし、おやじとしてはうれしいかぎりだ...男は文武両道、サムライ精神を持つのが日本男児の基本だ!(女は雅が日本の基本!)
息子の成長と共に枯れゆくおやじ..枯れまいと焦るおやじだが空回りするばかり..そこで一句!
息子自慢 枯れゆくおやじの 虚しさか...
2004年12月20日(月) |
世界で一番おいしいクッキー.. |
子供たちが、24日にサンタさんのためにクッキーをつくるそうだ..
いつもお世話になっているかららしいが、おやじとしてはかわいくてしょうがない..
24日、こどもが寝静まってから食べるクッキーはさぞかしおいしいのだろう...おそらく、私が今まで食べるクッキーで一番美味しいに違いない..
今日はおもちゃを買いに行こうか...この時期、忘年会とクリスマス、学位発表会などでばたばた忙しい...
どうでもいいけど、年末固めないで欲しい物だ..
用事で東大のA教授にメールを書いたら、深夜0時過ぎに戻ってきた..一体、あのおばさん、遅くまでなにやっているのか?
忙しいだけでなく、たまにはひとかけらのクッキーで幸せになることもあるんですよと言いたいもんだ..
実は大学でクリスマスのためにケーキ準備していたりして..そんなことないか..
T先生は私にとって重要な存在である... その先生と昨日は忘年会を行った..
私が分子の世界に入るきっかけを生んでくれた先生である..
”君は若い頃の私に似ている”と声をかけてくれたことを今でも覚えている..
T先生が就職した年齢が今の私の年齢だ..T先生は全くスタッフがいない、実験器具もないところからスタートしている..
T先生もすぐに教授になったものの、その後の苦労は大変なものだったと感じる..すべての会議に出席しているからだ..
いくら研究能力が高くても、1人ですべての事をこなすのは困難に近い..しかし、それをうまくやりくりして、今年度はすばらしい国際誌に載せることに成功している..
まだまだ、おやじとして壁にぶちあたり、乗り越えていかなければならないが、T先生のように教育と研究のバランスがとれた”バランスおやじ”に改造していきたいものである..
おやじ改造計画は、まだまだスタートしたばかりだ..
私の師匠のK先生は、一週間のある時間、図書館にこもっていた..
大学院生である私は、なぜそんな時間を持たなければいけないかと思ったものだが、最近、その気持ちがわかる...
昨日も日頃の雑用から逃れて、実験に没頭していると、いろいろな事が頭を駆けめぐる...
最近はインターネットという恐ろしいツールがあり、世界のどこにいても キーワードで拾ってくるので、思いついたアイデアをサーチすると目的に近いサイトがヒットする..
世界には、やはり同じ事を考える人がいるもので、極めて重要な論文を見つけてしまった..感動のあまり、心拍数がマックスに達しそうだった..
考え、共有し、具現化する..
これこそ、人間の高尚な活動である...そういう環境にあることを感謝したい..
...しかし、具現化できる体力はあるのか...この枯れ葉おやじに..ふー
日本全国で、先生のセクハラ等の問題が多発している...
私も教員の一人だが、教員というのは結構辛い仕事だと思う..一番辛いのは”教師づら”をしなければならないことだ...
先生である前に、ひとりの人間であるはずなのだから、一般的に言われる聖職者よばわりされるのは、おそらく多くの先生にとって負担になっているに違いない..
昔の大教授は女の1人2人ぐらいは囲っていたのが普通で、生徒や学生がいけないようなお遊び場所にもいけるだけの金も持っていたと聞いたことがある..
要するに”特別な存在”だったのである..しかし、今は聖職者よばわりされるわりに給料も安いし、業務も、責任も多い気がする..なぜか、予備校の先生は聖職者とは呼ばれないし...(関係ないか)
最近特に感じるのは、聖職者と呼ばれるように成長するのが教員の仕事だということだ..だから、他人に言われる筋合いはないし、もし、言われるのなら、自分が教えた生徒であり、学生からというのが本来の姿である..
なんてことを考えても、私は所詮おやじである..おやじとして学生に接するのみである..学生から”おやじ!先生ジャン(東京弁)”と言われるのが夢だ..教員、老いやすく、聖職者なり難し..
新撰組に続き、メダカ終了..
心温まる教育ドラマだった..
話はおいといて、こういう当たり前のドラマって求められているのかもしれない..
たぶん、こういう結末で生徒と泣いて終わるんだろうなあというそのままの最終回に安心感を感じるのではないか..
教育現場がうまくいっていないからこそ、あたりまえの教育現場が求められる..そんなドラマだった..
いつも大学生を相手にしていると、怒りたい心境にかられることがあるが、こんなドラマをみるとそんな気も失せてくる..
彼らは”かまって欲しい”だけなのだ..
そして、不安を抱え、何かに強力に支えられたいという意識を持っているようにも思える..要するに子供なのである..
不思議な事に”大学生”ではなく”子供”と思うと、”かわいく”思えてくるのである...
はあ〜そう思えるようになったら、完璧なおやじである..どうしよう..
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