耳鳴りおやじの日記
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ぎょうざおやじってギョウザ耳をしているおやじではありません..ギョウザを売っているおやじのことです..
近所で最近お世話になっているギョウザ専門店..とてもおいしいギョウザを売っている...
その店は客とのコミュニケーションを大事にしている気がする..ギョウザが美味しいのはもちろんのこと、店長であるギョウザおやじがなかなか、おいしい奴なのだ..
たとえば、ギョウザ以外のメニューが変..この変なメニューから話が弾み、コミュニケーションが深まる..ギョウザおやじもなかなか寂しがりやなのかもしれない..
昔、別のギョウザ専門店に行ったことがことがあるが、そこでは目の前で若い店員が黙々とギョウザを作っていた..それはそれで良いのだが、なんか、苦労して丁寧に包んでいるのをさっさと食べるのは気が引ける..
ぎょうざおやじは、ギョウザしか焼けないらしいが、その仕事ぶりにはなんか妬けてしまう..
リストラされたら、私もぎょうざおやじに変身しようか..
最近の大学はとうとう、教員の使い回しを始めたらしい..
うわさによると、文系の先生が体育の授業をしているというのだ..
経営状況の悪化で、科目開講数が減少、人事凍結..体育の授業はだれでもできるから、授業科目数の少ない文系教員が行っている..
こうなってくると、もはや、首を切られないほうが幸せに思えてくる..
大変な世の中である..いよいよ、大学極寒の時代が到来してきた..
その科目で必要な人材というより、その大学で必要な人材しか残らない..
明日は我が身である..やめさせられたら、何しようか?フリータになろうか..フリーターおやじか..寂しい..
気合いだ、気合いだ、気合いだーっが流行である(そうか?)
気合いといえば、師匠のS教授の気合いは凄い!いきなり、論文紹介で学生を凌ぐ気合いの入った論文紹介..それも難解..私も全く理解できなかった..定年間近の古親父の気合いには本当に参った..
まだまだ、気合いを入れて研究に励まなくては..情けない..
そして、夜には大学の部活動懇談会..顧問同士、親睦を深めましょうということらしいが、直接、部活動をみているおやじ教員などほとんどいない..要するに
”部活動の話題を軸に教員の親睦を深めましょう会”...
”軸に”がポイントで直接見ていない以上、他の話題にならざるを得ないわけである..
T先生も政治活動に忙しいのは良いが、I先生に酒を飲ませず、帰りは送らせている...
”I先生、ひとりでどうぞ、お帰り下さい”と言えば良かった..
帰りを気にせず、気合いをいれて飲みたいのだろうか..
気合いを入れる方向がずれると、なんか情けない..I先生も災難である..
どうやら、大学人の職階が、教授、准教授、助教、助手になるそうだ..これで一体、何が変わるのだろう..
世の中、ほんとにどうでもいいことが多いが、その中でも若いうちから大学人なのに政治的に動きたがる人がいる..
私も若くはないが、政治的な話を聞いたり、人間関係を使ってどうのとか言う話を聞くと、本当にうんざりする..若くしてこういう政治的な事に興味があり、精力的に動く人は、純粋な意味で研究者ではないのだろう..
最近、仕事で人事要求するときも、その政治的な駆け引きをしなくてはいけない場面がある..これはとても疲れるのである..
こんな疲れることを若いうちから好きこのんで、精力的にやっておられる先生方の気が知れない..
どうせ、同じ悩むのなら実験がうまくいかないとか、データがでないとかで悩んだ方がよっぽどいいし、そうでなくてはいけない気がする..
まだまだ、若おやじの戦いは続きそうである..T先生のように教授になりたいひとは、学部長とゴルフでもやってください..
私にはどうでもいいことである..
どうも、大人になるとすべてを知っている気になるが、実は辿り着いていない自分がいるのだろう..
そこに辿り着くには、机上の知識ではなく、多くの経験が必要な気がする..それも、簡単にはできない経験をすることかもしれない..
あるニュースキャスターが”多くの修羅場を見て、人生感が変わった”と言っていたが、”人間の力”ではどうしょうもないこと、を経験することも必要かもしれない...
また、一歩踏み込めないところに踏みこむチャレンジ、そこには多くの苦痛や苦労があるかもしれないが、それを克服することで辿り着くところがある気がする..
おやじといえども、チャレンジ精神は持とう!そして、
知らないおやじワールドへ!(???)
その時、私は家族と狭い部屋に寝ていた...そして、激しい揺れで目を覚まし、窓を開けた..今から10年前の事である..
まだ、小さな長男しか、家族がおらず、嫁さんも育児で疲れ果てていた時期..それでも、”その時”に命を失わなかっただけ、幸せに感じなくてはいけない..6000人の方が命を落としているのだ..
身内を失った家族は、さまざまな思いがあるだろうが、10年立てば失った生きる力を取り戻しているだろう..生きる力は回復するのだ..
生きる力が回復する人たちもいれば、生きる力が育たない子供たちもいる..
百マス計算で有名な蔭山校長が主張するのは”学力は生きる力”だと..
そして、教育改革は社会改革だ..と..
学力の低下は生活習慣の乱れによる生きる力の低下だと主張し、早寝早起き朝ご飯を提唱する..朝1時間目から読み書き計算をしっかり、行わせる..学力だけでなく、体力も向上するそうだ..
生きる力が育ち、成長すれば様々な壁にも立ち向かう気力も生まれるという物だ...
年とともに低下する生きる力..朝から百マス計算でもやるか..
ある掲示板をみていたら、結構博士崩れの人が多い事を知った..
国の政策失敗で、多くのポスドクがあふれかえっている...今の時代、博士を取ることよりも、就職を考えた方が良いのかもしれない..
博士崩れになると、研究意欲がなくなる..
研究意欲がなくなると、研究しなくなり、たまに研究するそうだ..
つまり、息抜きが研究らしい..辛いことだ...
こういう時代をどうすれば良いのだろうか?
やはり、研究に対する意識を変えた方が良いのではないだろうか?
つまり、”研究では飯は食えない”という意識である..
未だに研究業績をあげれば、給料があがると勘違いしている大学教員が多すぎる..大学の給料は教育に対する対価である..
好きな研究はいつでもできるが、就職できなければ研究すらできなくなる..就職というのが最大の課題である..
枯れおやじも、現状を認識し、気を引き締めてがんばらなくては!
世の中、そんなに甘くないのである..
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