ぼんやり日記
DiaryINDEX|past|will
2003年12月27日(土) |
年賀状は出しましたか |
次女は元気に起きてきた。 大したことなくて良かったね。
パパは昨日、納会だったものの会社へ。 年明けも随分忙しいらしい。
私は年末行事への馬力がかからず。 もう一杯コーヒーを飲もうかな。
年賀状は12月始めにできあがっていたのに、 そして半分くらいは15日くらいに書き終わっていたのに 1枚も出していない。 全部書き終わってから、重複してないか、 書き漏れはないかの確認をしてからでないと 出せないなあと思っていたのでドンドン遅れる。
若い頃、手紙を書くのは好きなのに 書き終えて封筒に入れた手紙に貼る切手がなくて 郵便局まで買いに行くのが面倒で、 そのまま半年も1年も過ぎていった。 そんな手紙が何通も。 手紙書くのは好きなのに筆無精な私の、これが真相。
その後、常備切手を揃えるようになり解消されたが 当時はどうも郵便局に行く、というのが苦手だったようだ。 たぶん、仕事の合間をぬって用事を済ますのが 嫌だったんだと思う。 今は専業主婦なので時間の融通ができるから こんな変な悩みもなくなった。
それでも、根は同じ病を抱えているようで 手元には書きかけの年賀状。 (ほとんどが24日までに書き終えているもの) これから、書き漏れている人をチェックしなくちゃ。 あと、郵便番号が漏れているのもチェック。 自分の郵便番号はちゃんと書いておかないと 相手が書く時に面倒がられるから気を付けないとね。
検診。 次女がちょっとしんどいみたいなので 長女とぶたこは実家に預けていく。 これが大正解。
冬休みに入り、年末年始の外来休みも重なり ものすごく人が多くて待たされた。 次女は眼科検診も行ったので予約していても どんどん後ろにまわされて行った。
そして時々言う「気持ち悪い」 うーん、風邪かなあ。空気が悪いからかなあ。 次女は気分次第でそんな事を言うことも多いから 見極めが付きにくい。
10時過ぎに病院へ行って10時半の予約が 検診に入ったのが午後2時をとうに過ぎていた。 結局、最後の最後になったようだ。 次女はどんどんしんどくなってきて、 とうとう点滴を打ってもらうことになった。
吐き気止めの座薬が院外処方だというので それをもらいに私が行っている間に 先生が点滴の処置をしてくださっていた。 ふと気がつくと、午後3時半からの予約の人が いっぱい並んでいてめまいがした。 何故か、主治医の先生に患者が殺到したようで しかも最後がうちだったせいで、 先生はたぶん休憩なしで午後の部突入した模様。 すみません・・・
次女は点滴している間ぐっすり眠ったようだ。 家路につくまで「気持ち悪い」を連発して はらはらした私だったが何とかたどり着けてホッ。 トイレへ行って吐いてみるけれど胃がからっぽなので 何もでず、吐き気だけがずっと続く。
吐き気止めの座薬をしてあげると、ちょっと楽になった。 「今日はまだ食べられへんねえ」と言うと 寂しそうにうなずいていた。 吐き気をもよおしながら、空腹であることを自覚する 根性があるなんて。あんた偉い。
そんなこんなで疲れました。 長女とぶたこはチョー元気です。 かーさんはお腹が空きました。 こんな時、血糖値測定すると低血糖なんだろうか。
(ちなみにHbA1cは6.0%でした。ぱちぱち)
2002年12月26日(木) トイレ・ウォッチャー 2001年12月26日(水) 祭りの後
2003年12月25日(木) |
25日ってクリスマス? |
なんだか今日は暖かい日。気持ち悪いくらい。 昼間は教会で子ども達のためのクリスマス会に参加。 人形劇に、ゲームに、心づくしのランチにケーキ。
会堂の椅子を取っ払うと、かなり広いので、 思いっきり走り回って遊べるから、子ども達は大好き。
もう連続のクリスマス会で子ども達も食傷気味。 パパが「ケーキを買ってこようか」とメールしてくれたけど たぶん誰も食べないと思う・・・ 25日になるまでに何度ケーキを口に運んだことだろう。
夜。寝る前に次女が「きもちわるい」と言い出した。 時々そういう事があるので様子を見ていたら 布団の中でもどしてしまった。かわいそうに。
明日は検診。どうかな、行けるかな。 行けるかなって、具合が悪かったら尚更行かないとねえ。
ところで25日ってクリスマスだよねえ?って聞きたくなるくらい スーパーやお店へ行くと、さっさとクリスマスのディスプレイは 外されて、お正月の準備に入っている。 毎年、どんどん前倒しになってきて、すでにフライング気味。 うちでは年末まで飾り付けはそのままなのに。 (あ、これは、これだけは怠けて片付けてないわけでは決して)
2002年12月25日(水) 闇は光に打ち勝たなかった
終業式後、会社を抜けてきたパパと学校へ。 先生と話をする。 どうも、長女の言っていることと、先生の話との間に 少し認識の違いが見られた。 子ども達は先生の目を盗んで悪さをするものね。
前回の殴った子のところへは再度、 先生が連絡を取るということだった。
で、夕方、その家のお母さんから電話があった。 お母さんも知らなかったとのこと、平謝りだった。 以前から知り合いだし、次女とあちらの妹さんとも クラスメートで仲良しなので、いろいろ突っ込んで話をした。
あちらのお母さんも、クラスの空気が何となく 変な雰囲気になっていると感じているらしい。 ケンカ(というより一方的に殴るからイジメだよね)に なっても、周囲がはやし立てる。 殴ってる子は単純だからそれにつられてぼかぼかやる。 止めようとする子は、後で仕返しが怖いから黙認。 これって、現代社会の縮小版だね。
また連絡を取り合おうね、と言って電話を切った。
ふう。 少しだけ気が楽になった。
と思ったら、その夜、長女があまりに意地悪連発なので 私も怒り爆発、「あんたそんなんやったら友達なくなるで」と 私も言う言う。もう止まりません。 パパがいたので仲介にはいってもらった。 「だってわからんのやもん。おかあさんかって 意地悪するやん。人に言うといて自分も悪いことするやん」 おおー言うねえ。 寝床に入ってパパが聖書を開き、読んで聞かせた。
わたしは自分のしていることが、わからない。 なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の 憎む事をしているからである。(中略)
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。 だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 わたしたちの主イエス・キリストによって、 神は感謝すべきかな。(後略) <新約聖書 ローマ人への手紙7章15節〜25節>
長女は、悪いことをしたくないのにしてしまう。 その事で3歳の頃から悩んでいる。 私と大げんかした後、パパにこの御言葉をひもといてもらい やっとこの箇所の意味がわかったという。 そして、安心して眠りに就いた。 私も何度も読んで聞かせた箇所だったのだけれど その時はわからなかったんだね。
パパはこうも言った。 「おかあさんが悪いことをするのは、おかあさんも 悪魔にそそのかされて悪いことをしてしまうんやね。 クラスの子が殴るのを止めようと思ってても まわりではやし立てる子がいたら、ついつい殴り続けるみたいに」 長女はすごく納得したらしい。 おかあさんが悪いことをするっていうのは気ぃ悪いけど ほんとにその通り、私は一方的で意地悪でいい加減です、はい。 したくないのにしちゃいます。はい。しくしく。
御言葉というのは、いろんな出来事を身をもって体験して、 時が来たときに、初めて心底、納得するものなんだね。
それにしても、ここ最近の一連の出来事は、 長女がこの御言葉を理解できるための下敷きだったのかと思う。 私も、子供相手に、しかもイブの夜に怒りまくったのは なんとも情けなく恥ずかしく痛恨の極みであるけれども それを通して、長女がローマ書を自分の言葉とできたのなら 多少は慰められもするというもの。
奇跡というのは個人的に「すごい」と思うことであって 他人が聞くと「ほんとか」「ただの偶然やん」となる事が多い。 それでも明らかに、私達にとっては、これは間違いなく奇跡で 神様からのスペシャルギフトだったなあと思う。
こんな私でも赦されている恵みに感謝して。 メリー クリスマス!
2002年12月24日(火) ジョー・ストラマーに花束を
2003年12月23日(火) |
クリスマス・クリスマス |
世界は私に何も与えてくれなかった。 だから私も何も与えなかった。 ・ ・ ・ 教会のクリスマス会。 劇の中で主人公がそう語って人生を終わろうとしている。 彼の人生は幸せな環境とは決して言えなかった。 でも、本当に何も与えられなかったのだろうか。
子ども達の手話とタンバリンの演技、素敵だった。 その後の劇にも堂々と出演。みんなよかったよ。
クリスマスのお祝いのただ中、流された映画のシーンは 映画「ジーザス」からイエスが十字架に張り付けられる シーンだった。 初めて教会に来た人、初めてクリスマスの話を聞いた人、 なんでこんな場面がと驚かれたと思う。 まさに、こうして死んでくださるために イエスはこの地に来られた。 なんで?誰のために? 私の罪をあがなうため。あなたの罪をあがなうため。 それをお祝いするのがクリスマス。 感謝するのがクリスマス。 ええ、結構シリアスなんです。クリスマスって。
家に帰ってふと思う。 パパは長女と次女のクリスマスプレゼントを買ってきたけど ぶたこにはない。 私がダイソーで“石”を見つけてきて 「これ、ぶたこ喜ぶで」(彼女は石コレクター) と言ったのを真に受けて、クリスマスプレゼントは その百均の“石”だけで十分だと思ったらしい。 はあ。 まあ喜ぶとは思うんだけど。 ・・・・ちょっと気の毒でない?
2002年12月23日(月) 親族一同のクリスマス
2003年12月22日(月) |
悲しんでいるものは幸いです。その人は慰められます。 |
金曜日から心臓がどきんどきんしっぱなし。 長女の事を考えれば考えるほど落ち着かない。 今日は話もろくにできなかった。
今の担任の先生は被害者の方には連絡するけれど 加害者には連絡を入れてないようなので、 先週、乱暴をした男の子の家にも連絡してないかもしれない。
クラスの乱暴者くんたちの数人は幼稚園が同じだったので お家も電話番号も知っているし、お母さんとも顔見知り。 一番、乱暴する男の子のお母さんは 実態を知らない可能性が高いので、迷ったけれど 一度電話で、うちの子がこう言ってるけど、と話してみた。 やはり、そんなにひどく乱暴しているとは知らなかった。 それでも、「うちの子の話だけやから他の子にも 聞いてみてね」と念を押して電話を切った。
要領よく話せなくて、内容も内容なので ずっと気が滅入っている。 子ども達が寝床に入ってから、たまらなくなって 長女に抱きついて「かわいそうに、かわいそうに おかあさんもつらいよ、イエス様たすけてください」と 祈りだか何だかわからない事を口走ったら 長女に「だいじょうぶやで、おかあさん、 イエス様まもってくださるからね」 と逆に慰められてしまった。ちゃ、ちゃうんねんて。
長女を慰めようと思ったのに、慰められるなんて。 情けなさ過ぎ<自分
2002年12月22日(日) 教会のクリスマス
金曜日、長女と次女が帰ってくるなり、 長女がクラスメートの男の子に殴られた話をし出した。 連絡帳にもその事が書かれており、 「親御さん同士で話し合いをされた方がいいかも知れません」 と結んであった。 きっかけは、1年生の次女が3年生の長女のクラスメートに しょうもない事を言ったことから怒りを長女にぶつけたという ことらしい。 それはそれで次女も悪いのだから、彼に謝りなさいと言って この事は終わりにしようと思った。
しかし、長女の話を聞くと、彼女はしょっちゅう 殴られたり蹴られたり、悪口を言われたりしているとのこと。 このクラスメートだけでなく他の子からもされていると。 長女以外にもたくさんの子が彼らの暴力にさらされていて 学校に行くのが嫌だと言う。
前から「暴力ふるうから嫌や」とは言っていた長女だが いつもけろっとしており、特に大きな傷をこさえて 帰ってきていないので、口半分に聞いていた私だった。
この話はさすがに聞き捨てならない。 特に、先生の対応に疑問点が多すぎるので パパと相談して、一度学校に話を聞きに行くことにした。
それから、暴力ふるう子達は同じ幼稚園出身で お母さん方とも顔見知りなので、 一度、電話をしてみることにした。 恐らく、こんな事になっているとは知らないのではないかと。
金曜日からずっとこの事を考えている。 どうして長女はそんな思いをしてまで学校へ行くのだろう。 休めばいいのに。(休みたいと言えば喜んで休ませるさ) 泣けばいいのに。(泣いたら先生も見に来るさ) そんなに頑張らないでよ。お願い。 子供がそんなに頑張ったらだめだよ。 胃が痛いっす。<親はこんなに頑張れないとゆーのに
2002年12月21日(土) ノリ、近鉄残留によせて 2001年12月21日(金) 公開番組に行こう!
|