日記
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2002年04月21日(日) さみしくない(’’

 以前は、好きな人に一週間以上会えないなんて、考えられないことだった。
そんなことがあったら、何も手につかず、ひたすらベッドにもぐりこんで、
涙をこらえてた・・・。
 ま、安定した関係なら、一週間くらいなんてことなかったけど・・・。
安定していない相手となると、一週間が一ヶ月にも一年にも感じられた・・・。
 それなのに・・・ ・・・。
どうしてだろう。寂しくないよ(’’?
なんでだろう。
 会いたくない・・・と言っては嘘になる。
そりゃ、会いたいよ。好きだもの(’’
 なのに、寂しくないんだよね。。。

 いろいろ考えてみた。。で、気づいたんだよね(’’
好きな人に会えない私も、好きな人と仲よくできる私も、どちらも私にとって一番大切な「わたし」なんだよ。
好きな人の気持ちに振り回されて、自分の精神状態をおかしくして、
自分のやりたいことも手につかなくしてしまうなんて、なんて哀しいお話Y(>_<、)Y

 だから私は私でやっていくんだよ。
周りで何が起こっても、私は常に「わたし」でいたいからね。。。
私を一番に愛することができるようになったら、次は誰かを真剣に愛してみたいなぁ・・・なんて最近は思っていたりするんだよね。

 とにかく、とにかく。。。
私は「わたし」とずっと一緒にいるから、あなたと会えなくても、寂しくないの・・・ 


2002年04月20日(土) 自然体に、素直にね。

 私、昔からほんと、ころころと気が変わる人だったんだよねぇ(’’

今日言ったことを、明日には180度訂正してたり(^^;
なんでかなぁ・・・と最近考えてたのよ(’’
もしかして、病気( ̄□ ̄;はうぁっ!
とか、思っちゃったりしちゃったりもしたんだけど・・・
 まぁ、物事良い風にとらなきゃね(^▽^;
で、とりあえず「頭の回転が速いから、早く結論に達するんだ・・・」と(汗汗
いい風に、考えちゃったり(^^;

 で、ここ一週間、ちょっと閉じこもっていろいろ考えたのね(’’
好きな人のことなのだけれど・・・。

 そんで、なんか好きな人を追いかけるのって楽しいけど、やっぱりもういい歳なのだから「私は思っているだけで満足です」なんて無理だという結論に達したわけですよ。
 
 駆け引き的な恋愛・・・自虐的な恋愛・・・いろいろあるだろうけど、
私は、私らしく自分が自然体でいられるような、お互いに心地よい空間を作れるよう努力できるような、それでいて一緒に頑張っていけるような、そういう恋愛がしたいなぁ・・・と思って。
 そういう相手はきっと、見つけようとして見つかるものではないと思う。
だから、とうぶんはこのままの自分でいいかなぁ・・・と思ってる。
 わざわざ探しても、焦って、また変なの捕まえるといけないしね(^^;

 自分が無理をしないで、自然に付き合える人と、付き合っていきたいね。
それは、男の人でも女の人であってもね。もちろん、気遣いはするよ。
それは、無理・・・ではなくて、相手を尊重する気持ちから出るものだと思うから。
 自分勝手な付き合いは自分もしたくないし、されることも嫌だと思う。

 自然体がいいね・・・。世の中いろいろ濁ってることもあるけど、そんな中でも
素直な自分を見せられる、そういう人たちと接していけたらいいね。。。


2002年04月19日(金) ( ̄-  ̄ ) ンー

 一人でいることが、苦痛じゃなくなってきた(’’
変なのぉ( ̄-  ̄ ) ンー
 あとあと(’’ 何でも人に頼らず、自分でやってみたくなってきた(’’
どうしたのかなぁ( ̄〜 ̄)

 あんなに甘えん坊だったのに(’’
誰かがいないと立てないのぉ(ρ_;)
・・・とか、言ってる人だったのに(’’;

どうしたんだ??? どうしたんだ???(’’??

 
 色にもでてきたかもぉ(’’
小さい頃は、赤と黒が大好きで・・・
つい最近までは、赤とピンクが大好きだったのに・・・(’’
なんだか、昨日アクセサリー屋さんに行ったら、いつも目に止まるはずの赤やピンクの髪留めは全く気にならず、どうしてか紫と青のアクセに目がずっと行きっぱなしだった(’’

 結局、紫を買ってしまったのだけれど・・・
紫なんて、つい一年前まではどちらかというと嫌いな部類に入っていたのに・・・

 不思議なものだねぇ。。。
まだ、年齢的には若いと言われるけど、きっともう赤のように突っ走ることも疲れて、
ピンクのように甘えたりわがままいったりするような柔らかいものも無くなってきたのかなぁ(’’

 今は、紫のようにおとなしく自分を見つめ、青のように落ち着いた生活を送りたいと思ってるんだろうねぇ。。。
 当分は、一人でおとなしく暮らしていきたいんだろうねぇ。。。


2002年04月18日(木) 自分に正直に(’’

 自分に正直に、生きていくことにしました。

人の目ばかり気になって、好き勝手してこなかったので・・・

そろそろいいかなぁ〜・・・っと(’’

 わたし、今、本当は誰も愛していないのだと思います。

ひたすら、自分のやりたい付き合いかた、自分のやりたい事に専念したいと

思っています。

 人から不真面目だと言われようと、もう気にしないことにしました。。

こういうのも、いいかもね。。。


2002年04月16日(火) 選択のジレンマについて(優柔不断)

 最近、「自己評価」ということが非常に気になって仕方ない(’’

 「自己評価」というのは、高いからいいというわけでもなく、反対に
低いから悪いということもないが、それぞれにおいて、長所・短所はわかれている。
 まぁ、自己評価の高い人は、常に自分のことをよく知り自分の能力を信じているので、行動や言動に一貫性がある。が、自信がありすぎて時として傲慢になってしまったり、また、人の状態が見えなくなったり、人の忠告を素直に聞き入れる姿勢をもてなくなるという欠点も持ち合わせている。
 逆に、自己評価の低い人は、周りの目が気になるがゆえに、行動や言動に一貫性がなく常に不安定である。が、相手や周りの人にうまく自分を合わせたり、言動において微妙なニュアンスを表現できたりという良い点もある。
 
 で、今日書きたかったのは。。。
自己評価の低い場合の、選択能力のなさである。
もちろん、それぞれ人によって、その決断力のなさはさまざまな場面であらわれるのだが・・・。
 それがどんな場面であっても、決断できないでいる人は、あらかじめ「正しい選択」と「間違った選択」が本人の中で決まっている場合が多い。
 結局、彼らの中には正解はひとつしかないので、どんなことがあっても「正しい選択」をしなければならず、「間違った選択」をしってしまったら、取り返しのつかない事態に陥ると思い込んでいるのだ。
 
 だが、現実の出来事がそのように展開することはめったにないのである。ほとんどの選択には長所と短所があり、その選択が正しいかどうかは最初から決まっているわけではなく、むしろその選択が正しいものになるか、あるいは間違ったものになるかはその後のやり方によって、どうにでも変わるのである。
 
 けれど、自己評価の低い人は、そういう大切な選択にせまられたとき、他人の意見に左右されやすい傾向にある。結局、他人の意見に耳を傾け、その通りに行動すれば、それは自分の選択ではないので責任を追う必要性がなくなり、気が軽くなるのである。もし、悪い方向へ進んでも「自分で決めたことではないから」と言い訳できるのである。

 私的には、それは、いち社会人として、少し無責任すぎると感じてしまうのだが、どうなのだろうか(’’?

 ・・・・・・・・・って、なんかすっごくおもしろくない文章(−−;
恋愛日記を書こうと思ってたのになぁ(。。;


2002年04月15日(月) 成長(’’・・・成長(’’;;

 また、少しわかったことなんだけど。。。
今まで、本当に優しい人が好きだったのね(’’
ずっと一緒にいてくれて、いつでも愛しているといってくれる人。

 だけど、最近違うんだ(’’
全然優しくないと思える、彼を好きになっている。
いえいえいえ(−−
彼の為に訂正。。全然優しくないなんてことはないです。。はい。
でも、なんていうのかな「ずっと傍にいてあげるよ」みたいな「どこにでも行きたいところに連れて行ってあげるよ」みたいな・・・そういう優しさは無いね(’’
ただ、基本的な人間としての思いやりは十分にあると思う。
私はそれだけで、十分なんだよね。。
甘えられる関係とか、頼れる関係はあまり好きではないみたい。
そりゃ、困ったときは何を置いても助けるよ。
けど、自分でできることは自分でやって・・・(’’みたいな。

 結局のところ、自分の足りないところを彼に見てるんだよね。
で、彼と会って、彼と話をして、彼と接して、勝手に自分で自分の足りないところに気づいて、少しづつ自分を充実させていく・・・みたいな作業を、今私はしているみたいです。。
 だから今の私にとって、彼はとても必要な人であり、また大切な人でもあるんだよ。でも逆を言うと、今は必要だけれども、彼に見ている私の足りないところを、全部私が自分自身で補ってしまったら、もう彼は必要ないということになってしまう(−−;;
 だから、結局誰かを恋焦がれ、愛するということは、相手に自分の足りない部分を「投影」し、肉体的にも精神面的にも、そのお互いの足りない部分を補い合おうと努力している状態を言うんだと思う(’’
 
 だからもっと言えば、恋はある程度片思いの方が、自分を成長させるためにはいいんじゃないかな。
 相手に近づけるよう、努力する。相手に振り向いてもらえるよう自分をいい方向へ変えていこうとする。。。
 これって、自分を成長させるための一番の近道のような気がする。

 さぁ(’’
今好きな人を、私はいつまで好きでいられるかなぁ(^^
彼を好きじゃなくなる日が来ても、それは哀しい事ではなく、むしろ喜ぶべき事なんだよねぇ。。
 うふふふふっ。。そしてまた私は成長するのだ(^▽^v


2002年04月14日(日) 会ってた(’’

 今まで会ってました。
また、こんな時間に会ってました・・・。
「なんで来るの?」とたずねても、やっぱり何も言いませんでした。
私もしつこくは聞けませんでした。。。
 最近やっと、自分の気持ちに正直に向き合えるようになってきたから、
しつこく聞いて、聞きたくない返事が返ってくるのが怖かったのかもしれません。

 最近、やさしくされたいとか、頼りたいとか・・・そういう期待をしなくなりました。だって、期待されたぶんだけ頑張って返してあげよう・・・なんて人じゃないものね、彼は・・・。
 でも、それでも好きなのだと思います。
最近は、何もまわりでごたごたがないので、一緒にいる時間は、お互いにとても安定しています。あっ、私だけかな・・・そう、思ってるの(汗汗
 会うペースも、なんとなく決まってきて、週一くらいになりました(’’
ちと少ない気もするけど、最近私も趣味が増えてきたので、あまり苦痛に感じません。。。向こうがそれでちょうどいいなら、私もそれでいいかな・・・という感じ。毎日会いたいけど、会えるだけでうれしいです。。。
 あ〜〜(−−;
好きな人にはこんなに弱くなるんだよね・・・女ってかなしい( p_q) シクシク

 ま、毎日会っていないから、毎日会いたくなる・・・ということかもしれないなぁ(’’  きっと、毎日会っていたら、それはそれで慣れすぎてつまらないかも・・・とも思ってしまう、今日この頃(’’
 趣味も性格も全然違うのに、なぜか話は合うんだから不思議なものです。
最初の何ヶ月かは、お互いにどの部分は主導権を自分が握る!!みたいな感じで、かなりぶつかっていましたが、最近はだいたい落ち着いてきた感じ。。
 
 好き・・・とは言われないけど、「何がいいの?」とたずねたとき、私の欠点をいくつもいくつも上げられたときには、月並みに「優しい」とか「かわいい」とか言われるより、ずっとうれしかったから、おかしなものだよね(^^;

 こんな感じで、ぼちぼちと続いていってくれたらなぁ・・・と思ったりしてます。ただ、付き合ってるのかなんなのかわけわからん状態は、あまりうれしくはないけどね(−−;


2002年04月13日(土) なんなんだろう・・・

 この、微妙な感覚はなんなんだろう。。。
恋愛に限らず、ものの見方に関してもなんだけど・・・。
最近、とにかく急激に考え方が変わってきてるような気がする。
それも、昔から親に絶対に進んではいけないと言われてきた道に、進み始めているような気がする・・・。
 
 なんとなく、幼かった頃の自分が思い出されてくる・・・。
親から殴られる前の、本当の私はどうだったか・・・。
あんなに小さく丸まっているような、気の弱い私が本当だったのか・・・。
愛は欲しかった。甘えたかった、優しくされたかった・・・。
小さくなっていたのは、愛が欲しかったからだ・・・。
仕方の無いことだよ。幼くてなんの力も無い私は、小さくなるより他なかった・・・。
が、小さくはなっていたものの、いつまでも優しくされなかったのはなぜ?
・・・そう・・・。「自分」を、捨てなかったからだ。
私は親の愛情欲しさに、自分の中の自我を殺すことは無かった。
常に私は私であって、誰のものでもない・・・という姿勢だけは、なぜかあんなに幼い頃から持っていた。
 だからこそ、親にあそこまで殴られ蹴られても、学校であそこまでいじめられても、グレる・・・という方向へ行かなかったのだと思う。
 
 どんなに考え方の違う親でも、一番近くに居る存在には違いない。
どんなに冷たくされても、何かがあって最初に話しをするのは、やはり親である。
どんなに怒られても、どんなに冷たくされても、一番愛していたのは親である。
だから、親にだけは常に迷惑をかけたくなかった。。。
直接意見をぶつける行為は毎日のようにしていたが、外側で何かを起こし、親の迷惑になってしまうような行為だけはしたくなかった。。。
 
 それにわかっていた。。。なぜに親があそこまで私にぶつかってくるか・・・。
悔しいのだ。腹立たしいのだ。私を見ていると・・・。
劣等感の塊のような親だったから、私のように上だけを見て突っ走っていくような人間を見ているのが、耐えられなかったのだろう。
本当に、両親ともに劣等感の強い、非常に精神的に弱い「いい人」だった。
本当の意味で、「いい人」だったのだ。「人にだまされることがあっても、だましてはいけないよ」と、常におしえられた。
「人から何かをされても、仕返しはしてはいけない。」とかね。。。
その考え方はとてもとても立派なことなのだ。そう、その言葉の中には常に、「現状に満足をしなさい。現状に感謝しなさい」という意味が入っていたのだと思う。

 あれだけ殴られても蹴られても、なぜそういう行為に走るかわかっていたので、親に対しての憎しみのような感情は、今までいっさい自分の中に起こったことはない。親の考えは正しい。本当にまっすぐできれいな考えかたかもしれない。
だから、なるべくならその考えで私も進んでいきたかった・・・。
 けれど、最近気づいてきた。やはり同じように考えることは無理なんだよ。
これからも、親に迷惑をかけることだけはしていきたくないと思ってる。
が、考え方が違う方向へ向くのは仕方ないよね。
私は現状に常に満足できない人だ。上を向いて走っていきたいと思う。
両親はわかっていたんだろうね。私のこういう性格を。。。
で、こういう性格の人間は、私の両親のように心優しい人を一緒にいる人に選んだときに、その相手に多大な負担をかけることをわかっていたんだろうね。
だから、変えたかったんだよね、この性格を。。。
自分たちが、なりたくてもなれなかったこの性格を。。。
私もわかってる。この性格が一緒にいる人に、負担をかけてしまうことも。
だから、上を向いて走っている間は、誰かと一緒にいたいなんて思わないよ。
 ま、同じような人が現れてくれたら、一緒に走れるのかもしれないけどね。。

 もともと私はこういう人だったのだ。しかしいろんなものに抑えられ、本当の自分を忘れていた。。。最近こうして、文章を書くようになり、また、いろいろな人と出会って、さらに親と離れて暮らしていることで、やっと私は本当の自分に気づいてきたのだと思う。。それが、いいことか悪いことかはわからない。
少なくとも、親は悲しむだろうね。。。
 けど、そろそろ自分の生きかたをはじめるもいいんじゃないかな(’’
だから、こういう自分を自分できちんと認めて、自分のやりたい勉強を進めていくのが、一番いいと現時点での私は思っている。

・・・・・・・って、これって、日記なのだろうか(−−;;
 
 ここまで、読んでくれた人へ。
     お疲れ様でした(−−   ありがとう(^▽^v
 



2002年04月12日(金) 昨日の続き(’’

 昨日の「彼」に対して、“嫉妬”の感情は大いにある(’’
けど、きっと、“恋”を通り越して、“愛”も十分に自分の中にあると思う。

 彼は常に私の上を行く人なのだと思う。
で、私の上にいる限り、私は彼を愛していけるのだと思う。
 上・・・というのは、学歴とか収入とか格好良さではないよ(’’
それを言ったら、私のほうが上になってしまう(−−;
 そうじゃなくて、ものの見方や考え方かな(’’
ついでにそれを、ぶつけ合える人でないと、いけない(’’
 あとあと、誰にも見せられないような、弱いところもないといけない(><)
う〜〜〜ん。。。こんなに言ってるから、私はなかなか人を好きになれないのかも(><)
 人を好きになる基準は、人それぞれいろいろあるわけだけど、私の場合は、
外見的なものはいっさい無く、ものの見方と考え方だね(’’
それが、一番重要(><)!!!
 
 まぁ、自分の気持ちも整理できてきたし、きちんと自分の気持ちは相手に伝えたし(^▽^♪
 あとは、相手の出方に任せるのみ(^^v
私が必要とされないなら、それは仕方の無いこと。。
とうぶんは勉学と恋に励むし♪
 
 なんか、自分の気持ちがはっきりとわかって、今はスッキリサッパリ(><)
って、感じ。。。
 また、イッコ大人になったかな(’’? 


言い忘れてた(’’

 あなたが、この瞬間に、この場所に、生きていてくれることに感謝しています。


2002年04月11日(木) わかってきたかも(’’

 自分の気持ちを自己分析したわけではないんだけど・・・
とある文章を読んで、自分の今の気持ちがいったい何物であるか、わかってきたかも。。。
 そうそう。。。
今、好きな人がいるのね(’’・・・(そりゃ、日記見れば誰でもわかるって・・・)
 で、私はその人に恋焦がれているような状態だったわけですよ。。。
でも、でも、どこかでそれを冷静に遠くから観察している自分もいたりなんかして・・・。
これっていったい・・・と思ってたのよね。
 で、私の気持ちの正体みたいなものがわかったんだよね(’’
そうそう。。。私の感情は「嫉妬」だったのかなぁ・・・って。
「嫉妬」=「恋愛感情」ともいえるかもしれないけど、これって本物の愛じゃない気がする。
 それは、前々から思ってた。だから、今好きな人から、以前に何度も「好き」だと言われて、いつも不信感を持ち断ってきた理由はそれなんだよね。
 彼の場合、まず外見で判断します。。まぁ、男の人はそういう人が基本的に多いのは認めるけどね。で、中身を知ろうとする前に、「付き合って」と言われました。そのとき私は、「変な人だなぁ・・・性格知らないのによくそんなこと言えるよねぇ・・」と思い、断った。。。
 が、が、彼はすごかった(><)
自分のものになるまで、ひたすら待ってあきらめなかったわけですよ。。
う〜〜ん。。。今考えても、感心してしまう(−−
 常に私の近くに居て、常に私の望むように動いてくれました・・・・。
そんなことされれば、たいていの女は落ちるよね。。。たとえその人が、かっこ悪かろうが、好みのタイプでなかろうが。。。。。。
 で、私も例外なく、他の人と同様、落ちてしまったわけですよ。。
すると、彼は、いろいろと理由をつけて、一人で居る時間を増やそうとしたわけ。。
 すると、落ちてしまった私は一緒に居る時間を増やそうと努力をはじめ・・・
それを、彼はうるさく感じる。。。
 まぁ、結局のところ、私は彼を愛しているのではなく、ただ自分に言い寄って来ていた人が、離れていくことに不満を感じていただけなんだよね。
 そう、ただの「嫉妬」なのです。それを、「彼を愛しているのかも・・」とか勘違いし、今まで言い寄ってきていたのだから、「彼には私が必要・・」なんて勝手な妄想を働かせていたにすぎない。。
 彼との過ぎた時間の中で、確かに愛が生まれる瞬間は何度もあったと思う。
その瞬間とは、互いに本音をぶつけあったとき。。。
 そのことに、彼は気づいてくれていたのかな。。。
今まで、彼の恋愛が長く続かなかった理由はそれだと思う。
結局のところ、人間対人間としてぶつかる時間がなかったから、彼の恋愛は恋から愛に発展しなかったんだと思う。
 今回の私との関係が、今までと少し違うことに気づいてくれたらいいな・・・・と思う。「恋」は楽しく苦しいものだけど、「愛」は深めていくものだから。
きっと、彼には退屈なものでしか無いかもしれないけどね。。
 で、私の中でも彼に対する思いが、「愛」に変わる瞬間が何度もあり、「愛しているかも・・・」と思ったのだけれど、いやいや確かに愛しているかもしれないけれど、「ずっと一緒にいたい」と思う気持ちは、単なる「束縛」であり「嫉妬」であると思う。で、私の中にもうひとつ生まれている「自分のやりたいことを頑張って欲しい・・・」という気持ちが「愛」なのだと思ったりしてしまった(’’

 けどまぁ。。。私もまだ若いので、「恋」をするということはやめたくない。。
「恋」は「愛」とは違うけど、自分をエネルギッシュに変えてくれる、いわゆる「起爆剤」の役目は十分果たしてくれる。
 いつか誰かと「愛」を深めたいけど、いろいろ勉強をしないといけない今の自分には、男女間の「愛」はまだ必要ないみたい。。。あればうれしいけどね(’’;
 まぁ、せっかく「愛」に発展しかけた人だもの、幸せを祈っております(^^
で、気づいてしまった私は、これからも今までと変わらず、自分を必要としてくれる誰かと「恋」を楽しもうかなぁ・・・(^▽^v
 彼も気づくでしょ。。。その「恋」と「愛」の違いに。。。いつかね。。
「恋」は誰とでもできるけど、「愛」を育むのは誰とでもできることじゃないこともねぇ(^^
 
 てなわけで、これからもたくさんの「恋」をしたいから、この日記が終わることはないのです(^^
 頭でしっかりとわかっていながら、ある程度の感情におぼれる・・・というのは
他のものでは決して味わえない、楽しみだったりするかもねぇ♪
  
 


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