ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL

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05/16/03 旅行記のグランドキャニオン(南と北)、フォーコーナーズ、ニューメキシコ州(北部と中部タオス、サンタフェ、アルバカーキー)
04/27/03 写真館の1997アメリカ横断の旅
04/27/03 旅行記の1997アメリカ横断の旅

04/02/03 033103 Poppy field forever ケシの花
03/31/03 032103 anti-war/戦争反対デモ
03/15/03 生活のハンバーガー部門を

2003年05月24日(土) 17マイルブリッジ =17 miles bridge=

03:30 起床
04:00 出発 
04:30 よめさんと空港で迎える
05:30 給油休憩
09:20 アメリカ本土最南端 Keywest, FL着
10:00 Courtyard by Marriott Key West Waterfront 着
11:00 jetsky
13:30 昼飯
休憩
18:00 夕食

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

早朝に起きて、飛行機で、4:30到着予定のよめさんを迎えに行く。
荷物が重い。足が動かない。
だけど、これは、仕事だ。

ほとんど車のいない一般道をひたすら北に走り、
Ft. Lauderdaleの空港まで迎えに行き、よめさんは、自分達に合流。
飛行機は、早く着いたみたいで、よめさんの姿は、
荷物を取るところにも見えない。
携帯電話で、連絡をする。
見つけた。外にいたんだ。

ようやく見つけた。
O氏は、よめさんを温かく迎えてくれた。
さあ、これからは、O氏と一緒の部屋ではなく、
自分達夫婦の部屋になる。

さて、これからキーウェストまで、四時間。
気合を入れて運転だ。
I-95Sが、終わった場所で、給油休憩をして、
ビーフのトルティーヤラップ wrap sandwichを食べた。
このサンドイッチは、昨日の晩、すいかと一緒に買ってきたものだ。

US1は、基本的には、一車線づつの対面交差だ。
もうすでに、島を渡っているのか?それともまだ陸続きの道を走っているのか?
道の両脇には、背の低い木が生えている。

道々小さな勝鬨橋がある。
そこらへんには、港があり、船がたくさん見える。

視界が開けてきた。
小さい島もある。
その島には、家もある。多分、大金持の別荘だろう。島ごと所有しているに違いない。

長い橋が見えてきた。
これが、あの憧れた17マイル橋かな?
でも、想像とちょっと違うな。
あの左側にある使用されていない橋は、今まで使われていた橋かな?

こんなところで、テントを張って魚つりをしていたら、やられるだろうな。

鹿注意の標識がある。
誰かが、連れてきて自然繁殖しているのかな?
え、この辺りは、少し市街地になっているじゃん。
際高速35マイルの制限速度?
多分、鹿を守るためだろうな。

そんなことを考えながら、車は、あっという間に、
キーウェストに着いてしまった。

たぶん、今までの一週間、男二人だけの旅に、
よめさんが、加わったので、空気が変わったからだと思う。
また、朝早く、マイアミを出たのが、よかったんだろう。

時計は、まだ、朝の九時だ。
ホテルに行っても部屋を取れないだろう。
最南端まで、行ってみますか?
最南端は、静かな住宅街の一角にあった。
原チャリが、ブンブン走っている。
ハワイと同じで、原チャリが、観光客の足なんだろうな。

その後、近くの浜に行った。
そして、ホテルに行ってみた。

部屋は、あった。
だけど、海に面している部屋は、取れなかった。
しかし、プールに面している一階の部屋だから、
出入りは、とても楽だ。

ジェットスキーをするか?
のO氏の一言で、午後の予定が、決まった。

部屋に入り、身支度を整えて、
コンシアージに連絡を取った。

車を出して、2分で、着いた。
入り江が多いので、あちこちで、ジェットスキーをやっている

ジェットスキー初体験は、楽しかった。
自分達は、二人用を借りた。
そして、O氏が運転を最初にした。

振り落とされた。だって、体重の掛けかたが、
イマイチ分からなかったから。
でも、こけても水の中に落ちるだけだから、
痛くない。
単車と同じ要領で、体重をかけるけど、
落ちても痛くないのは、とてもよい。

後ろに乗っているのは、面白い。
だけど、運転するのは、少し難しかった。
単車を降りてかなりの年数が経つ。
体重の移動がとても難しい。
O氏は、自分が、落とされる度に、喜んでいた。
こりゃ、日本に帰ったらはまるかもしれない。(笑)

食事をして、休憩。
よめさんは、レッドアイフライト(夜中中飛んで、明け方に目的地に着く便)に
乗ってきたので、少し横になった。
だけど、自分は、またもや電話をしなければいけない。

多分、O氏の帰国の予定が二日も早まった分、
ニューヨークにまっしぐらになるだろうから、
これは、無駄になるかもしれない。しかし、準備をしておかなければ。。。

夕食の前に少し、このホテルの写真を取った。
今回は、ほとんど写真を撮っていない。
南国情緒豊かな南の島の写真を撮った。

夕食に出かける時、道を間違えた。
それくらいなら、結構あるけど、
方向が全く分からなくなった。
帰りは、たったの7分で戻って来れた。
ジェットスキーで、頭から落ちたときに、
なにかが、壊れたのかもしれない(笑)

よめさんと明日の行程を地図で確認してから寝た。
時計は、午後の十時半を回っていた。


2003年05月23日(金) バードケイジのマイアミ =Bird Cage=

08:30 起床
09:30 出発 I-4N
09:40 I-75S
10:30 食事休憩
14:50 Miami, FL着
15:00 Sheraton Bal Hourbor 着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

疲れた。また、運転しまくったからね。
疲れが、O氏といる緊張よりも勝り、少しづつ寝る時間も増えているようだ。

今朝は、夕べのビールが残っている。
雨だ。この旅行で何回雨降りの朝を迎えただろう。

発砲スチロールの箱に氷をつめて、
コーヒーを用意して、
荷物を積み込んで、
チェックアウトを朝の九時までに済ます。

そして、当地の単車屋および、マイアミまでの単車屋に
九時から電話をする。

何件かは、O氏の探している単車が有りそうだったが、
O氏の意見は、これだけ湿気があって、雨がこの季節でも降るところでは、
単車は、いい状態で保存されていない。との意見。
さすが、この旅行で、そこまで読むとは。

九時には、車を車寄せに用意した、その車の中で待っていたO氏は、
自分が、一通り電話を終わった九時半まで、待てなかったらしく、
ホテルのロビーにいた。

I-4Nを東に進むと、I-75Sの標識が見えた。
乗り換えて南に進む。
四車線もあるこの高速規格の道路には、
打ち付けるような雨が降っている。

当然、のろのろ運転の車で、埋まる。
それを縫うように走る。
大型トレーラーが水煙を上げながら、
三車線をのろのろと占領している。

雨も鬱陶しいが、水煙は、雨よりも細かく、視野を塞ぐので、たまらない。

腹が減ったな。とO氏の一言を待っていたので、
早速、食事休憩。

お土産屋を併設している食事処で、お土産を探す。
一番は、O氏が探している州の形をしている磁石とそれを張るアメリカの地図。
でも、無いんだな。
店員に聞いたところ、アメリカの全ての州が貼り付けてある磁石ならあるよ。
それを買った。

O氏は、非常に体重を増えることを気にしている。
だから、食事は、本当に少量で、野菜を常に食べるようにしている。
自分もそうだが、食べないと体力が、もたない。

でも、今までの食事は、全てO氏が払っている。
依頼者がそこまでしてくれるのは、心痛む。本当に大切にされている。
本当に、労うことの出来る人なんだな。
だから、値段的には、O氏の注文したものよりも高いものは、ない。

で、待たされた。注文と取ってから、非常に待たされた。
混んでいたけど、こんなに待つとは、思わなかった。
たかが、トーストと目玉焼きとオレンジジュースだ。
O氏がイライラしているのが、手に取るように分かる。
自分もイライラしてきた、ところで、やっとおまんまにありつけた。

車に乗ってから、O氏は、限界を少し超えていたと言う。(笑)
二車線になったI-75は、まだ、雨が降り続いている。
水煙で、視界は、真っ白だ。
テールランプを追うだけの運転だ。
そのような状況の二時間は、とても長く感じた。

お昼前に晴れた。
それは、I-75が、東に向かって伸びる前だ。
太陽が、初めて運転手側に差した。
今までは、基本的には、東側に向かって移動していた。
だから、太陽は、助手席のO氏を差していた。

I-75が、東に伸びるところは、有料道路となっている。
それが、$1.50だ。
じゃあ、昨夜の有料道路は、高すぎるよ。
料金所が五個所位あったよ。
それも、$1.50づつ。

さて、マイアミのホテルには、非常に早く着いた。
そして、O氏は、少し横になっている。

自分は、出来ることをしなければいけない。
そう、ここは、マイアミ。
水着のおねーちゃん達をナンパしなくちゃ。

そうじゃない。(笑)これから、ニューヨークまでの行程で、
単車を洗い直さなければいけない。

ジョージア州のアトランタの北にある単車屋が、
あるらしいと言った。
また明日電話をしてくれと言われた。

この際、素直にO氏に伝えていいものか?
もし、その単車屋が、なかったら、O氏は、
期待した分、がっかりする。
言わなければ、その事実をO氏は、知らないで済む。

午後五時頃、O氏は、食事に行こうと言った。
どしゃ降りの雨だ。
自分達は、この台風を追い越して来たんだ。

通りを相合傘で、進む。
この街は、あくまでも、
バードケイジのマイアミだ。
それは、ロビンウィリアムズ主演の映画だ。

で、トンカツを食べた。
久々に食べたと感じがした。
でも、昨日は、フライドチキンを食べたんだよね。
たぶん、ご飯を食べたからだと思う。

で、ホテルを探索した。
このホテルは、砂浜まで、五秒というところにあった。
もちろん、でかいプールもある。
でも、探索を始めたころには、雨は、止んでいたけど、
水着のおねーちゃん達は、いなかった。(涙)

スパは、午後八時に閉まった。
後は、寝るだけだった。

−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+
ところが、O氏が、今日の行程で、すいかを積んだトラックを見つけた。
キーウェストに行く道々で、冷えたすいかを食べたらおいしいだろうな。
と、言ったのを思い出した。
だから、一人で、夜な夜な買い出しに行った。


2003年05月22日(木) ミッシッシッピ州とアラバマ州 =Mississippi and Alabama=

09:00 起床
09:30 出発 I-10
10:30 Mississippi 着
11:00 食事休憩
12:30 Alabama着
13:10 単車屋 着
13:40 単車屋 発
14:30 Florida着
17:20 給油休憩
19:00 Tallahassee, FL食事休憩
23:30 Tampa, FL 着
24:10 Howard Johnson Express Inn & Suites 着

今回の旅行は、97年に、単車でアメリカ横断をした
O氏から案内依頼されたものであり、O氏の名前が頻繁にでてくる。

夕べは、疲れた。歩き回った。
寝る前に、飯を食いたいと思っていたけど、止めといた。

で、朝、腹が減る。
だけど、自分の仕事は、O氏を無事に旅行完了させることだ。
でも、お土産ぐらい買いたい。O氏が起きる前に。
慌てて、夕べ、繰り出した街に、出る。
だけど、ホテル近辺のお土産屋は、この時間は、当然ながら、閉まっていた。
仕方がないので、ホテルの高いお土産屋で、いつも買う地名入りの帽子を買った。

O氏の帰国日を変更しなければいけないので、
ユナイッテッド航空に電話するが、はなし中になるばかり。

とりあえず、途中でやるしかない。
だけど、今日は、例のアラバマ州の単車屋に寄る予定だ。

I-10を東に進む。

ミッシッシッピ州に入った。
ロドニーキングの事件みたいにならないように、
交通法規を必要以上に遵守しながら、
制限速度75マイルの道を80マイルで進む。
早く通り過ぎたい。

本来なら、緑豊かなこの道をゆっくり進みたい。
高速道路の両脇は、木が生い茂っている。

アラバラ州に入った。
I-65を北に向かう。
そして、下の道で、単車屋まで向かう。

その単車屋は、森の中にあった。
雨の降った後の森は、鬱蒼としていた。
住居を兼ねているようだ。

大きな声で、店の人を呼んでみる。
返事があった。その方へ行ってみる。

細い背の高い白人のおじいさんがお迎えをしてくれた。
ここには、ありそうだ。

おじいさんが、「森の中に入る前に、虫除けスプレーをかけてけ。」
と、いうので、全身にかけまくった。
「ヘビに気をつけろ」と、おじいさんが、付け加えた。

ここも例外になく、気に入った単車があることは、
あったそうだが、部品を外してあり、さび付いている。

今回は、アメリカの南側の旅程を組んでいるために、
雨が、降ることが多い。
よって、モノも残念ながら、錆びている。

O氏は、病気のために、蚊に刺されると、
治りが遅い。
よって、大雑把に森を一回りした後、
その単車屋のある森をあとにした。

来た道を戻り、I-10に再びのり、東に進む。
このI-10は、ミシシッピとアラバマで、いくつも川を超えたが、
素敵な古い感じの高さがある橋がいくつもあった。
橋の端で、その橋の最高地点を見ると、
脅えてしまうくらいの高い橋だ。
これらの橋の写真を取れないのが、くやしい。

ここいらで、O氏の帰国日の変更をしなければいけない。

そう思っているうちに、フロリダ州に入った。
以前、旅行会社で働いている時に、お世話になった
取り引き先がある。

そのワシントンDC支店に連絡をして、
助けてもらおう。

番号案内の411に連絡をして、
電話番号を調べた。

そうすると、あの懐かしい声が聞けた。
今、I-10で、フロリダ州に入ったところです。
助けてもらいたいのですが。。。

分かりました、なんでも言ってください。

同行している人の帰国の日にちを変更したいが、
航空会社に電話したら、だめだった。
安くて、ニューヨークからの東京直行の航空券を取りたい。





間違えなく、頼りになる人だ。
やっぱり、自分のしていたことは、間違えなかった。
音信不通にしていても、そうやってすぐに助けてくれる。

O氏が、日本に電話をしないといけない。
と、給油休憩が終わった半時間後に、言った。
今回は、なるべく給油休憩を取らないようにしていたので、
次回の給油休憩の時、または、食事休憩の時になるだろう。

あれ、なにかおかしい。
O氏が、地図を見ながらいう。
なんで、この出口は、3番なんだ?
え、フロリダ州に入ってから、もう、30マイルは、
走っていますよ。もしかすると、ターンパイク形式の出口の表示なんですかね?

そうだった。I-10は、フロリダ州に入ってから、
出口の表示は、ターンパイク式、つまり、日本の高速道路と同じになったのだ。

出口33で、降りて、電話を探す、
ガソリンスタンドに入る。

O氏は、建設会社の社長だから、例え休みでも、気を抜けない。
用は、五分の電話で済んだ。

ガソリンスタンドの横のフライドチキンのお店で、
夕食を取る。

この下の道も本当に、緑が多い。
道の両脇には、木が茂り、
中央分離帯は、片側二車線と同じ位の幅に、
芝生、または、木が生えている。

結局、自分達は、Tampa, FLまで走った。
夜の道は、警察のねずみ取りが、さかんに行われていた。
本来なら、I-75を下った方が早い。
だけど、海沿いの道を選んだ。
しかし、Tampa, FLに行くには、高速規格の道路に
のらなければいけない。

夜の11時、高速道路を探す作業を地図で始めたO氏は、
困難を極めた。
老眼鏡をして、地図とにらめっこ。
ようやく有料道路を見つけて、南をめざす。
しかし、この有料道路は、曲者で、区間が短く、
その区間ごとに料金所がある。
しかも、$1.50の小銭を集める。

驚いたのは、2番目と3番目の料金所のおやじが同じ奴だった。(爆)
双子かな?それとも頭がまわっていないのかな?
とりあえず、走る。
I-275にのった。
一安心だ。
で、TAMPAの文字を追った。

着いたのは、メモリアルデーで、込み合う深夜のタンパ国際空港だ。
来た道を戻る。
で、I-4にのった。
そこで、時間が切れ。
だって、夜の一二時を回っていたんだもの。

朝の九時半から、車を運転しているんだもの。

O氏は、今日は、洗濯するぞ。
と、言っていた。
で、泊まったモーテルには、コインランドリーがついていた。
おまけに、使用時間制限がないので、すぐに洗濯が出来る。

今日も長距離を走ったな。(笑)



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