| 2005年11月23日(水) |
水谷 修『夜回り先生』★★★★☆ |
 『夜回り先生』 水谷 修 サンクチュアリ出版 (2004/02)
ごめんなさいと思った。
「何もしないくせに『子どもを救いたい』と言っている大人…。私はそういう大人たちが許せない。」(P213)
私はその一人だ。
夜の街で過ごす子どもたち。 たむろする彼らの横を、かかわり合いのないように通り過ぎる一人だ。
言うは易し行うは難しとはこのことだと思った。
いじめの被害者にしたら、いじめの加害者に「いいんだよ」というのは承服しかねるという意見もあり、それは私も気になる。
親がこうだから子どもがこうなってしまうのは無理もないだろうというケースも日々感じることが多々あり、親である私も反省することがたくさんある。
うまく伝えられないけど、胸に突き刺さる本でした。
心に残ったところなど。
「両親も、 生まれ育つ環境も、 容姿も、 能力も、 みずから選ぶことはできない。」(p102)
「寂しさに耐えきれず、私はいつも出会いを求め、自分を認めてくれる人を探していた。少しでも好かれようと、みんなの顔色をうかがった。必死に背伸びもした。でも不思議なことに、いい子にしようと思うほどどんどん孤独になる。自分が無理をすればするほど、人は避けていく。」(p104)
「比べれば比べるほど哀しくなるが、貧乏そのものは決して不要じゃなかった。 そのことに、子どもの頃から少しだけ気づいていた。
人はただ生まれ、生きていくしかない。 でもそこには多くの幸せがあると思う。」(p116)
「リストカットを習慣にしているほとんどの子どもは、別に自殺したいとは思っていない。『自分は生きているんだ』という存在を確認するために、手首を切り、血を眺め、痛みを感じようとする。死にたいんじゃない。むしろ生きたいがためのリストカットなのだ。」(p126)
水谷さんの後に続く大人はこれまでもいなかったし、これからもいないかもしれない。いないだろう、とさえ思う。
自分の子どもも、自分の子どもの友だちになるかもしれない同世代の子ども、自分の子どものパートナーになるかもしれない子ども、同世代を生きていく子ども。 どの子も大事だ。
自分が大事にされて、自分を大事にすることを覚え、他者も大事にして生きていくこと。
とても大切で、それができれば悲劇も防げるはずのこと。 私が夜回りをすることは自分の子どもがその中の一人にでもならなければないだろう。 私には私のできる範囲で。 少しでも世の中がよくなっていくように。
プレーコーナーやあちこちで乱暴働いたり順番待ちができない(ように親にされてしまっている)子どもをたしなめる、「ちと怖いおばさん」くらいしかなれないけど、何もしないよりはいいと思ってやっていきたいと思います。
水谷せんせい、どうぞお体を大切に。
『夜回り先生』
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