ろさんじぇるす日記 takie 【MAIL

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2004年05月11日(火) 企画 =mission in S=

例の俺の面倒をみてくれている親分から、連絡があった。
ちょっと、出て来い。
で、仕事が終わってから、東海道線に乗り込み、南に下る。

企画を手伝え。

ビル一軒建てるぞ。
総合的アミューズメントビルだ。
レストランを5軒以上いれるぞ。

俺、そんなビル一軒建てるような仕事をしたことねぇーですよ。
おまえは、これをしないと次に行けない。

この親分は、本当に機会を与えてくれる。
失敗しても、失敗してもだ。

そうなったら、俺も、たかが、アルバイトのウェーターの脳みそだけでは、
ないことを証明しないといけない。

途方もない企画の作業が、始まった。

まず、コンピューターデザインの専門家に連絡。
OKを取る。
後は、企画を整理して、
パワーポイントで、プレゼンテーションの用意。

あ、そうだ。
LAの若いのに、電話して、
サンタモニカのプロムナードの
大道芸人やござを引いて物を売っている露天商の写真を撮ってもらわないと。

忙しい。


2004年04月28日(水) 仕事の依頼 =job offer=

まあ、日本に帰ってきてから、いろんなことがあった。
特に、仕事に間することは、ここでも苦労があった。

で、おれは、とにかくここで、やるしかない。
言いたいこと、やりたいことを今までやってきたんだから、
がんばらなきゃいけない。

で、俺の面倒を見てくれている人がいる。
この人は、俺の兄貴分の兄貴分だ。
だから、俺の親分って、感じかな?

その人は、俺のことを辛抱してみてくれている。
失敗しても、次に行け。と。
もちろん、説教をされるけれども、
それは、それ。
次の日は、俺の身の振り方を考えてくれている。

その人の人脈にて、仕事の依頼があった。
と、いうよりも、社員になってくれと依頼があった。

その店は、いい店だ。心地良い疲れ方が出来る店だった。
行きたい。そのシェフにこの身を任せたい。

条件の交渉に入っている。


2004年04月25日(日) 懐かしい 響き =blow the horn=

去年の暮れに、東京の大井町に引っ越してきた。
駅から歩いて10分以内と都心までの交通機関が好条件で、決めた
アパートだ。

引越しの次の日、冬のとばりが降り始める夕方五時。
懐かしい響きがなった。
”とーふ、とーふ””とーふ、とーふ”
おお、ここには、豆腐屋が廻ってくる。

よめさんに、豆腐を入れる容器を用意しろといって、
それを奪い、ついて来いと言って、階段を駆け下りた。

おじちゃん、絹漉しを一丁。

よめさんは、唖然としていた。
なぜなら、”とーふ、とーふ”となるらっぱの豆腐屋を知らなかったらしい。

仕事柄、昼も家にいることがある。
その時は、お昼前に、”とーふ、とーふ”とラッパがなった。

一日ニ回、鳩時計の様に間違えのないラッパの音。

そのラッパの音が聞こえると自然とおなかが減ってくる。
家に帰る時間かな?
なんて、子供の頃を思い出す。

そのおじちゃんから、週一回の割合で、出来たての
味のある豆腐を頂いている。



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