ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL】
05/16/03 旅行記のグランドキャニオン(南と北)、フォーコーナーズ、ニューメキシコ州(北部と中部タオス、サンタフェ、アルバカーキー)
04/27/03 写真館の1997アメリカ横断の旅
04/27/03 旅行記の1997アメリカ横断の旅
04/02/03 033103 Poppy field forever ケシの花
03/31/03 032103 anti-war/戦争反対デモ
03/15/03 生活のハンバーガー部門を
- 2002年08月19日(月) 妹が帰国する =My sister went back to home=
いやいや、早いもので、もう妹が来てから三週間が経った。
夏の学期の最後の週に来たんだよね。自分は、試験で、はーはー言っていたよ。(笑)
その試験が終わり、旅行に行ってそして、もう一週。
あっというまだね。
ノンビリしたいといっていた妹だから、旅行から帰ってきてからは、午後一時まで寝ていたりしていたよ。
そういえば、先週の金曜日によめさんとゲッティー美術館 Getty Museumに行って来てえらく感動していたな。
まあ、しばらく寂しくなるわな。
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よめさんの友達のだんなが、自分と気があう。
中華系カナダ人のDR. Gだ。
とても真面目で、働きもの。
カイロプラティックの先生なんだ。カマを五年前程に掘られて、その後遺症で未だに首が痛い。それを面倒見てもらっている。
その彼には、「アメリカに合法滞在する」という大きな問題があった。
その問題が浮上していたのは、約一年半前。それは、アメリカに一時滞在するものにとって、いつ出てきてもおかしくない問題だ。
兎に角、彼は、本国カナダになる米国大使館に行く為に月曜日の早朝二時の飛行機に乗った。
彼と同じ問題を抱えて、アメリカに帰ってこれなかった友達もいる。彼は、多分大丈夫だろう。なぜなら、彼は、カナダに帰る前に移民専門の弁護士に会って話しをしたから。
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その弁護士は、自分達もお世話になった。その弁護士が、取れると言えば必ずとれる。しかし、取れない。と言ったら、人生の分岐点ということだ。日本に帰るか、不法滞在のまま、法的制限や人権侵害を受けながらアメリカに残って生活をするかの二つに一つである。
この弁護士は、頼りになるよ。
「取れる」か、「取れない」と一番最初に会ったときにはっきりという。
できるかどうか分からないけど、やってみる。多分、二、三年年後に答えは、でる。$2000ドルの頭金を払って、取れるようだったら、さらに$2000ドル。
と、いうような話しは、ない。
出来るか、出来ないか。
お金を払って、損するか?しないか?
弁護士に会って、時間が有益か?勿体無くないか?
全ての答えは、二つのうちの前のほうである。
そんな風に人の評価を言えることは、なかなか少ない。
自分の友達も面倒みてもらった。
一人は、はっきり断られた。(それは、それで残念だけど、お金は、損していない。これは、移民専門弁護士では、珍しい!)
だけど、他の人たちは問題なく、合法滞在している。
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DR. G 無事に帰ってきておくれよ!
- 2002年08月16日(金) 再び、カリフォルニア ロール ファクトリー =California Roll Factory again=
なんと言っても、夏休みである。
予ねてから約束をしていた男がいる。
その約束とは、釣りに行くことである。
例のVentura City Pear ベンチュラ市の桟橋に行くのだ。
ところが、今日は、朝から薄曇。あれれ、霧雨も降っているよ。
旅行から帰ってきてから、午前中は、このような曇り空が続いている。
夏も終わりかな?
ガソリンを入れて、お迎えに行くと
すでに、その男、Wは、家の前で待っていた。
晴れるといいね。が朝の挨拶代わりになった。
I-405を北に向う。Valleyで、101Nに乗り換える。
山をいくつか越えると、左手にアウトレットが見えてくる。
そのアウトレットを越えて約30分。
ベンチュラ市に到着する。
いつものVONS(スーパーマーケット)で、
えさの子海老とイカを買う。
生で、調理していないものが釣りのえさとして必要なんだよね。
そして、桟橋の駐車場に到着。
なにかおかしい。駐車場が一杯なのだ。
何か催し物があるようだ。
桟橋の周りを泳ぐ中高生くらいの男女の姿が見える。
まあ、そんなに長い時間掛からないだろうから、
ここにて釣りをしましょう。ということになった。
まあ、寒いよ。
凪始めているし、上着を忘れた。
桟橋を泳いでいた若い衆は、もう陸にあがったようだ。
自分達の周りでは、さばか、あじの回遊魚をつっているようだ。
残念ながら、底釣り用のしかけしかない。
今度は、サビキ仕掛けを用意しようかな。
結局、晴れたのは、二時以降。
釣果は、カサゴ二匹、かに一匹、キングフィッシュ四匹、
タイガーシャークの小さいのを一匹。
五時ごろまでの二時間に二人とも全く釣れなかった。
よって、帰ることにした。
この結果は、多分、海温が低かったので、魚の食いが悪かったと思う。
海温が一度下がれば、陸の気温は、三度下がるだよね。
秋になるんだな〜と思いました。
本当は、その獲物を料理して、Wと一杯といいたいところだが、
妹が来ている関係で、失礼をさせてもらいました。
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さて、妹も、来週の月曜日に帰る。
いろいろ料理もしてくれたり、身の回りのことをしてくれたので、
ろうを労わなければと、よめさんと相談した。
そしたらば、カリフォルニア ロール ファクトリーに行こうということになった。妹は、料理の修業をしている。そして、本場のカリフォルニア ロールを食べたことがない。
まあ、驚いていたね。
こんなものを巻くなんて。。。
その驚いている顔に満足した自分達二人。
で、みんなご機嫌になった。
ここのお店に行くと必ず、カウンターに座り、ラテン系のおにいちゃんに握ってもらうことにしている。
邪道かな?
まず、日本人の板前に話しを聞かれたくない。
LAの日本人は、うざったい時もある。
そして、自分達がそのラテン系のおにいちゃんの握った、巻いたすしを食べれば、自信もつくだろうと思った。
和食は、日本人だけのものじゃないよ。
美味しい料理は、世界どこに行っても美味しいはず。
そして、誰が作っても。。。
例えば、日本人は、麺類が好きだね。
イタリア人が、納豆スパをみたら、どう思う?
明太子スパをみたらどう思う?
イタリア人は、そんな日本人がつくったへんなパスタは、食べれないっていう?
確かに、日本食は、四季が演出し、食べ物の味を生かしたものが多い。
だけど、日本人以外だって、和食は、作れるよね。
このおにいちゃんの握った、巻いたすしは、おいしいよ。(^O^)
- 2002年08月15日(木) マイケル デンバー =Michael Denvir=
今晩は、友達のライブにお出かけしました。
友達は、歌手を目指しています。
どのように知り合ったかというと、SMCで知り合いました。
同じ授業を取った仲間です。
CIS52 フロントページで一緒に勉強しました。
よめさんをロサンジェルスのダウンタウンでお迎えして、
軽く食べてから、ライブハウスへ。。。という段取りでした。
軽く食べた場所は、tommy's hamburger というLAでも有名なハンバーガー屋です。
妹があと三日を残すのみとなってしまいましたので、
それでは、旅行中も大して食べなかったハンバーガーを食べるべーよ
と、行きました。
チリソースがかかっているこのハンバーガーは、食べるにの一苦労しますが、
一度食べたら止められません。
ハラペニョをかじりながら、食べるハンバーガーは、このトミーズに限ります。
妹は、大変喜んでいました。
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今夜のマイケルデンバーは、
サークル オブ ソングスという企画の一部で歌って演奏をしていました。
四人が、同時に並んで舞台の上に上がっていて、
順繰りに歌と演奏を披露するものです。
約一時間に渡り、一人三曲つづ演奏しました。
出演者は、女性が一人、男性が三人。
マイケル以外は、フォークソングでした。
マイケル一人だけがロック。
以前は、フォークをやっていて、ハーモニカを弾きながら、ギターを弾いたりしていたんだけど、
今回は、ロックに挑戦。
マイケル以外は、そのアーチストの色がとても単調だった。
つまり、Aという歌手が演奏する度に、同じ歌に聞こえてしまう。
だけど、マイケルは、違った。
音域(オクターブ)は、そんなに持っていないけど、
メロディーなどは、違う音楽を三曲演奏したのは、
素晴らしい。
よめさんも、妹もライブを見て喜んでいた。
また、行きたいね。
頑張れ、マイケル デンバー