ぼんやり日記
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ええと。木曜日(29日)の日記にて この日の文章の重要ワードとなっている言葉、 (なので「」付きで非常に目立っている) 「臨機応援」というのがありますが、一体それは何じゃ? 「臨機」を「応援」するのでしょうか? がんばれ臨機!えいえいおーっ
・・・・・・・・ すみません、間違えました。 「臨機応援」→もちろん「臨機応変」です。 (ATOKも簡単に変換するなよ) 何でそんな打ち込みをしたのかわかりませんし 出てきた漢字を何の感想もいだかず流してしまった自分が 情けなく愛おしく恥ずかしくてなりません。 しかも2回も続けてやがるのです。 狂おしくてなりません。
と、言い訳だらだらして証拠隠滅しました。 隠滅したのにこんな事わざわざ書くなよ、なのですが あまりに恥ずかPことだったので、見た人への ちょっとした言い訳をしたかったわけでございます。
どこが「ちょっと」なんだと。ええ。
2003年01月31日(金) ほわほわ、ほかほか 2002年01月31日(木) ランゲル〜南の島〜ハンス島
2004年01月30日(金) |
検診と長女の使いパシリなる母 |
次女の検診へ行った。 午後の検診はかなりハードなスケジュールになるため 思い切って学校を休ませ午前に予約をとった。 今日はパパも代休をとって3人一緒だ。 いつもと違ってなんかウキウキ。(単細胞)
HbA1cは6.2%だという。あれれ? 一応、前回の6.0%からは上がっているものの 年末年始以降の高血糖乱れうちは、まだ反映されないようだ。
次女は病院の食堂の、きつねうどんが大好き。 なんでだろう? せっかくいろんなお店があるというのに、病院へ来て 昼食をとるとなると、病院の食堂できつねうどんだ。 ま、ここのコーヒーは割と美味しいのでいいんだけど。
長女のクラスメートのお誕生会が明日あるので、 長女の代わりに私が百貨店でプレゼントを買ってきた。 レインボーパークとかいうキャラクターショップのものが お気に入りらしく、でも高いのでうーんうーんと 小一時間うなりながら、なんとか買い物をした。 わざわざ電車乗って(別に自転車こいでも来られるのだが) 子供の友達のプレゼントを親が買いに来るっていうのも 今時の親ばかなんだと自分のことを思う。 お小遣いをもう少しまとまってあげるようにしたら 自分の小遣いの中からプレゼントを買わせることができるけれど それもいろいろ考えあぐねているところで、 他にも長女には性教育だとかいろいろほんと小学生になると 難しい問題も出てくるものですわね、おほほ。
2003年01月30日(木) いいカモさ
幼稚園のクラス委員会の後、同じ年少さんのお母さん達と 昼食を食べに行った。わーい外食だ。
私は楽しく話せる時と、ぼぼーとしている時のギャップが 大きいので、陽気な時はできるだけみんなと話すようにしている。 陰気な時もできるだけ陽気になるよう努めているのだが やっぱり陰気らしいので、目立たないようにひっそりと 道端のハルシオンのごとく息を潜めていることにしている。
で、陽気なみいさんは来年度もクラス委員をしようかと 思っていたのだけれど「代表委員」(PTA役員みたいなやつ)を やってくれと言われてしまい笑ってごまかした。 代表さんはみんなに指図しないといけない立場なので それは私には無理なのよ。 言われたことはできるとしても私の言動にないもの、 それは「臨機応変」なのだから。
この「臨機応変」というやつを、どれほど願ったことか。 人からも、どれだけこの機能を迫られたことか。 そして、どれだけ挫折したことか。 で、最近になり、自分には「臨機応変」および 「リーダーシップ」機能がついていないと思うことにした。 そう思うとすごく気が楽になったのよ。 変なプライドもいらないし、自分の持ち場である 「言われた事を誠実に行う」という機能が フルに活用できるようになったのである。
努力をしなくていい、と言っているのではない。 (実際、言われた事を誠実にこなすのは、私にとって 相当な努力をしなくちゃならない) でも、与えられた賜物はそれぞれ違うし、それをお互いが 認め合い尊重しあわなければと思う。
今まで「あんたにはこれが足りないのよ」と言われ続け 「だから足りるように努力しなさい」と忠告された。 そうなんだと努力しても足りないままだったので やっぱり私はダメなんだなあ、と思い続けていた。 もっと努力しなくちゃいけないのに、自分は努力することも きっとできないダメダメな奴なんだと。 (ここで円形脱毛症をこさえる)
でも、「コレが足りないってことは、アレは足りてるんじゃ」と 思い直すと、そっちを高める努力をした方が 話は早いんじゃないかと思うようになった。 たぶん、かなり、話は早くなったと思う。
こういう考えは自分を甘やかしてしまうデメリットもある。 権利ばっかり主張して義務を果たさないってヤツ。 例えば聖書の言葉で「あなたは私の目には高価で尊い」とあるけど この言葉の意味は「それだけあなたはかけがえのない1人の 存在であるからこそ、その存在を十分に輝かして欲しい」という 大きな期待も含まれていると私は思っている。 その期待を重荷ではなく喜びをもってつかんで欲しいのだけれど 自分という存在を輝かせるための努力は、それぞれにゆだねられている。 何もしないまま甘えて殻に閉じこもっているだけでは その人の尊さが現されないまま終わってしまうものね。
2003年01月29日(水) 寝言 / いろいろ興味はあれど
2004年01月28日(水) |
花粉症とインフルエンザ |
今日は昼間、あたたかい日射しが出ていて お布団を干したりした。先週の寒さが嘘のよう。 幼稚園のお迎えの時も、厚手のコートはいらないかな、と 思ったくらい。 ところが、外出から帰ると何となく鼻がこそばゆい。 これは、もしかして。
ああ、もう既に花粉症の兆しが。 今年は昨年の冷夏の影響もあり、杉花粉の飛散は少ないとか。 でも飛散が少なくても症状が出ない年はない。 今年はどこの耳鼻科へ行こうかなあ。
幼稚園や学校でもインフルエンザA型の話を聞く。 48時間以内に特効薬を飲むと大事には至らないそうなので お、熱が出たと思ったらすぐお医者様へ駆け込んでください。 お鼻の粘膜を取ってその場で感染しているかわかるので。
会社でも学校みたいに 「インフルエンザの人は来ちゃダメ。欠勤扱いにはならない」 としてもらえたら、会社で遷されたよう、という被害が 少なくなるのにね。
しかし寒ければインフルエンザ、暖かければ花粉症、 どちらも心配しなくちゃならないとはね。 人間、体が資本だとつくづく思います、はい。 (なんか殊勝な日記ね、今日は)
2003年01月28日(火) 父
2004年01月27日(火) |
知らない人は危ない人かもしれない |
次女の授業参観へ。 内容は「自分の身を守るために」ということで 公園のトイレに1人で入った時、中に変な人がいたら、とか 車に乗っている人が「おかあさんの友達よ、家まで乗せてあげる」と 言われたら、とか、いろんなパターンでどういう振る舞いを すべきかという授業だった。
基本は「保護者がそばにいないとき、知らない人から 声をかけられたら近寄らずに家へ帰る」ということ。 保護者がそばにいるなら、少しはしゃべってもいいらしい。
寂しい世の中になったのう。
知らない人と挨拶程度の会話もしちゃいけないなんて。 分別がつかない子供が危険な目に遭わないためには 仕方がない防衛策なのだが、この子達が大人になった時、 それこそろくに挨拶もできない人達に なってるんじゃなかろうかと心配になった。 今でも幼稚園ママで、目があっても挨拶しない人が たくさんいるのに。 同じクラスのお母さん同士とわかっていてもそうなのだ。 で、それが別に普通だったりする。 私は本来、挨拶なんかが苦手なものだから (恥ずかしいし、タイミングとるの下手なのよ) けっこう大変な思いで毎朝、挨拶してるんだけど 無視されちゃうと悲しいのよ。しくしく。
あと、私みたいに公園の鳩や野良猫に話しかける人は きっと「あやしい人」に思われるだろうから ますます気を引き締めて外出しなくちゃならない。
そーいや先日もヤマハの帰り、「動物のお医者さん」の フクちゃんそっくりのぼろ雑巾猫に会って (この猫には時々会う) 「フクちゃん!」と思わず声をかけた時、 他に通行人がいて何となく気まずい雰囲気になったっけ。 声くらいかけさせてよ。(例え当てずっぽうの名前でも)
世の中、息苦しくなってきたなあ。 (気胸じゃないだろなあ・・・・笑)←あんまり笑えない自分
2003年01月27日(月) におい(つづき) 2002年01月27日(日) たまには走るか
長女の風邪が治るにつれ、再び姉妹ゲンカの勃発。 この数日は物静かな家庭だったのう。
うちのサイトのトップに、聖書の言葉を設置している。 数年前からクリスチャンの間でブーム(?)となった いわゆる「ヤベツの祈り」(聖書箇所は歴代誌第一4章:10節) というものである。
ぽんっとトップに置いたまま、何の説明もしていなかった。
ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。 「私を大いに祝福し、 私の地境を広げてくださいますように。 御手が私とともにあり、 わざわいから遠ざけて 私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」 そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
ヤベツという人物、背景を推理するに逆境の中にあった 不幸な人物が神に祝福を祈り、それを神がかなえられたという、 非常に短いながらも分かり易い記事である。
聖書の中にいろんな神の法則があるのだが、 この「ヤベツの祈り」も神からの祝福の法則といえる。 祝福されたかったら祝福して欲しいと祈る。願う。 そして祝福されるもののごとく一歩を踏み出す。 目の前に差し出されたものを祝福の礎として受取り実行する。 そうして後年、人生を振り向けば、まさに祝福された人生であったと そう思えることができるように、と 我が家でもヤベツが祈った通りの祈りをするようになった。
ここ数年、何の変化もないマンネリ人生、壁ぶち当たり人生、 あるいはタンス貯金で生き延びる人生であったのだが(ひどいな) 考えてみると昨年から少しずつ変化が見えてきている。
家を建て替えようと勉強していること。(微々たる歩みなれど) 幼稚園のクラス委員を引き受けていること。(そう大した働きでないが) 教会の中で自分のできるお手伝いを引き受けたこと。(丁稚見習い状態) 今年は町内会の班長が回ってくること。(何をするんだろー) 次女の病気についてもう少し突っ込むことになったこと(意味不明)
一つ一つは別に大したことではないのだが 自分にとっては勇気のいる一歩のものもあり、 それらを継続することは浮き沈みの激しい自分には ちょっとばかりプレッシャーを感じる部分もあるのだが それでも前向きに受けとめてチャレンジしていきたいと思う。
私は祝福された人生を歩みたいと思う。 失敗はきっといっぱいするだろうけれど へこんで悩んで落ち込むだろうけれど、また頑張る。 きっと祝福されると思うから。 根拠は「ヤベツの祈り」です。 さあて結果はどうでしょう。 20年後をおたのしみに。。。。
2003年01月26日(日) デジカメ購入 2002年01月26日(土) プロ野球って試合時間長いよね
長女の風邪は夕方になると熱が上がってくるパターン。 もともと小食の上、朝食以外はあまり食べないので 夜、体重計にのると2kg減になっていた。 135cmで25kgというのは良くない気がするのだが。 とりあえず咳以外は復調。よかった。
そういう状態にもかかわらず、母は父にまかせて 神戸へ行ったのであった。(まったくひどいったら) ラグビーの試合を見るのは初めてで思わずきょろきょろ。 その場の空気(雰囲気)がとても心地よかったので ルールはわからないながらもまた行きたいなーと思った。 何より隣りの人と話しながら観戦できるっていいわ。
ちょっと最近、野球場の効果音アレルギーのせいかもしれない。 うるさいよね、プロ野球の効果音。 応援も、うーん、いい時はいいんだけど たまには静かにみたいと思う時もあるわけで ライブで総立ちになっちゃって「ステージが見えん!」と 不機嫌なオヤジ状態なのかもしれないなー<自分 やっぱり年なのか。
高校の授業でやった事があるという、そして何故か ラガーシャツを(一つはオーストラリア土産のオールブラックス、 なんでオーストラリア土産なのか知らんが) 何枚か愛用しているパパに「行こう、行こう」と おねだりしている最中である。行こうね。

朝、10時くらいから突然雪が降り出した。 次女が傘を持って外へ飛び出す。 何をやっているやら傘を振り回して1人で遊んで(暴れて?)いる。 かーさんも少し外に出て、うきうき。 ボタボタ、と音が聞こえる文字通りのぼたん雪で、 道に落ちるとすぐ溶けてしまうのだけれど 雪の音を聞けただけでも興奮できた。 親子そろって幸せなことよ。
こんな状態でラグビーかよ、と思ったけれど 午後からは気持ちのよいお天気になった。 やっぱ幸せなことよ。
2003年01月25日(土) ネットの友達
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