ぼんやり日記
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2003年11月28日(金) 胃腸風邪

行方不明になり、捜索願を出していたATOKが
パパの尽力により無事保護された。漢字って素敵。

昨夜、床についてからお腹が痛み出す。
激痛ではなく、ちくちくと胃と腸が別々に痛い。
数日前にパパがかかった風邪だろうと察したものの
思ったよりひどくて朝になっても起きられない。

でも今日は幼稚園へ送った後、仕事の話を聞きに行って、
次女のヤマハの送り迎えをして、うー。

結局ごにょごにょ言う私を説き伏せ、会社を遅刻して
幼稚園へぶたこを連れて行ってくれたパパ。
いつもすみません。

ほんとに私はなんでこんなに弱っちいんだろう。
いつもいつも。
気胸が治ったと思ったらまた風邪で。

↑ありがたいことに、この日はこんな自己憐憫に
陥ることもできなくらい吐き気と痛みで苦しんでいた。

ヤマハの送り迎えは結局、長女にお願いした。
本来なら、一人で通える長女でさえ帰りは私が
迎えに行っているというのに、なんて理不尽なと
思いながら長女にお願いした私。
何も事故がなくてよかった・・・感謝。

うつうつと寝て、いろんなものに起こされて
(なんで長女の声はあんなに大きいのか?
なんで次女はあんなによく泣くのか?
なんでぶたこはあんなに重いのか?)
いろんな音が飛び交う我が家であった。いてて。


2002年11月28日(木) 枯れ葉よ〜 / 衝動買い

2003年11月27日(木) かんじ が つかえません

きのう、ねんがじょう を つくっていて
いろいろあって、ぱそこん が こわれた。
あさ、きどうしなくて、でもリトライしたら きどうした。
でも、ATOKじしょ が どこかに いってしまい、
かんじ を つかえません。
おーい、じしょさん、どこいったの〜?
「そんざい しません」とかいわれちゃうし。

PCほんたい が こわれるのは あるていど
じかんの もんだい と おもっていたけれど
こんかい は もしかしたら Dどらいぶ(おぷしょんそとづけ)が
いかれたかも。そ、そんなあ。
なんでもかんでも だいじなのは そっちに ほぞんしてたのに。
せめて こわれるのは ねんがじょう ぷりんとできるまで 
おまちになってください。

ああ、かんじ が こいしい。
ちゅうごくご の ワープロきのうってどんなんだろ。
かんじonlyなんだよね。
めっちゃ たいへんそうな きがする。
ハングル は えいごなみに シンプルそうだね。


2002年11月27日(水) フェリシモ到着(12月分)

2003年11月26日(水) ああクリスマスだ

今日は昨日の会社へ行く予定だったのだが
ぶたこちゃんがどうしても幼稚園を休むと言いだし
(お腹が痛いと言い、咳も相変わらずコンコンと)
せっかくお弁当作ったのにぃ〜と言いながら
休ませてしまったからだった。
これで金曜日に約束が伸びてしまった。先延ばしか。ふう。

自分ができることって何だろうって
この年になっても考えなきゃいけないなんて
これまでの人生どれほど、もったいなく生きてきたんだろう。

とりあえず、今目の前にある本分を(家庭のため)
果たせることができるように助けてくださいと祈る。



30日からアドベントに入る。
(クリスマス礼拝までの4週間をそう呼びます)
そろそろ家もクリスマスモードに入らなきゃ。
13日はお友達を呼んでクリスマス会をする。
今年は長女が奏楽できるので、ちゃんとできそう。
家庭礼拝って、きちんとしたのは最近してないなあ。
結婚した頃をちょっぴり懐かしく思い出す。

お昼ご飯を何にしようか…やっぱり、たこ焼きか?
イースターも我が家はたこ焼きを焼きまくった。
たこ焼きで始まりたこ焼きで終わる1年か。
なんてディープな我が家だろう。


2002年11月26日(火) 今日のピタゴラスイッチ

2003年11月25日(火) 仕事しませんか?

知り合いの方にお仕事のお誘いを受けた。
私にできる仕事とは、とても思えなかった。

第一、自分が社会に出て仕事をする自信がない。
不安・・・を通り越して恐怖を感じる。
仕事をやめてもう10年なんだなあ。
自分が仕事をしていたなんて到底信じられないような
そんな不安定な今の自分。

「とりあえず話だけでも聞きに来て」
そう言われて、さっさと明日その会社へ行く約束が
とりかわさて、キツネにつままれたまま帰宅した。
お風呂に入りながらそのことを真剣に考えてみた。
せっかくいただいたお話なので祈ってみる。
心臓がどきどきした。うーん・・・やっぱり無理か。

いつかは仕事をしないといけないと思う。
それが私の目標でもあるのだけれど、ものすごく遠い目標。
人と普通に話をすることが、とても困難な時がある。
そんな自分が外に出て仕事?しかも営業?

やっぱり断ろう。
それでこの話が終わりなら、それでいいとする。

ある部分(多くの部分)で、今の私は前に進むことを
拒否している。
進まないといけないと強く思いながら不安で動けない。
今回のことでその事をあらためて示された。
さて、どうしますか。


2002年11月25日(月) 黄一点

2003年11月24日(月) ストーブのつけはじめ

ぶたこのブツブツは蕁麻疹だった。
パパが休日診療に連れて行ってくれたのだが
「なんか変なもの食べたでしょ」と若いお医者さんに
言われたそうだ。ううむ、どこかで拾い食いしたか。

私のカンでは風邪で何かブツブツ出てるんじゃないかと。
子供って突然、容体が悪くも良くもなるので
放っておけないけど、いちいち張り込んで見てられない。

パパもお腹が痛いと夕方から寝入っている。
この連休は『からだやすめ』の日々だったね。
そうそう灯油ファンヒーターをやっと出した。
それでも20度を切るかどうかという程度の室温なので
今からヒーターつけてると後が心配だわ。

あ、特別児童手当の継続手続きに行ってこなければ。


2002年11月24日(日) 手作りは好きですか

2003年11月23日(日) 体調はもうひとつ

住宅メーカーへ。
代わった営業さん、今イチだなあ。
足りないところをフォローするのは設計士さん。
それって…なあ。

そんな気分で帰宅、車から降りる寸前で
次女が吐いてしまった。
昨夜、熱が出ていたのだけれど朝は元気だった。
でも無理して連れて行かない方がよかったね。

前みたいに食べられなくて吐く風邪だったら
点滴しないといけないかな、と思ったけれど
結果的には1日寝て大丈夫だった。ほっ。

そのかわり、ぶたこのおでこやお腹に赤いものが。
ん?手足口病?ま、まさか水疱瘡じゃないだろなあ。

という感じで何となくみんな元気一杯ではありません。
さりとて大変な状況でもなく。

そうそう本日は大学女子駅伝の日だった。
道路が閉鎖される前に急いで帰ってきた。
TVをぼーっと見ていると、同じマンションの
長女のクラスメートとそのパパが自転車で
トップランナーと併走している姿が目に飛び込んだ。
マラソン中継をみていて、知り合いをどれだけ見つけるか
そんなことが気になる冬でした。
今度は1月の国際女子だー。


2002年11月23日(土) 台所は好きですか

2003年11月22日(土) 土曜参観に旧友との語らい

さあ日記でも書くか。

小学校の土曜参観日。
長女(小三)は音楽の授業。班毎に縦笛の発表をした。
次女(小一)は体育。親子でドッジボール大会をした。
ドッジボールの参加はパパにまかせて、
長女の授業をのぞいていたら、一緒にいたぶたこが失踪。
前回の参観日の時もほんの数十秒の間に影も形もなくなり
泡を食った記憶があるので、慌てて探しに行った。

そうしたら、ドッジボールをしているパパのところで
パパに抱っこされたまま、今まさにボールを投げつけられて
いるところを目撃。
受けたのよ、これが。ぶたこ、すごい!
次の瞬間には私のところに引き取られたぶたこだったが
緊張して泣くこともできなかったらしい。
そんな状況でボールを受けちゃうぶたこちゃん、素敵〜
(なんて言ってる場合じゃないでしょ)


午後からは友達に会いに大阪ドームまで。
社会人野球の応援にかり出されて社員であるご主人と共に
はるばる愛知からやって来られた中学以来の友達に会う。
もう一人の幼なじみと共に大阪ドームで再会し、
野球も見ずに観客席でぺちゃくちゃおしゃべり。

それでも私が「おっピーンチピンチ」とか「めっちゃええ球」とか
「すごーいこの選手2打席連続HRやん」とか時々言うので
友達はあきれ果てていた。(そこに野球の試合をやっていて
どうして会話に没頭できるというのだ)

そんなこんなでTOYOTAは快勝。
中日に行くというエースが(ちょっと怪しげながらも)
完投したのを見届けると、友人はまた愛知まで帰るために
応援バスの待ち合わせ場所へと消えて行った。
さすがTOYOTA、どれだけの地方から来たのやら
各々乗り込むバスのプラカードがずらっと並び、
みんなが行列を作っていた。
うーんこういうのを大企業って言うんだなあ。

かーさんは決して野球を見に行ったわけではないのよ。
友達に会いに行ったの、友達に。


2002年11月22日(金) 手紙 / 学習発表会

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