ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL

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2003年05月21日(水) ニューオリンズに失望した夜 =Disappointed in New Orleans=

08:00 起床
09:30 出発 I-10/I-45
09:50 NASA着
12:30 NASA発
14:30 Houston 発
17:00給油休憩
20:00 New Orleans, LA着
20:20 Sheraton New Orleans着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

夕べは、いい今回の旅行で、初めて大都市に泊まった。
泊まったホテルは、ウェスティンなので、非常によかった。

今回は、旅程がはっきりしていたので、
I-10を通り、I-75に乗り換えて、フロリダ州のマイアミまで、
そして、キーウェストに寄って、そのまま、ニューヨークまで。

よって、大都市では、モーテルを探すのも面度臭かったので、
自分の働いている系列のホテルを従業員割引で取っておいた。

大正解。

朝起きて、コンシアージにNASAのことを聞いた。
そして、出発手続きをした際、黒人の係りの人がいたので、
今回の旅行で心配していることを聞いた。

それは、ミッシッシッピ州とアラバマ州のこと。
それらの州は、以前、人種差別が、公然と行われていた。

アラバマ州から、マーチン・ルーサー・キングやマルコムXを始めとした、
公民権運動が始まったところだ。

彼は、隣のルイジアナ州から来ていた。
彼には、親類が、アラバマ州にいた。

自分たちは、このあたり(アラバマ州の地図を指して、I-40のあたり)を
訪れる予定なんだけど、大丈夫かな?
なにが?
肌の色。
I-10からなるべく離れないほうが、いいよ。
わかった。

自分は、この旅行に出発する前に、アメリカ白人に聞いてみた。
その辺は、大丈夫かな? 南部は、大丈夫かな?
その返事は、
なにか起こるかもしれないね。(It may happen. Maybe ok.)

ろさんじぇるすは、大丈夫と、日本の友達に聞かれたら、
大丈夫と言える。
なんで、自分の問いに誰もが大丈夫と言えないのだろうか?
不安が、心の中にあった。

とりあえず、彼の言葉は、心の中に、一縷の希望を持たせてくれた。

とにかく、今日の目的は、NASAである。
O氏は、空関係の免許は、ないだけで、
海、陸関係の免許は、持っている。

それでも、首都ワシントンにあるスミソニアン博物館が好きというだけあって、
I-20から、I-10に移動して、NASAのあるヒューストンに寄った。

NASAに着いた、驚いた。
遊園地みたいな入り口。

そして、建物の中に入ると、まさに、遊園地の施設みたいだった。

ここは、本当のNASAじゃないんじゃないか?
と、O氏が聞いたほど、自分も信じられなかった。
兎に角、目玉のトラムツアーに乗る。

アポロ時代の宇宙ロケットが、見える。
それには、しっかりと、UNITED STATESと書いてある。

やっぱり、ここは、NASAですよ。

そして、アポロ時代に使用していたという、
管制室にも入った。
ユニバーサルスタジオよりも、見劣りする。
宇宙飛行士が訓練するいろいろ装置のある建物などに入った。

なんか、はっきりしない。

結局、納得しないまま、子供だましを見せられたまま、
NASAの見学は、終わった。
スペースシャトルが降りてくる滑走路は、どこなのか?
展示してあるスペースシャトルは、本物なのか?
(実際、チャレンジャーとコロンビアは、事故のために機体は、ないと思われる。)

ディスカバリー、アトランティス、エンデバーのみ現存。
さらに、先出のスミソニアン博物館にも、展示しないといけないので、
シャトルの実物は、展示が不可能と思われる。
資料:http://spaceboy.nasda.go.jp/note/yujin/j/yuj_j.html

ピラフとサラダとマッシュポテトで昼にした。

この街にも、単車の部品があるという情報を得たが、
それは、年式が違うために、却下。
また、単車のスクラップ場に、行ったものの、
本体から部品をばらしていて、保管している。

しかし、その保管している部品は、メーカーごとに分別されていないので、
それらしい単車の部品も見つけても、購入出来ない。
また、O氏が、求めている単車およびその部品は、1970年代のものなので、
店員もそれらに詳しくない。
困った。

でも、それらしい部品をその店で見つかったので、よしとしよう。
と、思い込んだ。

給油をしてから、本来の旅程のI-10を東に進む。
この街にも、大きなクレーンがあったな。
蒸すって、こういうことをいうんだ。って、はっきり分かった。
アリゾナ州よりも、気温が低いのに、
とは、いうけど、27度。
だけど、汗は、ダクダクとでてくる。

ルイジアナ州に入ったのは、何時だったか、不明だ。
I-10は、ルイジアナ州に入ってから、湿地帯を走ったことは、確かだ。
州境を超えると、そこには、ルイジアナ州州警察のパトカーが、
ねずみとりをよくしていた。
これでもかと、いうくらい、自分たちの走っている東行き、そして、
反対車線に、張っていて、捕まっているのもいた。
テキサス州の警察よりもよく仕事をするな ̄。

湖に架かる長い橋というか、それを何度も渡った。
それと印象的だったのは、高速道路の左右は、林だった。
今までは、基本的には、砂漠の州を走っていた。
だから、余計新鮮だった。

ルイジアナの最低地点は、なんとニューオリンズの-5mだ。
つまり、0m地帯だ。

アリゾナ州は、海がない。
テキサス州は、メキシコ湾に接しているので、
最低地点は、海抜0m

また、雨雲が空を覆う。
雨に襲われる旅行だな。(笑)

昨日に引き続き、今晩泊まる宿は、
社員割り引きで取ったSheraton New Orleansだ。

都会にあるので、例に漏れず、迷ってしまった。
また、迷った際、給油をして行こうということになった。

驚いた。白人は、誰もいない。
暗い感じの街のガソリンスタンド。
店員だけが、白人。

もし、ここが、LAだったら、ヤバイ!

自分が、給油を始めた時、O氏は、ガソリンスタンドの中にある店に入っていった。
本当は、何が起こるかわからないので、ついて行きたい。
しかし、自分は、給油を始めているので、動くに動けない。

無事に、O氏が車に戻ってきた。
よかった。

兎に角、ここから離れよう。

宿泊手続きをして、部屋に入るとすぐに、
O氏は、先程、ガソリンスタンドで、危険な思いをして買った(笑)
ビールとO氏の好きなビーフジャッキーを振る舞ってくれた。

1パイントを二缶空けたところで、夜の街に、繰り出した。
ホテル付近で、ジャズサックスを聞いたからだった。
それは、とてもいい兆強だ。ジャズの街、ニューオリンズを楽しめる予感だ。

宵の口だから、街中には、人が歩いていた。
しかし、歩くときに、時々、後ろを見る癖は、直らない。
安全そうな街だ。

最初は、ホテルの人のお勧めの黒人音楽の殿堂のHouse of Bluesに行った。
しかし、そこは、ロックを演奏する予定と聞いた。残念!

よって、ニューオリンズ一の繁華街、バーボン通りに目的地を変えた。
観光客でごった返していた。

どうやら、精神科医の学会が、当地で行われているらしい。
ホテルの従業員は、黒人が多かったが、ここいらを歩いている人達は、
白人が多い。

結局、自分達は、このニューオリンズでジャズを聞くことが出来なかった。
街を歩いていても、クラブから流れるロックのみ。

生演奏は、あまり見られなかった。
ソウルを演奏しているバンドが二店だった。
ジャズは、ない。

明けて、午後一時、欲求不満のまま、ホテルに戻った。
ホテルの従業員に、ジャズの聞ける場所を尋ねた。
だけど、その二軒ともすでに閉店していた。

ニューオリンズに失望した夜だった。


2003年05月20日(火) テキサス州縦横無尽 =900 miles in TX=


06:00 起床
06:40 出発 
07:10 I-20E に乗り換える
08:40 Oddesea, TX着 US 62/385に乗り換える
10:15 Seagraves, TX給油休憩
Brownfield, TX着 US 62/85に乗り換える
11:45 Lubbock, TX着
12:15 Lubbock, TX発 US84Sに乗り換える
12:45 昼食
13:10 出発
14:07 Roscoe, TX I-20に乗り換える
14:38 Abilene, TX通過
16:20 Weatherford, TX給油休憩
17:20 Fort Worth, TX 通過
18:20 Dallus, TX 通過 I-45Sに乗り換える
21:00 Huston, TX着
21:30 WestinOaks着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

いやいや、夕べは、眠れなかった。
原因は、はっきりとしている。
二時間の時差を体が受け付けないからだ。

本日、訪れる予定地、テキサス州ルーボックLubbock, TXまでの
道順を検討しながら、夕食を取って、O氏が床に着いたのは、
現地時間で、夜の10:30頃。
日本からの時差、旅行の疲れを検討しても、
お休みになれる。

だけど、自分は、疲れているけど、
まだ、宵の口の8時。おまけに緊張しているから。
眠くても、寝れない。
起床は、朝の六時。
用意を整えて、無料の朝食を取る。

以前に比べて、無料の朝食を用意するモーテルが増えた。
普通は、コンチネンタルブレックファーストのみ
つまり、卵、肉類はなしで、
ドーナッツ、ダニッシュ、各種トースト、コーンフレークの類に
牛乳とフルーツジュース。
いいところだと、温かいオートミールもあるところがある。
しかし、このMotel8は、ワッフルまで用意している。
驚いた。
さらに、驚いたのは、ホテルのおねーちゃんが、
ワッフルまで、焼いてくれた。
このおねーちゃんは、器量があるな。

さて、出発は、霧雨降る中、I-10をさらに東に向かった。
ここで、自分は、勘違いをしていた。
昨晩泊まった町は、I-10とI-20の分岐点の町だと思っていたのだ。

だから、走ってしばらくの間、I-10を走って、I-20の分岐点を探していて、
見つからないから何処にいるのかが、わからなかった。

で、I-20との分岐点を過ぎ、嵐が、小降りになったところで、
オデッサOdessa, TXの町に着いた。

この町は、少し市街地があって、信号のある交差点を
いくつも超えた。
この時、O氏が、これじゃ、目的地まで何時間かかるかわからないな。
と、言ったことに対して、
少し反抗的な態度に成ってしまった。
反省。
市街地は、約十分後に抜けて、ハイウェイに変わる。

また、麦畑の一面である。

この制限速度70マイル(約112km/h)で、平面交差は、恐いな。
ここは、中央分離帯も無いし。

確かにそうであるが、自分は、高速規格のI-20と同様に、
時速80マイルで走っていた。

のどかな風景が、広がる。
しかし、曇り空だ。
O氏は、本当に風景を見ている。
この辺りの麦は、収穫は、少なそうだな。
その一言で思い出した。
テキサス州政府は、オーガニック(有機栽培)に力を入れていて、
完全有機栽培になる過程の畑かもしれないですね。
と、答えた。

給油の時間が近づいてきた。
田舎の町のガソリンスタンドに寄る。

何とここは、農具も売っているところで、
支払いをクレジットカードですると、
おじいさんが、電話で、売り上げ承認を取るようなところだった。

つまり、町の人だけを相手に商売をしているようなお店で、
掛け売りを基本としていたのではないだろうか。

麦畑から、酪農に変わって行く。
ここいらは、もしかすると雪も積もるのかもしれない。

目的地のテキサス州ルーボックには、Lubbock, TX11:45に着いた。

アリゾナ州では、O氏の希望の単車部品探しがままにならなかったので、
今回は、単車屋が、あってくれと祈る。

単車屋は、あった。
まず、主人に挨拶をして、
くずの単車を先に見せてもらった。
その中にO氏の興味を引くものは、なかった。

電話では、O氏の探している古い単車があると言っていた。
それを愛想が主人に言うと、それは、ここから、四十分離れたところにある。
木曜日に見せてやる。と言われた。
ふざけんな!と思って、二人でその店を出た。

US84を南に下る。
道路は、もう乾いている。

小一時間ほど走ってから、
マクドナルドで、昼食。
この時、ダラス Dallasの街を見てみたいな。
と、O氏の希望。
よって、ダラス経由が、決定。
さらに、走る。

前方の乗用車を抜かそうとすると、邪魔をされる。
相手にせずに、時速90マイルで、追い抜く。
追っては、来ない。

O氏は、食休み。

I-20に乗り換え、ひたすら東へ。

給油休憩で、O氏は、この旅行で、初めての大を経験。
自分は、快食快便だった。(笑)
ダラスで、I-30から、I-45に乗り換えるのを失敗した。

高速をすぐに降りて、
マーチン・ルーサー・キング通りを西に向かう。
交差する、マルコムX通りを超えて、
ようやく、I-45Sに乗れた。

ヒューストンまで、約230マイル。
約3時間ちょい。

帳が降りた。
だんだん、街の灯が見えたじめた。
ヒューストンまで、約三時間半。

ひたすら走るだけ。
外の風景は、変わらない。
自然で満ちていた。

ヒューストンまで、30マイルという標識を見つけたところで、
本日宿泊予定のホテルに連絡をして、
道順を聞く。

でも、いつも迷ってしまうんだな。

車線が増えてきた。
ヒューストンの街に入った。

今晩は、自分の働いている系列ホテルなので、
とても安く泊まれた。
だけど、普段泊まっているモーテルよりも、少し高いだけ。

ヒューストンは、蒸し暑かった。

夕食は、驚いたことに、
ロサンジェルスで人気のあるチーズケーキファクトリーで、
バミセリを食べた。おいしかった。

本日の走行距離 887マイル

朝食 モーテルにて ワッフル、べーガル
昼食 マクドナルドにて チーズバーガー
夕食 チーズケーキファクトリーにて





2003年05月19日(月) 時差二時間 =Two-hour time difference=

07:30 起床
08:00 出発 単車屋探し
09:30 Tuscon, AZに向けて出発
11:00 Tuscon, AZ着 人待ち
12:30 Tuscon, AZ発
13:20 ニューメキシコ州着
これにて、山岳部時間帯により一時間進める
14:20 ニューメキシコ州着
15:20 休憩
17:10 テキサス州到着
19:20 給油休憩
20:20 Van Horn, TX
これにて、中部時間帯により一時間進める
21:20 Super 8 Motel着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

O氏とモーニングコーヒーを飲んだ後、
今回の旅行のもう一つの目的である古い単車を探すことを始めた。

インターネットで下調べをしたが、
問題だったのは、2,3年前からアメリカ全土において、
電話の市外局番の数は、飛躍的に増えた事だ。
その原因は、携帯電話などの普及によるものだ。

このフェニックスでも例外では、ない。
前もって連絡をしていたが、
連絡がつかないところもあった。

フェニックスは、全滅だった。
ほとんど全てが、廃車置場として機能していない。

よって、次の目的地アリゾナ州ツーソンに向かった。

ツーソンについてから、連絡をとった男は、いないと
そのよめさんが電話で答えた。
もう少しで帰ってくるはずだと。
この待ち時間中に、次の日の訪ねるべき廃車屋に連絡をする。

結局一時間半、この街で、時間を取ったが、
その男とは、会えなかった。残念だ。

まだ、二日目だ。
気を取り直して、先を進む。

再びI-10にのり、東に向かう。
小さな竜巻が遠くに見える

砂漠で、なにもない。
ところが、急に木が生い茂ってくるところがある。
それは、農園だ。
O氏は、胡桃など種類の木だと言っていた。

アリゾナ州とニューメキシコ州の州境は、
峠にあった。

州が変わっても見える景色は、変わらない。
ときどき、植物が他の場所よりも生えていることがある。
植物といっても、本当に砂漠で生きるために
形を変えていった植物だ。

O氏によるとそのようなところには、
5-20メートル掘るだけで水が出る可能性が高いと言っていた。

さすが、土木関係の仕事をしているだけあって、
知識が豊富だ。

このような不毛の地に見えるが、このO氏だったら、
確実に生きる術を身に付けているに違いない。

お土産屋の看板が、目立ってきた。
寄ってみる。

休憩では、コーヒーを買うことを忘れない。

車の数がテキサス州との州境に近い街に近づくと
増えてきた。
東西に伸びるI-10と南北を繋ぐI-25の合流だ。

テキサス州には、まさに、夕方に到着し、
国境の街、エルパソを通り過ぎた。
古い大きな工場が高速道路の脇に並んでいる。

面白い標識がある。
昼の最高速度75マイル
夜の最高速度65マイル
街路灯がないからだね。

給油休憩を取り、
時差の変わるVan Horn, TXの街に着いたは、
九時をまわっていた。


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