活字中毒のワタシの日記

2003年05月27日(火) 菊間千乃『私がアナウンサー』★★★☆☆

私がアナウンサー
私がアナウンサー
菊間 千乃
文藝春秋 (2001/04)

帯より。
『実況中継中、5階建てのビルから転落、地上に激突。
胸椎、腰椎、肋骨、せん骨を骨折。
三日以内に痺れがくれば下半身不随……
一年間にわたる闘病とリハビリ、そして再びテレビに復帰するための感動の手記』

私はこの方の存在も事故も、先日お勧め本でこの本を見るまで知らなかった。
たぶんテレビで見かけてはいたのだろうけど。

とても理不尽な、悲惨な事故にあって、その後も有形無形の悪意(善意もあったろう。それもたちが悪い)に傷つけられて、それでも負けなかったひとのお話。
きっと怒りでいっぱいの部分もあるだろうに、非常に抑えて書いてある(と思う)。
闘病の記録のみならず、自分の来し方を振り返ったり、行く末を案じたり、実際に行動を起こしたり、同年代のひとりの女性の洞察が書かれていて、行き詰まっている人にも、順風満帆の人にも一度読まれることをおすすめしたい。

あとがきにある、よくある「きれいごと」が、読み終えてみるとほんとうに重く感じられる。
『人生は苦しいばかりということも決してありえない。乗り越えようと頑張れば、結果はきっとついてくる。諦めずに前に進むこと。自分をとことん嫌いになる瞬間があってもいいと思う。いろんな自分を見て、受け入れられれば、きっと自分が好きになるから。自分のことが好きになれれば、周りにもっとやさしくなれる。』(P262)

いい本に出会えた。
諦めずに、前向きにいってみようと、思えるチカラをもらった。
テレビで見かけたら「ありがとー」と声をかけてみようと思います。
ありがとう、キクマさん。

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2003年05月26日(月) 東野圭吾『虹を操る少年』★★★☆☆

虹を操る少年
虹を操る少年
東野 圭吾
講談社 (1997/07)

帯より。
「君にもこの光は届いているか----。
光の演奏ー”光楽”ーを通じて、子供たちにメッセージの発信を始めた天才高校生・光瑠。
その目的を探ろうと、大人たちの魔手が忍び寄るが……。
実力派が放つ、傑作ファンタスティック・ミステリー!!』

相方いわく、「TOKIOよりは面白かった」。
そうなんだ、私は「TOKIO」の方が面白かった。
とはいうものの、これも楽しく読めました。かつ、ドキドキハラハラ。

人体から放たれている光を見たり感じたりすることのできる人がいるという設定。
たとえばすんごく好きな人がそばにいると、体のそちら側の光が強くなったり、顔は笑っているけれど嫌々しゃべっている時は弱い光になったり。
それを読み取ることができれば、それこそ『千里眼』!
あ、作者が違った…。

すごい勢いですすんでいく話。
不思議と主人公であるはずの光瑠の描写は少なくて、光瑠を取り巻く人たちの物語となっている。
それも、最後の方で出てくる「強く光る人たちの説」を納得させる。
何に納得しちゃったかというと、

↑押すと続きが読める投票ボタンです。(ネタバレ注意!)
そこから発想したお話なんだろなーと思うんだけど、実際はどうなのかしら?

そういえば、武田泰淳『ひかりごけ』も光る人の話だったね。
あの衝撃的なラストは忘れられない。

そう、進化を、変化を恐れているばかりではいけないんだよね。
前へ、前へ。

虹を操る少年



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2003年05月25日(日) 加納朋子『ささら さや』★★★☆☆

ささらさや
ささらさや
加納 朋子
幻冬舎 (2004/04)

夫を突然の交通事故(不注意で赤信号で突っ込んできた車にはねられた)で亡くし、首も座らない赤ん坊と二人きり残されたサヤ。
気が弱く、お人好し。
ただひとりの孫を養子に、と圧力をかけてくる夫の親族。
逃げるように、不思議な町「佐々良」へ移住する。
にぎやかで面倒見がよく、けれど実はとても寂しがりや、恐れを知っているおばあちゃんたち、強くて豪快なエリカ、ダイヤ親子といったともだちも出来た。
サヤの周囲で起こる不思議な出来事。
一番不思議でサヤの生きていく支えになっているのは、夫の魂がいつもそばにいてくれて、ここぞという時に誰かの体を借りて助けにきてくれること。
でも、それもいつまでも続くわけじゃない…。

小さな子どもを持った母のひとりとして、読み進むのを躊躇した。
どうころんでもつらい結末しかなさそうで、それを直視したくなくて。
でも、ハッピーエンドでした。

ひとは誰でも、ほんとうに、誰でも、死ぬのだということ。
遅い方がいいけれど、いつかは必ず別れるということ。

それを痛感した。
そしてできる時にできること、したいことをしなくちゃなあって。

優しすぎ、弱すぎ、泣き虫のサヤ。
読んでいてイライラするほど。でも、彼女も気づく。
もちろんそれは彼女の長所でもあり、そこを夫も「馬鹿ッサヤ」と愛情こめて呼ぶのだけど、それではだめなのだ。

『自分は嫌になるくらい、世間知らずで甘ったれで弱虫だ。サヤにもその自覚はあった。だが、弱いということ、それ自体はなんら罪ではないと思っていた---今までは。
だが、より小さくか弱い存在を庇護する立場にある者にとっては、弱さは単なる能なしの代名詞でしかない。それがよくわかった。
もし必要なら、敵を引き裂く爪を持て。そののど笛に食らいつく、牙を持て。』(P308)

ここまで読んだ人には最後の一行にサヤの成長と、母の強さ、強くあらねばならない必要性を驚きとともに感じることでしょう。

なんだか透明感のある、不思議なおはなしでした。
息子ユウスケは、きっと佐々良のまちで、スクスクと育っていることでしょう。私もいつか行ってみたいなあ。

ささらさや



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