ぼんやり日記
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2004年06月24日(木) |
めいこ、ふたたびプチ錯乱 |
昨日の日記に、徒然事を書いたけれど 書くべき大事なことがあったんだった。
昨夜、まためいこが低血糖錯乱状態に。 この間よりも軽かった。まだ会話が少しできた。 お風呂に入る前、しんどいというめいこ。 「んー、じゃあグルコレスキュー食べなさい」と 出したら、なんか食べ方がヘン。 仕方がないので食べさせてやるが、前回の時のように 妙なところがある。 「ジュースも飲んどこうか」と差し出したら 普通に「うん」と手に取ったので安心した。 血糖値は57。
数分後、みっふぃが「おかあさん、めいこおかしい」 という言葉に洗面所に行ったら、歯みがき途中で 動作が止まっている。 仕上げ磨きをしてあげて、「ぐちゅぐちゅぺっして」 とコップを渡してもやり方がわからないみたいな顔。 コップの水を飲ませて、ぺっぺっさせて。 コップの水、ごっくんしたり。とほほ。 なんか1歳児に「はじめての歯みがき指導」させてるかんじ。
低血糖で錯乱すると、彼女の場合 体が動かなくなるみたいだ。 あと、言われた事をやろうとして 返事するけど、全然別のことをしようとする。 しかも、一生懸命やろうとしてるのにできない。 (つーか最終的に停止してしまう)
お風呂はみっふぃが体を洗ってくれた。 2分で出てきためいこを着替えさせて、 布団を敷いて寝かせた。 30分後の血糖値を測ると65。 でも、その頃には元気になっためいこ。 どうも錯乱していた時期は一気に血糖値が 下がっていってる状態だったようだ。
しかし、低くなる心当たりがないなあ。 これ、学校でなったらちょっと大変だよ。 朝の注射加減と朝食量は真剣勝負だな。
プチ錯乱って、さくらんぼみたいで可愛いね。ふふ。 って、笑ってる場合じゃないんだわ、へへ。
2003年06月24日(火) あらら 2002年06月24日(月) 体力
幼稚園に行くと園長先生に声をかけられた。 「キッズ・ぱふの岩城さんのお話聞きにいきましたよ」 と言われてびっくり。 「確か、みいさん行かれるって言ってましたよね。 それで別の講演会の機会があったので 行ってきたんですよ。すごくためになりました」 とのこと。 「すっごく面白い講演でしたよねー」と二人で 少し講演の内容を話し合った。
園長先生はまだ新人1年。 東京で畑違いのお仕事をされてて、 うちの幼稚園の理事長の息子さんとご結婚され そこで少し教育関係のお仕事にも携わったが 基本的には幼児教育には素人の状態で、 ご主人が父の後を継ぐため理事長になられた。 そして奥さんであるご自身が園長先生に。
なかなか大変なことだと思う。 まず東京と大阪(特にこの辺は下町感覚なので)の 違いで戸惑うこともあるだろうし、 上品な環境で過ごしてきたご本人には (ええと学校の履歴、チョトすごいです) 庶民的すぎて幼稚園の先生にもため口でしゃべる 保護者とのギャップも激しかろう。
「岩城さん、幼稚園でも呼んでくださったら お母さん方にもすっごくためになると思うんです」と お願いしておいた。
いろいろあるけど、うちの幼稚園は 少なくとも子ども達は楽しく通ってる。 もちろん、全員すべてが、というわけにいかないけど 子ども達は先生が自分を愛してくれているのを 感じているから「先生怒ったらこわい」といいつつ 「先生だいすき」と抱きつきに行く。 もうそれがすべて、という気がする。 親もそうだよね。 子供が親に抱きつきたい瞬間、 その時に抱っこしてあげないと、次の瞬間まで 待たせたらだめだと思う。 自分の幼い頃の記憶をたどっても。
言葉を選んで話すのは、時には大変。 だから「後でね」となっちゃうこともある。 でも、抱きつきに来た時、膝の上に載せてやるだけなら 割といつでもできる話。 台所で包丁持ってる時でも たかが100cm程度の身長の子なら 足に巻き付かせて遊んでやることもできる。
抱っこ(スキンシップ)は他に代えられない。 拒絶の痛みを知ってるからこそ繰り返したくない。
あらら、話がどんどん流れて行っちゃった。 ま、いっか。
2003年06月23日(月) どっちが病人だか / 三井は笑顔じゃなかった
ちゃんとしなきゃ。
まず学級委員の仕事。 自分のペースでできることではないから 一人でさっさとできないんだけど、 課題があれこれ残っていて、不安満載。 早く次の役員会来ないかな。 でないと何をどうやっていいかわからないよ。
教会のテープの奉仕。 テキストの打ち直しをしているのだが 思ったように進まない。 ちょっとしたことだけれど、フォントや 、。の打ち方種類など考え込むと先へ進まない。
ん、そういえばパパが買ったスキャナって 取り込めばそのまま既存PCのワープロソフトに 変換してくれるって言ってなかったかな? そんな夢のような装置が世の中にあるのですか、と 尋ねたっけ。あるのですか、夢のような装置。
このHPもリフォームしたい。 IDDM関連で検索してきた人に、もう少し 活用してもらえるような(リンクもできるような) ページを独立させたいと思っている。 思いつつ日が過ぎていく。なんでだ。 思ってるだけでは先に進まないのよ。
と、いうわけで、とりあえず止まっちゃってる 聖書通読から開始することにします。 第一のものを第一に求めていかなくちゃ。 でないとたくさんの事をやり遂げても 最終的に満足感は得られない。
暴風警報が出た。 大阪でこれが登校時に出るのは珍しい。
朝から元気な3人娘。 しかし、こう蒸し暑いと (ものすごく風は吹いてるものの) 家にいるだけで汗びっしょり。
いつもは外で遊ぶお友達も家にやってきて 大騒ぎな1日となった。 あんまり暑いからエアコンまわしたよ。
そうそう、めいこのお友達から電話があった。 てっきり小学校がお休みになった確認かと思ったら 「きょう、わたしのおたんじょう会やってんけど」 な、な、なんですと。
そういえば2週間ほど前、 「○ちゃんからこれもらった」と手書きの招待状を めいこが見せてくれていた。
「きょ、きょ、今日やったん・・・ ごめん、おばちゃん何も用意してないわ」 なんて正直に状況説明する大人な私でしょう。
「でも台風きてるから、来週の月曜になってん」 「ん、台風?あ、そそそっそ、そうなん?そうかぁ、 わかった来週の月曜ね、めいこに言うとくわ、ありがと」 台風の功名なり。
なんて冗談も言っていられない大型台風だったようで。 高波は怖いなあ。 台風の時、海岸沿いの道路を車で走るのは怖かった。 真面目な話、防波堤を乗り越えて 波が道路に飛んでくる時がある。 一瞬、車のフロントガラスは真っ白け。 確かに一瞬の事なんだけれど、走っている車だから 本当に怖い。スリップも怖い。 強風に煽られてハンドルもききづらい。
都会にいると自然の怖さに触れる機会が少ないが こういう怖さを時々、体験することは 人間にとってあるいは必要なことなのかもしれない。
2003年06月21日(土) ぶたこの深層心理をさぐる?
台風が近づいているので午後から雨、という予報。 結局ハズレ。蒸し暑いー。 パパに「晩ご飯食べたいものある?」と聞いたら 「久しぶりに焼肉食べたいな」 お、暑気払いしましょか。
お肉は商店街の老舗お肉屋さんへ。 牛肉は松阪牛onlyのお店だけれど スーパーで高い肉を買うことを考えると 同じ値段で美味しいものを食べられるのだ。
みっふぃもぱくぱく。 めいこもぱくぱく。 パパ、ママぱくぱく。 くるりるは、あれ、食べないな。
焼肉を焼いた後は食卓のまわりは油ですべる。 床もつるつる。雑巾でふいてもつるつる。 これが2,3日続くことになる。 ワックス代わりになるかなあ(なれへん)
PTA連絡網の電話 「明日7時までに暴風警報が出ていたら休校です」 雨の中、幼稚園へ送り迎えするのはイヤだが 元気なのに休まれるのも嬉しくないぞ。 こういう時、お仕事してるママさんって どうしてるんだろう。 小学生なら一人でお留守番? 保育園は暴風警報でもあずかってくれるのかな?
2003年06月20日(金) 「動物のお医者さん」にプール授業開始
やっぱり美しい球場。 写メール、日射しがきつくて しおれたミカンみたいな色合いになっちゃってますが。 もっと緑が冴え渡り、レフト席の近鉄応援団の 赤色もまぶしく、真夏ともいえる日射しきらきら。 太陽の光と風と緑とお友達になれる球場。
みっふぃも一緒に行く、と言ったけれど 彼女は乗り物酔いするので 三宮に辿り着く前に真っ青になった。 うかつにも私はポリ袋を用意してなくて 電車が到着するまではらはら。
その時点で、彼女の頭の中は後悔だらけだったろう。 私も、まだこれから地下鉄に乗ることを考えると 何て遠い球場だろうと改めて思うことになった。
しかし、到着すると最初に書いたように 自然を感じられる心地よさ。 心地よいというには、ぎらぎらに暑いし、 物が飛んでいくくらいに風も強いし、 雨ざーざーも降ってくるし、 その度に「やば」と思わないでもないけれど 結局、みっふぃも「楽しかった楽しかった」を連発。 途中から友人も来てくれて、ファインプレイもあり 試合を心から楽しんだ。
試合後にはウェーブランニング(ベースランニング)を 楽しみ、ブルペン前の土をいじり 「赤いんやね」と手のひらを見るみっふぃ。 本当に球場は文句なしにいいところです。
球場に着く前、神戸地下鉄に乗ったら 「大人1人子供1人無料」という文字が。 改札に行くと1枚無料券を下さった。 「ああ、これ親子無料券なんやね」と 二人で自動改札を通ったらパコーンパコーン。 ??? さっきの有人改札に戻り、渡してくれた駅員さんに 「子供が出たら私が通れないんですけど」と言うと 「お母さん、切符入れてないんですか?」と びっくりしたような表情で聞き返された。 ん? あ、大人が1人につき子供1人が無料なので 大人はちゃんと切符を買いなさいよって意味なのね。 そりゃそーだわね、親子で無料なんて太っ腹すぎるよねえ。 「あーすみませーん、あっはっは」と 恥ずかしさのあまり、笑ってごまかしながら さっさと「するっとKANSAI」で改札を通り抜けた。
こういうミスを犯すことって、「私の個性」という以外に 共存していく方法がない。と思う。
2003年06月19日(木) ラーメン食べたい
ベルマーク勉強会へ行って来た。
「3,4年の学級委員さんの中で、どなたか一名 行って欲しいんだけど」 そう言われて、みんなに聞いたけど反応無し。 3年の学級委員長さんもお仕事を休まないといけないので 「話を聞きに行くだけなら私、行きますよ」と 言ったのだけれど、何が話を聞きに行くだけだか。
ベルマーク勉強会に参加したわが小学校の3名は 自動的に今年度のベルマーク委員会員になるという。 聞いてないよぉ〜。 でもお気の毒なのは3名のうち6年生の方。 これも6年生ということで自動的にベルマーク委員長に なったものの、なんの申し送りもされず、 前年度の委員の方に、一体どういう活動を具体的にするのか、 お尋ねしようにも、卒業されてて訪ねることもできない、とか。 なかなか大ざっぱな委員であることよ、わはは。
その割にやることは非常に細かい作業じゃん・・・
ベルマークって誰でも1枚くらいは集めた記憶が あると思うけれど、あれを紛失せずに 学校まで持っていくのって難しいぞう。 頑張って持っていっても、95社のメーカーの 各製品、各点数毎に分別するのって、すごい手間だぞう。 でもベルマーク運動の盛んな学校では 一輪車は何台も買うわ、大きな図書室の書架を バンバン購入するわ、なかなか羽振りがいいぞう。 自分たちの学校に使わなくても、 よそに贈呈することもできるぞう。 そうやって集めた総額の10%分はベルマーク財団に まわっていって、そこから慈善事業に使われるぞう。
なかなか考えられた仕組みだと思う。 素晴らしいと思う。 でもうちは盛んじゃない学校なので、 (引継さえ雑なくらいだし) 今からみんなを啓蒙して盛んに活動を始めるというのは 相当に大変だと、勉強会に行った3人、 がっくりと肩を落として帰ってきた。 無力感・・・・
うなだれていても仕方がないので 家にあるベルマークを集めてみた。 ただいま2点。今度こそ紛失するまい。
2003年06月18日(水) 3歳児検診
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