耳鳴りおやじの日記
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2005年03月07日(月) |
”意”を生み出すもの |
ヒトの意欲というのは、実はかなり社会的なものなのではないかと感じることがある..
...たとえば、仕事の意欲を考えてみると、その原動力は、自分自身が行いたいという意識以外に、同僚には負けたくない、頑張って見返してやる、家族のためにがんばろう、みたいなものがかなりのウエイトを占めているのではと思ったりする..
...そういう”意”の原動力を作ってくれて、自分を生かしてくれる存在はすごく大切にしたいと思う...
...”意”を持つことができても、それを持ち続けるためには自分自身の存在だけでは弱い気がする...
...その中でも、子供の存在は非常に大きい..と思いません?世の中の親父さんたち..だから、子供を持つことは仕事を進めるために邪魔な存在ではなく、長期的にみると、自分を生かしてくれる存在なんでしょう..
...最近、元気なおやじたちが少ないけど、これって少子化に関係しているんじゃないかなあ?おやじにとって子供の存在ってすごく大きいと思う..
...それってわしだけじゃろうか(広島風)
2005年03月06日(日) |
...授業料ただって |
...各大学で上位何名かは授業料をただにするらしい...
...無料になるのは誰もうれしい..が、ほんとに良いのだろうか?
...要するに能力給みたいなものである...入学金がタダになるならまだしも、授業料をタダにするのは、どうかなあ..そもそも私立の金って授業料などで得ているわけだから、賢い奴に勉強できない奴が金を組織的に貢いでいるみたいなもんだ..
...たとえば、もし、自分の友達が授業料を払っていなかったら、どういう気持ちになるだろうか?どの家も子供のために教育費を捻出している時に、その格差は大きいのではないか?
...大学がだんだん、優秀な学生を獲得するためにモラルハザード状態になりつつある...手段を選ばない仁義なき戦いに突入しつつある..
...教員もそんな時代がくるのか..優秀な助手が、ボーナス10倍、しょぼくれ教授がボーナス無し..で..
”教授、金がないならおごりましょうか”って..多くの人は嫌だろうなあ(でも私はラッキーと思う..せこい)
卒業生が、”まわらないすしにつれていってくださいよう...”
しょうがないので、近くの高級すしやへ...金が飛んだ....
...よく考えれば、昔から物欲はないのだが、人欲はあるなあと感じる..特にいろいろなひととだらだらしゃべるのが好きなのである..
...だらだらしゃべる場所といえば、飲み屋だから、結局、そこにお金を使ってしまう...
...若い学生さんと言っても、全員研究者の卵だから、がんばって欲しいと思う..そして成功したら、このしょぼくれおやじを雇ってくれ..
がんばれ!卒業生!そして、おいしいところに連れて行ってくれ..
2005年03月04日(金) |
研究者データベースから見える大学事情 |
研究者データベースなるものがあり、このデータベースで遊ぶと面白いことがわかる..
まず、大学、特に私立は、その大学出身者が多いということだ...これは、採用した大学出身者が、多いとも考えられるが、外の大学に移らなかった(移れなかった)とも考えられる..
...面白いのが、その傾向がだんだん崩れていること、そしてそれが学部単位で起きていることである..つまり、出身校にこだわらず、優秀な人材を採用する傾向が新しい学部で見られることだ..
...少子化で地方の公立大学にいるくらいなら、都市部の私立に移ろうとする教授は多いだろう..この人たちが都市部にできる新学部に移ろうとするのかもしれない..
...もはや私立と言えども学閥の時代ではないのかもしれない..
...また、学問の発達が縦割りから横割りの学際領域に発展しているため、学問領域という枠も崩れつつある..おまけに任期制が導入され、流動性が高まっている..
...”学閥”という言葉は、すでに水面下では”死語”になりつつあるのかもしれない..
...あ、私も学閥採用かも..やばい..
2005年03月02日(水) |
4人の子供、妻を残して.. |
プロサーファーの飯島さんが逝った..38才だったそうだ...
...ガンは誰でもかかる病気だ..と言われても本人の苦しみ、そして親として子供の成長を見ることの出来ない辛さ..そしてこれから子供を育て生きていかなければならない妻の寂しさ..
..昔、”今を生きる”という映画があったが、飯島さんも今を生きて来たんだろう..そして、今を生きることに幸せを感じていたに違いない..
...こういう話があると人生は短いと感じ、1日を大切にして頑張ろうと思う..
...家族を持ち、おやじになれる幸せを感じるべき何だろうなあ..
...ありがたや、ありがたや...
2005年03月01日(火) |
3月になってしまった.. |
いつのまにやら3月..もう春の気分になりかけである..
今週末は卒論発表会..4年生といえどもデータを分析し、解釈し、議論する機会を多く持つことは重要である..
...その過程を通じて、研究の奥深さを知ったりするものだが、世の中にはその過程を知らないで大教授になる政治家も多くおられる..教授といえども千差万別である..
...教授になるためには実はまともな論文はいらない..まともじゃない論文ってあるのって思うかもしれないが、”紀要”というのがそれである..
”紀要”の価値を認める先生も確かにおられる..が、論文というのは実はただのレポートである..大事なのはそのレポートに対して外部の目が入り、厳しく批判されることで研究レベルが向上するところに意味がある.. ..だから、論文を書くことはあまり意味がなく、”紀要”のようにほぼ内部の関係者が査読してほとんど受理されるものは、”意味がない”
...だから、”紀要”にだして受理されるより、権威ある学術雑誌にだして、”あんたの論文はこれこれこんなにひどいから受け取れない”と言われ、”なんでやねん”と考え、”どうすりゃええねん”と悩み、”ほなこうしましょか”と試行錯誤を繰り返す過程に意味がある..
...なんて、言ってもこれからまだまだ研究を続けるおやじ..渋い研究おやじに成長したいものである..
今日の新聞で進行性筋ジス患者の社長の言葉...
”失われたものを数えるのではなく、残されたものを120%使えば生き残れるはず”
よく、失ってはじめて得るものがあるというが、皮肉なものでそういう状況にならないと人間は自分の力に気がつかない場合が多い..
...だから、自分に能力がないとか、頭が悪いとか、仕事ができないとか、女や男にもてないとか、生きている資格がないとか、悲観的な事を考える場合があるけど、そんなことを考えても自分の能力は引き出せない気がする..
..まして、人のことをどうのこうの言ったところで何の意味もない気がする..
..高い目標に向かって余裕がない状況に追い込み、それをひとつひとつ乗り越える過程でヒトは人間に進化できるんじゃないかなあ..
..最近の私は酒飲みおやじ...サルおやじに退化してる..反省!
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