あっという間に日曜の夜です。 時間の流れって、こんなに早かったっけ。
先週末は、名古屋へ行き、横浜の実家へ帰り、月曜からは長野で働いてました。
仕事は、先輩がハワイへ行っているため、担当があたし一人、という非常事態に陥っています。 今週は、毎日21時半前に帰れませんでした。 というか、午前1時という新記録更新。 ←ただの馬鹿?? 家に帰って倒れこんで、気付いたら朝。という生活が続いてます。 化粧も電気も付けっぱなし。 肌もボロボロで、泣きそうになる。 ってか、電気代がもったいない。(←一番重要)
最近、ぜんぜん仕事がうまくいかない。 休憩が取れないぐらい忙しいのに、ときどき自分が何をしているのか分からなくなる時がある。 端末設定しているときも、頭が真っ白になって、いつの間に30分くらい経過していたり。 ふだん怒らない上司も、呆れ顔で。 でも、どんなに頑張っても、無理なものは無理。 あたしは、なんのために頑張ってるんだろうね。 あんなに頑張っていた仕事が、とても無意味に思えてくる。 むしろ今、かなり、苦痛になってる。 「長野」という地は、あたしにとって、やっぱり異世界で。 ここには、大切な人が、一人もいません。 甘いかな。我侭かな。 奴に言ったら、また「ばぁか」って、説教されそうだけど。 仕事で悩んでる時は、いつも馬鹿にした後に「それじゃいかんよ。そういう時は・・・」って、アドバイスしてくれたのを思い出す。どっちが年上なんだか。(´д`;) その言葉に頼りきってた自分と、あまりに大きな支えだった事を思い知らされる。 長野に来て、もうすぐ一年が経つ。。 早ければあと1・2年で、東京の開発部に異動できる。 ずっとここにいるわけじゃない。 それでも、今、この「距離」が、とてつもなく辛いです。
あたしは、公開してる日記なんかで、弱音を吐いちゃいけないと思ってる。 自分の弱い部分を見られるのが嫌いなせいもあるけど。 それでも、今までみたく平気なフリをしたり、強がったりしてると、なんかね。頭の中に黒いモヤモヤがいて、それに引きずり込まれそうになるの。吐き出しても吐き出しても、湧いてくる。 名古屋や地元に帰っているときは、平気だと思っていたのに。 知人友人がここを読んでいることは知ってます。 なぐさめが欲しいんじゃありません。 ただ、あたしは、どうやっても処理出来なくて。 色んな想いがぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け巡って。 数分前の事とは正反対のことを考えたり。 考えすぎてワケが分からなくなって。 自分で自分が解かりません。
あたしは、いつまでも落ち込んでいる自分が許せない。 頭では分かってる。 大丈夫。 たぶん、前に進む事も出来る。 そうやって、自分に言い聞かせる。 だから、先週セラくんの日記(?)を読んだ時、涙が止まらなかった。 納得する感情と、反発する感情が入り乱れた。 あたしは、彼の事を、言葉を、感触を、表情を、絶対に忘れたくないはずなのに、思い出していると、いつまでも、なにも、変われない気がして。 思い出すたび、愛しい気持ちと喪失感に襲われて、やるせなくて苦くて、そこから逃げたくて。
2週間前、「もう大丈夫だから。」って笑ってるあたしに、T橋さんが言った一言。 「ねぇ、ゆりかちゃん、ひょっとして彼のこと、口にしちゃいけないって思ってない?」 「あのね、大丈夫なわけなんてないから。自分の中で、彼のことを殺さないで。」 核心を、衝かれた気がした。 T橋さんは、彼のことや恋愛・人生まで、いろいろ相談していた人で。 他人に、泣きながら怒られたのは、初めてな気がする。 もう泣かないって決めてたのに。泣き癖が付いたのは、絶対にT橋さんのせいだからね。(苦笑) でもね、トマトジュースや烏龍茶や手羽先や生クリームのケーキやハンチングやケミストリーや茄子のピザやゲータレイドやミッキーや・・・その他いろんな物を見ていちいち凹んでいる自分は、いい加減、直した方がいいと思う。
・・・ここまで。おおっぴらに公開したくない気持ちが少なからずあるので、ちょい隠し気味で。(←弱)
4月2日のこと書きます。
久し振りに、KARyくんに会えて、嬉しかった。本当にありがとうございました。
不覚にも泣いてしまったけど、それ以上に、めっちゃ笑えました。 彼、絶対あの場所にいたよね。 だって、すごく楽しかったんだもん。 あんなオイシイ場所を見逃すはずがないっ! あの空間を作り出した人達、来れなかったけど想いを馳せた人達。 彼に関わった人達、いっぱいいたんだから。 あ。ナツメズカンパニー氏(←すいません、彼とこう呼んでました)もM.H氏も、話に聞いていたとおりの濃いキャラな人達で面白かったです・・・笑。 みんなぶっちゃけ過ぎだったけど。 色々想うこともあったけど、でも無条件に。 最高なLIVEでした。
すべての人達、この偶然に、乾杯。
本っ当に久し振りに、長野の家でゆっくりした週末でした。 ゆっくりした、と言っても、一ヶ月ぶりの自動車学校と買物と掃除で、あっという間に終わってしまいましたが。 あのとき以来、東京へ出張だの研修だので、休む暇が無かったから。
自動車学校・・・。本当に卒業出来るのかな・・・。 あんなに物が散乱していた部屋が、スッキリ綺麗です。 今夜から4日間、T橋さんが泊まりにくるから、一日かけて掃除しました。 今月いっぱいで退職で、今日、家を明け渡したらしいので・・・。 31日まで、うちに泊まることになったのです。 あぁ、なんか、本当に寂しい。 うん。
ぜんぜん話は変わるけど、今週の23日の火曜日に、池袋サイバーに行ってきました。 感謝の意味も込めて、絶対一度は観ておきたかったバンド。
『平日の夜の、東京でのLIVEなんて絶対無理っ!』 ・・・って思ってたけど。 ちょうどその日は、新宿本社へ出張会議の日で。 正直言うと、3日前までLIVE日程知らなかったんですけど。(ぇ Rちゃん、ツッコミと予約ありがとでした。(^-^)v びっくりさせよーと、内緒で行きました。 Aちゃんの反応が想像以上で面白かった☆ 今度はちゃんと連絡するね。>私信
本当にサイバーなんて久し振りだなぁ〜・・・って、思って。 前回はいつ来たんだっけ?って思い出したら。 おととしの、LADYでした。 解散発表をする直前。 東京での、最後のLIVE。 「もうすぐ解散するかも」って、Rちゃんと一緒に泣きそうになってた、あの雨の日。 サイバーは、LADYの東京での初ワンマンの会場でもあるし。 イベントとかLIVEも沢山やったし、いっぱい思い出が詰まってる場所なのです。 おもわずRちゃんと顔見合わせちゃった。なんだか複雑ですね。色んな事あったよね。
肝心のLIVEは、楽しかったです☆ や、ほんとに。 でも、『嬉しかった』って言ったほうが正解かな。 頑張ってるとこ見れて、嬉しかった。
バンドを続けていくという事がどんだけ大変で、どんな葛藤があるのかとか、実際経験したこと無いあたしなんかには分かる筈もないのですが。 それでも頑張っている、そういう姿を見るのも、応援するのも好きです。 自分達の音を他人に伝えられるって、どんな気持ちなのかなー。 時期的に、良い時に観れたと思いました。 あ。でもハードロッカーなやつも観てみたかったかな。 またLIVEの日に出張があったら行きますね。(笑)
とりあえずは、また来週。
私信> みんな距離は遠いけど、でも、すごく救われました。感謝してます。 ちょっとでも心当たりのある人!あなたの事です。 直樹のこと、羨ましいと思った。 でも、あたしも、充分まわりの人達に恵まれてる。 そう気付いたから、それだけでなんだか、また泣いちゃったじゃないのさ。 まいってないって言ったら嘘になるけど、でも、沁みました。 何度言っても足りないくらい。
ありがとう。
2004年03月19日(金) |
サンキューデモクラシー。直樹のこと。 |
ひさしぶりの日記です。 ちょっと、ようやく、書けるような気がしたので、書いてみます。 まず、今回お世話になったYきゃ、Hきゃ。 Nさん、Kさん、Mさんをはじめとする、名古屋の方々。 寝巻きのまま夜通し車を運転してくれたTkさん。 支えてくれた友達、家族、みんなみんな。 本当に、感謝しています。ありがとう。 あなたたちの誰一人欠けても、多分あたしは駄目になっていた。 ここ、読んでるって知らなかったから、ちょっとビックリしたけど; うん。 この場を借りて、ありがとう。 本当に本当に、ありがとう。 お礼が遅れちゃって、ごめんね。
あたしの存在は、あそこにはいないはずの人間で。 基本的に、1対1の関係だったから。 だから、ずっと、ずっっと、自分の感情を殺そうとしてた。 あのまま空気に溶けて消えたかった。 それでも、肯定してくれて、ありがとう。 ベッドと食事と礼服とお風呂と靴下と香典袋と、何より気遣いと・・・感謝しきれないよ。 ***こっから先は、長いし、かなりの私事だから、読みたい人だけ読んでください。気分害したらごめんなさい。***
もう隠して書く事ないかな・・・。 ってか、ここ読んでる人数極少だし・・・。 ちょうど10日前。 大切な人が遠くにいってしまった。 ずっとあたしのアイドルだった。ファンだった。KARyくん。 友達だった、直樹。 そして、恋人だった直樹。 大好きな人。 まるで2人が同時に消えたみたいな感覚。 あたしは、はじめ、何がなんだか分かんなくって。 頭が真っ白になって。 次の日、朝一番の電車で、お見舞いに行く予定だった。 夜中に容態の知らせを受けて、わけが分からないまま、泣きながらTkさんに電話して。 真夜中に車で名古屋に送ってもらった。 でも、結局、間に合わなくて。 電話を受けたのは、愛知県に入る直前の、高速道路上で。 病室に入っても、顔を見ても、まるで嘘みたいだった。 まだ、あったかくて。頑張ってたって聞いても。 なんで?どうして??って。 聞きたいことも言いたいことも、いっぱいあった。 何が嘘で何が真実かなんて、わかんない。 喧嘩しても、やらかしても、頭こづいて笑って、それだけで済んでたじゃん。 あたしは、直樹に会ったら、つっこみ入れたかった。 それで、笑い合えれば、それでいいじゃん。 どうして、届かないのかな。 いっつも、もどかしく思っていた名古屋との距離。 あたしの我侭は、いつもそれが原因だった。 「お前の悪い癖!」って、いつも呆れ笑いされてた。 あたし、直樹と「俺から2週間連絡が無かったら、お見舞いに来ていい。」って言ってた電話が、最後になっちゃった・・・。ずっと、魚の骨が喉に刺さったみたいに、痛みが取れなくて。 どうしようも出来ないぐらい、後悔した。 仕事を理由にした自分に、嫌悪感を覚えた。傷付きたくないとか、利己的な考えに。 前から、風邪引いたときも、「自分が弱ってる姿なんか見られたくない」って言ってた。 電話で「お見舞い行きたいっ!」 ってあたしが言った時も、 「2月になったら今より元気になるだろうから、そん時なら来ていい。」 って言ってた。 「次に会う時は、俺が回復した時か、死んだ時だから。」 いつもの調子で、おどけたように言ってた。 「俺、もぉ駄目だわ〜。」 って、ため息混じりに笑ってた声。 それが、ずっと、耳に残ってて、苦しかった。 でもね、名古屋に行った夜から、直樹の身体とお別れする日まで。 あたし、すごいびっくりした。 直樹を想って動いてた、羨ましいほどの人達。 あそこまで、懸命に、直樹のために。 新しい直樹の一面を、改めて、初めて、知った気がした。 だからね、ちょっと、スッキリ出来たんだ。 みんなが、直樹のことを大好きで。 あんなに苦しかったのに、なんか、想いが昇華した様な。 あたしも、直樹に出会えて、好きになって、良かった。 そう、思えて。 だからね、ありがとう。
たしか、去年の初夏の頃だったと思う。 なぜか、お葬式の話になって。 「俺の葬式で泣くことは許さんよ。」 そう、言ってた。 「みんなで酒飲んで騒いでさ、『お前なに死んでんだよっ!』ってツッコミ入れて欲しい!」 って。 「そんなん無理っ!哀しいもん!」 って反論したら、 「哀しいときこそ、笑わんといかんだろ〜。」 って言ってた。 実際に、泣いてる時はおでこにペチーンってツッコミ入れられて、「泣いてるくせにツッコまれてやんの!」って、ケラケラ笑った。 だから、根性でも笑ってやろうと思った。 色々、そう言ってた張本人に泣かされた事もいっぱいあったけど、だからちょっと怒ってやろうと思ったけど、でも、それ以上に、彼からいっぱい貰ったから。大切な事、いっぱい教えてくれた。 だから、少し笑ったような寝顔を見たとき、何も文句言えなかった。 あたしは、直樹の人生の中で、なにか役に立てた? 悔しいけど、最後まで、完敗だったな・・・。
・・・文章、長いね。 いっぱい、いっぱい思い出しちゃって、なんか・・・。 あたしが今まで、長野という辺境の地でやってこれたのも「名古屋から近いから喜ぶべき」って笑い飛ばしてくれた彼のおかげで。 日々の電話のおかげで『寂しい』なんて思わなかった。 むしろ『長野で良かった』とさえ思った時もあった。 男とか女とか、そんなこと以前にさ、惹かれてた。 一番言われて嬉しかった言葉は、優しい言葉より、甘い言葉よりなにより、 「お前が男で名古屋に住んでたら、絶対毎日一緒に飲んだくれる!お前面白ぇ!」 って大笑いしてくれたこと。あたしも同感だったよ。
去年の誕生日にあげた腕時計は、大事に、宝物にするって言ってくれたけど、持っていけなかったね。 抱えていったクリスマスプレゼントのカレンダーとマフラーは、Kさんが棺の中に入れてくれたって。 でも、何よりも自慢のBassがあるもんね! みんなの気持ちも、いっぱい持ってったよね。
まだね、考える度に、全身の血が引くような感覚で、胸の辺りがきゅぅぅって痛くて、頭がぐらぐらする。 この感情を、なんていうんだろう。でもね、たぶん大丈夫。 あたしは、あたしの心臓が止まるその日まで、絶対直樹のこと忘れないから。
直樹も、向こうでいっぱい、持ってたBassを弾きまくるように! バンド、やりたがってたもんね。 また、『KARyくん』の前でキャーキャー騒ぎたいな。
4月2日のハーランは行きます。 名古屋は、彼のにおいが強すぎるけども。 楽しく、ね。
しばらくは、また、さようならだね。
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