dear friend of friend

2005年01月17日(月) 震災十周年だそうで

震災から十年が過ぎたそうで
一応、被災した自分の感想としては
実感がわいてんだかわいてないんだかわかんないです。
ライフラインも電気、ガスは1日で水も3日くらいで使えるようになったし
ぼこぼこに壊れた町もあっという間に直っていったし
自分は何もできなかった、くらいなものです。
なんというかスゴスギタ日々だった。
阪神・淡路大震災で亡くなれた皆様のご冥福をおいのりいたします。

話変わって、社会人になって人の死を身近に感じている僕ですが
(僕の仕事は高齢者向けのマンションの管理人)
お客様の死をどうとらえていいのか分からないのが
本音です。
悲しんでいいのやら、明るく送り出しらいいのやら
複雑な、そりゃもう複雑な気分です。
それこそ僕はマンションから人を追い出したりもしてるわけで
(そーいう人はたいてい身寄りも、金も、行くあてもない)
その行為はその人を一歩死に近づけているわけで
そんな残酷な事ができる自分がよくわからなくなく一方で
そんなもんだ、何でもできるわけじゃないと思う自分もいて
そもそも死ってなんだとか死ぬのは悲しいのか
とかもう思ったりして、自分の感情が麻痺してしまうのがわかる。

でも震災を思い出すと悲しいとわかる。
日本中の人が震災で亡くなった方を思うからだ
そして悲しみを繰り返したくないと思う
たくさんの命がなくなり、そのひとつが尊いのだといっている。
あちこち戦争があったりしてたくさんの命が消えていくけど
きっとそれを悲しむ日が必ず来ると思う。そのひとつひとつが尊いと思える。
たとえ誰にも送られず消える命もあるけどそれは尊かったのでと思う。
時々でいいから僕が見取った命を思い出したいと思った。
 




2005年01月16日(日) えーと、家からほとんどでない休日でした。

どんなタイトルやねん
まったくどーでもいーことが書いてある日記なんだなと軽く想像できてしまう。
もうちょっと考えてタイトルつけろよ
と突っ込みがあるのはわかっているよ僕だって。

ああ、でもね。
そんなことしか書くことねーんだよ
だいたい日々の日記なんだからなんでもないことが大事なんだよ
とりあえずキレてみたところで(←誰に?)今日の日記です。

タイトルにあるように休日にもかかわらず
誰にも会わず、家も出ない、そんな引きこもりの一日でした。
しかしホームページの更新はしたし、借りてきたドラマもみたし、
昨日買ってきてものでおいしい夕食を食べれたし、ある意味いうことなしです。

そう思うとますます引きこもる可能性が高くなっているようで危ないです。
誰にも会わず、家に一日中いて、まあ満足なんて
病んでる証拠です。いやまじで、
自分の時間もいるけれど、一日中はやりすぎだは
体も動かさないと心がさび付いちゃうよ
休みなんだから外に出て(←寒いけど)、風を感じ、
遊ばないとねー、何のために仕事してんだかわかんなくなるよ
そうだそうだ、と言ったところで今日は戻らない(絶対に)
その失敗を繰り返すのが人間なんだけど…

今年は休みの日は必ず出かけるを目標にしよう。
反省した一日でした。



2005年01月15日(土) ハッピーかい

今週お客さんが2名亡くなった。
お客はすべて高齢者だからこういうことはある。

僕の直接のお客でなくなったのがこれで6名になったと思う
思うという時点でどうかしてんじゃないかと思うが
すこし人の死に慣れてきているのだからいいのかなーと思う
なんだかんだといったって人の死は重いようで軽い
遺体を見ても気持ち悪いだけで悲しみはほとんどない
ましてほとんど他人の死だからね、
あんまし感情がついていかないんだよな

でも葬儀に参列したり、遺品をみると
生きていたことが思い出され悲しくなる。。。

しかし今回の2人は対照的な死になってしまったと思う
一方は身内が集まり、多くの友人に見送られ
もう一方は遺体の発見が遅れたため
葬儀も行われず、身内も一人だけきただけだった
この人の人生は何だったのだろう
葬式もなく、何も残さず、逝ってしまった。
そして僕も何もできなかった。
悲しいともあんまし思っていない自分がいる。

人はみんな死んでいく。
当たり前のことだけど、それを当たり前に
受け止められた1週間でした。

今日は今日でハッピーを色々感じられた
完全気持ちは切り替わって
僕は生きている。ハッピーだ。




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